フォト

flickr


無料ブログはココログ

LGBT

2014年12月19日 (金)

LGBT、性的少数者と弁護士としての関わり

Img_1360

*たいせつなものは目に見えない。

 このブログにどのようなキーワードでたどり着かれているのかをチェックしてみたところ、LGBTと法律に関係して辿りつかれている方が何人かいらっしゃるようなので、単に世の中に対する思いだけでなく、法的サービスとして何を提供できるのかを記しておきます。

 アメリカでは、企業は、比較的所得の多いカップルがLGBTカップルに多いという統計?か何かに目をつけ、差別といった視点からではなく、一つの経済市場、マーケットとして、結婚式場等、異性婚にこだわらないといった姿勢を打ち出すところが多いといった記事をなにかで昔、見かけました。

 私は、振り返ると、7、8年前から、ブログでLGBTについての思いを書き綴っています。そこでは、最近の弁護士っぽいマーケティング的な発想はなく、つらつらと思うことを綴っていただけでした。

 しかし、やはり弁護士として、実際に、そうした性的マイノリティーといわれる方々に対して、弁護士として法的サービスを提供できる機会がなんどかありました。

 おそらく、ブログに綴った考えに安心していただき、ご相談に来られ、依頼をされたのだろうと思います。

 例えば、お互いの関係が法的ではないことを補うための公正証書遺言の作成

 例えば、将来を生きるための離婚のご相談、代理人活動

3 

 思うのは、どのような相談も、基本的には、同性婚が日本で法的に認められていれば、わざわざ弁護士費用を支払い弁護士に相談、依頼する必要もない場合だったということです。

 法律で、しっかりと同性婚が規定されれば、この日本でももっと多くの人々が生きやすくなるのにと残念で、残念で仕方ありません。簡単なことなのに。

 ただ。確かに、生殖関係、親子関係の問題はさらにまだ残るかとは思います。ただ、となると、親子とは何か、男とは、女とは、そもそも人間とはといったことになるかと思います。

 ただ。法律は、ある意味フィクションだと私は思っています。皆の意識が変わればいいだけです。

 簡単なはずなのに、なぜにこう進まないのか。

 ただ。この8年でも進化を感じます。もうあとちょっと、か。

 そうなったとき、「LGBT」「弁護士」「相談」といった検索キーワードもなくなることでしょう。

 早くそういう日が来ることを願って。

 私は、支援団体などはなぜかあまり好きではないので、そういったものには所属していませんが、大阪の一人の弁護士として、今、お役に立てることがあれば、やれることをやっていきたいと思います。それで、不安そうに事務所を訪れた方が、安心して最後、帰って行かれるのを見届けられたら、ああ、良かったと心の底から思えます。もちろん、お支払いもしていただいてのことですが、それはまた次の話。

 大阪の片隅で、弁護士として、今、問題に直面している一人一人の方のお役に立つ活動をしていきます。

(おわり)


*動きつづけいれば、前に進む。電車のように。普通列車でも。

Img_1613

 

2014年11月 4日 (火)

「これが私のレンガだ」

20141104_105537

http://www.bloomberg.co.jp/news/123-NE956V6KLVRB01.html

ブルームバーグ日本版から。

 性的指向を公表すること、Appleという世界的大企業のCEOが、なぜプライベートな事柄である自身のこと、ゲイである、ということをあえて世界に公表するのか。

  「それでも、今でも多くの州には性的指向だけを理由に従業員を解雇することを認める法律がある。ゲイだという理由で大家から立ち退きを迫られたり、病気のパートナーを訪ねることや遺産の相続を妨げられたりするような場所もたくさんある。数えきれないほどの人々が、特に子供たちが、性的指向のために毎日恐怖や虐待に直面している。」

