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2016年2月 9日 (火)

作品を生み出す人・澤田知子さん



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 先日の1月、大阪は梅田の蔦屋書店でのトークイベントといった
ものに初めて行ってみました。2003年、木村伊兵衛写真賞を受賞
したことでその存在を知り、なんとなく気になり続けていた
写真家・澤田知子さんのトークイベントでした。
 そのFacebookの存在は見つけていてフォローしていたところ、
告知があり、チケットを手に入れるために、即、最新写真集
「Facial Signature」も購入しました。

 行ってみて。
 非常に刺激的な1時間でした。トークの相手であった
椿昇さんは、残念ながら何者かも全く知らなかったのですが、
澤田さんの高校時代の美術教師で、恩師でもあるとのこと
だったのですが、それだけの人ではなく、美術業界に
、今は大学の教授をされていて、業界に対しても突き放し
た考えをお持ちの方で、椿さんの話がまた面白く、行って
よかったと思えるトークイベントでした。
 何が面白かったのか。
 「食べていけないと、作品は作れない。」その言葉
を聞けたこと。
 そして。日本のアート市場と、ニューヨーク、ロン
ドンの市場や、購入者、愛好家との違い。
 「ハーブ&ドロシー」という映画の存在は知って
いました。見ていませんが。
 海外(といっても、もっばらそのニューヨーク
とロンドン)での購入者は、大金持ちであろうが、
作者や作品のことを本当に根ほり葉ほり聞いてくる、
私よりも私のことを知っているのではないかと思う
くらいだと。
 本当に好きで気に入って作品を買ってくれると。


 作品であっても、発表して終わりではない。
 売る行為と買う行為があって、そこにきちんとしたや
りとり、納得、評価が加わる。そこで、また新しい作品
が生み出されていく。
 この素敵な過程、市場がきちんと機能しているのが、
成熟したニューヨークや、ロンドンの市場であると
いった話でした。
 結局、他方で、日本のマーケット、美術界は未成熟
である、お金持ちが美術品を買う際、まだまだ百貨店
の外商任せが多い、日本から新人を見つけ出し、
日本以外の国に発信しようという業界人が少ないと
いった話でした。
 澤田さん自身も、今は、力、コネクションのある
海外のギャラリーがついていて、経済的には困窮は
していないといった状況のよう。
 単に、いい仕事、いい作品を生み出せば、あとから
お金はついてくるといった話ではなく、やはり
自己プロデュース能力、経済感覚かないと、生き残り
続けるのは厳しいようです。
 そうした話は、もう10年近くまえ、村上隆さんの
「芸術起業論」で読んではいました。
 

 澤田さん自身、5年ほどスランプの時期があったと。
このまま、作品を生み出せないなら、カツラを床に
置いて、業界を去ろうかと思ったと。
 その時、共同プロジェクトの話があり、ハインツ
トマトケチャップの写真をもとに作品を作ったところ、
「これは知子の作品だね。」と言われて、自身の
タイポグラフィが自分自身であることに気づいたと。

 木村伊兵衛写真賞を受賞した「コスチューム」は、
危ないところであった、逸れるところであったと。
 
 このことを、椿さんは、10年はそのスタイルを続けろ
と、10年経てば、それが澤田知子だと認識される、と考え、
見守っていたと。


 生み出し続けることは、しんどいかと思います。
 フランスの三つ星レストランの有名シェフが自殺
したとの報がながれていました。
 最近のところでは、カート=コバーンを思い出して
しまいました。
 食べて、生きて、世の中に、一つでも多く作品を
残していってほしいです。
 作品。 
 もしかして、amazonで買えないのかとチェックして
みたら、篠山紀信さんの作品は買えるようでしたが、
さすがに澤田知子さんの作品は売られていませんでした。
 
 どこで売るのか。
 美術業界。この辺りに革新の要素があるのではないか
と思います。
(おわり)
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2015年9月30日 (水)

生駒ボルダーで、過去と今と、未来の関係に思いを馳せる

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 先日、関西ランナーの間では知る人ぞ知る、「生駒ボルダー」を初めて走る機会がありました。

