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07 訴訟活動

2010年1月18日 (月)

相続事件の数字【松井】

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*三重県四日市市の諏訪神社の境内。幼いころ、ここが遊び場でした。屋根に登ったり。。。


 先日、大阪弁護士会主催の「遺言・相続センター研修」の一環での「相続関連事件の手続選択などについて」という研修を受けてきました。講師は、元家庭裁判所の書記官だったという弁護士の方です。実は、以前、途中から代理人となった遺産分割審判事件での相手方代理人をされていた弁護士でもあるので、その方の緻密な仕事ぶりはよく存じ上げている方でした。
 その研修もやはり、非常に緻密なレジュメが配られ、書記官として、また弁護士としても、相続事件全般に経験豊富な弁護士として実務上の事柄が語られていました。
 

 ただ、例えば、私が研修を担当するとしたらどういったことをまず注意するように話をするだろうかと考えたとき、細かいことはさておき、まずこの数字には気をつけて下さいということを言うかと思います。
 □5000万円
 □10か月
 □1年
 □3年
 
 この「5000万円」、「10か月」、そして「3年」というのは要するに、相続税等の税法に関する手続きに気をつけて下さいということです。
 5000万円というのは、遺産総額が、この5000万円に相続人×1000万円を足した金額を超えるようであれば、相続税の申告が必要ですよということです。もっとも気をつけないといけないのは、この「遺産総額」については、相続税法に基づいた「遺産」の範囲に遺産の「評価」があるということです。民法上の考えとは違う点があります。

 そして、「10か月」というのは、相続税の申告が必要な場合、被相続人の死亡を知った後翌日から10か月後が原則的な相続税の申告、納税期限ですよ、ということです。申告だけではなく、納税もしなければならないので、納税原資をどのように調達するのかが問題となります。
 普段から懇意にしている税理士さん、それも相続税に詳しい、あるいは詳しい税理士を紹介できる税理士さんを相続人の方がご存知ならよいのですが、そうでない場合もあります。
 そんなとき、相談を受けた弁護士としては、すぐに相続税法に詳しい税理士を紹介し、相続に関する処理方針を決める必要があります。
 法定の申告納税期限までに遺産分割協議、あるいは遺留分減殺請求に関する処理が合意できていればいいのですが、そうでない場合であっても、税法上は、未分割として法定相続分で相続したものとして申告納税する必要があります。この申告納税をしない場合、10数パーセントの延滞税がかかってきます。依頼者の不要な損害を回避するためには要注意です。

 そしてもう一つ。3年。
 これは、不動産譲渡所得税がらみです。遺産たる不動産を相続し、その売却となった場合、売却が3年以内であれば納税した相続税額が経費たる取得費として控除でき、利益を圧縮できて、結果、納税額を少なくすることに役立ちます。しかし、これが3年を超えているとこの適用は原則的には認められないとされています。
 こういった税法による圧迫があれば、相続人は皆、対税法と言う点ではおおよそ利害を共通にしているので、長期化しそうな紛争も折り合いが付けられて、迅速解決することがなくはありません。
 相談を受けた弁護士としては、こういった情報を依頼者に提供できる、出来ないは事件処理としても大きく違うのではないかと思われます。
 (*上記記述は一般論です。実際の事件における処理の適否、詳細については、必ず税理士にご相談ください。)
 (*国税庁のタックスアンサーは、概要を抑えるのに便利です。
http://www.nta.go.jp/taxanswer/sozoku/4202.htm

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 そしてもう一つは「1年」。これは普通、相続の相談にあたる弁護士なら皆、確実に知っているものです。遺留分減殺請求権の行使期間です。
 遺留分侵害になるかもしれない「遺言」の存在が分かったら、その遺言の無効を主張する場合でも念のため、ひとまず遺留分減殺請求権を行使しておくのが望ましい処理です。その請求の有無事態が争点となることを避けるためにも、請求は内容証明郵便で行うのが確実です。まだまだ時間があると思って後回しにしているうちに、うっかり1年が経過してしまうということにもなりかねませんので、早め早めに。
 

 さらに私なら、と思ったことは、この遺留分減殺請求に関してです。
 何件か遺留分減殺請求事件を担当してきましたが、私の経験からすれば、これはまず法定外での話し合いを試みて、主張の乖離がひどく合意は難しいということであれば、家庭裁判所への調停申立てはすっとばして、遺留分減殺請求に基づく訴訟を地方裁判所に行った方が解決は早いということです。厳密な調停前置主義はとられていません。
 調停手続きで協議を行っても、このような関係の場合、まず話がまとまるということはありません。
 むしろ、訴訟手続きにおいて、厳密な主張立証手続きを行う中で、しかるべき金額を払うべき側も観念せざるを得ず、私の経験からすれば、和解で終わります。一審判決が出たとしても、控訴審で和解になったこともあります。
 こういった点は、処理方法として何が正しいというものではもなく、各弁護士の経験による実感なのかなと思います。

 いずれにしても、改めて相続事件はまだまだ奥が深いなと思わせられた研修でした。それだけに、今後おそらく、相続、特に遺言作成、執行等に関わった弁護士に対する弁護過誤訴訟が増えるのではないだろうかとの思いを抱いています。気をつけねば。
(おわり) 

*下にいたら見えないことも、上に登って下をみるとその大きなポイントがよく分かることがあります。
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2009年11月24日 (火)

ガイド〜道先案内人の大切な役割〜【松井】

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1 
 人のふりみてわがふり直せ、ではありませんが、「ガイド」の意味合いについて弁護士業務と重ね合わせて考える機会がありました。

 自分なりによく比較するのがお医者さんや病院だったのですが、先日、弁護士同士のとある親睦旅行に参加し、西表島に行ってきて、また違うものと比較してしまいました。

 8年ほど前にも、一人旅行で石垣島、西表島、沖縄本島をふらふらと旅行したことがあり、二度目の西表島探訪でした。
 前回は、突然思い立ち、行き当たりばったりで、西表島の川をカヌーでさかのぼり、途中下車して、トレッキングをして、滝つぼで泳ぐといったもので、他に女性客、家族客といっしょだったためか、ガイドさんに対して、私が疑問を思うということも特にありませんでした。向こうが私をどう思っていたかというと、30歳の女が一人旅で何でこんなツアーに参加を?!と気持ち悪かったかもしれません。

 しかし、今回。
 今回も、トレッキング&カヌーができるツアーに参加申し込みをしたのですが、前回と同様のプランだろうと勝手に思い込んでいたところまったく違い、そのためかかなり戸惑いを覚える体験をしました。


 何に戸惑いを覚えたのか?
 全体像を説明しない、こちらの理解を確認しない、具体的に説明しない、ということです。
 
 朝の集合だったのですが、その日一日、どういうプランでどういったところを歩くのかの説明がほとんどありませんでした。
 あったのは、こちらの軽装の格好を見て、「思っているよりも大変な道だと思いますよ。」ということだけでした。

 客は私たちのグループの二人だけだったのですが、まったく丁寧な、親切な説明がなし。
 どんなルートでどんな道を進むのかの説明がないままに出発してしまいました。
 どこかで説明があるのかと待っていたら、結局、ないままでした。

 ここでちょっと気の利いたガイドなら、地図を示し、ルートを示したはずです。また、途中の道についても、川を突っ切りますよだとか、細い崖っぷちのような道を通りますよだとかの説明があったろうにと思います。
 そんな説明はなく、出発。

 雨上がり、滑落しそうな細い崖の道を歩いたり、結構流れが早く、足場も石だらけで悪い川を突っ切ったりと、非常に心細くなりながら、しかしガイドはガンガン先を歩くので、不安がる暇もなくついていくのが必死でした。
 ここではぐれたら、遭難だなあ、そんな場合は川のところでじっとして救助がくるのを待つのがいいのかなあといったことをふーっと考えながら、ガシガシ歩きました。
 川を渡るときも、ここで足をすべらせたら、石のところで頭を売って、この川の勢いで下流にどんどん流されて行くんだろうなあと夢想しながら、必死で石に足を吸い付けるように川を渡りました。

 カヌーをどこでいつ乗るのかも聞いていなかったので、この先からカヌーに乗るのだろうかなどと考えていたら、結局、ゴールは小さな滝のある場所でした。
 結局、また来た道を戻って、事務所に戻るとそこで一服して昼食をとり、そこから川に出て、カヌーで近場をうろうろというのがこの日のツアーのすべてでした。
 

