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23 雇用・労働・職場・労使関係

2009年11月 6日 (金)

年次有給休暇と雇用/就職 【松井】

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 11月6日付けの日経朝刊では次のような記事がありました。

 

年休取得、微増47.4% 厚労省調べ、昨年1人平均8.5日

 
 
「調査は常勤の従業員(パート含む)が30人以上の6147社が対象で、4321社から回答を得た。」
とあります。
 
「業種別の取得率は『電気・ガス・熱供給・水道業』が74.7%で最も高く、「宿泊・飲食サービス業」が29.4%で最低だった。規模別では、1千人以上は53.7%だったが、30~99人では40.0%で、小規模企業ほど取得率が低かった。」
とあります。

 厚労省のもとはこれ→   http://www.mhlw.go.jp/toukei/itiran/roudou/jikan/syurou/09/gaiyou01.html



 雇用の悪化、失業率の悪化ということが言われています。
 経済学の勉強は挫折しているので、失業率の悪化がいかなるところにどのように影響を及ぼし、それを改善する施策としては現時点で、どのような政策が有効なのかどうかといった点、意見をもてるほどのインプット、知識がありません。
 勉強せねばとは思っているのですが。
 
 そういったことをさておいて。すごくバカな、アホな、短絡的な浅薄な考えであろうことは承知のうえで、この記事を見てこれまたぼんやりと考えたことをメモがわりに記しておきたいと思います。
 雇う側の立場としての考えになることは承知しています。


 うちの事務所がそうであるように、正社員従業員が2名といったような小規模な経営環境の場合、果たしてそこに、労働基準法がそのまま妥当することが実際的なのかどうかということです。
 残業代等の割増賃金を支払うことなく、長時間労働を強いるというは確かに悪だと思います。ただ、それは労働基準法に反するからというよりも、もっと素朴に、搾取に繋がるということになるから悪だと言い切れるとは思います。
 ただ、どうなんだろうかと釈然としない思いでいるのが、「年次有給休暇」です。


 労働基準法では、39条で年次有給休暇が定められています。
 

1項 使用者は、その雇入れの日から起算して六箇月間継続勤務し全労働日の八割以上出勤した労働者に対して、継続し、又は分割した十労働日の有給休暇を与えなければならない
、とさだめています。

 そして、継続勤務年数が増えるに従い、年次の有給休暇日数が数日づつ増えていく仕組みを定めています。

 前述の新聞報道では、この消化日数が、従業員30人以上の企業で、取得率が47.4%、その取得した際の日数でも平均が8.5日ということです。
 ここでいう「取得率」は、「(取得日数計/付与日数計)×100(%)」ということなので、一応、従業員が皆、それぞれ有給をとっていたとしても、一人当たり8.5日ということなので、もっと多くめいいっぱいとっている人もいればほとんどとっていない人もいるということもありうるのだと思います。

 そこで思うに、たとえば、従業員が10名以下の小さな、小さな会社の従業員さんが、皆がめえいっぱい、毎年、毎年、有給休暇を消化するということが本当に現実的なことなのかどうかということです。
 勤続年数がそれなりの従業員の方が10名いる会社で、10名の人が毎年10日間、有給で休めるようにしなさいということが現実的なのかどうか。


 趣旨としては、「年休制度は、『毎年』『長期間』『連続』して日々の労働から開放されることを、賃金を失うことなく、保障することによって、使用者という他人の指示のもとで(他律的に)働いている労働者に、休養・娯楽・能力開発の機会を確保して、健康で文化的な生活を享受させることを目的としています。」
とあります(149頁「ベーシック労働法」有斐閣、06年)。
 素晴らしい、もっともなことだと思います。まさに労働者と使用者の違いは、「他律的に働いている」か否かが大きいと思います。他律的に働く場合、自律的に働く場合とは異なる気苦労、開放されたい辛さがあると思います。
 4年ほどですが、勤務弁護士として働いてはいたので「勤務」と「経営」の根本的な意識の違いは実感として分かります。
 
 
「第二次世界大戦後に西欧諸国で立法制度として普及し、1970年にILO132号条約で最低3週間(そのうち2週間の連続付与)の年休付与が定められ、今や、国際的な最低労働条件の一つとなっています。」
とあります(同)。
 

