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2009年10月

2009年10月28日 (水)

遺言の作成助言業務と信任【松井】

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 最近、気になることがあります。これもやはりまだ考え、意見がスッキリとかたまっているわけではまだないのですが、備忘録的に書いておきます。
 
 それは、遺言の作成アドバイス業務についてです。
 公正証書遺言などを作成する際、自分で勉強して自筆証書あるいは公証人役場に行って、自分だけの力で作る人もいるかとは思います。
 ただ、やはり多くは、弁護士などの専門家のアドバイスを受けているだろうと思います。ここでいう「弁護士など」の「など」とは、遺言作成のアドバイス業は弁護士に限られていないという現実をさしてのことです。司法書士さん、行政書士さん、信託銀行、その他団体?が、遺言作成のアドバイス業務を有料で行っています。これはネットで検索すればわんさかと出てきます。
 
 遺言書の作成数が増えているのも司法統計から明らかなこともあり、私のもとに相談に来られる相談内容でも、公正証書遺言についてのものが多くなっているように思います。 そこで気になっているのは、「相続人の廃除」や生前贈与を書き記して、特別受益があるとし「遺留分侵害額」はないといった記載があるものです。
 このような内容の遺言書を作成する際、関わった「専門家」は、どれだけその裏付け事実の調査などをしているのか、あるいはしていないのか。どこまでの注意義務があるのか、ないのかということです。

 単に、遺言作成者が口にしたことを「専門家」が鵜呑みにして、後日の紛争にそなえた裏付け資料等を確認もしないままに、「代書屋」さんのように右から左へと「法律用語」を使って書くようにアドバイスするのでいいのかどうかです。
 作成に関わる以上、それは紛争予防が遺言者の本心である以上、紛争予防を考えるのであれば、やはり関与時、裏付け等の有無を確認、資料の確保すべき義務があるのではないかということです。
 この点、「本人がそう言っていたので、そう書かれただけです。」ということで「専門家」としての注意義務を果たしたといえるのかどうだろうかということです。

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 そこでたまたま読んでいた本に、なるほどと思う記述がありました。
 「信任」(信認)です。

 引用します。111頁、岩井克人「会社はこれからどうなるのか」(2009年、平凡社)

*本当は本の表紙だけを写したいのですが、アマゾンで購入のボタンが出てしまいます。。。

 

「信任とは、英語のFIDUCIARYに当たる日本語です。それは、別の人のための仕事を信頼によって任されていること、と定義されます。」

 
「重要なことは、信任とは契約と異質の概念であるということです。
 たとえば無意識の状態で運ばれてきた患者を手術する医者を考えてみましょう。この患者は自分で医者と契約をむすべません。だがそれにもかかわらず、救急病棟に詰めている医者は、まさに医者であることによって、患者のために手術をおこないます。ここでは医者は、患者の生命をまさに信頼によって任されています。すなわち、患者の信任を受けた信任受託者です。
 世のなかには、このほかにも未成年者や精神障害者や認知症老人など、法律上あるいは事実上、契約の主体となりえない人間はたくさんいます。彼らのために財産管理などをする後見人は、やはり信任を受けている信任受託者です。
 いや、医者と通常の患者との関係においても、信任という要素が入り込んでいます。なぜならば、医者と患者との間には、医療知識にかんして大きな開きがあるからです。たとえ契約書が交わされていたとしても、医者がおこなう治療の内容を患者が理解できる形ですべて特定化することは不可能でうs。仮に特定化できたとしても、それが実行されたかどうかを患者が確認することは不可能です。いくら患者が明晰な意識をもっていても、少なくとも部分的には、医者は患者の健康や生命を信頼によって任されてしまうことになるのです。
 同じことは、弁護士や技師や教師や会計士やファンド・マネージャーといった高度の専門知識をもつ専門家が他人のためにおこなう仕事に関してもいえます。一般に、形式的には契約関係であっても、当事者の間で知識や能力に大きな格差があるかぎり、そこでは信頼によって一定の仕事を任されてるという要素が必然的に入り込んでくるのです。」

