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08 弁護士業務

2010年5月 5日 (水)

弁護士のセカンドオピニオン【松井】

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 5月3日の日経朝刊で、顧問弁護士を利用する大企業でも要所要所で顧問以外の弁護士に意見を確認するセカンド・オピニオンを利用しているという記事が載っていました。
 11年前、弁護士業を始めたときからずっと思っていたこと、司法修習生のころからずっと思っていたことですが、個人こそ複数の弁護士に意見を聞くようにした方がいいとずっと思っていました。
 個人ですらなのですから、企業であればなおさらだと思います。
 となるといきつくのは、弁護士と「顧問」契約をするというのは実は不合理なのではないかということです。

2 
 セカンド・オピニオンというのは、医師の世界でよく目にするようになっていった単語でした。
 病気になる。医師の診察を受ける。そして治療を受ける。治癒すればいいのですが、一向に治癒しない。医師に対する不信感。別の医師に診察を受ける。違う診断を受け、違う治療を受ける。そして治癒する。
 なぜこれが今までスムースにいかなかったのかというと、最初にかかった医師への義理立てだけだと思います。
 そうした医師に対する気兼ね、壁が低くなってきて、以前よりもセカンド・オピニオンを求めるのが普通のこととなってきたということです。
 他方で、これがいきすぎると、ドクター・ショッピングとも言われたりするようですが。


 これを弁護士についてみると。
 個人の方でよくあるのが、最初に知り合いなどから紹介された弁護士にそのまま依頼してしまうということだと思います。
 しかし、違和感がある。
 この弁護士さんは本当にこの分野について経験があるのかな?
 熱心に私の仕事に取り組んでいるのだろうか?
 などと違和感を感じながらも、紹介者や弁護士への義理立てから、違う弁護士にあたってみることが出来ない。
 しかしテレビ番組「行列が出来る法律相談所」を見てもよく分かるように、一つの問題でも4人弁護士がいたら4つの異なる意見が出てくるのが法律の世界です。
 裁判の世界に絶対はないと思います。なぜなら、裁判は、絶対的真実の探求ではなくて、主張立証の世界だからです。
 勝つ裁判であっても、しかるべき主張立証がなされていなければ当然、負けます。
 
 私が集中的に取り組んでいる相続の分野に限らず、離婚や交通事故、労働事件といった一見、どんな弁護士でも処理できそうな分野であっても、あたる弁護士によって結論が異なることは十分ありえます。
 以前残念ながら見かけたのは、現象と原因を分けて考え、訴訟では原因を主張立証する責任がある建築瑕疵訴訟で(例えば、雨漏りが現象であり、雨漏りが生じる原因は何なのかが原因。)、ひたすら現象だけを主張立証して、最高裁まで争い負けていた事件です。その方は、判決が確定してから、さらにどうにかならないかとようやくセカンド・オピニオンを求めて、建築問題研究会に相談に来られていました。訴訟記録を拝見した相談員たちは、うなだれることしかできませんでした。
 
 医師の世界では、医療過誤訴訟の経緯もあってか、自院では手に負えないと判断すべき症状に対しては、より専門的な病院を紹介すべき責任があると言われています。
 今後、弁護士の世界も同じ注意義務が法的にも認識されていくことになると思います。 
 自分一人では対応できない、自分の経験能力の限界を知り、認めること、それが依頼者への誠実な説明義務になると思います。
 
 弁護士自身、自己の判断以外の判断があり得ると思うのであれば、他の弁護士にもあたってもらっても構わないと敢えていうべきなのだと思います。
 顧問弁護士のメリットは、その企業の業務をよく知ることになることくらいだと思います。しかし、顧問じゃないと対応できないのか。そんなことはないと思います。
 そうであるなら、個人でも、企業でも、個別の案件ごとに当該問題の経験と知識が豊富な弁護士を捜し、その弁護士に相談依頼し、適切なアドバイスを受ける機会を設けるというのが、消費者目線の法律サービスなのだと思います。
 「顧問」という名で、毎月定額の報酬をもらい縛る必要は、一定期間を見る必要のある顧問税理士ならともかく、弁護士の場合はただの慣習に過ぎないということになっていくのだろうと思います。
 弁護士を消費する消費者の選択肢が増えるということだと思います。

 まあ、一方で、自分の聞きたい言葉だけを探し続け、意に添わない意見を言う弁護士を切っていくという、弁護士ショッピングというのもあるのでしょうが。それはその方自身がまったく不幸なことです。誰も助けてはあげられないけど。

追加
 実は、相続がらみで各種訴訟をいくつかせざるをえず、長年にわたって依頼を受けてきた依頼者の方が、以前、方針説明をしていたとき、「ああ、市役所で相談した弁護士さんも同じことを言ってましたわ。」と口にされたことがあります。そうです。私に依頼していた事件について、市役所の無料法律相談で別の弁護士さんに相談されていたのです。確かに、気持ちはがっくり来ました。信頼されていないんだなと。ただ、それを私に無邪気そうに口にされることから特に悪気はないのだろうと思い、苦笑して流したことがありました。苦い思い出です。「そうですか。よかったです。」と答えて流しました。

(おわり) 

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2010年4月17日 (土)

死にかけた話 〜がんばれルーキー〜【松井】

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1 
 一か月ぶりくらいのブログです。この間、本当にいろいろなことがありました。
 気持ちもようやく落ち着いてきました。まずは散々、あちこちで話した話になるのですが、自分のまとめの意味もこめて、ここで「死にかけた」ことを書いておきます。
 これからはまた、1週間に一つは、自己鍛錬の意味もあってブログを書き綴っていきたいと思います。思ったこと、考えたこと、感じたこと、経験したことをこうして文字にすることに技術的にも意味があると思うので。

2 
 前回書いたように、1週間ほど、「自然気胸」ということで入院し、胸腔ドレナージだけで退院しました。
 1週間後、抜糸の日に病院に行き、念のためということでレントゲンを撮ってみると。
 「松井さん。今日、入院やわ。明日、手術しよ。」
 と言われました。
 見せられたレントゲンの画面では、問題の左肺、今度は下の方が白っぽくなっていました。
 主治医ははっきりとはいいませんでしたが、おそらく退院した時点の穴がまだ完全に塞がらず、また空気漏れが生じていたようです。
 どうりでこの1週間、相変わらず胸が痛んだりしたはずでした。ちょっとした階段を上がっただけで息が上がっていたはずです。そして何よりも。ずっと一週間、ケホケホと咳をしていました。


 手術。
 入院後、翌日と言われていたのが、翌々日になりました。
 なぜ手術するしかないのか。
 A4二枚の紙を手渡されただけでした。大丈夫。ネットでも調べているし。空気漏れの原因のブラを切除する手術。内視鏡手術。
 主治医に説明を求める行動はほとんどとっていません。
 某所から、主治医の技術は悪くはないという信頼できる情報を得ていたので、「主治医に愛想は求めない。きちんと手術してくれたらそれでいい。」という思いでした。
 ただ、手術は主治医一人でするものではありません。
 全身麻酔をかける麻酔科医が手術室にはいました。

4 
 手術当日、15時ころの予定、場合によっては時間が変動するとは聞いていました。
 前の晩0時から、飲まず食わずです。
 朝からは、点滴で栄養水分補給です。
 切除予定のブラについては、MRIの画像を見せられ簡単な説明は受けていました。
 原因として怪しいものがいくつかある、ただ、うち一つはもしかしたら動脈に張り付いているかもしれない、開けてみないと分からない、動脈と張り付いていたら触らないでおくという説明でした。
 もし動脈が傷ついたら。。。などといろいろ妄想が走り出します。

 15時と言われていたのが、17時になったと昼過ぎに告げられました。
 いったん緊張がほぐれていると、15時前、今から手術しますと病棟のナースに告げられました。
 あれよあれよという間にドレナージを引きずって、手術室の方に歩いて向います。
 手術室の前では、前日、挨拶をしにきた手術室ナースが「昨日の○○です。」と挨拶しくれて、一瞬ほっとしたのもつかの間、一緒に手術室に入ると、ベッドに寝るように言われ、横たわるとすぐに両腕を拡げて固定作業にとりかかられました。
 
 全身麻酔。
 聞いていたのは、「点滴を差した腕が少しチクチクして、痛いなと思ったら、もう麻酔が効いて眠りにつきますから。」
 そのつもりで横たわります。

 ただ、手術室ナースがごそごそと準備をしていると、頭の上の方で男性の不機嫌な声が聞こえます。
 「誰がこんなやりかたをしたんや。こんなんしたら使えやんやんか。」
 「ベッド、なんでそっちなんや。もっとこっちやろ。」
 ナースの息をのむ沈黙が手に取るように伝わります。すると、私が横たわったベッドが横に移動させられました。
 頭の上の方の男性はブツブツ言っています。
 何か、嫌な空気だなあ。仲、悪いんだろうな。この麻酔科医はナースからは嫌われ者だろうなとすぐに想像せずにはいられませんでした。

 こんなことを考えていると、何の声かけもなく、いきなり顔にマスクを被せられました。しかし乱暴につけられたので、目玉のところに渕があたっています。
 腕がまだ動いたので、「目にあたって痛い」と腕で指差すと、一応つけ直されました。乱暴に。

 マスクはぴったりつくっついています。
 ああ、息が出来るわーと思っていると。
 ふー、ふー、ふーっ。
 だんだんと息が吸えなくなっていきます。

 おかしい!窒息死するやんか!
 頭の上の男が、不機嫌で、乱暴に仕事をしてミスったに違いない!なおせ!

