死にかけた話 〜がんばれルーキー〜【松井】
1
一か月ぶりくらいのブログです。この間、本当にいろいろなことがありました。
気持ちもようやく落ち着いてきました。まずは散々、あちこちで話した話になるのですが、自分のまとめの意味もこめて、ここで「死にかけた」ことを書いておきます。
これからはまた、1週間に一つは、自己鍛錬の意味もあってブログを書き綴っていきたいと思います。思ったこと、考えたこと、感じたこと、経験したことをこうして文字にすることに技術的にも意味があると思うので。
2
前回書いたように、1週間ほど、「自然気胸」ということで入院し、胸腔ドレナージだけで退院しました。
1週間後、抜糸の日に病院に行き、念のためということでレントゲンを撮ってみると。
「松井さん。今日、入院やわ。明日、手術しよ。」
と言われました。
見せられたレントゲンの画面では、問題の左肺、今度は下の方が白っぽくなっていました。
主治医ははっきりとはいいませんでしたが、おそらく退院した時点の穴がまだ完全に塞がらず、また空気漏れが生じていたようです。
どうりでこの1週間、相変わらず胸が痛んだりしたはずでした。ちょっとした階段を上がっただけで息が上がっていたはずです。そして何よりも。ずっと一週間、ケホケホと咳をしていました。
3
手術。
入院後、翌日と言われていたのが、翌々日になりました。
なぜ手術するしかないのか。
A4二枚の紙を手渡されただけでした。大丈夫。ネットでも調べているし。空気漏れの原因のブラを切除する手術。内視鏡手術。
主治医に説明を求める行動はほとんどとっていません。
某所から、主治医の技術は悪くはないという信頼できる情報を得ていたので、「主治医に愛想は求めない。きちんと手術してくれたらそれでいい。」という思いでした。
ただ、手術は主治医一人でするものではありません。
全身麻酔をかける麻酔科医が手術室にはいました。
4
手術当日、15時ころの予定、場合によっては時間が変動するとは聞いていました。
前の晩0時から、飲まず食わずです。
朝からは、点滴で栄養水分補給です。
切除予定のブラについては、MRIの画像を見せられ簡単な説明は受けていました。
原因として怪しいものがいくつかある、ただ、うち一つはもしかしたら動脈に張り付いているかもしれない、開けてみないと分からない、動脈と張り付いていたら触らないでおくという説明でした。
もし動脈が傷ついたら。。。などといろいろ妄想が走り出します。
15時と言われていたのが、17時になったと昼過ぎに告げられました。
いったん緊張がほぐれていると、15時前、今から手術しますと病棟のナースに告げられました。
あれよあれよという間にドレナージを引きずって、手術室の方に歩いて向います。
手術室の前では、前日、挨拶をしにきた手術室ナースが「昨日の○○です。」と挨拶しくれて、一瞬ほっとしたのもつかの間、一緒に手術室に入ると、ベッドに寝るように言われ、横たわるとすぐに両腕を拡げて固定作業にとりかかられました。
全身麻酔。
聞いていたのは、「点滴を差した腕が少しチクチクして、痛いなと思ったら、もう麻酔が効いて眠りにつきますから。」
そのつもりで横たわります。
ただ、手術室ナースがごそごそと準備をしていると、頭の上の方で男性の不機嫌な声が聞こえます。
「誰がこんなやりかたをしたんや。こんなんしたら使えやんやんか。」
「ベッド、なんでそっちなんや。もっとこっちやろ。」
ナースの息をのむ沈黙が手に取るように伝わります。すると、私が横たわったベッドが横に移動させられました。
頭の上の方の男性はブツブツ言っています。
何か、嫌な空気だなあ。仲、悪いんだろうな。この麻酔科医はナースからは嫌われ者だろうなとすぐに想像せずにはいられませんでした。
こんなことを考えていると、何の声かけもなく、いきなり顔にマスクを被せられました。しかし乱暴につけられたので、目玉のところに渕があたっています。
腕がまだ動いたので、「目にあたって痛い」と腕で指差すと、一応つけ直されました。乱暴に。
マスクはぴったりつくっついています。
ああ、息が出来るわーと思っていると。
ふー、ふー、ふーっ。
だんだんと息が吸えなくなっていきます。
おかしい!窒息死するやんか!
頭の上の男が、不機嫌で、乱暴に仕事をしてミスったに違いない!なおせ!
