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2009年8月

2009年8月30日 (日)

相続と相続債務と物上保証~無知の罪~【松井】

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 相続と金融機関というのは結構、密接な関係をもっていることが今でも多いようです。 平成10年前後くらいからよく見かけたのは、日本のバブル経済期、土地をいくつも持っているような資産家、富裕層に対し、誰がもちかけたのか、相続税対策になるということで、数億円単位の借入を敢えておこさせるというものでした。負債がない者、借入れをする必要もない者を敢えて借金漬けにするのです。
 では、借り入れたキャッシュはどうするのか。
 所有する土地の資産価値を低くするということで、借り入れたキャッシュでもって土地上に賃貸マンションを建築させるのです。
 そして、この賃貸マンションの賃料収入でもって、借入れの負債を返済していくのです。
 土地は賃貸マンションという新たな資産を形成し、結果、土地の評価額は低くなり、しかも負債が形成できているので相続税法上、計上できる負債も出来て、税額が低くなるという皆がハッピーなようなスキームでした。



 が、しかし。大きな大前提がありました。賃料収入でもって巨額の負債を返済し続けることが出来るはず、という大前提です。
 ところが、この大前提が平成3、4年から、大きく崩れてしまい、今に至っています。 この結果、相続が発生すると、月々の返済額に満たない賃料収入のマンションと巨額の負債が残されただけだったという事例をいくつか目にします。
 また建物は、メンテナンスがあってこその価値の維持であって、費用を投じて適切なメンテナンスがなされていないと、駅前の土地の本来、優良物件であっても、ゴーストマンションのようなビルとなってしまいます。テナント、賃借人が入らないのです。これで悪循環となります。 
 分譲マンションでも築後10年程度の大規模修繕の際、14階建て程度で数千万円はかかります。そのため、修繕積立金制度がとられ、毎月、各戸から数万円程度、徴収しているのです。
 マンション、テナントビルのオーナーはどうか。
 従前、それを本業とされていた方であれば、ノウハウがあります。しかしながら、唆されて収益物件所有に手を出したような方の場合、適切なノウハウもないままに素人が素人として所有、管理していたにすぎないという場合がままあります。
 ここでさらに、遺産分割を巡ってマンション、テナント物件所有を巡る熾烈な紛争があると、既存のテナントが解約して明け渡す際の保証金返還債務を巡ってもまた、訴訟になることもあります。
 そしてこんなことが起こると、次のテナントは入ってきません。
 まさに悪循環です。



 ここで問題となるのが、債務の承継です。
 遺言がなくて遺産分割として協議したとしても、それは第三者である債権者には対抗、主張できません。
 法律上、被相続人の債務はどうなっているか。
 借入の金銭債務である限り、相続発生時に、各相続人に対して、当然に法定相続分で分割されていると解されています。
 つまり、負債1億円、相続人が子A~Dの4人の場合、各自が2500万円宛の負債を当然に負ったことになるのです。
 
 では、この1億円の借入金について、この借入で建設したテナントビルの建物と敷地に抵当権が設定されていた場合、どういう関係になるのか。
 このビルをAとBの二人が共有し、代償金をCとDに支払うといった内容の遺産分割が成立したときにどうなるのか。



 最近、未だにこんな金融機関があるのかと驚愕し、これを他でも行っているとしたら、許されないのではないかと怒りすら覚えるようなことがありました。
 差し障りがあるので、多少デフォルメします。
 
 今回、敢えてここに書いて、言いたいことは、自身がとてつもない負債を負うかもしれないという様な事柄に関しては、近くの弁護士会では日々、法律相談を実施しているので、とにかく一度、弁護士、つまり法律が分かっている実務家に相談してください、ということです。

 例えば、上記のようなケースにおいて、被相続人に対して残高1億円を貸し付けていた金融機関は、抵当物件であるテナントビルを遺産分割によって所有することとなったAとBに対し、「所有者になったんだから」という理由でこの抵当権者である金融機関と「1億円の貸付けに対する連帯保証契約を新たにするように。」と要求していたのです。
 
 ええっ!!!???

