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2009年11月

2009年11月24日 (火)

ガイド〜道先案内人の大切な役割〜【松井】

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1 
 人のふりみてわがふり直せ、ではありませんが、「ガイド」の意味合いについて弁護士業務と重ね合わせて考える機会がありました。

 自分なりによく比較するのがお医者さんや病院だったのですが、先日、弁護士同士のとある親睦旅行に参加し、西表島に行ってきて、また違うものと比較してしまいました。

 8年ほど前にも、一人旅行で石垣島、西表島、沖縄本島をふらふらと旅行したことがあり、二度目の西表島探訪でした。
 前回は、突然思い立ち、行き当たりばったりで、西表島の川をカヌーでさかのぼり、途中下車して、トレッキングをして、滝つぼで泳ぐといったもので、他に女性客、家族客といっしょだったためか、ガイドさんに対して、私が疑問を思うということも特にありませんでした。向こうが私をどう思っていたかというと、30歳の女が一人旅で何でこんなツアーに参加を?!と気持ち悪かったかもしれません。

 しかし、今回。
 今回も、トレッキング&カヌーができるツアーに参加申し込みをしたのですが、前回と同様のプランだろうと勝手に思い込んでいたところまったく違い、そのためかかなり戸惑いを覚える体験をしました。


 何に戸惑いを覚えたのか?
 全体像を説明しない、こちらの理解を確認しない、具体的に説明しない、ということです。
 
 朝の集合だったのですが、その日一日、どういうプランでどういったところを歩くのかの説明がほとんどありませんでした。
 あったのは、こちらの軽装の格好を見て、「思っているよりも大変な道だと思いますよ。」ということだけでした。

 客は私たちのグループの二人だけだったのですが、まったく丁寧な、親切な説明がなし。
 どんなルートでどんな道を進むのかの説明がないままに出発してしまいました。
 どこかで説明があるのかと待っていたら、結局、ないままでした。

 ここでちょっと気の利いたガイドなら、地図を示し、ルートを示したはずです。また、途中の道についても、川を突っ切りますよだとか、細い崖っぷちのような道を通りますよだとかの説明があったろうにと思います。
 そんな説明はなく、出発。

 雨上がり、滑落しそうな細い崖の道を歩いたり、結構流れが早く、足場も石だらけで悪い川を突っ切ったりと、非常に心細くなりながら、しかしガイドはガンガン先を歩くので、不安がる暇もなくついていくのが必死でした。
 ここではぐれたら、遭難だなあ、そんな場合は川のところでじっとして救助がくるのを待つのがいいのかなあといったことをふーっと考えながら、ガシガシ歩きました。
 川を渡るときも、ここで足をすべらせたら、石のところで頭を売って、この川の勢いで下流にどんどん流されて行くんだろうなあと夢想しながら、必死で石に足を吸い付けるように川を渡りました。

 カヌーをどこでいつ乗るのかも聞いていなかったので、この先からカヌーに乗るのだろうかなどと考えていたら、結局、ゴールは小さな滝のある場所でした。
 結局、また来た道を戻って、事務所に戻るとそこで一服して昼食をとり、そこから川に出て、カヌーで近場をうろうろというのがこの日のツアーのすべてでした。
 

 西表島のジャングルを満喫し、久しぶりにカヌーを漕いで気分もよかったのですが、このガイドの方はかなり損をしているなと思いました。
 島のしきたりや島で暮らすということ、祭りの話などいろいろと面白い話しも聞けて、楽しかったのですが、「ガイド」としてはまだまだ足りない、もっと上の「ガイド」があるのではないかと思わせられました。
 それは、人に伝える、そのために聞き出すということです。
 一方的ではない、双方向のやりとりによって、要求にあった情報のやりとりをし、その結果、安心を得たり、より楽しく過ごすということです。
 それは、質問をして、「全体像を示す」ということだと思います。

 島のトレッキングやカヌーをするのであるなら、ゲストの理解を確認し、不足を補う情報を与える、それは、島の地図を示して、これから行くルートを示す、カヌーで漕ぐ川筋を示す、そういったことです。
 これがあるのとないのとのでは、ゲストの楽しむ余裕、楽しみの深さが違ってくると思います。
 
 私がこのツアーのガイドなら、絶対に島の地図を用意して、これから行く場所を確認して示します。

 で、振り返って考えるに、弁護士による代理人活動も同じなんだろうなとつくづく思います。

 毎日の仕事でもあるので、ついつい各依頼者も分かっているものと思い込んで振る舞ってしまいます。
 しかし、実際には、弁護士に代理人活動を依頼するなんてことは個人の方なら初めてのことがほとんどです。そもそも、弁護士って、何をどこまでしてくれるのか、依頼した相手との交渉はどうなっているのか、これからどうなっているのか。
 西表島のジャングルの中のトレッキングよりも不安なことだらだけだと思います。
 交渉が決裂したらどうなるのか、費用はいくらかかるのか、分からないことだらけ。
 しかし、ガイドである代理人は先へ先へとどんどん進んでいってしまい、聞きたいこともなかなか聞ける雰囲気ではありません。
 申し込みをしてしまい、進み出したが最後、この弁護士の後ろ姿を見失うまいと後にすがって進むしかないのか。休憩したいんだけど、いいだせない。
 