 西表島のジャングルを満喫し、久しぶりにカヌーを漕いで気分もよかったのですが、このガイドの方はかなり損をしているなと思いました。
 島のしきたりや島で暮らすということ、祭りの話などいろいろと面白い話しも聞けて、楽しかったのですが、「ガイド」としてはまだまだ足りない、もっと上の「ガイド」があるのではないかと思わせられました。
 それは、人に伝える、そのために聞き出すということです。
 一方的ではない、双方向のやりとりによって、要求にあった情報のやりとりをし、その結果、安心を得たり、より楽しく過ごすということです。
 それは、質問をして、「全体像を示す」ということだと思います。

 島のトレッキングやカヌーをするのであるなら、ゲストの理解を確認し、不足を補う情報を与える、それは、島の地図を示して、これから行くルートを示す、カヌーで漕ぐ川筋を示す、そういったことです。
 これがあるのとないのとのでは、ゲストの楽しむ余裕、楽しみの深さが違ってくると思います。
 
 私がこのツアーのガイドなら、絶対に島の地図を用意して、これから行く場所を確認して示します。

 で、振り返って考えるに、弁護士による代理人活動も同じなんだろうなとつくづく思います。

 毎日の仕事でもあるので、ついつい各依頼者も分かっているものと思い込んで振る舞ってしまいます。
 しかし、実際には、弁護士に代理人活動を依頼するなんてことは個人の方なら初めてのことがほとんどです。そもそも、弁護士って、何をどこまでしてくれるのか、依頼した相手との交渉はどうなっているのか、これからどうなっているのか。
 西表島のジャングルの中のトレッキングよりも不安なことだらだけだと思います。
 交渉が決裂したらどうなるのか、費用はいくらかかるのか、分からないことだらけ。
 しかし、ガイドである代理人は先へ先へとどんどん進んでいってしまい、聞きたいこともなかなか聞ける雰囲気ではありません。
 申し込みをしてしまい、進み出したが最後、この弁護士の後ろ姿を見失うまいと後にすがって進むしかないのか。休憩したいんだけど、いいだせない。
 
 弁護士も、今回のガイドさんと同じようなものかもしれないなといろいろと考えさせられました。


 結局、何事も気配りで、それが出来るかどうかはその人の想像力によるものかと思います。
 ちょっと想像力を働かせる。そして、自分が出来る心配りをする。
 これの繰り返しだと思います。
 完璧なサービス。
 
 ただ、もちろん、いくらサービスがよくても、そもそもの根本的な知識と技量がなければ、ガイドもゲストを楽しませながらも、誤った場所へ連れて行ってしまったり、下手をすればゲストに大けがをさせたりしてしまいます。
 知識と技量、そして想像力。
 ガイドに必要な要素だし、弁護士にも必要なものです。
 
 と、またなんだか意地悪な客の目線の気付きを書いてはいますが、案内してくれたガイドさんはとっても素朴ないい人で、自然を堪能できました。
 ときどき、木を切るのこぎりを持つ手を止めて、のこぎりの刃を磨く休息が必要ですね。ボロボロの刃ではいくらひいても木は切れない。一度休んだほうがリフレッシュされてかえって効率的という話。
 ときどき日常を飛び出て、非日常に行くことによって、かえって日常がよく見えます。

(おわり)
*帰りは、石垣牛のステーキを食しました。ご馳走様でした。 
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2009年11月 8日 (日)

設計・施工者等の不法行為責任~基準と解釈と事実認定とあてはめ~【松井】

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 最高裁第2小平成19年7月6日判決の差戻審が、平成21年2月6日、福岡高裁であったようです。判例時報2051号74頁に掲載されていました。

 最高裁の内容は、これです。
 http://www.courts.go.jp/search/jhsp0030?action_id=dspDetail&hanreiSrchKbn=02&hanreiNo=34907&hanreiKbn=01

 上記最高裁の判断はなるほど!というものでした。

 ただ、この最高裁の基準を受けての福岡高裁の判断。結論としては、「建物としての基本的な安全性を損なう瑕疵があり、それにより居住者等の生命、身体又は財産が侵害されたものということはできない」として、「当該建物の建築工事を請け負った会社及び建築工事の設計・監理を受託した会社の建物の所有者に対する不法行為責任」を否定しました。
 最高裁の基準の解釈と事案での瑕疵の事実認定、あてはめを見て、正直なところ、おやっ?という違和感を感じました。あまり説得的とはいえない、一つの基準をふりまわしてのあてはめによる強引な結論かもしれないという危惧があります。
 まあ、もしかしたらただ単に、やはり原告側の立証が出来ていなかったというだけのことかもしれないですし、証拠を見たわけではないので何とも言えませんが。

 ただ、判例時報の解説も次のように指摘しています。
 

「本判決の結論が本件上告審判決の判断基準を具体的にあてはてめたものとして妥当性があるか否かは今後の議論が予想され、かつ、期待されるところである。」
と締めくくられています。

 この事件の経緯を知ると、ああ、裁判って本当、ギャンブルだわという思いをまた強くするのです。
 自分用に以下にメモ。


 原告Xらは、本件土地・建物をAから購入したもの。Y1は、本件建物の設計・監理を受託したもの、Y2は本件建物の建築工事をAから請け負ったもの。
 Xは本件建物には瑕疵があるとして、約3億5000万円の損害賠償請求。
 なお、上告審とこの差戻審での争点は、瑕疵担保責任ではなく、Yらの不法行為責任に絞られていたようです。

 1審大分地裁平成8年(ワ)385号、平成15年2月24日判決。
 なんと!平成8年に提訴して、判決まで7年を要したようです。やむを得ない事情があったのかもしれないけどひどすぎる。。。
 で、判決は。一審はYらの不法行為責任を認めました。

 しかし次の控訴審。福岡高裁平成16年12月16日判決は。
 Xらの請求を棄却しました。
 解釈として問題とされたのは、この点のようです。
 

「建築された建物に瑕疵があるからといって、その請負人や設計・工事監理をした者について当然に不法行為の成立が問題になるわけではなく、その違法性が強度である場合、例えば、請負人が注文者等の権利を積極的に侵害する意図で瑕疵ある目的物を制作した場合や、瑕疵の内容が反社会性あるいは反倫理性を帯びる場合、瑕疵の程度・内容が重大で、目的物の存在自体が社会的に危険な状態である場合等に限って、不法行為責任が成立する余地がある」
(上記判例時報77頁。「三 審理経過 (2)差戻前控訴審 イ 不法行為責任について 」)
 で、事実認定としては、Xらが主張する「瑕疵」、Yらの行動はこの基準にはあてはまらないから、Yらに不法行為責任はないとしたようです。
 Xらは本件建物の瑕疵としては、9階の共同住宅につき、もっぱら各所に現れた「ひび割れ」を現象として指摘し、その原因として不適切な施行があったことを指摘したようです。

 そして最高裁。これが上記の平成19年7月6日判決です。
 曰く。
 

「以上と異なる差戻前控訴審の上記(2)イの判断には民法709条の解釈を誤った違法があり、この違法が判決に影響を及ぼすことは明らかであるから、差戻前控訴審判決のうち一審原告らの不法行為に基づく損害賠償請求に関する部分は破棄を免れない。」
としました。
 
 最高裁はどのように解釈したのか?
 