 抵当物件を所有することになったことと、連帯保証契約を新たにすることとは何の必然性もありません。
 それをさも当然のように、「じゃあ、連帯保証契約を」と言ってきたのです。
 分からない人は、金融機関から要求されればそういうものかと思って、言われるがままに、何もよく分からないままに、出された契約書に署名押印をしていたことだと思います。
 
 しかし、法律上、AさんとBさんは、あくまで抵当物件を所有したに過ぎず、その限りにおいては、負債についての責任もその物件の限度額までという限界があるのです。物件の価値が8000万円だったとしたら、あくまでその範囲の責任であり、最悪はこの8000万円の土地建物を失えば、それ以上の責任追及を受けることはありません。
 また、相続した債務についても、先述のように、負債1億円なら、AさんとBさんは、各自2500万円宛の債務を負っていたに過ぎないことになるのです。
 それ以上のものでも、それ以下のものでもありません。

 ところがなんと。金融機関は、1億円の連帯保証契約を求めました。
 どういうことか。
 最悪、自己の財産を差し出して1億円の負債について責任を負うことになるのです。
 
 相続で、遺産分割で抵当物件を取得したからといって、そのような必要以上の責めを負う理由、必要性は一切ありません。
 
 これはひとえに、まったく金融機関のリスク管理の必要性だけなのです。
 相続人には何の対価もありません。
 
 平成21年、未だに金融機関はこんなことをしているのかと思うと、久々に怒りで体がカッとなる出来事でした。

 担当者は、絶対に、相続周り、さらには担保周りの法律を理解していません。
 「顧問弁護士にも相談したうえでのことか。そちらが何をやっているのか分かっていますか。」との問いに対しては、「支店長決裁です。」との返事。
 支店長も分かっていないのだと驚愕の事態でした。
 
 誰も、勉強していない。。。自分のやっていることの意味を分かっていない。。。だから、平然とやりたい放題のことが出来るのかと腑に落ちた思いもあります。
 金融機関における担当者の無知は、本当に罪だと思います。



 相続で多額の負債があり、金融機関と交渉するような事態となったときは、ぜひ一度、お近くの弁護士に相談してください。
 金融機関が自分に対しそれほど悪いことをするわけがないなんていうのは、いったい何の根拠に基づくのか、もう一度考えてみてください。
 そして、悩むような事態になったのであれば、弁護士に相談を。
 
 書類に署名押印してからでは、残念ながら手遅れのことが多いですから。

(おわり)


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撮影 yuko.k


2009年8月19日 (水)

入口を考えるなら、出口も考える  〜マンション電気高圧受電契約と友情婚〜【松井】

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 ある契約をしようかどうしようかというとき、通常、やはりその「効果」に目を奪われがちです。

 婚姻なら、婚姻したことによりどのような効果が生じるのか。
 法律上互いに「配偶者」という立場になり、法定の権利義務が生じます。
 そのことを望み、当事者は、一つの法律行為として「婚姻」届を提出し、婚姻します。

 また、マンション管理組合であるなら、この「契約」をしたら電気代がこれまで関電に支払っていたよりも毎月数パーセント安くなる、というのであればその「効果」を望み、「契約」します。
 
 もちろん、法律行為をするからには、法律効果を狙うものであり、こういった「効果意思」というものが必須とされています。
 
 この「効果」に対して、どういう「対価」が必要なのか、ということも一般には検討します。

 「婚姻」したことにってどのような「対価」が必要なのか。法律上、配偶者に対していろいろな義務が生じます。
 マンション管理組合でいうなら、各住戸が支払う毎月の電気代が安くなることに対して、いくらその会社に支払うことになるのか。結局、その会社は、高圧電力契約によって関西電力に支払う単価が安くなる電気代と住人からの支払いを受ける「電気代」の差額で儲けになって、それが管理組合がその会社に支払う「対価」となります。

 自分が得られる「効果」と自分が支払うその「効果」に対する「対価」「義務」については、検討します。


 しかし、契約を締結するかどうかというときに、もう一つ、さらに大事なことがあります。
 契約を解消するときに、どのような負担が、手続きが必要となるかの確認です。

 これの検討が本当は一番大事なのではないかと思います。
 なぜって、皆、忘れがちだから。

 しかし、業者は考えています。がっちりと一度その手を握ったら離さない、契約を解消されても自分の方だけは損しないようにうまく契約書に条項をもぐりこませています。
 
 また、「婚姻」についていえば、「婚姻」をするときに二人が別れる日がくるなんてことを想定してその際にどうするかというシミュレーションをする人は、ことの性質上、まず多くはいません。
 なので、「解消」するとき、「離婚」するときのこと、そのときにどういうことが問題となるか、手続きはどのようなものなのかということまで考えて「婚姻」することは少ないと思います。

 でも、入口を見て、入ろうかどうしようか悩むときは、出口も考えておいてください。
 出口からの脱出が困難なことが分かれば、それでもあなたはその「効果」「対価」だけを考えて、契約しますか?ということです。