 約18キロを途中休憩したりしつつ、2時間40分くらいで走りました。

 途中、有名な暗峠にも立ち寄りました。

 他の関西ランナーのブログなどでよく目にしていたお茶屋はこの店か!と感慨深いものがありました。

 ただ、それよりも何よりも、この暗峠の石畳です。江戸時代に敷設されたものだとか。

 そもそもこの峠の道は、昔、大阪から奈良へと続く、あるいは奈良から大阪へと続く道であり、昔、ほんの数100年前の人々はこの道を、この峠を徒歩か馬で移動して行き来していた道かと思うと、今時の格好でジョギングをしている自分が同じ道に立っていることが不思議な気がしました。

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 石畳の道を行き来する当時と、今とは当然、時間軸で繋がっており、ただ、捉える一点が違うと、別世界のようなまったく違いが広がっている。

 最近面白く読んでいる本は、立花隆さんの「田中角榮研究」です。

 

 レビューでは賛否が分かれるのも分かりますが、いずれにしても一時代を気づいた著作だろうと思います。

 また争いのない客観的事実からも、昭和40年代、田中角榮というたった一人の人物がいかに世の中を動かしていたかが推察されます。

 当時の政治の世界、日本のあり方。

 わたしは昭和46年生まれですので、昭和40年代の記憶はありません。

 しかし昭和50年代、世の中の雰囲気など、おぼろげな記憶はあります。

 えー、あのーといった間延びしたダミ声の田中角榮さんが話す姿をテレビで見ている記憶がなんとなくですがあります。

 振り返って、今の日本の政治、国会議員、世の中の大きな動き、うねり。

 何が違って、何が同じで、どこへ向かおうとしているのか、舵をとっているのは誰なのか、その方向はどこへ向かっているのか、それはよりよい方向なのか。

 2015年と1715年、1815年、1915年。

 一つの時間で繋がっているけど、では2115年はどのような世界が繰り広げられているのか。

 2115年。自分が死んでいるのは間違いありません。

 よりよい世界が繰り広げられているのか否か、1971年生まれと、1991年生まれ、2001年生まれ、あるいは1951年生まれなどとの繋がり次第なのかと思います。

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 実際に、自分が繋がっている人、関係している人々は、たぶん数えようと思えば数えられます。

 自分が認識し、相手もこちらを認識していて、会話ができる関係を数えたら、たかがしれているかと思います。

 ただ、そうした個々の繋がりが絡み合って、世代やなんらかの塊が形づくられ、時間軸の中でころころと転がり続けいるのが歴史なのかもと思います。

 生駒ボルダーを走り、暗峠の石畳でなんとなく考えたことです。

 そう考えると、一人一人は大した意味はやはりないのだろうけど、その一人があってこその今なのかと思います。 

 それぞれが、出来ることを、やりたいことを、一生懸命にやる、その中で、もちろん邪悪な人もいるだろうし、そうした人とは関わらないようにしつつ、ただ倒すべき時は戦って倒し、また時には自分が倒され、そうして時間が過ぎていくのかと思います。

 安部晋三総理大臣も、田中角榮元総理大臣も、今、自分がすべきと考えていること、自分がやりたいことを一生懸命にやり遂げようとしているだけなんでしょう。

 他の人が、自分ごととして人の行動言葉を受け止め、評価し、行動することも自由ですし、それをまた評価し発言することも自由。また、なにもせずに見ているだけも、自由。

 ただ、安部晋三総理大臣には、総理大臣としての、総理大臣故の、他の人にはない責務があるのは当然であって、一個人のように振る舞うこと、やりたいことをやるんだといった姿勢だけで振舞ってはいけない立場だと思います。

 評価はすべて受け止めて、説明していく責任があります。

 総理大臣の役割を果たすような人は、それくらいタフでないと務まらないし、やるべきでもないというのが、最近の国会の様子をみていて思ったこと。

 逃げてはいけない立場の人が逃げる姿は、醜悪です。

 

 と。先日、家庭裁判所の遺産分割調停の成立の場面で、「逃げる裁判官」の姿を目にしてしまい、17年弁護士をしていて、裁判官としての権威のない裁判官を初めて見た、と驚愕した思いにとらわれ、遂にこういう人が出てきてしまったのかと情けない気持ちになったことは、また改めて書きます。

                           (おわり)

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2015年9月15日 (火)