 しかし、両腕はもうしっかりと固定されて動きません。さらに、息ができずマスクがあって声も出ません。
 ほんの4、5秒のことですが、イライラしていた麻酔科医の単純ミスによって、このまま「窒息死」というのが瞬時に頭をよぎりました。
 腕も動かない、声もでない。
 最後の手段。
 足をベッドの上で思いっきり蹴り上げ、文字通り「ジタバタ」としました。
 そこでガクッと、意識がなくなりました。


 名前を呼ばれて意識が戻ったとき、「あ、生きていた」と思いました。
 麻酔事故で窒息死したと思いました。
 まさに「死ぬ」という瞬間を擬似的に味わいました。
  
 ベッドで横たわり、名前を呼ばれて、手を握り返し、うつらうつらした状態で、ベッドを移動し、ナースステーションの横の個室に移動されたことが分かりました。
 体は動かないけど、だんだんと意識が戻ってきます。

 そして、だんだんと。
 怒りが込上げてきました。

 「絶対、あの麻酔科医を訴えたる。内容証明郵便や。あ、院長宛にもしやな。」
 「いくらが妥当なんだ。死の恐怖、窒息の苦痛。日航機事故のとき死の恐怖の慰謝料という裁判例があったような気がする。100万円くらいか。許さん!」

 寝ながら、頭はカッカッかとするのですが、体は動きません。
 そうして一晩が過ぎました。
 体が痛くてほとんど夜も眠れませんでした。

6 
 今回の入院は4人部屋です。
 部屋に戻ると、主治医が様子を確認しにきました。麻酔の文句はやはり面と向っては言えませんでした。
 手術後、3日目、麻酔を担当した麻酔科医ですといって男性が現れました。
 ぼーっとした感じの20代後半くらいの今時の若者風の人でした。
 「喉は痛くないですか?」「喉は大丈夫ですか?」
 やたら喉のことを聞いてきます。
 喉よりも何よりも、麻酔の掛け方だ!と文句を言うつもりだったのですが、そのあまりにもぼうっとした様子を見て文句を言う気も失せました。
 「喉も次の日は痛かったのですが、今はもう大丈夫です。ありがとうございました。」
 大人の対応をしてしまいました。
 

 そして、主治医の確かな腕と病院のナースの皆様方のチェックのおかげで、当初よりも4日間ほど遅れましたが無事に10日間の入院で退院できました。
 ありがとうございました。
 医療技術はすごいなと身をもってありがたく思いました。
 退院の喜びで、麻酔科医に対する怒りもどうでもよくなってしまいました。

 その後、この麻酔の話は、「死にかけた話」として笑い話としてあちこちで語っています。
 ただ、ナースをしている知人からは「危なかったですね。」と言われました。
 また、手術室ナースをしている友人には、「ヤブ麻酔科医やな。」と言われました。
 また、医療過誤事件を多く手がける友人弁護士からも、「それはヤバかったんじゃない。」と言われました。その際、弁護士には、じゃあ、今からでも責任追及できるのかと問うと、「今、ご飯、美味しく食べれてるんでしょ。」と返されました。
 「先生、今は確かに美味しくご飯を食べれているけど、あの時のあの苦痛、あの恐怖は存在するんです。」と訴えても、友人医療過誤弁護士からは鼻で笑われて相手にはされませんでした。
 弁護士は共感力が大事だということをここでも身を以て学びましたw
 「弁護士さんは私の気持ちを分かってくれない!」

 ということはともかくとして。
 若手の麻酔科医。
 確かに、弁護士でも、医師でも、警察官でも、消防士でも、何でも、専門職は特に誰でも「初めて」のときはあります。
 取り返しのつかない失敗じゃない限り、小さな失敗はあることだろうと思います。それが、ベテランとルーキーの違い。
 分かっています。結果オーライ。今回は大丈夫。

 問題はこれから。
 次は、がんばってくださいね、麻酔科医さん。
 私が手術室の台で最後、足をジタバタさせたこと、気づいていたらきっとその後、手術室は一瞬騒然としていたかもしれないと友人手術室ナース談。
 私の場合、たぶん、筋弛緩剤がまっさきに効いたのだろうということです。
 この失敗を次にどう生かすか。
 病院で情報は共有されるのだろうか。
 期待しています。
 
 
 なお、今回の手術入院で依頼者の方々には大変ご迷惑をおかけしました。もう大丈夫です。この経験を生かしてさらに共感力を高め、技術を高めるよう精進いたします。

(おわり)
*三途の川の向こうに行くところでした。。。
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2010年2月20日 (土)

専門家のコミュニケーションの意思〜39歳、初めての病気入院〜【松井】

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 先日、背中の肩甲骨のあたりが今迄に感じたことのない刺すような痛みが続くことがありました。
 肩こりがひどくなったのかと気にはなっていたのですが我慢できない痛みでもなく放置していました。
 数日後、電車に乗っていると、呼吸しにくくて苦しさを感じることがありました。
 その翌日の朝、道を歩いていると、目眩がして、呼吸が本当に苦しく、右足がガタガタと震えて、このまま道端で失神してしまうのではないかと思う状態になりました。ぐっとふんばって耐えたら、その後持ち直しました。その日、そのまま日帰り東京出張に出かけました。取りやめにしようかとも思ったのですが、行かないわけには行かず、なんとか新幹線に乗り、ひたすら背もたれに身を預けてぐったりとしていました。
 翌日、さすがにまずいと考え、午後診で近所の内科を受診しました。症状を伝えると、すぐにレントゲンを撮られ、「気胸やわ。」と言われました。見せられた肺のレントゲン写真は、左胸の上部の方だけが黒くなっていました。肺が破れ、もれた空気が胸腔内に溜まり、肺を圧迫しているということでした。
 紹介状とレントゲン写真を渡すから、すぐにこの病院へと言われました。
 今からですか?と訊くと、何をバカなことを言っているのかという顔をされました。

2 
 タクシーで、紹介された病院に行きました。すぐにまたレントゲン写真を撮られ、「気胸や。」と言われました。「入院できる?すぐに処置が必要やわ。」と。
 管を差して、空気を抜くということでした。
 息は苦しいのですが我慢できないほどではありませんでした。
 しかし、これはやはり動き回らない方がいいのかとその場の空気を察し、そのまま即入院になりました。
 近所の内科を受診して2時間後、病院のベッドで横になり、脇腹に麻酔を打たれて管を入れられました。
 あまりの痛さに身動きできず、またレントゲンを撮る際には座薬を入れられたうえで車いすで運ばれました。
 そのまま2日間、夜もよく眠れず、ひたすら内蔵にあたる管の痛みに耐えるだけの日々でした。
 
 入院直前、慌てて依頼者の方々に連絡をとり、直接にお電話で話をしたり、スタッフの方から事態を説明してもらって、予定していた打ち合せをキャンセルさせていただきました。
 幸い、裁判期日は次の火曜日まで入ってはいませんでした。また翌日は、祝日。なんとかなおそうと思いました。


