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弁護士業務

2007年6月11日 (月)

異業種の舞台裏~生テレビ番組に出演して~【松井】


 年に1回ほど、何かの拍子で声をかけていただき、テレビ番組に出演することがあります。それもだいたいが生放送の情報番組。
 「弁護士」=専門家ということで、相続や生活に密着した法律情報を語ることが期待されます。
 今年も先日、相続問題についてということで関西ローカルの某番組に出演させていただきました。


 なぜ自分が引き受けるのか。タレント弁護士になりたいから?いやいやもちろん違います。
 打合せ、本番などで、普段接することのない異なる業界、しかもテレビ業界という非常に特殊な業界をかいま見ることが出来て、自身、今後弁護士としてやっていくうえで非常に勉強になることが多いと考えているからです。


 現に、相続問題を多く担当しているということで初めて出演させていただいた日本テレビの「思いッきりテレビ」のときなどは、コーナーの時間も40分近くあったこともあり、担当ディレクターの方と今にしておもえばかなり頻繁に打合せをしました。
 そのとき、自分でも改めて統計を調べたり、どういったら視聴者の方が分かりやすく理解できるのかといったことを集中的に考えました。
 また生放送、しかも司会者はみのもんたさんということで、どんな質問がその場のアドリブで出てきても答えられるよう、知識を総ざらえして行きの新幹線の中でも頭の中で一人リハーサルを繰り返していました。あんなときどうなる、こうなったらどうなる。


 先日、出演させていただいた生放送も久しぶりで非常に勉強になりました。
 放送時間が刻一刻と迫るなか、秒読み状態の中で、ディレクターの方やフロアディレクターの方、制作会社の方はもちろん、司会役の方、質問役の出演者の方も一緒に、リハーサルをしたあと、どこをどうカットするのか、構成をどう変えたらいいのか、私の回答の仕方についても、もっとこういう言い回しをしたら分かり易いのではないかと検討していただきました。

 こんなことは私にとっては非日常なので、秒読みが続く中での検討作業は本当に神経がすり減るような思いであり、出演の度に毎回、直前には吐き気を催すくらいなのですが、こんな仕事を毎日やっているスタッフ、出演者の方はすごいなと改めて尊敬します。
 特に、ゲストの芸人の方。直前に台本をもらって簡単に流れを押さえるだけで、本番では絶妙の間で笑いを呼び込むトークを繰り広げられます。今回は、海原しおり、さおりさんでした。面白かった。
 また司会者の方も、台本の中でこれは視聴者に伝えないといけないという点に話題を流れを阻害することなく場を変調させる。
 私が話しておかないポイントに触れるのを忘れていても、うまくフォローしていただき、その点に流れを持って行っていただく。
 皆、プロの仕事をしているなといつも思います。

 緊張感。

 大変、勉強になりました。
 スタッフ、出演者の方々からの率直で素朴な質問や、その言い回しは分かりにくいといった指摘も非常に勉強になります。

5 
 でも、生放送番組に出演させていただいた直後、毎回思うのは「もう二度と出ない」ということです。相当な緊張感からの開放故ですが。
 でもしばらくすると、声を掛けていただく限りは出演させていただこうという思いにもなります。
 やはりちょっとでも普通の方が知識を付けていただき、余計な紛争がなくなればいい、自分がお役に立ちたいという思いはもちろんですが、やはり勉強になる、刺激になるというメリットの方が大きいからです。


 先日の番組はどうだったのでしょう。少しはご覧になったかたの役にたったのか。
 相談に来られたかたなら、その表情で、納得されて帰られる、喜んでいただいて帰られるというのが表情を見て分かるのですが、テレビの怖いところは視聴者の顔が見えないということです。
 それは本当に怖いことだと思います。テレビ番組の中で言いっぱなしで、間違ったことを言う「弁護士」は世間にとっても百害あって一理なしのこともあるのではないかと思います。「弁護士」を名乗って仕事をする以上、責任は重大です。その自戒がなくなったら弁護士を名乗って仕事をしてはいけないんじゃないかと考えています。テレビに消費されるようになった終わりかと。
 
 竹内まりあの言葉。
 私は音楽をやりたいのであって、芸能人になりたいわけではないと思い至った。それからは宣伝のためとはいえテレビ番組には出ないようになりました。

 何にしてもそうだけど、自分がやりたいことは何なのかという目標を常に見失わないようにすることは、難しいけど大切なことだ。自分を大切にね。

(おわり)

2007年3月31日 (土)

仕事とは~佐藤可士和さん~【松井】

Cimg1943

 今朝の朝日新聞土曜版では、アートディレクターの佐藤可士和さんが取り上げられていました。
 私の印象では、昨年あたりから、その仕事の結果だけでなく、ご本人がいろいろな媒体に取り上げられ、その職場や仕事のやり方、思いなどが露出するようになっていました。

 今日の記事を読むと、ますます興味を持つとういか、佐藤可士和さんに対する関心が高まりました。
 正直なところ、一分の隙もなく何かにこだわるということはあまりない、むしろ好きではないのですが、矛盾かもしれないけど、些細なことに妙に心惹かれて愛着するということがあります。モノに対して。