どこにも辿り着けない ー専門家ショッピングー

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 残念な○○という言い方は、もうその時点で評価をして決め付けているようであまり好きではないのですが、仕事がらかやはりつくづく残念な思いに囚われる方々を見かけるかとがあります。

 陥った状況に対して本当にひどい状態だと思い、なんとかお役に立てればとこちらも必死で手を伸ばして引き上げ助けようとしているのに、その手を振り払い、さらにひどい状態に自ら陥ってしまう人たちです。

 他の仕事もあり、他のより多くの方々に迷惑をかけるので、その方と心中するわけにもいかず、2度手を伸ばしてダメなら、3回目は手を伸ばさないようにしています。

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 国際的な事件では、管轄をどこの国にするのかが実際は重要であるため、管轄についてショピングする、といった言い方があります。

 医師・病院などでも、セカンド・オピニオンという言い方が普通になり、主治医以外にも、他の医師の意見を聞きに行き、場合によっては主治医を変えるということがあります。

 弁護士を利用する場合にも、これはよくあります。

 私自身、10数年前から実感しているのは、既に、友人・知人から紹介してもらい、事件を依頼した弁護士がいるけど、進んでいく中で、その弁護士を信頼できなくなり、ネットで他の弁護士を探し、その中で私を見つけていただき、改めて意見を聞きたい、そしてそのまま弁護士を乗り換える、依頼をしたいという方が少なくはありませんでした。

 相続の分野に関してです

 相続は、実はかなり法解釈も詰められていない分野でもあり、税務知識、不動産知識等の知識が必要になります。

 また、調停のみならず裁判においても和解といった中で交渉力がかなり必要になります。硬直的な戦闘モードだけでは、治るものも治りません。

 そうした中で、当初依頼した弁護士に不審を抱き、セカンドオピニオンとして、私のもとを訪れる方が何人もいました。

 相続に関する経験に基づいたことをつらつらと書き綴っていたブログ を見てのことです。

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 お聞きして、担当の弁護士との単なるコミュニケーション不全ではないかと思われる場合は、みずから積極的に弁護士に働きかけることを勧めています。

 またそうでなくても、相談を受けた一弁護士としてのアドバイスはしますが、既に頼まれている弁護士の仕事ぶりの評価を求められても、その点は基本的にはノーコメントとしています。なぜなら、一当事者側からの話ししか聞いていないため、どこかに誤解がある可能性を否定できないからです。

 こういう時に、他の弁護士の活動について悪評価を相談者の方にする弁護士は、逆に私は信用しません。多面的にものの検討ができない仕事ぶりと伺えます。

 

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 セカンド・オピニオンとして相談をお受けし、結果、既に依頼していた弁護士との契約を解約されたうえで、そのうえで改めて依頼をというときは、引き継いで代理人業務をお受けすることもあります。

 ただ、驚く現象が出現してきています。

 代理人を依頼していなながら、継続的に他の弁護士等の専門家に相談をし続け、依頼した代理人とコミュニケーションをとらないパターンです。

 二重に専門家の費用を払い続けていることになります。

 そうした場合、結局は、どのような専門家ともコミュニケーションがうまくとれず、事態はそのため、専門家に相談しているにもかかわらずどんどん悪化していくことになります。

 いわゆるどっちつかず、という状態です。

 専門家である代理人にコミュニケーション能力がないのか、たまたまその方がいく先々で、自分では信頼できない専門家にあたり、運が悪いだけなのか。

 いずれにしても。きっと、ずっと、どこにも落ち着けず、どんどん流されて、もう誰も助けることはできないところまでいってしまうのではないでしょうか。

 非常に残念な現象です。

 そういう場合、中途半端に相談に応じ続けることは、その方の利益にはならないと判断し、わかった時点で相談業務もお断りさせていただいています。

 やはり、助かって欲しいから。

 そのためには、専門家ショピングは有害無益です。全てが中途半端になりますし、依頼を受けいる代理人も、そのことを知ったらやる気がなくなるのは人間ですから当然といえます。

 利用する方も、専門家の上手な使い方、相談・依頼の仕方を学ぶ必要があると思います。

 どこにも辿りつけない迷える子羊から脱出するためには。


 手を差し伸べてくれる専門家はたくさんいるはずです。

 差し伸ばされた手をまずは一度は信じて、しっかりと事態改善のためにエネルギーを使えば救われるのではないかと思います。

 ショピングばかりしていてはどこにも辿りつけません。

 時間は雲のように流れていきます。

                               以上

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*代理人制度の利点。専門家に頼み、自身は日常に集中できることです。