「建物は、そこに居住する者、そこで働く者、そこを訪問する者等の様々な者によって利用されるとともに、当該建物の周辺には他の建物や道路等が存在しているから、建物は、これらの建物利用者や隣人、通行人等(以下、併せて「居住者等」という。)の生命、身体又は財産を危険にさらすことがないような安全性を備えていなければならず、このような安全性は、建物としての基本的な安全性というべきである。」
とします。
 そのうえで、
 
「そうすると、建物の建築に携わる設計者、施工者及び工事監理者(以下、併せて「設計・施工者等」という。)は、建物の建築に当たり、契約関係にない居住者等に対する関係でも、当該建物に建物としての基本的な安全性が欠けることがないように配慮すべき注意義務を負うと解するのが相当である。」
として、注意義務を認めました。
 
「そして、設計・施工者等がこの義務を怠ったために建築された建物に建物としての基本的な安全性を損なう瑕疵があり、それにより居住者等の生命、身体又は財産が侵害された場合には、設計・施工者等は不法行為成立を主張する者が上記瑕疵の存在をしりながらこれを前提として当該建物を買い受けていたなど特段の事情のない限り、これによって生じた損害について不法行為による賠償責任を負うというべきである。居住者等が当該建物の建築主からその譲渡を受けた者であっても異なるところはない。」


 そして、平成21年2月6日、差戻審となる福岡高裁判決です。
 限定しています。
 

「『建物としての基本的な安全性を損なう瑕疵』とは、建物の瑕疵の中でも、居住者等の生命、身体及び財産に対する現実的な危険性を生じさせる瑕疵をいうものと解され、建物の一部の剥落や崩壊による事故が生じるおそれがある場合などにも、『建物としての基本的な安全性を損なう瑕疵』が存するものと解される」
としています。
 理由は、
「上告審は、建物は、居住者等の生命、身体又は財産を危険にさらすことがないような安全性を備えていなければならず、このような安全性は、建物としての基本的な安全性というべきである旨判示し、さらに例示として、バルコニーの手すりの瑕疵であっても、これにより居住者等が通常の使用をしている際に転落するという、生命又は身体を危険にさらすようなものもあり得る旨判示している。」
という点から引っ張っています。
 その上で、一審原告の主張に対しては、
「一審原告は、『建物としての基本的な安全性を損なう瑕疵』について、建築基準法やその関連法令に違反する瑕疵をいうと主張する」
とし、「しかし」と続きます。
 
「上告審の上記判示が建築基準法やその関連法令違反のことを示すのであれば、『建物としての基本的な安全性を損なう瑕疵』と、一定の幅を持ち、必ずしも一義的明確とはいえない概念を用いる必要はなかったし、建築基準法やその関連法令は、行政庁と建物の建築主や設計・施工者等との関係を規律する取締法規であり、これに違反したからといって、それだけでは直ちに私法上の義務違反があるともみられない。」

 
「また、ささいな瑕疵について、設計・施工者等が第三者から不法行為責任の追及を受けるというのも不合理であるから、一審原告の上記主張は採用できない。」
としています。
 ???
 今年平成21年2月の高裁判決です。何か解釈として違和感を感じます。つまり、建築基準法や関連法令のうち、生命、身体及び財産の安全に関するものも当然あります。そうであれば、最高裁の判示のうち、建築基準法や関連法令の上記な趣旨を持つ条項に反する場合は、それで義務違反といいうる余地もあるのではないかという素朴な疑問があります。あくまで素朴な疑問ですが。ここまで言い切ることも出来ないのではないかと。
 
 そして福岡高裁は、次の事実を大きな間接事実としたうえで、原告らの個別的な瑕疵の主張をばったばったと切っていくのです。
 
「思うに、『建物としての基本的な安全性を損なう瑕疵』の存否については、現実の事故発生を必要とすべきではないが、一審原告らが本件建物の所有権を失ってから(平成14年6月17日)六年以上経過しても、何らの現実の事故が発生していないことは、一審原告らが所有権を有していた当時にも、『建物としての基本的な安全性を損なう瑕疵』が存在していなかったことの大きな間接事実であるというべきである。」
とまで前置きしています。
 そして個々の原告の主張に対しては。
 
「一審原告らが所有権を失ってから六年以上経過しながら、何らかの事故が発生したとの報告もないことは前記のとおりであるから、一審原告らが本件建物を所有していた当時に、居住者等の生命、身体又は財産に対する現実的な危険性が生じていたとは認められない。」
というのを何度も持ち出して、Yらの不法行為責任を否定しました。


 地震が起きない限り、現に建っていればそれで安全、という議論を思いださずにはいられません。
 上告受理申立てをされているようなので、来年あたり、また最高裁判決が出るでしょうか。
 紛争後、10年以上が経過しておりひどいなという進行状況であると共に、高裁判決もなんだかなあというものです。

(おわり)
 
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2009年10月 1日 (木)

「国税不服審判所と審査請求手続」の研修【松井】

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撮影 塩澤一洋氏(http://shiology.com/)。勝手に心の師匠。なんと!iPhone3GSで撮影した写真だということです!絵画のような妖艶な一枚。


 昨日、大阪弁護士会主催の「国税不服審判所と審査請求手続」という研修を受けました。
 講師は、大阪国税局不服審判所の所長、本多俊雄さんです。ついこの春までは民事部の裁判官をされていた方です。おそらく2、3年ほど、審判所の所長を務めた後、また裁判所に戻られます。
 そうです、国税不服審判所は「国税庁の中の特別の機関」なのですが、その所長は裁判官という法曹が務めているようです。
 もう12年前になる、司法修習時代の私がいたクラスの民事裁判教官の裁判官も、一時期、東京の国税不服審判所の審判官をされていましたので。
 で、特に守秘義務が厳しいようなのですが、その義務の中で、いろいろと興味深い実務上のお話がきけて面白かったので、ここにまた自分用にメモします。ブログをご覧頂く方にも何か参考になることがあれば。


 国税不服審判所の詳細については、HPが充実しているのでこちらをご覧ください。
 http://www.kfs.go.jp/

 審査請求事件については、平成20年度、発生件数が2835件あったということでした。ちなみに、異議申立ては5313件、訴訟は355件ということです。
 うち、審査請求事件について代理人の状況はどうかというと、これは感覚的なものですがということで、次のような状況らしいです。
 代理人なし・・・・47%
 税理士代理人・・・29%
 弁護士代理人・・・12%
 代理人なしで審査請求手続きをされる方が約半数。驚きでした。また、税理士さんも代理人として約3割がついているというのも予想より多く、活躍されているんだなという印象を受けました。
 ただ、審査請求について、平成20年度の処理のうちで、納税者の主張が何らかの形で受入れられたものの割合は、14.7%だそうです。
 これを狭き門と捉えるのか否か。


 最近の傾向としては、やはり国際税制がらみが多いということでした。
 そういえば、大学の同級生などで国税局に就職したという人が、留学しているらしいという話も聞いたことがあるので、国税局の方も力を入れているのだと思います。
 また、国際税制がらみになると、金額も大きく、専門性も高く、そして争訟性が強いという傾向があるようです。
 企業も、納得出来ないときは国税局に対して争うようになってきたということだと思います。数年前から言われていますが。
 

 審査請求手続に関しては、審判官として多いのはやはり税務所からの出向の人がほとんだということで、手続的保障といった観点、主張と証拠といった観点、あるいは第三者機関としての視点という点で不慣れな面もあり、法曹出身の審判官として、いろいろと協議しているということでした。
 税務所の職員として働いていた方々が、第三者機関として、いわゆる古巣の税務所の判断について改めて審査というのは、これはもう制度的に難しい面があるというのはやむを得ないと思います。
 また、法曹ではないので、実体面と手続面を区別して思考するという訓練を受けているわけでもないので、この思考法はなかなか難しい面もあるのだろうと思います。
 ただ、もちろん税法については税務所の職員出身の方は実務を経験されたプロですので、逆に法曹出身者の方はその面で教わることが多々有るのだろうと思います。
 行政部内の最終判断となる裁決を行う機関としては、よく出来た機関なのだろうと思います。


 ちなみに私は、固定資産税という地方税に関し、地方自治体に対し異議申し立てを行い、自治体の行為が改善されたという経験はありますが、国税に関して、この審査請求手続を利用したという経験はありません。
 ただ、講師が言うには、たとえば税理士が代理人となっている件でも、やはり民法上の観点が重要であって、知識と経験が必要な案件で、弁護士さんに相談に行かれたらどうですか?と言いたくなるような案件もないわけではないということでした。
 また弁護士が訴訟代理人となって訴訟になった事案でも、審査請求手続の方を利用していてれば、もっと早く妥当な解決が導き出せたのではないかと感じる事案もないわけではないということでした。
 

 国税不服審判所の目的は次のようなものです。
 

「税務行政部内における公正な第三者機関として、適正かつ迅速な事件処理を通じて納税者の正当な権利利益の救済を図るとともに、税務行政の適正な運営の確保に資すること。」

 おもしろいのは、納税者の正当な権利利益の救済が目的だけではなくて、税務行政の適正な運営の確保にもある点です。
 そのためか、不当な処分の取消対象は、違法な処分だけではなくて、不当な処分も取消の対象になるようです。

 「違法」「不当」と聞いて思い出すのは、ある裁判官の言葉です。
 「違法判決」と言われたら困るけど「不当判決」と言われる分には仕方ないと思える、というものです。
 裁判ではそういう世界です。
 しかし、この審査請求、裁決においては、「不当」な処分も是正の対象とされるのです。
 
