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2009年8月 6日 (木)

刑事訴訟手続【松井】

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 裁判員裁判の制度が実施されていますが、それについて考えていたときにふと思ったこと。

 最後に刑事事件の弁護人をつとめ、法廷に立ったのはもう2年以上の前のことになります。
 「恐怖心」
 それまでは弁護士1年目のときから当番弁護の登録をし、国選弁護人の登録をし、ほぼ常に刑事事件も担当していました。
 そして当時、刑事事件の法廷に立っていたときに思っていたこと。

 否認事件はともかくとして、認めている事件では、初めて刑事事件の法廷で被告人席に立つ人はもちろん、そうでない人であっても、とにかくもうこの刑事裁判を最後にして欲しい、二度と刑事法廷に来るようなことはないようにという願いは、この有罪無罪、量刑を決める訴訟手続に関わる被告人以外の人、検察官、裁判官、そして弁護人の三者は皆、思いを一緒にしているであろうということでした。

 検察官や裁判官は、被告人に対し厳しい質問などをしたとしても、思いとしては、もう二度とここに戻ってくることのないように、再犯なんてことがないようにという思いは、弁護人と同じはずです。そういう思いなくして、刑事事件に関わることはたぶん出来ないと思います。私刑の場ではないので。

 今回の件で、被告人が刑務所で服役することになったとしても、出所してから、二度と犯罪に関わることなくその人生をまっとうして欲しい。
 そういう思いは三者三様ではあるけど、根底にそういった思いをもちつつ、皆、刑事訴訟手続の役割として、その務めを果たしているんだという思いがありました。
 私は弁護人として全力を尽くし、検察官は検察官として全力を尽くし、そして裁判官は裁判官として全力を尽くす。


 裁判員裁判官はどうなんだろうか、とふと思いました。
 
 今日、西天満界隈にある小さなパン屋さんに入ったところ、パン職人さんを叱責している声が聞こえました。
 「売り物のパンとお前が作りたいパンは違うんだ。作りたいパンは趣味のパンだ。趣味のパンは家で作ってくれ。店では、売り物のパンを作れ。店の材料で、趣味のパンを作るな。」
 たぶん、若い職人さんが研究熱心なあまり、ボスの許可を得ずに店の材料で売り物とは違うパンを作ったところ、ボスに見つかり叱責されていたのだと思います。
 パンを売るオーナー職人として、若い職人さんにプロとしての区別をするように解いていました。
 パンを選びながら、聞くともなくそのやりとりを聞いていました。

 仕事。
 若い職人さんはきっとパンが好きで、新しい美味しいパンを作りたかったのだと思います。
 しかし、そこは職場であり、仕事としてパンをその場で作っているわけです。
 仕事と趣味は違う。
 
 刑事裁判官は刑事の訴訟手続の裁判官を務めることが「仕事」です。
 「仕事」として行う裁判と、そうじゃない裁判。趣味の裁判なんてもちろんありえないけど。
 裁判員の人は、裁判を行うことが「仕事」ではありません。
 訴訟手続の中での自分の役割、務め、つまり「仕事」としての意識をもてるのだろうかとふと疑問に思いました。
 もちろん、「仕事」の世界に、「仕事」とは違う役割をもたせることが裁判員裁判制度の狙いなのでしょうが、そこで意図される、「差異」「違い」は、誰に、どこに、何のためにいいのか。
 「仕事」だけで割り切っちゃだめだということか、「仕事」以外の人を訴訟制度に参加させることによってどういうさらに良い点がありうるのか。
 ぼんやりと考えていました。

 裁判員の人たちは、この被告人が二度とこのような場にくることがないように、という思いを抱いて役割を果たされたのだろうか、どうなんだろうか。

(おわり)

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