 117頁
 
「信任関係の維持には、自己利益の追求を前提とした契約関係とはまったく異なる原理を導入せざるをえません。それは、ほかでもない『倫理』です。
 当たり前のことですが、信任を受けた人間がすべて倫理感にあふれいさえすれば、信任関係は健全に維持されます。それゆえ、歴史的には多くの専門家集団がみずからに職業倫理を課してきたのです。たとえば医者の場合、『わたしは能力と判断の限り、患者に利益すると思う養生法をとり、悪くて有害と知る方法を決してとらない』というあの有名なヒポクラテスの近いの存在が、患者との信任関係を維持していく上で大きな役割をはたしてきたことは、よく知られています。」


 かなり長い引用になりましたが、ここで述べられているように、遺言作成にたずさわる「専門家」も同じではないかということです。
 特に、弁護士がたずさわる場合。弁護士以外の者がたずさわる場合も、やはりそこにこのような「倫理感」が問われてしかるべきだと思います。
 具体的にはどういう場面で問われるかというと、先ほどの「相続人の廃除」であったり、生前贈与等を書き記した「相続分」や「遺留分侵害額」に関わる「事実」の記載をする場合です。
 
 そこでは、やはり相続発生後の自分の死後の紛争予防が遺言者の真意である以上、下手にこの「相続人廃除」や「相続分」等に関する生前贈与の「事実」等を書き記すと、その「事実」の有無を巡って紛争になることは明らかです。
 そうであるなら、助言する時点で、その遺言者が言う「事実」の裏付け資料の有無、確保を図り、その過程を記録化しておく義務があるのではないかと思っています。
 あまりこの点が争われた事例などを聞いたことはありませんが、今後、増えていくのではないかという予感がします。
 
 安易な、あまりに安易な遺言書の作成は、そんな遺言だったらないほうが相続人らにとってはましだったのではないかと思う内容を散見するこのごろ、ぼんやりと考えていることです。
 助言する専門家の方において、この「信任」の意識、どこまでの倫理感があるのかが問われているように思います。
 言われたことだけやっていればいいのかどうか。そうでないことは、はっきりしています。

(おわり)
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2009年10月23日 (金)

商売をするのなら〜法律に無関心ではいられない〜【松井】

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 先日、大阪弁護士会館の方で、司法修習生の方向けの「消費者契約法」についての研修講義を担当してきました。
 この手のことがらに関する私の講師としての出来はともかくとして、2時間の研修のための準備を改めてしなおしていたときに、しみじみと思ったことを自分のメモがてら記しておきます。


 商売をするのであるなら、その売り物に対する思いと同時に、経営者である以上はやはり法律に無関心ではいられない、無関心では駄目だということです。もちろん、簿記・会計(特に、管理会計)の知識も必要だと思います。自分にその知識がないのであれば、詳しい人を雇うか、税理士との顧問契約で補い、あるいは弁護士との顧問契約で補うべきだなと思った次第。範囲が広いです、法律。

 施行が平成13年4月1日の「消費者契約法」という法律があります。これは文字通り、消費者保護を目的とした法律であって、一定の場合、民法で定められた詐欺取消し等の他に、契約の取消しや条項の無効を定めています。
 最近で話題になったのは、建物の賃貸借契約における「更新料」特約の無効判決です。大阪高等裁判所で判決されたものです。

 ただ、実は、消費者の方からの相談において、使うことが多いのは、この消費者契約法ではなくて、特定商取引法と割賦販売法です。
 特定商取引法の場合には、クーリングオフや、契約を途中解約したときの返金についての定めがあります。
 ここで有名なのは、平成20年4月の英会話のNOVAの最高裁判決です。途中解約した場合の精算金の考え方について、NOVAの主張は認められませんでした。3本500円バナナを買ったところ、2本は要らないと返したときに、じゃあ500円÷3本×2本=333円を返してもらえるかというと、NOVAの計算方式は、本当は1本300円のものを3本500円特価で売ったのだから、1本食べたなら300円で、200円しか返さないというものでした。
 このような規定は特定商取引法の清算条項に反するとして無効だとされ、333円返せとされました。
 結局、これがきっかけの一つとものなり、途中解約が相次ぎ、資金繰りに窮して倒産にいたりました。
 そのほかには、割賦販売法です。例えば、NOVAへのお金をクレジットカードを利用して支払っていた場合などです。NOVAに問題があった場合、途中解約をする、じゃあ残るクレジット利用による40万円の債務はどうなるのか?
 有名だったのは30条の4に規定された、抗弁の接続というものです。残る支払いの請求は拒むことができる場合があることを定めています。