 うまくいけば金曜日には管が抜けるとのこと、当日、CTを撮りました。肺の空気はほとんど減ってはいませんでした。管を差したのは若手の医師でした。主治医のベテラン医師曰く、「管の位置が『効率の悪い場所』にあった。」ということでした。管を差し直すということになりました。
 今度はベテラン医師です。チクっとする痛みに耐え、8cmほど管を抜いたといことでした。
 このまま月曜日まで様子を看るということになりました。
 数日経過して慣れたせいもあるのか、ようやく管を入れていることの痛みもそれほど感じなくなりました。
 しかし、お風呂には入れません。何もしなくても、人の体は油を帯び、独特の臭いを発し、髪の毛もべったりとしてくることが分かりました。
 チェスト・ドレーン・バックを据え付けたローラー付きポールを手にして、ようやく1階の売店などにも一人で出向けるようになりました。
 しかし、常に、脇腹からは管が出て、自由には動けません。
 ものすごい無力感を感じました。


 そして月曜日、肺のもれは治まっているようだということで、管を抜きました。若手医師が担当です。様子を見て、翌日退院ということになりました。
 翌日、レントゲンを撮ると、肺の空気が抜けきっていないということでした。
 退院できるという喜びが一瞬のうちに引いていきました。
 困った表情を見せながら、医師は、自然に消えると思うので一応、退院にしておこう、苦しくなったらすぐに来て、と言って、病室を去っていきました。
 そして、午前9時30分、退院しました。個室の料金8万円ほどどと医療費8万円ほどでした。


 こうして初めての病気入院の6日間が終わりました。
 ご迷惑をおかけした依頼者、ご相談予約の方々には大変申し訳ありませんでした。
 若くて、背が高く、やせ形の男性に多いというこの病気。なぜ私がなったのかは分かりません。特に管楽器を演奏するということもなく。運動は週に一度、1500mを泳ぎ、さらにはヨガ教室でヨガをしていました。それなりに運動はして、健康管理に努めているつもりでした。
 「健康管理は責任感から」という言葉もあるようですが、自身ではどうしようもないことがこの身に起こります。
 また、「病院」という特殊な場所においては、患者は本当に無力だということがよく分かりました。
 最初の夜は、痛みと情けなさとで、消灯の21時以降、暗い中で、ブクブクブクブクとドレーン・バックの音だけが聞こえていると、自分が金魚鉢の中に入れられたようで、泣きたくなりました。
 痛みが取れたら取れたで、ただあまりにも非日常のため、スタッフに仕事道具を持ってきてもらっていたのですがなかなか集中してとりくめず、結局、友人がもってきてくれた「ノルウェイの森」上下巻をベッドの上で読むくらいのことしか出来ませんでした。
 また、このまま空気が抜けず、手術をせねばならないとなったらどうしよう、その手術でもしかしてミスがあったらとグルグルと考えてしまい、「遺言書」を書いておこうかという気持ちにもなりました。入院を経験すると遺言書を書きたくなるというのは本当でした。


 そして何よりも考えたのは、「病院」という特殊な空間において働くドクターやナースの働き方と「法律事務所」で働く人々との対比です。
 今回、ドクターは若手もベテランも、私に言わせれば信じられないほどのコミュニケーション能力のなさでした。私の病状、今後について、きちんと時間をとって説明するということがほとんどありませんでした。唯一あったのは、2日目、CTを撮ったあとのCT画像を見せながらの説明のときくらいでした。
 ドレーンも、その管に出た液が何を意味するのか、どういう状態ならどういうことなのか、気胸という病気はどういうものなのか、退院後、どういうことに気をつけたらいいのかといった、患者として知りたいことについては何も積極的な情報発信がありませんでした。
 驚きでした。
 なぜなら、私もまだまだ不十分かもしれませんが、自身が法的なこと、訴訟手続きのことなどを依頼者の方に説明する場合、極力、理解を確認しながら、本当に理解してもらっていることを確認しようと務めながら接していたからです。そういった意欲はまったく感じませんでした。
 様子を病室に看に来ても、ドレーンの様子をみたら、さっと病室を出て行ってしまいます。
 忙しいのだろうからと思い、私もいちいち説明を求めること、質問をすることももうしませんでした。なんだかこの人たちにそういうことを求めても無駄なような気がしていたからです。初診の際から、レントゲン写真を見せつつ、あとは電子カルテの記入入力をひたすらおこなって画面の方ばかり見て、患者の方を看ようとはしていない姿に驚いていました。ベテラン医師がそういう態度であれば、当然、その弟子の若手も同じような態度を患者にとるものだろうと納得していました。疑問にも思わないのだろうと。
 
 またナースの方々も、多少、愛想はあったものの、似たような印象を受けました。脈拍をとる、聴診器で胸の音を聞く、指に機械を挟む。でもその機械が何の機械で、数値が何を意味するのか、聴診器で聞いた胸の音に異常があるのか、ないのか。何も言わないということは、まあ悪くはないのだろうと理解せざるをえませんでした。
 
 一言で言うと。
 全てが流れ作業で、機械的でした。

 これが今の病院の一つの姿なのかと驚きました。
 ナースの中には、もちろん積極的に声をかけてきてフレンドリーな方もいらっしゃいました。友人のナース曰く、今の病院は「感情労働」であって、本業以外のところで神経をすり減らし疲れるということだったけど、確かにそういう面もあります。
 ただ、患者としてまったく無力な状況で病院という施設に入り、なすがままでしか存在がありえないという者にとって、このような「病院」の存在は余計な不安感をさらに与えるだけなんだろうと思います。
 私の場合、ネットで気胸の情報を確認したり、ナースの友人からいろいろと教えてもらって安心を得ました。
 なので、今回は、多くを求めず、とにかく水準の医療行為をしてもらえたらそれでいいと自分で納得していました。コミュニケーションはとれないけど、客観的な行為としてしかるべき医療行為、判断をしてくれて、治ればそれでいいと思いました。

 ただ、何も分からない無知な立場の人にとって、その不安感を解消させるのは「情報」と「コミュニケーション」だと実感しました。ただ黙々としかるべき専門家としての行為をしていれば、それで専門家として事足れりというものではないと。
 
 「法律事務所」に「弁護士」を訪ねて相談に来られる方々も同じ気持ちなんだろうと思います。慣れれば、別にどうということはないのですが、初めて弁護士に相談するとなると、自分は何も分からない無知な状況で、知識と経験のある人の力を借りにくるのだと思います。
 そのとき、弁護士や法律事務所のスタッフが、相談者とコミュニケーションをとろうとはせず、機械的に対応したら。
 水準の行為をしていたらそれでいいのか。
 相談者にしたら、分からず、放り出されたような感じで、自分の知らないところでことが動き、泣きたくなるのではないかと思います。
 
 今回、本当にいい経験でした。
 そしてまた。「気胸」というすぐに深刻な状態等になることはない程度の病気で良かったと思います。
 「一病息災」ということで、これからの日々を過ごしていきたいと思います。

追記 弁護士1年目のとき、遺産分割の審判までを他の弁護士に依頼していたという方が、その弁護士に不満を抱き、即時抗告を他の弁護士に依頼したいということで、私が担当になったことがありました。その方のお話をお聞きして、なるほどと思っていました。曰く、とにかくその前の弁護士は、その依頼者との方との「時間」をとっていなかったのです。期日、裁判所で待ち合わせをしても、会ってそのまま部屋に入り、終わったらそのままサッと一人立ち去っていく。依頼者の方にしたら、本当に相手にされていない、話ができないという不満感を持っていたのです。客観的には、それなりに書面上、きちんと仕事をされていたように見えました。しかし、いくら客観的に素晴らしい仕事をしたとしても、依頼者の方にそのことが伝わっていなければその仕事は存在しないに等しいものだということを一年目にして分かったのは私は幸せでした。独立して自分で仕事をコントロールできるようになってから、極力、時間を取るよう努めてはいます。それで依頼者の方が本当に納得していただいているかどうか、もしかしたらご不満をおもちのこともあるかもしれませんが。
 ただ。不満の声は、本人の耳には入りません。。。私の耳には入らない。法律事務所も、弁護士も「お客様アンケート」を実施すべきなのかもしれないなどと考えています。

(おわり)
 
*朝食。なんとなく泣きたくなるような姿でした。
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2010年1月26日 (火)

