2018年10月
  1 2 3 4 5 6
7 8 9 10 11 12 13
14 15 16 17 18 19 20
21 22 23 24 25 26 27
28 29 30 31      

最近のコメント

最近のトラックバック

無料ブログはココログ

flickr


21 小説・映画

2009年4月19日 (日)

映画「MILK」を観ていろいろ考えた【松井】

3440381503_22ebfa1927
*「七夜待」のチケットが上着のポケットから出てきました。梅田の「ブルク7」、好きです。長谷川京子、演れば出来る。


 先日、封切りされた映画「MILK」を観てきました。レイトショー。「スラムドック・ミリオネア」とどっちを観るか悩み、「MILK」を採りました。
 で、観ながら、またとりとめもないことをいろいろと考えました。
 以下、メモ代わりにここに。

・アメリカの選挙の制度、政治の制度、条例・法律の制度が分からないと楽しめない。
・選挙、投票って、やっぱり戦いであり、それはお祭り。
・優秀な参謀が必要。
・演説が出来れば、それでOKか?
・お笑いが大切。
・攻撃されたら、かわす。
・敵を作らないように、恨みをかってはいけない。
・つき合う相手を選ぶ。
・アメリカって、やはり独立宣言の国か。
・日本はどうだ、憲法か。
・表現の自由ってやっぱり大事。
・脚本がいまいちだよ。
・アン?だったかは、なぜ優秀な参謀たり得たのか。
・なぜ皆ハーヴェイのもとに集まっていったのか。
・ショーン=ペンは素晴らしい俳優。
・ガス=ヴァン=サントは何を言いたかったのか。
・なぜ殺害を決意したのか。
・ハーヴェイは本当に誠実な人物だったのか。
・嫌悪感の根拠って、本当に合理的なのかを突き詰めないと。
・考えないって、怖い。
・群衆って、すごいパワー。
・ゲイであることのカミング・アウトって人に唆されるものなのか。
・憲法21条を読み返したい。
・アピールって大事。
・叩きのめすだけじゃなくって、希望を。
・カリフォルニア州の同性婚OKってどうなったんだろう。
・希望を与えるということ。
・弁護士って人に希望を与えられる?空手形?
・選挙って、人間の本質をうまく突いた制度かもしれない。
・演説できる人とそうでない人との違いは。
・オペラっていいのか。
・身近な人を大事にしないと。
・ジャックって何だったの?
・40歳からでも人生って変わる。
・銃規制ってどうなってる。
・「ありがとう」の電話っていいな。
・「邪悪」って言葉は、曖昧。
・攻撃性。何が人を突き動かすのか。
・78年の出来事。なぜ、今なのか。なぜもっと前じゃなかったのか。
・ほんの20年前30年前。日本はどうだ。

(おわり)

追記 そういえばと思い出したこと。
 昔、司法修習生のとき、今はなき「黒田ジャーナル」での勉強会だったかに参加したとき(友人が勤務していて誘われました。)、そのときの勉強会のゲストが、当時、レズビアンであることをカミングアウトしたという大阪の高校の先生だったことがありました。で、確か、このときMBSの記者の方も参加していて、後日、その人を特集した深夜のドキュメンタリー番組も作成されていたはず。 
 そのときの話で、なぜわざわざ自分のセクシャリティを公表しようと思ったかという話を思い出しました。 
 ある日、いつも配達担当をしていた郵便局員さんの名札の名前が変わっていた。それまで日本名を名乗っていた人が、韓国名の本名を名乗り始めた。曰く、ここにこういう自分がいることを知ってもらうことが、自分で自分が生きる世の中を生き易くする手段になると考えたと晴れ晴れとした表情で語った。そのことがきっかけで、自分も、こういう自分がいることを職場といったまずは身近なところで公表しようと思った、ということで、まずは職場だったかで公表した、ということを語っていたように思います。
 また、違う話ではあるけど、弁護士の方で、夜、ご飯を食べに行く時も、飲みに行く時も、常に上着に弁護士バッチを付けている方がいらっしゃって、なぜ外さないんですか?因縁を付けられたりするだけじゃないですか?と心配で尋ねたことがありました。
 曰く、世の中、弁護士にちょっと相談してみたいことがあるけど、周りに弁護士がいない人がいっぱいいる、そんな人に対して、夜の飲み屋であっても、弁護士バッチをつけて、ここに弁護士がいる、お役に立てるよ、ということがアピールできたら、それは世の中の役に立つことではないか、ここに弁護士がいるということを知ってもらうために常に弁護士バッチをしているのだ、ということを仰っていました。
 弁護士にしても、何にしても、「身近な存在」でいるかいないかということは、大きな問題だと思います。まあ、このブログも、ここにこんな弁護士がいます、何かお役に立てるかもしれません、という「弁護士バッチ」の一つなんだと思っています。

