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2009年8月19日 (水)

入口を考えるなら、出口も考える  〜マンション電気高圧受電契約と友情婚〜【松井】

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 ある契約をしようかどうしようかというとき、通常、やはりその「効果」に目を奪われがちです。

 婚姻なら、婚姻したことによりどのような効果が生じるのか。
 法律上互いに「配偶者」という立場になり、法定の権利義務が生じます。
 そのことを望み、当事者は、一つの法律行為として「婚姻」届を提出し、婚姻します。

 また、マンション管理組合であるなら、この「契約」をしたら電気代がこれまで関電に支払っていたよりも毎月数パーセント安くなる、というのであればその「効果」を望み、「契約」します。
 
 もちろん、法律行為をするからには、法律効果を狙うものであり、こういった「効果意思」というものが必須とされています。
 
 この「効果」に対して、どういう「対価」が必要なのか、ということも一般には検討します。

 「婚姻」したことにってどのような「対価」が必要なのか。法律上、配偶者に対していろいろな義務が生じます。
 マンション管理組合でいうなら、各住戸が支払う毎月の電気代が安くなることに対して、いくらその会社に支払うことになるのか。結局、その会社は、高圧電力契約によって関西電力に支払う単価が安くなる電気代と住人からの支払いを受ける「電気代」の差額で儲けになって、それが管理組合がその会社に支払う「対価」となります。

 自分が得られる「効果」と自分が支払うその「効果」に対する「対価」「義務」については、検討します。


 しかし、契約を締結するかどうかというときに、もう一つ、さらに大事なことがあります。
 契約を解消するときに、どのような負担が、手続きが必要となるかの確認です。

 これの検討が本当は一番大事なのではないかと思います。
 なぜって、皆、忘れがちだから。

 しかし、業者は考えています。がっちりと一度その手を握ったら離さない、契約を解消されても自分の方だけは損しないようにうまく契約書に条項をもぐりこませています。
 
 また、「婚姻」についていえば、「婚姻」をするときに二人が別れる日がくるなんてことを想定してその際にどうするかというシミュレーションをする人は、ことの性質上、まず多くはいません。
 なので、「解消」するとき、「離婚」するときのこと、そのときにどういうことが問題となるか、手続きはどのようなものなのかということまで考えて「婚姻」することは少ないと思います。

 でも、入口を見て、入ろうかどうしようか悩むときは、出口も考えておいてください。
 出口からの脱出が困難なことが分かれば、それでもあなたはその「効果」「対価」だけを考えて、契約しますか?ということです。


 マンション管理組合において、他の「電力」会社と契約して、関電との電気供給契約を変更して各住戸の低圧受電の契約から管理組合として一括で高圧受電の契約とし、各住戸への供給の管理をその「電力」会社に委託することによって、結果、各住戸が支払う電気代を安くするかどうかということが検討されていました。
 同種企業が4社ほどあり、各社の担当者からの説明を受けたり、質問状、要請書を出すなどして、「入口」、契約をするかどうかということを検討してきました。
 結果、見送ることとしました。

 なぜか。
 各社一様に、契約期間が10年間だったからです。
 理由は、高圧受電をするには、現在使われている関電の設備を入れ替えて、その業者が用意した受電設備に入れ替える、その設備費用の消却期間が10年だから10年は契約し続けてくれないと困る、というものでした。
 「知るか、そんなこと」、というのが消費者の声でしょう。
 たとえば、業者の対応が思いのほか悪かったとき、あるいは他に安い電気の契約形態が関電から提供されたとき、「出口」、「解除」「解約」を考えます。 
 このとき、スムースにいくのだろうか。解除、解約したら、その業者は、入れた受電設備を撤去します。その費用負担はどうなるのか。業者に責めのある解除を主張しても、スムースに業者がそれを受入れるのか。
 そんなことを考えたら、初めて取引する相手方の業者と、始めからいきなり、10年の長期契約なんてできません。
 せいぜい2年契約で、更新するかどうかです。
 マンション管理会社との契約でも、2年契約で、自動更新条項はアウトとされています。

 にもかかわらず、各社一様に10年間の契約を主張し、結局、一歩も譲られませんでした。
 消費者がする契約で、10年以上の契約なんて住宅ローンくらいです。それも、最初にお金を借りたら、あとは返すだけという単純な内容。
 それをライフラインに関する電気に関して、どのようなトラブルが発生するか分からない未知の要素が多い中で、いきなり10年。
 