年賀状と離婚事件の元依頼者の方々~「代理人」制度~【松井】

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 先日、お年玉くじ付き年賀状の当選番号発表があったようです。昔は、いただいた年賀状からちょと期待しつつ番号チェックをしたものですが結局、記念切手しか当選したことはなく、そのうちに番号チェックもしなくなってしまいました。
 この年賀状、知り合いの方々の中では、いろいろと思うところあられて葉書ではださずにメールやウェブで新年の挨拶をされるかたも少なくはありません。
 私も、年末の大慌ての事態を迎えると今年でもう止めようかなという気持ちにもなったりします。


 ただ、宛名書きや図柄などは印刷するのですが、一人一人送り先を確認するとき、さらにはひと言添えるとき、その時間が非常に大事だなと思います。
 名簿を確認しているときもそうですが、印刷された葉書を手にとり、宛名を確認するとき、その人のことを考えます。そして、その人と自分との間柄、過去の出来事を振り返ります。
 年末、twitter上で年賀状のことが話題となったとき、「年賀状」は「感謝状」だと表現されている方がいらっしゃいました。
 その人のことを思い、ありがとうという気持ちになる大事な時間が年賀状をしたためるときだと。
 そのとおりだと思います。
 
 そして年明け、私にとっていただいた年賀状で毎年、なによりも安心するのは、過去、担当させていただいた離婚事件の当事者の方々からの年賀状です。
 元気なお子さんの写真付きのものだったりすると、ああ、あの当時、あれほど小さかった子が小学校に入学し、こんなに大きくなっている、添えて頂いている言葉からも落ち着いた様子がうかがえて、ほっとした笑顔が自然ともれます。
 また、ご自身の近況も添えていただいた年賀状をいただいたりすると、これも、「ああ、お元気で働いておられるんだな。」と安心します。

3 
 会社の依頼者の方でも担当者や社長さんから近況をいただいたり、その他多くの終わった事件の依頼者の方々から、ひと言近況が添えられていると、当時の事件や依頼者の方との会話を懐かしく思い出したりします。そして、現在の落ち着いた様子に安心します。

 ただ、依頼者の方の中でも、ひときわ安心するのがやはり離婚事件の依頼者の方々です。なぜなら、依頼を受けた事柄として、その方のもっとも重要な人生の岐路に関わらせて頂いたことになるからだろうと思います。
 まだ結婚されて1年ほどであったり、30年以上経ってからの離婚の決断であられたり。お子さんはまだ赤ん坊だったり、4歳だったり。
 弁護士としてお手伝いさせていただく状況だったということは、やはりご本人だけでは対処しがたい困難な状況に置かれていた方々です。
 そこで無事に、調停離婚が成立したり、あるいは裁判となって離婚判決を得たり、和解で終わったり。法定の手続を経て、解決に至っています。
 そこにおいては、どうしても「あのときこうだった、このときこうだった」というやりとりが主になります。それは、自身でも後悔する言動であったり、怒りが再燃するような言動も出てきます。
 そういった事柄と向き合い、自分の人生は自分で決断して自分で道を拓いていくしかないときりひらいていかれた方々です。

 相手は、夫であろうが妻であろうが、そのときいったんは自身で選ばれた道です。その道を否定するかのような選択をするのは、無意識の中においても辛いものがあるだろうとは思います。
 そこに「代理人」として関わらせていただき、依頼者の方の荷物を運ぶのを手伝わせていただき、ちょっとでも楽な気持ちになっていただき、対外的な代理人活動をして、ご一緒に新たな道を模索していきます。
 
 正直なところ、わたしは代理人活動をするにしても一番しんどいのが離婚事件の代理人です。
 依頼者の方のずっしりと重い思いにまず共感させていただかないと仕事としては進まないものだと思っているからです。
 離婚事件については、弁護士のところに相談に来る前に「弁護士以外」の方にお金を払って相談されている方も意外と多いようです。
 ただ、そういった「弁護士以外」の方と「弁護士」の一番の違いは、「代理人」として活動できるかどうかです。「代理人」にならない場合は、いわば横からの助言人に過ぎないのではないかと思います。「代理人」になるということは、対外的にその方を代理することであって、いわば一部を引き受けたような重みが生じます。
 またそれが、相談者にとっては、「弁護士への依頼」のいいところではないかと思います。
 弁護士に依頼することによって、重い荷物を一人で抱えるのではなく、いっしょに下から支えてくれる人が加わったような気持ちなるのではないかと思います。
 自分が直接に相手と話をしなくてもいい、これが大きな救いになると思います。それが「代理人制度」。
 弁護士法によって、対価をもらって代理人として法的な事柄に関われるのは弁護士だけだとされています。
 その制度趣旨の是非はともかくとして、「代理人制度」は素晴らしい制度だと思います。プロ野球選手の契約更改においても、なぜ野球一筋で来た人が自ら、複雑な自身の権利関係に関する交渉に当たらないといけないのか。この点だけでも、別のプロに任せられたら自身は野球に専念に出来るのに、というものだと思います。
 
 自身の事柄は自分一人で解決しないといけない、というものではありません。もちろん、最後の決断をするのは自分しかありませんが、その過程においては一緒に荷物運びを手伝ってくれる人にお金を支払い、助力を依頼してもなんの問題もありません。荷物運びのプロ、その道のプロというものがいます。
 利用できるなら利用された方が結局、ご自身にとってプラスだろうと思います。

4 
 今年の年明け一月、大阪弁護士会への登録によって年間で割り振りをされている某市役所への無料相談会の担当者として2回ほど相談担当をしました。
 気軽に弁護士に相談に行けるよい制度だと思います。
 そこでは一人25分で、7名の方の相談を3時間で受けることになっています。
 やはり多いのは、離婚のご相談です。以前は、多重債務の相談が多かったのですが、さすがに最近は減ってきたことを実感しています。
 ただ、絶えずあるのが離婚のご相談です。
 そこでまず問いかけるのは、「あなたはどうしたいのですか。」ということです。
 その上で、助力が必要なら弁護士に依頼すべきです、と。助力が必要というのは、法的な対応の仕方によって結論が異なりそうなときです。もし弁護士に依頼する費用が用意できないというのなら、通常「法テラス」によって立替制度もあることを伝えます。また、大阪弁護士会では弁護士紹介というサービスをしているので、知り合いに弁護士がいなければそのサービスを利用したらよい旨も伝えます。

 25分だけの相談です。その中で先の見通しがたってほっとされる表情を見せる方もいらっしゃいますが、その後、その方が弁護士のもとに行っているのか、依頼されているのかは分かりません。
 弁護士に相談し、依頼するのかどうか、法律・交渉の専門家である弁護士に代理人活動を依頼し、助力を要請するのかどうか。
 それもその人自身の大きな判断・決断の一つです。
 そして弁護士に依頼するときに、どういう弁護士に依頼するのか。
 すべては自身の選択と決断です。

 年末、年賀状を作成したり、年明け、いただいた年賀状を手にとっていると、ああ、この仕事は本当に人ととの出会いだな、いい方々と出会えて幸せだったなと実感します。
 
 相談される方々が、そう思える弁護士に出会われることを祈っております。
 
 また、自分がそう思われる弁護士の一人であるように精進したいと思います。
 「あの弁護士、最悪やったわ。」と言われているようなことがあるかと思うとそこはやはり涙が出ます!「ふん、あんな相談者、二度とごめんやわっ。」と思えるくらいならきっと楽なのでしょうが。
 
(おわり)

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2010年1月23日 (土)

「節税」の内容【松井】

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*年末、ビールと大橋弁護士。


 奥村佳史さんの「法人税が分かれば、会社のお金のすべてが分かる」(光文社新書)を読みました。
 
 

 非常に面白い本で、楽しく読めました。
 身近な事案から説き起こして、法人税法の趣旨について触れています。
 くだけた文章でありながら、次のようなことに触れられた骨太な本です。
  

法人税の納税義務者
  法人税の課税標準
  法人税の税額計算
  繰越欠損金制度 
  受取配当の益金不算入
  棚卸資産と売上原価 
  減価償却 
  役員給与
  交際費、寄附金、使途秘匿金
  貸倒損失と貸倒引当金
  資産の評価損
  圧縮記帳などの節税対策
  申告と納付

 こんな内容について、「たくあんで法人税を納めることができたなら」「赤字でも法人税」「みずほ銀行はなぜ法人税を払わないのか?」「投資会社社員は電話が怖い?」「決算日、肺が凍りそうです」「リゾート施設を買ったなら」「名ばかり管理職の次は、名ばかり役員」といった章のタイトルで、各章を書き出されています。


