生駒ボルダーで、過去と今と、未来の関係に思いを馳せる
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先日、関西ランナーの間では知る人ぞ知る、「生駒ボルダー」を初めて走る機会がありました。
約18キロを途中休憩したりしつつ、2時間40分くらいで走りました。
途中、有名な暗峠にも立ち寄りました。
他の関西ランナーのブログなどでよく目にしていたお茶屋はこの店か!と感慨深いものがありました。
ただ、それよりも何よりも、この暗峠の石畳です。江戸時代に敷設されたものだとか。
そもそもこの峠の道は、昔、大阪から奈良へと続く、あるいは奈良から大阪へと続く道であり、昔、ほんの数100年前の人々はこの道を、この峠を徒歩か馬で移動して行き来していた道かと思うと、今時の格好でジョギングをしている自分が同じ道に立っていることが不思議な気がしました。
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石畳の道を行き来する当時と、今とは当然、時間軸で繋がっており、ただ、捉える一点が違うと、別世界のようなまったく違いが広がっている。
最近面白く読んでいる本は、立花隆さんの「田中角榮研究」です。
レビューでは賛否が分かれるのも分かりますが、いずれにしても一時代を気づいた著作だろうと思います。
また争いのない客観的事実からも、昭和40年代、田中角榮というたった一人の人物がいかに世の中を動かしていたかが推察されます。
当時の政治の世界、日本のあり方。
わたしは昭和46年生まれですので、昭和40年代の記憶はありません。
しかし昭和50年代、世の中の雰囲気など、おぼろげな記憶はあります。
えー、あのーといった間延びしたダミ声の田中角榮さんが話す姿をテレビで見ている記憶がなんとなくですがあります。
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振り返って、今の日本の政治、国会議員、世の中の大きな動き、うねり。
何が違って、何が同じで、どこへ向かおうとしているのか、舵をとっているのは誰なのか、その方向はどこへ向かっているのか、それはよりよい方向なのか。
2015年と1715年、1815年、1915年。
一つの時間で繋がっているけど、では2115年はどのような世界が繰り広げられているのか。
2115年。自分が死んでいるのは間違いありません。
よりよい世界が繰り広げられているのか否か、1971年生まれと、1991年生まれ、2001年生まれ、あるいは1951年生まれなどとの繋がり次第なのかと思います。
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実際に、自分が繋がっている人、関係している人々は、たぶん数えようと思えば数えられます。
自分が認識し、相手もこちらを認識していて、会話ができる関係を数えたら、たかがしれているかと思います。
ただ、そうした個々の繋がりが絡み合って、世代やなんらかの塊が形づくられ、時間軸の中でころころと転がり続けいるのが歴史なのかもと思います。
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生駒ボルダーを走り、暗峠の石畳でなんとなく考えたことです。
そう考えると、一人一人は大した意味はやはりないのだろうけど、その一人があってこその今なのかと思います。
それぞれが、出来ることを、やりたいことを、一生懸命にやる、その中で、もちろん邪悪な人もいるだろうし、そうした人とは関わらないようにしつつ、ただ倒すべき時は戦って倒し、また時には自分が倒され、そうして時間が過ぎていくのかと思います。
安部晋三総理大臣も、田中角榮元総理大臣も、今、自分がすべきと考えていること、自分がやりたいことを一生懸命にやり遂げようとしているだけなんでしょう。
他の人が、自分ごととして人の行動言葉を受け止め、評価し、行動することも自由ですし、それをまた評価し発言することも自由。また、なにもせずに見ているだけも、自由。
ただ、安部晋三総理大臣には、総理大臣としての、総理大臣故の、他の人にはない責務があるのは当然であって、一個人のように振る舞うこと、やりたいことをやるんだといった姿勢だけで振舞ってはいけない立場だと思います。
評価はすべて受け止めて、説明していく責任があります。
総理大臣の役割を果たすような人は、それくらいタフでないと務まらないし、やるべきでもないというのが、最近の国会の様子をみていて思ったこと。
逃げてはいけない立場の人が逃げる姿は、醜悪です。
と。先日、家庭裁判所の遺産分割調停の成立の場面で、「逃げる裁判官」の姿を目にしてしまい、17年弁護士をしていて、裁判官としての権威のない裁判官を初めて見た、と驚愕した思いにとらわれ、遂にこういう人が出てきてしまったのかと情けない気持ちになったことは、また改めて書きます。
(おわり)
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