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2007年6月11日 (月)

異業種の舞台裏~生テレビ番組に出演して~【松井】


 年に1回ほど、何かの拍子で声をかけていただき、テレビ番組に出演することがあります。それもだいたいが生放送の情報番組。
 「弁護士」=専門家ということで、相続や生活に密着した法律情報を語ることが期待されます。
 今年も先日、相続問題についてということで関西ローカルの某番組に出演させていただきました。


 なぜ自分が引き受けるのか。タレント弁護士になりたいから?いやいやもちろん違います。
 打合せ、本番などで、普段接することのない異なる業界、しかもテレビ業界という非常に特殊な業界をかいま見ることが出来て、自身、今後弁護士としてやっていくうえで非常に勉強になることが多いと考えているからです。


 現に、相続問題を多く担当しているということで初めて出演させていただいた日本テレビの「思いッきりテレビ」のときなどは、コーナーの時間も40分近くあったこともあり、担当ディレクターの方と今にしておもえばかなり頻繁に打合せをしました。
 そのとき、自分でも改めて統計を調べたり、どういったら視聴者の方が分かりやすく理解できるのかといったことを集中的に考えました。
 また生放送、しかも司会者はみのもんたさんということで、どんな質問がその場のアドリブで出てきても答えられるよう、知識を総ざらえして行きの新幹線の中でも頭の中で一人リハーサルを繰り返していました。あんなときどうなる、こうなったらどうなる。


 先日、出演させていただいた生放送も久しぶりで非常に勉強になりました。
 放送時間が刻一刻と迫るなか、秒読み状態の中で、ディレクターの方やフロアディレクターの方、制作会社の方はもちろん、司会役の方、質問役の出演者の方も一緒に、リハーサルをしたあと、どこをどうカットするのか、構成をどう変えたらいいのか、私の回答の仕方についても、もっとこういう言い回しをしたら分かり易いのではないかと検討していただきました。

 こんなことは私にとっては非日常なので、秒読みが続く中での検討作業は本当に神経がすり減るような思いであり、出演の度に毎回、直前には吐き気を催すくらいなのですが、こんな仕事を毎日やっているスタッフ、出演者の方はすごいなと改めて尊敬します。
 特に、ゲストの芸人の方。直前に台本をもらって簡単に流れを押さえるだけで、本番では絶妙の間で笑いを呼び込むトークを繰り広げられます。今回は、海原しおり、さおりさんでした。面白かった。
 また司会者の方も、台本の中でこれは視聴者に伝えないといけないという点に話題を流れを阻害することなく場を変調させる。
 私が話しておかないポイントに触れるのを忘れていても、うまくフォローしていただき、その点に流れを持って行っていただく。
 皆、プロの仕事をしているなといつも思います。

 緊張感。

 大変、勉強になりました。
 スタッフ、出演者の方々からの率直で素朴な質問や、その言い回しは分かりにくいといった指摘も非常に勉強になります。

5 
 でも、生放送番組に出演させていただいた直後、毎回思うのは「もう二度と出ない」ということです。相当な緊張感からの開放故ですが。
 でもしばらくすると、声を掛けていただく限りは出演させていただこうという思いにもなります。
 やはりちょっとでも普通の方が知識を付けていただき、余計な紛争がなくなればいい、自分がお役に立ちたいという思いはもちろんですが、やはり勉強になる、刺激になるというメリットの方が大きいからです。


 先日の番組はどうだったのでしょう。少しはご覧になったかたの役にたったのか。
 相談に来られたかたなら、その表情で、納得されて帰られる、喜んでいただいて帰られるというのが表情を見て分かるのですが、テレビの怖いところは視聴者の顔が見えないということです。
 それは本当に怖いことだと思います。テレビ番組の中で言いっぱなしで、間違ったことを言う「弁護士」は世間にとっても百害あって一理なしのこともあるのではないかと思います。「弁護士」を名乗って仕事をする以上、責任は重大です。その自戒がなくなったら弁護士を名乗って仕事をしてはいけないんじゃないかと考えています。テレビに消費されるようになった終わりかと。
 
 竹内まりあの言葉。
 私は音楽をやりたいのであって、芸能人になりたいわけではないと思い至った。それからは宣伝のためとはいえテレビ番組には出ないようになりました。

 何にしてもそうだけど、自分がやりたいことは何なのかという目標を常に見失わないようにすることは、難しいけど大切なことだ。自分を大切にね。

(おわり)

2007年6月 4日 (月)