 人を雇うということはそれだけの責任があることなのだ、という前提にたてば、お客様のためにの前に、従業員のために、雇い主・使用者は責務があるというのは当然ではあると思います。
 長時間労働をさせないための時間外労働手当ての支給、不合理な理由では解雇はできないということ、まさに従業員の生命、身体といった生活がかかっているものです。
 このような基準は、従業員100人以上であろうが、10人以下であろうが、変わりのない普遍的に妥当するものだとは思います。

 ただ、年次有給休暇はどうなのかなという思いが払拭できません。
 10人の従業員で回している職場で、1人が連続して有給をとりますといったことが何を意味するのか。
 だったらそもそもそんなぎりぎりの人数というのがおかしいのではないか。
 しかし使用者の事情もあります。もう一人を雇うだけの経済的余裕がないのであれば仕方ありません。もう一人を雇わせて、給料未払いで揚げ句の果てに破産、全従業員解雇なのでは意味がありません。
 10人以下の従業員の場合、かつかつでやっているところがほとんどではないでしょうか。
 
 中小企業こそ、福利厚生など労働条件を大企業よりもよくしてこそ、優秀な人材がきて、発展するという言われ方もします。
 本当でしょうか?
 福利厚生を当てにして就職するのでしょうか?
 基本は、労働の内容なのではないでしょうか。そのうえで、週40時間以下の労働時間を前提として、見あった給料が支払われる。
 
 休暇を得たいときは、No Work No Pay の原則では、その企業で働く人はいないのでしょうか。
 

 勤務弁護士の経験があるといっても、気持ちは「弁護士松井淑子」で仕事をしていたし、実家もまさに従業員数名の小規模なハンコ屋自営業で、経営者の親の苦労を見てきて育っているので、気持ちはどうしても自律的な働き方が基本、自営業者というところから離れられません。

 大橋にこの思うところをぶつぶつとしゃべっていたけど、ことごとく反論されています。

 昨年、京都の某上場企業の社長さんの一部の発言、「そんなに休みたいなら、辞めてしまえ。」という言葉が一部で非難轟々でしたが、そういうことなんでしょうね。
 
 この意識のギャップについて、うまく表現されているyuichikawaさんという方のブログ記事を見つけました。
 勉強します。

 http://yuichikawa.blog28.fc2.com/blog-entry-1794.html

 幻想を抱いている経営者は、まずその頭を意識改革すべきなんですよ!!
 私の頭もバージョンアップすべきときが来たよう。

 ただ、雇用する側がハードルの高さにしり込みして出てきた雇用スタイルが、同じ仕事内容でありながら時間を短時間にする人を組み合わせることによるパートであったり、派遣であったり、偽装請負なのではないか。そうだとすれば、雇用の創出/失業率の悪化の防止ということからすれば、自治体、政府の「不必要事業の仕分け」じゃないけど、労働基準法の各内容の見直しがあってもいいのではないかと。強制が見合わない項目があるなのではないかと。緩和できる項目があるのではないかと。
 いまいちど労働基準法をみっちりと勉強します。
 
(おわり)


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2009年8月11日 (火)

パワハラ【松井】

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*大橋。法律事務所経営者としての苦悩の表情。嘘。単に肉が焼けるのが遅かったこの日。大橋は、労働者側の弁護活動をガッツリとしています。 
 私は、経営者側にシンパシーが。。。それはやはり育った環境が大きいかとつくづく思う、このごろ。


 パワハラ、パワーハラスメントという言葉をよく目にする、耳にするようになりました。
 ここは、大橋の得意分野かもしれませんが、ふと考えたのでメモがてら書いて載せておきます。


 ときどきこのブログでも書いているように、実家は、両親共働きのハンコ屋さんでした。
 おじいちゃんの代から始めた店で、父は二代目でした。
 四日市駅前のアケード通りの商店街の中、店舗兼住居で店をしていました。1階が店舗兼作業所、2階が住居です。 
 しかし、よくある言い回しで、「一代目が築き、二代目が広げ」とあるように、父の代で、昭和50年代、あちこちの郊外で出来たジャスコなどのショッピングセンター内に店を出しました。
 なので、自宅は、「本店」と呼ばれ、あとは「カヨー店」「生桑店」「サンリバー店」などと呼ばれ、両親だけでなく、何人かのパートさんや正社員の方を雇って経営していました。
 
