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06 交渉

2009年9月 8日 (火)

「目には目を」の対応の不適切さ~建物賃貸借契約に基づく賃貸人の修繕義務と賃借人の問題など~【松井】

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 建物の賃借人と賃貸人との間のトラブルというのもよくうける相談の一つです。この場合、特に多いのが、賃借人が同建物、居室を借りて、営業している商売人の方の場合です。
 借りている建物のトラブルは、自己の営業、売上げに密接に関わってくるだけに、問題も切実だからだろうと思います。
 例えば、漏水や、建物の改修などのために、通常の営業が出来なくなっている、これに対し、賃貸人が適切かつ迅速に対応をしていればトラブルにもならないのですが、放ったらかし、賃借人の言葉に耳を傾けないようなとき、何ができるのか、どうしたらいいのかと弁護士のもとに相談に来られます。



 こういった相談のときに賃借人の方がよく言われるのは、「相手がこっちに対してきちんと対応してくれないのであれば、こっちも同じようにしてやる。」「賃料の支払いをストップしてやる。」ということです。
 
 しかし、賃貸借契約に限らず、こういう問題のときに私なぞがよく言うことは次のようなことです。
 「相手が誠実に対応しない、相手がやるべきことをやらない、そんなときこそこちらは山のように動ぜずに、相手に振り回されることなく、こちらとしてやるべきことをきちんとしましょう。付け入る隙を与えないようにしましょう。」
 ということです。

 つまり、賃料の支払いは賃借人の基本的な義務です。例外的に賃料の減額請求権等が認められているにすぎません(民法611条等)。特段の事情がない限り、賃料は賃料として支払いましょうといいます。
 また、よく法律相談などのときに訊かれるのは、夫婦間の離婚後の問題で、未成年の子がいらっしゃるとき、「元夫の父親が養育費を払ってこないんです。月1回、子どもを父親にあわせる面接交渉のとりきめもあるのですが、払ってこないんだから、こちらも子どもに会わせ必要はないんじゃないでしょうか。」「養育費を払ってきたら、会わせるということはできないのですか。」といったことです。
 
 「あっちがなすべきことAをしないのだら、こちらもなすべきことBをしない。」

 このAとBが法律上、同時履行の抗弁(民法533)にあるといえるような関係であるなら、上記のようにいえます。
 しかし、法律上、賃貸人が一部の修繕義務を尽くさない、誠実さがないからといって、賃料支払いの全額を拒める関係にはありません。
 また、法律上、子どもの父親が養育費を支払わないからといって、子どもに会う権利がなくなるわけではありません。
 それぞれ別々の義務となります。
 そのため、「Aを履行しないなら、Bを履行しない」という行動に出て、かえって紛争を複雑化させ、自分の方が大きなトラブルを抱え込むことにもなりかねません。



 賃貸借契約については、当初、賃借人として、単に修繕をして欲しかった、誠実に対応して欲しかったというだけで、その建物から出るつもりもなかったところ、賃料の滞納を一定程度続けると、賃貸人の方から逆に、賃料不払いを原因として、建物賃貸借契約の解除がなされてしまうのです。
 思いもかけない請求を受けるのです。

 また、面接交渉の拒否においては、養育費を支払わないということと父親と接するという子の福祉の観点においてはレベルのことなる問題であり、他に正当な理由なく、いったん取り決めた面接交渉の機会を奪うと、父親の方から母親の方に対し、不法行為によるものとして父親の精神的苦痛に対する慰謝料請求が100万円単位で認められているというのが実情のようです。
 
 相手が約束を守らなかったとしても、自身に課された責任はよほどの正当な理由がない限り、きちんと果たしましょうというのが法が考えるあるべき姿だということです。
 そうでないと実力行使の世の中がまかりとおり、混乱が混乱を引き起こすだけのことになるのだと思います。
 
 相談者、依頼者の方には、こう言っています。
 「相手が滅茶苦茶なときこそ、自分はきちんとしましょう。胸を張って生きていけるようにしましょう。」と。
 
 例えば、管理組合が適切な対応をとってくれないからといって、管理費の支払いをストップしても何の役にも立ちません。
 「相手を交渉の土俵に引っ張り上げたい?」
 そうであるなら、法的な手続を利用しましょうよ、ちゃんと用意されているんですからと言っています。


 ところで、法律、裁判所はまったく常識的だなと私が思う、気になる最高裁判例がありましたので、建物賃貸人の修繕義務、賃借人のとるべき対応ということでここにメモがてら紹介しておきます。

 最高二小平成21年1月19日判決です。判例時報2032号45頁に紹介されていました。
 http://www.courts.go.jp/search/jhsp0030?action_id=dspDetail&hanreiSrchKbn=02&hanreiNo=37200&hanreiKbn=01

