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2010年2月 5日 (金)

「著作権の世紀」〜あるべき姿について考え続ける〜【松井】

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 東京の福井健策弁護士による「著作権の世紀ー変わる『情報の独占制度』」(集英社新書、2010年1月)を読みました。

 大阪の川村哲二弁護士の充実したブログサイトで同著書が絶賛されているのを目にし、大阪の旭屋書店で買ったものです。川村弁護士のアマゾンリンクのサイトから買うべきだったのですが(笑)。
 http://stuvwxyz.cocolog-nifty.com/blog/2010/01/post-c960.html

 読んでみて、つらつらと思ったことをまだまとまりがつかないのですが、備忘録代わりにここにメモとして記しておきます。
 過去にも、著作権法についてつらつらと思ったことをメモしているその延長線上のものです。
 http://osaka-futaba.cocolog-nifty.com/futaba/cat5929423/index.html


 「著作権の世紀」は、

「この厄介な制度に魅せられ、あるべき姿を考えつづけた先人たちに」
ととても魅力的な書き出しで始まっています。
 著作権でも他の法律についても、やはり根底にあるのは「どうあるべきなのか」ということであって、これは細かい条文が一度作られたらそれで終わりというものではなく、「どうあるべきなのか」をずっと「考え続ける」というのが「法律」なのだということに改めて気づかせてくれるフレーズでした。

 で。
 これからの著作権はいったいどうあるべきなのか。
 そもそもどうあるべきものとしてこの著作権法が制定されたのか。

 この点、「著作権の世紀」では問題点の指摘や、いくつかのあり得る方向性が示されています。ただ、敢えてなのだろうとは思うのですが、著者の明確な意見は声高には叫ばれてはいません。すごく抑制された文章で語られています。

 各章、ユーモアに溢れていて興味深いのですが、なかでも秀逸なのは、終章「情報の世界分割」だと思います。<情報の海>の中で、著作物、個人情報・肖像、営業秘密、商標・特許・意匠の概念と力関係が一つの図の中で図示されています。
 「著作物(創作的表現)」に対しては、「制限規定」というものが相対しています。
 
 ものごとを考えるときに私がよくやるやり方は、「もしこれがなかったらどうなるのか」と極端を考えてみるというやり方です。またそれに対し、「これがもっと規制、縛り等が強くて100%以上のものであったらどうなるのか」とこれまた対極を考えてみることです。
 
 著作権法がなかったらどうなるのか。
 あるいは逆に、著作権法がもっともっともっと、著作者に著作物の120%のコントロールを認めていたらどうなるのか。

3 
 こういった極端な観点をふまえつつ、じゃあいったい「どうあるべきなのか」という価値観が加わり、加減が生じるのではないかと思います。
 これはやはり法律の目的、そして憲法からしか出てきようがないのではないかと思います。これは、というのはどうあるべきかという価値観です。それに加えて、立法事実という事実を踏まえる。
 抽象的な価値観でいえば、ずっと前の著作権法に触れたエントリーでも書いていましたが、「文化の発展に寄与すること」。これしかないのではないかと思います。
 憲法が21条で情報の流通を保護の対象とした趣旨が思い浮かびます。
 「自己統治」と「自己実現」という言われ方をします。
 何をという点に焦点をあてずに、発表の自由をまず保障しています。ちなみに憲法21条2項は検閲の禁止です。
 発表させる、情報をまず市場に流通させるということに価値をおいています。
 ただその中でも特に政治上の事柄については特に保障が厚くされるべきという価値観が働いています。なぜか?考えたことがない方は一度ぜひ考えてみてください。
 
 このような観点からすれば、ちょうど一年ほど前にふれた塩澤一洋教授の「公表支援のフレームワーク」としての著作権法という捉え方が一番、しっくりくるのではないかと思います。著作権法の「あるべき姿」を考えるに。
http://osaka-futaba.cocolog-nifty.com/futaba/2009/01/post-b437.html
 
 著作権法51条で定められた著作権の「存続期間」について、現行の「著作者の死後50年」をさらに延長すべきかどうかが議論されているようです。
 まさに「どうあるべきなのか」という価値観と価値観のせめぎ合いです。
 なんのための著作権法なのか?という原点から考える意外、理論としてはないかと思います。あとは価値観と価値観の力関係か?
 

 福井弁護士の「著作権の世紀」では、「マッシュアップ」の事例として、あの知る人は知る「サザエボン」が写真入りで紹介されています。
 これは、サザエさんの方からもバカボンの方からも訴えられ、敗訴したようですが、こういうものが生まれるということこそが「文化の発展」なのではないかと思えます。
 ただ、サザエさん側やバカボン側は、自身が作り上げたものが勝手に利用され、改ざんされ、それで別の者が多大な利益を受けるということがフリーライドのようなもので許せないと言う気持ちになるのだろうとは思います。
 ただそうであるのならお金での解決をはかり、「著作物」というかはどうかは別にしても、新たな「創作物」として世の中での流通を図る方向でものごとを整備する方が種々雑多な情報の流通が図られるものとして「文化の発展に寄与」するのではないのかなという気がします。

 このあたりが私の中でもうまくまとめ切れないところなのですが。。。
 塩澤教授が言う、著作者が安心して著作物を公表できる仕組み、という視点で捉えたら、どこまでの仕組みを用意すれば足りるのかということだろうとは思うのです。
 単なるそのままの利用は別にして、いかなる場合も複製利用、改変そのものを許さない、保護期間は50年じゃなくって70年ということで、安心して公表するということに繋がるのか。 
 バカボンの赤塚不二夫さんは、「サザエボン」が登場したとき、当初は法に問うつもりはなかったようです。むしろ、「なぜ自分が考えつかなかったのか」と悔しがったとか。確かにバカボンの「うなぎ犬」も「うなぎ」と「犬」の合体でのおかしさです。

 一定のこういったものが許容される著作権法であって欲しいと私は思います。 
(おわり)
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2010年1月23日 (土)

「節税」の内容【松井】

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*年末、ビールと大橋弁護士。


 奥村佳史さんの「法人税が分かれば、会社のお金のすべてが分かる」(光文社新書)を読みました。
 
 

 非常に面白い本で、楽しく読めました。
 身近な事案から説き起こして、法人税法の趣旨について触れています。
 くだけた文章でありながら、次のようなことに触れられた骨太な本です。
  

法人税の納税義務者
  法人税の課税標準
  法人税の税額計算
  繰越欠損金制度 
  受取配当の益金不算入
  棚卸資産と売上原価 
  減価償却 
  役員給与
  交際費、寄附金、使途秘匿金
  貸倒損失と貸倒引当金
  資産の評価損
  圧縮記帳などの節税対策
  申告と納付