 ゆっくりと青い空を見上げる時間を確保して欲しいものです。

 

 

2015年7月24日 (金)

専門家が世の中に価値を生み出す 

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 最近、人の行いをみて、我が身を振り返り、はっと我に返ったことがあります。

 プロのトライアスリートの西内洋行さんのブログからの情報発信です。

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 今年になって、OWSオープンウォータースイミングでのトライアスロン大会、あるいは、アクアスロンなどの大会で例年以上に水泳中の死者の報道が多いような気がしていました。

 しかも初心者などではなさそうな方々です。

 それも、うつ伏せで海面上に浮いているところをレスキュー員に発見され、救助されるも息を吹き返さずといった報道が多かったように思います。

 

 原因はいったいなんなのだろうかとずっと気になっていました。

 お酒を飲んで海に入っているわけでなし、また、練習不足、経験不足といったことでもなさそう。

 今年の気温、水温の何か悪影響なのかなどど一人、考えていました。

 なぜなら。

 オープンウォータースイムでの華麗なる泳ぎをいつか宮古島でやってみたいと、西内プロが運営されているスイミングスクールに通いだしたところだったからです。

 このように大会中での海での水死事故が多いのはなぜなのか、水死の事実は報道されても原因までは報道されません

 そのような中、西内プロが、ご自身のブログで、経験豊富なプロならではの分析と見解を公表してくれました。

 海面にうつ伏せいということから、溺れた原因としては心臓の負担が考えられるわけですが、ではいったい何が心臓の負担となっていまのか。

 体に合っていないウエットスーツが原因ではないかとの分析、なるほど!と納得しました。

 しかし、それよりも何よりも。

 こうしたプロの専門家ならではの、世の中の事象、事実に対する見解を披露する姿勢、情報提供をしようという姿勢に我ながらおどろきました。

 情報に飢えていたところ、こうして適宜にプロの方が、情報提供が義務ではないのに、自ら世の中に情報発信をする姿勢、その姿勢に胸打たれました。

 自分はどうなのか。自身の経験、資格、職業上の知見。

 これらを、ご相談にきた相談者、依頼者に提供するのは当たり前です。仕事ですので、もちろん対価として費用をいただき有償です。

 しかし、それだけでよいのか。


 自分が考える「仕事」の中身はそれに限られるのか。

 自分が考える「仕事」の枠組みはそれに限られないということに改めて気付きました。

 例えば、個別のメール相談に無料で応じる、それは違います。そんな「仕事」は「仕事」ではありません。自身、たまにこちらの「仕事」を尊重しない方(合意した費用の値下げを求める方、さらには支払わない方。)と出会ってしまうことがないわけではないですが、そういう方とは距離を保ちます。

 

 世の中の役に立つこと、世の中に価値を創造すること。

 ありふれた言い方ですが、この「価値」を生み出すこと、「価値」を付け加えることが「仕事」ではないかと思います。

 

 西内プロのブログでの見解表明は、見事に、この世の中、OWSに関心のあるごく狭い世界かもしれませんが、価値を付け加えられた仕事だと思います。

 これぞ、プロフェッショナルだと思いました

 プロフェッショナルとしての仕事を自身もしていきたい、していくのが仕事をしていく意味ではないかと改めて思いました。大げさかもしれませんが。

 

 プロフェッショナルとしての仕事。

 そのためには、日々、謙虚に自己研鑽を重ね続けるしかありません。

 がんばります。

 ブログでの情報発信も。

 税務関係、相続関係、マンション関係、ブログでなく、体系的にまとめていきたいといったことを考えています。

 新たに弁護士松井淑子のホームページを作ろうかと。情報のさらなる集積と、集積だけでない整理です。

 

 前を見続けて歩み続ける、刺激を得られ続ける、このような環境にいることができて自分は本当に恵まれている、ラッキーだと思います。

 感謝の日々です。

                           (おわり)

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*先日、生まれて初めてフットサルをしました。新大阪のキャプテン翼スタジアム。マラソン、水泳といった持久系のスポーツとは全く違い、これはされで楽しかったです。