アップル社、吠える!~ものごとのバランスについて考える~【松井】

林檎の歌 さんのブログから知りました。
アップルが「文化庁は著作権行政から手を引け」と主張

政府が行った、「○「知的財産推進計画2006」の見直しに関する意見募集の結果について」が公表され、
アップル社からの意見が公表されています。
4番目が「アップルジャパン(株)」の意見です。

総括として、

「文化庁著作権課に依る一方的な行政運営には理解不能である。徒に著作権者団体
の意見のみを汲取り消費者、機器メーカーの立場は無視し続けている。」
と記されています。

ちょっと感情的な表現にすぎる気もしますが、著作権の世界において「消費者」の声ってどれほど代弁されているのでしょうか。
消費者は、消費する人にすぎないのだから、黙って口を開けて落ちてくるものだけを口に入れておけばいいという発想でしょうか。
文化も消費者があって初めて成り立つ世界なのは当然であって、そうでないなら、人知れず山奥で一人、絵を描いたり、小説を書いたり、音楽を作って演奏していればいいということ。
認めてくれる「消費者」がいて初めて、職業としては成り立つわけで。

今の状況は、アップル社が指摘するように、バランスが悪いのは事実ではないかと思います。

じゃあ、どうしたらいいのか?いろいろと方策はあるかと。
坂本龍一も確かがんばっていたし。声高に自らの権利主張だけをするのではなく、顧客の利益とのバランスを考える。

それにしても、昔、新書で「著作権の考え方」という元文化庁の職員が書いた本を読んだことがあるのですが、
「それはあなた、著作権の考え方じゃなくて、あなたの考え方ではないの?」という読後感を持ったことを思い出しました。
傲慢さが鼻についたということでしょうか。日本の著作権行政を自画自賛していました。

著作権法の学者の先生方にもがんばってもらいたいと思います。
どこへ行く、著作権法。

2007年5月11日 (金)

ブログ 【松井】

もう5月も10日をすぎて、あっと思ったら今月、大橋も松井もまったくブログ記事をエントリーしていませんでした。

これではいけないと思い、書こうと思うのですが、そんなときに限ってうまく文章がまとまりません。
そうでないときは、お!この問題意識はまとめてブログにアップしておこう、こんな問題提起を書き記しておこう、この写真を載せてみようなどと思うのですが。

相続を巡る問題をもう少し体系的にまとめていく作業をしようと思いつつ、今日はいつも以上に雑文を。


自身はよく人のブログをチェックしています。
お、これは面白いというものを目にしたら「お気に入り」に入れてしまい、何回か見ます。そして、そのまま日々、チェックし続けるものもあれば、いつのまにかチェックしなくなっていくものもあります。

そこで、立花隆の私はこんな本を読んできたではありませんが、こんなブログ、HPがお気に入りに入っているということでここに記してみます。
何の意味があるのか。まあ、人の本棚を覗くような気持ちで。

■ Europe Watch
http://europewatch.blog56.fc2.com/

海外在住の大阪出身の会社員の方のブログ。
海外、特にヨーロッパでの生活事情、仕事事情、時には社会情勢などについて、生の資料を基に触れられていて興味深い。

■ 不肖宮嶋茂樹 儂サイト
http://www.fushou-miyajima.com/

カメラマン、不肖宮嶋さんのサイト。破綻した夕張市の写真がもの悲しい。

■ 悠法律事務所
http://yuu-kamikawa.cocolog-nifty.com/law/

毎日更新!すごい。切り口も鮮やか。

■ 弁護士独立開業マーケティング
http://bengoshidokuritsu.sblo.jp/

自らを実験台にして、赤裸々に若手弁護士の経営実態と経営戦略を公開されています。

■ shiolgy
http://shiology.com/shiology/

著作権専門の塩澤一洋教授のブログです。写真が素晴らしい。文章も暖かい。影響を受けて、デジカメ  RICOH DIGITAL を購入してしまいました。

■ New York Today
http://nylawyer.exblog.jp/

ニューヨークに留学し、現地の法律事務所で働いている弁護士さんのブログ。写真もきれい。中身も、現地情報が多く、興味深い。

■ 岡口裁判官のサイト
http://okaguchi.at.infoseek.co.jp/top.htm

裁判官としてバリバリ働きながら、このサイトの充実ぶりはすごいです。裁判官には確かに時々超人的な人がいますが、まさにその方か。情報感度がすごいです。

■ 私的な事柄を記録しよう 勝間和代さんのブログ
http://kazuyomugi.cocolog-nifty.com/

朝日新聞のBEで藤巻兄弟・弟に変わって登場された勝間さんのブログ。
現在、注目中。

■ ネット生命保険立ちあげ日記
http://totodaisuke.weblogs.jp/

東大在学中に司法試験に合格し、その後修習に行かずに外資系コンサルティング会社に就職、ハーバード大学のMBAを上位10%という成績で卒業されたという目も眩むような経歴の岩瀬さんのブログ。示唆に富みます。生命保険の世界は確かに従前、まか不思議。