 契約は、無事に見送られました。


 「婚姻」でも、同じです。
 婚姻なんかは、期間の定めがありません。
 そんな契約を、会ってからまだ数か月でよく分からない相手と普通は、しません。
 それを「効果」だけに目を奪われ、「出口」を考えずに「入口」から入ってしまうと、あとで後悔することにもなりかねません。
 こちらが別れたいと思っても、相手が嫌だといったときにどうなるのか、どのような手続きが必要なのか。
 また、お互い、別れようということになっても、相手から法外な財産的要求をされた場合、どのように対応せざるをえないのか、どのような手続きが必要なのか。
 
 便宜上の「婚姻」として、「友情婚」と言われるものがあるようですが、よく「出口」を見据えたうえで、理解して納得して、それでも「入口」をくぐるのか、よくよく考える必要があると思います。

(おわり)
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2009年4月19日 (日)

映画「MILK」を観ていろいろ考えた【松井】

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*「七夜待」のチケットが上着のポケットから出てきました。梅田の「ブルク7」、好きです。長谷川京子、演れば出来る。


 先日、封切りされた映画「MILK」を観てきました。レイトショー。「スラムドック・ミリオネア」とどっちを観るか悩み、「MILK」を採りました。
 で、観ながら、またとりとめもないことをいろいろと考えました。
 以下、メモ代わりにここに。

・アメリカの選挙の制度、政治の制度、条例・法律の制度が分からないと楽しめない。
・選挙、投票って、やっぱり戦いであり、それはお祭り。
・優秀な参謀が必要。
・演説が出来れば、それでOKか?
・お笑いが大切。
・攻撃されたら、かわす。
・敵を作らないように、恨みをかってはいけない。
・つき合う相手を選ぶ。
・アメリカって、やはり独立宣言の国か。
・日本はどうだ、憲法か。
・表現の自由ってやっぱり大事。
・脚本がいまいちだよ。
・アン?だったかは、なぜ優秀な参謀たり得たのか。
・なぜ皆ハーヴェイのもとに集まっていったのか。
・ショーン=ペンは素晴らしい俳優。
・ガス=ヴァン=サントは何を言いたかったのか。
・なぜ殺害を決意したのか。
・ハーヴェイは本当に誠実な人物だったのか。
・嫌悪感の根拠って、本当に合理的なのかを突き詰めないと。
・考えないって、怖い。
・群衆って、すごいパワー。
・ゲイであることのカミング・アウトって人に唆されるものなのか。
・憲法21条を読み返したい。
・アピールって大事。
・叩きのめすだけじゃなくって、希望を。
・カリフォルニア州の同性婚OKってどうなったんだろう。
・希望を与えるということ。
・弁護士って人に希望を与えられる?空手形?
・選挙って、人間の本質をうまく突いた制度かもしれない。
・演説できる人とそうでない人との違いは。
・オペラっていいのか。
・身近な人を大事にしないと。
・ジャックって何だったの?
・40歳からでも人生って変わる。
・銃規制ってどうなってる。
・「ありがとう」の電話っていいな。
・「邪悪」って言葉は、曖昧。
・攻撃性。何が人を突き動かすのか。
・78年の出来事。なぜ、今なのか。なぜもっと前じゃなかったのか。
・ほんの20年前30年前。日本はどうだ。

(おわり)

追記 そういえばと思い出したこと。
 昔、司法修習生のとき、今はなき「黒田ジャーナル」での勉強会だったかに参加したとき(友人が勤務していて誘われました。)、そのときの勉強会のゲストが、当時、レズビアンであることをカミングアウトしたという大阪の高校の先生だったことがありました。で、確か、このときMBSの記者の方も参加していて、後日、その人を特集した深夜のドキュメンタリー番組も作成されていたはず。 
 そのときの話で、なぜわざわざ自分のセクシャリティを公表しようと思ったかという話を思い出しました。 
 ある日、いつも配達担当をしていた郵便局員さんの名札の名前が変わっていた。それまで日本名を名乗っていた人が、韓国名の本名を名乗り始めた。曰く、ここにこういう自分がいることを知ってもらうことが、自分で自分が生きる世の中を生き易くする手段になると考えたと晴れ晴れとした表情で語った。そのことがきっかけで、自分も、こういう自分がいることを職場といったまずは身近なところで公表しようと思った、ということで、まずは職場だったかで公表した、ということを語っていたように思います。
 また、違う話ではあるけど、弁護士の方で、夜、ご飯を食べに行く時も、飲みに行く時も、常に上着に弁護士バッチを付けている方がいらっしゃって、なぜ外さないんですか?因縁を付けられたりするだけじゃないですか?と心配で尋ねたことがありました。
 曰く、世の中、弁護士にちょっと相談してみたいことがあるけど、周りに弁護士がいない人がいっぱいいる、そんな人に対して、夜の飲み屋であっても、弁護士バッチをつけて、ここに弁護士がいる、お役に立てるよ、ということがアピールできたら、それは世の中の役に立つことではないか、ここに弁護士がいるということを知ってもらうために常に弁護士バッチをしているのだ、ということを仰っていました。
 弁護士にしても、何にしても、「身近な存在」でいるかいないかということは、大きな問題だと思います。まあ、このブログも、ここにこんな弁護士がいます、何かお役に立てるかもしれません、という「弁護士バッチ」の一つなんだと思っています。