 特定商取引法に定められた一定の販売方法、訪問販売、継続的役務の提供などをしている場合、自分の商売が特商法の規制を受けるのかどうかのチェックは必須です。
 また、信販会社の加盟店であって、お客さんがクレジットカードを使う場合、あるいは個品割賦販売を利用している場合も、割販法の知識は不可欠です。
 ところが、たまに驚くことに、自身が特定商取引法の規制を受ける商売を行いながら、社長自身がそのことの自覚がない場合があるのです。
 クーリングオフを意味することを主張されながら、なんでこんな主張を受けるのか?と不思議がっている場合があります。
 いやいや、その商売はこの法律の規制があって、この条項をお客さんは主張しているんですよということになります。

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 今後、さらに大事なのは、この12月1日から、新たに改正された特定商取引法と割賦販売法が施行されるということです。
 消費者契約法は従前の特定商取引法や割賦販売法では不都合があった部分をフォローすべく新たに制定された経緯があるのですが、それでもやはり不都合があったということです。
 不都合。
 消費者を食い物にする業者です。本当にこの手の業者の手にかかれば一消費者なんて赤子の手をひねるようなものです。
 そこで、昨年、特定商取引法と割賦販売法が改正され、めちゃくちゃ強化されました。 特定商取引法においては、指定商品制というものが原則撤廃されました。以前は、商品について指定されたものだけが対象だったのです。
 しかし業者は、ここの間隙をついて、みそだとかを売ったりしていました。いたちごっこでした。
 また、割賦販売法においては、抗弁の対抗として、今後の支払いを拒むだけではなく、場合によっては、すでに信販会社に支払った金員についても取り戻せるということを明記しました。
 また信販会社において加盟店の管理についての義務も定めました。売り方等について苦情の多い加盟店を放置しておいて、「知らなかった」と言い逃れすることは出来なくなりました。
 
 また別の項で、この特定商取引法と割賦販売法の改正についてはまとめて記しておきたいと思います。


 経営者は大変です。まっとうな商売でがんばって欲しいと思います。

(おわり)

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2009年10月14日 (水)

「アーユルチェアー」と「MBTシューズ」と、「弁護士」【松井】

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 またしても法律、弁護士業とは直に関係はない話なのですが、でも、弁護士の方や座り業の方には関係ある話しです。
 東京の会社のトレイン社と何の縁もゆかりもないのですが、その製品、アーユルチェアーに関して愛用者ということでその愛を語らせて頂きました。
 
 
http://www.ayur-chair.com/voice/


 腰痛に悩む方、長時間のパソコン仕事をしているけど、今の椅子に満足されていない方、ぜひアーユルチェアーを試用してみてください。
 これまでの靴とはまったく違う靴「MBTシューズ」と同様に、それまでとの「違い」が分かるはずです。
 
 商品一つをとってみても、その「特徴」、他との「違い」って大事ですね。
 

 「大橋弁護士」と「松井弁護士」の「弁護士」としての「違い」って何だろうかということをふと考えたのですが、「違い」を探すよりもむしろ「同じ」部分を探す方が難しいというくらいに違うのではないか!?(笑)。

 その「靴」や「椅子」を他の靴や椅子と比べるのと同様、「弁護士」も他の弁護士とどこがどう違うのか、特徴は何かを比べるのは利用者としては大事な視点だと思います。
 「賢い消費者に」というフレーズがありますが、これは弁護士利用者にも当てはまるかと!!

 この「違い」に気づくのは、靴なら実際に履いてみないと分からないし、椅子なら実際に座ってみないと分からない。
 弁護士もたぶん、「靴」や「椅子」と同様、お試しされて比べられる時代なのだと思っています。

 知人に紹介されたからといって、その弁護士が唯一の弁護士などという発想は利用者にはなくって、「違和感」を感じたら、別の弁護士を捜して「試してみる」という時代なのだと思います。

 
 「弁護士」としては、辛いといえば辛い立場ではありますが、利用者のことを考えたらそれが正しい姿だと思います。
 「弁護士」としての自分をアーユルチェアーやMBTシューズのように磨き続けるしかありません。
 