 裁判と、それ以外の似て非なる制度に手続き。
 いろいろとあります。またどこかでまとめたいと思います。
 相続でよく出てくるので依頼者の方々によく説明するのですが、普通に生活していたら、「裁判所」「裁判官」というひとくくりで、裁判所、家庭裁判所、訴訟手続、審判手続、裁判官、審判官、訴訟事項、審判事項の説明が難しいです。「既判力」って何という話も出てくるし。ホワイトボードに書いて、説明させていただくと、なるほどと納得はしていただけるのですが、その後、本当に腑に落ちているのかどうか怪しいことも多く。
 相続事件だと、下手したら、家庭裁判所と地方裁判所(高裁、最高裁)をいったりきたりということもあります。だから事件解決が長期化することも多く。前にもどこかで書きましたが、離婚訴訟のように、家裁で一元化するか、地裁でも判断可能とした方がいいのにと思います。
 
(おわり)
*京都地裁に行ったらよくよるお店、mamaroのスープカレーです。絶品! 
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2009年9月24日 (木)

相続法と計算~遺留分など~ 【松井】

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 ブログの過去の記事を見て頂くと分かるように、私は個人的にも「相続」事件が大好きです。
 なぜか。たまたま弁護士1年目のとき、他の弁護士さんが遺産分割事件の審判まで担当された事件の不服申立の事件、即時抗告審を担当したり、公正証書遺言の作成を担当していたところ残念ながら適わずに遺言者の方がお亡くなりになってしまい、そのまま遺産分割事件に突入し、遺産の範囲から問題となり、あしかけ10年、調停、訴訟、調停、訴訟となってしまった事件を担当した影響が大きいと思います。

 即時抗告審からの担当で学べたことは、本当に相続の0~10まで基本的な事柄を総ざらえできたということでした。
 家庭裁判所での審判書に対して、そのアラを見つけ出す作業です。しかし、弁護士1年目。相続の分野は実は司法試験でも試験にほとんど出ないところなため、実務的なことは全く知りませんでした。
 そのような状態で、審判事項とは何か、訴訟事項とは何か、財産を評価するにしてもいつの時点でどのように評価すべきと考えられているのか、しらみつぶしにチェックしていきました。まさに弁護士1年目だからこそ出来たような時間をかけた仕事っぷりでした。
 そして公正証書遺言の作成とその後に続く、調停申立て、取り下げ、遺産の範囲確認の訴えなども同じです。結局、2回訴訟をして、2回とも最高裁までいきました。そして3度目の正直で、ようやく調停成立です。その間、特別受益だ、持ち戻しだ、なんだと確認しました。これは相続事件ではよくあることですが、被相続人に収益物件があり、この収益物件に関して、賃貸借ということで種々の問題が生じ、さらにはこれもよくありがちですが、被相続人が各種不動産を取得するに際し、結構な額の借入金で建設資金や運用資金を賄っていたため、負債も相当額あったという、次から次へと周辺の事柄も相続に絡んで問題となるという場合でした。
 また私としては幸運なことに、この間さらに、何件かの遺留分減殺請求訴訟や遺言無効確認の訴えを担当させていただく機会がありました。
 こうして、相続分野について、四方八方からいろいろな経験をさせていただくことができました。
 そして法的にもまだまだ未開拓な、やりがいのある分野だということが分かると同時に、相続事件というのは、お亡くなりになられた被相続人の方の一代記に接するものだという思いになりました。ご自身でそれだけの財産を築かれた方、あるいは代々の財産を守られた方がどのようにビジネスを行い、配偶者をもち、子をもち、行きて来られたのか。その40年、50年に渡る歴史に接し、この点で興味深く思うと同時に、畏敬の念を禁じ得ません。
 このように、過去30年、40年前の事柄が問題になりえて、壮大な思いで仕事をさせていただくのは相続事件くらいではないかと思います。


 でも、弁護士によっては相続事件があまり好きではないという人もいます。
 なぜか。
 当事者が複数であって、利害対立状況が複雑というのもありますし、また結局、過去のしがらみにもとづく兄弟げんかや後妻と子ども達の親子げんかじゃないかという見解もあるようですし、親が遺してくれたものに何で取り分でいがみあうのか、さらには計算が複雑でよくわからないから好きになれないという点もあるようです。
 
 この点、言い得て妙な表現を最近、見かけました。法学教室09年10月号の「家族法ー民法を学ぶ第19回」「具体的相続分の決定『だってもらってたじゃない!』(神戸大教授 窪田充見)の中の言い回しです。

 

「ところで、個人的なことになりますが、おの具体的相続分の計算という問題、私は、比較的好きです。計算ばかりであまり好きではないと言う諸君も多いのではないかと思いますが、そうした計算の前提となるしくみの中には、相続をめぐる基本的な問題が見え隠れしていると感じられるからです。」
とあります。
 まさにそのとおりです。

 さらにはこのような表現も。
 

「私の印象では、相続法の問題は、各所によくわからない深みが潜んでいる。」

 そうなんです、そうなんです。

 だからこそ、平成10年以降においもて、相続の分野では未だなお注目の最高裁判決が出て続けているのだと思います。
 突き詰めて考えると、この場合、どうなるんだろうという問題が今なお結構あります。 
 以前にも述べたように、こういった問題は従前は、最高裁にいくまえにどこかで当事者間でおりあいがついていたのだろうと思います。ところが、最近ではやはり徹底的に裁判所の判断を求めるというところに来ているのではないかと思います。
 なお、当事者が複数で複雑に利害がからみあうという状況も、私は実は好きです。利害関係が単純ではないだけに、どこかでダイナミックな解決に至る要素、チャンスが多いからです。
 以前、ある家裁の調査官が口にしていました。
 

「相続事件(遺産分割)は、アイデアですよ。」

 そのとおりだと思います。


 ところで、判例タイムズ07年11月15日号での「遺留分減殺請求訴訟を巡る諸問題」では、裁判官ら共同で執筆しているのですが、次のような表現で冒頭はじまっています。
 

「遺留分減殺請求訴訟は、複雑困難な訴訟類型の一つとされており、遺留分侵害額、減債額等の算定が複雑であるほか、論点や判断要素も多く、個々の論点についても必ずしも実態法の解釈が一義的であるとは言えない。」

 「このため、当事者双方がこれらの論点等について十分に理解せず、また、共通認識を持つことなく、主張立証を行って、審理が混乱する場合も少なくない。」

 つまり、弁護士が「遺留分」について理解しないままに適当に訴訟活動をしていることが多いですよ、ということです。
 
 なぜか。やはり「算定が複雑」であり、「論点や判断要素も多く」、「必ずしも実態法の解釈が一義的であるとは言えない」からです。
 思うに、そもそも問題、論点があることすら気づかずに訴訟活動、代理人活動をされている場合もあるのではないでしょうか。
 その場合「共通認識を持つことなく」、交渉、訴訟活動が行われます。
 一番の被害者は、まさに依頼者、当事者ではないかと思います。

 でも逆に、複雑で困難な問題だからこそ、紛争解決を担当させていただく弁護士としては、非常にやりがいを感じ、面白いと私は思うのです。
 遺留分減殺請求にしても、法律上は、民法1028条で

「兄弟姉妹以外の相続人は、遺留分として、次の各号に掲げる区分に応じてそれぞれ当該各号に定める割合に相当する額を受ける。」
として、
「一 直系尊属のみが相続人である場合 被相続人の財産の三分の一
 二 前号に掲げる場合以外の場合 被相続人の財産の二分の一」

とあります。
 だから、私は相手に「三分の一」、「二分の一」請求できるといったことにはなりません。

 ここからがスタートです。
 1029条1項には、遺留分の算定の規定があります。
 

「遺留分が、被相続人が相続開始のときに有した財産の価額にその贈与した財産の価額を加えた額から債務の全額を控除して、これを算定する。」

 とあります。
 さらには、民法は1044条まで遺留分に関する規定をおいています。
 遺留分、遺留分と言われていますが、実際に、じゃあ、誰に対して、いくら、何を請求できるのかというと、事案に応じた計算をせざるをえません。
 
 これにやりがいを感じられるかどうかだと思います。

 知識と経験と、そしてアイデアが相続事件だと思います。
 

 ちなみに、先の判例タイムズの特集の見出しだけひろっておきます。
 これだけのことが問題になりうるのが遺留分なのです。
 計算式に当てはめて、ちゃっちゃと算出できる代物ではありません。
 