しかし、両腕はもうしっかりと固定されて動きません。さらに、息ができずマスクがあって声も出ません。
ほんの4、5秒のことですが、イライラしていた麻酔科医の単純ミスによって、このまま「窒息死」というのが瞬時に頭をよぎりました。
腕も動かない、声もでない。
最後の手段。
足をベッドの上で思いっきり蹴り上げ、文字通り「ジタバタ」としました。
そこでガクッと、意識がなくなりました。
5
名前を呼ばれて意識が戻ったとき、「あ、生きていた」と思いました。
麻酔事故で窒息死したと思いました。
まさに「死ぬ」という瞬間を擬似的に味わいました。
ベッドで横たわり、名前を呼ばれて、手を握り返し、うつらうつらした状態で、ベッドを移動し、ナースステーションの横の個室に移動されたことが分かりました。
体は動かないけど、だんだんと意識が戻ってきます。
そして、だんだんと。
怒りが込上げてきました。
「絶対、あの麻酔科医を訴えたる。内容証明郵便や。あ、院長宛にもしやな。」
「いくらが妥当なんだ。死の恐怖、窒息の苦痛。日航機事故のとき死の恐怖の慰謝料という裁判例があったような気がする。100万円くらいか。許さん!」
寝ながら、頭はカッカッかとするのですが、体は動きません。
そうして一晩が過ぎました。
体が痛くてほとんど夜も眠れませんでした。
6
今回の入院は4人部屋です。
部屋に戻ると、主治医が様子を確認しにきました。麻酔の文句はやはり面と向っては言えませんでした。
手術後、3日目、麻酔を担当した麻酔科医ですといって男性が現れました。
ぼーっとした感じの20代後半くらいの今時の若者風の人でした。
「喉は痛くないですか?」「喉は大丈夫ですか?」
やたら喉のことを聞いてきます。
喉よりも何よりも、麻酔の掛け方だ!と文句を言うつもりだったのですが、そのあまりにもぼうっとした様子を見て文句を言う気も失せました。
「喉も次の日は痛かったのですが、今はもう大丈夫です。ありがとうございました。」
大人の対応をしてしまいました。
7
そして、主治医の確かな腕と病院のナースの皆様方のチェックのおかげで、当初よりも4日間ほど遅れましたが無事に10日間の入院で退院できました。
ありがとうございました。
医療技術はすごいなと身をもってありがたく思いました。
退院の喜びで、麻酔科医に対する怒りもどうでもよくなってしまいました。
その後、この麻酔の話は、「死にかけた話」として笑い話としてあちこちで語っています。
ただ、ナースをしている知人からは「危なかったですね。」と言われました。
また、手術室ナースをしている友人には、「ヤブ麻酔科医やな。」と言われました。
また、医療過誤事件を多く手がける友人弁護士からも、「それはヤバかったんじゃない。」と言われました。その際、弁護士には、じゃあ、今からでも責任追及できるのかと問うと、「今、ご飯、美味しく食べれてるんでしょ。」と返されました。
「先生、今は確かに美味しくご飯を食べれているけど、あの時のあの苦痛、あの恐怖は存在するんです。」と訴えても、友人医療過誤弁護士からは鼻で笑われて相手にはされませんでした。
弁護士は共感力が大事だということをここでも身を以て学びましたw
「弁護士さんは私の気持ちを分かってくれない!」
ということはともかくとして。
若手の麻酔科医。
確かに、弁護士でも、医師でも、警察官でも、消防士でも、何でも、専門職は特に誰でも「初めて」のときはあります。
取り返しのつかない失敗じゃない限り、小さな失敗はあることだろうと思います。それが、ベテランとルーキーの違い。
分かっています。結果オーライ。今回は大丈夫。
問題はこれから。
次は、がんばってくださいね、麻酔科医さん。
私が手術室の台で最後、足をジタバタさせたこと、気づいていたらきっとその後、手術室は一瞬騒然としていたかもしれないと友人手術室ナース談。
私の場合、たぶん、筋弛緩剤がまっさきに効いたのだろうということです。
この失敗を次にどう生かすか。
病院で情報は共有されるのだろうか。
期待しています。
なお、今回の手術入院で依頼者の方々には大変ご迷惑をおかけしました。もう大丈夫です。この経験を生かしてさらに共感力を高め、技術を高めるよう精進いたします。
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