 正直なところ、改善点はいっぱいあります!改善箇所の発見は、やはりあるべき理想との「比較」しかないかと。


 先日、今年の新司法試験に合格した修習開始前の方が一日、弁護士って実際はどんなもん?という趣旨で一日、事務所で密着様子をみるという企画で、一人、うちの事務所に合格者の方が来られていました。
 具体的な話を聞きたいというので、「具体的」な話をいろいろとしました。
 人に自分の仕事の話をしながら、口に出して言葉にしていて思ったのは、頭で考えていることでも他人に言葉にして語りかけると客観性をもち、改めて自分で喋りながら、なるほど!と気づくことがあるという利点が自分にもあるということです。
 
 で、思ったのは。大事なのは、「共感力」だな、と。
 世の中、こんな自分の従前の価値感からは理解できないことがあるんだ!?ということに出くわしたとき、相談に来られた方の心の声にまず共感できるだけの「幅」が自分にあるかどうか。
 これがないと、せっかく相談に来られた方も、なんだ弁護士って、こんな程度のもんかと意気消沈して帰ってしまわれると思います。
 共感できないと、そもそも始まりません。
 そういうこともあるかも、こういうこともあるかも、という柔軟な頭、価値観が要るなと改めて思った次第です。
 

 今回の「アーユルチェアー」の取材に際しても、記事の中にあるように私の方がいろいろと開発秘話のようなものを聞かせていただきました。
 取材に東京から現れたお二人の美しい女性スタッフ。
 この方々が、開発担当だったということでまず驚きました。
 え!? 椅子なんてものをデザインする担当の方にはまったく見えません。
 お聞きしたら、会社でも「椅子」を商品として作り出して売り出したことは過去になかったとのこと。
 でも、椅子はこうあるべきなのではないか、こういう椅子があったらきっと快適なのではないかという「理想像」があったということです。
 そしてその「理想の椅子」は、従来の既成の椅子のメーカーの椅子の概念とは全く異なるものであった。
 「椅子」を作っていなかったからこそ、既成「椅子」にこだわらない、「理想」にたどり着けたのではないかといった弁でした。
 「椅子はこうあるべき」という枠に囚われずに自由に発想する力、発想した力を実現する力。
 
 弁護士にも必要な「力」だと思います。

 問題は実現する力なんですよね。。。
 アーユルチェアーに座り、MBTシューズで歩き回って、がんばります。

(おわり)
 ↓ shiologyのshioさんぽい写真(笑) まず真似から。
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2009年10月12日 (月)

昭和20年代、30年代の日本は如何に~過去の経緯~【松井】

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 本を買うのが一種の趣味のような状態で、気になる本が目に付くととにかく買っていました。しかしすぐに読むというわけではなく、結局、読み切るのは買ってから4年後、5年後という本が実は結構あります。
 そのような状況で、今年、結構印象に残っているドキュメンタリーについて、自分の読書メモがてら書いておきます。
 法律とは関係ありません。


 6月ころ、「メディアの支配者」という本を読みました。フジテレビの鹿内さんを取り上げたドキュメンタリーです。ハードカバーで買って、読んでいないうちに今年、文庫化されていてそのことにショックを受けた本でもあるのですが。
 ハードカバーで上下2冊。結構なボリュームでしたが、読み出したら止まらず、一気に読み切りました。
 この本を読んでから、あの「ライブドア事件」を考えると、また違う視点が得られると思います。というか、「ライブドア事件」を語るならこの本は必読だと思います。
 戦後、「フジテレビ」という会社がどのようにして作られていったのか。戦後日本の「労働組合」や経営社グループとの攻防、そのどさくさのような状況での誕生が描かれています。
 そして、あの「ライブドア事件」の際、会長だったか社長だったかとしてよくテレビ画面に登場されていた方がどのようなことをしていたのか。 
 1990年代のフジテレビの「お家騒動」あたりまでが描かれています。
 
 戦後、昭和の時代のエネルギーを感じさせた本でした。文字通り、裸一貫、成り上がりという言葉が浮かびます。
 それと、企業の私物化とか、承継とか。株式対策とか。
 人はいつかは必ず死んじゃうんですよね。そのときのことを生前、どれだけ五感をもって想像できるかどうか。



 そしてつい先日は、「下山事件~最後の証言者~」という本を読みました。
 これはまさに昭和24年7月、あの下山事件に関する本です。これも買ってから、読んでいないうちに文庫化され、結局、4年目にしてようやく読み終わりました。
 これも読み出したらとまらない、刺激的な1冊でした。
 何がかというと、やはり戦後、昭和20年代の日本の泥臭い、きな臭い様子が背景として描かれている点です。
 利権、成り上がり、よく分からない手段で財をなす様子。
 戦後、昭和20年代、30年代って、本当にタフな人は人脈を使い、見事に財を築いていったのだと思います。
 パワフルです。登場してくる人々が。
 「猥雑」という形容がぴったりです。