 写真は、愛用しているモノたちです。フランスのロディア社のノートパッドに、コンピュノート社のコンピューターの本物の基盤で創られたノートフォルダ、アマダナ社の計算機に、ゲンテン社の筆箱。
 なぜ気に入っているかというと、もちろんブランド名などではなくデザインやそのモノから感じられるセンスに心惹かれるからです。


 心がウキウキさせられるのは、創った人の遊び心、軽やかな感じのなかに思い入れ、細心の心遣いを感じられるモノです。
 写真にうつっているモノたちからは、私はそういった「弾み」を感じます。
 逆にいえば、「考えなし」のモノたちからはマイナスの波長を感じて、嫌な気分になってしまいます。「考えなし」の対極が、私の心を弾ませる「考えあり」のデザインのモノたちになるのだと思います。
 

 佐藤可士和さんが創り出すモノたちからは当然ですが、「考えあり」のまさにとぎすまされた意識を感じます。そしてのその仕事に対する姿勢を語る、掲載されている佐藤さん自身の言葉にはいろいろと印象深いものがあります。

 以下、3月31日付け朝日新聞「be」からの引用です。

 

「僕が『広告は、見てもらえないものだ』と思って、作っているからでしょう。」
  
 「多くの広告は、見てもらえるという前提で作られている。だからどうしても、あれも言いたい、これも入れたいと欲が出る。でもそれ以前に、とにかく目や足を止めてもらわなきゃならないのに。それには広告に、価値を与えなきゃだめです。」

 「突破口は、とことん本質に向き合うことだと思う。そして本質をつかんだら、余計なものは徹底してそぎ落とす。難しいですけどね。」

 「単なる提案にとどまらず、最後に具体的な形、モノまでつくるところは普通のコンサルタントとは違います。そしてそれは、デザイナーにしかできないと思いますから。」

 「僕の仕事は、相手から答えを引き出すことだから。」
 「だから僕は、たくさん質問をして『本当はあなた、こうしたいんじゃないの?』ということをズバッとつかんで、鮮やかに解決したいんです。」

 「僕はむしろ、いろんな人と仕事をすればするほど、どんどん自分の中に知恵が入ってくる。そしてそれが別の仕事で役立つんです。



 仕事とはこういうものかもしれないと思いました。
 裁判官に読んでもらえると思って、本質に欠けたダラダラとした書面を作ってちゃダメだし、相談者、依頼者の方に分かってもらえる、聞いてもらえると思って、分かりににくい言葉で話したらダメだし。

 「突破口は、とことん本質に向き合うこと」

(おわり)

2007年3月 3日 (土)

専門性について その2 【松井】

Rikon

 前記事においてもちょっと触れたように、離婚事件というのは弁護士であれば誰でもできそうな分野といった位置づけがされがちです。
 しかし、実は、違います。

 写真は、司法修習同期の一澤昌子弁護士(大阪)が昨年出版した本です。
 テーマはまさに、離婚。しかも「熟年離婚」です。
 
 出版時に一冊贈呈をうけ、早速読みました。
 
 私自身も確かに、弁護士1年目のときから離婚事件を担当させていただいたりしており、一応の知識、技術は知っているつもりでした(現在は離婚事件については新規受任いたしておりません。)。
 しかし、この一澤弁護士の本を読み、「一澤さんはいつもここまでしていたのか!!」と愕然としました。
 (もちろん、事務所パートナーの大橋も離婚事件の「経験値」は高く、端で見ていて、粘り強くよくやるな!!といつも驚いています。)
 

 弁護士にしてみればおそらく一件何気ない事件、離婚事件においてすら、弁護士の経験値(単なる経験数ではなく、どこまで徹底して調査し、やり込んでいるかということです。)に差がでるのです。
 こういった事実は実は利用する側にはあまり分かりません。

 以前、依頼者の方と雑談していたときにこういう話になり、そのとき依頼者の方が仰ったのは、「他の弁護士さんのことがあまり分からないから、一度頼んだ弁護士との仕事のやり方についてはこういうものなんだと思ってしまうんです。なのでその弁護士の仕事のやり方がどうということは分かりません。」ということでした。
 企業であれば、確かに依頼する件数、相談案件も多いので、弁護士を比べてみることはできるかもしれません。
  
 しかし、離婚や相続といった問題は、人生でそう何度もある問題ではありません。
 だから、他の弁護士ならどうか、依頼した弁護士のやり方が最善なのかどうか、比べようがない、分からないということでした。

 ただ、これからの時代は、個人の方であっても、最初に依頼する弁護士を選別する、つまり相談者・依頼者が弁護士を比較検討する時代は訪れると思います。また、そうでないといけないと思います。
 
 そのためには弁護士の方も自らの情報を公開していくことが求められざるを得ないと思います。
 病院のあり方が変わっていったように、法律事務所のあり方も変わっていきます。

(おわり) 