3440379779_c402b21fbc

2008年12月 6日 (土)

売る技術〜生かすも殺すも、最後の一手〜【松井】

3083292555_300751135d

 ブログ、短くします。最近、長くて途中は端折って最後の写真を見て終わり、という話をよく聞きます。確かに。
 やはりネットでの文章、画面で1回スクロールするかしないかくらいの字面がちょうどいいかと。
 これも読んでもらうための、技術。

 前回、友人でありペンネーム「松居幸奈」さんの新刊を紹介できたと思っていたら、自宅に別の友人から本が送られてきました。弟の山口芳宏さんが待望の第2作目を出版されたとのことで、四日市高校時代からの友人からでした。
 
 
 ありがとうございます、順ちゃん!推理小説好きの私。楽しみに読ませていただきます。

 週に一度は、どこかの本屋をのぞきます。
 そこで思うに、本を「売る技術」というものについて。
 表紙がパッと目につく、一目をひく装丁、読ませる帯の文句。
 これだけで売上が全然違うと思います。

 この点、幻冬社は他社と違うなとつくづく思います。例えば、講談社なら講談社でも、お!と思う見た目、帯文章のものもあれば、手抜き?といいたくなるような装丁、帯文章もあります。
 おそらく、会社がどうこうというのではなくて、担当編集者の力だと思います。運、能力すべてを含めて。いくら著者が、材料から吟味し、何度も味見して、創意工夫を重ね、最高の料理が出来たといって素敵なさらに盛りつけても、厨房から出て客にサーブする段階でウェイターが思いがけず、焦って雑な給仕をしてしまったら、客にしたら興ざめです。
 売りなたいなら、買って欲しいなら、喜んで欲しいなら、最後の最後まで手を抜くな。時間がなかったなんて言い訳にすぎない。せっかく美味しく出来た料理が可哀想です。その料理を口にする機会を逸した客が可哀想です。

 ちなみに。和解も同じです。一番の争点、例えば金額でもめていたのが一致したとしても、細部の詰めであえなく御破談ということも珍しくはありません。結果が欲しいなら最後の最後の一瞬まで気を抜くなということかと。

 ところで。コンビニで、売られている雑誌に対し、立ち読みできないようテープや紐でとじているものがありますが、あれではかえって雑誌の売上げは減ると思います。現に。近くのセブンイレブンで雑誌をまったく買わなくなりました。無造作に棚に並べてある駅構内の小さな雑貨屋で買うようになりました。パラパラとめくって立ち読みし、興味のある特集、記事があれば、じっくりと読みたいと思うものがあれば買います。パラパラと見れないなら、まず買いません。定期購読しているもの以外は。売る技術、考えたらいいのにと不思議で仕方ない。近所の地下の某コンビニエンスストア。ころころと棚の位置変えるのもマイナスだよ・・・。
(おわり)
3083289657_ff9137f9ab


2008年12月 5日 (金)

時代背景【松井】

3083289815_daac7110fd

 相続関係の事件を多く担当させていただいていると、昭和40年代、50年代、60年代、平成のバブル時、バブル破綻後が、時代としてどういう時代だったのかということが重要なポイントになることがよくあります。
 たとえば、昭和40年代、47年に田中角栄が「日本列島改造論」をぶちあげ、7月、総理大臣になった、つまりは土地、不動産取引でいえばどういう時代なのか。
 またバブル時、金融機関はいったいどのような業務をどのように行っていたのか。そしてバブルがはじけたとされてからどうだったのか。平成7年1月、阪神淡路大震災が起こり、平成9年、アジアの通過危機がおこり、11月、山一證券が自主廃業した年。
 そういった当時の時代の背景を知っているかどうかで、証拠の見方、事情聴取の結果の位置づけが見えてきたりします。だからある意味、興味が尽きず、相続事件が好きなのです。