と、まあ、こんなところです。


ところで、最近、新しい事件で相手方の弁護士と二人、交渉の場に立ちました。腹のさぐりあいのような会話、かけひき、情報の取り合いと掴ませあい。しかし表面上はまったく穏やかに笑顔での会話。ストレートや変化球の投げ合い、打ち合い。
久しぶりに緊張感を感じ、ゾクゾクして楽しい!と思ってしまいました。やっぱり交渉はこうでないと。
表面上は笑顔で、しかしテーブルの下は大乱闘。
紛争解決に向けて、人と交渉~コミュニケーション できる弁護士さんが好きです。理想。

(おわり)

2007年3月31日 (土)

仕事とは~佐藤可士和さん~【松井】

Cimg1943

 今朝の朝日新聞土曜版では、アートディレクターの佐藤可士和さんが取り上げられていました。
 私の印象では、昨年あたりから、その仕事の結果だけでなく、ご本人がいろいろな媒体に取り上げられ、その職場や仕事のやり方、思いなどが露出するようになっていました。

 今日の記事を読むと、ますます興味を持つとういか、佐藤可士和さんに対する関心が高まりました。
 正直なところ、一分の隙もなく何かにこだわるということはあまりない、むしろ好きではないのですが、矛盾かもしれないけど、些細なことに妙に心惹かれて愛着するということがあります。モノに対して。

 写真は、愛用しているモノたちです。フランスのロディア社のノートパッドに、コンピュノート社のコンピューターの本物の基盤で創られたノートフォルダ、アマダナ社の計算機に、ゲンテン社の筆箱。
 なぜ気に入っているかというと、もちろんブランド名などではなくデザインやそのモノから感じられるセンスに心惹かれるからです。


 心がウキウキさせられるのは、創った人の遊び心、軽やかな感じのなかに思い入れ、細心の心遣いを感じられるモノです。
 写真にうつっているモノたちからは、私はそういった「弾み」を感じます。
 逆にいえば、「考えなし」のモノたちからはマイナスの波長を感じて、嫌な気分になってしまいます。「考えなし」の対極が、私の心を弾ませる「考えあり」のデザインのモノたちになるのだと思います。
 

 佐藤可士和さんが創り出すモノたちからは当然ですが、「考えあり」のまさにとぎすまされた意識を感じます。そしてのその仕事に対する姿勢を語る、掲載されている佐藤さん自身の言葉にはいろいろと印象深いものがあります。

 以下、3月31日付け朝日新聞「be」からの引用です。

 

「僕が『広告は、見てもらえないものだ』と思って、作っているからでしょう。」
  
 「多くの広告は、見てもらえるという前提で作られている。だからどうしても、あれも言いたい、これも入れたいと欲が出る。でもそれ以前に、とにかく目や足を止めてもらわなきゃならないのに。それには広告に、価値を与えなきゃだめです。」

 「突破口は、とことん本質に向き合うことだと思う。そして本質をつかんだら、余計なものは徹底してそぎ落とす。難しいですけどね。」

 「単なる提案にとどまらず、最後に具体的な形、モノまでつくるところは普通のコンサルタントとは違います。そしてそれは、デザイナーにしかできないと思いますから。」

 「僕の仕事は、相手から答えを引き出すことだから。」
 「だから僕は、たくさん質問をして『本当はあなた、こうしたいんじゃないの?』ということをズバッとつかんで、鮮やかに解決したいんです。」

 「僕はむしろ、いろんな人と仕事をすればするほど、どんどん自分の中に知恵が入ってくる。そしてそれが別の仕事で役立つんです。



 仕事とはこういうものかもしれないと思いました。
 裁判官に読んでもらえると思って、本質に欠けたダラダラとした書面を作ってちゃダメだし、相談者、依頼者の方に分かってもらえる、聞いてもらえると思って、分かりににくい言葉で話したらダメだし。

 「突破口は、とことん本質に向き合うこと」

(おわり)

2007年3月27日 (火)

裁判官と判決~転勤の季節に思う~【松井】


 3月も終わり。
 以前、何度か仕事をさせていただいたことがある会社の担当者の方が転勤で東京に異動ということで、後任の方と一緒にわざわざ事務所まで挨拶に来てくれた。
 自身の立場上、やむをえずというのでもなく、本当に親身に従業員の方のことを心配し、気遣って仕事をされていた方だった。
 こちらの都合で夜中に携帯電話に電話させていただいたことも何度かあった。
 転勤ということを聞いて少し寂しく思った。困難な状況でも穏やかさを失わない姿勢は見習いたいと思っていた。


