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労働

2007年5月17日 (木)

「中小企業に配慮」~外国人研修・実習制度~【松井】

Cimg1970
*5/18追記 やっぱり買ってきてくれました!!ありがとう、大橋先生!
1 
 今日は、大橋は日本弁護士連合会関連の仕事で東京出張です。東京出張だと大橋はいつも事務所に「舟和」の芋ようかんをお土産で買ってきてくれます。楽しみです。


 それはさておき。外国人研修・技能実習制度の見直し論が熱を帯びてきました。動きとしては、経済産業省、厚生労働省、入国管理を所轄する法務省、そして長勢法相の私案と三つ巴のような状況のようです。
 朝日新聞の記事(5月16日朝刊)の見出しによれば、
 

「法相、『単純労働者』の容認案」
  厚労省『研修廃止』不当な労働解消
  経産省『制度拡充』中小企業に配慮」
 という状況のようです。

 お!と思うのが、「中小企業に配慮」です。本音のところなんだろうと思います。研修・技能実習制度は、「日本の高度技能を外国人に教えることが」が目的のはずです。なのになぜ、教える側のはずの企業、しかも中小企業への配慮が必要なのか。
 制度の実態は、低賃金の単純労働者を中小企業に供給するという、メリットは中小企業にある、中小企業のための制度だということになります。

3 
 ものごとの解決の方向性は、何事も「三方よし」にあると考えています。
 近江商人の商売哲学、「売り手よし、買い手よし、世間良し」。
 
 これになぞらえれば、「中小企業よし、外国人労働者よし、世間よし」になるかと。
 
 まず第一の価値観は、同じ仕事をしても外国人と日本人の給与に差があるという事実はどう考えても不合理であり、不正義だということです。労働基準法の遵守は、絶対だと思います。
 それを踏まえて、現実として、中小企業は、日本人相手に求人をかけても、相対的に賃金が低い等の理由から、労働者が集まらない、賃金が高くはない単純労働には人は集まらないという実態があります。
 中小企業の人手不足です。
 
 そこでどういう案が合理的なのか。

 現在、日本は政策としては外国人の単純労働者の受入れを認めていません。入国管理局はこの方針のもとVISAの審査などをし、取締りを行っています。
 この政策の転換です。
 「法相、『単純労働者』の容認案」に繋がります。

 では、なぜ今まで、外国人の単純労働者を受け入れて来なかったのか。
 日本の国益を害するから。
 どのような国益なのか。
 日本人労働者の仕事を奪う、という点にあったのだと思います。また、事実の裏付けはないんではないかと思うのですが、外国人の増加による治安の悪化なども挙げているのかもしれません。
 先日、新たにフランスの大統領となった人は、フランスへの移民に対して厳しい非難を繰り返していたようです。
 
 こういった政策を転換し、思い切って外国人の単純労働者を受け入れる。

 外国人もまた、なぜわざわざ日本で働くのか。本国で働くよりは基本的に高賃金を稼げるからという理由がおそらくもっとも多いのかと思います。現状は。
 外国人労働者を保護というのであれば、日本では働けないようにするのが一番です。日本にいなければ搾取されることもない。
 でも、働きたいから日本に来る。

 そこで、実態が労働であるのなら、日本人労働者と同じように法制度上、労働者としての権利を手に入れられるようにするのが外国人にとってもメリットが大きいのではないでしょうか。
 
 どういった職に就くのかは自由です。
 
 自由の状況において、自ら、国内では相対的に低賃金の職に就くというもの自由と選択の結果です。そこにおいて、労働者としての権利を保障されればいいのではないでしょうか。
 
 「研修制度」の仕組みは、「JITCO」という団体が総元締めとしてしきっています。
 「中小企業に配慮」という経産省の本音は、「JITCO」の権益確保でしょう。
 なぜ朝日新聞はそういったつっこんだところまで報道しないのか。分かっているけど書かない、分かっていないから書けない。どちらかは分かりません。
 中小企業の保護っていったって、労働基準法に反した低賃金で「労働させること」は駄目でしょう。やっぱり。不正義。研修生受入企業の全部が全部とはいえませんが、実態は「労働」、しかも搾取といった状況で、「研修」という名でやり過ごしていただけのことなんでしょうから。ずるい、やはり。「偽装請負」とどう違うんだ。実態でなく、名称の問題としてすり替えるところがいやらしい。

(おわり)