 事案は、やはり営業目的で、老朽化していた建物の地下部分を借りてカラオケ店を営業していた人と賃貸人の間の、修繕義務と損害賠償債務の問題です。
 賃借人が、賃貸人がしかるべき修繕義務を尽くさなかったためにカラオケ店の営業が出来ず、結果、損害を被ったとして、賃貸に対し、営業利益損失等として損害賠償請求し、原審である名古屋高等裁判所金沢支部では約3100万円の損害賠償義務が認められたというものです。
 しかし最高裁は、これを破棄し、事件を差戻しました。

 原審判決では、重大な漏水事故が起こって賃借人がカラオケ店の営業が出来なくなってから、賃貸人が適切な修繕義務を尽くさなかったとしてその後、4年5か月間にわたる営業損害を損害としました。
 しかしながら、最高裁は、賃貸人が責めを負うべきものとなる損害について定める、民法416条1項は、
 

「債務の不履行に対する損害賠償の請求は、これによって通常生ずべき損害の賠償をさせることをその目的とする」
と定め、上記約3100万円の損害は「通常生ずべき損害」にはあたらないだろう、もう少し事実関係を審理しなさいとしたのです。
 どういうことか。

 本件では、賃借人は、重大な漏水事故が起こってから3か月後、損害保険会社との契約に基づき、約3700万円の保険金の支払いをうけていたのです。
 この事実がポイントだったのかと思います。
 
 

「そうすると、遅くとも、本件本訴が提起された時点においては、被上告人がカラオケ店の営業を別の場所で再開する等の損害を回避又は減少させる措置を何ら執ることなく、本件店舗部分における営業利益相当の損害が発生するにまかせて、その損害のすべてについての賠償を上告人らに請求することは、条理上認められないというべきであり、民法416条1項にいう通常生ずべき損害の解釈上、本件において、被上告人が上記措置を採ることが出来たと解される時期以降における上記営業利益相当の損害のすべてについてその賠償を上告人らに請求することはできないというべきである。」

 しごくまっとうな、常識的な判断だと思います。
 紛争解決にとって、紛争を拡大、複雑化させないために大事なことは、感情を押しとどめて、一歩立ち止まったうえでの常識的な判断ではないかと思います。

(おわり)

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2009年8月30日 (日)

相続と相続債務と物上保証~無知の罪~【松井】

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 相続と金融機関というのは結構、密接な関係をもっていることが今でも多いようです。 平成10年前後くらいからよく見かけたのは、日本のバブル経済期、土地をいくつも持っているような資産家、富裕層に対し、誰がもちかけたのか、相続税対策になるということで、数億円単位の借入を敢えておこさせるというものでした。負債がない者、借入れをする必要もない者を敢えて借金漬けにするのです。
 では、借り入れたキャッシュはどうするのか。
 所有する土地の資産価値を低くするということで、借り入れたキャッシュでもって土地上に賃貸マンションを建築させるのです。
 そして、この賃貸マンションの賃料収入でもって、借入れの負債を返済していくのです。
 土地は賃貸マンションという新たな資産を形成し、結果、土地の評価額は低くなり、しかも負債が形成できているので相続税法上、計上できる負債も出来て、税額が低くなるという皆がハッピーなようなスキームでした。



 が、しかし。大きな大前提がありました。賃料収入でもって巨額の負債を返済し続けることが出来るはず、という大前提です。
 ところが、この大前提が平成3、4年から、大きく崩れてしまい、今に至っています。 この結果、相続が発生すると、月々の返済額に満たない賃料収入のマンションと巨額の負債が残されただけだったという事例をいくつか目にします。
 また建物は、メンテナンスがあってこその価値の維持であって、費用を投じて適切なメンテナンスがなされていないと、駅前の土地の本来、優良物件であっても、ゴーストマンションのようなビルとなってしまいます。テナント、賃借人が入らないのです。これで悪循環となります。 
 分譲マンションでも築後10年程度の大規模修繕の際、14階建て程度で数千万円はかかります。そのため、修繕積立金制度がとられ、毎月、各戸から数万円程度、徴収しているのです。
 マンション、テナントビルのオーナーはどうか。
 従前、それを本業とされていた方であれば、ノウハウがあります。しかしながら、唆されて収益物件所有に手を出したような方の場合、適切なノウハウもないままに素人が素人として所有、管理していたにすぎないという場合がままあります。
 ここでさらに、遺産分割を巡ってマンション、テナント物件所有を巡る熾烈な紛争があると、既存のテナントが解約して明け渡す際の保証金返還債務を巡ってもまた、訴訟になることもあります。
 そしてこんなことが起こると、次のテナントは入ってきません。
 まさに悪循環です。