NPO建築問題研究会~専門性~【松井】

 今日土曜日は、所属する団体、NPO建築問題研究会の月に一度の相談会開催の日でした。

 この相談会では、欠陥建築問題に詳しい一級建築士の先生と弁護士が数名ペア、チームとなって、相談者からの相談を聴きます。
 
 弁護士が法的な視点でアドバイスさせていただくのはもちろんなのですが、建築問題、建物工事にまつわる問題については、やはり一級建築士の先生のものの見方、切り口が加わることにより、よりいっそう具体的かつ実効的なアドバイスがなされるということをいつも痛感します。
 
 弁護士では思いつきにくい切り口が加わり、相談者の方も次にとるべき具体的な行動が見えてきます。


 ところで、じゃあ一級建築士の先生であれば誰でもそういった鋭い切り口を持ちうるかというと、どうもそうではなさそうです。
 欠陥住宅という問題について数多くの事例に当たられている建築士の先生だからこそ見える切り口というのがあるということです。

 一級建築士と弁護士は、仕事としてはそれだけで専門家の仕事になりますが、その中でもさらに専門性というものが生じてくるのは当然だと思います。
 
 一級建築士だから建物のどんな問題にも対応できるわけではない。構造計算の問題、瑕疵の問題、住宅、ビルなど得意分野は区分されるようです。

 弁護士も同じです。特許事件、医療過誤事件、欠陥住宅・建築瑕疵といった分野があります。さらには、弁護士ならその多くは誰でも一度は経験しているであろう離婚事件や相続事件、交通事故といった事件であっても、その事件の数をこなしているか否か、「経験値」の差がものをいいます。
 
 ただこういったことは専門家に相談をする相談者、依頼者の方には分かりにくいことです。建築士、弁護士というだけで「専門家」となりがちなために、その専門の中でも専門は何かといったことまでなかなか分かりません。
 弁護士の方でも、特定の分野が「専門」であると名乗りすぎると、逆にそれ以外の分野の事件に門を閉ざすこととなるのであまり好まない傾向があるように思います。そこで、「得意分野」という言い方が登場します。
 ただ、病院が手術数などを公表したりするように、利用する側に対してもっと弁護士の情報提供をという流れになるのは確実であり、弁護士の事件の具体的な「経験値」が数値化されていくのでしょうね。
 利用する側にとってはいいことだと思います。
 ただ、そうなると事務所、弁護士の個性、特性というものがない、見えにくい事務所は経営難になっていくんでしょうね。ただ単に弁護士の人柄、相談者との相性といったものではなく、まさに弁護士の能力が問われる、プロ中のプロか否かの能力の有無が問われる時代がすぐそこに来ているのだと思います。
 
(おわり)

2007年2月28日 (水)

遺言・相続 個別相談会 実施のお知らせ 【松井】

広報です。

 下記のとおり、事前予約申し込み制による、
遺言・相続に関しての個別相談会を実施いたします。

 日時
    3月15日 木曜日

   1 午後1時30分から
   2 午後3時から
   3 午後4時30分から
 
 費用と相談の時間は、お一人3150円、1時間となります。
 3名の先着順となります。


 今回は試験的な催しとなりますので、平日の日中3枠となりますがご了承ください。
 
 ご希望の方は、プロフィールに掲載の事務所ホームページからメールでご予約いただくか、お電話をお願い致します。

 
 日頃、自身のことに関する遺言について一度専門家の話を聞いて相談してみたい、あるいは相続がおこってしまったけどこれからどういう段取りで進めたらいいのか分からないという方が少なくないかとは思います。
 
 ただ、じゃあ弁護士に訊いてみたいけど、知り合いの弁護士もいない、紹介してもらえる弁護士もいない、市役所などの無料法律相談もあるけど時間は30分しかとってもらえない、というのが実情ではないかと思います。


 最近、弁護士、法律事務所で相談する前に、弁護士でない専門家のところで先に相談をして費用を払っていたりするという方の話をよく耳にします。
 なぜにまず弁護士に相談しようという気持ちにならないのかなぁとつらつらと考えているとやはり、いわゆる「敷居が高い」、いくら払わないといけないのかよく分からない、怖いんじゃないかといった心理的な壁が大きいのだろうと。
 先にこっちに相談に来てくれていればよかったのにと思うようなこともなきにしもあらず。
 ということで、「個別相談会」ということで枠を作ってみました。
 
 
 自分自身を振り返ってみて、専門のところ、専門機関に相談してみたいけどちょっと尻込みするというとき、個別で予約をするよりは、相談会という枠の中で行く方がちょっと気が楽な気がします。
 どうでしょ?

(おわり)

2007年2月26日 (月)

弁護士との顧問契約ってどうよ~何の対価?~【松井】

Bengosikaikan

 ときどき思うことには、弁護士にも顧問契約というものがありますが、「顧問契約」、「顧問」って消費者、つまりお金を出す方からしたらどうなのかなぁということです。


 うちの事務所などでは、税理士さんには毎月、一定額を顧問料としてお支払いし、事務所のややこしい会計管理をしてもらってはいます。これは毎月毎月、それなりの質、量の仕事があることが当然わかっていて、事務所内では処理できないので、専門家に外注しているようなかたちになります。もちろん分からないことがあったときには相談し、対応してもらっています。対価として相当だともちろん思っています。