2007年3月 1日 (木)

人を大切にしない経営者~信用できる?~【松井】

 いつも行く施設の職員の方が、「今日で終わりなんです。」と気のせいか涙ぐみなが言った。
 聞くと、あなたが担当する仕事はなくなったということだった。もう1年は働きたかったけど退職を促されたということだった。聞いている方が涙しそうになった。



 
 一時的に仕事はなくなったかもしれないけど、大変なときに職場に来て支えてくれた人を「もう要らない」と本人の働き続けたいという希望に反して、そう簡単に切り捨てていいのか。

 確かに、経営として赤字のまま何年も走り続けるというのもナンセンスだと思う(日本という国は赤字のまま走り続けているけど・・・。上海、大丈夫か?という不安が不安を読んで市場が簡単に暴落するんだろうな、97年のアジアの通貨危機のように。)。企業が永続性を保つためには、どこかで黒字にしないといけない。でないと市場からの撤退になる。赤字を黒字にするには、収入を上げるか、支出を絞るかしかないので、支出を絞る方策として、やむを得ずにいわゆる「リストラ」(この言葉は好きではない。意味する内容に比して軽い感じがするから。)を行い、「過剰な人員を整理」するというのは避けられないこともあると思う。
 
 だけど、能力もあって周りからの信頼も得ていた職員、貴重な人を辞めさせるというのは最後の手段だろう。最後の手段という意味は、雇い続ける方向でいろいろと模索したうえでの最後の方策ということだ。
 
 どうも、この施設ではそういう模索をした様子がうかがえない。
 というのも、人の出入りが激しいところだなという印象を前から抱いていたこともあるのかもしれない。
 何よりも、以前出されていた広報誌に心底、驚いたことが記憶に残っていた。その年、新規事業を立ち上げたことが誇らしげに書かれていたが、その理由の一つとして、「職員の高齢化による収益の圧迫」のため新規事業に踏み切ったといったようなことががどうどうと書かれていた。
 勤続年数が長い職員の給料が高くなり、その人を遠方の施設においやって暗に退職を促しつつ、従前の職場には給料の安い若い人に置き換えていくということだ。
 当の「勤続年数の長い職員」がこの広報誌を読んだらどう思うのだろう。

 結局、働く者に対する感謝の気持ちが見えないことに不快感を感じるのだと思う。
 経営者としてどうよ。
 そんな経営者の下で働きたいなんて思わないし、人に感謝することを知らない人がいったいどんな素晴らしい事業が出来るというのか。
 自ずと経営方針が分かるというものであって、この経営者が経営する企業の先は明るくないなと思った。人を大切にしない姿をすぐ横で見せつけられる他の従業員が自身の会社を誇りに思うわけないし。
 短期的な支出の抑制に目を奪われて、長期的な利益を取り崩していく姿。
 意見する労働組合や適切なアドバイザーがいないんだろう。



 
 偽装請負の問題が去年末くらいからマスコミでようやく取り上げられ社会問題とされている。
 企業にしてみればいったん正社員となると簡単に解雇できず、仕事量との関係で調整できないので正社員化は避けたいのだろう。「請負」なら、正社員にという途はない。
 ただ、体力があり、一定期間正社員としてもおかしくはない仕事内容で働いているのであれば、それは雇用するべきだと思う。

 「人権栄えて国滅ぶ」という言われ方がある。それが唯一絶対のように聞こえるからかもしれないけど、正直なところ「人権」や「権利」といった言葉自体はあまり好きな言葉ではない。弱者保護といった視点もあまり好きではない。
 だけど、じゃあ反対に企業側の収支の理屈が全てかというとそうとも思わない。
 要は、バランスの問題だと思う。やはり近江商人の知恵で、皆がハッピーになる途を模索し、均衡を保つというのが最もよいのではないかと考えている。やむを得ず整理解雇をせざるを得ない場合でも、退職する職員の次の職場を世話する、自分のことだけではなく相手のことを気遣うというのは今後両者にとってプラスになることだと思う。
 
 こういった働く人に対する配慮すら出来ない企業の経営者がいくら広報誌でいいことを言っていても、信用できないし、この企業の利用を止めようかなと真剣に考える。
 先のない企業。沈んでいく船を見ているよう。

 今回はちょっと個人的に怒ってる!