 今の日本を考えるにしても、この20年代、30年代に築かれたシステムがベースになっています。
 それが時々刻々、変容していきつつ、今のカタチとなっている。
 
 今も見えないところで、当時の猥雑な雰囲気そのままに利権や賄賂が行き来している場所があるのではないかと思うと、なんとも言えない恐ろしい感じがします。
 格差社会と言われているけど、実はそんなものは昭和20年代からそうであって、それがずっと目に見えなかっただけなのではないか。
 一部のパワフルな人とそうでない愚直な人々との格差が厳然とあったのではないか。
 肉食の人と草食の人。あるいは、狩猟民族と農耕民族。
 昭和20年代、30年代を生き抜き、一代で財を築き上げた人々。
 そんな時代をパワフルに生き抜いたことに尊敬の念を抱きます。
 
 今の時代もやはりこんな時代だからこそパワフルに生きねばと思った次第。
 でも、「<勝間和代>を目指さない」とも言われているし。そこそこに生きる平穏と幸せもあります。
 
 あんぱんまんの歌でこんな歌があります。
 「何のために生まれて 何をして生きるのか 答えられないなんて そんなのはイヤだ。」
 うーん。でも、答えられないのが、それもまた人生~♪では。

 お金や権力の獲得のためにと動けるというのはある意味幸せだと思います。目標が明確だから。
 
 うーん。とりめもないブログもたまにはいいか。

(おわり)
 
*歴史を感じさせる建物。やはり過去の経緯を知るのは大事。歴史。
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2009年10月 9日 (金)

賃貸人の苦悩~家主になるのも大変~【松井】

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*うちの事務所が入っているビルです。9階建てですが、8階のワンフロアーがもう半年以上、空き室です。


 先日、自宅でたまたま某テレビ番組を観ていて、「モーゲージ プランナー」と称する仕事も特化したものとしてあるのかと興味深く思っていたところ、途中から、え!?と驚くような場面を目にしました。
 当初は、定年などの都合で、この先、このままの約定の支払い方法では早晩、住宅ローンの返済に行き詰まるという方のために、より金利の安い住宅ローンの商品を提案し、借金の返済方法を変更することを提案する様子が映されていました。
 それだけだったら、なるほど、確かに弁護士などに相談しても、新たな商品を提案するというかゆいところに手が届くようなサービス提供は出来ないから、ニーズはあるし、役に立つなと思っていました。
 ところが、ある場合には、現金2000万円を貯めている夫婦に対し、うち1000万円でマンションの購入をすすめていて、これに驚いたのです。
 何のためにマンションを購入するのか?
 「人に賃貸すれば月5万円程度の家賃が見込まれる」という大前提のもと、1000万円を銀行預金として眠らせておくよりは1000万円に高い金利がついて、この収入を住宅ローンの返済にまわせるでしょ、という提案でした。
 夫が悩んでいたところ、家賃保証会社を紹介し、それで納得した夫婦はマンションを買っていたようでした。


 いいんですか、それで!?というのが番組をみた限りの感想、というか、驚きでした。 果たして、このご夫婦は、家主になる、賃貸人になるということがどういうことなのか分かっているのかしらん?!、このプランナーと称する方は、それを業とするわけでもない、過去に賃貸人の経験があるわけでもない方に対し、家主となる場合のリスク~危険~をどこまで説明しているのかしらん!?という危惧です。
 危険を織り込み済みで購入しているのであれば問題ないのですが、そうでなかった場合、この夫婦にとっては1000万円の預金債権をもっている方がよっぽど利益だったということが十分に予想されるのです。
 どういうことか?