2015年7月19日 (日)

企業内の犯罪 ー従業員による横領・窃盗ー

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 企業内での不正、特に、法人化していても実際にはオーナー経営者一人で従業員を何人も抱えているといった企業からの従業員による横領・窃盗の相談がなぜか増えています。

 

 例えば、法律事務所もそうですが、医療機関です。

 トップは、弁護士あるいは医師といった資格者であってプロフェッショナルです。

 何人か従業員を抱えていて、組織的には経営のトップにあったとしても、経営そのものが仕事なわけではないプロフェッショナルですので、経理的な経営上の実務は、担当者に任せがちです。

 まさに医療機関に多いのが家族経営だと思います。

 

 医療機関に限らず、企業がある程度の大きさとなり、家族経営からの脱却を図るとなると、事務局長・経理部長を外部からの職員に任せることになります。

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 外部の人に会社の経理を委ねる時、不正を防止する「システム」を必ず構築しておく必要があります。

 自分が逆の立場のとき、自分は職務を全うするだけであって、間違っても人のお金、会社のお金を盗むようなことはしないと自分は考えていたとしても、他の人が、しかも、信頼して任せていた、まさかこの人がという人が、なんらかの事情で会社のお金に手をつけてしまうのです。

 

 税理士がみているから大丈夫というのは大きな間違いです。税理士は通常は、記帳指導と申告業務しか依頼を受けていない立場です。

 「監査」の仕事は、通常の税理士業務とは異なります

 このことを分かっていない弁護士や裁判官が少なくはないのも事実です。

 

 また、監査法人の監査が必須の上場企業であっても、本年の東芝をめぐる報道のように、内部職員が偽の会計書類を作っていたら、それを見抜くのはやはり大会計監査法人によるナン億円もかけた監査業務であっても困難であったということが明らかになってしまいました。

 東芝の場合はトップからして不正に関与していた疑いが濃厚なようですが、そのような場合は別にしても、従業員による犯罪、不正に関しては、これを未然に防ぐ体制・システムを作るのがもっとも効果的であり、唯一の被害防止策ではないかと思います。

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 ではどのようなシステムを作るのか。

 それは、医療機関の場合が典型ですが、各企業の業務における独特の金銭の流れがあります。それを熟知した者によるシステム設計をする必要があります。

 監視・管理システムを作ったつもりが、実は、その当該担当者に大きな権限を与えた結果、かえってその責任者による不正・犯罪を誘発してしまったというケースも稀ではありません。

 

 再発防止策がまさに重要になります。世界的大手監査法人のKPMGが出している、企業内不正に関する書籍でも、統計データから、不正対応に対する初期の対応ミスによってさらなる不正を誘発してしまったという例が少ないことが示されています。

 
    この本は、データに基づいた実例豊富な実践的書籍であって、従業員横領等の問題を検討する際には今、一番使える本だと思います。

 

 企業内で一度、不正が発覚した場合は、当該問題を熟知した専門家への相談をお勧めします。

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 時々読みかえす本に、稲盛和夫さんの「稲盛和夫の実学 経営と会計」(日経ビジネス文庫)があります。

 読みかえす度に新たな発見を得る本ですが、今回、目にとまった記述を紹介しておきます。

 103頁

 「『ダブルチェック』とは、経理のみならず、あらゆる分野で、人と組織の健全性を守る『保護メカニズム』である。

 仕事が、公明正大にガラス張りの中で進められているということは、その仕事に従事する人を、不測の事態から守ることになる。それは同時に、業務そのものの信頼性と、会社の組織の健全性を守ることになるのである。」

 「ダブルチェックとは、人に罪を作らせないための原則である」

 

 そうした上で、次の項目について具体例を挙げて論じています。

 □ 入出金の取り扱い

 □ 現金の取扱い

 □ 会社印鑑の取扱い

 □ 金庫の管理

 □ 購入手続

 □ 売掛金、買掛金の管理

 □ 作業屑の処分

 □ 自動販売機、公衆電話の現金回収

 そしてこう述べています。

 「トップ自らが、本当に守られているのかを現場に出向き、時々チェックしなくてはならないのである。」

 「その根底には、社員に決して罪をつくらせないという思いやりが、経営者の心の中になくてはならないのである。」

 

 これはプロの経営者、経営が仕事である社長にとっては当然のことです。

 