 弁護士も、今回のガイドさんと同じようなものかもしれないなといろいろと考えさせられました。


 結局、何事も気配りで、それが出来るかどうかはその人の想像力によるものかと思います。
 ちょっと想像力を働かせる。そして、自分が出来る心配りをする。
 これの繰り返しだと思います。
 完璧なサービス。
 
 ただ、もちろん、いくらサービスがよくても、そもそもの根本的な知識と技量がなければ、ガイドもゲストを楽しませながらも、誤った場所へ連れて行ってしまったり、下手をすればゲストに大けがをさせたりしてしまいます。
 知識と技量、そして想像力。
 ガイドに必要な要素だし、弁護士にも必要なものです。
 
 と、またなんだか意地悪な客の目線の気付きを書いてはいますが、案内してくれたガイドさんはとっても素朴ないい人で、自然を堪能できました。
 ときどき、木を切るのこぎりを持つ手を止めて、のこぎりの刃を磨く休息が必要ですね。ボロボロの刃ではいくらひいても木は切れない。一度休んだほうがリフレッシュされてかえって効率的という話。
 ときどき日常を飛び出て、非日常に行くことによって、かえって日常がよく見えます。

(おわり)
*帰りは、石垣牛のステーキを食しました。ご馳走様でした。 
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2009年11月14日 (土)

権利の上に、眠らない!〜消滅時効など〜【松井】

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 民法では、3に記載のような規定があります。
 要は、いつまでも権利行使できるわけじゃないよ!ということです。
 「権利の上に眠るものは保護に値せず」という言い方で、せっかく発生していた権利を行使できないときが定められています。時効消滅と言われるものです。
 ただ、時効は、「時効の中断」というものが認められています(民法147条)。なかにはこの中断が認められないものもあり、それは消滅時効とは別の、除斥期間といわれています。

 なぜこんな規定があるのか?
 自分が請求される側だったらどうでしょうか?忘れたころに請求してこられる。もうそんな昔の書類などは捨てちゃったよ、覚えていないよ、といったことが考えられます。一方で、請求する方は、もっと早く請求しようと思えば請求できたでしょという事情があります。
 だったらこの間の利害を調整して、「権利の上に眠るものは保護に値せず」としても必要性/許容性 OKだろうと考えられます。
 そこで、消滅時効や除斥期間といったものが定められてます。


 最近、不景気だからか売掛金回収の相談を受けることが多いです。踏み倒されるという話。

 1000万円の売掛金だったら迷わずに裁判をするのでしょうが、30万円程度や100万円前後といったように、弁護士に依頼して裁判を起こしてまで回収するのか迷われるような金額のケースが多いです。
 裁判を起こして勝ったからといって、完全に回収するには和解で終わらない限り、強制執行まで要します。差し押さえ、換価手続きです。
 弁護士費用を払って、いったいいくら手元に残るのか。

 経営者の方の決断だと思います。
 ただそうして迷っているうちに、日にちがどんどんすぎて、結局、時効で回収できないということも考えられます。

 裁判を起こし回収作業に着手する、あるいは、税法上、損金で落とせないか検討し諦めてしまう。
 二つに一つの場合がほとんどです。

 どちらにしても、決断できないままに、うっかり「権利の上に」眠ることのないように気をつけて欲しいと思います。

 売掛金の回収に関わらず、中古の家を買ったけど雨漏りがするであったり、交通事故に遭ったけどまだ加害者から賠償金を支払ってもらっていないだとか。
 ぼんやりしているうちに1年、2年は大人になるとあっという間に経ってしまいます。

 皆様、どうぞ気をつけてください。そして。早めに弁護士なら弁護士に相談し、「決断」をされることをおすすめします。



 「権利の上に眠る」ものはメッ!のあんな規定、こんな規定

 

166条1項 消滅時効は、権利を行使することができる時から進行する。
 167条1項 債権は、十年間行使しないときは、消滅する。

 さらに、債権の種類等によって細かくわけ、5年、3年、2年、1年の時効期間を定めています。

 

169条 年又はこれより短い時期によって定めた金銭その他の物の給付を目的とする債権は、五年間行使しないときは、消滅する。

 

170条 次に掲げる債権は、三年間行使しないときは、消滅する。ただし、第二号に掲げる債権の時効は、同号の工事が終了したときから起算する。
   1号 (省略)
   2号 工事の設計、施工又は監理を業とする者の工事に関する債権
 

 