 こんな内容について、「たくあんで法人税を納めることができたなら」「赤字でも法人税」「みずほ銀行はなぜ法人税を払わないのか?」「投資会社社員は電話が怖い?」「決算日、肺が凍りそうです」「リゾート施設を買ったなら」「名ばかり管理職の次は、名ばかり役員」といった章のタイトルで、各章を書き出されています。


 そのため、読み物としても非常に読ませる内容で面白いのですが、著者の骨太の意見、視点も随所に見受けられ、ほれぼれとします。
 私が、やはりそうだよねと腑に落ちたのは、節税の点に対する著者の言葉でした。
 
 217頁
 

「本当に有効な節税対策はあるのか」
という箇所です。
 
「私が節税対策に求める効果は次のとおりです。
  (1) 課税の繰り延べではなく、永久に税負担が減少するものであること。
  (2) 会社が余計な支出をしなくてもいいもの
  (3) 会社の損益計算書に損失が計上されないもの 」

 

「皆さんがよくご存じの節税対策は右の条件を満たしますか?
  例えば、慰安旅行に出かけるという節税対策は、(1)を満たしますが、(2)と(3)を満たしません。
  乗用車を購入する方法も同様です。」

  そうしたうえで、一つだけこれらの要件に当てはまるものが一つだけある、と紹介しています。
  そして。
 

「実はこの方法、上場企業ではほとんどの会社がご存知です。けれど中小企業にはあまり知られていません。その理由は簡単です。」

 
「このような節税プランを紹介したとしたとしても、ビジネスとしてうまみのある業者が存在しないためです。」
 「つまり、節税対策というのは色々とあるけれど、これを商材として販売した場合に儲かるというものだけが世の中に広まるのです。そうでない節税対策はいくら有効なものであっても、宣伝してまわる人がいないため、世の中に広まっていかないのです。」

 
  そして次にこのように述べています。
 
「税理士事務所の中にも、生命保険の代理店を営んでいるところがあります。生命保険は節税プランとして薦めるけれど、自己株式買取は薦めない。こういった税理士さんがどういった思考で動いていらっしゃるのかはわかりません。」

 
3 
 弁護士業においても、本当に弁護士一人で出来る仕事というのは限られています。
 依頼者の方に、建築士さん、税理士さん、会計士さん、不動産業者さんなどを紹介し、これらの別の専門業種の方々と共同しつつ仕事を進めることもあります。このようなとき、キックバックのような類の金銭を他の業者から受け取る弁護士はまずいないと思います。
 依頼者の正当な利益のために働くという大前提からすれば、第三者に対して依頼者にお金を使わせることによって、その第三者からお金が入り自分の懐が潤うような構造は、依頼者の利益のためにといいながら、実際には自分が儲けを手にいれたいがためにという構造にならないといはいえないからです。
 それでも、いや、客観的に依頼者の利益になっていれば何も問題ないんだといったことを述べられていた某業種の方の意見を目にしたことがあります。
 正直なところ、驚きました。
 客観的に「公正」であるかどうかなんて、判断は困難です。
 そこでまず大事なのが、「公正らしさ」、「らしさ」という構造、仕組みを守ることです。
 こういった考えから定められている法律もいくつかあります。
 
 奥村佳史さんも、節税プランと生命保険を例にとってこのことを述べているのだろうと思います。
 これはたぶん、専門家としてのプライドの問題なんだろうと思います。
 とにかく常に、依頼者の利益を最優先させ、依頼者の利益だけを考える、自分の利益は結果論として出てくるもの。それが弁護士の姿だと思います。
 ある先輩弁護士が仰っていた、事件処理の際に気をつけているということ。
 「依頼者に出来るだけお金を使わせないこと。」
 
 そのとおりです。なので、実は、不動産鑑定士さん、一級建築士さん、税理士さん、公認会計士さん、不動産仲介業者さんなどを紹介し、それらの方々の協力を得ざるをえないときは非常に心苦しいというのが本当のところです。
 私が兼ねることが出来ればいいのですが、そんな能力もなく。
 また、裁判において裁判所は、第三の専門家の意見は一応、尊重するということが多々あるのも事実であり。なんともまあ、難しいです。
 紛争解決において、他者の力を借りる限りはお金がかかります。
 お金を節約しようと思えば、正直なところ、他社の力を借りずに自分一人でことに当たるということになります。

(おわり)
*昨年。西表島を旅行中の松井の姿。こんなもんです。。。基本、ジーンズ。
 
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2010年1月 5日 (火)

会社の経営~タリーズコーヒージャパンに何があったのか~【松井】

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 新年あけましておめでとうございます。
 今年もよろしくお願い致します。

 昨年年末は、年末の挨拶をブログでアップできませんでした。
 が、無事に年も明け、気持ちも新たにいこうと思います。
 よろしくお願いします。
 前にも書いたかもしれませんが、今年はもっと気軽に気づいたことなどを考え途中であってもとりあえず文章化してアップしていこうと思います。


 この年末年始は、平成17年に買ってずっと読んでいなかった、松田公太さんの「すべては一杯のコーヒーから」(新潮文庫)を読みました。で、その後、何かずっとひっかかるものが残っています。この点、まだうまくまとめられていませんが、メモがてら記しておきます。
 新年なので、今年の心意気とかもっと新年らしいことを書けないのかと自分でも思うのですが。。。



以下は、もっぱら「すべては一杯のコーヒーから」の抜き書きです。

松田公太さん
昭和42年生まれ 
筑波大学国際関係学類入学
平成2年 三和銀行入行
平成8年 同銀行退行

平成9年8月 タリーズコーヒー1号店 銀座オープン
平成10年5月 タリーズコーヒージャパン株式会社設立
 資本金2700万円
  ジョイントコーポレーション方式
  松田氏780万円(29%)、
  アメリカのタリーズ(29%)、
  内装担当した会社515万円(19%)、
  ダン215万円(8%)、
  MVC410万円(15%)。