 で、見るともなく、聞くともなく、両親、特に実際に経営をしきっていたのは母の方なので、母の経営上の愚痴のようなものを見て、聞いて育ってしまいました。

 「本店」と呼ばれる店にも、従業員の方が当時は、3、4人働いていて、ほとんどが女性でした。
 そのような中、あるとき、新しい人を雇っても、数か月もせずに辞めていく、おかしい、おかしいと母がぶつぶつ言っていたことがありました。
 で、調べて行くと、昔からいた一人の従業員の人と新しい人が「合わず」に辞めいっていたようだということが分かったようです。
 要は、新人イビリ、イジメ、嫌がらせ行為があったようで、新しく働き出した人も見切りをつけて辞めていっていたようでした。「本店」といっても、店舗兼住宅の1階で、店舗と作業場だけなので、狭い空間です。そんなところで、嫌がらせを受けたら、逃げ場がなくって耐えられなかったと思います。
 
 これではなかなか次の人材の補充ができません。従来からいる人も貴重な戦力ではあっったのでしょうが、その人一人のために、店そのものの作業の効率が落ちるということは許容できることではありませんでした。
 
 なんとかしないといけない。
 
 で、母がとった行動というのは。
 その問題と思われる古株の人と直で話をして、事実関係を確認し、最後通牒を突きつけるというものでした。
 貴方が変わってもらわないと困る、変わらないのなら辞めて欲しい。
  

 解雇するにはそれなりに理由がいるし、イヤだといっているのに退職を強要することは違法だけど、でも、町のせいぜい10人以下の会社って、切羽詰まっています。
 その後、どうなったのかまでは私も記憶がないけど、経営者もいろいろと決断を迫られ大変だという記憶が残っています。

 パワハラといわれるものも、経営者の力量が試されている一つの機会に過ぎないと思います。
 その経営者がパワハラだと指弾されると、もうやりきれない思いがするけど。
 ただ、今時、注意して改善を求めたら、パワハラだと言われたりしかねないかと。

 そういうこと問題にエネルギーを吸い取られないようにするためには、やはり最良の人材を採用することに全力を注ぐことだと思います。
 10人、100人規模の会社になるとそうは言ってられないとも思いますが、そうであるなら、ハラスメントを許さない、無駄なエネルギーを使わなくてすむ職場の雰囲気作りということに力を注ぐしかないかと思います。

 どこで経営者としてのエネルギーを使うか。

 そういう点、実家の母は、零細商店のおばちゃんであり、そんなこと考えることもなく、単刀直入に行動できてまだ幸せだったのかなと思います。

 そんな実家の店舗でも、やる気がない、店を任せられないと辞めてもらったパートの人が労働基準監督局に駆け込んであたふたとしたりしたこともあるようです。
 零細企業では、人材って本当に死活問題です。
 売上にもろに反映するので。
 やる気のない人を店頭で接客あたらせるだけで、店舗の売上げが上がらないだけでなく、むしろ悪評がたって損害を及ぼしたりします。
 ほかにまわす場所がなかったら、もう仕方ない、即刻辞めて欲しいというのが本音であって当然だと思います。
 金融機関でも、銀行、信金など、規模や種類に応じた監督基準があるように、使用者側に対する規制も大企業用、中小企業用、個人企業用の区分があるべきなのではないだろうかと考えたり。大橋に言ったら怒られそうですが。
 

 要するに、考えたことは、「パワハラ」の問題って、中小零細企業では死活問題と捉えた方がいいんだろうなということです。経営者の責任です。
 
 ただ、経営者が自ら本当に、パワハラとして、理不尽な扱いをするようだったら・・・?

 そんな職場で、経営者個人に変革を求めるなんて無駄でしょう。
 それこそさっさと転職するのが現実的かつ最も前向きな問題状況解決策だと思います。法的に許されるかどうかなんて議論はおいておいて。

 うーん。
 いまいち、まとまりにかけるメモだけど、これはこれとして。備忘録的に。ぼんやりといろいろと考えたこととして。

(おわり)  
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2009年1月31日 (土)

尋問手続き【松井】

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*南森町、イル・チプレッソの鴨肉です!ガッツリ!