 マンション管理組合において、他の「電力」会社と契約して、関電との電気供給契約を変更して各住戸の低圧受電の契約から管理組合として一括で高圧受電の契約とし、各住戸への供給の管理をその「電力」会社に委託することによって、結果、各住戸が支払う電気代を安くするかどうかということが検討されていました。
 同種企業が4社ほどあり、各社の担当者からの説明を受けたり、質問状、要請書を出すなどして、「入口」、契約をするかどうかということを検討してきました。
 結果、見送ることとしました。

 なぜか。
 各社一様に、契約期間が10年間だったからです。
 理由は、高圧受電をするには、現在使われている関電の設備を入れ替えて、その業者が用意した受電設備に入れ替える、その設備費用の消却期間が10年だから10年は契約し続けてくれないと困る、というものでした。
 「知るか、そんなこと」、というのが消費者の声でしょう。
 たとえば、業者の対応が思いのほか悪かったとき、あるいは他に安い電気の契約形態が関電から提供されたとき、「出口」、「解除」「解約」を考えます。 
 このとき、スムースにいくのだろうか。解除、解約したら、その業者は、入れた受電設備を撤去します。その費用負担はどうなるのか。業者に責めのある解除を主張しても、スムースに業者がそれを受入れるのか。
 そんなことを考えたら、初めて取引する相手方の業者と、始めからいきなり、10年の長期契約なんてできません。
 せいぜい2年契約で、更新するかどうかです。
 マンション管理会社との契約でも、2年契約で、自動更新条項はアウトとされています。

 にもかかわらず、各社一様に10年間の契約を主張し、結局、一歩も譲られませんでした。
 消費者がする契約で、10年以上の契約なんて住宅ローンくらいです。それも、最初にお金を借りたら、あとは返すだけという単純な内容。
 それをライフラインに関する電気に関して、どのようなトラブルが発生するか分からない未知の要素が多い中で、いきなり10年。
 
 契約は、無事に見送られました。


 「婚姻」でも、同じです。
 婚姻なんかは、期間の定めがありません。
 そんな契約を、会ってからまだ数か月でよく分からない相手と普通は、しません。
 それを「効果」だけに目を奪われ、「出口」を考えずに「入口」から入ってしまうと、あとで後悔することにもなりかねません。
 こちらが別れたいと思っても、相手が嫌だといったときにどうなるのか、どのような手続きが必要なのか。
 また、お互い、別れようということになっても、相手から法外な財産的要求をされた場合、どのように対応せざるをえないのか、どのような手続きが必要なのか。
 
 便宜上の「婚姻」として、「友情婚」と言われるものがあるようですが、よく「出口」を見据えたうえで、理解して納得して、それでも「入口」をくぐるのか、よくよく考える必要があると思います。

(おわり)
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2009年8月11日 (火)

パワハラ【松井】

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*大橋。法律事務所経営者としての苦悩の表情。嘘。単に肉が焼けるのが遅かったこの日。大橋は、労働者側の弁護活動をガッツリとしています。 
 私は、経営者側にシンパシーが。。。それはやはり育った環境が大きいかとつくづく思う、このごろ。


 パワハラ、パワーハラスメントという言葉をよく目にする、耳にするようになりました。
 ここは、大橋の得意分野かもしれませんが、ふと考えたのでメモがてら書いて載せておきます。


 ときどきこのブログでも書いているように、実家は、両親共働きのハンコ屋さんでした。
 おじいちゃんの代から始めた店で、父は二代目でした。
 四日市駅前のアケード通りの商店街の中、店舗兼住居で店をしていました。1階が店舗兼作業所、2階が住居です。 
 しかし、よくある言い回しで、「一代目が築き、二代目が広げ」とあるように、父の代で、昭和50年代、あちこちの郊外で出来たジャスコなどのショッピングセンター内に店を出しました。
 なので、自宅は、「本店」と呼ばれ、あとは「カヨー店」「生桑店」「サンリバー店」などと呼ばれ、両親だけでなく、何人かのパートさんや正社員の方を雇って経営していました。
 
 で、見るともなく、聞くともなく、両親、特に実際に経営をしきっていたのは母の方なので、母の経営上の愚痴のようなものを見て、聞いて育ってしまいました。

 「本店」と呼ばれる店にも、従業員の方が当時は、3、4人働いていて、ほとんどが女性でした。
 そのような中、あるとき、新しい人を雇っても、数か月もせずに辞めていく、おかしい、おかしいと母がぶつぶつ言っていたことがありました。
 で、調べて行くと、昔からいた一人の従業員の人と新しい人が「合わず」に辞めいっていたようだということが分かったようです。
 要は、新人イビリ、イジメ、嫌がらせ行為があったようで、新しく働き出した人も見切りをつけて辞めていっていたようでした。「本店」といっても、店舗兼住宅の1階で、店舗と作業場だけなので、狭い空間です。そんなところで、嫌がらせを受けたら、逃げ場がなくって耐えられなかったと思います。
 