平成11年4月 ベンチャーキャピタル数社を中心に1億2000万円

平成12年4月 会社、大企業の経営者から5億2500万円を調達。

平成13年3月期 売上高約10億8000万円、経常利益9500万円、店舗数23。
平成13年7月 ナスダック・ジャパン(現ヘラクレス)上場。

平成16年1月 フードエックス・グローブ 上場廃止。
「ACキャピタル」というファンド運用会社と共同で新会社を設立。

平成16年8月 200店舗。

平成17年2月 233店舗。(直営店86、FC店147)
平成17年4月 「すべては一杯のコーヒーから」新潮文庫版、出版。

平成18年10月 伊藤園、株式取得、伊藤園グループ下に。
平成19年 松田公太氏、タリーズコーヒージャパン株式会社代表取締役退任。



平成21年8月 「松田公太オフィシャル ウェブサイト」オープン
        http://koutamatsuda.com/?page=column
ウィキペディア
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%BE%E7%94%B0%E5%85%AC%E5%A4%AA


タリーズコーヒージャパン株式会社
http://www.tullys.co.jp/company/outline.html

ウィキペディア
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%BF%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%82%BA%E3%82%B3%E3%83%BC%E3%83%92%E3%83%BC%E3%82%B8%E3%83%A3%E3%83%91%E3%83%B3


フードエックス・グローブ株式会社
ウィキペディア
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%83%BC%E3%83%89%E3%82%A8%E3%83%83%E3%82%AF%E3%82%B9%E3%83%BB%E3%82%B0%E3%83%AD%E3%83%BC%E3%83%96



 興味深いのは、平成13年7月、現ヘラクレスに上場前に、第三者からの出資をガンガン受け入れていることです。
 上場前の2年間で約6億円もの出資を「第三者割当増資」で受け入れています。
 
 この点、「すべては一杯のコーヒーから」では次のように述べられています。
 上場とは、ということで。
 「会社の成長を期待する投資家に株を買ってもらい、経営者は期待に応えられるように事業を大きくする。そうすれば、株価も上昇して投資家にも喜んでもらえることになる。」(249頁)。

 タリーズコーヒージャパン、その後のフードエックス・グローブ社に一体何があったのか本当のところはよく知りません。知っている人はよく知っているのだろうとは思いますが。ウィキペディアや、ネット上の個人の方のブログでうかがい知るのみです。

 会社を立ち上げ、売上げ、経常利益を大きくしていき、さらに事業拡大を狙えば、上場というのは一つの選択肢になります。
 松田さんも著書では次のように述べています。
 「株式公開の具体的なメリットとしては、知名度、信用力、資金、人材、という四つがあった。」(252頁)。
  
 ただ、公開のデメリットもあるわけですし、公開ではなくても増資の際、誰に株式を割り当てるのかというのも大きな問題になりうるところです。
 伊藤園への株式の売却の意思決定は、やむを得ずにそうしたのか、それとも何か別にやりたいことがあって株と自身の地位を手放したのか。
 実際のところがどうなのか興味があります。

 こういった話は決して珍しいことではないと思います。お金を生み出すシステムを血がにじむような思いで作り出し、無事に離陸して、なんとか水平飛行に移ったと思った途端、その飛行機には操縦桿を奪いとろうとする人が実は乗り込んでいたり、あるいは、給油量が足りなくなってしまっていったん飛行を止めざるを得なかったり、そこで操縦席を第三者に明け渡さざるを得なかったり。
 
 会社経営というのは、離陸時、水平飛行時、そして着陸時と各時点時点でのいろいろな難しさがありそうです。
 タリーズコーヒージャパン、フードエックス・グローブ社、松田公太氏がどういう意思決定をしたのか、興味津々です。

(おわり)
*今年は、自分も含めて、人を撮ってアップしていきたいと思います。

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2009年10月12日 (月)

昭和20年代、30年代の日本は如何に~過去の経緯~【松井】

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 本を買うのが一種の趣味のような状態で、気になる本が目に付くととにかく買っていました。しかしすぐに読むというわけではなく、結局、読み切るのは買ってから4年後、5年後という本が実は結構あります。
 そのような状況で、今年、結構印象に残っているドキュメンタリーについて、自分の読書メモがてら書いておきます。
 法律とは関係ありません。


 6月ころ、「メディアの支配者」という本を読みました。フジテレビの鹿内さんを取り上げたドキュメンタリーです。ハードカバーで買って、読んでいないうちに今年、文庫化されていてそのことにショックを受けた本でもあるのですが。
 ハードカバーで上下2冊。結構なボリュームでしたが、読み出したら止まらず、一気に読み切りました。
 この本を読んでから、あの「ライブドア事件」を考えると、また違う視点が得られると思います。というか、「ライブドア事件」を語るならこの本は必読だと思います。
 戦後、「フジテレビ」という会社がどのようにして作られていったのか。戦後日本の「労働組合」や経営社グループとの攻防、そのどさくさのような状況での誕生が描かれています。
 そして、あの「ライブドア事件」の際、会長だったか社長だったかとしてよくテレビ画面に登場されていた方がどのようなことをしていたのか。 
 1990年代のフジテレビの「お家騒動」あたりまでが描かれています。
 
 戦後、昭和の時代のエネルギーを感じさせた本でした。文字通り、裸一貫、成り上がりという言葉が浮かびます。
 それと、企業の私物化とか、承継とか。株式対策とか。
 人はいつかは必ず死んじゃうんですよね。そのときのことを生前、どれだけ五感をもって想像できるかどうか。



 そしてつい先日は、「下山事件~最後の証言者~」という本を読みました。
 これはまさに昭和24年7月、あの下山事件に関する本です。これも買ってから、読んでいないうちに文庫化され、結局、4年目にしてようやく読み終わりました。
 これも読み出したらとまらない、刺激的な1冊でした。
 何がかというと、やはり戦後、昭和20年代の日本の泥臭い、きな臭い様子が背景として描かれている点です。
 利権、成り上がり、よく分からない手段で財をなす様子。
 戦後、昭和20年代、30年代って、本当にタフな人は人脈を使い、見事に財を築いていったのだと思います。
 パワフルです。登場してくる人々が。
 「猥雑」という形容がぴったりです。



 今の日本を考えるにしても、この20年代、30年代に築かれたシステムがベースになっています。
 それが時々刻々、変容していきつつ、今のカタチとなっている。
 
 今も見えないところで、当時の猥雑な雰囲気そのままに利権や賄賂が行き来している場所があるのではないかと思うと、なんとも言えない恐ろしい感じがします。
 格差社会と言われているけど、実はそんなものは昭和20年代からそうであって、それがずっと目に見えなかっただけなのではないか。
 一部のパワフルな人とそうでない愚直な人々との格差が厳然とあったのではないか。
 肉食の人と草食の人。あるいは、狩猟民族と農耕民族。
 昭和20年代、30年代を生き抜き、一代で財を築き上げた人々。
 そんな時代をパワフルに生き抜いたことに尊敬の念を抱きます。
 