 この現状に心を痛め、自分ができることをする。

 「人生における最も大事な問い掛けは『自分は他人のために何をしているか』だ」というマーティン・ルーサー・キング牧師の言葉を深く信じている。」

 「もしアップルのCEOがゲイだという話を聞くことによって、自分自身を受け入れることに苦労している人が助けられ、孤独を感じている人が慰められるなら、私のプライバシーを犠牲にする価値があると考えた。」

 

 社会の中での少数派故の苦悩は、LGBTといった性的指向故だけでなく、他にもいろいろと当然あります。

 ベビーカーを押す親、車椅子と段差、エレベーターの有無、グッド オールド ボーイズ ソサエティの中の女性などなど。

 各人の生きにくさに対して、もちろん自分も抱えるであろう生きにくさに対して、自分のためになにができるか、人のために自分はなにができるのか。それを考える。そして考えるだけでなく行動すること。

 それが「レンガを積む」ことなんでしょう。

 このニュース。

 自分は今の地球に生きている人類の一人なんだというのを思い知った気がします。

 近くの町では7歳の子供が親に鎖で繋がれ、近くの河原ではテント暮らしの人がいて、遠くのアフリカ大陸では女の子は学校へ行くのを禁じられ、病に苦しみ、今日の食事もなく、飢えに苦しみ、経営者は来月の給料の支払いに怯え、妻は夫の暴力に怯える。

 問題は山積です。

 自分は何ができるのかを考え、自分ができることをやっていくしかないんでしょうね。

 といったことを日々、心に刻み付けるために、ティム=クックさんは、オフィスに、マーチン=ルーサー=キング牧師やロバート・F・ケネディの写真を飾っているのでしょう。

 「私が毎朝オフィスに到着すると、キング牧師とロバート・F・ケネディ氏の写真が私を出迎える。」

 「彼らの写真を見た時、他者を助けるために小さいながら自分にできることを私もしていると感じることができるだけだ。私たちは正義に向けて陽の当たる道をともに進んでいる。れんがを一つ一つ置きながら道を作っていく。これが私のれんがだ。」

 

(おわり)

* 生きている限り、地球の重力を感じて前に進み続けるしかないんですよね。

 ある日の坂道。ジョギングは楽し。

15703897221_71188ffdaa_z

2014年10月 9日 (木)

日本でも、同姓婚は法制度化されると思います。それでいいやん!

20141009_114410


日本経済新聞からの記事・報道です。

同性婚が可能となる大きな流れがアメリカでも生まれてきたようです。
弁護士の自分がいうのもなんですが、所詮法律。
変えようと思えば変えることは出来ます。
変えるのが難しいのは、人の意見と価値観。
でも、私が法律の道に進むきっかけとなった、自衛隊合祀違憲訴訟の最高裁大法廷判決(昭和63年6月1日)も言っています。
寛容たれ、と。

信教の自由の保障は、何人も自己の信仰と相容れない信仰をもつ者の信仰に基づく行為に対して、
それが強制や不利益の付与を伴うことにより自己の信教の自由を妨害するものでない限り
寛容であることを要請しているものというべきである。


あの判決には、根本的に今も、高校生のときから変わらぬ違和感をもっていますが、「寛容たれ」といった点、いいとこ取りしようと思えばできます。
私人間の間においてといったものではありますが、これが一つの日本国憲法の価値観ともいえます。

単に、人の幸せの足を引っ張るにすぎないといえる意見なら、与するに値しない。
10年以内くらいに、2020年の東京オリンピックくらいまでに、
日本でも同性婚が可能になっていたら、日本でも幸せな人が増えて、
日本ももっとよくなっているのにと思います。
2020年までに。
不可能ではないような気がします。
皆が他者に、異なる意見をもつに過ぎない人の幸せに寛容であれば。


*過去の「LGBT」に関するブログです。



*2011年7月、訪れたカリフォルニアのカストロにはためいていたレインボーフラッグです。
6101363548_c6e1806bc6_z
2020年5月
          1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30
31            

松井の他のブログ!