 しかし、本当に難しいのは、大きなお金を扱う機関でありながら、トップの仕事が他のプロフェッショナルであって、経営そのものがプロフェッショナルとは限らない医療機関が一般的に抱える問題ではないかと思います。

 信頼できるその道のプロフェッショナルをどうやってみつけるのか。

 医療機関相手のコンサルティング業者が多い理由もこのあたりにあるかと思います。

 二次被害に遭うことのないようにだけ気をつけて欲しいと思います。もちろん他利の姿勢で有益な助言をするプロフェッショナル コンサルティングというものが存在するという前提です。

(おわり)

 

2015年7月 7日 (火)

質問力 ー人と言葉とー

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*ジョギング中、公園で見かけた蓮の花。
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 仕事のスピード4倍速といいながら、ブログ更新の速度が0.25倍となっていました。
 それはともかく。
 自分の軌跡にもなり、成長の痕跡にもなるので、やはりこまめに文章で表し、写真をアップしていこうと改めて決意しました。

 最近、グッときたこと。
 「性犯罪・児童虐待捜査ハンドブック」を著した田中嘉寿子検事を講師に、大阪弁護士会で「なぜ?ときかない質問ー性犯罪被害者に対する事情聴取の留意点」と題した研修が実施されました。
 参加できなかったのですが、研修を紹介した記事が会報誌に紹介されており、改めて言葉選びの巧拙について考えさせられたので紹介します。


 税務調査や不服審査においても、国税職員等の質問それに対する答えが職員によって調書化(証拠化)されることがあります。

 これには、
  1 問いを発し、
  2 文章化する、
の2段階があると思います。
 税務調査の場面においては、2 文章化の訓練だけでなく、そもそもの1 問いを発する場面で、いかに問いを発するのかといった技術としての「質問」の訓練は、組織的には行われていないかと思います(査察の職員くらいでしょうか。)。
 似て非なる行政作用ですが、こうした面については、刑事の分野のほうが税務よりも、やはり世に連れで進んでいるのだろうなと改めて思いました。
 税務行政の過程で調書を取るのは稀だから仕方ないとは思いますが



 以下、「月刊大阪弁護士会2015.6」21頁抜粋。

 「なぜ、『なぜ抵抗できなかったのか』と尋ねられると、非難されているように聞こえるのか。
 それは、この
質問が、抵抗が可能だったことを前提とする質問となっているからである。

 『なぜ抵抗できなかったのか』と尋ねると、被害者にとっては、質問者がそのように意図していなくとも、あなたは『抵抗できた』のに、 『なぜ』抵抗しないという選択をしたのかと非難しているように聞こえるのである。
 『抵抗できた』というのは『抵抗不能』という被害者の前提とは全く逆であるため、被害者は回答不能に陥り、責められているように感じるのである。」

 「『なぜ逃げなかったのですか』ではなく、『逃げようとしたら、どうなると思いましたか』と尋ねれば、『犯人のほうが足も速いし、逃げきれない。捕まれば、逃げたことで犯人を怒らせてもっとひどいことをされると思った。』等との回答が返ってくる。」

 「心のにある逃げられない気持ちではなく、心のにある逃げられない原因を尋ねるべきなのである。これにより、建設的な解決思考の話ができるようになる。」
 
                            (おわり)

2015年4月 4日 (土)

企業文化 ー腐るときも、変わるときも、トップからー

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 平成27年3月31日の日経夕刊から。

 大阪市の職員に対する処分が2件、報道されていました。

 1件は、タブレット入札をめぐる教育委員会の職員の処分。部長級61歳、課長級54歳、係長級49歳。入札前に特定の業者に情報を提供と。減給処分です。

 もう1件は。こども青年局の係長52歳。見積書偽造です。この方は懲戒免職。

http://news.goo.ne.jp/picture/abc/region/abc-20150330011.html

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http://www.yomiuri.co.jp/national/20150401-OYT1T50005.html

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 大阪市の職員。

 3万5000人です。

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 ちなみに。国家公務員、日本全国が対象の国税庁の職員が、5万6000人です。