 家賃収入をあてにして、というのも、「とっても素敵な賃借人さん」が「途切れなく契約」してくれての話しです。
 私が過去、家主さん側の相談にあたったりする限り、そういい話しばかりではありません。
 相続事件を多くしていることもあり、家主さんの事情を聞くことも多いのです。相続でもめるほどの財産を遺されている方がどのようにして資産を築かれたかというと、相続した代々の不動産がある場合や、昭和40年代ころ、先んじて不動産売買を行い、その後、賃貸物件を建設するなどして賃料収入で財を築かれたということが多く、それを引き継いだ方などから、「不動産管理の苦悩」をよく聞くのです。
 
 例えば、あるのは、修繕をしっかりしていなかったばっかりに建物が古ぼけてしまい、賃借人がつかない、というものです。
 賃借人が入らなければ、ただの巨大な粗大ゴミのようになってしまいます。更地に戻すのに数千万円をかえって要するということもあります。
 また、賃借人がついたはいいが、家賃を払ってくれないというものです。追い出すのにも、実は費用と労力を要します。建物の賃貸借契約は借地借家法が適用され、特に住居として使用している場合、プライバシー等の問題もあって家賃を滞納しているからといって大家が勝手に出入りして、鍵を変えて追い出すと、違法です。実力行使は禁止されています。そこで、契約解除、建物から出て行けという訴訟に強制執行をせざるをえません。ただ、これも家賃滞納をしたからといってすぐに認められるわけではなく、契約にもよりますが数ヶ月もの間、滞納していて初めて解除が出来るとされています。
 さらには、家賃が高いので賃料を減額しろといった申し出を家主からされたり、あそこが壊れている、ここが壊れているから修理しろという修繕の要求があったり。
 不動産のオーナー、家主、賃貸人は、たぶんやったことがない人がちょっと想像する以上に、大変だと思います。
 大変だと思い、管理については全部、管理会社に任せようとしたら、やはりそれなりの管理費用を支払う必要があります。
 さらには、処分しようと思ったら、1000万円で買ったものが600万円くらいでしか処分できなかったり。あるいは、誰も買ってくれないような物件になっていたりと・・・。
 そううまくはことは進みません。
 

 ということは、それなりの覚悟、自身が勉強して労力をさくという覚悟が必要だと思います。
 あのテレビ番組のご夫婦は、覚悟があったのでしょうか。
 それが心配です。
 また、あのプランナーと称するかたが万が一、業者の方からキックバックをもらったりしているようなら、しかも夫婦に「リスク」を説明していなかったとしたら、まったく罪作りだと思います。
 そうでないことを祈るばかりです。

 また、思うのは、専門家にアドバイスをもとめて、アドバイスをもらったとしても、その「アドバイス」の内容を自分で吟味することなく、その「専門家」を丸ごと信用して、そのことから「アドバイス」の内容について吟味しないというのは、それはやはり不勉強なのではないかということです。
 専門家を利用しながらも、最後は、自分で情報収集して、自分で判断するということが大事だと思います。そうすれば、たとえば自分が思い描いていたような状況でなかったとしても、自分が判断したのだからと諦めがつきます。そこの準備と覚悟ができていないと、ことが思うようでなかったとき、「あそこがこんなものをすすめたからだと」と他者にだけ責任を押し付ける思考法になってしまいがちということになります。

(おわり)

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2009年10月 1日 (木)

「国税不服審判所と審査請求手続」の研修【松井】

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撮影 塩澤一洋氏(http://shiology.com/)。勝手に心の師匠。なんと!iPhone3GSで撮影した写真だということです!絵画のような妖艶な一枚。


 昨日、大阪弁護士会主催の「国税不服審判所と審査請求手続」という研修を受けました。
 講師は、大阪国税局不服審判所の所長、本多俊雄さんです。ついこの春までは民事部の裁判官をされていた方です。おそらく2、3年ほど、審判所の所長を務めた後、また裁判所に戻られます。
 そうです、国税不服審判所は「国税庁の中の特別の機関」なのですが、その所長は裁判官という法曹が務めているようです。
 もう12年前になる、司法修習時代の私がいたクラスの民事裁判教官の裁判官も、一時期、東京の国税不服審判所の審判官をされていましたので。
 で、特に守秘義務が厳しいようなのですが、その義務の中で、いろいろと興味深い実務上のお話がきけて面白かったので、ここにまた自分用にメモします。ブログをご覧頂く方にも何か参考になることがあれば。


