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訴訟

2015年12月10日 (木)

視点移動、視点自由

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 東京は六本木の森美術館で開催されている、村上隆の五百羅漢展に行ってきました。

 森美術館は初めてです。

 村上隆さんの作品を初めて見たのは、確か2002年頃、大阪のサントリーミュージアムで開催されていた「ドラえもん展」です。その中で、村上隆さんのトレードマークのようなものの一つとなったお花の絵がありました。

 その後、美術特集の雑誌で、フィギアの作品もしり、その後、「芸術起業論」を読み、また、「芸術闘争論」も読んでいました。

 また、Ustreamだったか何かで語る現代美術の学び方のようなトークも聞きました。

 なぜか、目が離せません。

 そんなところに、この五百羅漢展の開催です。

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 中は写真撮り放題でした。

 コンビニ書店の雑誌の紐とじは絶対に売上を落としていると考えているのですが、それと同じで、美術館なども写真を自由に撮らせないことによってかえって、集客のチャンスを逃していると思っていたところ、さすが村上隆展、撮影自由でした。

 現代アートが好きなんだという自覚が生まれたのは、30代の頃です。

 新聞評や広告などで、これはと思う美術展には足を運ぶようにしています。

 行くと楽しいから。ちょっとした小旅行をしたような感覚を得られます。

 

 なぜかと考えるに。

 

 既存の、日常の視点を外せるからだと思います。

 自分の日常、考え方、行動パターンに揺さぶりをかけ、異なる視点を得る刺激。

 こうした刺激は、好きな人と嫌いな人に分かれるかと思います。

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 今いる場所の延長線から離れられない人。

 モノの見方、考え方。自分以外の人のモノの見方を試みられない人、「自分」から離れられず、視点移動ができずに、視点の自由がない人。

 こうした人は、現代アートや、村上隆さんのような作品は生理的に受け付けないのではないかと思います。

 しかし、「離れる」こと、「不安定」さを楽しめる人には、きっとじんわりとバワーをもつ村上隆さんの作品の数々。

 脳内トリップができる現代美術が好きです。

 

 一枚欲しい。。。家か事務所に飾りたい。

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 お仕事と結びつけて考えるに。

 弁護士業。

 訴訟、調停、手続外の交渉といろいろとあります。

 依頼者の方にはっきりとお伝えしているのは、訴訟は博打ですよ、ということです。

 訴訟になっても、和解ができるなら和解を勧めます。なぜなら。ある程度、結果をコントロールできるからです。当事者が譲り合って、紛争に解決をつける。

 誰にとってももっとも得な、ベストな選択になります。

 

 交渉、調停もある意味、裁判上の和解と同じで。

 決裂した時にどうなるのか。それぞれのコントロールが及ばない領域に踏み込んでいくこととなります。

 こうしたことの怖さを理解できる人は、第三者である裁判官の手に事態を委ねることなく、自ら解決する力を持ちます。


 自分で解決する力。

 そのためには、自分のものの見方、自分の考え、執着から一旦離れることが必要です。

 これができる人とできない人がいるのは世の中、やむをえません。

 だから、裁判所かあるわけですし。また、弁護士という他者の専門家もいるわけですし。


 裁判になったらどうなるのかという知識と想像力、恐怖心、そして視点移動、視点の自由さがものごとを解決し、その人を窮地から救うことになると思います。

 

 裁判所の廊下には、ぜひ村上隆さんのような、現実を吹っ飛ばすようなパワーのある美術作品を展示すべきだと思います。

 ちっぽけな世界で争っているにすぎないことに気づけるかも。


                           (おわり) 

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2015年8月 4日 (火)

控訴審での訴訟活動

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*先日、阪神ヤクルト戦をバックネット裏、最前列で観戦する機会がありました。ありがたいことです。トラッキーの動きのキレの良さに驚きました。

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 一審、地方裁判所での裁判は別の弁護士に依頼していたけど、判決が出て、敗訴し、控訴審から別の弁護士を探すというとこで、控訴審からの訴訟代理人の依頼を受けることが稀にあります。

 一審の訴訟代理人の活動の様子は、提出した主張書面、証拠から推し量るしかありません。ただ、そもそもの攻撃防御の事実の対象を間違えていると、せっかく熱心に活動しているのに、ボケた活動となっているといったことがないわけではありません。

 まずは、法令・裁判例の調査が第一ということだと思います。

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 先日は、近畿弁護士連合会、日本弁護士連合会主催の夏季研修があり、その一つである「控訴審の審理と主張立証のあり方」という、研修講師が現大阪高等裁判所の山田知司判事の研修を受けてきました。

 実感としては。

 訴訟代理人には、証拠に対する粘り強さが必要だと改めて思いました。

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 研修は2時間だったのですが、ご自身の経験や周りの高裁の裁判官らが話しているという具体例を豊富に、代理人向けに示唆に富む話をしていただきました。

 ちなみに、大阪高裁では、平成25年の既済件数は3717件、全国では1万7072件とのことです。

 

 具体例としては、一審判決がカルテの既済を元に原告、患者側を敗訴としていても、控訴審において、そのカルテの記載の意味内容につき、書いた医師に対して真意を問い、一審判決の解釈とは異なる解釈が真意であったことが明らかにされ、逆転勝訴につながったといった話です。

 結局は、一審で行われるべき代理人活動が行われていなかった、ということではあるのですが。

 医師としては、「聞かれなかったから、言わなかった。」とのことで、弁護士の「質問力」が問われます。

 また、裁判官としては、業界の事情については、一方当事者が話しいるというだけではなく、その裏づけとなる資料があると乗りやすいといった話しもありました。

 それは私自身、審判官を4年間やっていた経験からもそう実感します。業界ではこういうものなんです、書類なんてつくりません、数百万円の契約がまったくの口約束なんですと言われてもにわかには信用できません。

 また、訴訟代理人としても、とある業界の経理の流れや、企業内の横領被害の実態について主張するとき、裏づけとなる統計に基づいた出版物を見つけ、それを書証として提出した瞬間、裁判官の態度か変わったといったことがありました。

 書面、おそるべしです。

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 また、「立証責任を負っている場合は、自分のストーリーの可能性をいうだけではダメ、相手のストーリーを潰さなければ、立証責任を尽くしたことにならない。といった、控訴審に限らない当たり前といえば当たり前の話しもありました。

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 こうした感覚、経験、技術。

 やはり弁護士ならではのものだと思います。

 ふと考えるに、行政不服審査手続き、税務での異議決定や審査請求についても、やはり法律家の舞台だと思います。

 ただ、行政に関しては、審理する方が法律家ではありません国税不服審判所であるなら、国税職員の方々が審理します。事実認定も、法律家ではない方が、証拠を評価し事実認定します。

 そこは、司法、裁判ではない以上、厳密な世界ではなく、曖昧な世界であって、曖昧であるがゆえの良さってなんだろうか、とふと考えました。曖昧であるからこそ、そこは利用者有利でなければ意味がないのではないかと。

 そのための、「違法」のみならず「不当」も取り消す権限が与えられたところであるのかと。

 司法の世界と比べて精緻さが足りないという批判はまとはずれで、曖昧であるがゆえの良さを築いていくのが存在意義かと。

 当事者主義についても、利用者有利、親切にしなと存在価値がなくなるかと思います。

 技巧的なテクニックの世界、司法の世界から、ふと行政の審査手続きを考え、ぼんやりとそんなことを考えました。

 違いを出していかないと。

                            (おわり)

*大阪の京橋界隈です。

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