 先日、大橋ほか3名、総勢5名の弁護士で担当している事件の尋問手続きでした。
 朝10時から午後5時まで、途中、昼の休憩と2回ほど、5分程度の休憩をはさみ、びっちりと総勢4人の証人と被告当事者の法廷での尋問手続きでした。
 その日の晩は、大橋と二人、がっつりと鴨肉を食べました。


 尋問手続きが行われるのは、一審訴訟の手続きの最後の最後の場面です。この時点で当事者の主張と立証(出すべき書面等の証拠は出している)は全て尽くされていて、残るは「人証」だけという段階です。人間が証拠となります。
 で。
 だいたいこの時点で、判決に対する裁判官の心証は形成されています。原告の請求に理由があると認められるのか、認められないのか。請求認容か、請求棄却か。
 人証の取調べ手続きである尋問手続きは、いわば最後の確認作業のようなものです。
 で。
 なぜこんなことが分かるかというと、12年前の司法修習手続きではまだちゃんと、刑事裁判4か月、民事裁判4か月、検察庁4か月、といったように、各部署に配属されての修習手続きがあったからです。
 裁判所の立場でじっくりと事件を、弁護士の代理人活動をみる機会があったからです。
 
 で。
 なので尋問手続きが終わると、たいていはもう裁判所は、手続きを終結させて、判決言い渡し期日を指定するというわけです。
 だいたい2か月後です。


 今回の尋問で感じたこと。
 尋問。やはり声の力が大きいということです。
 声音。トーン。張り。リズム。
 もちろん、何を、どう質問するかということが第一です。
 でも。それ以外にも。他の大事な要素がある。
 
 刑事事件の方では、いよいよ裁判員裁判が始まります。
 その際、弁護人となる弁護士は、裁判員に対して活動することとなります。
 このときもちろん裁判員となる人は、多くが初めての裁判、しかも刑事裁判です。
 いかに分かりやすく説明、アピールするかが重要となります。

 このとき。
 何を、どう質問するかということがもちろん大切ですし、声音やリズムももちろんより重要な意義を有することに成るかとは思います。

 でも、尋問で何よりも大事なことは。
 独り善がりにならないということだと思います。
 これの検証が、弁護士になってしまうと非常に難しい。
 だって。
 検証しようと思ったら、裁判官に「今日の尋問はどうでしたか?」と訊くしかない。
 でも、そんなことを訊いても裁判官は教えてはくれないし、判決書きに書いてもくれない。
 裁判所修習中、裁判所の立場で事件をみたら、まったく検討違いともいえる質問を熱心にしているのに、終わってから廊下で依頼者に対して、得意気に、今日の尋問はかなりうまく言ったと語っている様子を見て、気をつけないといけないと思ったことを思い出します。
 
 でも、これから。
 裁判員裁判になったら、弁護士の独り善がりの尋問はなくなっていくのでしょうか。
 今は、あちこちで模擬裁判が開かれています。
 その講評によって、フィードバックがされています。


 大阪弁護士会の月報から。
 12月の模擬裁判で裁判員役をした新聞記者の方の評。
 「一方、弁護側は事前に資料を配らずプレゼンテーション一本勝負。『弁護士をみてほしい』という狙いなのだろう。だが裁判員席の私は、思いがけない感覚に直面した。資料なしで説明が始まると『聞き漏らしてはいけない』と不安に陥るのだ。
 メモ取りに必死で、視線は手元に集中する。弁護側の狙いは逆効果に終わり、退屈な印象ばかりが残った。評議では、検察側の懲役八年の求刑に対し懲役三年の実刑判決になったが、裁判員の印象は概して弁護側に厳しかった。もっと効果的な弁護なら、執行猶予の可能性もあった。」(月刊大阪弁護士会1月号 植松正史)

 先日の私たちの尋問はどうだったのだろうか。
 退屈?
 少なくとも、裁判員裁判でない限り、通常の裁判では、アピールすべきは裁判官。裁判官の心に響いただろうか。
 万が一響いていなかったら。押し掛けてガンガンとドアをノックして、響かせねば!!それが仕事。

(おわり)

*珈琲を飲んだら、カップの底から「大吉」が!!
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