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2008年11月 7日 (金)

最高裁判決と憲法改正〜カリフォルニア、同性婚〜【松井】

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 アメリカの法制度がどのようになっているのか、正直なところ、きちんと全体構造を把握してはいない。
 ただ、日本であれば、最高裁がある判決を出し、問題の所在が指摘され、解決策が示されたならば、ある法律が違憲と判断されたならば、国会は法律改正に着手する。
 最高裁が憲法に基づき、当該法令は違憲であると判断したならば、法律を改正する。
 例えば、有名なのは、刑法200条。尊属殺に関する規定が削除されています。
 199条で殺人罪が規定され、200条で、被害者が親であり、加害者が子であった場合、より重く処罰するものとして法定刑がさだめらていました。
 しかしこの200条は、憲法14条、法の下に反するとして違憲無効判決が出されました。昭和48年のことです。法定刑が、無期懲役と死刑しかない点が問題だと指摘されました。
 これを受け、国会は、200条を削除しました。
 違憲だという最高裁、憲法がおかしいというのなら、憲法改正がありえます。
 しかし日本の憲法では、憲法改正はなかなか出来ないような仕組みにされています。
 憲法というもっとも根本的な法規がころころと変えられたら意味ないじゃん、ということです。


 しかし、カリフォルニアではちょっと事情が違うのかなということです。
 日経新聞の11月6日付け夕刊で小さく報道されていました。
 「同性婚禁止を可決」「カリフォルニア住民投票」
 
 「カリフォルニア州の住民投票で、同性婚を禁止する州憲法改正案が可決された。」とのことです。
 これは、5月、カリフォルニア州の最高裁で、同性婚を認める判決が出たことに対してのものです。
 
 日本の憲法しかきっちりと勉強していませんが、日本の憲法は、その趣旨を勉強したことがある人なら皆知っているように、そもそも欧米の様々な歴史を踏まえて、それらを前提として、土台として構成されたと理解されています。
 
 22歳ころのとき、司法試験の受験勉強の一環として初めて「日本国憲法」というものについて学んだ時、深く感動しました。
 多数決によっても侵害されない少数者の利益の擁護。
 国会は多数決です。多数決による法律によって、少数者の利益が不当に侵害されている場合、最高裁判所は、憲法に従い、少数者の権利を侵害する多数者による法律に対して、無効を言い渡すことが出来る「力」が憲法によって裁判所には与えられているのです。
 そのことから、裁判所は、「人権の最後の砦」と評されていました。
 
 そして憲法の改正については、単なる多数決ではなく、憲法96条以下で、各議院の総議員の3分の2以上の賛成で、国会が、これを発議し、国民に提案してその承認を経なければならない、とされています。そして、「この承認には、特別の国民投票又は国会の定める選挙の際行われる投票において、その過半数の賛成を必要とする。」とされています。


 カリフォルニア州でも、住民投票が実施される以前に、州議会での3分の2以上の多数の賛成といった手続きがあったのでしょうか。
 
 憲法改正までして、守られるべき多数派、反対派の守られるべき利益って何なのでしょうか。同性婚が認められたからといって実害はないはずです。あるとしたら、「感情」ではないかと思います。「不快感」といった曖昧なものではないかと。
 確かに、社会風俗といった曖昧なものが保護法益にされることがあるのはもっともかとは思います。公然わいせつ罪なんてそうかなと。嫌悪感です。性的羞恥心を害するといった表現が判例上されたりします。
 でも、同性婚の場合、ちょっと違うかと思います。
 否定することによって、損害を被る人々がいます。
 病気になったとき、死亡したとき、婚姻制度という法制度があるなかで、これを利用できていれば親族として当然に法的に保護される利益が認められません。
 二人のライフスタイルは、実態は、中身は、「婚姻生活」といわれるものと同じであるにもかかわらず、婚姻意思があるにもかかわらず、制度として受け入れらないがために、法的な保護を得ることができません。
 親族と扱われないことが何を意味するのかというと、単なる友人として法的には扱われることになります。
 その他大勢の1人です。本来、その人にとっては特別な1人、配偶者と同様であるにも関わらず。