 今の時代もやはりこんな時代だからこそパワフルに生きねばと思った次第。
 でも、「<勝間和代>を目指さない」とも言われているし。そこそこに生きる平穏と幸せもあります。
 
 あんぱんまんの歌でこんな歌があります。
 「何のために生まれて 何をして生きるのか 答えられないなんて そんなのはイヤだ。」
 うーん。でも、答えられないのが、それもまた人生~♪では。

 お金や権力の獲得のためにと動けるというのはある意味幸せだと思います。目標が明確だから。
 
 うーん。とりめもないブログもたまにはいいか。

(おわり)
 
*歴史を感じさせる建物。やはり過去の経緯を知るのは大事。歴史。
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2009年9月 6日 (日)

最高裁判所の裁判官~弁護士活動の方向性~【松井】

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1 
 大阪弁護士会所属の弁護士であり、平成18年まで約4年間、最高裁判所の15人の裁判官のうちの一人を務められた滝井繁男弁護士の著書を読みました。滝井繁男「最高裁判所は変わったか 一裁判官の自己検証」(2009年7月、岩波書店)。
 大橋が購入し、8月末までなら貸してあげるよということだったので、そのまま借りて大橋よりも先に読んでしまいました。
 読了中から、これは自分用にも書き込みできるように一冊、買おうと思う一冊でした。


 判例時報21年8月11号に掲載されていたところによると、平成20年の最高裁民事破棄判決は52件。「既済件数2952件に占める割合は1・9%となる。」ということです。
 つまり、最高裁で、高裁の結論がひっくりかえる確率は、2%未満。
 そもそも、その前の高裁で地裁判決がひっくり返る割合は確か25%くらいだったはず。
 三審制といっても、事実上、一審で決着つく確率がいかに高いことか。
 
 とはいえ、年間、最高裁には民事事件で約3000件が係属するということです。
 これを5人の裁判官からなる小法廷3つで審理していくのです。
 記録読みに追われるその激務の様子が描かれています。
 もちろん、裁判官の中でも優秀な人を集めているといわれている最高裁判所調査官の方の下支えがあってのこと。
 それでも、

「私の場合、退庁時間まで七時間半、昼食時を除いてほとんど記録を読み続けているため、この時間になると、気力、体力ともその限界にきているというのが実感であった。」
(43頁)とあります。
「帰宅後は、食事を終えると比較的丁寧に新聞を読むようにはしていたが、疲れているのでさらに机に向かうという気力はなく、早い時間に寝ることにしていた。そして、概ね四時迄には起きて、また記録を読み始めるというのが日常であった。」
(同頁)とあります。
 まさに、文字通り「激務」だと思います。そんな生活が4年近く続くのです。
 
 しかしそのような中で、滝井元判事は、個々具体的な事件の中で「最高裁判所」が果たすべき役割を考え、見落としがあってはならないと、記録を精査し、そして判断し、ときに個別意見を表明していきます。
 
 判断した個々具体的な判決事例についても、かなり突っ込んだ判断経過が記述されており、最高裁裁判官の頭の中の思考過程が記されている、貴重な本だと思います。
 
 訴訟代理人をつとめる弁護士に限らず、企業法務、契約業務、あるいは国政、地方自治にかかわる人は必読だと思います。行政訴訟に関する記述が厚いです。

 以下、自分のメモように、やはりそう考えているのねといった箇所を少し引用しておきます。


 租税法律主義について

 

「最高裁は、租税の賦課は法律の根拠に基づかなければならないとする租税法律主義の趣旨は、私人が予測不可能な課税をされることは許されないというものであって、法がある賦課徴収をなす趣旨であること、あるいは減免を認める趣旨でないことが国民にあきらかであるにもかかわらず、技術上の工夫をこらしたり法文上の不備をついたりして課税を免れようとするものに対して課税をすることは租税法律主義に反するものではないという見解に立つものだと思われる。」
(132頁)。
 私は、この記述を読み、映画フィルムの事件を思い出しました。

 行政庁の裁量について

 足立区医師会の事件に対して(昭和63年7月14日第一小法廷判決、判時1297。29)
 

「原審の東京高裁は都の言うような混乱と障害の生ずるおそれがあるという判断に合理的根拠はないと判断し、都の処分には裁量判断の逸脱があると言ってこれを取り消したのですが、最高裁は、一定の事実を起訴として混乱が生ずるという行政の判断の過程にその立場における判断のあり方として一応の合理性があることが否定できない異常、その判断に裁量の逸脱はないとして原判決を破棄し、請求を棄却する判決をしたのです。混乱するかどうかは、将来のことですから判断の基礎となる事実は評価にわたることになりますが、その捉え方いかんでは、行政の判断が尊重されることになってしまうのではないか、それでよいのだろうか。この事件では本当に混乱がどの程度起こるのか、また、仮に少々の混乱があっても他の要素との衡量、この事件では公益法人設立の利益というものと、混乱の程度との衡量が必要ではないかと思うのです。この辺のことがもう少し、議論されてもいい事件だったのではないかという気がします。」
(169頁)。
 思考を停止させずに、とにかく突き詰めて具体的に根拠を考え抜くということだと読みました。
 「裁量の基礎となる事実をしっかりと認定し、その判断過程に注目すること」
(同頁)。

 民事事件について

 

「公害訴訟なんかでも似たようなことが言えると思うんですが、原告側が被害というものの実像を、それが出てきた原因と関連づけてすごいエネルギーを投じて明らかにしてきた。そのなかで、これは何とか救済しなければならないんじゃないかという判断があって、損害賠償請求が認められ、さらには差止請求権を認めるという考え方が出てきたのではないかと思うのです。」

 
「私は、裁判の正当性が承認されるかどうかは、その判断過程の客観性が認識されるための説得力をどれだけもつかにあると思います。説明義務とか契約上の付随義務として一定の信義則上の義務を認めるような判決がでてきておりますが、こういうものも社会的承認を得るための説得のためのもので、このような考えがどこまで拡がっていくのか、これから司法への期待が高まるなかで、新しい法解釈を迫られたとき、どれだけ説得力のある理由を編み出せるか判例の展開に注目したいと思います。」
(338頁)。

 弁護士一年目のとき、裁判官を説得するのは、根本的には、理屈じゃない、事実だということを教えられたことがあります。

 ローマ市民を前にして、ブルータスがやったこと、その殺人は是か非かが議論されました。是とする派と非とする派とが市民の前で訴えました。
 是とする派は、その殺人はやむを得ないものであって、殺されたものは殺されるべくして殺されたことを理屈で訴えました。
 それに対して。
 非とする派は。
 血染めのシャツを市民の前に差し出しました。
 そして言うのです。
 「見ろ、これがブルータスのしたことだ!」と。
 市民は血染めの残酷なシャツを突き出され、それを是とすることは出来ず、ブルータスの非道に対し一気に怒りで沸き上がるという話しです。