 4月。転勤といえば、裁判官や検事も転勤の季節である。
 弁護士8年目となっても今更ながらに、いや8年目だからこそ、裁判の怖さがわかり、判決というものはつくづく分からないものだと思うことが増えるようになった。
 一番大きかったのは、以前のエントリーでも触れた遺言無効確認の事件の判決だ。
 尋問前の和解の際、合議体の担当裁判官からは心証開示をされ、この遺言は無効と判断せざるをえない
といったメッセージが明確に発せられていた。
 勝つことはできなくても、負けるわけにはいかないのが裁判と考えている。
 依頼者と共に和解の途を模索した。
 しかし、どうしても譲れない部分があり、敗訴判決を覚悟で、和解を打ち切った。

 判決言い渡し期日までの間。
 
 合議体の部長が交代した。
 そして判決言い渡しが延期されること、数回、数ヶ月。
 正直なところ、期待が高まった。
 そして、判決は、遺言は有効との判決であった。

 相手方の弁護士に対しては気の毒にも思わないでもない。和解の際の裁判官からの心証開示によって
勝訴を確信していたはずである。
 ところが・・・。
 自分が相手方の弁護士の立場でなくって本当に良かったと心の底から思った。
 と同時に、改めて「判決」の怖さを思い知った。
(ちなみに控訴審でもひっくり変えることはなく、安堵のため息)

 担当する裁判官によって右か左かを左右することがあるのである。
 だからこそ、三審制がとられている。
 それにしても。怖いったらありゃしない。
 これが裁判の実態の一つであると受け入れるしかない。
 受け入れて、準備することだけが出来ることである。

 ちなみに、各法廷の担当裁判官は最高裁のホームページから調べることが出来ます。
 だけど、なかなか探しづらい場所に格納されています。
 大阪の民事の法廷については下記のとおり。
 4月、どのように変わることやら。
 私が今担当している事件の裁判官に変更があるのか否か。
 ま、この点は前回の法廷で「転勤されますか?」と当然、確認していますけど。  


大阪高裁 民事
http://www.courts.go.jp/osaka-h/saiban/tanto/minji.html

大阪地裁 民事
http://www.courts.go.jp/osaka/saiban/tanto/minji_tanto.html

大阪家裁
http://www.courts.go.jp/osaka/saiban/tanto/kasai_tanto.html

2007年3月23日 (金)

相続税の脱税事件~刑事判決の読み方~ 【松井】


相続税を脱税したということで逮捕された大阪のトモエタクシーの元社長に対する大阪地裁の判決が3月22日、出たようです。

日経ネットの記事から。
http://www.nikkei.co.jp/kansai/news/39018.html

【2007年3月22日】 相続税巨額脱税でトモエタクシー元社長に懲役4年・罰金7億円──地裁判決(3月22日)  実父の遺産を海外口座に隠し相続税約24億9000万円を免れたとして相続税法違反(脱税)罪に問われたタクシー会社「トモエタクシー」(大阪府守口市)元社長、西井良夫被告(62)の判決で、大阪地裁の川合昌幸裁判長は22日、懲役4年、罰金7億円(求刑懲役5年、罰金10億円)の実刑を言い渡した。相続税の脱税事件の罰金としては過去最高とみられる。

 川合裁判長は「極めて巧妙、計画的犯行で反省もしていない」と指摘した。西井被告側は即日控訴した。西井被告側は公判で「海外送金は父の指示で、脱税の意図はなかった」と無罪を主張していた。川合裁判長は、海外送金は西井被告が主導して行ったと認定。他の相続人にも海外口座の存在を隠していたことなどから「脱税目的の財産隠しだった」と述べた。


 相続税法68条によれば、「偽りその他不正の行為により相続税又は贈与税を免れた者は、五年以下の懲役若しくは五百万円以下の罰金に処し、又はこれを併科する。」とあります。そして同条2項によれば、「前項の免れた相続税額又は贈与税額が五百万円を超えるときは、情状により、同項の罰金は、五百万円を超えてその免れた相続税額又は贈与税額に相当する金額以下とすることができる。」とあります。

 この法定刑にてらしてみれば、懲役4年の実刑判決は法定刑の5年に近い量刑であり、相当重いといえます。
 ただ、罰金刑については、相続税法によれば「免れた相続税額・・・に相当する金額以下とすることができる」とあるので、裁判所はしようと思えば、免れたといわれる「相続税約24億9000万円」に近い金額を罰金と課すことも出来たはずです。
 なぜ、免れた相続税額の約3割強の罰金刑なのか。