 これは、合理的な理由のない区別だと私は思うのですが。
 異性/同性 によって区別することが、「合理的」といえるのかどうかだと思います。
 いかなる利益といかなる利益が対立しているのか。
 制約する必要性、許容制。
 制約を解く必要性、許容制。


 刑法200条をなぜ最高裁は違憲無効としたのか。
 理屈は、憲法14条違反でした。
 しかし、その実質はというと、私は最高裁の判事も人間なんだな、当たり前だけどと思いました。受験時代のこの裁判例を知ったとき、このときもちょっと感動しました。
 事案はというと。
 娘が実父を殺害した事案でした。
 娘は、10代のころから実父にレイプされ何回も妊娠し、堕胎してきました。
 そのような中、20代となり別の男性と幸せになりかけたとき、実父から妨害を受けました。
 そして娘は実父を殺してしまいました。
 このような状況で、200条は、無期懲役か死刑と刑罰を法定していしました。
 この結論が許容できない、相当ではない、だから、最高裁は、憲法14条で娘を救ったのだと思います。
 その被告人の娘の具体的な利益の前では、尊属殺人罪の保護法益、国会で多数決によって成立された法律は覆されるべきだと判断したのだと思います。
 そして、国会も、この判決のあと、200条を削除しました。

 抽象的な利益と具体的な、個人のリアルな利益。目の前のその個人が優先されるべきだと私は思っています。

(おわり)

*箱根の平賀敬美術館です。とても素敵な美術館でした。
 幸夫人、ありがとうございました。 
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2008年5月16日 (金)

同性婚 その2 【松井】

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 アメリカのカリフォルニア州の最高裁が判断した模様。
 同性婚を禁止する法律に対して。

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 英語はあまりよく分からないけど、結果として良かったと思う。人が幸福になろうとすることに対して、敢えて阻止する、その利益を上回る利益は、ないだろう、普通。感情の問題以外に。
 偉いな、最高裁。
 感情と理性と理想。

 
「法律学は、
『実現すべき理想の攻究』を伴はざる限り盲目であり、
『法律中心の実有的攻究』を伴はざる限り空虚であり、
『法律的構成』を伴はざる限り無力である」
(我妻榮、1953)

理想の攻究。

(おわり)

2008年4月 1日 (火)

同性婚について考えてみる~憲法、裁判所、政治と自由~【松井】

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*労働法の大内教授の講演を一緒に聴きました。↑休憩時間中の大橋。


 先日、「4か月、3週と2日」という東欧の映画を映画館で観てきました。
 見終わったあと、その映画の時代の社会的背景についての知識が加わると「家族、婚姻、生殖」といったごく個人的私的な事柄と国家、政府との関わりについて考えさせられました。
 映画自体は、そういった問題を大々的に取り上げたといったものではなく、女子大生の視点から周囲の人間、あるいはこの女子大生の様子をとらえ、その捉え方が意地悪く、でもこれが人間だろうと思わせる説得力でもって、とある一日を淡々と、しかし緊張感をもって描いた映画でした。深夜放送で見かけるような映画で、こういう映画も私は好きです。


 映画をみたあと、日本の刑法で犯罪とされている堕胎罪や、その違法性の阻却を定める母体保護法についてぼんやり考えていたところ、久しぶりに足を運んだ大阪弁護士会の図書館でクレジットカードに関する文献を探していたら、「法学教室」の4月号の憲法の演習問題で、著名な憲法学者が同性婚と憲法について出題されていたのが目に留まりました。こういうことが憲法問題として論じられるようになったんだなとちょっと驚きました。
 また、論文集を見ていたら、研究者の方が「婚姻のポリティクス~アメリカの同性婚訴訟を中心に」として論文を発表されているのをみつけました。
 なんとなく気になり、ネットサーフィンをしていたら、日本女性とスペインの女性がスペインでの法律に則り婚姻したけど、日本では同性婚が認められていないので在留許可の点で不安定な地位にあるというブログを目にしました。
 このときようやく、問題の切実さが実感できたような気がします。
 在留資格については、戸籍上の夫婦であっても、婚姻の実態に欠けるとして在留資格が認められず、退去せざるを得ない場合があります。このとき、本当は夫婦の実態があるのに、入国管理局からはそれを否定され、離ればなれにならざるを得ない方々を間近に見ると胸がつぶれそうな思いになります。
 そこで、ちょっと同性婚について考えてみました。


