弁護士のセカンドオピニオン【松井】
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5月3日の日経朝刊で、顧問弁護士を利用する大企業でも要所要所で顧問以外の弁護士に意見を確認するセカンド・オピニオンを利用しているという記事が載っていました。
11年前、弁護士業を始めたときからずっと思っていたこと、司法修習生のころからずっと思っていたことですが、個人こそ複数の弁護士に意見を聞くようにした方がいいとずっと思っていました。
個人ですらなのですから、企業であればなおさらだと思います。
となるといきつくのは、弁護士と「顧問」契約をするというのは実は不合理なのではないかということです。
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セカンド・オピニオンというのは、医師の世界でよく目にするようになっていった単語でした。
病気になる。医師の診察を受ける。そして治療を受ける。治癒すればいいのですが、一向に治癒しない。医師に対する不信感。別の医師に診察を受ける。違う診断を受け、違う治療を受ける。そして治癒する。
なぜこれが今までスムースにいかなかったのかというと、最初にかかった医師への義理立てだけだと思います。
そうした医師に対する気兼ね、壁が低くなってきて、以前よりもセカンド・オピニオンを求めるのが普通のこととなってきたということです。
他方で、これがいきすぎると、ドクター・ショッピングとも言われたりするようですが。
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これを弁護士についてみると。
個人の方でよくあるのが、最初に知り合いなどから紹介された弁護士にそのまま依頼してしまうということだと思います。
しかし、違和感がある。
この弁護士さんは本当にこの分野について経験があるのかな?
熱心に私の仕事に取り組んでいるのだろうか?
などと違和感を感じながらも、紹介者や弁護士への義理立てから、違う弁護士にあたってみることが出来ない。
しかしテレビ番組「行列が出来る法律相談所」を見てもよく分かるように、一つの問題でも4人弁護士がいたら4つの異なる意見が出てくるのが法律の世界です。
裁判の世界に絶対はないと思います。なぜなら、裁判は、絶対的真実の探求ではなくて、主張立証の世界だからです。
勝つ裁判であっても、しかるべき主張立証がなされていなければ当然、負けます。
私が集中的に取り組んでいる相続の分野に限らず、離婚や交通事故、労働事件といった一見、どんな弁護士でも処理できそうな分野であっても、あたる弁護士によって結論が異なることは十分ありえます。
以前残念ながら見かけたのは、現象と原因を分けて考え、訴訟では原因を主張立証する責任がある建築瑕疵訴訟で(例えば、雨漏りが現象であり、雨漏りが生じる原因は何なのかが原因。)、ひたすら現象だけを主張立証して、最高裁まで争い負けていた事件です。その方は、判決が確定してから、さらにどうにかならないかとようやくセカンド・オピニオンを求めて、建築問題研究会に相談に来られていました。訴訟記録を拝見した相談員たちは、うなだれることしかできませんでした。
医師の世界では、医療過誤訴訟の経緯もあってか、自院では手に負えないと判断すべき症状に対しては、より専門的な病院を紹介すべき責任があると言われています。
今後、弁護士の世界も同じ注意義務が法的にも認識されていくことになると思います。
自分一人では対応できない、自分の経験能力の限界を知り、認めること、それが依頼者への誠実な説明義務になると思います。
弁護士自身、自己の判断以外の判断があり得ると思うのであれば、他の弁護士にもあたってもらっても構わないと敢えていうべきなのだと思います。
顧問弁護士のメリットは、その企業の業務をよく知ることになることくらいだと思います。しかし、顧問じゃないと対応できないのか。そんなことはないと思います。
そうであるなら、個人でも、企業でも、個別の案件ごとに当該問題の経験と知識が豊富な弁護士を捜し、その弁護士に相談依頼し、適切なアドバイスを受ける機会を設けるというのが、消費者目線の法律サービスなのだと思います。
「顧問」という名で、毎月定額の報酬をもらい縛る必要は、一定期間を見る必要のある顧問税理士ならともかく、弁護士の場合はただの慣習に過ぎないということになっていくのだろうと思います。
弁護士を消費する消費者の選択肢が増えるということだと思います。
まあ、一方で、自分の聞きたい言葉だけを探し続け、意に添わない意見を言う弁護士を切っていくという、弁護士ショッピングというのもあるのでしょうが。それはその方自身がまったく不幸なことです。誰も助けてはあげられないけど。
追加
実は、相続がらみで各種訴訟をいくつかせざるをえず、長年にわたって依頼を受けてきた依頼者の方が、以前、方針説明をしていたとき、「ああ、市役所で相談した弁護士さんも同じことを言ってましたわ。」と口にされたことがあります。そうです。私に依頼していた事件について、市役所の無料法律相談で別の弁護士さんに相談されていたのです。確かに、気持ちはがっくり来ました。信頼されていないんだなと。ただ、それを私に無邪気そうに口にされることから特に悪気はないのだろうと思い、苦笑して流したことがありました。苦い思い出です。「そうですか。よかったです。」と答えて流しました。
(おわり)
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