 消防・交通・病院・学校といった公共性・特別性の高い職種を除いて、事務処理系統だけでどうかと単純に概算しても、これほどの2万人近い職員数が必要とは思えません。

 それはさておいても、大阪市。

 取引業者との癒着といった報道が絶えず、発生頻度としても国家公務員と比しても多いような気がします。体感頻度ですが。

 

 「公務員」としての規律、文化が、「大阪市」という職場ではこの平成26年、27年となっても築かれていないのではないかと思えます。

 

 公務員パッシングといわれるものは、昨年の7月まで、4年間、任期付とはいえ国家公務員をしていたのでなんとなくですが肌で感じます。

 感じるというのは、トップからの指導監督が頻繁にあり、トップが神経質になっているのを実感し、それを踏まえて、下の職員らとしても気をつけねば、見られているといった視線を感じて、そのような不祥事がおこらないような抑制力となっていたと思います。庁舎前の信号機のない道路でも、必ず横断歩道のところまで行って、横断歩道を渡るようにと指導がありました。

 大阪市に対する批判も、些細なことで揚げ足とりをする「公務員バッシング」なのでしょうか。

 大阪市。不祥事の報道は、30代の若者といった職員ではなく、60代50代の人たち、いわば管理職の人たちの不祥事です。

 もう、「職場」がそういうことを許容する環境なんだなと推測をせざるを得ません。

 文化から変えていかないと、こうした癒着報道は今後もあとを絶えないのではないかと思います。

 誰が変えるのか。

 トップの責任、市長の責任だと思います。

 そういう意味では、職員から市長になったといった過去の流れが断ち切られている点はよい傾向かとは思います。

 しかし。公務員。トップが変わるのには慣れています。うまくその任期の間を適当にあわせて、おだてて面従腹背でやりすごす。

 そうした技術はとぎすまされます。

 

 限られた時間で、どうやって文化を変えるのか。

 それが、経営者としての資質なのだと思います。

 

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 懲罰をきつくして、監視体制だけを整えればいいのか。

 それでは、誰もついてきません。

 全員が全員は無理であっても、何名かは働きかければ動き、変わる可能性があります。

 見えていないだけで、そこにあるものを引き出す手腕。

 そのためには、まず職員を信頼することが必要だと思います。

 

 君が代を歌っているかと唇を監視するだけでは何も変わらないと思います。

 なぜ、そうしたことしかできないのか。

 不思議です。そのやり方しかしらないのか、失敗から学ぶ力がないのか。

 まったくやる気がない人よりはマシであるとは思いますが。

 

 市政が託された人ですので、がんばって欲しいものです。

 

 どうしたらよくなるのかと考える。

 単に批判するだけの人たちにも共感はできない。

 誰もが「作り出す人」でないと。

(おわり)

13年前の2002年、チュニジアを旅したときの砂漠での写真が出てきました。脳天気な頃でした。

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2015年1月14日 (水)

皆で成長しよう、という意思と行動とー「わくわくサロン デイサービス」という場の力ー

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 年が明けて1月10日の出来事。

 10数年前にひょんなご縁から知り合い、その後、今も、医療関係者やテレビ局関係者、そして弁護士の私と、職業的にはそれぞれ接点がありそうでなさそうといった不思議な者達で、年に数回、会食をしている、大事な人たちとの集まりがあります。

 共通の話題がなさそうですが、なぜかいつもてんでバラバラな話題でかなり盛り上がり、笑いに包まれたまま、夜もかなりふけてから名残惜しく散会しています。

 その中の一人の先生、医師、私にとっては人生の要所要所で大事な示唆をしていただいた人生の師匠である中野佳世先生が、還暦も過ぎてから!、堺市は百舌鳥八幡駅から徒歩3分のところに、「わくわくサロンデイサービス」 という施設を建設し、運営を始められました。

 ご自身の思いを形にしたデイサービスというだけではなく、土曜日などには、その明るい光が差し込む、木に包まれた高い天井の空間を解放し、スイスから日本にと演奏旅行に来ていたバイオリンを主体としたジャズバンドの無料演奏会を開催したりといった、地域と繋がろうといういろいろなイベントを企画、実行されていきています。

 いつもその人との綱がりの広さ、ネットワークに本当に驚くのですが、今回、1月10日に開催された、大阪府立大生の皆さんとのコラボ、「OPU for 3.11 ネットワーク」 主催による「わくワーク」第8回のお楽しみイベント、「餅つき大会」に初めて参加させていただきました。