 ここで問題となるのが、債務の承継です。
 遺言がなくて遺産分割として協議したとしても、それは第三者である債権者には対抗、主張できません。
 法律上、被相続人の債務はどうなっているか。
 借入の金銭債務である限り、相続発生時に、各相続人に対して、当然に法定相続分で分割されていると解されています。
 つまり、負債1億円、相続人が子A~Dの4人の場合、各自が2500万円宛の負債を当然に負ったことになるのです。
 
 では、この1億円の借入金について、この借入で建設したテナントビルの建物と敷地に抵当権が設定されていた場合、どういう関係になるのか。
 このビルをAとBの二人が共有し、代償金をCとDに支払うといった内容の遺産分割が成立したときにどうなるのか。



 最近、未だにこんな金融機関があるのかと驚愕し、これを他でも行っているとしたら、許されないのではないかと怒りすら覚えるようなことがありました。
 差し障りがあるので、多少デフォルメします。
 
 今回、敢えてここに書いて、言いたいことは、自身がとてつもない負債を負うかもしれないという様な事柄に関しては、近くの弁護士会では日々、法律相談を実施しているので、とにかく一度、弁護士、つまり法律が分かっている実務家に相談してください、ということです。

 例えば、上記のようなケースにおいて、被相続人に対して残高1億円を貸し付けていた金融機関は、抵当物件であるテナントビルを遺産分割によって所有することとなったAとBに対し、「所有者になったんだから」という理由でこの抵当権者である金融機関と「1億円の貸付けに対する連帯保証契約を新たにするように。」と要求していたのです。
 
 ええっ!!!???

 抵当物件を所有することになったことと、連帯保証契約を新たにすることとは何の必然性もありません。
 それをさも当然のように、「じゃあ、連帯保証契約を」と言ってきたのです。
 分からない人は、金融機関から要求されればそういうものかと思って、言われるがままに、何もよく分からないままに、出された契約書に署名押印をしていたことだと思います。
 
 しかし、法律上、AさんとBさんは、あくまで抵当物件を所有したに過ぎず、その限りにおいては、負債についての責任もその物件の限度額までという限界があるのです。物件の価値が8000万円だったとしたら、あくまでその範囲の責任であり、最悪はこの8000万円の土地建物を失えば、それ以上の責任追及を受けることはありません。
 また、相続した債務についても、先述のように、負債1億円なら、AさんとBさんは、各自2500万円宛の債務を負っていたに過ぎないことになるのです。
 それ以上のものでも、それ以下のものでもありません。

 ところがなんと。金融機関は、1億円の連帯保証契約を求めました。
 どういうことか。
 最悪、自己の財産を差し出して1億円の負債について責任を負うことになるのです。
 
 相続で、遺産分割で抵当物件を取得したからといって、そのような必要以上の責めを負う理由、必要性は一切ありません。
 
 これはひとえに、まったく金融機関のリスク管理の必要性だけなのです。
 相続人には何の対価もありません。
 
 平成21年、未だに金融機関はこんなことをしているのかと思うと、久々に怒りで体がカッとなる出来事でした。

 担当者は、絶対に、相続周り、さらには担保周りの法律を理解していません。
 「顧問弁護士にも相談したうえでのことか。そちらが何をやっているのか分かっていますか。」との問いに対しては、「支店長決裁です。」との返事。
 支店長も分かっていないのだと驚愕の事態でした。
 
 誰も、勉強していない。。。自分のやっていることの意味を分かっていない。。。だから、平然とやりたい放題のことが出来るのかと腑に落ちた思いもあります。
 金融機関における担当者の無知は、本当に罪だと思います。



 相続で多額の負債があり、金融機関と交渉するような事態となったときは、ぜひ一度、お近くの弁護士に相談してください。
 金融機関が自分に対しそれほど悪いことをするわけがないなんていうのは、いったい何の根拠に基づくのか、もう一度考えてみてください。
 そして、悩むような事態になったのであれば、弁護士に相談を。
 
 書類に署名押印してからでは、残念ながら手遅れのことが多いですから。

(おわり)


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撮影 yuko.k


2009年4月17日 (金)