 法律マシーンではなく、感情をもった裁判官です。もう一歩のところで突き動かすのは感情だということなんだと読みました。


 弁護士として向かうべき道が見えてくるように思います。
 その道をどこまで進めるかどうかは別にして。。。努力し続けることが出来るかどうかですね。それも、全ては気力にかかっている。。。
 ま、総論ばっかり語っていないで、各論を実行することですね。がんばります。

(おわり)
 
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2009年4月22日 (水)

うわあ!上野千鶴子教授がやってくる!【松井】

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 つい最近、遥洋子さんのベストセラー「東大で上野千鶴子にケンカを学ぶ」の文庫本を読んでいました。
 実は、発売された当初、通勤途中の梅田のブックファーストにならんでいるのを見かけ、表紙につられて当時、読んでいました。でも中身で覚えていたのは、ハーブティーがリラックスとしていいこと、くらいしかありませんでした。

 それが先日、宇都宮に出張に行った際、地元で開業している同期の弁護士に遊んでもらったところ、その同期は、大学の博士課程に入っていて、今、論文で泣いているという話を聞いたところでした。それだけじゃなくって、その指導教官である大学教授がいかに頭が切れるかといった話も聞いて、刺激を受けていました。触れば切れるような優秀な人に触れる、接するというのは、すごくいい刺激になります!
 それで、遥洋子さんが上野千鶴子教授に鍛え上げられた話である「東大で上野千鶴子にケンカを学ぶ」を思い出し、でも初版で買ったものは既にブックオフだかに売り飛ばしていて手元になかったので、改めて文庫版を買って読み直したところでした。


 で、読み直したところ。ああ、言葉ってこんなに刺激的だったんだと改めて思っていたところでした。

 それが、なんと!
 大阪の全弁護士に配られたチラシが私の机の上に。
 
  

講演会開催のご案内 「ジェンダー概念と法」
  〜目からウロコのジェンダー論〜 
  話題の社会学者 上野千鶴子氏が縦横無尽に弁護士の「仕事」を斬る!!

 ああ、これは絶対に行かねば!
 すぐに参加申込をFAXしました。

 今、上野千鶴子さんと言えば、「おひとりさまの老後」の方が有名かもしれないけど、90年代以前、もっと有名な本がいくつかあります。それ以降でも、やはり第三者の視点で上野千鶴子さんの鋭さを描いた遥洋子さんの本は秀逸だと今回、読み直して改めて思いました。

 その上野千鶴子さんを生で見られる!
 もう気分はミーハーです。
 ああ、本にサインが欲しい。差し出したら怒られるかな。
  
 このミーハー気分。ワクワクします。
 「弁護士の『仕事』を斬る!!」いったいどんな風に斬ってくれるのでしょうか。楽しみです。
 大阪弁護士会に入っていて良かったと心底、思えました。
 企画されたかた、GREAT JOB !

(おわり)  
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2009年3月12日 (木)

「天国へ行くのに最も有効な方法」【松井】

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 塩野七生さんの「マキャベリ語録」(新潮文庫、平成4年)を読みました。
 16世紀を生きたマキャベリの語録です。
 
 最後の一文。

 「天国へ行くのに最も有効な方法は、地獄へ行く道を熟知することである。」
 ー『手紙』ー


 紛争状態ってたぶんきっとある意味「地獄」です。
 紛争状態の進化系の裁判なんて、ある意味「ギャンブル」です。0か100か。100であっても場合によっては絵に描いた餅。2億円払えという判決が確定しても、ただの紙切れ以上の価値がなかったり。
 1審で勝って、2審で勝って、最高裁でひっくりかえったり。尋問後の和解勧試において敗訴の心証を裁判官から語られ、依頼者を説得したけど依頼者は敗訴覚悟で和解を蹴り、弁護士は横でうなだれていたら、結果、勝訴判決だったり。
 裁判手続きなんて「激流」に身を任せるに等しいという思いが頭を駆け巡ります。訴訟代理人は、激流下りの船頭さんです。
 
 そういう意味で、弁護士は、「地獄」の案内人ではないかと。地獄の住人ともいえるのではないかと。
 仕事場は「地獄」。地獄の中で弁護士ものたうちまわって、依頼者を安全な場所へと連れ出す役目。地獄の閻魔様、裁判官との駆け引き、勝負。
 弁護士はきっと、地獄を知っています。
 地獄へ行く道を熟知しています。
 
 だから。
 相談者、依頼者の方が、目の前でみすみす地獄に足を踏み入れることがないよう、なんとかくいとめようと、ことが起こるまえの事前のアドバイスをしたいと思うし、紛争状態となってからなら訴訟にいかずにすむようにと、交渉、調停での解決をと思います。
 交渉のときに大事なこと。
 想像力。大成しようが、しまいが。

 「軍の指揮官にとって、最も重要な資質はなにかと問われれば、想像力である、と答えよう。
  この資質の重要性は、なにも軍の指揮官にかぎらない。
  いかなる職業でも、想像力なしにその道で大成することは不可能だからである。」
 ー『戦略論』ー



 「天国へ行くのに最も有効な方法は、地獄へ行く道を熟知することである。」
 ー『手紙』ー

 天国へ行くのに最も有効な方法は、早めに弁護士に相談することである、と言い換えられるのではないかと思います。
 
 話し合いが決裂してからではなく、訴訟で訴えられてからではなく、早めに弁護士に相談することをおすすめします。
 大阪弁護士会では、30分5250円での有料ですが、毎日、相談受付をしています(予約電話あり)。
 また弁護士も、「行列のできる法律相談所」がそうであるように、4人よったら二通り、三通りの回答があって、回答が皆一緒ではない場合もあります。人間なので、合う合わないの相性もあるかと思います。安くはないお金を払うわけですから、この人ならと思える弁護士にお金を払い、道案内を頼まれることがかえって安くつくということもありえます。
 
 弁護士がもっと上手に世の中で活躍すれば、世の中から裁判なんてもっと減るはずだと思います。弁護士は地獄への道を知っているので、地獄に行かずに済む道も知っているから。
 だけど裁判、増えている気がする。
 え?!これで裁判?! 話し合いで解決しえたことなんじゃないの!?なんてね。
 