 また、パソコン関係のメンテナンスについては、知り合いの法律事務所では特定の業者の方と顧問契約をし、毎月、仕事があってもなくても一定額を払う、その代わりトラブルがあったときでも、その一定額以上は基本的には必要ないというかたちで依頼しているところがありました。例えば1か月1万円だとすると、年間12万円です。修理を都度、外注したときに年間12万円以上がかかるといった見込みがあって初めて、意味がある~もとが取れる~方式です。
 この点、うちはパソコントラブルについては、都度、お願いして、費用をお支払いさせてもらう方法にしています。トラブルが起こっても、年間12万円はかからないと過去のパターンから割り出しているからです。
 
 こういった発想がいわば素朴な経済的合理性に基づく判断になるかと思います。



 
 では弁護士との顧問契約は?
 私などでも顧問契約を締結させていただいている企業、個人はいらっしゃいます。

 ただ最初に申し上げるのは、別に顧問契約を結んでいただかなくても、何かトラブルがあったときや相談したいとき、気軽に電話で連絡をもらったらいいですよ、ということです。
 しかしそうであっても、顧問契約をと仰る方はいらっしゃいます。

 私の考えとしては、まさに自分が依頼する側に立ったときの考えからすれば、上記のパソコンのメンテナンスと同様、弁護士と顧問契約をしても相談することがそれほど多くなければ、都度の相談の方がお値打ちじゃないかという発想です。
 
 要は、何かあったときに、「あ、あの弁護士さんに訊いてみよう」という関係が出来ていればいいだけなのです。
 その対価として、たいした相談量があるわけでもないのに毎月、一定額を支払うというのはどうなんかなぁという素朴な思いです。
 弁護士の経営的に考えると「顧問先が何社」というのは安定収入の一つにはなるし、顧問先から個別の案件の依頼があれば着手金、報酬と結びつきます。しかし、依頼される方にそれ以上のメリット、いかなるメリットがあるのかな、見合わないんじゃないのかなという疑問です。
 
 にも関わらず敢えて顧問契約をという方々は、
 ■ 都度の相談よりも顧問契約料を毎月払った方が割安と判断出来る事情、つまり日々の相談件数が多い場合、あるいは、
 ■ 相談ごとはそれほど多くはなく都度の支払いの方が割安だけども、安心感、対外的に「うちの顧問弁護士は云々」といえる安心料のようなものの対価として顧問料を支払われているのだと思います。

 また従前、まったくつきあいもなく突然、相談をしてもその会社や個人の成り立ちなどの把握にまず時間をとられる、このことを避けたいということで、継続的関係をもつようにしたいということで、毎月の顧問料の支払いという形で継続的関係を保っておくといことなんだろうと思います。

 

 
 ただ、顧問契約のデメリットは、一人の弁護士との顧問契約だと、実際の大きなトラブルがあったときに、その顧問弁護士の得意分野ではなく、出来れば違う弁護士に依頼したいというときに、しがらみがあって違う弁護士には頼みにくいということではないかと思います(顧問先企業が案件によって他の弁護士に依頼していることが分かったら、多くの弁護士は素朴に、へそをまげちゃうんではないだろうか・・・)。
 最近では規模の大きな企業だと、弁護士の使い分け、顧問契約も敢えて複数と行っていたりするところも増えているようです。

 もっとも、思うに、今後、市場原理がますます強く働き、法律サービスの提供市場においては、これまでのような「顧問弁護士」制度は廃れていくと私は考えています。
 
 つまり何かあったとき、「気軽に相談できる弁護士」が増え、弁護士を利用する側が弁護士を事案ごとに選んでいくという時代に遅かれ早かれなると思います。
 その一端が、「顧問制度」の消滅ではないかと。
 その企業の業務、個人の状況などの把握については、弁護士側の理解力、把握力の問題に過ぎないと思います。
 さらにいえば、一度、相談を受ければ、顧問契約がなくっても各企業、個人の個性は十分に把握できていますので、次回からの相談は確実にスピーディになります。
 
 リスクの分散ということが言われますが、「相談できる弁護士の分散」の時代が間違いなく訪れると思います。
 ホームドクターならぬ、ホームローヤーをという言われ方をしたりしますが、これも結局、要は、気軽に相談できる、しかも従前のその人、企業の状況を理解してくれている弁護士をということを意味するのだと思います。
 このこと自体は、確かにそうだと思います。
 ただ、この為の手段として顧問契約が唯一だとは思いません。
 ホームドクターに毎月、顧問料を払いますか?! 