173条 次に掲げる債権は、二年間行使しないときは、消滅する。
   1号 生産者、卸売商人又は小売商人が売却した産物又は商品の代価に係る債権
   2号 自己の技能を用い、注文を受けて、物を製作し又は自己の仕事場で他人のために仕事をすることを業とする者の仕事に関する債権
   3号 学芸又は技能の教育を行う者が生徒の教育、衣食又は寄宿の代価について有する債権

 

174条 次に掲げる債権は、一年間行使しないときは、消滅する。
   1号 月又はこれより短い時期によって定めた使用人の給料に係る債権
   2号 自己の労力の提供又は演芸を業とする者の報酬又はその供給したものの代価に係る債権
   3号 運送賃に係る債権
   4号 旅館、料理店、飲食店、貸席又は娯楽場の宿泊料、飲食料、席料、入場料、消費物の代価又は立替金に係る債権
   5号 動産の損料に係る債権

 また、契約上の債権ではなくって、事故など契約当事者間でなかったものについての不法行為責任については3年とされています。また、「権利を行使できる時から」という定め方ではなく、「損害及び加害者を知った時から」との文言になっています。

 

724条1項 不法行為による損害賠償の請求権は、被害者又はその法定代理人が損害及び加害者を知った時から三年間行使しないときは、時効によって消滅する。


 その他にも、無過失責任といわれるものなどについては、次のような規定があります。基本、1年です。

 

570条 売買の目的物に隠れた瑕疵があったときは、第566条の規定を準用する。ただし、強制競売の場合は、この限りでない。
 566条3項 前二項の場合において、契約の解除又は損害賠償の請求は、買主が事実を知った時から一年以内にしなければならない。

 
 
637条1項 前三条の規定による瑕疵の修補又は損害賠償の請求及び契約の解除は、仕事の目的物を引き渡した時から一年以内にしなければならない。
 638条1項 建物その他の土地の工作物の請負人は、その工作物又は地盤の瑕疵について、引渡後五年間その担保の責任を負う。ただし、この期間は、石造、土造、れんが造、コンクリート造、金属造その他これらに類する構造の工作物については、十年とする。


 また、離婚の際の財産分与の請求権については、「離婚の時から」2年とされています。

 

768条1項 協議上の離婚をした者の一方は、相手方に対して財産の分与を請求することができる。
  2項 前項の規定による財産の分与につちえ、当事者間に協議が調わないとき、又は協議をすることができないときは、当事者は、家庭裁判所に対して協議に代わる処分を請求することができる。ただし、離婚の時から二年を経過したときは、この限りではない。


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2009年11月 9日 (月)

立ち読み考〜物色という行為と店の心配り〜【松井】

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1 
 近所の大阪証券取引所ビルには、そのビルが出来たときから地下にセブンイレブンが入っていました。
 そこには当然、週刊誌の棚があり、出先から事務所に戻る際など、時折、飲み物やお菓子を買い、そのついでに週刊誌をぱらぱらと立ち読みして、面白そうな特集のときはよく買っていました。
 しかし、いつのころからか、そこの棚においてある週刊誌などがすべてヒモで縛られて立ち読みできないようにされてしまいました。
 以後、そのセブンイレブンで週刊誌を買うことは全くなくなりました。


 その後、どうしたかというと、たまたま近くの地下道のところに京阪関連の小さな店舗が出来て、そこに週刊誌の棚もおかれ、そこではまったくヒモなどでは縛られていない対応になっていました。
 以来、その店舗の方で、たまに棚にある週刊誌をパラパラと立ち読みをし、面白そうな特集のときは買い込んでいました。また、ちょっとした飲み物などもそっちの店で買うようになっていました。

 が、しかし。先日、いつものようにパラパラと立ち読みをし、つまり「物色」をしていたところ、私は顔に覚えのあるその店の店員のおばちゃんが、「立ち読みはお断りしていますので」と声をかけてきました。
 びっくりして、一応、「すみません」といって手にしていた雑誌を閉じて、棚に戻し、その場を去りました。

 非常にがっかりしました。
 もう二度とあの店では雑誌も飲み物も買わない、という思いにかられました。


 近所のセブンイレブンの雑誌のひも縛りは、雑誌を買う人の行動パターンが分かっていない、ばかな売り方だなといつも思っていました。で、一方の地下道の店舗は、まだ賢いなと関心していました。
 しかし、地下道のお店も同じでした。
 本当に、がっかりしました。
 
 本好き、雑誌好きの人の行動パターンをまったく理解していない。
 立ち読みは、「ただ読み」、「読み逃げ」ではなくて、「物色」行為なのです。
 つまり、面白そうな雑誌を物色し、面白そうと思えば、その雑誌を買って行くのです。
 もちろん、ただ読みの人もいるとは思います。ただ、それを防ぐために、「物色」行為をする潜在的なお客さんを締め出すというのはまったくバカな売り方だと思います。