法人と個人〜取締役の責任〜 【松井】

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 法人と個人って、法律上は「別人格」という言い方をされます。
 これを利用して、会社をつくって、個人が責任を負わないようにする。この点、このように責任を分離することを認めることには積極的な意味があったりします。
 なんの為に法人制度が作られているのか。
 株式会社なら簡単です。株式という形でひろく出資を募り、お金を集めて、それを元手に商売をし、利益を生み出し、株主には配当をして利益を還元する。取引行為はあくまで会社が、法人格をもって取引の主体となり得るようにする。
 そうすることによって個人のお金と会社のお金を分離する。
 そうすることによって、万が一、会社が背負ったその負債を返済できない状態になったときでも、個人の方、出資した人、運営していた人には原則、とばっちりがいかないようにする。それが、法人と個人は別人格、ということです。
 会社を潰せばそれで、おわり、です。法律上は。ただ、実際は、経営者が会社の借入金の連帯保証人にならざるをえず、なっていたりするから社長も破産、というケースがほとんどなだけで。
 会社にお金を貸していた人、売掛金のある取引先、その会社に出資していた人、みんなの債権は全額戻ってくることはありません。破産手続きにおいて配当が数パーセント出ればましなほう。


 こういった法人の人格の制度は、これを悪用するという人も当然、出てきます。
 たとえば、いまのは、個人/法人というものですが、法人/法人というパターンも出てきます。すなわち、会社運営をしながら、自分の会社にとばっちりがこないように別法人を作る、あるいは事実上、支配して、汚いことは別法人にやらせるというやり方です。
 そして何かトラブルがあったとき、自分や自分の法人Aは何も関わっていません、悪いことをしていたのは別法人のBなんです!というやり方、逃げ方です。


 裁判所がこんなの認めるわけがありません。
 ただ、こういうことを考える人は頭のいい人で、しっぽをつかませないようにいろいろと工夫しています。親族でも何でもない人をB会社の代表取締役に据えたりして、事実上のB会社としての活動の痕跡を残します。
 何かあっても、B会社がやったことだ、悪いのはB会社の代表取締役だ、と逃げます。
 
 が、しかし。
 司法修習中、東京地検の特捜部で脱税事件などを担当されていた検察教官が仰っていました。
 「脱税には『たまり』が必ずある。」
 ごまかすようなことをしても、それはあくまで「ごまかし」なので、必ずどこかにその「ごまかし」の痕跡としての「たまり」が出てくるという話です。
 書類でも、人の証言でも。その人の行動の結果がどこかに現れて、「たまり」として形になります。

 これを探し出し、収集し、証拠として法廷に出す。
 証拠から見えてくる実態は、法人格の濫用の実態。
 法人/法人 だからといって杓子定規な判断を裁判所はしていません。


 法人/個人 でも同じです。
 個人の人が、それは法人の行為だから、取引相手はあくまで法人だから、といって逃げ切れるとは限りません。
 旧商法は266条の3という条文をもうけていました。
 会社法は、429条として、役員等の第三者に対する損害賠法責任を定めています。
 

429条1項 役員等がその職務を行うについて悪意又は重大な過失があったときは、当該役員等は、これによって第三者に生じた損害を賠償する責任を負う。

 「取引の当事者は法人だから、代表取締役個人の責任の追及はできないよ」という回答は、不正確です。

 例外的な場合を想定し、その要件を満たす事実の有無を精査すること。弁護士としては当たり前のことがらだと思います。
 その代表者の責任追及が出来ないという結論に何か違和感を感じるというとき、その「違和感」の理屈を突き詰めるのが弁護士の仕事だと思います。
 「違和感」が大事だと思います。
 「できませんよ、あきませんよ」というのは、簡単。場合によっては、自分の無知の吐露、技術力がないことの自白を意味します。
 頭を常にフル回転させていないと!違和感センサーが鈍ります。
 そのためには、リラックスが大事。
 ニコちゃんマークでリラックス。
(おわり)

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2009年1月23日 (金)

弁護士Mのある一日【松井】

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6時前、起床
水飲んで、ヨガの太陽礼拝。
ちょっと勉強。

バナナと珈琲。そう、朝バナナダイエット、実践中。

8時30分、家を出る。
移動中は、iPodで音楽やオーディオブックを聞くか、本を読む。
本は、「ゴーン道場」をもうちょっとで読み終わる。
9時20分、南森町駅で降りて、歩いて事務所へ。
いつものコンビニで「黒酢」ドリンクを買い、歩きながら飲む。

9時30分ころ、事務所、着。
メールチェック等。

10時、依頼者の方と打ち合せ。
相手方との今後の交渉に向けての方針確認など。
11時40分、終了。

慌てて自転車をこいで、弁護士会館へ。
消費者保護委員会2部会の月に一度の定例会議。
各種予定を確認する中、2月、新人弁護士向けへの2部会の宣伝を担当していたことに気づく。すっかり忘れていたことに呆然。
民法が改正されたり、弁護士費用のクレジット払いが可能となるか、最近の被害事例で水回り修理のトラブル事例の報告など。てんこもり。