 下手な遺言書や、遺産分割協議書って紛争のタネです。
 ため息が出ます。
 どこでもいいので、一度、弁護士に相談を。その弁護士をいまいち信用できなかったら、また別の弁護士に相談を。
 それでも、まったく弁護士に相談しなかった場合よりは、きっと益があるはずです。

(おわり)

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2008年12月 5日 (金)

時代背景【松井】

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 相続関係の事件を多く担当させていただいていると、昭和40年代、50年代、60年代、平成のバブル時、バブル破綻後が、時代としてどういう時代だったのかということが重要なポイントになることがよくあります。
 たとえば、昭和40年代、47年に田中角栄が「日本列島改造論」をぶちあげ、7月、総理大臣になった、つまりは土地、不動産取引でいえばどういう時代なのか。
 またバブル時、金融機関はいったいどのような業務をどのように行っていたのか。そしてバブルがはじけたとされてからどうだったのか。平成7年1月、阪神淡路大震災が起こり、平成9年、アジアの通過危機がおこり、11月、山一證券が自主廃業した年。
 そういった当時の時代の背景を知っているかどうかで、証拠の見方、事情聴取の結果の位置づけが見えてきたりします。だからある意味、興味が尽きず、相続事件が好きなのです。


 わたしは1971年、昭和46年生まれです。50年代は、小学生、中学生、60年代は高校生。そして平成は、ベルリンの壁崩壊、そして平成5年の大学卒業時はバブル崩壊と共に迎える就職氷河期といった記憶くらいしかありません。
 就職氷河期の時代も、4年生のときに勢いで司法試験の択一式試験に合格していたので、翌年すぐに合格するだろうとたかをくくり就職活動もいっさいしていませんでした。
 その後、平成8年に司法試験に合格するまでの間は、出口の見えない真っ暗闇のトンネルの中を勇気を振り絞って前に進む、出口があることを信じて進むしかないといった感じで、ある種浮世離れした生活を送っていました。
 活字中毒者なので一応、毎朝新聞は目はとおし、好きな小説やノンフィクションの本などは読んでいたのですが、テレビニュースなどは見ておらず、映像での記憶や当時の社会人の人の言葉の記憶というのがあまりありません。要は、世間の風に触れていませんでした。
 でも、それは小学生、中学生のころも同じなはず。小学生。テレビは、たのきんトリオの全盛期、四日市に営業に来ていた羽賀研二のショーを見に行き、サイン入りシングルレコードを入手した記憶があります。芸能に生き、社会情勢がどうだったのかなんて知りません。
 じゃあ、どうやって当時の息づかいを知るのか。当時の人の行動心理、社会情勢を知るのか。
 本しかありません。


 もちろん相談者の方から、聞いたりはします。しかしそれではあまりに断片的な情報。
 そこで役に立つのが、本です。特に、小説です。
 読みあさっていると、いろいろとリンクしたりします。そしてそのリンクに事件の時代背景がさらにリンクする。
 昭和50年代当時、いったいどういう時代だったのか。銀行の本人確認は今のようなものではなく、もっといいかげん、不動産登記も子どもや知人の第三者名義での名義借りがあたりまえ、銀行の本人確認等が厳しくなったのはいつころなのか。
 無記名の割引債といったものが使われて脱税されたが、無記名はいつころまでOKだったのか。
 今の時代の基準で振り返ると信じられないことが過去、まかりとっていたということがよくあります。
 金融機関による無茶な貸付け、杜撰な審査に連帯保証。これも、都市銀行、地方銀行、信用金庫、信用組合とで会社内の事情がどう違ったのか。信金の統廃合はどのようにすすんだのか。
 
 最近では、黒木亮さんの「巨大投資銀行」という小説を読み、それをきっかけに当事者が描いた山一證券自主廃業の顛末「決断なき経営」を読みました。そして、ソニー銀行設立までを描いた「僕たちは銀行を作った ソニー銀行インサイドストーリー」を読み返しました。これに続けて、以前読んだ「銀行収益革命〜なぜ日本の銀行は儲からないのか」を読みかえしてみようかと思います。そして黒木亮さんの「貸し込み」も。

 その国のことを知るにはその国の小説を読むのが一番よい方法だといったことをインタビューで口にしていたノーベル賞受賞の作家だったか、フランス人の作家だったかがいました。
 その当時の時代背景を知るには、その当時を描いた小説を読むのが一番いいように思います。
 昭和の時代はともかく、江戸時代、鎌倉時代の様子を知ろうと思ったら、まさしく!
 確か今年、源氏物語が世に出て1000年記念ということですが、1000年前の日本の時代の様子をしろうと思ったら源氏物語にまさるものはないんだと思います。
 それと同じことかと。
 多少の間違い、事実と異なることがあったとしても、小説には何らかの真実が宿っていると思います。それを掴むのが一番。

(おわり)

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2008年4月 1日 (火)

同性婚について考えてみる~憲法、裁判所、政治と自由~【松井】

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*労働法の大内教授の講演を一緒に聴きました。↑休憩時間中の大橋。


 先日、「4か月、3週と2日」という東欧の映画を映画館で観てきました。
 見終わったあと、その映画の時代の社会的背景についての知識が加わると「家族、婚姻、生殖」といったごく個人的私的な事柄と国家、政府との関わりについて考えさせられました。
 映画自体は、そういった問題を大々的に取り上げたといったものではなく、女子大生の視点から周囲の人間、あるいはこの女子大生の様子をとらえ、その捉え方が意地悪く、でもこれが人間だろうと思わせる説得力でもって、とある一日を淡々と、しかし緊張感をもって描いた映画でした。深夜放送で見かけるような映画で、こういう映画も私は好きです。


 映画をみたあと、日本の刑法で犯罪とされている堕胎罪や、その違法性の阻却を定める母体保護法についてぼんやり考えていたところ、久しぶりに足を運んだ大阪弁護士会の図書館でクレジットカードに関する文献を探していたら、「法学教室」の4月号の憲法の演習問題で、著名な憲法学者が同性婚と憲法について出題されていたのが目に留まりました。こういうことが憲法問題として論じられるようになったんだなとちょっと驚きました。
 また、論文集を見ていたら、研究者の方が「婚姻のポリティクス~アメリカの同性婚訴訟を中心に」として論文を発表されているのをみつけました。
 なんとなく気になり、ネットサーフィンをしていたら、日本女性とスペインの女性がスペインでの法律に則り婚姻したけど、日本では同性婚が認められていないので在留許可の点で不安定な地位にあるというブログを目にしました。
 このときようやく、問題の切実さが実感できたような気がします。
 在留資格については、戸籍上の夫婦であっても、婚姻の実態に欠けるとして在留資格が認められず、退去せざるを得ない場合があります。このとき、本当は夫婦の実態があるのに、入国管理局からはそれを否定され、離ればなれにならざるを得ない方々を間近に見ると胸がつぶれそうな思いになります。
 そこで、ちょっと同性婚について考えてみました。