  
(おわり)  
 

2006年11月18日 (土)

従業員の解雇~労働市場の流動化、「弁護士」の流動化、あるいは考えの迷走か?【松井】

1 
 11月18日付けの日経新聞朝刊の1面は、「解雇紛争 金銭で解決」となっていました。

 労働政策研究・研修機構という機関の調べによれば、企業が社員を解雇した理由としては、「経営上の理由」が約50%、次に「仕事に必要な能力の欠如」が30%弱、「本人の非行」「職場規律を乱す」がそれぞれ約20%強のようです(複数回答)。



 数ヶ月前、フランス政府による、若者の解雇の容易化を打ち出した法案に対して、各地でデモ等の反対活動が起こり、結局、法案が撤回されたという事件がありました。
 雇われる若者にしてみれば、働き初めて数ヶ月で何ら理由なく解雇されるというではたまったものではありません。
 これは若者に限らず、大学を卒業してから「就職」し、このまま60歳の定年までこの会社で働こうというつもりでいた、例えば30年の住宅ローンを組んだのに、35歳のある日、「きみ、来月、辞めてくれないかな」と言われた場合を考えたら、たまったものではありません。
 この「たまったものではない」という感情が何かというと、まさに「人生の計画が狂う」ということだと思います。人生とまではいわなくても、来月、来年とこれだけの「給料」をもらえる、「収入」があると「信頼」していたのに、この信頼が裏切られる、つまり生活設計が狂うということです。



 働く側にしてみれば、「雇用」=まず「収入」です。数ヶ月後の収入の当てがないという恐怖を味わうことになります。
 従業員の信頼を裏切ってはならない、従業員は期間の制限なく雇用されている、つまり少なくとも定年である60歳までは収入が確保されるべきという考えが、終身雇用の労働体系をもとにした裁判所の解雇規制法理かと思います。

 

 「信頼を裏切ってはならない」という考え、価値観が多くの裁判例からも裏付けられるかと思います。また、ちょっと違うかもしれませんが、「禁反言」の法理といわれるものがあります。あのときこう言っていたのに、今更違うことを言っちゃいけないといった価値観といえるでしょうか。
 今回検討されている法制度は、解雇の不当性を争う従業員に対し、企業に対して、「解雇無効確認の訴え」ではなく、「社員が職場復帰を求めない代わりに、金銭による補償を請求する訴えを認める制度」らしい。補償金の下限を年収の2年分といったように明示するようです。
 「労働組合の代表者らは解雇の乱発を招くとして警戒している。」とあるように、逆に考えれば、企業としては、どうしてもこの従業員を辞めさせたい、少なくとも定年まで働いてもらいたくはないと考えたら、その従業員が36歳であれば60歳ー36歳=24年間の給与の支払い、その他のその従業員がいてもらうことによる不都合と考えることを天秤にかければ、年収の2年分あるいは4年分であっても、それで解雇できるなら「しめたもの」になるのは明かでしょう。
 
 こうして「労働市場 流動化促す」が実現されていくのでしょう。
 流動化された「労働」は次の職にたどりつけるのか。35歳で解雇されたものが次にどのような職を見つけることが出来るのか。例えば、これが50歳だったらどうなのか。
 日経のデータをみれば、ただ日本の完全失業率は、数年前をピークに下がってはいるようです。
 
 解雇については、「経営上の理由」にしても、「仕事に必要な能力の欠如」にしても、やはり第1には、解雇回避のための雇う側の努力は不可欠でしょう、当たり前だけど。補償金制度も、この努力が第一という従前の考えを否定するものでは決してないはずです。 そして努力しても、どうしても解雇しないと企業そのものに必要以上のダメージが及んでしまう、この段階にまでいったときには確かに「補償金制度」が意味あるものであることは雇う側の立場を想像すれば否定するものではありません。
 従業員にしても、期間の定めのない終身雇用をむやみに信頼してはいけないという、不安感、不信感、緊張を要求されることになるでしょう。
 これが労働市場の全ての関係者にとって吉とでるのか凶とでるのか。私には分かりません。
 今年の会社法制定のように、まずは試してみて、駄目だったら修正というのが一番なのかもしれません。