 弁護士に対する支払をいろいろと考えていくと、依頼者・相談者にとっても、弁護士にとっても一番公正なのが、「時間制」というシステムではないのかなと考えています、今のところ。
 ただ、実際、時間制を導入すると、法律事務所の原価計算、利益を加味すれば、たぶん今以上にごく普通の個人の方だとびっくりする金額になってしまうので、事件ごとの着手金、報酬制が一般化しているのだと思います。
 
 どこへ行く、司法試験合格者3000人時代の弁護士は。

*猿のうしろにうつる大きなビルは、去年新築された大阪弁護士会館。使い勝手が悪く、結構、不評の建物。使う人のことを考えることが大切ということを弁護士に思い出させるためにわざと不便な設計をしたという深読みもありうる建物。

(おわり)

2007年2月16日 (金)

「強い会社」を作る~「空振り」を怖れずに~【松井】

Chocolate
1 
 「強い会社」を作るという言い回しがあります。
 いったい「強い会社」って何をいうのでしょうか。
 ということについて、つらつらと考えてみたことを書き記してみます。それこそ、MBAを持っている人、あるいは現実の経営者であれば当たり前のことなんだろうと思いますが、このことについて弁護士として、法的サービスとしてどういったことを提供できるのだろうかという観点で考えてみたいと思います。
 本当に、つらつらです・・・。



 まずもって、会社、企業が、日々、月々、年々の利益を上げる体質をもっていなければなりません。利益をあげられない企業は、遅かれ早かれ市場から撤退せざるをえません。倒産といいます。
 強い会社、企業とは、利益を発生させることが出来て永続性を持ちうる企業といえます。

 会社であれ、個人であれ、その属する企業から報酬・給与をもらって日々の生活を営む以上は、その企業が、構成員に配分できるだけの「現金」をもたなければなりません。
 この現金支払いも一回限りのものではなく、当然、毎月毎月、永続性をもって支払える状態でなければなりません。そうでなくなった場合、「倒産」状態といいます。
 ということは、企業が企業であるためには、当たり前だけど「利益」を発生させる状況であることが必要です。



 では、「利益」を発生させるためにはどうでなければならないのか。
 
 単純に表現すれば、一つは、売上げ、「入り」を増やす、あるいは維持すること、もう一つは、費用、「出」を減らすことに尽きると思います。



 では、まず「入り」を増やす、あるいは維持するにはどうすればいいのか。

 今得ている「入り」を減らさないようにすることという視点と
 今得ている「入り」をいかに増やすかという視点に分けられると思います。

 ここではいろいろなことが具体的に考えられるところですが、例えば、創業何百年といった企業でも、創業時と何ら変わらないことによって現代においても売上げを維持しているところもあります。変わらないことによって、維持するパターン。変わると、企業として消滅してしまう。例えば、よく京都などにある有名和菓子屋さんとか。

 しかし同じ創業何百年という企業ではあるけど、商品の種類を増やしたり、あるいは販売経路を拡大することによって、莫大な売上げを上げるパターン。伊勢市の赤福とか?
 ここで当然、売上げを拡大するには、何らかの投資が必要となるでしょう。従前の経緯だけでは、維持はありえても、拡大はあり得ない。
 この投資の際、資金をどのように調達するのだろうか。

 自社の利益からか、あるいは出資を募るのか、あるいは借入を行うのか。借入といっても、社債を発行するのか、あるいは特定の金融機関あるいは支援企業などからの借入れになるのか。それぞれのメリット、デメリットを勘案して、資金調達方法を選択します。
 この際、いわゆるファイナンスとして、弁護士が法的サービスを提供できる余地があるのでしょう。しかし弁護士・法律事務所でなければならない必然性はありません。
 
 また、売上げを維持、増やすための戦略として、そもそもの大事な要素の一つに人事戦略があります。
 どのような人材を獲得するのか、また自社にとどめおくのか。労働法規に触れない範囲で、どのようにクリエイティブな契約内容、就業規則を定めるのか。
 この際、労働法規に詳しい弁護士が法的サービスを提供する余地があります。ただ、弁護士の役割、あるいは限界としては、法規に触れないという接点においてであって、クリエイティブな発想に基づく契約内容を提案するという点では難しいかもしれません。

 さらには、売上げ増を狙い、例えば、市場で3位の企業が、5位の企業と合併などして、市場占有率2位の企業に浮上するといったこともあります。
 このときのいわゆる「合併」「統廃合」においては、先の人事の問題などとともに資産や負債の処理を巡って種々の問題が起こります。
 最近の例でいえば、極端な例ですが、住友信託銀行とUFJの合併話の破綻とか。やり方をうまくやらないとこんなレベルで、事後処理のために何億、何千万円という余計な費用がかかります。

 また、新たな第三者と取引関係に入る際の契約書作成作業。これは、いかに自社に有利な条項を入れるかという点よりも、実は、次に触れる「『費用』をいかにコントロールするか」という点にかかってくるかと思います。
 契約締結交渉、契約書作成といった点で、弁護士が法的サービスを提供する余地は当然あります。ただ、世間をにぎわせるM&A交渉においては、大規模法律事務所、著名弁護士だけではなく、金融機関やコンサルティング会社が大きな役割(報酬?)を担っていることからも分かるように、サービス提供の登場人物は弁護士だけではありません。