12時50分、会議を抜け出し事務所へ。
13時、依頼者の方と打ち合せ。
これもまた相手方との交渉に向けて。
14時10分、終了。

慌てて自転車をこいで、大阪地方裁判所へ。
14時20分、依頼者の方と待ち合わせのうえ、調停期日へ。
民事10部、建築専門部での調停期日。
交渉は膠着状態に入るが、ぼそっとわたしが呟いた問題点指摘の一言で、依頼者の方もこれを受け、新しいアイデアが口にされる。
裁判官もこれに乗ってきて、話を進めようとし、やはり調停、交渉はアイデアだと改めて実感する。
一瞬で、くっらーかった場の雰囲気が、一転、これで調停が成立するかもという希望で皆がちょっと明るくなる。そんななか、このアイデアがならなかった場合のこと、その場合の返事を考えておいて欲しいと同席した相手方にいい釘を指す。
交渉は、皆が納得できる途の模索でしかない。
でも、その道を作ることができなかったら、シロクロ付けるしかない。
激流に向かって、みんなで手をつないで崖からジャンプであっても。
裁判のロシアンルーレット的な面を弁護士なら誰も否定は出来ない、はず。
それでも、やらないといけないときもある、ということ。

16時前、事務所に戻る。
コンビニで買ったどんべえとサラダを食べる。どんべえ、美味しい。これが今日の昼ごはん。

そして。
朝からこれまでの間にかかってきた電話に対し、電話をし直す。
し直しつつ、また新たな電話がじゃんじゃんかかる。
しかも。
電話の相手が交渉相手だったりして、電話1本、30分を超えたりする。
交渉ごとの電話が2つ、3つ、同時進行。
電話しつつ、メモしつつ、今後の方針に頭を巡らせる。
それぞれ依頼者の方への報告、今後の協議。
アイデア、アイデア。

17時30分ころ、ようやく一段落。
スタッフが用意してくれていた、お誕生日ケーキを皆で食べる。
ありがとう。感謝。

18時10分、慌てて事務所を飛び出し、淀屋橋駅へ。
電車に揺られ、
19時、また違う事件の交渉相手の方との約束の場所へ。
そこで、90分、交渉。協議終了。
信頼関係を築けた、今後、協議成立にむけて前向きに話をしていけるとの感触を得た。錯覚?

20時40分、もう事務所には戻らず自宅へ。
iPodに入れた、オバマ大統領の演説CDを聞く。もし、日本がアメリカ合衆国の1つの州だったらという想像が頭に沸き起こる。

21時30分、帰宅。
23時、就寝。


 疲れたと思い、やはり年をとったなと思う。
 弁護士1年目、2年目のころは、こんな生活でありながら、最後、大人しく自宅には帰るというのではなく、同じように21時ころまで仕事をしている友人を誘い、21時過ぎにご飯食べに出かけ、飲んで、喋っていました。あるいは、事務所に戻り、もう一仕事したり。

 人生のライフステージに応じた働き方を考えないと。いつまでも若くはない。
 ただ、結局、電車に乗っていても、自転車をこいでいても、ご飯をたべていても、依頼者の方のこと、事件のことが頭を離れるということはなく、起きている間はどこかで何かを考えている。
 どう話を進められるのか?法律構成をどうするか?証拠は何があるか?関連する判例は?相手の望みは何なのか、どうしたら納得するのか?
 膠着状態だったところに、良いアイデアが浮かんだりしたときは嬉々としてしまう。たぶんみんなこんな働き方だと思う、多くの弁護士は。自虐的喜びか。
 
(おわり)
 
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2008年9月 5日 (金)

交渉のコストマネジメント【松井】

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 先日、大阪府立大学の窪田先生のコストマネジメントの講義、約20時間を受ける機会がありました。
 講義一辺倒のものではなく、受講者の中で5、6名でチームを組み、予めケースを与えられ、そのケースをもとにしてチームで討論、発表をするというパターンで7回ほどの討議、発表が繰り返されました。
 レポートの提出もあり、なかなかハードな講義だったのですが、もっぱら製造業におけるものといわれてた「コストマネジメント」について、一応一通りどんなもんかというところは把握できたのではないかと思います。
 そして、先日、仕事で交渉を経たあと、事務所に戻る前に淀屋橋のホリーズカフェでダッチソフト・オーレを食べながら、ふと考えました。
 交渉のコストマネジメント。


 コストマネジメントとは、コストダウンよりも広い概念です。目的は、利益業績の改善、そのための手段としてのコストマネジメント。
 その中でも、原始的な標準原価計算といわれるものから、原価改善、戦略的コストマネジメントとして、源流段階からコントロールしようという原価企画、設備企画、そしてさらには間接費や営業費についてもマネジメントしようという動き、ABCの効用と限界とったものから、品質コストに環境コスト。