 12年ほど前、初めてアメリカに行き、オハイオ州の田舎の友人宅に1週間ほど滞在しました。その時、アメリカ国内では大手有名巨大書店であった「バーンズ&ノーブル」という書店に連れていってもらった際、非常に感動したことを覚えています。
 なんと、広い店内のあちこちに、手にした本をゆっくりと座って読み、物色できるように、座り心地のよいイスが置いてあったのです。
 手にした本をゆっくりと眺め、読んでいってくださいという心配りを感じました。そうです、心配りです。お客さんに対する信頼、善意を感じました。もちろん私も、いろいろな本を物色したうえで、相当、買い込んでいきました。
 日本も、その後、今でこそ、ジュンク堂などではイスが店内のあちこちに置かれています。
 
 その一方で、雑誌をひも縛りしてしまうコンビニや、「立ち読みはお断りしています」と店員が声をかけてくる小さな地下道の店員、店舗が存在するのです。
 場所柄、北浜界隈でもあるので、会社勤めの人が多く、それほど雑誌を手荒に扱うような不作法な人が多いところとも思えません。

 本当に朝から、がっかりする出来事でした。


 その延長で考えるに。
 弁護士も「物色」される時代なのではないかとふと思ったことです。
 医者もセカンド・オピニオンが普通に求められる時代です。
 弁護士も、知りあいの人に紹介されたからといって、相談に行き、今一つしっくりとこない、信用しきれない、合わないと思うようであれば、他の違う弁護士を探して当然なのではないかと思います。
 探すのに時間を要しますが、一度手にしたらその雑誌を絶対に買わないといけないわけではない、パラパラと見て、面白くなさそうなら買わない。
 その「手にしてパラパラと見る」という行為が、弁護士への時間制の相談ではないでしょうか。
 それが出来て当然。そうあるべきだと思います。
 ヒモで縛ってしまってはいけない、「立ち読みお断りです」と言ってはいけない。
 人に向ける言葉はすべて自分に返ってきます。

(おわり)

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2009年11月 8日 (日)

設計・施工者等の不法行為責任~基準と解釈と事実認定とあてはめ~【松井】

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 最高裁第2小平成19年7月6日判決の差戻審が、平成21年2月6日、福岡高裁であったようです。判例時報2051号74頁に掲載されていました。

 最高裁の内容は、これです。
 http://www.courts.go.jp/search/jhsp0030?action_id=dspDetail&hanreiSrchKbn=02&hanreiNo=34907&hanreiKbn=01

 上記最高裁の判断はなるほど!というものでした。

 ただ、この最高裁の基準を受けての福岡高裁の判断。結論としては、「建物としての基本的な安全性を損なう瑕疵があり、それにより居住者等の生命、身体又は財産が侵害されたものということはできない」として、「当該建物の建築工事を請け負った会社及び建築工事の設計・監理を受託した会社の建物の所有者に対する不法行為責任」を否定しました。
 最高裁の基準の解釈と事案での瑕疵の事実認定、あてはめを見て、正直なところ、おやっ?という違和感を感じました。あまり説得的とはいえない、一つの基準をふりまわしてのあてはめによる強引な結論かもしれないという危惧があります。
 まあ、もしかしたらただ単に、やはり原告側の立証が出来ていなかったというだけのことかもしれないですし、証拠を見たわけではないので何とも言えませんが。

 ただ、判例時報の解説も次のように指摘しています。
 

「本判決の結論が本件上告審判決の判断基準を具体的にあてはてめたものとして妥当性があるか否かは今後の議論が予想され、かつ、期待されるところである。」
と締めくくられています。

 この事件の経緯を知ると、ああ、裁判って本当、ギャンブルだわという思いをまた強くするのです。
 自分用に以下にメモ。


 原告Xらは、本件土地・建物をAから購入したもの。Y1は、本件建物の設計・監理を受託したもの、Y2は本件建物の建築工事をAから請け負ったもの。
 Xは本件建物には瑕疵があるとして、約3億5000万円の損害賠償請求。
 なお、上告審とこの差戻審での争点は、瑕疵担保責任ではなく、Yらの不法行為責任に絞られていたようです。

 1審大分地裁平成8年(ワ)385号、平成15年2月24日判決。
 なんと!平成8年に提訴して、判決まで7年を要したようです。やむを得ない事情があったのかもしれないけどひどすぎる。。。
 で、判決は。一審はYらの不法行為責任を認めました。