 日本の法律には現在、同性婚を認めないという条文はありません(松井茂記「法学教室」331、164頁)。
 じゃあ、女性同士、あるいは男性同士が婚姻届を作成し、市役所に提出したらどうなるか。おそらく受理されない。これが受理されなかった場合、憲法上の問題は何かというのが、先の法学教室の演習問題です。
 松井教授の指摘のとおり、憲法24条と14条の問題になるかと思います。
 大前提としては、「結婚する自由ないし結婚の権利は、家族を形成・維持する自己決定権の一つ」となりうるのだと思います(松井茂記・前掲)。

 で、じゃあこれを男性同士、あるいは女性同士について認めないということはどういうことかというと、つきつめていくと、やはり松井教授が指摘するとおり、「婚姻を異性間に限定する根拠は何か」「憲法24条が、婚姻を異性間のものに限定しているのかどうか」が問題になるのだと思います。
 最高裁が判断するとすれば、同性婚が否定されるなら「それが公共の福祉のための合理的な制約」にあたるか否かということとなり(松井茂記・前掲)、例のブラックボックス=「公共の福祉」って何?というところにいきつくのでしょう。
 先の外国人の方との婚姻で、共に日本に暮らしているのに、一方に配偶者として認められるべきヴィザが認められない、法的に地位が不安定という切実な不利益を考えると、これを上回る法的な利益が「公共の福祉」という名で今の日本にあるのか。
 私はないのではないかと思います。
 法律婚の制度によって、事実婚とは異なるれっきとした一線がある以上、この法律婚によって保護されるべき利益を得られてしかるべき個人がいたなら、この利益に優越するほどの「公共の福祉」は見当たらないのではないかと。
 対立利益としてあるとしたら、「同性婚の否定は同性愛者に対する偏見」(松井茂記・前掲)に行き着かざるを得ないのではないかと思います。


 この点、先をいく「アメリカの同性婚訴訟を中心に」とした、「婚姻のポリティクス」小泉明子さんの論文は興味深いものでした(民商’07 137-2-27)。
 この論文は「合衆国において、同性婚訴訟を中心としたLGBTの権利獲得の動きがどのように発展したのか、そしてその反動はいかなる主張に基づき、どのような法的状況をもたらしているのかを明らかにすることである。」とあります。LGBTとは、「Lesbian,Gay,Bisexual,Transsexualの頭文字をとった性的マイノリティの総称」です。
 当初は、原告当事者主義のボトムアップ型であった訴訟も、トップダウン型訴訟として、権利擁護団体が当初から戦略的に関わり、訴訟での争い方も、差別の強調よりも婚姻する権利そのものに訴えを絞るようになったとあります。つまり、提訴する地をどうするか、誰を原告とするかということについて、認められやすいように、戦いやすいように戦略をねって提訴したようです。
 その結果もあり、「マサチューセッツ州最高司法裁判所は州側の主張する同性婚禁止の理由、①生殖に適した環境の保持、②子の養育に最適な環境の保障、③財政保護、のいずれも退けた。」(小林・前掲)とあります。

 しかし「二〇〇四年のマサチューセッツ州における同性婚の実現は、全米各地でLGBTの権利拡大に対する反動(バックラッシュ)を引き起こした。」とあります。
 アメリカでは、「根本的に市民社会は異性婚制度を保持することに関心を持つ、なぜなら市民社会は次世代育成の促進に深く永続的な関心を持つからである。要するに、政府は子に利が関係を持つために、婚姻にも利害関係を持つ。」といった考えで、Defense of Marriage Act (婚姻防衛法)という連邦法が1996年に成立しているようです。ただ、法的な側面からその特異性および合憲性への疑いが指摘されているようです(小林・前掲)。これは、そりゃそうだろうと思うところです。

 この小林さんの論文は最後、次のように記されています。
 「同性婚の管轄外効力をめぐる問題は、グローバル化に伴い国際的な(同性・異性)カップルが増加している現在、切実な問題になりつつある。それはいまだLGBTへの法的保護がなきに等しい日本に置いても早晩出てくる問題であろう。」
 先のスペインでの同性婚をした方のブログの記述を読むと、そのとおりだと思います。在留資格と結びつくと本当により切実な問題。

 ちなみに、別の必要があってパラパラと読んでいた松岡博編の「国際関係司法入門」(有斐閣)にも次のような同性婚に関する記述があり、驚きました。
 「同性婚と日本人の婚姻用件具備証明書の様式改正について」として、日本人が外国の方式により婚姻する場合においては、当該外国官憲から、その日本人当事者が日本法上の婚姻要件を満たしていることを証する、婚姻用件具備証明書の提出を求められることがあるが、日本国から交付される婚姻用件具備証明書には、従来は相手方の性別が記載されていなかった」という。
 ところが、外国のいくつかの国においては同性婚が認められるようになり、同性婚を認める外国にそのような証明書が提出された場合、日本法上も同性の相手方との婚姻に法的障害がなく有効であると解されるおそれが出てきた」ということで、「婚姻の相手方が日本人当事者と同性であるときは、日本法上婚姻は成立しないため、同証明書を交付するのは相当でない」という通知が出されているとのことです(前掲185頁)。


 アップル社のスティーブン=ジョブズの有名なスピーチの中にコネクト・ザ・ドッツというのがありました(確か)。関係ないと思っていた点と点が結びつくという話だったかと思います。
 同性婚等について切実に考えたことは正直なところなかったのですが、映画、雑誌、本、ブログといったところで点と点が結びつき、いろいろと考えました。

 日本の法律について考えるとき、諸外国、特に英米法、裁判例等に目を広げると非常に興味深いです。
 なぜ、なぜ、なぜと問いつめた「一休さん」の「どちてぼうや」の状態になり、既存の法律、法制度に対して、所与のものとしてとらえるのではなk、「どちて?どちて?どちて?」と問い詰める。