 公正証書遺言の作成件数が増えているようですが、遺言作成数の増加と共に、遺言無効確認の訴えのみならず、遺留分減殺請求訴訟も増えてくるのではないかと予想されます。 現に私の方へのご相談でも、遺言を巡ってのご相談が増えています。
 検討順位は、まず、無効ではないのかどうかをしっかり検討します。カルテや介護施設の記録が重要です。
 そして次に、遺留分を侵害する内容か否かが検討されます。このとき、相続時の財産だけではなく、生前に渡しているものなどがないかまで検討しなければなりません。
 実は、方向性を決めるまでにかなりの調査作業を要するのが、相続です。


以下、判例タイムズ07年11月15日号、12月15日号


 

第1 遺留分減殺訴訟の意義・訴訟物等
  1 遺留分減殺請求訴訟の意義
  2 遺留分減殺請求訴訟の訴訟物

 第2 遺留分減殺請求の当事者
  1 遺留分減殺請求権者
  2 相手方
  
 第3 遺留分及びその侵害額の算定
  1 遺留分侵害額の算定法法
  2 算定の基礎となる財産について
  3 当該相続人の遺留分の割合
  4 当該相続人の特別受益額
  5 当該相続人の純相続分額
  
 第4 遺留分減殺請求権の行使
  1 遺留分減殺請求の意思表示
  2 減殺の方法
  3 遺留分減殺請求の競合
  4 権利の濫用
  
 第5 遺留分減殺請求権の効力
  1 遺留分減殺請求権の行使と法律関係
  2 遺留分減殺請求権の行使により遺留分権利者に帰属する権利の性質
  
 第6 価額弁償
  1 価額弁償の制度について
  2 価額弁償と減殺請求の効果
  3 価額弁償の方法
  4 価額弁償の評価基準時
  5 価額弁償の抗弁を容れる場合の判決主文
  6 価額弁償の終期
  7 贈与又は遺贈の目的物が第三者に譲渡された場合
  8 一部の価額弁償の可否
  9 贈与・遺贈が未履行の場合

 第7 遺留分減殺請求権の消滅 
  1 放棄
  2 時効


(おわり)
 
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2009年9月13日 (日)

おかしいと思うことを口に出して言うということ~名誉毀損訴訟~【松井】

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 おかしいと思うことを口にだして言うこと。それは、憲法21条1項に定められた自由です。

 「集会、結社及び言論、出版その他一切の表現の自由は、これを保障する。」

 憲法そのものは、国と個人との関係を規律するものといわれています。
 国から、合理的な理由なく、自由を制約されないということ。
 ものを言うことに対して、国からとやかく言われないということが表現の自由です。その裏返しが、23条2項に定められた、国による検閲の禁止です。

2 
 じゃあ、国ではない私人対私人はどうなのか。
 憲法が直接適用されるわけではありません。
 国は国家権力として強制力をもちますが、私人は私人に対して、他の者の行動を強制させることは出来ません。
 ただ、私人の保護されるべき利益が他の私人の言動によって侵害され、その侵害に正当な合理的な理由がない場合、他方の私人の自由と他方の私人が受けた損害を比較し、被害を受けた方が保護されるべき事由があるような場合、他方の自由が制約される結果となる場合があります。
 私人の場合、このような利害をどう調整するのか?

 利用されるのが、民法709条以下に定められた不法行為責任です。
 

民法709条「故意又は過失によって他人の権利又は法律上保護される利益を侵害した者は、これによって生じた損害を賠償する責めを負う。」
民法710条「他人の身体、自由若しくは名誉を侵害した場合又は他人の財産権を侵害した場合のいずれであるかを問わず、前条の規定により損害賠償の責任を負う者は、財産以外の損害に対しても、その賠償をしなければならない。」

 損害賠償責任を負うのか、負わないのかというカタチで利害が調整されます。
 
 この中で、表現の自由にいう表現行為については、私人対私人の場合、名誉毀損訴訟、あるいはプライバシー侵害訴訟として、争われることになります。
 
 名誉毀損訴訟は、マスコミ対著名人の場合、ある時期を境として一挙にその損害賠償額が高額化しているという事実があります。
 その原因はいろいろ言われていますが、真実はともかくとして、対マスコミの訴訟では数千万円規模の損害賠償額が連発しているように思います。


 ただ、一方で、このような賠償請求訴訟は、それ自体が、表現行為に対する威嚇行為であって、表現行為を萎縮させる効果をもつことがあります。
 しかし、憲法は表現の自由が保障されること、私人が自由にいいたいことを言うということそれ自体に価値を認めているものである以上、私人間の民法においてもその価値は評価されるべきものと考えられます。

 そこで、名誉毀損に基づく損害賠償請求訴訟の提起そのものが、威嚇目的であると評価されるような一定の要件のもとに、提訴行為自体を不当訴訟として逆に訴えた者に対して損害賠償責任を認めていることもあります。
 数年前、消費者金融の武富士に関して各種発言、表現行為を行っていた人らに対し、武富士が名誉毀損として損害賠償請求訴訟を起こしたことがありました。
 当時、武富士は、戦闘的に争う姿勢を示していたように思います。
 結果、武富士に注目が集まり、実はその作家の盗聴行為を行っていたことや各種、不当な取立てが行われていたなどの行為が世に晒され、訴訟についても、結局、武富士の方が返り討ちにあうような事態となっていました。
 

 最近気になるのは、弁護士への相談でも、訴えることは出来ないですか?という相談で、理由はと尋ねると、名誉毀損にあたるので訴えられませんか、精神的苦痛を受けたので慰謝料請求できないですか?といった相談です。
 具体的にどういうことがあったのかとさらに尋ねると、例えば、マンション内での意見の対立に起因した文書でのやりとり、あるいは、利害が対立する相手方との間での激しいやりとりです。自身が攻撃を受けた、批判を受けたということで精神的苦痛を受けたというものです。

 またさらに驚くのは、弁護士作成の訴訟上の文書や内容証明郵便においても、その文書の中で、具体的な根拠、理由の指摘なく、「名誉毀損訴訟を提起する」「告訴する」といった文言が現れることです。親族間の紛争のような場合、互いに相手の行動を批判的に記述することがあるのはやむを得ない場面が多々あります。それに対し、反論するのではなく、別途法的措置を執ると予告することで威嚇するのです。
 
 本当に訴えとして成り立ちうるのか、返り討ちにあうことはないのか、提訴にかかるコスト、お金と労力と時間をよく考えるべきだと思います。
 そういうと、「じゃあ、泣き寝入りですか。」という声が聞こえそうですが、そうではなくって、人の主張、表現活動に対しては、他方も一定限度は受け入れるべきであるという価値観があるということです。
 言論には言論でというのが法の立場だと思います。
 言論には訴訟で、というのはまったく例外的な場面であり、最後の手段だということです。
 

 昔、マンション管理会社がマンション住人を名誉毀損で訴えた訴訟の住人側の訴訟代理人をつとめたことがありましたが、訴える管理会社もなんだかなあと情けないような思いがしました。控訴審までいき、和解で終わりました。もちろん、住人側は一銭も支払わずです。管理会社側を「威嚇」するためには、反訴すればよかったのかな。でもそうすると泥沼。

 そもそも不合理を指摘されたらのなら、まず言論でもって反論、対抗すべきなのです。
 どういった反論が出来るのか、どういった反論をすべきかを検討することなく、 「名誉毀損として訴える」という時点で、いわば思考停止です。返り討ちにあうでしょう。
 
 もちろん、明らかにひどいものは別ですけどね。言論で反論しようのないものを誹謗中傷として、即、訴え提起というのもあり得ます。

(おわり)

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2009年9月11日 (金)

侵害額の算定と相続債務の扱い〜遺言と遺留分減殺請求〜【松井】

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*昨日9月10日は新司法試験の合格発表日だったようです。昨年、当事務所にバイトに来てもらっていたMさん、合格だそうです!偶然、裁判所の前でお会いしました。嬉しいです!事務所に戻って他のスタッフや大橋にも伝えたら、皆、大喜びでした。これからまた新たなスタート、頑張ってください!