 交渉ごと、訴訟活動でも同じではないだろうか。
 紛争解決に行き着くまでの「コスト」をいかにマネジメントするか。
 初期の段階がやはり非常に重要だと言うことです。初期段階でのコントロールが行き届かないと、紛争は必要以上にとんでもなく肥大化して、解決までの「コスト」がかかってしまう。「コスト」というよりも、むしろ多大なる「ロス」が発生してしまう。
 これをいかに回避するのか。
 源流段階の管理にポイントがある、と実感しています。

 これもまた私がよく依頼者の方に言う言葉として次のような言葉があります。
 「肉を切らせて骨を断ちましょう」
 「なんですか、それ?」と言われた事もありますが、要は、「損して得取れ」ということです。

 感情的には腹のたつ相手方です。
 心情としては、相手方を利するような事はいっさい、したくありません。
 が、それで自分が特に損をするわけでもなく、損をしたとしても回復不可能な損害ではなく、相手を利する事で、相手の「感情」「心情」がほどけ、他の事柄でこちらに協力的になるという状況にあるのなら、相手を利する行動をとるほうが、結局は、自分が大得を得るといことです。

 例えば。資料を欲しいという相手に対して、コピー代として1枚20円を請求したばかりに、相手方の感情を害し、そこで事が進んだ事柄も進まなくなる、そんなとき、相手方の要求に喜んでと応じて、手間、時間、費用がかかるけど、快くにっこりわらってコピーした資料を手渡してあげる、そのことによって相手方もこちらに「ありがとう」と言わざるを得ない状況となり、そこに友好な関係が生まれて、事が好転する、ということもあります。

 こちらがニッコリと微笑めば、相手方の敵愾心、戦闘意欲がどうなるか。
 カーネギーの成功法則だったかなんだかの本でも書かれていました。
 にっこりと微笑む赤ちゃんと目が合ったら、笑わない人はいない。
 
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 ただ実際には、多くの方が感情に左右され、「コストマネジメント」的発想からすれば、まったく逆の余計な「コスト」「ロス」を発生させる言動をとりがちです。
 相手方と接触する目的は何なのか?そのための手段は何なのか?ということをよく見極める必要があります。

 感情に任せて、売り言葉に買い言葉で言葉を投げつけたり、振る舞ったりする。
 わざと相手方をカッとさせるようなことを言う。
 そのときは気分がいいかもしれません。
 でもそのことによって紛争解決に至るための「コスト」「ロス」が余計に発生するのです。

 この発想は、何も二枚舌を使えということを言っているのはもちろんありません。
 不必要に相手の感情を害することはない、不必要に相手に損害を与ええることはないということです。

 裏を返せば、根本的には、因果応報という考えがあるのかもしれません。
 昨日の敵は今日の味方。
 依頼者のため、必要以上に敵を作る必要はありません。
 たとえ依頼者の方は感情が抑えられないとしても、代理人たる弁護士は「代理人」たるがゆえに相手方と、依頼者とはまた違う距離を形成できるのです。この点を代理人活動に生かさない理由はありません。
 WIN-WIN の交渉術と言われるもの同じ事だと思います。
 自分が渡った橋を叩き割るような交渉はするな、と表現されていた交渉術の本もありました。


 刑事事件の法廷弁護に関する本ですが。
 「弁護のゴールデンルール」(キース・エヴァンス著、2000年、現代人文社)という本があります。

 法廷で検察側の証人に対する弁護人からの反対尋問での締めくくりについてこう書かれています。

 「そして、すべてが終わったら、この魔法の言葉を忘れるな。

  『この証人に対して裁判長からさらにご質問はおありでしょうか。スミスさん、法廷にお越し下さった事を感謝いたします。裁判長、証人を退廷させてもよろしいですか?』」


 嫌われ者の弁護士こそ、良き隣人たれ、ということだと思います。
 それが依頼者の利益につながる、弁護士のコストマネジメント。

 時々、書面でも、振る舞いでも、「むかつく!」という相手方代理人弁護士がいるような、いないような、ブツブツブツ。
 そんなときは相手にいったいどんな「コスト」が発生するのか。誰も知らない。

(おわり)

お!ココログにこんな機能が!
お描きモード。
スマイル!私の机の前にはこんなシールが。
「Laugh & Laugh !」

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2007年11月 3日 (土)

「想い」、ファースト【松井】

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*写真は、2003年、チュニジアの砂漠を旅したときのもの。