 日本の法律には現在、同性婚を認めないという条文はありません(松井茂記「法学教室」331、164頁)。
 じゃあ、女性同士、あるいは男性同士が婚姻届を作成し、市役所に提出したらどうなるか。おそらく受理されない。これが受理されなかった場合、憲法上の問題は何かというのが、先の法学教室の演習問題です。
 松井教授の指摘のとおり、憲法24条と14条の問題になるかと思います。
 大前提としては、「結婚する自由ないし結婚の権利は、家族を形成・維持する自己決定権の一つ」となりうるのだと思います(松井茂記・前掲)。

 で、じゃあこれを男性同士、あるいは女性同士について認めないということはどういうことかというと、つきつめていくと、やはり松井教授が指摘するとおり、「婚姻を異性間に限定する根拠は何か」「憲法24条が、婚姻を異性間のものに限定しているのかどうか」が問題になるのだと思います。
 最高裁が判断するとすれば、同性婚が否定されるなら「それが公共の福祉のための合理的な制約」にあたるか否かということとなり(松井茂記・前掲)、例のブラックボックス=「公共の福祉」って何?というところにいきつくのでしょう。
 先の外国人の方との婚姻で、共に日本に暮らしているのに、一方に配偶者として認められるべきヴィザが認められない、法的に地位が不安定という切実な不利益を考えると、これを上回る法的な利益が「公共の福祉」という名で今の日本にあるのか。
 私はないのではないかと思います。
 法律婚の制度によって、事実婚とは異なるれっきとした一線がある以上、この法律婚によって保護されるべき利益を得られてしかるべき個人がいたなら、この利益に優越するほどの「公共の福祉」は見当たらないのではないかと。
 対立利益としてあるとしたら、「同性婚の否定は同性愛者に対する偏見」(松井茂記・前掲)に行き着かざるを得ないのではないかと思います。


 この点、先をいく「アメリカの同性婚訴訟を中心に」とした、「婚姻のポリティクス」小泉明子さんの論文は興味深いものでした(民商’07 137-2-27)。
 この論文は「合衆国において、同性婚訴訟を中心としたLGBTの権利獲得の動きがどのように発展したのか、そしてその反動はいかなる主張に基づき、どのような法的状況をもたらしているのかを明らかにすることである。」とあります。LGBTとは、「Lesbian,Gay,Bisexual,Transsexualの頭文字をとった性的マイノリティの総称」です。
 当初は、原告当事者主義のボトムアップ型であった訴訟も、トップダウン型訴訟として、権利擁護団体が当初から戦略的に関わり、訴訟での争い方も、差別の強調よりも婚姻する権利そのものに訴えを絞るようになったとあります。つまり、提訴する地をどうするか、誰を原告とするかということについて、認められやすいように、戦いやすいように戦略をねって提訴したようです。
 その結果もあり、「マサチューセッツ州最高司法裁判所は州側の主張する同性婚禁止の理由、①生殖に適した環境の保持、②子の養育に最適な環境の保障、③財政保護、のいずれも退けた。」(小林・前掲)とあります。

 しかし「二〇〇四年のマサチューセッツ州における同性婚の実現は、全米各地でLGBTの権利拡大に対する反動(バックラッシュ)を引き起こした。」とあります。
 アメリカでは、「根本的に市民社会は異性婚制度を保持することに関心を持つ、なぜなら市民社会は次世代育成の促進に深く永続的な関心を持つからである。要するに、政府は子に利が関係を持つために、婚姻にも利害関係を持つ。」といった考えで、Defense of Marriage Act (婚姻防衛法)という連邦法が1996年に成立しているようです。ただ、法的な側面からその特異性および合憲性への疑いが指摘されているようです(小林・前掲)。これは、そりゃそうだろうと思うところです。

 この小林さんの論文は最後、次のように記されています。
 「同性婚の管轄外効力をめぐる問題は、グローバル化に伴い国際的な(同性・異性)カップルが増加している現在、切実な問題になりつつある。それはいまだLGBTへの法的保護がなきに等しい日本に置いても早晩出てくる問題であろう。」
 先のスペインでの同性婚をした方のブログの記述を読むと、そのとおりだと思います。在留資格と結びつくと本当により切実な問題。