 この前触れた、遺留分と相続債務に関する最高裁判例です。
 最高裁三小平成21年3月24日判決(判例時報2041号45頁)です。
 http://www.courts.go.jp/search/jhsp0030?action_id=dspDetail&hanreiSrchKbn=01&hanreiNo=37455&hanreiKbn=01


 一般の方でもちょっと相続に関心のある方であれば「遺留分」という言葉は知っていると思います。
 そして流行の「遺言」を作る際においても、「遺留分」「遺留分」「遺留分を害することはできない」などという言い方をされます。
 そこで極端なのが、本当は子ども4人のうち、一人に全部をあげたいんだけど、「遺留分があるから」といって他の3名のものに対しては、遺産の遺留分相当額を相続させるといったような遺言です。
 1/2×1/4=1/8 を相続させるといったような遺言です。
 
 実際、相続が発生してから遺留分が問題となる場合、遺留分減殺請求権を行使して、実際に確保できる金額、財産評価額はいくらなのかというと、これを算出するのにいろいろと「算定」方法が定められています。
 実は結構ややこしいのです。
 きちんと算出する場合、「エクセル」は必須です。
 そのため、以前、弁護士会での家庭裁判所の担当裁判官を講師にしての相続研修においては、裁判官は、このように言っていました。
 「相続事件は、実は、弁護士さんは皆さん誰でも出来ると思っているかもしれませんが、実際には、特定の専門分野として複雑な内容なんです。」と。
 要は、きちんと勉強をせずに家裁に遺産分割などの申立てをしている方が結構いらっしゃる、勉強してきてくれということでした。
 またさらには、「相続は、計算方法の問題でもありあす。これは、いまやエクセル表が不可欠ともいえます。若い弁護士さんなら皆、エクセルを使いこなせているでしょう。ご年配で、エクセル表を使っていない方はぜひ若い弁護士さんと組んでされてはどうでしょうか。」
 
 やはり、なるほどと思いました。確か、もう2、3年も前の研修です。

 このように遺留分侵害額の算定といっても算式があります。
 ただ、そんなことはもうとっくに全て、解釈論は解決されているのではないかと思うのももっともだと思います。
 ところが、この前のエントリーでも触れたように、平成10年以降も続々と最高裁判決が出ているのです。
 そして、私自身、あ、こんなこともまだ解決されていなかったのかと驚いたのが、今回の平成21年3月の判決事例でした。


 遺留分については、民法1028条から1044条までの間に規定されています。
 1029条が遺留分の算定です。そして1031条において、遺贈又は贈与の減殺請求として、「遺留分権利者及びその承継人は、遺留分を保全するのに必要な限度で、遺贈及び前条に規定する贈与の減殺を請求することができる。」としています。
 ここでいう「遺留分」の額を算定するにあたって、相続債務はどのように取り扱われるかです。
 最高裁で問題となったのは、遺言があって、その内容は、相続人のうちの一人に対して財産全部を相続させる旨の内容であり、このとき、被相続人が負っていた金銭債務の法定相続分に相当する額を遺留分権利者が負担すべき相続債務の額として遺留分の額に加算すべきかどうかが争われました。

 なぜ問題になるかというと、相続債務については、民法899条「各共同相続人は、その相続分に応じて被相続人の権利義務を承継する」として、金銭債務のような「可分債務」については、相続人らは被相続人の債務の分割されたものを承継するもの解されていたからです(最判昭和34年6月19日民集12.6.757)。
 
 どういうことかというと、被相続人Aさんは、不動産を含むプラスの財産約4億1000万円を有し、一方で、同じく約4億円の負債を有していました。相続人は子どもXとYです。
 そして公正証書遺言で、Yの相続分を全部として、遺産分割方法の指定として遺産の全部をYに移転する内容を定めました。
 これに対し、XがYに対し遺留分侵害請求をしたのです。
 
 そしてXは、その遺留分侵害額の算定にあたって次のように主張しました。
 プラスの財産約4億1000万円円から約4億円を差し引いた1000万円の4分の1である、250万円に、相続債務の2分の1に相当する2億円を加算して、Bの遺留分侵害額は2億0250万円に当たると主張したのです。
 これに対し、Aは、いやいや相続債務の2億円は、本件のような相続人の間では当然に法定相続分で分割されるというものではなく、遺言によってAがすべて負担することになるものであって、Bの遺留分侵害額の算定にあたっては加算されず、Bの侵害額は250万円だとして争いました。
 えっらい、おおきな違いになります。

 これは、そりゃあ、最高裁まで争うでしょうという事案だったようです。

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 で、最高裁はどうかというと、次のような判示となりました。直感的に、妥当な常識的な判断だと思えます。法的構成もまあ、そうだよねというものでした。
 こんなことが未だに争われ平成21年3月になって最高裁が判断を示さざるを得ないのが相続の法律の世界なのです。
 違う観点からいえば、あちこちにまだ落とし穴や地雷がありうる世界であって、本当に法律論、条文、最高裁判決、学説、知恵がないと「遺言作成の依頼を受けます」などと怖くて言えない分野なのだと思います。
 事案も平成15年7月に公正証書遺言を作成し、11月になくなってから、遺言の内容が不明確ともいえたために、結局6年もの間、相続人らは弁護士費用や時間、労力をかけて争わざるを得ませんでした。
 遺言を遺した被相続人も不本意ではないかと思います。

 最高裁の判断

「相続人のうちの一人に対して財産全部を相続させる旨の遺言により相続分の全部が当該相続人に指定された場合、遺言の趣旨等から相続債務については当該相続人にすべてを相続させる意思のないことが明らかであるなどの特段の事情のない限り、当該相続人に相続債務もすべて相続させる旨の意思が表示されたものと解すべきであり、これにより、相続人間においては、当該相続人が指定相続分の割合に応じて相続債務をすべて承継することになると解するのが相当である。」

 
「相続人のうちの一人に対して財産全部を相続させる旨の遺言がされ、当該相続人が相続債務もすべて承継したと解される場合、遺留分の侵害額の算定においては、遺留分権利者の法定相続分に応じた相続債務の額を遺留分の額に加算することは許されないものと解するのが相当である。」

 結局、さっきのXさんの場合の遺留分侵害額は、XとYとの間では負債2億円はYのみが負担するものということで、Xの遺留分侵害額算定においては考慮せず、結果、Bの遺留分侵害額は250万円ということで確定しました。


 問題のポイントは、判例時報の解説でも指摘されているように、
 

「本件遺言は、Yの相続分を全部と指定し、その遺産分割の方法の指定として遺産全部の権利をYに移転する内容を定めたものであるが、その効力がAの有していた金銭債務にも及ぶのかどうかが問題となる。」
ものです。
 
 そしてこの問題を考えるにあたっても、過去の裁判例などを敷衍する必要があります。
 
「相続人に対して財産を相続させる旨の遺言などにより遺産分割の方法が指定され、その対象財産の価額が当該相続人の法定相続分を超える場合には、相続分の指定(民法902条)を伴う遺産分割方法の指定であると解するのが一般的な見解である。」
こと、

 

「相続分の指定がされた場合、指定の効力が相続債務にも及び、共同相続人間の内部関係では、各相続人が相続債務についても指定相続分の割合により承継又は負担するものと解されていること。」

 

「相続させる遺言に遺産分割方法の指定の意味がある解するのであれば、遺産全部を一人の相続人に相続させる遺言がされた場合(対象財産の価額が当該相続人の法定相続分を超えることは明らか)には、特段の事情がない限り、相続分の全部が当該相続人に指定され、少なくとも相続人間においては相続債務についてもすべて同人が承継又は負担するものとされたと考えるべきであろう。」

 と指摘されます(判例時報2041号46頁。判例解説。)
 
 可分の相続債務の取扱いについては、債務についても「被相続人の財産に属した一切の権利義務」(民法896条本文)に含まれるものとして法定相続分(民法900条)によって相続開始時に当然に分割されると解されています。当事者間の特段の合意があればともかく、そうでない場合は遺産分割の対象にならないと解されています(民法906条)。既に分割済みだから。家庭裁判所の審判でも、当事者間の合意がない限り、審判の対象にはなりません。
 他方、民法902条では、
「被相続人は、前二乗の規定にかかわらず、遺言で、共同相続人の相続分を定め、又はこれを定めることを第三者に委託することができる。ただし、被相続人又は第三者は、遺留分に関する規定に違反することができない。」
とあります。
 遺言で、相続分を定めることができるので、相続債務についても、相続発生と同時に分割されるとはいえ、その分割の割合を被相続人は遺言で決めることができると考えられるのです。
 そこで、相続債務の負担について、遺言者の意思の解釈という問題となって今回の事例も検討されたのです。


 遺言を作成するとき、前回の生命保険のことはもちろん、債務の負担についても検討することが不可欠だということです。
 本件でも、遺言でそのことが明記されていれば、最高裁判決まで争うという必要もなくて済んだということです。
 少なくともこれからは要注意です。
 検討すべきことが検討されずに、かえって紛争を拡大させるような遺言が作成された場合、遺言作成の依頼を受けたものは助言義務の注意義務違反に問われるということもありえるのかと思います。
 気をつけねば!
(おわり)