 そのため、読み物としても非常に読ませる内容で面白いのですが、著者の骨太の意見、視点も随所に見受けられ、ほれぼれとします。
 私が、やはりそうだよねと腑に落ちたのは、節税の点に対する著者の言葉でした。
 
 217頁
 

「本当に有効な節税対策はあるのか」
という箇所です。
 
「私が節税対策に求める効果は次のとおりです。
  (1) 課税の繰り延べではなく、永久に税負担が減少するものであること。
  (2) 会社が余計な支出をしなくてもいいもの
  (3) 会社の損益計算書に損失が計上されないもの 」

 

「皆さんがよくご存じの節税対策は右の条件を満たしますか?
  例えば、慰安旅行に出かけるという節税対策は、(1)を満たしますが、(2)と(3)を満たしません。
  乗用車を購入する方法も同様です。」

  そうしたうえで、一つだけこれらの要件に当てはまるものが一つだけある、と紹介しています。
  そして。
 

「実はこの方法、上場企業ではほとんどの会社がご存知です。けれど中小企業にはあまり知られていません。その理由は簡単です。」

 
「このような節税プランを紹介したとしたとしても、ビジネスとしてうまみのある業者が存在しないためです。」
 「つまり、節税対策というのは色々とあるけれど、これを商材として販売した場合に儲かるというものだけが世の中に広まるのです。そうでない節税対策はいくら有効なものであっても、宣伝してまわる人がいないため、世の中に広まっていかないのです。」

 
  そして次にこのように述べています。
 
「税理士事務所の中にも、生命保険の代理店を営んでいるところがあります。生命保険は節税プランとして薦めるけれど、自己株式買取は薦めない。こういった税理士さんがどういった思考で動いていらっしゃるのかはわかりません。」

 
3 
 弁護士業においても、本当に弁護士一人で出来る仕事というのは限られています。
 依頼者の方に、建築士さん、税理士さん、会計士さん、不動産業者さんなどを紹介し、これらの別の専門業種の方々と共同しつつ仕事を進めることもあります。このようなとき、キックバックのような類の金銭を他の業者から受け取る弁護士はまずいないと思います。
 依頼者の正当な利益のために働くという大前提からすれば、第三者に対して依頼者にお金を使わせることによって、その第三者からお金が入り自分の懐が潤うような構造は、依頼者の利益のためにといいながら、実際には自分が儲けを手にいれたいがためにという構造にならないといはいえないからです。
 それでも、いや、客観的に依頼者の利益になっていれば何も問題ないんだといったことを述べられていた某業種の方の意見を目にしたことがあります。
 正直なところ、驚きました。
 客観的に「公正」であるかどうかなんて、判断は困難です。
 そこでまず大事なのが、「公正らしさ」、「らしさ」という構造、仕組みを守ることです。
 こういった考えから定められている法律もいくつかあります。
 
 奥村佳史さんも、節税プランと生命保険を例にとってこのことを述べているのだろうと思います。
 これはたぶん、専門家としてのプライドの問題なんだろうと思います。
 とにかく常に、依頼者の利益を最優先させ、依頼者の利益だけを考える、自分の利益は結果論として出てくるもの。それが弁護士の姿だと思います。
 ある先輩弁護士が仰っていた、事件処理の際に気をつけているということ。
 「依頼者に出来るだけお金を使わせないこと。」
 
 そのとおりです。なので、実は、不動産鑑定士さん、一級建築士さん、税理士さん、公認会計士さん、不動産仲介業者さんなどを紹介し、それらの方々の協力を得ざるをえないときは非常に心苦しいというのが本当のところです。
 私が兼ねることが出来ればいいのですが、そんな能力もなく。
 また、裁判において裁判所は、第三の専門家の意見は一応、尊重するということが多々あるのも事実であり。なんともまあ、難しいです。
 紛争解決において、他者の力を借りる限りはお金がかかります。
 お金を節約しようと思えば、正直なところ、他社の力を借りずに自分一人でことに当たるということになります。

(おわり)
*昨年。西表島を旅行中の松井の姿。こんなもんです。。。基本、ジーンズ。
 
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2010年1月18日 (月)

相続事件の数字【松井】

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*三重県四日市市の諏訪神社の境内。幼いころ、ここが遊び場でした。屋根に登ったり。。。


 先日、大阪弁護士会主催の「遺言・相続センター研修」の一環での「相続関連事件の手続選択などについて」という研修を受けてきました。講師は、元家庭裁判所の書記官だったという弁護士の方です。実は、以前、途中から代理人となった遺産分割審判事件での相手方代理人をされていた弁護士でもあるので、その方の緻密な仕事ぶりはよく存じ上げている方でした。
 その研修もやはり、非常に緻密なレジュメが配られ、書記官として、また弁護士としても、相続事件全般に経験豊富な弁護士として実務上の事柄が語られていました。
 

 ただ、例えば、私が研修を担当するとしたらどういったことをまず注意するように話をするだろうかと考えたとき、細かいことはさておき、まずこの数字には気をつけて下さいということを言うかと思います。
 □5000万円
 □10か月
 □1年
 □3年
 
 この「5000万円」、「10か月」、そして「3年」というのは要するに、相続税等の税法に関する手続きに気をつけて下さいということです。
 5000万円というのは、遺産総額が、この5000万円に相続人×1000万円を足した金額を超えるようであれば、相続税の申告が必要ですよということです。もっとも気をつけないといけないのは、この「遺産総額」については、相続税法に基づいた「遺産」の範囲に遺産の「評価」があるということです。民法上の考えとは違う点があります。

 そして、「10か月」というのは、相続税の申告が必要な場合、被相続人の死亡を知った後翌日から10か月後が原則的な相続税の申告、納税期限ですよ、ということです。申告だけではなく、納税もしなければならないので、納税原資をどのように調達するのかが問題となります。
 普段から懇意にしている税理士さん、それも相続税に詳しい、あるいは詳しい税理士を紹介できる税理士さんを相続人の方がご存知ならよいのですが、そうでない場合もあります。
 そんなとき、相談を受けた弁護士としては、すぐに相続税法に詳しい税理士を紹介し、相続に関する処理方針を決める必要があります。
 法定の申告納税期限までに遺産分割協議、あるいは遺留分減殺請求に関する処理が合意できていればいいのですが、そうでない場合であっても、税法上は、未分割として法定相続分で相続したものとして申告納税する必要があります。この申告納税をしない場合、10数パーセントの延滞税がかかってきます。依頼者の不要な損害を回避するためには要注意です。

 そしてもう一つ。3年。
 これは、不動産譲渡所得税がらみです。遺産たる不動産を相続し、その売却となった場合、売却が3年以内であれば納税した相続税額が経費たる取得費として控除でき、利益を圧縮できて、結果、納税額を少なくすることに役立ちます。しかし、これが3年を超えているとこの適用は原則的には認められないとされています。
 こういった税法による圧迫があれば、相続人は皆、対税法と言う点ではおおよそ利害を共通にしているので、長期化しそうな紛争も折り合いが付けられて、迅速解決することがなくはありません。
 相談を受けた弁護士としては、こういった情報を依頼者に提供できる、出来ないは事件処理としても大きく違うのではないかと思われます。
 (*上記記述は一般論です。実際の事件における処理の適否、詳細については、必ず税理士にご相談ください。)
 (*国税庁のタックスアンサーは、概要を抑えるのに便利です。
http://www.nta.go.jp/taxanswer/sozoku/4202.htm

3 
 そしてもう一つは「1年」。これは普通、相続の相談にあたる弁護士なら皆、確実に知っているものです。遺留分減殺請求権の行使期間です。
 遺留分侵害になるかもしれない「遺言」の存在が分かったら、その遺言の無効を主張する場合でも念のため、ひとまず遺留分減殺請求権を行使しておくのが望ましい処理です。その請求の有無事態が争点となることを避けるためにも、請求は内容証明郵便で行うのが確実です。まだまだ時間があると思って後回しにしているうちに、うっかり1年が経過してしまうということにもなりかねませんので、早め早めに。
 