 ちなみに、別の必要があってパラパラと読んでいた松岡博編の「国際関係司法入門」(有斐閣)にも次のような同性婚に関する記述があり、驚きました。
 「同性婚と日本人の婚姻用件具備証明書の様式改正について」として、日本人が外国の方式により婚姻する場合においては、当該外国官憲から、その日本人当事者が日本法上の婚姻要件を満たしていることを証する、婚姻用件具備証明書の提出を求められることがあるが、日本国から交付される婚姻用件具備証明書には、従来は相手方の性別が記載されていなかった」という。
 ところが、外国のいくつかの国においては同性婚が認められるようになり、同性婚を認める外国にそのような証明書が提出された場合、日本法上も同性の相手方との婚姻に法的障害がなく有効であると解されるおそれが出てきた」ということで、「婚姻の相手方が日本人当事者と同性であるときは、日本法上婚姻は成立しないため、同証明書を交付するのは相当でない」という通知が出されているとのことです(前掲185頁)。


 アップル社のスティーブン=ジョブズの有名なスピーチの中にコネクト・ザ・ドッツというのがありました(確か)。関係ないと思っていた点と点が結びつくという話だったかと思います。
 同性婚等について切実に考えたことは正直なところなかったのですが、映画、雑誌、本、ブログといったところで点と点が結びつき、いろいろと考えました。

 日本の法律について考えるとき、諸外国、特に英米法、裁判例等に目を広げると非常に興味深いです。
 なぜ、なぜ、なぜと問いつめた「一休さん」の「どちてぼうや」の状態になり、既存の法律、法制度に対して、所与のものとしてとらえるのではなk、「どちて?どちて?どちて?」と問い詰める。

 今、8月30日開催予定の近畿弁護士連合会での消費者夏期研修のテーマでクレジットカードに関する規制・問題点について皆で研究しており、その際、やはり諸外国はどうなのかということが議論になります。
 比較法。
 同性婚、生殖関係についても、そろそろ日本でも裁判・政治立法を通じて、新たな動きがおこってもおかしくないと思います。
 タブーなく議論できる社会。
 それは解雇法制についても、先日、大阪弁護士会で講演された神戸大学の労働法の教授、大内伸哉さんも言っていました。
 結果として解雇の規制を緩める方向で活動していた労働法学者が暗殺された、つい数年前のイタリアでの出来事だとか。労働者の解雇というタブー視されがちな事柄についても、まずは学会内、世間でも、自由に議論できる土壌が大事であるといったことでした。

 映画「4か月、3週と2日」の時代のルーマニアと比べても、自由に議論できるということはそれだけで素晴らしいなと同性婚、憲法を考えながら、久々にしみじみと感じました。

 また米国の訴訟活動にしても、ボトムアップ型からトップダウン型訴訟と変遷したというあたり、なかなか興味深いです。
 これは先日、所属会派の下半期総会においてC型肝炎訴訟弁護団の全国副団長を勤められている弁護士の方の、短いものでしたが印象深い講演を聴いた中にも通じるものがあります。
 裁判所だけでなく、世論、国会、法律を変えようというとき、単に原告個人が当事者となって訴訟をすればたれりというものではなく、訴訟戦略に留まらない戦略が大事であるといった話だと私は理解しました。

 目にしたこと、耳にしたこと、いろいろなことがリンクしていき、つながり発展していく感覚。面白いです。
 同性婚。まずは在留資格のところから声を上げていく余地があるのではないかと思います。
 「こんなのおかしい!」と声をあげるシスターローザが周りを変えていく。
 「Separate but equal 」?

 そうそう。確か90年代初め、スザンヌ=ベガが「夜中、泣き叫ぶ声、モノがぶつけられる音が聞こえて、次の日の朝、僕が傷だらけの顔になっているのを見かけても、どうしたの?って聞かないでね」といった内容の「ルカ」を歌い、その数年後、日本でも幼児虐待の問題が切実に報道で取り上げられる事件が頻発する状況となりました。90年代半ば、アメリカで「ストーカー」の本が出版されたというので雑誌で紹介されていたところ、「ふーん」という感じだったのが、ストーカー規制法の成立になりました。そして、90年代終わり、「ドメスティック・バイオレンス」という言葉が日弁連の月刊誌「自由と正義」に取り上げられた後、DV防止法の制定となりました。
 だいたい日本の社会で物事が顕在化していくのはアメリカの5年遅れくらいというのが私のたいした根拠のない実感です。
(おわり)