 しかし次の控訴審。福岡高裁平成16年12月16日判決は。
 Xらの請求を棄却しました。
 解釈として問題とされたのは、この点のようです。
 

「建築された建物に瑕疵があるからといって、その請負人や設計・工事監理をした者について当然に不法行為の成立が問題になるわけではなく、その違法性が強度である場合、例えば、請負人が注文者等の権利を積極的に侵害する意図で瑕疵ある目的物を制作した場合や、瑕疵の内容が反社会性あるいは反倫理性を帯びる場合、瑕疵の程度・内容が重大で、目的物の存在自体が社会的に危険な状態である場合等に限って、不法行為責任が成立する余地がある」
(上記判例時報77頁。「三 審理経過 (2)差戻前控訴審 イ 不法行為責任について 」)
 で、事実認定としては、Xらが主張する「瑕疵」、Yらの行動はこの基準にはあてはまらないから、Yらに不法行為責任はないとしたようです。
 Xらは本件建物の瑕疵としては、9階の共同住宅につき、もっぱら各所に現れた「ひび割れ」を現象として指摘し、その原因として不適切な施行があったことを指摘したようです。

 そして最高裁。これが上記の平成19年7月6日判決です。
 曰く。
 

「以上と異なる差戻前控訴審の上記(2)イの判断には民法709条の解釈を誤った違法があり、この違法が判決に影響を及ぼすことは明らかであるから、差戻前控訴審判決のうち一審原告らの不法行為に基づく損害賠償請求に関する部分は破棄を免れない。」
としました。
 
 最高裁はどのように解釈したのか?
 
「建物は、そこに居住する者、そこで働く者、そこを訪問する者等の様々な者によって利用されるとともに、当該建物の周辺には他の建物や道路等が存在しているから、建物は、これらの建物利用者や隣人、通行人等(以下、併せて「居住者等」という。)の生命、身体又は財産を危険にさらすことがないような安全性を備えていなければならず、このような安全性は、建物としての基本的な安全性というべきである。」
とします。
 そのうえで、
 
「そうすると、建物の建築に携わる設計者、施工者及び工事監理者(以下、併せて「設計・施工者等」という。)は、建物の建築に当たり、契約関係にない居住者等に対する関係でも、当該建物に建物としての基本的な安全性が欠けることがないように配慮すべき注意義務を負うと解するのが相当である。」
として、注意義務を認めました。
 
「そして、設計・施工者等がこの義務を怠ったために建築された建物に建物としての基本的な安全性を損なう瑕疵があり、それにより居住者等の生命、身体又は財産が侵害された場合には、設計・施工者等は不法行為成立を主張する者が上記瑕疵の存在をしりながらこれを前提として当該建物を買い受けていたなど特段の事情のない限り、これによって生じた損害について不法行為による賠償責任を負うというべきである。居住者等が当該建物の建築主からその譲渡を受けた者であっても異なるところはない。」


 そして、平成21年2月6日、差戻審となる福岡高裁判決です。
 限定しています。
 

「『建物としての基本的な安全性を損なう瑕疵』とは、建物の瑕疵の中でも、居住者等の生命、身体及び財産に対する現実的な危険性を生じさせる瑕疵をいうものと解され、建物の一部の剥落や崩壊による事故が生じるおそれがある場合などにも、『建物としての基本的な安全性を損なう瑕疵』が存するものと解される」
としています。
 理由は、
「上告審は、建物は、居住者等の生命、身体又は財産を危険にさらすことがないような安全性を備えていなければならず、このような安全性は、建物としての基本的な安全性というべきである旨判示し、さらに例示として、バルコニーの手すりの瑕疵であっても、これにより居住者等が通常の使用をしている際に転落するという、生命又は身体を危険にさらすようなものもあり得る旨判示している。」
という点から引っ張っています。
 その上で、一審原告の主張に対しては、
「一審原告は、『建物としての基本的な安全性を損なう瑕疵』について、建築基準法やその関連法令に違反する瑕疵をいうと主張する」
とし、「しかし」と続きます。
 
「上告審の上記判示が建築基準法やその関連法令違反のことを示すのであれば、『建物としての基本的な安全性を損なう瑕疵』と、一定の幅を持ち、必ずしも一義的明確とはいえない概念を用いる必要はなかったし、建築基準法やその関連法令は、行政庁と建物の建築主や設計・施工者等との関係を規律する取締法規であり、これに違反したからといって、それだけでは直ちに私法上の義務違反があるともみられない。」

 
「また、ささいな瑕疵について、設計・施工者等が第三者から不法行為責任の追及を受けるというのも不合理であるから、一審原告の上記主張は採用できない。」
としています。
 ???
 今年平成21年2月の高裁判決です。何か解釈として違和感を感じます。つまり、建築基準法や関連法令のうち、生命、身体及び財産の安全に関するものも当然あります。そうであれば、最高裁の判示のうち、建築基準法や関連法令の上記な趣旨を持つ条項に反する場合は、それで義務違反といいうる余地もあるのではないかという素朴な疑問があります。あくまで素朴な疑問ですが。ここまで言い切ることも出来ないのではないかと。
 