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2009年9月 6日 (日)

最高裁判所の裁判官~弁護士活動の方向性~【松井】

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1 
 大阪弁護士会所属の弁護士であり、平成18年まで約4年間、最高裁判所の15人の裁判官のうちの一人を務められた滝井繁男弁護士の著書を読みました。滝井繁男「最高裁判所は変わったか 一裁判官の自己検証」(2009年7月、岩波書店)。
 大橋が購入し、8月末までなら貸してあげるよということだったので、そのまま借りて大橋よりも先に読んでしまいました。
 読了中から、これは自分用にも書き込みできるように一冊、買おうと思う一冊でした。


 判例時報21年8月11号に掲載されていたところによると、平成20年の最高裁民事破棄判決は52件。「既済件数2952件に占める割合は1・9%となる。」ということです。
 つまり、最高裁で、高裁の結論がひっくりかえる確率は、2%未満。
 そもそも、その前の高裁で地裁判決がひっくり返る割合は確か25%くらいだったはず。
 三審制といっても、事実上、一審で決着つく確率がいかに高いことか。
 
 とはいえ、年間、最高裁には民事事件で約3000件が係属するということです。
 これを5人の裁判官からなる小法廷3つで審理していくのです。
 記録読みに追われるその激務の様子が描かれています。
 もちろん、裁判官の中でも優秀な人を集めているといわれている最高裁判所調査官の方の下支えがあってのこと。
 それでも、

「私の場合、退庁時間まで七時間半、昼食時を除いてほとんど記録を読み続けているため、この時間になると、気力、体力ともその限界にきているというのが実感であった。」
(43頁)とあります。
「帰宅後は、食事を終えると比較的丁寧に新聞を読むようにはしていたが、疲れているのでさらに机に向かうという気力はなく、早い時間に寝ることにしていた。そして、概ね四時迄には起きて、また記録を読み始めるというのが日常であった。」
(同頁)とあります。
 まさに、文字通り「激務」だと思います。そんな生活が4年近く続くのです。
 
 しかしそのような中で、滝井元判事は、個々具体的な事件の中で「最高裁判所」が果たすべき役割を考え、見落としがあってはならないと、記録を精査し、そして判断し、ときに個別意見を表明していきます。
 
 判断した個々具体的な判決事例についても、かなり突っ込んだ判断経過が記述されており、最高裁裁判官の頭の中の思考過程が記されている、貴重な本だと思います。
 
 訴訟代理人をつとめる弁護士に限らず、企業法務、契約業務、あるいは国政、地方自治にかかわる人は必読だと思います。行政訴訟に関する記述が厚いです。

 以下、自分のメモように、やはりそう考えているのねといった箇所を少し引用しておきます。


 租税法律主義について

 

「最高裁は、租税の賦課は法律の根拠に基づかなければならないとする租税法律主義の趣旨は、私人が予測不可能な課税をされることは許されないというものであって、法がある賦課徴収をなす趣旨であること、あるいは減免を認める趣旨でないことが国民にあきらかであるにもかかわらず、技術上の工夫をこらしたり法文上の不備をついたりして課税を免れようとするものに対して課税をすることは租税法律主義に反するものではないという見解に立つものだと思われる。」
(132頁)。
 私は、この記述を読み、映画フィルムの事件を思い出しました。

 行政庁の裁量について

 足立区医師会の事件に対して(昭和63年7月14日第一小法廷判決、判時1297。29)
 

「原審の東京高裁は都の言うような混乱と障害の生ずるおそれがあるという判断に合理的根拠はないと判断し、都の処分には裁量判断の逸脱があると言ってこれを取り消したのですが、最高裁は、一定の事実を起訴として混乱が生ずるという行政の判断の過程にその立場における判断のあり方として一応の合理性があることが否定できない異常、その判断に裁量の逸脱はないとして原判決を破棄し、請求を棄却する判決をしたのです。混乱するかどうかは、将来のことですから判断の基礎となる事実は評価にわたることになりますが、その捉え方いかんでは、行政の判断が尊重されることになってしまうのではないか、それでよいのだろうか。この事件では本当に混乱がどの程度起こるのか、また、仮に少々の混乱があっても他の要素との衡量、この事件では公益法人設立の利益というものと、混乱の程度との衡量が必要ではないかと思うのです。この辺のことがもう少し、議論されてもいい事件だったのではないかという気がします。」
(169頁)。
 思考を停止させずに、とにかく突き詰めて具体的に根拠を考え抜くということだと読みました。
 「裁量の基礎となる事実をしっかりと認定し、その判断過程に注目すること」
(同頁)。

 民事事件について

 

「公害訴訟なんかでも似たようなことが言えると思うんですが、原告側が被害というものの実像を、それが出てきた原因と関連づけてすごいエネルギーを投じて明らかにしてきた。そのなかで、これは何とか救済しなければならないんじゃないかという判断があって、損害賠償請求が認められ、さらには差止請求権を認めるという考え方が出てきたのではないかと思うのです。」

 
「私は、裁判の正当性が承認されるかどうかは、その判断過程の客観性が認識されるための説得力をどれだけもつかにあると思います。説明義務とか契約上の付随義務として一定の信義則上の義務を認めるような判決がでてきておりますが、こういうものも社会的承認を得るための説得のためのもので、このような考えがどこまで拡がっていくのか、これから司法への期待が高まるなかで、新しい法解釈を迫られたとき、どれだけ説得力のある理由を編み出せるか判例の展開に注目したいと思います。」
(338頁)。

 弁護士一年目のとき、裁判官を説得するのは、根本的には、理屈じゃない、事実だということを教えられたことがあります。

 ローマ市民を前にして、ブルータスがやったこと、その殺人は是か非かが議論されました。是とする派と非とする派とが市民の前で訴えました。
 是とする派は、その殺人はやむを得ないものであって、殺されたものは殺されるべくして殺されたことを理屈で訴えました。
 それに対して。
 非とする派は。
 血染めのシャツを市民の前に差し出しました。
 そして言うのです。
 「見ろ、これがブルータスのしたことだ!」と。
 市民は血染めの残酷なシャツを突き出され、それを是とすることは出来ず、ブルータスの非道に対し一気に怒りで沸き上がるという話しです。

 法律マシーンではなく、感情をもった裁判官です。もう一歩のところで突き動かすのは感情だということなんだと読みました。


 弁護士として向かうべき道が見えてくるように思います。
 その道をどこまで進めるかどうかは別にして。。。努力し続けることが出来るかどうかですね。それも、全ては気力にかかっている。。。
 ま、総論ばっかり語っていないで、各論を実行することですね。がんばります。

(おわり)
 
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2009年8月10日 (月)

相続と株式〜理想と現実〜【松井】

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 判例時報平成21年6月11日号(2037号)です。
 自分用にここにメモ。
 相続と株式。
 大阪高裁H20年11月28日判決。上告受理申立てをしたけど、不受理で確定しているようです。
 「共同相続人が相続し、共有状態にある株式に関する権利行使者の定め、株主総会における議決権行使が権利の濫用に当たり、許されないとされた事例」。
 この件については、以前も当ブログで呟きました。
 「株式会社と相続と株式」
 これは結構、手続の適正も絡んで重要な裁判例ではないかと考えています。


 事案としては、交渉協議段階から双方、代理人弁護士が就いていて、そのうえで相続後の会社の経営権を巡る株主としての多数派工作の争いがあったというものです。
 当時の代理人弁護士がそのまま訴訟代理人になっているのですが、一方当事者が行った手続きを問題視されたものであるため、原告被告の当事者名は、株式会社甲野、あるいは乙山春雄などと匿名であっても、訴訟代理人名はそのまま掲載されるところ、「被控訴人ら訴訟代理人弁護士」として「丙山五郎」「丁川六郎」と匿名にされている点がちょっと物悲しい判決です。