 そして、防災の思いで動く、若い20代の方々の組織力、持続力、行動力、企画力、実行力に本当にしびれたのですが、何よりも、中野先生を中心とする、中野先生の力だと思うのですが、この「わくわくサロン」という場の非常に、非常にボジティブな場の力を改めてビシビシと感じて、驚嘆しました。

 本当に気持ちのいい人々が集まっているのを実感しました。

 まるでスポーツジムに流れる、皆が前を向いて、少しでも進歩しようと地道な努力を続ける場と同じ空気でした。

 年明け早々、場にいた他の皆さんからもすごくエネルギーを頂いて、そわそわした余韻に浸りながらその日、家に戻りました。 

 わたしはというと、ついていただいた餅を美味しく頂き、同じテーブルになった学生の方や、ご近所の方々の話を聞いて、充実感を得ていただけなのですが。

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 そして。お礼のメールを先生にしました。

 そして。先生からのお返事のメール。

 さらに驚いたのは、ただ単に場所を学生さんたちに貸しているだけというのでは当然なくて、いろいろな打ち合わせや準備が必要であって、それは簡単ではない、しかしそうした事柄も含めて、学生も先生ご自身も、「成長」することにつながる、そうした思いがあるからこそ第8回となる今まで続けられているとの想いを書かれていて、そのメールの内容に頭を一瞬、くらっとしたような衝撃を受けました。

 「成長」という言葉がとてもとても新鮮で、年なんて関係なく、現状に甘んじることなく、成長を求めて行動されている!

 20歳近く年は離れていますが、先生の方が、まだまだ行くよ!という若い人のようだ、自分はどんな想いで何を今、人と共同作業としてやれているのかと振り返り、愕然としました。

 確かに、今、異業種のいろいろな方と、弁護士の本業以外のところで、異なる仕事や研究会・勉強会等に参加させていただき、刺激を受け続けいてます。しかし、それを「成長」といった、しかも自分だけでなく、他の人との切磋琢磨といった、人としてのスパンとしてはあまり見ることができておらず、だんだん目の前のこなすべき作業のようになっていたかもしれません。

 人間一人でできることなんて、人間一人の頭で考えていることなんて、本当にたかがしれている、異なる人間が集まったチームの力が一番強い、といったことを学んだ国税不服審判所という組織での4年間でした。弁護士一人なんて、蟻一匹と同じです。

 なのに。そして。いざ、一人の弁護士に戻ったとき。この6カ月ほどの間。一人でできることしかやっていなかったように思います。

 というか、共同作業をしていても、気持ちは一人だったような気がします。

 なぜか。

 楽、だからです。

 一人だと、他者との調整、妥協といったものは必要ありません。

 国税不服審判所での4年間。学ぶことも多かったけど、組織故の腹立たしさ、苛立ちのようなものがなかったといえば嘘になります。「船頭多くして船山に登る」といった言葉を思い浮かべ、一人で処理した方がよっぽどよい仕事ができるのではないかと思ったことさへありました。

 だけど。

 先生の言葉にハッとさせられました。学生の方々と共に成長しようという姿勢。

 

 我が身を振り返り、このままでは、一人では、ストレスもないけど、そのために「成長」することもない!と頭がくらっとしました。自分は今の自分のまま変わることなく、つまり成長することもない。

 愕然としました。

 そして。布団の中に入ったときに頭に浮かんだフレーズ。

 LOVE  Trouble

 困難、どんと来い。

 摩擦、トラブルから逃げず、トラブルを回避することなく、頭から突っ込んでいきます。

 今年の目標、まだ決めていませんでしたが、「成長」、そして、そのために、LOVE  Trouble、困難は成長の好機、自分が変わっていくこと、それが成長、ということでやっていきたいと思います。

 自分が変わらない、自分は自分のままというのは、成長ゼロということです。

 

 いろいろな方と知り合い、コラボレーションして、一人ではできないことをしていきたいと思います。

 その過程でいろいろトラブルに見舞われることでしょうが、そんな時はこれが「成長」の機会、これをどう乗り越えるか、自分がどう変わるかで、その後の楽しみが違ってくると発奮したいと思います。

 

 2015年、ガンバリマス!

 どうぞよろしくお願いいたします。 

                             (おわり)

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