 そして福岡高裁は、次の事実を大きな間接事実としたうえで、原告らの個別的な瑕疵の主張をばったばったと切っていくのです。
 
「思うに、『建物としての基本的な安全性を損なう瑕疵』の存否については、現実の事故発生を必要とすべきではないが、一審原告らが本件建物の所有権を失ってから(平成14年6月17日)六年以上経過しても、何らの現実の事故が発生していないことは、一審原告らが所有権を有していた当時にも、『建物としての基本的な安全性を損なう瑕疵』が存在していなかったことの大きな間接事実であるというべきである。」
とまで前置きしています。
 そして個々の原告の主張に対しては。
 
「一審原告らが所有権を失ってから六年以上経過しながら、何らかの事故が発生したとの報告もないことは前記のとおりであるから、一審原告らが本件建物を所有していた当時に、居住者等の生命、身体又は財産に対する現実的な危険性が生じていたとは認められない。」
というのを何度も持ち出して、Yらの不法行為責任を否定しました。


 地震が起きない限り、現に建っていればそれで安全、という議論を思いださずにはいられません。
 上告受理申立てをされているようなので、来年あたり、また最高裁判決が出るでしょうか。
 紛争後、10年以上が経過しておりひどいなという進行状況であると共に、高裁判決もなんだかなあというものです。

(おわり)
 
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2009年11月 6日 (金)

年次有給休暇と雇用/就職 【松井】

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 11月6日付けの日経朝刊では次のような記事がありました。

 

年休取得、微増47.4% 厚労省調べ、昨年1人平均8.5日

 
 
「調査は常勤の従業員(パート含む)が30人以上の6147社が対象で、4321社から回答を得た。」
とあります。
 
「業種別の取得率は『電気・ガス・熱供給・水道業』が74.7%で最も高く、「宿泊・飲食サービス業」が29.4%で最低だった。規模別では、1千人以上は53.7%だったが、30~99人では40.0%で、小規模企業ほど取得率が低かった。」
とあります。

 厚労省のもとはこれ→   http://www.mhlw.go.jp/toukei/itiran/roudou/jikan/syurou/09/gaiyou01.html



 雇用の悪化、失業率の悪化ということが言われています。
 経済学の勉強は挫折しているので、失業率の悪化がいかなるところにどのように影響を及ぼし、それを改善する施策としては現時点で、どのような政策が有効なのかどうかといった点、意見をもてるほどのインプット、知識がありません。
 勉強せねばとは思っているのですが。
 
 そういったことをさておいて。すごくバカな、アホな、短絡的な浅薄な考えであろうことは承知のうえで、この記事を見てこれまたぼんやりと考えたことをメモがわりに記しておきたいと思います。
 雇う側の立場としての考えになることは承知しています。


 うちの事務所がそうであるように、正社員従業員が2名といったような小規模な経営環境の場合、果たしてそこに、労働基準法がそのまま妥当することが実際的なのかどうかということです。
 残業代等の割増賃金を支払うことなく、長時間労働を強いるというは確かに悪だと思います。ただ、それは労働基準法に反するからというよりも、もっと素朴に、搾取に繋がるということになるから悪だと言い切れるとは思います。
 ただ、どうなんだろうかと釈然としない思いでいるのが、「年次有給休暇」です。


 労働基準法では、39条で年次有給休暇が定められています。
 

1項 使用者は、その雇入れの日から起算して六箇月間継続勤務し全労働日の八割以上出勤した労働者に対して、継続し、又は分割した十労働日の有給休暇を与えなければならない
、とさだめています。

 そして、継続勤務年数が増えるに従い、年次の有給休暇日数が数日づつ増えていく仕組みを定めています。

 前述の新聞報道では、この消化日数が、従業員30人以上の企業で、取得率が47.4%、その取得した際の日数でも平均が8.5日ということです。
 ここでいう「取得率」は、「(取得日数計/付与日数計)×100(%)」ということなので、一応、従業員が皆、それぞれ有給をとっていたとしても、一人当たり8.5日ということなので、もっと多くめいいっぱいとっている人もいればほとんどとっていない人もいるということもありうるのだと思います。

 そこで思うに、たとえば、従業員が10名以下の小さな、小さな会社の従業員さんが、皆がめえいっぱい、毎年、毎年、有給休暇を消化するということが本当に現実的なことなのかどうかということです。
 勤続年数がそれなりの従業員の方が10名いる会社で、10名の人が毎年10日間、有給で休めるようにしなさいということが現実的なのかどうか。


 趣旨としては、「年休制度は、『毎年』『長期間』『連続』して日々の労働から開放されることを、賃金を失うことなく、保障することによって、使用者という他人の指示のもとで(他律的に)働いている労働者に、休養・娯楽・能力開発の機会を確保して、健康で文化的な生活を享受させることを目的としています。」
とあります(149頁「ベーシック労働法」有斐閣、06年)。
 素晴らしい、もっともなことだと思います。まさに労働者と使用者の違いは、「他律的に働いている」か否かが大きいと思います。他律的に働く場合、自律的に働く場合とは異なる気苦労、開放されたい辛さがあると思います。
 4年ほどですが、勤務弁護士として働いてはいたので「勤務」と「経営」の根本的な意識の違いは実感として分かります。
 