 今、8月30日開催予定の近畿弁護士連合会での消費者夏期研修のテーマでクレジットカードに関する規制・問題点について皆で研究しており、その際、やはり諸外国はどうなのかということが議論になります。
 比較法。
 同性婚、生殖関係についても、そろそろ日本でも裁判・政治立法を通じて、新たな動きがおこってもおかしくないと思います。
 タブーなく議論できる社会。
 それは解雇法制についても、先日、大阪弁護士会で講演された神戸大学の労働法の教授、大内伸哉さんも言っていました。
 結果として解雇の規制を緩める方向で活動していた労働法学者が暗殺された、つい数年前のイタリアでの出来事だとか。労働者の解雇というタブー視されがちな事柄についても、まずは学会内、世間でも、自由に議論できる土壌が大事であるといったことでした。

 映画「4か月、3週と2日」の時代のルーマニアと比べても、自由に議論できるということはそれだけで素晴らしいなと同性婚、憲法を考えながら、久々にしみじみと感じました。

 また米国の訴訟活動にしても、ボトムアップ型からトップダウン型訴訟と変遷したというあたり、なかなか興味深いです。
 これは先日、所属会派の下半期総会においてC型肝炎訴訟弁護団の全国副団長を勤められている弁護士の方の、短いものでしたが印象深い講演を聴いた中にも通じるものがあります。
 裁判所だけでなく、世論、国会、法律を変えようというとき、単に原告個人が当事者となって訴訟をすればたれりというものではなく、訴訟戦略に留まらない戦略が大事であるといった話だと私は理解しました。

 目にしたこと、耳にしたこと、いろいろなことがリンクしていき、つながり発展していく感覚。面白いです。
 同性婚。まずは在留資格のところから声を上げていく余地があるのではないかと思います。
 「こんなのおかしい!」と声をあげるシスターローザが周りを変えていく。
 「Separate but equal 」?

 そうそう。確か90年代初め、スザンヌ=ベガが「夜中、泣き叫ぶ声、モノがぶつけられる音が聞こえて、次の日の朝、僕が傷だらけの顔になっているのを見かけても、どうしたの?って聞かないでね」といった内容の「ルカ」を歌い、その数年後、日本でも幼児虐待の問題が切実に報道で取り上げられる事件が頻発する状況となりました。90年代半ば、アメリカで「ストーカー」の本が出版されたというので雑誌で紹介されていたところ、「ふーん」という感じだったのが、ストーカー規制法の成立になりました。そして、90年代終わり、「ドメスティック・バイオレンス」という言葉が日弁連の月刊誌「自由と正義」に取り上げられた後、DV防止法の制定となりました。
 だいたい日本の社会で物事が顕在化していくのはアメリカの5年遅れくらいというのが私のたいした根拠のない実感です。
(おわり)
 

 

 

2007年12月29日 (土)

昨日の夜の出来事&「ドキュメント戦争広告代理店」【松井】

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昨日の夜の出来事・・・。  About Last Night というロブ=ロウ主演の青春映画を思い出しました。それはともかくとして、昨夜、事務所の全員で食事をしました。場所は、南森町のイル・チプレッソ。
 事務所自体は昨日で仕事納めでした。
 在学中から事務所で学生アルバイトとして働き、卒業後、そのまま残ってくれた川上さん。もう3年。去年の夏から加わってくれた大和さん。そして弁護士を目指す学生アルバイトの湯川くん。そして大橋と私。総勢5名。

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 最小単位の法律事務所は弁護士1名でスタッフ1名か2名という事務所です。大阪ではそんな事務所が何パーセント占めるのか。
 我が事務所も最小単位に近い規模の小ささです。
 2002年9月に開業してもう5年が過ぎました。
 開設当初のスタッフ立川さんや曽根さんのことは今もときどき話題に上がります。開設当初、走り出すと出てくるマネジメントの問題が山積の中、笑いを忘れずに二人には本当によく頑張ってもらいました。問題が起こっても笑い飛ばして乗り切るエネルギーが溢れていたように思います。そんな二人も大阪を離れ、今や子育て真っ最中のようです。

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 あれから5年。どんな法律事務所を目指しているのか。
 昨日、皆で食事をしながら言っていたのは、というか、いつも言っていることですが、「気取った事務所」にはならないように。というか、なりようがないということです。
 ドアを開けた瞬間、思わず緊張してしまうようなゴージャスな事務所というのももちろんあります。圧倒されるような優雅さです。
 我が事務所は、そんな方向性を目指してもそもそもそんなキャラクターでもないという弁護士二人です。
 目指すは、親しみを感じてもらえる事務所です。
 クラシック音楽はいつもかかっていますが、ときどきアロマオイルも炊いています。足を踏み入れた方がリラックスできるように。

 6年目の仕事納めの日、事務所の皆で、リラックスして一緒にワインを飲み、美味しいご飯を食べられる時間を共有できました。本当に恵まれたことだと思います。
 感謝。

 年明け2008年、進むべき道は見えています。
 事務所一丸となって、開設当初の「ドラえもんの理念」を実践していきたいと思います。

 「平和アンテナから出る電波は、どんな争いもぴたりと止めるんだ。」

 平和アンテナを手に理想に燃えるドラえもんのポスター(事務所に飾ってあるもの)
 ↓ 
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 法律を道具に、争いのない世界を目指して。平和アンテナのような事務所に。
 ありきたりですが、紛争解決、そして何よりも紛争予防。


 皆さま、よいお年をお迎えください。
 そしてまた来年、どうぞよろしくお願い致します。

(おわり)


追記 
 年末、「ドキュメント 戦争広告代理店 ~情報操作とボスニア紛争」(高木徹、講談社文庫)という本を読みました。いろいろと示唆に富む本です。プロフェッショナルの凄さを実感しました。
 ただ笑えるのは、最後、クライアントであるボスニア・ヘルツェゴビナ共和国と代理店であるルーダー・フィン社との決裂のきっかけは、フィーの支払いを巡ってだったという点です。弁護士代理人としても生々しい話です。
 いずれにしてもルーダー・フィン社のジム=ハーフ氏らは、PR会社としてプロフェッショナルとしてのサービスを提供したのは間違いないかと。
 PRというのは、Public Relations の略であり、著者曰く「きわめてアメリカ的な概念であるため、未だにこれといった日本語の訳語はない。PR企業のビジネスとは、さまざまな手段を用いて人々に訴え、顧客を支持する世論を作り上げることだ。」とあります。
 この「さまざまな手段」という点が、プロのプロたる所以で本領発揮のところなのでしょう。プロ中のプロとそうでない者との手腕の差、落差も描かれたドキュメンタリーの本でした。年末、改めて「プロフェッショナル」というものについて考えました。「プロフェッショナル」。茂木健一郎さん、大好きです。ときどきブログチェックしています。来年も期待。
 ジム=ハーフ氏はその後、自らのPR会社を設立。
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