 さらに私なら、と思ったことは、この遺留分減殺請求に関してです。
 何件か遺留分減殺請求事件を担当してきましたが、私の経験からすれば、これはまず法定外での話し合いを試みて、主張の乖離がひどく合意は難しいということであれば、家庭裁判所への調停申立てはすっとばして、遺留分減殺請求に基づく訴訟を地方裁判所に行った方が解決は早いということです。厳密な調停前置主義はとられていません。
 調停手続きで協議を行っても、このような関係の場合、まず話がまとまるということはありません。
 むしろ、訴訟手続きにおいて、厳密な主張立証手続きを行う中で、しかるべき金額を払うべき側も観念せざるを得ず、私の経験からすれば、和解で終わります。一審判決が出たとしても、控訴審で和解になったこともあります。
 こういった点は、処理方法として何が正しいというものではもなく、各弁護士の経験による実感なのかなと思います。

 いずれにしても、改めて相続事件はまだまだ奥が深いなと思わせられた研修でした。それだけに、今後おそらく、相続、特に遺言作成、執行等に関わった弁護士に対する弁護過誤訴訟が増えるのではないだろうかとの思いを抱いています。気をつけねば。
(おわり) 

*下にいたら見えないことも、上に登って下をみるとその大きなポイントがよく分かることがあります。
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2009年12月23日 (水)

国会議員【松井】

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 先日、属する委員会の先輩弁護士の主催で、衆議院議員を囲む会というのがありました。消費者契約法の立法の際に関わられた国会議員だということで、勉強会のような趣旨でした。
 実際に生の国会議員と3時間もみっちり少人数で席を共にするというのは初めてでした。
 そこで感じたことは、国会議員はタフでなければやはり務まらないということでした。ポスターでよく見かけていた方であり、爽やかイメージを持っていたのですが、会ってみると、泥臭い、良い意味でも人間臭い方でした。
 そして、これでないと国会議員としては活躍できないなというものでした。


 公職選挙法4条1項、2項により次のように国会議員の定数について定められています。
 衆議院議員の定数は480人(うち小選挙区選出300人・比例代表選出180人)、参議院議員の定数は242人(うち選挙区選出146人・比例代表選出96人)。
 衆議院議員は、総勢480人です。そして任期は4年(憲法45条)。法律案についても、参議院で否決されても、衆議院で出席議員の3分の2以上の多数で再度可決したときは法律となります(憲法59条2項)。衆議院の優越です。
 この議員たちが、法律を作り、法律を改正していきます。
 予算についても、内閣が作成した予算について、衆議院の先議と優越が定められています(憲法60条)。
 平成21年10月現在、欠員なしの480名。
 http://www.shugiin.go.jp/index.nsf/html/index_kousei.htm
 この480名で日本の大きな物事、方針が決まっていくのです。
 その重要な1名/480名 がどんな人なのか。


 民主党から4戦しており、当選2回という40代のまさに働きざかりの議員でした。民主党はいまでこそ与党ですが、野党の立場での議員も経験されていました。
 どういった日々の活動なのか。
 今回のように、情報収集と広報活動といった意味もあるのでしょうが、懇親会・勉強会に出席し、自身の日々の東京での活動の話をされると共に、集まったメンバーからの意見に耳を傾けていく。
 こうした活動を積み重ねながら、それをどう国政、国会、そして議院制内閣のもと、内閣での行政活動に活かしていくのか。
 この過程での、各所での力が議員としての能力であり、議員に求められている世の中での役割なのだということを目の前の議員のパワフルな姿を見て、実感しました。
 
 まず驚いたのは。
 やはり最初、とにかく喋る喋る。30分の持ち時間で、立て板に水で情報内容満載の話しを話し、聞き手を笑わせるようなネタも交えながら、いかに活動・活躍しているのか、戦っているのかの話を聞かせるパワーでもって話されました。
 30分でしたが、まだまだ喋れると言っていました。

 そのパワフルさにまず驚きました。
 その後、各弁護士からの話に対しても、ときおりメモをとりながら、一つ一つさばくように聞いて、言葉を交わしていきます。
 馬鹿では出来ない仕事、相当な能力がないと務まらないと思いました。
 何年か経験するまでにここまでになられたのかどうか。
 
 そして東京での活動は、各所との「戦い」です。情報戦です。舐められたら終わりという世界のようです。
 舐められないために、手綱を御するために知識と情報で圧倒せねばならない。
 四方八方、戦いの世界のようでした。
 国民、役人、同じ議員、それぞれいかに人の心を掴んでいくのか。


 3時間の勉強・懇親会が終わってしみじみと思ったこと。
 
 「志」と「能力」がないと、ただの議員の一票として党の幹部に利用されるにすぎない立場なのが国会議員なのだろうなということです。
 「志」がなかったら、ただの風見鶏として終わります。
 「能力」がなかったら、その志が実現することはありません。
  
 議員に限らず、どの仕事も同じなんだろうけど。

 自分がいったい何のために国会議員になっているのか。480人の人々全員に「志」と「能力」があるのか。
 
 それを見極めるは選挙民であり、世論を形成するこの国で暮らす人々だと思います。
 選挙のときだけではなく、選挙のあとこそ、その議員らの「志」と「能力」を見極め、働きかける必要があるのだと思います。
 このための仕組みの重要な構成要素がマスコミ。
 このマスメディアの記者の能力のチェックは誰がどうするのか。
 ネットなんだろうと思います。ネットによって発信能力と情報収集能力を身につけた能力と志ある人が新たな情報発信をしていく。
 マスコミの報道に疑義を唱えていく。
 
 今、まさに民主主義がどんどん成熟しているのだろうと思います。
 
 片山右京さんらのパーティーの遭難事故事件。
 登山家の野口健さんのブログです。
 http://blog.livedoor.jp/fuji8776/archives/2009-12.html#20091222
 
 twitterで知りました。
 報道の姿勢についても考えさせられます。これが日本の現実なんだろうと思います。残念。


 国会議員と記者こそ、本当に志と能力にある人にその仕事を担ってもらいたいです。
 裁判官と検察官、そしてもちろん、弁護士も。

(おわり)
 
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2009年12月 8日 (火)

近頃の家庭裁判所〜遺産分割調停に期待されるもの〜【松井】

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1 
 家庭裁判所での遺産分割調停事件、審判事件で数多く代理人をさせていただいています。
 やはり大阪家庭裁判所でのということが多いのですが、ここ最近、たまたまかもしれませんが、違和感を感じることが続けてありました。

 調停委員や裁判所の立ち位置です。

 何に違和感を感じるのかというと、「これは調停ですよ!」とこちらが強く言いたくなるような場面によく出くわすようになったということです。

 すなわち、どういうことかとういと、裁判所は、「それは本来訴訟事項なので調停でその話を持ち出すな」という態度を今迄以上に強く押し出してきているような気がするということです。
 訴訟事項と調停事項の違いくらい、代理人弁護士が就いており、当事者も弁護士もわかっています。
 しかし、当事者としては、できることなら訴訟は避けたい、この調停で解決したいという動機があるのです。
 だから、調停の場に、本来訴訟事項であることもいったん話し合いのテーブルに載せて、相手との協議、交渉を試みたいのです。相手も、訴訟は嫌なはずです。
 そこで、協議を重ね、もみほぐすうちに双方、互いに妥協して、合意に達して全面解決ということがあり得るのです。
 訴訟事項であっても、当事者の合意があれば調停、審判事項となりえました。
 私の知る限り、これまで、審判であっても、審判であればなおさら、裁判官はまずは合意を取り付ける方向で動いていたように思います。
 調停においても、調停委員もそれは訴訟事項と分かっていながら、なんとか全面解決するのが望ましいということから意欲を見せるのが普通でした。

2 
 ところが、最近、たて続けに感じた違和感。
 裁判所の方針が変わってきたように思います。

 先日、遺産分割の調停申立てをしたところ、当然、主たる遺産の中身として、預貯金口座がありますが、これに対し、わざわざ「裁判官からの伝達事項です。」ということで書記官から弁護士にと電話がありました。
 預貯金は、法律上は厳密には、相続時点で分割債権として原則、分割されているというのが判例です。なので、遺産分割の対象とはなり得ないというのが理屈となります。

 第1回の調停期日前にわざわざ電話をしてきた書記官曰く。
 

「最近の方針として、裁判所では、無理に合意を取り付けることはしていません。かえって一方当事者の不利益になることがありますので。そのことはご了解ください。」

 ということでした。
 紛争解決機関の一つたる、家庭裁判所の役割放棄だと思います。預貯金を遺産分割の対象から外すのがデフォルトとなったら当事者の紛争解決ってどうなんねん!?という思いです。預貯金が一番、柔軟性のきく財産であるため、そこで調整されるのがほとんどだからです。