 
「第二次世界大戦後に西欧諸国で立法制度として普及し、1970年にILO132号条約で最低3週間(そのうち2週間の連続付与)の年休付与が定められ、今や、国際的な最低労働条件の一つとなっています。」
とあります(同)。
 

 人を雇うということはそれだけの責任があることなのだ、という前提にたてば、お客様のためにの前に、従業員のために、雇い主・使用者は責務があるというのは当然ではあると思います。
 長時間労働をさせないための時間外労働手当ての支給、不合理な理由では解雇はできないということ、まさに従業員の生命、身体といった生活がかかっているものです。
 このような基準は、従業員100人以上であろうが、10人以下であろうが、変わりのない普遍的に妥当するものだとは思います。

 ただ、年次有給休暇はどうなのかなという思いが払拭できません。
 10人の従業員で回している職場で、1人が連続して有給をとりますといったことが何を意味するのか。
 だったらそもそもそんなぎりぎりの人数というのがおかしいのではないか。
 しかし使用者の事情もあります。もう一人を雇うだけの経済的余裕がないのであれば仕方ありません。もう一人を雇わせて、給料未払いで揚げ句の果てに破産、全従業員解雇なのでは意味がありません。
 10人以下の従業員の場合、かつかつでやっているところがほとんどではないでしょうか。
 
 中小企業こそ、福利厚生など労働条件を大企業よりもよくしてこそ、優秀な人材がきて、発展するという言われ方もします。
 本当でしょうか?
 福利厚生を当てにして就職するのでしょうか?
 基本は、労働の内容なのではないでしょうか。そのうえで、週40時間以下の労働時間を前提として、見あった給料が支払われる。
 
 休暇を得たいときは、No Work No Pay の原則では、その企業で働く人はいないのでしょうか。
 

 勤務弁護士の経験があるといっても、気持ちは「弁護士松井淑子」で仕事をしていたし、実家もまさに従業員数名の小規模なハンコ屋自営業で、経営者の親の苦労を見てきて育っているので、気持ちはどうしても自律的な働き方が基本、自営業者というところから離れられません。

 大橋にこの思うところをぶつぶつとしゃべっていたけど、ことごとく反論されています。

 昨年、京都の某上場企業の社長さんの一部の発言、「そんなに休みたいなら、辞めてしまえ。」という言葉が一部で非難轟々でしたが、そういうことなんでしょうね。
 
 この意識のギャップについて、うまく表現されているyuichikawaさんという方のブログ記事を見つけました。
 勉強します。

 http://yuichikawa.blog28.fc2.com/blog-entry-1794.html

 幻想を抱いている経営者は、まずその頭を意識改革すべきなんですよ!!
 私の頭もバージョンアップすべきときが来たよう。

 ただ、雇用する側がハードルの高さにしり込みして出てきた雇用スタイルが、同じ仕事内容でありながら時間を短時間にする人を組み合わせることによるパートであったり、派遣であったり、偽装請負なのではないか。そうだとすれば、雇用の創出/失業率の悪化の防止ということからすれば、自治体、政府の「不必要事業の仕分け」じゃないけど、労働基準法の各内容の見直しがあってもいいのではないかと。強制が見合わない項目があるなのではないかと。緩和できる項目があるのではないかと。
 いまいちど労働基準法をみっちりと勉強します。
 
(おわり)


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2009年11月 4日 (水)

公正証書遺言の作成手順 【松井】

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  11月2日のgooのニュースによれば、次のような裁判例があったようです。

http://news.goo.ne.jp/article/jiji/nation/jiji-091102X848.html

「他人が署名」と遺言無効言い渡し=相続訴訟で逆転判決-高松高裁
2009年11月2日(月)21:03
 愛媛県の女性が残したとされる公正証書遺言の真偽が争点となった訴訟で、高松高裁が「署名は女性以外の人物によるものと認められ、遺言は無効」とし、全財産を相続した女性のめいに約1600万円の返還を命じる判決を言い渡していたことが2日、分かった。判決は9月28日付で、被告のめい側は既に上告している。
 日本公証人連合会によると、公正証書遺言の作成過程が問題視され、信用性が否定された例は珍しいという。
 杉本正樹裁判長は「女性は認知症で、手も不自由であったことがうかがわれるのに、署名は明瞭(めいりょう)に記載されている」と指摘。めいが女性の実印や印鑑登録証明書を持っていたことにも触れ、「女性以外の人にこれらを渡し、本人のふりをさせることも可能」とした。めいには、自分の弟に約1600万円を支払うよう命じた。
 女性のめいの弟らは、めいらを相手に遺産の返還などを求め提訴。一審松山地裁は「遺言は女性の署名により作成したもの」として請求を棄却したため、弟らが控訴していた。