 わたしは1971年、昭和46年生まれです。50年代は、小学生、中学生、60年代は高校生。そして平成は、ベルリンの壁崩壊、そして平成5年の大学卒業時はバブル崩壊と共に迎える就職氷河期といった記憶くらいしかありません。
 就職氷河期の時代も、4年生のときに勢いで司法試験の択一式試験に合格していたので、翌年すぐに合格するだろうとたかをくくり就職活動もいっさいしていませんでした。
 その後、平成8年に司法試験に合格するまでの間は、出口の見えない真っ暗闇のトンネルの中を勇気を振り絞って前に進む、出口があることを信じて進むしかないといった感じで、ある種浮世離れした生活を送っていました。
 活字中毒者なので一応、毎朝新聞は目はとおし、好きな小説やノンフィクションの本などは読んでいたのですが、テレビニュースなどは見ておらず、映像での記憶や当時の社会人の人の言葉の記憶というのがあまりありません。要は、世間の風に触れていませんでした。
 でも、それは小学生、中学生のころも同じなはず。小学生。テレビは、たのきんトリオの全盛期、四日市に営業に来ていた羽賀研二のショーを見に行き、サイン入りシングルレコードを入手した記憶があります。芸能に生き、社会情勢がどうだったのかなんて知りません。
 じゃあ、どうやって当時の息づかいを知るのか。当時の人の行動心理、社会情勢を知るのか。
 本しかありません。


 もちろん相談者の方から、聞いたりはします。しかしそれではあまりに断片的な情報。
 そこで役に立つのが、本です。特に、小説です。
 読みあさっていると、いろいろとリンクしたりします。そしてそのリンクに事件の時代背景がさらにリンクする。
 昭和50年代当時、いったいどういう時代だったのか。銀行の本人確認は今のようなものではなく、もっといいかげん、不動産登記も子どもや知人の第三者名義での名義借りがあたりまえ、銀行の本人確認等が厳しくなったのはいつころなのか。
 無記名の割引債といったものが使われて脱税されたが、無記名はいつころまでOKだったのか。
 今の時代の基準で振り返ると信じられないことが過去、まかりとっていたということがよくあります。
 金融機関による無茶な貸付け、杜撰な審査に連帯保証。これも、都市銀行、地方銀行、信用金庫、信用組合とで会社内の事情がどう違ったのか。信金の統廃合はどのようにすすんだのか。
 
 最近では、黒木亮さんの「巨大投資銀行」という小説を読み、それをきっかけに当事者が描いた山一證券自主廃業の顛末「決断なき経営」を読みました。そして、ソニー銀行設立までを描いた「僕たちは銀行を作った ソニー銀行インサイドストーリー」を読み返しました。これに続けて、以前読んだ「銀行収益革命〜なぜ日本の銀行は儲からないのか」を読みかえしてみようかと思います。そして黒木亮さんの「貸し込み」も。

 その国のことを知るにはその国の小説を読むのが一番よい方法だといったことをインタビューで口にしていたノーベル賞受賞の作家だったか、フランス人の作家だったかがいました。
 その当時の時代背景を知るには、その当時を描いた小説を読むのが一番いいように思います。
 昭和の時代はともかく、江戸時代、鎌倉時代の様子を知ろうと思ったら、まさしく!
 確か今年、源氏物語が世に出て1000年記念ということですが、1000年前の日本の時代の様子をしろうと思ったら源氏物語にまさるものはないんだと思います。
 それと同じことかと。
 多少の間違い、事実と異なることがあったとしても、小説には何らかの真実が宿っていると思います。それを掴むのが一番。

(おわり)

3067912740_d09f713dd0


2008年6月24日 (火)

「72歳、男性」〜言葉の喚起力〜

2580703610_40849716e4


 「72歳、男性」。
 どんな姿をイメージするだろう。

 「美輪明宏」さん。
 どんな姿をイメージするだろう。
 
 「美輪明宏」さん=「72歳、男性」

2 
 「弁護士」
 どんな姿をイメージするだろう。

 「37歳、女性」どんな姿をイメージするだろう。
 「弁護士」=「37歳、女性」

 どんな「弁護士」をイメージするだろう。


 先日、梅田で公演されていた美輪明宏さんの舞台「黒蜥蜴」を観てきました。
 「妖艶」の一言につきます。
 その声、指先の動き、背筋、すべてから香水の蒸気がゆっくりと立ち上るような「オーラ」でした。
 何の知識もなく観ていたとしたら、主演女優にもっと興味をもち調べていたことでしょう。
 ただ、いかんせん頭の中には「あの黒蜥蜴は、美輪明宏さんが演じていて、美輪さんは72歳の男性であり、この舞台の脚本は三島由紀夫が書いていて」といった知識がありました。
 「72歳、男性」というカテゴリーによって、受け取る頭の中のイメージが限定され、今、目の前にあるものを観ることを忘れ、本質を見誤りそうになります。