1 
 成蹊大学の塩澤一洋先生のエッセイを毎月、楽しみに読んでいます。マック・ピープル12月号。
 「著作権をポジティブに」というタイトルで、「いい法律家ってどんな人?法律家に期待するアドバイスとは?」として書かれています。



 「『いい法律家』なら、『できないこと』ではなく『できること』を具体的に明らかにすべきだ。そして『できない』『むずかしい』と考えがちなことでも『こうすればできる』というアイデアを示せれば、クリエイティブな法律家になる。相手の質問の真意を理解し、その要望を実現する方策を提示するのだ。そのタイミングが絶妙であれば、そのアドバイスは絶大な価値を持つことになる。いい法律家は、その場で適用されるルール全体を勘案し、前進可能な方向を明らかにするナビゲーターなのである。」

 全くそのとおりだと思います。
 相談を受け、「出来ません」「無理です」「認められる可能性はありません。」と答えるのは、はっきり言って簡単です。
 相談される案件で、100%有利、あるいは100%不利な事案というのはそうそうありません。不利な事柄、有利な事柄が降り混ざっています。そのような中、不利なことだけを拾い上げればいいのです。
 ただ、現状では無理、可能性はゼロと回答しつつも、あくまでそれは現状であって、なんとかして目的を達成するために、方策を考えましょうと「クリエイティブ」になるということがもっとも大事なことだと思います。たとえ有利な事項が3%しかなくっても、その3%から有利な結論を導くにはどうしたらいいのかを必死で考えます。たとえ0%であっても、1%の有利な事柄を生み出す方策、そこから逆転を図る方策を必死で考えます。もちろん、不利な事柄についてはその評価を伝え、必要以上に徒に期待を持たせるかのようなこともしません。


 ただ、「クリエイティブ」性の程度、これは相談者の望む方向性に共感を示せるか否かが大きく関わってきます。
 残念ながら、心の底から共感できない場合もあります。
 何とか相談者の方の立場になってみて物事を考えてみて、それでもやはり共感できないというときは、正直にその旨を告げます。
 別の弁護士に相談したら、何とかやってみましょうと言って実現する可能性があるかもしれないが、私は、残念ながら心の底から共感することは出来ません。「クリエイティブ」になれません、そのような状況で受任することは依頼者に不利益をもたらすだけなのでお受けできません、と伝えます。
 
 ある意味、プロではないのかもしれません。共感を示せなくってもプロはプロとして、依頼者のために100%の力を出し切るべきものだと言えばそれまでです。
 しかし、相手方のある、既に発生してしまっている紛争についていえば、解決までに要する期間は相当な期間が見込まれます。1週間、2週間で解決することは稀です。
 交渉し、下手をすれば訴訟になります。
 このとき、代理人としても、この件は何としても解決しなければいけない、何としても依頼者の利益が守られなければならない、獲得されなければならない、という心の底からの「想い」がないと、法律を利用しての戦略についても本当に「クリエイティブ」にはなれないと思います。まずそうそうに諦めるかと思います。
 このとき、「想い」のあるなしが、諦めずにさらにもう一歩を踏み出せるかどうかという違いに繋がると思います。「想い」というのは、大げさかもしれませんが「情熱」といってもいいかもしれません。依頼者の方と想いを共有できない件は、まずうまくいきません。対外的にどうこうという以前に、対内的に、依頼者ー弁護士との間で問題が生じます。

 相談者、依頼者の方に共感できる件しか、お受けしていません。だからこそ、お受けした限りは、想いをもって取り組むことができます。共有できなくなったときは、依頼者のためにも辞任させていただくこともあります。
 取り組む限りは、証拠や流れの状況が読めないとき、不利な心証を開示されたとき、それでもその流れを変えようと心の底から想って、必死に「クリエイティブ」にアイデアを示せるように取り組みます。
 法律を使っての理屈は、あとから出てくるくらいの気持ちです。こういう結果を獲得したい、そのために法律をどう使うのか、どう解釈するのか、訴訟戦略をどうするのかという発想の順番です。
 法律ありき、ではありません。
 価値観が先にあります。
 この状況はおかしい、なんか変!という感覚です。なんか変!というときの「なんか」を追及していく作業です。


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 一人の女性が原告となって神戸市などを訴えた事件の代理人弁護団の一員になったことがありました。平成7年の阪神・淡路大震災に被災し、自宅を失った女性です。震災後に婚姻すると、独身であれば支給されたはずの支援金の支給が受けられなかったという事件です。支給規定がおかしい、という素朴な疑問と怒りがスタートでした。弁護団で、何がおかしいのかという点を追及していきました。