 高裁の事実認定が事実だとすれば、公正証書遺言の盲点を突いたものではないかと思います。

 弁護士や司法書士さんなどの専門家が公正証書遺言の作成の助言業務の依頼を受けることがあります。
 このときの手順としては、まず弁護士なら弁護士が本人確認のうえ、本人の意図する効果、どうしたいのかということをよく聴取りをしたうえで、望む法的効果となる文言を起案し、弁護士が公証人に連絡し、案文の調整を行います。

 そうして十分に案文を詰めたうえで、作成日時を決めて、弁護士と遺言者ご本人、そしてあらかじめ用意していた立会証人と共に公証役場に行き、公正証書遺言を作成します。

 つまり、公証人の方が遺言者ご本人に会うのは、このときが初めてになるのです。

 また実際には、このとき、すでに公正証書の遺言の文面は出来ており、その後の手続きを確認して、最後に同書面に立会証人、遺言者が自署、押印するというのが実際です。
 もちろん作成手続きの際においては、口述によって本人の意思による遺言内容か否かを公証人が確認し、たとえば、挙動不審、たとえば遺言能力に疑問を感じざるを得ないような言動があれば、公証人は作成手続きを中断し、作成しないとうこともあります。

 ただ、実際、第三者が詐欺的な意思でもって、公証人に対し、本人を偽ってなりすましを立てようと思えば、確かに出来なくはないというのが現状ではないかと思います。写真付きの身分証明書での本人確認でない限り。
 実際、過去数年ほどまえ、家庭裁判所においても、離婚調停事件で当事者のなりすまし事件がありました。それ以来、家庭裁判所では、代理人弁護士がついていても、第1回期日においては写真付きの身分証明書によって本人確認手続きを実施しているのが現状です。

 最近、ぼんやり考えていることには、本人なりすましは極端にしても、弁護士などの専門家がついている場合、公正証書遺言を作成する際でもこのように公証人は本人と会うのはほんの1度きりで、それは何を意味するのだろうかということです。

 そこにおいて、もちろん雑談などがなされるわけでもなく、本人確認がすみ次第、作成手続きにとりかかるのが通常です。
 このような現実は、もちろん事前に弁護士あるいは司法書士さんなどの専門家のチェックが入っているということが前提、これらの専門家への信頼が前提なのでしょうが、もし遺言者が認知症を患っていた場合、本当にその内容の遺言をする能力があるか否か、分かるのかなということです。
端的に言えば、少なくとも公証人は分からない可能性が高いのではないだろうかということです。

 わたし自身も、成年後見の申立てを何件か担当しています。その中で、何人かの認知症を患っておられるお年寄りとお会いしました。
 極端に一人で日常生活が出来ないというのならともかく、そうでない方の場合、正直言って、一度お会いしただけではまったく分からないということです。
 ごく普通に会話のやりとりも出来るし、服装も気をつかっておられます。何の違和感もなくお話ができます。

 ただ、その数日後、再度、お会いした場合、わたしのことを誰だか分かっていないということがあります。そのときに初めて、実感として、認知症の症状を患っておられるということが分かるのです。

 専門医師の方でしたら、ある一定の質問をし、それに対する回答でもって推測、診断がつくこともあるようです。また長年にわたり一緒に暮らしている家族ならよく分かることです。

 しかし、一度きりの出会いでは、分からないことが多いこともあります。
 そのような方が、本当に、その遺言内容のとおりの自己の財産処分をする意思があったといえるのかどうか。

 公正証書遺言だからといって法的に有効との推定を受けるものではないのはもちろんです。
 一見、その判断力の障害が分かりにくい方、でも他の家族はよく分かっている方という時が一番、微妙で問題になりうるのだと思います。

 そういう意味でも、遺言作成助言アドバイス業務にかかわる専門家の責任は、やはり重いのではないかと考えています。

 公証人も、ご本人が公証人役場に訪れ、作成の相談、依頼をしているときなら、接触時間も長く、当然、財産処分についての意思確認となるので、その遺言能力について判断できます。
 しかし、弁護士や司法書士さんなどの専門家が間に入ると、公証人は、遺言者に会うのはその作成日当日の一度きりです。これは、まさに専門家に対する信頼があってこそのものだからと思えるからです。
 これはという方の場合、つまり、ご本人から直接に専門家への相談ではなく、間に遺言者の親族、第三者が入っている場合、要注意ではないかと思います。
 
 専門家はなんどとなくご本人と協議、打ち合わせをして、そこにおいて当該遺言をするだけの遺言能力があると判断したという根拠をもつべき義務があるのではないかと思います。
 もし遺言無効確認の訴えなどの裁判になった際は、どのような確認をし、何を根拠に問題ないと判断したのかというところをねっちりと確認していかれることになります。
 
 紛争予防のための遺言、公正証書遺言なのですから、遺言能力についても紛争予防の手だてをうっておいてしかるべきというのがかかわる専門家の責務だと思います。

(おわり)

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