 では、「弁護士」=「37歳、女性」ではどういったものがイメージされるのでしょうか。
 「裁判官」=『37歳、女性」
 「検察官」=「37歳、女性」。
 あるいは「弁護士」=「55歳、男性」では。

4 
 以前、なるほど、そう考えるのかと興味深い話を言われたことがありました。
 うちの事務所へはホームページをみて、相談予約の電話を入れた、
 取引先の方から弁護士名での内容証明郵便をうけとり、それまで弁護士とのつきあいあなどなかったのだが、弁護士には弁護士で対応した方がいいと判断、急遽、とりあえずネットで弁護士を捜してみた、という方でした。

 一通り相談事項が終わった後、なぜうちの事務所を選ばれたのかと尋ねたところ、
 「女性弁護士を選びました。」ということでした。

  ここでよくあるのは、話をしやすそうだからというものですが、この方は違いました。

 「紹介してもらうあてもなかったので、ネットで選ばざるを得ない、
 ただ、弁護士も大阪でも数千人がいる、その中でどうやって自分が望む弁護士を選ぶのか、自分が望む弁護士は、不当な要求をしてくる相手と戦ってくれる弁護士だ、今回、明らかに言いがかりをつけられている、そのことに共感して戦ってくれる弁護士を探そうとした、男性弁護士なら数千人のうち何百人といて、戦闘意欲がなくても弁護士としてやっていけている可能性もある、
 しかし、女性弁護士は数百人しかいない、数百人しかいない中で弁護士として働いて事務所を構えているからには、それなりにしっかりしていないと無理だろう、いろいろなことと戦っていないと無理だろう、男性弁護士なら男性というだけでやれているかもしれないところを、女性弁護士は男性弁護士以上に戦ってその仕事をしているはずだ、
 そうであるなら自分が望む弁護士は、男性弁護士を選ぶよりも、女性弁護士を選んだ方が確率が高いということになる。
 確率の問題から、敢えて女性弁護士を選んだのです。」

 といったことを理路整然と話されました。
 なるほど。
 私が弁護士登録をした平成11年くらいでは、女性法曹も結構多くなり、その年の新規法曹の全体の25%くらいでした。ただ、その十数年前だともっと少数です。その少数の中で弁護士として働いていくのはたぶんもっと大変だったのではないかと思います。何がって、女性弁護士だから男性弁護士よりも知識も交渉力も大したことがないのではないかという見方に対することが。

 ただ、たぶん大橋も、また私もそうですが、あまり「女性弁護士」ということを意識したことはありませんでした。相手に合わせて、やるべき仕事をやり遂げるだけというつもりではないかと思います。 相手、というのは紛争ごと、交渉ごとの相手です。裁判だったら裁判官です。また依頼者にあわせてであったりします。

 この場合、たぶん男性、女性に関係なく、多くの弁護士はそうだと思うのですが、威丈高、脅迫的な相手であればあるほど、燃えます。怒ります。でも、それも内心です。表には出しません。しかし、戦うこと、戦って勝つことが好きだし、自分は相手に勝つと信じています。なので挑戦的な相手に対しては余計に気持ちが燃えます。たぶん、きっと。叩きのめしてやる、返り討ちにあわせてやるというくらいの気持ちではないでしょうか。たぶん、きっと。違うかもしれないけど。
  
 先の相談者の「女性弁護士」の位置づけ、分析を聞いて、なるほどと思いました。当たらずとも遠からず。
  
5 
 ただやはり、仕事では、げんなりすることも正直なところ、ないわけではありません。
 共通の言語で会話できないとき。共通の言語(法律解釈、裁判例等)によれば、明らかに先が、結論が見えている。訴訟事項と審判事項の区別もついていない。しかし、相手には見えていない。説明しても理解しようとしない。
 こちらにしてみれば、無駄といえる会話、言葉に固執し続ける。理論の段階を区別できない会話。
 交渉は時のものということが理解できない。
 言葉を交わせば交わすほど、時間の無駄と思うこともないわけではありません。
 闘争心に火がつくというよりも、げんなりします。疲れます。
 そういう意味ではいらつく自分に気が短くなっているのを実感します。