 訴訟事項は訴訟でやってくれというのが、実は、家庭裁判所では一番楽な仕事です。
 審判事項に問題を絞り、問題を簡単にしていって、簡単な問題だけを解決していけばいいだけだからです。
 
 以前は、困難な問題だけど、なんとか当事者の利益のために、全面解決のために、問題に取り組み、なんとか試みましょうという意気込みがあったように思います。
 
 しかし、裁判所からわざわざこんな第1回期日前から、逃げ口上のような電話を受けました。
 驚きました。

 こんな電話を、しかも居丈高な口調でかけてくる書記官さんも何も疑問に思わないのかと全く不思議に思いました。
 また、つい先日から感じていたことですが、調停委員も、「問題をなんとか解決しよう!」という意気込みもなく、上記のような裁判所の考えを調停室で面と向って口にするのです。
 「遺産の範囲の問題は訴訟条項ですから。」
 弁護士なら、当事者にとって、確かに争っているけど、じゃあ遺産の範囲確認訴訟を提起するのかというと、それほどの資産価値、費用対効果のない資産価値たることは明らかな財産に対して。
 それを分かって、分かっているからこそ、また話し合いの場たる「調停」だからこそ、「調停」の申立てを行い、なんとか話し合いで双方妥協しあって解決出来ないかと試みているのです。

 それを調停委員が、当初から問題をもみほぐす気のないこと、「裁判官がそう言っていますから。」というのを口にしていくるというのはこれはもう調停委員の役割放棄ではないかと思います。
 やる気がないなら、ここで紛争を解決してやるという熱意がないなら、調停委員から身を引くべきだと思います。


 そんな調停委員にあたって何だかなあと思っていたところで、今回の書記官さんからの直接の電話。裁判官からのお言葉の伝達です。
 家庭裁判所。

 そんなこと言っているなら、もう「仕分け」されてなくなったらいいのにとすら思います。
 以前もブログに書いたように、相続事件は、調停条項/訴訟条項の区分けのために、当事者が家庭裁判所と地方裁判所を行ったり来たりしなくてはならないことが結構あります。
 私は、離婚事件のように、家庭裁判所で一元化すればいいのにと思っていたのですが、当の家庭裁判所がこの状況というのがどうやら最近の現実のようです。
 だったら、相続に関する事柄は地方裁判所で審理できるようにして、家庭裁判所の人員を減らしちゃえ!と実は怒り心頭の気持ちです。
 
 いらないよ、仕事する気のない、紛争解決機関としての役割を果たそうとしない裁判所に裁判官、書記官さんに調停委員なんて。
 自分たちがこの社会で果たすべき役割、期待されている役割というものを第三者的に考えたことはないのであろうかと不思議で仕方ありません。
 全く驚きの書記官さんからの電話でした。
 私が知る限り、以前は、どの審判官裁判官、調停委員も皆、もっと「終局的な紛争解決」ということに意欲的だったのですが。
 ここで終わらせてみせる、という意気込みがあったのですが。
 まったくもって残念です。
 
 そうです。怒ってます。ブログを書くぞという原動力は怒りが大きいですかね(笑)。
 新聞記者の友人が、日常生活で怒り心頭なことがあると、「書いてやる!」と心の中で思っていたというのと同じかも。実際には、新聞にはそんな個人的な怒りは書かないんだろうけど。
 「怒り」って、問題意識からくるんでしょうかね。これでいいのか?という。

 家庭裁判所は、こんなのでいいのかな。自分で役割を放棄していっているようにしか私には見えない。以前の違う、意欲的な、格好いい姿を見ているから余計にそう感じるのかも。私の知っている裁判官審判官や調停委員は、皆、熱心に問題に取り組み、粘り強く調停や審判においても、合意の形を模索し続けていました。
 問題を地方裁判所に放り投げることなら、はっきり言って誰でもできます。ちょっと相続回りの法律と裁判例を勉強したら出来ます。それを大上段に振りかざそうとするような態度は、以前なら、「あら、この人は問題の本質が分かってないよ。」と調停室ではちょっと蔑みの対象だったはずなのですが。どうも最近は違ってきているようです。そう。私も、書記官さんからの電話を聞きながら、この人はいったい。。。と大きな疑問にとらわれました。

 がんばれ、家庭裁判所。

(おわり)
*ピカチューも応援してるよww
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2009年12月 7日 (月)

身の回りの嬉しい話し【松井】

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 ブログの更新を怠っていますが、この間、法律の業界でも、自分の身の回りでも、いろいろなことが起こっています。
 今回は、雑記的な身の回りの事柄について(いつもか。)。


 ここ1、2週間ほどで嬉しいことがいくつも起こっています。
 先日は、四国の地方新聞社で働く記者の友人から嬉しい電話がありました。
 応募していたフルブライト奨学生のジャーナリストプログラムに見事合格したというのです。
 フルブライト奨学金 http://www.fulbright.jp/grant/p-jour.html
 彼女は、大学の時以来の友人なので、18歳からかれこれもう20年以上のつき合いになります。
 関西大学法学部を卒業後、国際法を専攻して京都大学大学院に進学し、その後、ジャーナリストの道に入りました。
 最初は、今は亡き、元読売新聞大阪本社社会部の部長で、黒田軍団と周囲に言わしめた黒田清さん主催の「黒田ジャーナル」で働き始めました。
 そこには、今は、独立して活躍されているジャーナリストの大谷昭宏さんも黒田さんの部下としていて、二大巨頭の下で「記者」としての取材力と表現力に磨きをかけました。 その後は、場所を移して、九州方面で著名な新聞社、西日本新聞で取材記者として活躍します。
 そして、もともとの出身地であった四国に戻り、四国の地方新聞社で取材、報道をしています。
 東京ではなく、地方で何を発信できるか、何を発信すべきなのか。取材記者としていろいろと悩み模索があったようです。
 そこで40歳を前にして再度、トライしたのがジャーナリストプログラムだったようです。
 四国の新聞社からは初めての選出ということで、アメリカで研究した成果を四国に戻って、四国に対し、どのようにその得たものを発表し、還元するのか。楽しみです。
 彼女の挑戦をおそれない勇気とその彼女を応援する新聞社。広告費の削減等のために経営基盤が危うくなっていると言われる新聞社が多い中、収縮していくだけでなく、敢えて打って出る姿勢。
 四国徳島では、「葉っぱビジネス」が脚光を浴びました。発想を変えてみる、視点を変えてみる。そこから、地方からも大きなうねりが発生する。
 日本では四国の時代がやってくるかもしれません。


 もう一つ、嬉しかったこと。
 知り合いの神戸三宮の路上を主な舞台とする、ミュージシャン、信政誠さんが新たなCDを全国発売したということです。
 http://www.eonet.ne.jp/~nobumako/top1.htm

 最初、YouTUBEでその歌声を聞いて、これは本物だと思いました。単に歌が上手い、声がいいという人は周りでもいくらでもいますが、ミュージシャン、歌手として成功するには、その人ならではの魅力的な歌声というものが必須だと思います。
 その必須の要素を感じました。
 aikoや、矢井田瞳、平井堅、yuiなど、皆さん、その人にしかない魅力的な歌声の持ち主です。
 信政誠さんにもそれを感じました。
 だからずっと応援していたのですが、11月25日、ようやく全国CDデビューを果たしました。
 良いものは人に紹介したい、知って欲しい、喜びの感情を共有したい。
 そんな思いで、もっと多くの人に彼の歌声を耳にして欲しいと思います。
 Nobumako Standard
 
* thanks のところに名前をクレジットしてもらっています。ありがとう!