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 今回の法制定の動きをみて、何を言いたいのか自分でも判然としませんが、最近考えていることの一つに、弁護士数の大増員の問題があります。
 人数が増える、新株発行と同じで一株の価値、弁護士一人一人の価値が相対的に下がる、喰えない弁護士が出てくる、喰えない弁護士は悪いことをして非行弁護士が増える、そして社会に迷惑をかけるという話があります。
 しかしそもそも、司法試験に合格し、研修所を卒業して、弁護士の資格を得たからといって、まさに「終身雇用」のように「喰える」「60歳くらいまでは収入が保障される」なんていう信頼を持つことそのものが、そもそも理由がないのではないかと考えています。
 「司法試験に合格して、弁護士になったら収入は安泰だ。」
 「大学を卒業して、大企業に就職したら収入は安泰だ。」
 
 非難囂々(ひなんごうごう)を畏れずに(いや畏れながらも)、今の自分の単純な考えを述べてみると、二つともそもそも幻想なんじゃないかしらと・・・。自営業、経営者の人で、3年先、5年先、10年先が保障されているなんて考えている人は皆無かと。
 そもそも「信頼」を寄せる根拠がいったい何なのか。それは単にそれまでの「前例」に過ぎないのではないかと。その「前例」がいったいいつまで続くのか、そのことについて責任を負うべきものがいるのか、いないんじゃないかと。大きな歴史の流れそのものに責任を負うものがいないのと同じで・・・。
 つまりどういうことかというと、自分でまとめてみるに、「幻想に頼らずに、生き抜きましょう」ということ。
 そうすれば、自分以外のものにふりまわされずに生きていくことが出来ます。
 
(おわり)
 

2006年10月 2日 (月)

年齢差別禁止法~法律の必要性と影響力~【松井】

 10月1日付けの日経の朝刊記事から。

 年齢差別禁止法が英国で10月1日から施行されるようです。
 中身はというと。

 

「公的年金の受給開始年齢である六十五歳未満に定年を設定することや、研修や昇進を年齢で区切りることも違反となる。違反と認定された企業は従業員らの損害賠償制度におうじなければならない。社内規定の見直しを迫られる企業や組織も少なくないとみられる。」

【追記】 Europe Watchさんのブログでも紹介されていました。
そこで紹介されていた参考資料。英語だけど・・・。

 実家は自営業であったし、自身も自営業なためか、人生を逆算で考えたことがあまりありませんでした。

 会社勤務だと、定年が○○歳なので、その後の確保できる収入は年金、年金は大体見込みでは年間○○円、となると住宅ローンを組むのは△△歳までに組んで、定年までに支払いを終える必要があるなどなど。

 実際、目の前でこういったことを普通に口にしているのを耳にしてビックリしたことがあります。「ライフプラン」とはこういうものなのだとは思うのですが。


 小さな記事だったので詳細は分かりませんが、イギリスで上記のような「年齢差別禁止法」が施行されるようです。

「少子化対策の一環として高齢者雇用の促進を狙う」
ということなので、出生率、人口比率からして「少子化」「高齢者」社会の日本でも、当然、数年後には日本でもこのような制度が法制化されることは火を見るよりも明らかななのではないかと思います。

 となると。
 現実問題、日本では、「社内規定の見直しを迫られる企業や組織も少なくない」どころか、ほとんどが見直しを迫られるのではないでしょうか。
 また雇う側だけでなく、従業員の立場においてもまさに「ライフプラン」の見直しが始まるでしょう。
 
 今後の国会や法制化の動きに対して要注目だと思います。
 雇う側を拘束する法律なので、雇う側から法制化の動きが活発になることはまずないはず。となると、どこが何のために動くのかと言えば、年金制度の信用・財源を維持確保しなければならない立場の方からの動きになるかと思います。あるいは労働者団体からか。 いずれにしても大きな影響力をもつ法律となるのは間違いないので、どのようなものができあがるのかは注目です。

 消費者契約法の改正作業における団体訴権制度の導入、その中身について、様々な動きがありました。そして結果、現在の改正となりました。
 この間、消費者保護委員会の弁護士などが東京へ行き活発に関わってこられ、その中で委員として、立法過程の動きの情報を得ていました。
 先端で動いておられた方曰く、実際に効果的に行動するノウハウが必要、大切だといったことを口にしておられたのが印象的でした。
 そういう意味では、衆・参議院あわせてわずか1000人以下の国会議員の役割というのはとんでもなく大きいものです。この人たちの投票によって法律が出来るか否かが決まるのです。
 当たり前のことですが、国会議員を選ぶ選挙は大事だ、国会議員たる人の資質は大事だ。タイゾー議員は働いているのだろうか・・・。神取忍は大丈夫なんだろうか・・・。
(おわり)