 訴訟になって損するのはそっち、でも仕方ない、その途を選んだのはそっち、と最後は突き放さざるを得ません。
 依頼者のためには、訴訟なんて時間と弁護士費用の無駄が発生するのは明らかなので、何とか避けようとして、こちらが意を尽くして説明しても、それをまた勘違いして強気に出たりする相手方、なんていうのは珍しくない。
 うんざりして、嫌になる。

 けど、でも、だからこそか面白い。「弁護士」だろうがなんだろうが、人間って不合理で、感情的で面白いと思うし、この仕事も面白いと思う。
 皆が皆、感情をひとまず脇において、損得で理路整然と考えることができたら、そもそも裁判所なんていらない。
 粉飾決算なんてしないいい経営者ばかりだったら、公認会計士さん、監査法人の監査制度なんて要らない。粉飾決算されても騙された!などと怒りだしたりしないいい株主さんや投資家、債権者ばかりだったら、公認会計士さんなんて資格、要らない。
 なによりも、弁護士なんて資格、少なくとも民事事件では要らない。
 

 「弁護士」という言葉、文字が意味するのは、単に、過去に司法試験に合格したことがあって、弁護士登録しているというだけのことで、それ以上でも、それ以下でもない。
 これは合格した修習生にむかって、東京のとある弁護士さんが声を大にして言っていた真実です。
 合格後、その後の現在の法律知識、交渉能力、ましてや人格なんて、これはまた全く別の話。
 「美輪明宏」さんと「72歳、男性」の言葉のイメージが全く別物であって、本質を反映していないように。
 「72歳」「55歳」「37歳」もまったく意味がない。
 72歳だから老練かというと当然、そんなこともなく、全く直情型、感情で「仕事」をするかたもいないわけではないわけで。
 かと思えば「30歳」で老獪の域に達していたりと。

 本質は、自分の目で観て、自分で判断しないと、見誤る。
 そんなことをぼんやりと考えた「黒蜥蜴」、鑑賞会でした。

 でもやっぱり美輪さんは「72歳、男性」というのもこれまた客観的事実。
 事実は事実として直視しつつも、受入れつつも、本質を見誤らない努力が必要ということか、この話のオチとしては。
 
 あ、そうそう。秋には、森光子さんのあの「放浪記」も梅田で上演されるようです。観に行ってみようと思います。
 舞台はいいです。人間が動いて、喋って、演技して、音楽がなり、光が瞬く。他人の脳みその中に頭を突っ込み、五感で刺激を受けるような非日常性です。
 日常を考えるためにも、ときどき非日常に出かけるのも大事だわ。

 ところで、冒頭の写真、気づきましたでしょうか。
 「シチューうどん」。「シチュー」という文字をみて口の中に広がる牛乳じみた味と「うどん」という文字をみて口の中に広がるつるっとした歯ごたえ、のどごしにカツオ出汁。
 「72歳、男性」と「シチュー、うどん」。
 ミックスすると、
  
  「シチューうどんを食べる72歳の男性」。

 どのように五感が刺激されるでしょうか。
 その男性が、美輪明宏さんだったという事実もありうるわけで。ますます頭の中が混乱します!
 私の頭の中では駅の立ち食いうどん屋で紫のドレスを来た黄色い髪の美輪さんが器を片手に白いとろっとしたスープの中から伸び出る白いうどんをすすっている姿が浮かびます。

(おわり)
 
 

  
 
 

2008年5月25日 (日)

物語の力~「流星ワゴン」~【松井】

2518645188_b7f619b9fe
 ↑ 
梅田、蛸の徹へ行きました。久しぶりに。美味しかったです。


 重松清さんの「流星ワゴン」を読みました。重松さんの小説は読んだことはなく、知っていた知識としては、幻冬社の見城さんが会社を作るときに、角川書店で元部下であった重松さんに声をかけたけど、自分は小説を書きたいからと参画を断った人ということくらい。
 重松さんの小説では「流星ワゴン」が一番面白いらしいという友人の言葉を信じ、読み始めました。

 最後の十数ページは、ティッシュを傍らに、鼻をかみながら、おいおい涙を流しながらページを繰って読み続けました。
 自分の記憶、心がちょっと洗い流されたような読後のスッキリ感です。