 公訴事実に対して否認して争っていたようですが、有罪判決でした。
 報道を見る限りでは、亡父に言われるがままの海外送金であって脱税の認識、故意にかけるので無罪という主張を行っていたのではないでしょうか。
 ただ、間接事実としては、亡父が意識を喪失した後も新たに送金を行っていること、他の相続人にも海外口座の存在を秘していたこと、申告にあたり税理士からの助言にもかかわらず海外口座を申告しなかったことといった事実から、故意、違法性を意識しうる事実の認識はあったと認定されたようです。


 刑事弁護人は、どのように争ったのでしょうか。客観的証拠を十分に検討できていたのでしょうか。客観的証拠からすれば有罪の事実認定は無理だといえる場合はともかく、証拠は十分だと思える場合、依頼者である刑事被告人にはその旨の危険性を当然、説明します。ただ、そうであっても本人が故意の不存在、無罪を主張する場合は、最大限の力を振り絞って戦います。
 控訴審でいったいどのように争うのか。おそらく親族の証言、税理士の証言などが証拠としてもあったことでしょう。おそらくこの点の事実認定を争っていたのだと思います。
 
 報道で注意しないといけないのは、有罪の場合、もっともらしく、「●●といった事実から有罪が認定された」と報道され、この事実認定の●●には疑問の余地はない当然のことだと思いがちです。しかし、刑事事件で争う場合、まさに●●の事実認定が証拠でどのようになされるのか、証人の証言は信用性があるのか否か、物証に検察官が主張するような信用性があるのかといったところが争われるのです。
 トモエタクシーの元社長の相続税脱税事件についても控訴審でひっくりかえるかもしれません。
 有罪判決は、確定するまで有罪ではありません。
 一審判決の当不当は判決全文を読まない限り、分かりません。
 ライブドアの堀江社長らに対する判決も、同じでしょう。
 判決文の全文を読まずに、判決の中身、事実認定について当不当の意見を述べることは、弁護士ならしないと思います。

(おわり)

2007年3月22日 (木)

鴨志田穣さん、亡くなる【松井】

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 カメラマンでエッセイスト、そして本人は不本意だったであろうけど、何よりも漫画家・西原理恵子さんの夫として有名だった鴨志田穣さんが亡くなったという新聞記事を昨日、見る。42歳、腎臓ガンということだった。


2 
 新聞記事を見て、一人ショックを受けていたところ、携帯電話に友人から電話が入る。「見た?」ということで、毎日新聞を定期購読していた友人から、西原理恵子さんの毎日新聞での連載漫画「毎日かあさん」からの最新情報を教えてもらう。

 訃報を見て、あれっと思ったのは、喪主が元妻・西原理恵子さんと書かれていたことだった。
 それも、友人曰く、鴨志田さんは、アルコール中毒を克服し、最近は、また西原さんとその子ども達と一緒に暮らし始めていたんだといこと。

 確か去年、本屋で、「酔いがさめたら、うちにかえろう」という鴨志田さんの本が平積みとなっているのを見て、あぁ、アルコール中毒を治したんだと思いつつ、「うちにかえろう」という部分で、別れた西原さんや子ども達、「うち」への未練があるんだなあとしみじみとした思いになり、印象に残っていた。
 そもそも離婚の原因も、「毎日かあさん」などを読む限りでは、お酒と暴力、そして潜在的な嫉妬心だったようなので、一緒に暮らし始めていたということについても妙な印象を受ける。ただ、それで最後、「喪主」を努めるというところに西原理恵子さんの情の深さを見た思いがする。



 それにしても、42歳。
 アルコール中毒を入院で克服し、酔いをさまして「うちにかえった」数か月間は幸せだったのだろうか。たぶん幸せにすごしたんだろう。
 「鳥頭紀行~3歩で忘れる」で描かれている「鴨ちゃん」の漫画、写真を見て、知らない人なんだけど、悲しい複雑な思いがこみ上げる。
 でもきっと西原さんは、このこともまたきっと何らかの形で漫画にするんだろうと思う。たぶん性(さが)だから。漫画家の仕事も辛いだろうな。

鳥頭の城


(おわり)

2007年2月16日 (金)

「強い会社」を作る~「空振り」を怖れずに~【松井】

Chocolate
1 
 「強い会社」を作るという言い回しがあります。
 いったい「強い会社」って何をいうのでしょうか。
 ということについて、つらつらと考えてみたことを書き記してみます。それこそ、MBAを持っている人、あるいは現実の経営者であれば当たり前のことなんだろうと思いますが、このことについて弁護士として、法的サービスとしてどういったことを提供できるのだろうかという観点で考えてみたいと思います。
 本当に、つらつらです・・・。