 国税不服審判所の詳細については、HPが充実しているのでこちらをご覧ください。
 http://www.kfs.go.jp/

 審査請求事件については、平成20年度、発生件数が2835件あったということでした。ちなみに、異議申立ては5313件、訴訟は355件ということです。
 うち、審査請求事件について代理人の状況はどうかというと、これは感覚的なものですがということで、次のような状況らしいです。
 代理人なし・・・・47%
 税理士代理人・・・29%
 弁護士代理人・・・12%
 代理人なしで審査請求手続きをされる方が約半数。驚きでした。また、税理士さんも代理人として約3割がついているというのも予想より多く、活躍されているんだなという印象を受けました。
 ただ、審査請求について、平成20年度の処理のうちで、納税者の主張が何らかの形で受入れられたものの割合は、14.7%だそうです。
 これを狭き門と捉えるのか否か。


 最近の傾向としては、やはり国際税制がらみが多いということでした。
 そういえば、大学の同級生などで国税局に就職したという人が、留学しているらしいという話も聞いたことがあるので、国税局の方も力を入れているのだと思います。
 また、国際税制がらみになると、金額も大きく、専門性も高く、そして争訟性が強いという傾向があるようです。
 企業も、納得出来ないときは国税局に対して争うようになってきたということだと思います。数年前から言われていますが。
 

 審査請求手続に関しては、審判官として多いのはやはり税務所からの出向の人がほとんだということで、手続的保障といった観点、主張と証拠といった観点、あるいは第三者機関としての視点という点で不慣れな面もあり、法曹出身の審判官として、いろいろと協議しているということでした。
 税務所の職員として働いていた方々が、第三者機関として、いわゆる古巣の税務所の判断について改めて審査というのは、これはもう制度的に難しい面があるというのはやむを得ないと思います。
 また、法曹ではないので、実体面と手続面を区別して思考するという訓練を受けているわけでもないので、この思考法はなかなか難しい面もあるのだろうと思います。
 ただ、もちろん税法については税務所の職員出身の方は実務を経験されたプロですので、逆に法曹出身者の方はその面で教わることが多々有るのだろうと思います。
 行政部内の最終判断となる裁決を行う機関としては、よく出来た機関なのだろうと思います。


 ちなみに私は、固定資産税という地方税に関し、地方自治体に対し異議申し立てを行い、自治体の行為が改善されたという経験はありますが、国税に関して、この審査請求手続を利用したという経験はありません。
 ただ、講師が言うには、たとえば税理士が代理人となっている件でも、やはり民法上の観点が重要であって、知識と経験が必要な案件で、弁護士さんに相談に行かれたらどうですか?と言いたくなるような案件もないわけではないということでした。
 また弁護士が訴訟代理人となって訴訟になった事案でも、審査請求手続の方を利用していてれば、もっと早く妥当な解決が導き出せたのではないかと感じる事案もないわけではないということでした。
 

 国税不服審判所の目的は次のようなものです。
 

「税務行政部内における公正な第三者機関として、適正かつ迅速な事件処理を通じて納税者の正当な権利利益の救済を図るとともに、税務行政の適正な運営の確保に資すること。」

 おもしろいのは、納税者の正当な権利利益の救済が目的だけではなくて、税務行政の適正な運営の確保にもある点です。
 そのためか、不当な処分の取消対象は、違法な処分だけではなくて、不当な処分も取消の対象になるようです。

 「違法」「不当」と聞いて思い出すのは、ある裁判官の言葉です。
 「違法判決」と言われたら困るけど「不当判決」と言われる分には仕方ないと思える、というものです。
 裁判ではそういう世界です。
 しかし、この審査請求、裁決においては、「不当」な処分も是正の対象とされるのです。
 
 裁判と、それ以外の似て非なる制度に手続き。
 いろいろとあります。またどこかでまとめたいと思います。
 相続でよく出てくるので依頼者の方々によく説明するのですが、普通に生活していたら、「裁判所」「裁判官」というひとくくりで、裁判所、家庭裁判所、訴訟手続、審判手続、裁判官、審判官、訴訟事項、審判事項の説明が難しいです。「既判力」って何という話も出てくるし。ホワイトボードに書いて、説明させていただくと、なるほどと納得はしていただけるのですが、その後、本当に腑に落ちているのかどうか怪しいことも多く。
 相続事件だと、下手したら、家庭裁判所と地方裁判所(高裁、最高裁)をいったりきたりということもあります。だから事件解決が長期化することも多く。前にもどこかで書きましたが、離婚訴訟のように、家裁で一元化するか、地裁でも判断可能とした方がいいのにと思います。
 
(おわり)
*京都地裁に行ったらよくよるお店、mamaroのスープカレーです。絶品! 
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