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2009年9月13日 (日)

おかしいと思うことを口に出して言うということ~名誉毀損訴訟~【松井】

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 おかしいと思うことを口にだして言うこと。それは、憲法21条1項に定められた自由です。

 「集会、結社及び言論、出版その他一切の表現の自由は、これを保障する。」

 憲法そのものは、国と個人との関係を規律するものといわれています。
 国から、合理的な理由なく、自由を制約されないということ。
 ものを言うことに対して、国からとやかく言われないということが表現の自由です。その裏返しが、23条2項に定められた、国による検閲の禁止です。

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 じゃあ、国ではない私人対私人はどうなのか。
 憲法が直接適用されるわけではありません。
 国は国家権力として強制力をもちますが、私人は私人に対して、他の者の行動を強制させることは出来ません。
 ただ、私人の保護されるべき利益が他の私人の言動によって侵害され、その侵害に正当な合理的な理由がない場合、他方の私人の自由と他方の私人が受けた損害を比較し、被害を受けた方が保護されるべき事由があるような場合、他方の自由が制約される結果となる場合があります。
 私人の場合、このような利害をどう調整するのか?

 利用されるのが、民法709条以下に定められた不法行為責任です。
 

民法709条「故意又は過失によって他人の権利又は法律上保護される利益を侵害した者は、これによって生じた損害を賠償する責めを負う。」
民法710条「他人の身体、自由若しくは名誉を侵害した場合又は他人の財産権を侵害した場合のいずれであるかを問わず、前条の規定により損害賠償の責任を負う者は、財産以外の損害に対しても、その賠償をしなければならない。」

 損害賠償責任を負うのか、負わないのかというカタチで利害が調整されます。
 
 この中で、表現の自由にいう表現行為については、私人対私人の場合、名誉毀損訴訟、あるいはプライバシー侵害訴訟として、争われることになります。
 
 名誉毀損訴訟は、マスコミ対著名人の場合、ある時期を境として一挙にその損害賠償額が高額化しているという事実があります。
 その原因はいろいろ言われていますが、真実はともかくとして、対マスコミの訴訟では数千万円規模の損害賠償額が連発しているように思います。


 ただ、一方で、このような賠償請求訴訟は、それ自体が、表現行為に対する威嚇行為であって、表現行為を萎縮させる効果をもつことがあります。
 しかし、憲法は表現の自由が保障されること、私人が自由にいいたいことを言うということそれ自体に価値を認めているものである以上、私人間の民法においてもその価値は評価されるべきものと考えられます。

 そこで、名誉毀損に基づく損害賠償請求訴訟の提起そのものが、威嚇目的であると評価されるような一定の要件のもとに、提訴行為自体を不当訴訟として逆に訴えた者に対して損害賠償責任を認めていることもあります。
 数年前、消費者金融の武富士に関して各種発言、表現行為を行っていた人らに対し、武富士が名誉毀損として損害賠償請求訴訟を起こしたことがありました。
 当時、武富士は、戦闘的に争う姿勢を示していたように思います。
 結果、武富士に注目が集まり、実はその作家の盗聴行為を行っていたことや各種、不当な取立てが行われていたなどの行為が世に晒され、訴訟についても、結局、武富士の方が返り討ちにあうような事態となっていました。
 

 最近気になるのは、弁護士への相談でも、訴えることは出来ないですか?という相談で、理由はと尋ねると、名誉毀損にあたるので訴えられませんか、精神的苦痛を受けたので慰謝料請求できないですか?といった相談です。
 具体的にどういうことがあったのかとさらに尋ねると、例えば、マンション内での意見の対立に起因した文書でのやりとり、あるいは、利害が対立する相手方との間での激しいやりとりです。自身が攻撃を受けた、批判を受けたということで精神的苦痛を受けたというものです。

 またさらに驚くのは、弁護士作成の訴訟上の文書や内容証明郵便においても、その文書の中で、具体的な根拠、理由の指摘なく、「名誉毀損訴訟を提起する」「告訴する」といった文言が現れることです。親族間の紛争のような場合、互いに相手の行動を批判的に記述することがあるのはやむを得ない場面が多々あります。それに対し、反論するのではなく、別途法的措置を執ると予告することで威嚇するのです。
 
 本当に訴えとして成り立ちうるのか、返り討ちにあうことはないのか、提訴にかかるコスト、お金と労力と時間をよく考えるべきだと思います。
 そういうと、「じゃあ、泣き寝入りですか。」という声が聞こえそうですが、そうではなくって、人の主張、表現活動に対しては、他方も一定限度は受け入れるべきであるという価値観があるということです。
 言論には言論でというのが法の立場だと思います。
 言論には訴訟で、というのはまったく例外的な場面であり、最後の手段だということです。
 

 昔、マンション管理会社がマンション住人を名誉毀損で訴えた訴訟の住人側の訴訟代理人をつとめたことがありましたが、訴える管理会社もなんだかなあと情けないような思いがしました。控訴審までいき、和解で終わりました。もちろん、住人側は一銭も支払わずです。管理会社側を「威嚇」するためには、反訴すればよかったのかな。でもそうすると泥沼。

 そもそも不合理を指摘されたらのなら、まず言論でもって反論、対抗すべきなのです。
 どういった反論が出来るのか、どういった反論をすべきかを検討することなく、 「名誉毀損として訴える」という時点で、いわば思考停止です。返り討ちにあうでしょう。
 
 もちろん、明らかにひどいものは別ですけどね。言論で反論しようのないものを誹謗中傷として、即、訴え提起というのもあり得ます。

(おわり)

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