 まずもって、会社、企業が、日々、月々、年々の利益を上げる体質をもっていなければなりません。利益をあげられない企業は、遅かれ早かれ市場から撤退せざるをえません。倒産といいます。
 強い会社、企業とは、利益を発生させることが出来て永続性を持ちうる企業といえます。

 会社であれ、個人であれ、その属する企業から報酬・給与をもらって日々の生活を営む以上は、その企業が、構成員に配分できるだけの「現金」をもたなければなりません。
 この現金支払いも一回限りのものではなく、当然、毎月毎月、永続性をもって支払える状態でなければなりません。そうでなくなった場合、「倒産」状態といいます。
 ということは、企業が企業であるためには、当たり前だけど「利益」を発生させる状況であることが必要です。



 では、「利益」を発生させるためにはどうでなければならないのか。
 
 単純に表現すれば、一つは、売上げ、「入り」を増やす、あるいは維持すること、もう一つは、費用、「出」を減らすことに尽きると思います。



 では、まず「入り」を増やす、あるいは維持するにはどうすればいいのか。

 今得ている「入り」を減らさないようにすることという視点と
 今得ている「入り」をいかに増やすかという視点に分けられると思います。

 ここではいろいろなことが具体的に考えられるところですが、例えば、創業何百年といった企業でも、創業時と何ら変わらないことによって現代においても売上げを維持しているところもあります。変わらないことによって、維持するパターン。変わると、企業として消滅してしまう。例えば、よく京都などにある有名和菓子屋さんとか。

 しかし同じ創業何百年という企業ではあるけど、商品の種類を増やしたり、あるいは販売経路を拡大することによって、莫大な売上げを上げるパターン。伊勢市の赤福とか?
 ここで当然、売上げを拡大するには、何らかの投資が必要となるでしょう。従前の経緯だけでは、維持はありえても、拡大はあり得ない。
 この投資の際、資金をどのように調達するのだろうか。

 自社の利益からか、あるいは出資を募るのか、あるいは借入を行うのか。借入といっても、社債を発行するのか、あるいは特定の金融機関あるいは支援企業などからの借入れになるのか。それぞれのメリット、デメリットを勘案して、資金調達方法を選択します。
 この際、いわゆるファイナンスとして、弁護士が法的サービスを提供できる余地があるのでしょう。しかし弁護士・法律事務所でなければならない必然性はありません。
 
 また、売上げを維持、増やすための戦略として、そもそもの大事な要素の一つに人事戦略があります。
 どのような人材を獲得するのか、また自社にとどめおくのか。労働法規に触れない範囲で、どのようにクリエイティブな契約内容、就業規則を定めるのか。
 この際、労働法規に詳しい弁護士が法的サービスを提供する余地があります。ただ、弁護士の役割、あるいは限界としては、法規に触れないという接点においてであって、クリエイティブな発想に基づく契約内容を提案するという点では難しいかもしれません。

 さらには、売上げ増を狙い、例えば、市場で3位の企業が、5位の企業と合併などして、市場占有率2位の企業に浮上するといったこともあります。
 このときのいわゆる「合併」「統廃合」においては、先の人事の問題などとともに資産や負債の処理を巡って種々の問題が起こります。
 最近の例でいえば、極端な例ですが、住友信託銀行とUFJの合併話の破綻とか。やり方をうまくやらないとこんなレベルで、事後処理のために何億、何千万円という余計な費用がかかります。

 また、新たな第三者と取引関係に入る際の契約書作成作業。これは、いかに自社に有利な条項を入れるかという点よりも、実は、次に触れる「『費用』をいかにコントロールするか」という点にかかってくるかと思います。
 契約締結交渉、契約書作成といった点で、弁護士が法的サービスを提供する余地は当然あります。ただ、世間をにぎわせるM&A交渉においては、大規模法律事務所、著名弁護士だけではなく、金融機関やコンサルティング会社が大きな役割(報酬?)を担っていることからも分かるように、サービス提供の登場人物は弁護士だけではありません。