2 
 つい先日、「内観」というものを知りました。 参考⇒石井光さんのページ
 7泊8日ほどこもって、規則正しい生活を送って毎日ひたすら、自分の小学生まで、中学生まで、高校生までと言った具合に過去を区切って、一番身近な存在、母親であったり、父親であったりについて考えるというものらしいです。
 「してもらったこと」
 「してあげたこと」
 「迷惑をかけたこと」

 自分の過去の記憶に遡ってこの3つをひたすら考えてみると、結局、小さいから当たり前といえば当たり前なのですが、自分が「してもらったこと」がいかに多いのか、「迷惑をかけたこと」がいかに多いのか、それにひきかえ自分が「してあげたこと」はいかに少ないのかをひっしと感じ、
自分の客観的状況、過去の出来事は何一つ変わっていないにも変わらず、自身の過去を含めたその人に対する見方、考え方が劇的に変わることがあるということです。
 結局、それは「感謝」の気持ちを抱くことなのではないかと思います。
 嫌いになること、憎くなること、何年も恨みに思うこと、そういった感情があったとしても、その人との関係で「ありがとう」という関係は必ずどこかにあるはず。
 それに気づくかどうか、気づいたら次に自分の行動にどのように反映されるのか。
 
 一生、「ありがとう」ということに気づかないままの人も当然、いると思います。仕事柄、そう感じざるを得ない人と接する経験もいくつかしています。自分の身の回りの不幸な出来事はすべて、自分に責任はないというスタンスであり、35歳もすぎるとそういう方々と接するのは精神的にもしんどく、体調を崩しかねないので以後、仕事上も接することのないように気を付けています。
 人が自分に対して何かをしてくれて当たり前、自分がうまくいかないと思うことがあるとそれは自分ではなく周りのその人のせい。
 すべてを自分以外の人のせいにして、自分が悪かったのではないかという振り返りがない人。
 自分が悪かったのではないかという気づきは、まず周りに対するありがとうの気持ちがないと出てこない。
 親が悪かった、経済環境が悪かった、政治が悪かった、相手が悪かった。
 自分の責任、はどうなのでしょうか。
 仕事でも、私生活でも、人として尊敬できる人とつき合っていきたいです、やはり。20代なら、どんな人とでもひととおりつき合ってみたほうがいいとは思いますけど。35歳を過ぎたら、人生の折り返し地点であり、有限であることを実感できたりするので有意義に、好き嫌いにこだわって快適な時間を過ごそうという防衛本能?が発動されます。


 「流星ワゴン」の主人公は、サイテー、サイアクの現状にいます。38歳。
 妻からは突然離婚を切り出され、中学生の息子は家に引きこもり両親に暴力をふるう、妻もテレクラで知り合った男との逢い引きを重ねる、さらには自分は、会社から突然、リストラ勧告によって職を失う、地元では成功者だけど横暴な父とは疎遠であった、そんな父親が入院生活を送り、生活費欲しさに嫌いなはずの父親の病院に通う。
 「もう死んじゃってもいいかなぁ」、という状況からスタートします。

 しかしラストは、そんなサイテー、サイアクの現状を受け入れたところからスタートし、悔やまれる過去は変えられないけど、それでも自分が出来るところからスタートしようとします。
 それは、自分を変えることです。
 「ワゴン車」に乗って自分の過去を追体験し、違うものの見方、相手の思いを知り、自分の言動を悔やみ、大切にしたいと思う人を大切にしようと考える。
 悪いのは、妻でもない、子どもでもない、父親でもない。
 愚かだったのは、自分。自分しか見えていなかった、自分。

 サイテー、サイアクの現状に戻った主人公は、過去は変えられないけど、新たな気持ちを胸に抱き、改めて妻との関係、子どもとの関係、そして父親との関係を築いていこうとします。
 まずは、自分が変わること。他人のせいにしていは、始まらない。
 主人公は、「ワゴン車」に載せられて、過去をいったりきたりする中で「内観」を深めていきます。そして、気づきを得ます。

 うーん、久々に物語の力、凄さを感じました。
 内観を体験したような感じです。きっとこんなすっきり感なんだと想像しました。
 読み終わったと、周りの人を見る目が少しだけ変わったような気がします。まぁ、これがいつまで持つかなんでしょうけどね。

 やっぱり毎日、瞑想、座禅でもするか。

(おわり)
 
事務所でボーリング大会をしました。投げる大橋。
 ↓
2518643696_a44cee2f77