 最後に。最近嬉しかったこと。
 これも、その動向を見守り(笑)、ぜひまたお店を始めて欲しいと願っていた知人の方が、以前お世話になっていたというオーナーに声をかけてもらって、新たにオープンした店の責任者として頑張っているということです。
 一時は自営業的な仕事はもうやめて、毎月、定額の給料がもらえるような安定した仕事に就きたいといったことも口にされていた方ですが、やはり接客業が好き、自分が任されたお店でお客さんを楽しませていきたいという思いがあったようです。
 そして、声をかけてもらって、オープン準備から参加し、今回、無事に新規店舗オープンの運びとなったようです。
 「あそこに店を出すんですよ。」と言っていたとき、そのあそこをのぞいてもまだテーブル一つなく、本当にあそこに店がオープンできるのだろうかとだんだん心配にもなっていました。
 それがこの12月1日、無事に新規オープン。嬉しい限りです。


 フルブライト奨学金を得てアメリカに旅立つ友人も、全国デビューということで本当に、ようやく大海原にこぎ出していく信政誠さんも、そして心機一転、喜びに満ちて店舗オープンさせた知人も、みんな、頑張って成功して欲しいと思います。
 それぞれに何らかの形で関われて、お役に立てたことは、非常に光栄です。
 

 twitterを始めて、東京や名古屋、地方の弁護士さんや、あるいは家庭裁判所で調停委員をされている方などとやりとりをさせていただいています。
 その中で、調停委員をされている方がこのような趣旨のことを仰っていました。
 
 

幸せになりたくて家裁のドアを叩く方が、幸せを掴むお手伝いをするのが家庭裁判所の調停委員なんだ
、と。

 人として、やはり、人が幸せになる手伝いが出来るというのは、それがまた人としての自分の幸せなんだと思います。
 
 仕事も、弁護士業も同じです。
 一人では、自分だけではどうにもならない問題を抱え、何か前進があればとの思いで法律事務所のドアを叩く方々に対し、力添えをして、共に問題に取り組み、最後は晴れ晴れとした顔で別れるのが喜びです。
 ただ、長いおつき合いになることも多いその過程で、私自身の人間としての弁護士としての未熟さなどから、不満、不信をもたれることもあるかもしれません。
 時には、依頼者を見る目がなかったということで本当は弁護士としては非常に恥ずかしいことではあるのですが、やむを得ずに当職の方から辞任させていただくこともありました。
 ただ、相談を受け、依頼を受け、受任させていただくときの気持ちはいつも同じです。 何とか問題を解決して、最後、笑顔で帰ってもらえるようにお役に立ちたい、一緒に問題に取り組み、何が何でも解決する。
  
 私もまた、友人達のように、おそれずに前に一歩進んで行きたいと思います。

(おわり)

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2009年11月24日 (火)

ガイド〜道先案内人の大切な役割〜【松井】

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1 
 人のふりみてわがふり直せ、ではありませんが、「ガイド」の意味合いについて弁護士業務と重ね合わせて考える機会がありました。

 自分なりによく比較するのがお医者さんや病院だったのですが、先日、弁護士同士のとある親睦旅行に参加し、西表島に行ってきて、また違うものと比較してしまいました。

 8年ほど前にも、一人旅行で石垣島、西表島、沖縄本島をふらふらと旅行したことがあり、二度目の西表島探訪でした。
 前回は、突然思い立ち、行き当たりばったりで、西表島の川をカヌーでさかのぼり、途中下車して、トレッキングをして、滝つぼで泳ぐといったもので、他に女性客、家族客といっしょだったためか、ガイドさんに対して、私が疑問を思うということも特にありませんでした。向こうが私をどう思っていたかというと、30歳の女が一人旅で何でこんなツアーに参加を?!と気持ち悪かったかもしれません。

 しかし、今回。
 今回も、トレッキング&カヌーができるツアーに参加申し込みをしたのですが、前回と同様のプランだろうと勝手に思い込んでいたところまったく違い、そのためかかなり戸惑いを覚える体験をしました。


 何に戸惑いを覚えたのか?
 全体像を説明しない、こちらの理解を確認しない、具体的に説明しない、ということです。
 
 朝の集合だったのですが、その日一日、どういうプランでどういったところを歩くのかの説明がほとんどありませんでした。
 あったのは、こちらの軽装の格好を見て、「思っているよりも大変な道だと思いますよ。」ということだけでした。

 客は私たちのグループの二人だけだったのですが、まったく丁寧な、親切な説明がなし。
 どんなルートでどんな道を進むのかの説明がないままに出発してしまいました。
 どこかで説明があるのかと待っていたら、結局、ないままでした。

 ここでちょっと気の利いたガイドなら、地図を示し、ルートを示したはずです。また、途中の道についても、川を突っ切りますよだとか、細い崖っぷちのような道を通りますよだとかの説明があったろうにと思います。
 そんな説明はなく、出発。

 雨上がり、滑落しそうな細い崖の道を歩いたり、結構流れが早く、足場も石だらけで悪い川を突っ切ったりと、非常に心細くなりながら、しかしガイドはガンガン先を歩くので、不安がる暇もなくついていくのが必死でした。
 ここではぐれたら、遭難だなあ、そんな場合は川のところでじっとして救助がくるのを待つのがいいのかなあといったことをふーっと考えながら、ガシガシ歩きました。
 川を渡るときも、ここで足をすべらせたら、石のところで頭を売って、この川の勢いで下流にどんどん流されて行くんだろうなあと夢想しながら、必死で石に足を吸い付けるように川を渡りました。

 カヌーをどこでいつ乗るのかも聞いていなかったので、この先からカヌーに乗るのだろうかなどと考えていたら、結局、ゴールは小さな滝のある場所でした。
 結局、また来た道を戻って、事務所に戻るとそこで一服して昼食をとり、そこから川に出て、カヌーで近場をうろうろというのがこの日のツアーのすべてでした。
 

 西表島のジャングルを満喫し、久しぶりにカヌーを漕いで気分もよかったのですが、このガイドの方はかなり損をしているなと思いました。
 島のしきたりや島で暮らすということ、祭りの話などいろいろと面白い話しも聞けて、楽しかったのですが、「ガイド」としてはまだまだ足りない、もっと上の「ガイド」があるのではないかと思わせられました。
 それは、人に伝える、そのために聞き出すということです。
 一方的ではない、双方向のやりとりによって、要求にあった情報のやりとりをし、その結果、安心を得たり、より楽しく過ごすということです。
 それは、質問をして、「全体像を示す」ということだと思います。

 島のトレッキングやカヌーをするのであるなら、ゲストの理解を確認し、不足を補う情報を与える、それは、島の地図を示して、これから行くルートを示す、カヌーで漕ぐ川筋を示す、そういったことです。
 これがあるのとないのとのでは、ゲストの楽しむ余裕、楽しみの深さが違ってくると思います。
 
 私がこのツアーのガイドなら、絶対に島の地図を用意して、これから行く場所を確認して示します。

 で、振り返って考えるに、弁護士による代理人活動も同じなんだろうなとつくづく思います。

 毎日の仕事でもあるので、ついつい各依頼者も分かっているものと思い込んで振る舞ってしまいます。
 しかし、実際には、弁護士に代理人活動を依頼するなんてことは個人の方なら初めてのことがほとんどです。そもそも、弁護士って、何をどこまでしてくれるのか、依頼した相手との交渉はどうなっているのか、これからどうなっているのか。
 西表島のジャングルの中のトレッキングよりも不安なことだらだけだと思います。
 交渉が決裂したらどうなるのか、費用はいくらかかるのか、分からないことだらけ。
 しかし、ガイドである代理人は先へ先へとどんどん進んでいってしまい、聞きたいこともなかなか聞ける雰囲気ではありません。
 申し込みをしてしまい、進み出したが最後、この弁護士の後ろ姿を見失うまいと後にすがって進むしかないのか。休憩したいんだけど、いいだせない。
 
 弁護士も、今回のガイドさんと同じようなものかもしれないなといろいろと考えさせられました。


 結局、何事も気配りで、それが出来るかどうかはその人の想像力によるものかと思います。
 ちょっと想像力を働かせる。そして、自分が出来る心配りをする。
 これの繰り返しだと思います。
 完璧なサービス。
 
 ただ、もちろん、いくらサービスがよくても、そもそもの根本的な知識と技量がなければ、ガイドもゲストを楽しませながらも、誤った場所へ連れて行ってしまったり、下手をすればゲストに大けがをさせたりしてしまいます。
 知識と技量、そして想像力。
 ガイドに必要な要素だし、弁護士にも必要なものです。
 
 と、またなんだか意地悪な客の目線の気付きを書いてはいますが、案内してくれたガイドさんはとっても素朴ないい人で、自然を堪能できました。
 ときどき、木を切るのこぎりを持つ手を止めて、のこぎりの刃を磨く休息が必要ですね。ボロボロの刃ではいくらひいても木は切れない。一度休んだほうがリフレッシュされてかえって効率的という話。
 ときどき日常を飛び出て、非日常に行くことによって、かえって日常がよく見えます。

(おわり)
*帰りは、石垣牛のステーキを食しました。ご馳走様でした。 
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