 つらつらと考えていたら、また長くなってきました。
 今回はひとまずここでストップすることに。

 要するに、強い会社、企業とは、イメージ的にいえば、「イチロー」ではないかと思っています。

 その身体や思考に無駄がない。隙がない。絶え間ない練習に試行錯誤。常に、改善、改善、改善へと進んでいくこと。鋼のようなイメージ。
 法的な訴訟リスクを常に想定して、備え、失敗からは学び改善していく。
 契約書の作成といっても、あまりに一方的に自社に有利な条項は、裁判となった際には無効といわれるリスクが高まることを考慮して、バランスのとれた条項とする。
 つまりすぐれたバランス感覚。近江商人の三方良し(?)の感覚。お客よし、取引先よし、自分よし(?)。
 失敗はあって当たり前。要は、失敗をいかに次に結びつけていけるのか。
 以前みたイチローのインタビュー番組でイチローは言っていました。「空振りは凄い。あの空振りがあったから、その次に打てた。」空振りをすることによって、埋めるべき空白、次になすべきことがはっきりする、だから次に成功するといった趣旨です。

 空振りを怖れずに空振りをし、空振りを次に生かして、ヒットを生み出す。
 弁護士としてもこうありたいと思うし、こういう人を応援していけたらと思います。

 企業の永続性って、これの繰り返しであって、空振りを怖れてバットを振らなくなったら終わりなんだと思います。

 それと弁護士だからかもしれませんが、困難に遭遇したとき、そんなときこそとにかく真っ直ぐに対応する、まわり道なようで結局、ベストの選択につながるという信念があります。シンガポールの初代首相のリー・クアンユーは、首相になる前、弁護士でした。そして政治活動を行っていくのですが、様々な困難に対しては、弁護士だったからかもしれないけど、とにかく裁判でもって決着を付けていきました。どこかの政府みたいに暗殺なんてしません。
 そういえば確か弁護士として?テレビによく出ている橋下徹弁護士が出版した本のタイトルは、「真っ向勝負」だったかと。
 
 「真っ向勝負」できる企業が、最後に強い企業になるんだと思います。

*写真は、R.Savignac という人のCHOCOLATE という絵です。空振りを怖れずに、真っ向勝負。なんとなく、この絵のような気持ちです。好きな絵です。

(おわり)

2007年2月14日 (水)

日本で暮らす権利~法務大臣の裁量~【松井】

Fuhoushuurou

毎日新聞 2007年2月12日 3時00分

イラン一家:13日に入管へ出頭 帰国に向けて
 不法残留し、最高裁で強制退去処分が確定している群馬県高崎市のイラン人、アミネ・カリルさん(43)が帰国に向けて13日、東京入国管理局(入管)に出頭する。身元引受人が11日夜、明らかにした。

 アミネさんの妻と2人の娘の身元引受人を務める同県伊勢崎市の中村三省さん(74)によると、アミネさんは今月9日、高崎市の東京入管高崎出張所で一家全員が帰国するという文書に署名し、同所から13日に東京入管に行くよう指示されたという。一家の仮放免期限は16日に迫っていた。

 入管側は先月12日、在留特別許可は認められないと改めて通告した。その後、アミネさんは、長女で高校3年のマリアムさん(18)の再入国が認められ、日本で1人で生活できることが確認できれば、一家4人でいったんイランに帰国する考えを明らかにしていた。アミネさんは毎日新聞の取材に「妻と一緒に入管に行くが、詳しいことは今は話したくない」と話した。【杉山順平】

「外国人の在留の拒否は国の裁量にゆだねられ、わが国に在留する外国人は、憲法上わが国に在留する権利ないし引き続き在留することを要求しうる権利を保障されているものではなく」
とされています。  これは、昭和53年10月4日の最高裁判決(マクリーン事件判決)で出された結論です。この最高裁判例はその後変更されてはおらず、現在でも妥当する解釈ということとなります。    つまり
、「法務大臣は、在留期間の更新の許否を決するにあたっては、外国人に対する出入国の管理及び在留の規制の目的である国内の治安と善良の風俗の維持、保健・衛生の確保、労働市場の安定などの国益の保持の見地に立って、申請者の申請事由のみならず、当該外国人の在留中の一切の行状、国内の政治・経済・社会等の諸事情、国際情勢、外交関係、国際礼譲などの諸般の事情をしんしゃくし、時宜に応じた的確な判断をしなければならないのであるが、このような判断は、事柄の性質上、出入国管理行政の責任を負う法務大臣の裁量に任せるのでなければとうてい適切な結果を期待することができにものと考えられる。このような点にかんがみると、出入国管理令21条3項所定の『在留期間の更新を適当と認めるに足りる相当の理由』があるかどうかの判断における法務大臣の裁量が広汎なものとされているのは当然のことであって、所論のように上陸許否事由又は退去強制事由に準ずる事由に該当しない限り更新申請を不許可にすることは許されないと会すべきものではない。」

 群馬県のイラン人一家の方の場合、最高裁まで争ったけど、最高裁は、次に述べるように法務大臣の裁量に逸脱は認められないと判断したのでしょう。
 そうであるなら、あとはまさに法務大臣の裁量の問題でした。