 つらつらと考えていたら、また長くなってきました。
 今回はひとまずここでストップすることに。

 要するに、強い会社、企業とは、イメージ的にいえば、「イチロー」ではないかと思っています。

 その身体や思考に無駄がない。隙がない。絶え間ない練習に試行錯誤。常に、改善、改善、改善へと進んでいくこと。鋼のようなイメージ。
 法的な訴訟リスクを常に想定して、備え、失敗からは学び改善していく。
 契約書の作成といっても、あまりに一方的に自社に有利な条項は、裁判となった際には無効といわれるリスクが高まることを考慮して、バランスのとれた条項とする。
 つまりすぐれたバランス感覚。近江商人の三方良し(?)の感覚。お客よし、取引先よし、自分よし(?)。
 失敗はあって当たり前。要は、失敗をいかに次に結びつけていけるのか。
 以前みたイチローのインタビュー番組でイチローは言っていました。「空振りは凄い。あの空振りがあったから、その次に打てた。」空振りをすることによって、埋めるべき空白、次になすべきことがはっきりする、だから次に成功するといった趣旨です。

 空振りを怖れずに空振りをし、空振りを次に生かして、ヒットを生み出す。
 弁護士としてもこうありたいと思うし、こういう人を応援していけたらと思います。

 企業の永続性って、これの繰り返しであって、空振りを怖れてバットを振らなくなったら終わりなんだと思います。

 それと弁護士だからかもしれませんが、困難に遭遇したとき、そんなときこそとにかく真っ直ぐに対応する、まわり道なようで結局、ベストの選択につながるという信念があります。シンガポールの初代首相のリー・クアンユーは、首相になる前、弁護士でした。そして政治活動を行っていくのですが、様々な困難に対しては、弁護士だったからかもしれないけど、とにかく裁判でもって決着を付けていきました。どこかの政府みたいに暗殺なんてしません。
 そういえば確か弁護士として?テレビによく出ている橋下徹弁護士が出版した本のタイトルは、「真っ向勝負」だったかと。
 
 「真っ向勝負」できる企業が、最後に強い企業になるんだと思います。

*写真は、R.Savignac という人のCHOCOLATE という絵です。空振りを怖れずに、真っ向勝負。なんとなく、この絵のような気持ちです。好きな絵です。

(おわり)

2007年2月 7日 (水)

先を読む力と情報収集と教訓 【松井】

1 
 久々の更新で、つぶやきです。Ohashimatsui

 当たり前のことだけど、こう対応したら次にどうなるのか、で、次にどういうことがあり得るのか、A、B、Cとの展開が考えられる、じゃあ、Aの場合はどう、Bの場合はどう、Cならどうするのか、詰将棋のように考え抜いて、準備するのが弁護士の仕事。

2 
 でも、こんなことは日常の作業、あるいは弁護士に限らない仕事で、皆、やっていること。
 だけど不思議なことに、考えていないの!?という対応に出くわすことがよくある。理解できない。(って、まぁ、「感情」が原因なことは分かっているけど・・・。)

3 
 例えば、交渉や調停や和解。
 判決になったらどういう判決が予想されるのか、その判決が出たときに次に相手方は、これまでの行動パターンから考えてどのような行動に出ると予想されるのか。
 だったら、ここで妥協して合意に達してまとめた方がいいことは、経済的利益に鑑みれば明らか。
 しかし、戦う姿勢を崩さない・・・。

 だれか相手方によい助言者がいれば、ここで話をまとめて、結果、相手方も得るものを得られるのに、こちらの目の前で自ら、断崖に向かって突っ走っていく。
 こちらが止めることは出来ない。不運な人だと呟くのみ。
 
 一つ言えることは、自分以外の周りの声に耳をよく傾けるようにということ。どこかで、「そっちは崖だよ」という合図があるもんだ。

 最近読んだ本で面白いエピソードがある。
 クリントン元大統領は、学生時代、ヒラリーと知り合ったとき、パーティーの席でも自分から話すことはなく、口数少なくしていたため、ヒラリーは最初、自分に気がないのかとがっかりしたということ。
 あとからそのことをヒラリーが口にすると、クリントンは、
「君と君の友人のことをよく知りたかったから(自分は黙って、会話に耳を傾けていた)。」と答えたとのこと。

 適切な判断のためには適切な情報収集、そして適切な情報収集は周りの声に耳を傾けること。
 自分の主張を繰り返し大声で叫ぶだけでは、自分によい結果は得られない。
 教訓。

(おわり)

*写真は、ランチを一緒に食べる大橋と松井。このとき、お互いが担当する事件の方針や考え、弁護士のあり方などについて意見交換をする。一人で考えられることってホント、たかがしれている!今日のキーワードは、「サプライズの提供」。

2007年1月 6日 (土)

「ん!?」~素朴な問題意識をもち、それを深めるということ~【松井】

Cimg1686

 いよいよ2007年が始まりました。
 新年の挨拶は大橋のブログに譲り、気持ちも新たに早速、新年初めてのブログの記事をアップしていきたいと思います。
 
 ところで、大橋の今年のキーワードは「シャープ」だそうです。私のキーワードは、「ぴかぴか」です。単純に、昨年末、流行の「おそうじ本」を読んだ影響です。磨かないといろいろと駄目になっていきますよね。
 ちなみに、ブログについて私個人のテーマとしては、「日々、あれこれ」といったものから進化し、自分の考えを記録し、まとめていくという点に重点が移っています。自分の考えについて整理するきっかけであると同時に、外部記憶装置といった位置づけです。なのでそれなりの分量をと意識的にしています。自分が面白い、興味深いと思って定期的にチェックするブログもそういったものが多かったので。これらについては、それこそまた改めて「日々、あれこれ」としてアップしたいと思っています。こういったことは日々、目前の業務においても絶対的にプラスになるものと信じています。「緊急ではないけど大切なこと」として実行していきたいと思っています。


