足掛け10年 ~わたしがバカでした~【松井】
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平成8年9年の司法修習時代、検察教官から言われました。
「簿記の勉強はしておいた方がいいよ。でも、3級程度で十分。」
東京地検の特捜部で脱税の事件なども担当された教官でした。
その方が、簿記を勉強したほうがいい、でも3級でいい、という。だったらそうなんだろうと、当時、馬鹿な私は言葉をまにうけ、平成9年10年に簿記3級だけ受験し、合格しました。
大阪での実務修習中、その日の修習先をあとにすると、いそいそと専門学校に向かいました。で、3級合格10日間コースを受講し、修習の合間にせっせと問題集を解いて、3級は難なく合格できました。
で、そのまま一気に1級くらいまでを勉強すればよかったのにと今なら思うのですが、馬鹿な私は言葉を間にうけ、そのまま3級でストップして簿記の勉強を止めてしまいました。
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平成11年、弁護士登録して働きはじめると、すぐに気づきました。会社の社長さんと会話ができない!簿記、会計、税務の知識が全然違ったのです。
これはまずいと思い、また同期の皆も多くがそう思ったようで、税務の勉強会などを開いたりはしました。
しかしインプットの勉強なんてまずは一人でやるもの。なかなかうまく掴めませんでした。
しかしまずは簿記の2級をと考え、受験申込はするものの、勉強せずじまいで受験日に欠席といことが2回ほど続き、そうこうするうちに日々の業務をこなすのに精一杯となって、いつの間にか簿記会計税務の体系的な勉強からは離れていきました。
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そうこうするうちに平成14年9月、思うところがあり独立して大橋と二人、今の「大阪ふたば法律事務所」を設立しました。充実していはいましたが、焦りがありました。
簿記会計税務をやり残している。
そしてある日。
「ついに、そんなものが出来たのか!」と町で看板を見かけたとたん、入学願書を入手しようとしていました。平成18年8月。関西学院大学大学院会計専門職大学院。こうなったら思い切って時間とカネをかけて自分を追い込むしかない。取り憑かれたように、願書、面接を受け、入学を決めました。
そして平成19年4月、10年近く前の簿記3級の知識のままに入学してしまいました。
まわりは、上場会社で経理を担当されている方や、バリバリの現役税理士の方、あるいは23歳の商学部を卒業した公認会計士試験の受験生ばかり。
皆さん優しかったです。アホなわたしが分からないところを教えてもらうのはもちろん、文献を探してもらったり、レポートを見せてもらったり、ときには家庭教師のように個別に問題の解き方などを教えてもらいました。
法人税、地方税の計算の仕方、原価計算の手法、連結会計、国際会計基準などなど。そして監査のための監査基準論や公認会計士倫理なんてものも。簿記試験の受験にさく時間もなく、目の前の課題を必死でこなしました。
平成20年9月、なんとか単位を取得し、卒業できました。
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そして。
この2月。
ようやく簿記2級を受験し、10年かけてようやく合格。
アホみたいですが、感慨深いです。
会計専門職大学院を卒業して、簿記2級ってどうよ!?というのもあるので、次は1級を目指したいと思います。
そう。そもそも簿記2級は、入学要件だったんです・・・。入学面接の際、試験管の公認会計士の先生から言われていました。簿記2級はとっておいてね。
わたくし。本末転倒に近いものがあります。
10年前、わたしが馬鹿でした。
せっかく勉強するのに、この程度いい、なんてものはこの世の中にないと思わねばならなかったのです。3級でいいと思ってしまったために、それが呪いの言葉のようになってしまった。
馬鹿でした。
もうすぐ5月、今年の公認会計士試験の短答式試験ですね。皆さん、がんばってください!!
(おわり)
*大学院を卒業できたことより、2級に合格したことの方が嬉しいです。10年前に積み残してきた荷物をやって回収できたような思い。人生であとやり残していることは・・・?
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