 どのような最高裁判決も素朴な疑問、怒りからスタートしていると思います。
 NOVAの解約返戻金の清算規定が特商法に違反して無効だとした今年の4月の最高裁判決にしても、代理人であった弁護士がNOVAに対する怒りから、金額的にはペイしないはずの事件を受任し、最高裁判決を勝ち取るまでに至りました。

 「クリエティブな法律家」というのはその案件に必死に取り組めるだけの「想い」「情熱」がある法律家、ということになるのではないかと思います。

 まずは、「想い」ありき。
 塩澤先生のエッセイを読みながら、「クリエイティブ」「ポジティブ」にそもそも必要なのは、「右なら右にどうしても曲がりたいんだ!」、「この道を右に曲がれないのはおかしい!」という思いだろうと一人突っ込みながら考えていました。

 ま、なんでも「駄目だ」と諦めたらそこで終わり。諦めるか否かというのは、想いの強さによるのだと思います。
(おわり)
  

2007年7月 5日 (木)

Listen Without Prejudice【松井】


 ジョージ=マイケルという歌手がいて、80年代はじめのデビュー当時はワム!という二人組としてアイドル的な人気を誇っていました。
 その後、ソロとなり活動を続け、出した2枚目だったかのアルバムのタイトルが、「Listen Without Prejudice」でした。
 


 先日、大阪弁護士協同組合主催のコーチング研修というものに出席しました。
 講師は、財団法人生涯学習開発財団認定プロフェッショナル・コーチ中原朗裕さん。2時間ほどの駆け足の研修でしたが、エクササイズなるものもあり、思っていたより楽しめました。
 研修の中で、「出典:コーチ21「コーチングブック」として次のようなA4用紙が一枚、配られました。

 

「よい聞き手になるための10のポイント」

 「① 会話の時間をゆっくりとる
  ② 相手の意見や考え方を尊重する
  ③ 話しやすい環境をつくる
  ④ 相手の話をさえぎらず、最後まで聞く
  ⑤ 自分の判断を加えない
  ⑥ 自分が理解しているか、ときどき確認する
  ⑦ 感情、考え、先入観を持たず、客観的な姿勢をとる
  ⑧ ノンバーバル・コミュニケーション(表情やしぐさなどの言葉以外のものによるコミュニケーション)で、
    ’聞いていること’を伝える
  ⑨ 沈黙を大切にする
  ⑩ 一生懸命聞こうとする 」


 まず相手が何を言おうとしているのかを「真剣に聴く」、これがコミュニケーションの第一歩だと。
 またつい最近、久しぶりに名著「7つの習慣」を読み返しました。
 
 1枚の絵。同じ絵を見ていても、その絵の中に、一人は若い女性を見つけ、もう一人は老婆を見つける。「若い女だ」「老婆だ」と言い合っているだけではコミュニケーションは生まれない、しゃべればしゃべるほど断絶が深まるだけ。
 そんなとき相手の声に真剣に耳を傾け、真剣に聴く。そうすれば新たな関係が生まれ、はぐくまれる。そういったことが記されていました。
 相手を変えようとするのではなく、まずは自分が変わってみる。イチローやヤンキースの松井も同じようなことを言っていたように思います。自分がコントロール出来ることに集中する。コントロール出来ないこと(=他人)について思い悩んだり、苛立ったりしない。



 「コーチング研修」(研修というほどのものでもなかったですが)での話を聴いていて、頭に浮かんだのはジョージ=マイケルの言葉「Listen Without Prejudice」でした。
 元アイドルであった当時のマイケルの心の叫びだったのだと思います。
 
 「真剣に聴く」ということは本当に難しい。だけど、とても大切なこと。自分以外の他人とコミュニケートし、信頼関係を築くためには。
 交渉能力、紛争解決能力のある代理人・交渉人は相手の言葉によく耳を傾け、和解の上手な裁判官も当事者の言葉によく耳を傾けています。確かに。
 ただ、まぁ逆に言えば、断絶をかえりみないときは、「聴かない」ということなんでしょうし、交渉力もなければ紛争解決能力もないということに。でもそれでは断絶以外何も生まれない。

 他人と信頼関係を築き、同じ一枚の絵を見ていても自分を変えて相手の言い分によく耳を傾ければ、「若い女」と思っていた絵から「老婆」が見えてくる。そこで自分の中に新たな視点を築くことができ、信頼関係が出来て、関係は前に進む。
 コーチングのテクニックも、同じことを言っていたのだと思います。
 
 「Listen Without Prejudice」 真摯に聴くことから始めよう。

 ~半人前の人間は相手の話も聞かずに声高に自分の主張を繰り返すが、すぐれた交渉者は、まず相手の言い分をじっくり聞くものだ。~ 
(黒木亮「トップ・レフト 都銀vs.米国投資銀行」)

それはそうだ。

(おわり)