2 
 さて、年末から気になっていたのは、12月28日の新聞記事です。「ネット出店料 一方的値上げなら 公取委 『独禁法抵触も』」(朝日新聞)
というものです。

 

「公正取引委員会は27日、楽天やヤフーなどインターネット商店街の大手運営業者が、出店業者に不当な手数料の引き上げなどを一方的に押しつけた場合、独占禁止法違反(優越的地位の乱用)にあたる恐れがあるなどと指摘した調査報告書を発表した。これに対し、最大手の楽天は「現状の運営は独禁法に抵触しない」と述べ、ヤフーも「指摘のような運用はしていない」とのコメントを出した。」(
http://www.asahi.com/digital/internet/TKY200612270326.html)
 
 調査報告書 http://www.jftc.go.jp/pressrelease/06.december/06122702.pdf


 すっかり記憶力が衰え、何で読んだのか定かではないのですが、楽天が今ほど成長したきっかけは、当時、ネットのモールに出店するには何十万円という多額の出店料を要していた業界において、革新的に数万円という従前にくらべれば格安の出店料を設定した点が大きいという指摘をなるほどと思ったことがありました。
 数万円という出店料を魅力に思い、多数の店が楽天に出店し、出店数の拡大が利用者の拡大につながり、従前のネットモールを圧倒したという単純な流れで説明されていました。
 思ったのは、なぜそれまでのモールは数十万円に出店料を設定していたのか、なぜに楽天は「格安」での値段設定が可能だったのかということでした。ただ、記事の流し読みで敢えて自分でさらに突き詰めるといったことはしていません。



 そういう記事の記憶があったところ、ネットモールの業界で圧倒的なシェアを獲得した楽天が、「満を持して」といった様子で、安くしていた出店料を一方的に全体的に引き上げる行為をとったという記事を、また雑誌だか新聞だかで読むことがありました。
 この記事を読んだときの私の印象はまさに「満を持して」でした。値段を安くして顧客となる出店業者を誘引し、業界において圧倒的シェア、地位を確率して、出店業者の出店先の選択肢が限られたところ、自社への依存度を高めたところで、出店料を引き上げる。 単純な感想として、「えげつないなぁ」というものでした。



 といったおぼろげな記憶があったところで、冒頭の「ネット出店料 一方的値上げなら 公取委 『独禁法抵触も』」という昨年末の記事です。
 
 早速、調査報告書をネットで斜め読みしてみました(便利な時代です)。
 
 優越的な地位の濫用とは、私的独占の禁止及び公正取引の確保に関する法律(独禁法)の2条9項の5です。
 「自己の取引上の地位を不当に利用して相手方と取引すること」

 これは「不公正な取引方法」とされ、公正取引委員会は、「当該行為の差止め、契約条項の削除その他当該行為を排除するために必要な措置を明ずることができる」(20条排除措置)とされています。
 またさらには、不正な取引方法によって利益を侵害されたり、されるおそれのある者は、差し止め請求を行えるし(24条)、損害をうければ、損害賠償請求も出来るとされています(25条)。
 
 ちなみに、優越的地位、自己の取引上の地位が相手方に優越していること(一般指定14項)とは、「A(相手方)にとってY(自己)との取引必要性があるということ」(取引必要性)をもって判断されると考えられています(49頁 白石忠志「独禁法講義 第3版」平成17年7月、有斐閣)。取引必要性とは、「Aにとって選択肢が狭まっており、2条4項にいう競争が制約されることを意味している」「2条4項にいう競争が十分におこなわれているか否かに着目しようというわけである」(同)とされています。
 
 また、濫用とは、「Aが負うべき合理的理由がない負担をYがAに負わせていると言えるか否かが、判断基準となる。」(上記50頁)とされています。

 公正取引委員会からの指摘に対する楽天の反論の根拠としては、1)優越的地位にあるわけではない、出店業者には他に選択肢もある、また2)出店料の値上げには合理的理由があるといったことの具体論になるのでしょう。
 実際には、例えば現状において司法で争われた場合、どのような判断となるのか興味深いところではあります。



 ところで、以上を踏まえて思ったのは、もっと自分の「素朴な疑問」を突き詰めていかないと駄目だなということです。まさに磨かれない・・・。
 「ん!?」と思ったことについて、それはどのように法的には分析できるのか、どのような具体的対処法がありうるのかを深めていかないと磨かれないままだとつくづく思いました。
 またこれは、自分のこうした「ん!?」という感覚も養っていかなければならないと危機感を抱いています。
 司法試験合格後、弁護士登録前の2年間の修習中、検察教官が言っていた言葉で印象深いものがあります。「問題解決能力よりも問題発見能力の方が大事だ。」といった言葉です。問題は、発見できれば、解決法は他の多くの知恵を借りて何らかの解決方法を見つけ出すことはできるが、そもそも問題を発見できなければ問題はそのままであるといったことです。

 素朴な疑問、「ん!?」については、自分の気づきだけでなく、相談者・依頼者の方の「ん!?」についても、理解・共有できなければ、そもそも弁護士として解決策も提案できません。
 問題発見能力、問題解決能力について、さらにぴかぴかに磨きをかけるべく、精進したいと思います。日々、反省です。


*写真は今年の干支、「猪」です。神社にぶら下がっていました。飛び出せ、猪!