 事件名は、「総会決議存否確認請求控訴、同附帯控訴事件」です。
 Y株式会社の創業者Aさんが亡くなり、まもなく配偶者の奥さんBも3人の子どもを残して亡くなりました。ただ、子どものうちの一人Cの配偶者DとこのAさん夫妻は養子縁組みをしており、相続人は4名となりました。
 ただ、この奥さんは、遺言を遺しており、自分の財産は、この実子Cと養子Dの二人には一切相続させず、他の2名の実子X1とX2に全部相続させるという遺言でした。
 Y社の株式は、発行済株式総数3万株、うちAが9700株、妻Bが2500株、実子X1が1250株、X2が1750株等という状況でした。
 結果、Y社の株主の状況は、Aが保有した株式については、X1とX2とで、各3/8、C、Dが各1/8という状況でした。
 珍しくはないケースで、C、D 対 X1、X2とで、紛争が勃発し、Y株式会社の経営支配を巡っても紛争の火種は飛び火したというのが本件のようです。
 訴訟としては、このAが保有した株式の準共有状態と権利行使者の指定、そしてY株式会社の株主総会での議決権行使というカタチで争われました。


 高裁の判断です。
 

「株式会社の株式の所有者が死亡し複数の相続人がこれを承継した場合、その株式は、共同相続人の準共有となる(民法898条)ところ、共同相続人が共有株式権利を行使するについては、共有者の中から権利行使者を指定しその旨会社に通知しなければならない(会社法106条)。この場合、仮に準共有者の全員が一致しなければ権利行使者を指定することができないとすると、準共有者の一人でも反対すれば全員の社員権の行使が不可能になるのみならず、ひいては会社の運営に支障を来すおそれがあるので、こうした事態を避けるために、同株式の権利行使者を指定するに当たっては、準共有持分に従いその過半数を持ってこれを決することが出来るとされている(最高裁平成5年(オ)第1939号同9年1月28日第三小法廷判決・集民181号83頁、最高裁平成10年(オ)第866号同11年12月14日第三小法廷判決・集民195号715頁参照)。」

 
 
「もっとも、一方で、こうした共同相続人による株式の準共有状態は、共同相続人間において遺産分割協議や家庭裁判所での調停が成立するまでの、あるいはこれが成立しない場合でも早晩なされる遺産分割審判が確定するまでの、一時的ないし暫定的状態に過ぎないのであるから、その間における権利行使者の指定及びこれに基づく議決権の行使には、会社の事務処理の便宜を考慮しても受けられた制度の趣旨を濫用あるいは悪用するものであってはならないというべきである。」
 「そうとすれば、共同相続人間の権利行使者の指定は、最終的には準共有持分に従ってその過半数で決するとしても、上記のとおり準共有が暫定的状態であることにかんがみ、またその間における議決権行使の性質上、共同相続人間で事前に議案内容の重要度に応じしかるべき協議をすることが必要であって、この協議を全く行わずに権利行使者を指定するなど、共同相続人が権利行使の手続の過程でその権利を濫用した場合には、当該権利行使者の指定ないし議決権の行使は権利の濫用として許されないものと解するのが相当である。」


 本件では、結局、この権利行使者の指定の手続きがマズかったとして、それは権利の濫用とされてしまいました。
 曰く、

「被控訴人らにおいてわずか400株の差で過半数を占めることとなることを奇貨とし、控訴人の経営を混乱に陥れることを意図し、本件抗告審決定で問題点を指摘されたにもかかわらず、権利行使者の指定について協同相続人間で真摯に協議する意思をもつことなく、単に形式的に協議をしているかのような体裁を整えただけで、実質的には全く協議をしていないまま、いわば問答無用的に権利行使者を指定したと認めるのが相当である。」

 事案としては、一方的にFAXを送りつけて、一方的な要求を突きつけ、明日の午後5時までにこれを受諾するか否か「のみ」の返事をFAXでしてこいとした方法が評価されてのことのようです。


 数人の弁護士と定期的に行っている勉強会で、この裁判例について話をしました。
 裁判所がいうのはもっともだ、条文の趣旨をよく吟味している立派な判決書だ。
 
 ただ。
 自分が実際、このような当事者間の紛争の代理人となった場合、「真摯に協議」する「場」「手続」をとるというのはちょっと難しいよねということで意見が一致しました。
 法律事務所などで一同に解したら、荒れるのが目に見えています。
 じゃあ、どこかの会議室を借りて一同に集まるのか。
 暴れだされたり、殺傷事件が起こる危険性を裁判官は分かっていないよね、と皆でうなずきあいました。
 方策としては、今回、ダメだったのは、FAX送りつけて翌日5時までにという期間の短さがダメだったのではないか。この点、何も一同に会して協議をとまではいかなくて、余裕のある協議を書面ででも積み重ねたら違ったのではないかということになりました。
 どうなんでしょうか?

 裁判所は、権利行使者の指定のための手続きとしては、やはり対立関係にある当事者が、一同に会しての実質的な協議が行われることを求めているのでしょうか。
 それは。。。血の目を見ることもおそれぬ怖さがあります。実際のところ。。。
 それほど、親族間の対立、会社経営を巡るものは深刻なものが少なくはありません。
 集まるにしても、人目のあるところか、万が一の事態にそなえて警備員などの準備ができるところでしょうね。
 
 理想を語る裁判官と、現実を知る弁護士との温度差が分かる裁判例でした。

(おわり)
  
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2009年8月 6日 (木)

刑事訴訟手続【松井】

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 裁判員裁判の制度が実施されていますが、それについて考えていたときにふと思ったこと。

 最後に刑事事件の弁護人をつとめ、法廷に立ったのはもう2年以上の前のことになります。
 「恐怖心」
 それまでは弁護士1年目のときから当番弁護の登録をし、国選弁護人の登録をし、ほぼ常に刑事事件も担当していました。
 そして当時、刑事事件の法廷に立っていたときに思っていたこと。

 否認事件はともかくとして、認めている事件では、初めて刑事事件の法廷で被告人席に立つ人はもちろん、そうでない人であっても、とにかくもうこの刑事裁判を最後にして欲しい、二度と刑事法廷に来るようなことはないようにという願いは、この有罪無罪、量刑を決める訴訟手続に関わる被告人以外の人、検察官、裁判官、そして弁護人の三者は皆、思いを一緒にしているであろうということでした。

 検察官や裁判官は、被告人に対し厳しい質問などをしたとしても、思いとしては、もう二度とここに戻ってくることのないように、再犯なんてことがないようにという思いは、弁護人と同じはずです。そういう思いなくして、刑事事件に関わることはたぶん出来ないと思います。私刑の場ではないので。

 今回の件で、被告人が刑務所で服役することになったとしても、出所してから、二度と犯罪に関わることなくその人生をまっとうして欲しい。
 そういう思いは三者三様ではあるけど、根底にそういった思いをもちつつ、皆、刑事訴訟手続の役割として、その務めを果たしているんだという思いがありました。
 私は弁護人として全力を尽くし、検察官は検察官として全力を尽くし、そして裁判官は裁判官として全力を尽くす。


 裁判員裁判官はどうなんだろうか、とふと思いました。
 
 今日、西天満界隈にある小さなパン屋さんに入ったところ、パン職人さんを叱責している声が聞こえました。
 「売り物のパンとお前が作りたいパンは違うんだ。作りたいパンは趣味のパンだ。趣味のパンは家で作ってくれ。店では、売り物のパンを作れ。店の材料で、趣味のパンを作るな。」
 たぶん、若い職人さんが研究熱心なあまり、ボスの許可を得ずに店の材料で売り物とは違うパンを作ったところ、ボスに見つかり叱責されていたのだと思います。
 パンを売るオーナー職人として、若い職人さんにプロとしての区別をするように解いていました。
 パンを選びながら、聞くともなくそのやりとりを聞いていました。

 仕事。
 若い職人さんはきっとパンが好きで、新しい美味しいパンを作りたかったのだと思います。
 しかし、そこは職場であり、仕事としてパンをその場で作っているわけです。
 仕事と趣味は違う。
 
 刑事裁判官は刑事の訴訟手続の裁判官を務めることが「仕事」です。
 「仕事」として行う裁判と、そうじゃない裁判。趣味の裁判なんてもちろんありえないけど。
 裁判員の人は、裁判を行うことが「仕事」ではありません。
 訴訟手続の中での自分の役割、務め、つまり「仕事」としての意識をもてるのだろうかとふと疑問に思いました。
 もちろん、「仕事」の世界に、「仕事」とは違う役割をもたせることが裁判員裁判制度の狙いなのでしょうが、そこで意図される、「差異」「違い」は、誰に、どこに、何のためにいいのか。
 「仕事」だけで割り切っちゃだめだということか、「仕事」以外の人を訴訟制度に参加させることによってどういうさらに良い点がありうるのか。
 ぼんやりと考えていました。

 裁判員の人たちは、この被告人が二度とこのような場にくることがないように、という思いを抱いて役割を果たされたのだろうか、どうなんだろうか。

(おわり)

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