 が、法務大臣は、一家に対する在留許可を認めませんでした。妥協案が、この春進学が決まっていた長女について、留学での在留許可を認めるということだったのでしょう。
 このような裁量上の判断については、既成事実をもって違法行為を見逃すわけにはいかないという行政の強い意思を感じます。
 不法滞在をしたのはお父さんであって、まさにその子には責任はないはずです。子どもは、日本で育って教育を受けてきており、日本語を日常語としており、日本での教育生活を望んでいるといいます。

 例えば、自分の親の都合で逆にイランで育てられたところ10歳くらいになって、突然、日本に帰れと自分がイランにいられなくなるとしたら。
 また戻ってきたらいいという案もあり得ますが、親による転居の手間暇、職の不安などからくる生活の不安定さを考えたら、経済的にも精神的にも相当な負担となります。
 このようなケースが次々と出てくることを怖れての法務大臣の判断なのでしょうが、今回のケースに限りとしたり、あるいは時限的に不法滞在となる一家に名乗り出てもらい、今回に限り特別な判断を行うといった解決が出来なかったのか。この一家の在留を認めなかったからといって、どれだけの「国益」が守られたというのか。得られるものと失うものを天秤に欠けたら、失ったものの方が多いように思います。まさに「情け」ない。


 
 もちろん法務大臣の裁量といっても何でも許されるわけではありません。マクリーン事件判決では次のように述べられています。

 「それが違法となるかどうかを審理、判断するにあたっては、右判断が法務大臣の裁量権の行使としてされたものであることを前提として、その判断の基礎とされた重要な事実に誤認があること等により右判断が全くの事実の基礎を欠くかどうか、又は事実に対する評価が明白に合理性を欠くこと等により右判断が社会通念に照らして著しく妥当性を欠くことが明らかであるかどうかについて審理し、それが認められる場合に限り、右判断が裁量権の範囲をこえ又はその濫用があったものとして違法であるとすることができるものと解するのが、相当である。」

広汎な裁量です。
法務大臣を動かすには、世論・政治の力しかなかったのでしょう。それでも力及ばず。残念です。

(おわり)

2007年2月 9日 (金)

アンナ・ニコル・スミスさん、死亡~最良の遺言~【松井】


 今日の夕刊の死亡記事で、「巨額遺産巡り争い」という小見出しのもと、アンナ・ニコル・スミスさんが2月8日、米フロリダ州ハリウッドのホテルで倒れて死去、39歳との顔写真入りの死亡記事を見つける。

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 去年、雑誌で、5年以上にわたる法廷闘争において最高裁でアンナ・ニコル・スミスさん側が勝訴したという記事を見かけた。アメリカでも遺産を巡る裁判での紛争がこれほど長期に及ぶのかと興味深く読み、その記事を保存していたところだった。さらに、確かその後、アンナさんの息子がアンナさんの入院先の病院で不審死したという記事を見かけたりしていた。
 その渦中の本人が39歳で死亡。

 夜のテレビニュースでも、ワイドショー的にアンナさんの死亡と遺産紛争と不審死について報道しているのを見た。


 遺産を巡る争いと関係者の相次ぐ死が関連しているのか否かはもちろん定かではない。 しかし、関連を思わずにはいられないのも事実。
 しかも今回の死亡報道に接して分かったことでさらに驚いたことには、アンナさんの訴訟代理人であった弁護士が、アンナさんが去年6月に出産した長女の父を名乗りでており、死亡した滞在先のホテルでも同宿していたということ。
 
 そういえば、ちょっと違うけど、患者が担当医師に多額の遺産を譲り渡すという内容の遺言を作成しており、亡くなった患者の遺族と医師との間で訴訟になったとかいう件があったような。
 
 死後、遺された人のことを思うのなら、単に遺言を作るだけじゃなくって、もめないための種々の「地ならし」が必要だとつくづく思う。
 遺された人が不幸だ。

 ところで、遺言信託が流行のようだけど、最良の法的アドバイスはなされているのだろうか。
 法律事務所でもわざわざ「信託銀行」を作ったところがある。人は、「法律事務所」「弁護士」よりも「信託銀行」という器に信頼を寄せると判断してのことだと思う。
 それはたぶん、人的規模に対する信頼なのか。
 弁護士会で「信託銀行」を作ってしまえばいいのにと思ったりする。
 とにかく、必要とする人が、最良の遺言を残せることが出来るようにするために。
 最良の遺言。
 それは、死後の争いが起こりようがない状態であること。ありとあらゆることを想定して、考え抜かれた遺言。

(おわり)