(おわり)

2006年12月 8日 (金)

弁護士の品格と戦略【松井】


 11月28日付けの日経夕刊「法化社会日本を創る」で紹介されていたエピソードでは、先日和解した旧UFJホールディングスと住友信託銀行との事業売却交渉決裂を巡っての訴訟の控訴審第1回期日でのこと、裁判所は住信側に言ったそうである。
 「また大風呂敷を広げましたね。一流企業なら品格があるでしょうから、主張をしぼってください。」
 住信側は一審で敗訴し、控訴にあたり賠償請求額を数百億円まで引き下げていたにもかかわらずということである。

 同じく日経夕刊の追想録では、10月に亡くなられた、東京の大手弁護士事務所西村ときわ法律事務所の創業者の西村利郎弁護士の言葉を紹介している。
 「知識が豊富でミスがないのは当たり前。重要なのは戦略があるかどうか。」


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 先日、C型肝炎集団訴訟の弁護団に加わっている友人の弁護士から、大阪地方裁判所での一部勝訴に至る訴訟活動の内容について聞くことがあった。
 まさに「品格と戦略」を感じさせる訴訟活動と評価されるべきものだったんだろうとの印象を受けた。
 
 自省の意味を込めて思うことは、弁護士としての業務活動において、時に、いったい何を目的としているのか、着地点をどのように考えているのか掴めない場当たり的とも思われるような活動、あるいはまさに単なる罵詈雑言、口にした言葉に責任を感じていないとしか思えない言動があるといったことを見聞きすることがある。その弁護士が相手方となったとき、決して信用されることはない振る舞い。そのことでどれだけの利益を失っていることか。

 弁護士1年目のとき、裁判所の弁論準備室において、相手方の弁護士が足早に部屋を去ったあと、ぽつんと残された裁判官が私に対して、怒りを抑えつつ呟くように言った言葉。「私はもうあの弁護士を信用しませんから。」この経験があったから、信用されるに足る振る舞いがいかに重要なのかということ、逆にいかに多くのものを弁護士として失うことにつながるのかを身に染みて分かった。悪い例は人のふり見て我がふり直せではないけど、分かりやすい。
 しかし、品格と戦略を兼ね備えた弁護士活動とはいかなるものか、これも当然、「見て真似よ」しかあり得ないが、真似するのは本当に難しいと思う。
 なぜなら、自分のことは自分ではなかなかよく見えないから。

 相手方の弁護士の準備書面あるいは、法廷での振る舞い、あるいは和解での振る舞いを見て、感動したことはもちろん何度もある。
 ある弁護士は、法廷から出て行くとき、誰も見ていなくても常に「法廷」に敬意を表し一礼をしていた。
 またある弁護士は、手形訴訟での反対尋問において、証人に対してくらいつき、事細かに質問を重ね、証人が言葉をはぐらかさざるを得ないようにもっていき、その信用性をぐらつかせることに成功し、見事に和解にもっていった。なるほど、手形訴訟ではこのような尋問が効くのかと非常に勉強になった。
 またある弁護士は、にこやかに反対尋問を行い、証人を油断させつつ、見事にその矛盾点を法廷でさらけ出させた。
 
 当たり前だけど、自身が学ばないといけないこと、反省しないことはまだまだいっぱいある。
 自分の準備書面はいたずらに言葉を浪費しているだけではないか、選んだ証拠は適切だろうか、相手方に対する反論は「罵詈雑言」に終わっていないだろうか。
 こちらの弱点、相手の弱点を「鳥の視点」をもって検討出来ているのだろうか。依頼者の言い分を繰り返しているに過ぎないのではないか。効果的な活動、裁判官を説得するに足る活動が出来ているのか。

 買ってまだ読んでいなかった「民事訴訟実務と制度の焦点ー実務家、研究者、法科大学院生と市民のためにー」(判例タイムズ社)という現役裁判官の瀬木比呂志判事が判例タイムズに連載していたものをまとめた本を読んでいる。
 第10章 事実をどのように把握するか?
     一 当事者本人の話をどのように聴くか?
     二 距離をとって事実をみること(鳥の視点、虫の視点)
     三 相手方の視点から事実をみること
     四 主観的な確信の検証、法律家の常識・社会的常識との各照合
 第11章 準備書面の書き方等
     一 書面と口頭のプレゼンテーション、また、法廷におけるやりとりのわかりにくさについて
     二 一般的な主張のあり方
     三 準備書面作成のあり方
       1 一般的留意事項
       2 っまとめ準備書面の効用と最終準備書面
     四 裁判官の主張整序のあり方と手控えの作成方法
    
 
 意識しないと、何の根拠もない「経験」だけで仕事をしてしまいがちなところ、改めて自身を「検証」したいと思う。

(おわり)