 これではなかなか次の人材の補充ができません。従来からいる人も貴重な戦力ではあっったのでしょうが、その人一人のために、店そのものの作業の効率が落ちるということは許容できることではありませんでした。
 
 なんとかしないといけない。
 
 で、母がとった行動というのは。
 その問題と思われる古株の人と直で話をして、事実関係を確認し、最後通牒を突きつけるというものでした。
 貴方が変わってもらわないと困る、変わらないのなら辞めて欲しい。
  

 解雇するにはそれなりに理由がいるし、イヤだといっているのに退職を強要することは違法だけど、でも、町のせいぜい10人以下の会社って、切羽詰まっています。
 その後、どうなったのかまでは私も記憶がないけど、経営者もいろいろと決断を迫られ大変だという記憶が残っています。

 パワハラといわれるものも、経営者の力量が試されている一つの機会に過ぎないと思います。
 その経営者がパワハラだと指弾されると、もうやりきれない思いがするけど。
 ただ、今時、注意して改善を求めたら、パワハラだと言われたりしかねないかと。

 そういうこと問題にエネルギーを吸い取られないようにするためには、やはり最良の人材を採用することに全力を注ぐことだと思います。
 10人、100人規模の会社になるとそうは言ってられないとも思いますが、そうであるなら、ハラスメントを許さない、無駄なエネルギーを使わなくてすむ職場の雰囲気作りということに力を注ぐしかないかと思います。

 どこで経営者としてのエネルギーを使うか。

 そういう点、実家の母は、零細商店のおばちゃんであり、そんなこと考えることもなく、単刀直入に行動できてまだ幸せだったのかなと思います。

 そんな実家の店舗でも、やる気がない、店を任せられないと辞めてもらったパートの人が労働基準監督局に駆け込んであたふたとしたりしたこともあるようです。
 零細企業では、人材って本当に死活問題です。
 売上にもろに反映するので。
 やる気のない人を店頭で接客あたらせるだけで、店舗の売上げが上がらないだけでなく、むしろ悪評がたって損害を及ぼしたりします。
 ほかにまわす場所がなかったら、もう仕方ない、即刻辞めて欲しいというのが本音であって当然だと思います。
 金融機関でも、銀行、信金など、規模や種類に応じた監督基準があるように、使用者側に対する規制も大企業用、中小企業用、個人企業用の区分があるべきなのではないだろうかと考えたり。大橋に言ったら怒られそうですが。
 

 要するに、考えたことは、「パワハラ」の問題って、中小零細企業では死活問題と捉えた方がいいんだろうなということです。経営者の責任です。
 
 ただ、経営者が自ら本当に、パワハラとして、理不尽な扱いをするようだったら・・・?

 そんな職場で、経営者個人に変革を求めるなんて無駄でしょう。
 それこそさっさと転職するのが現実的かつ最も前向きな問題状況解決策だと思います。法的に許されるかどうかなんて議論はおいておいて。

 うーん。
 いまいち、まとまりにかけるメモだけど、これはこれとして。備忘録的に。ぼんやりといろいろと考えたこととして。

(おわり)  
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2009年8月10日 (月)

相続と株式〜理想と現実〜【松井】

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 判例時報平成21年6月11日号(2037号)です。
 自分用にここにメモ。
 相続と株式。
 大阪高裁H20年11月28日判決。上告受理申立てをしたけど、不受理で確定しているようです。
 「共同相続人が相続し、共有状態にある株式に関する権利行使者の定め、株主総会における議決権行使が権利の濫用に当たり、許されないとされた事例」。
 この件については、以前も当ブログで呟きました。
 「株式会社と相続と株式」
 これは結構、手続の適正も絡んで重要な裁判例ではないかと考えています。


 事案としては、交渉協議段階から双方、代理人弁護士が就いていて、そのうえで相続後の会社の経営権を巡る株主としての多数派工作の争いがあったというものです。
 当時の代理人弁護士がそのまま訴訟代理人になっているのですが、一方当事者が行った手続きを問題視されたものであるため、原告被告の当事者名は、株式会社甲野、あるいは乙山春雄などと匿名であっても、訴訟代理人名はそのまま掲載されるところ、「被控訴人ら訴訟代理人弁護士」として「丙山五郎」「丁川六郎」と匿名にされている点がちょっと物悲しい判決です。

 事件名は、「総会決議存否確認請求控訴、同附帯控訴事件」です。
 Y株式会社の創業者Aさんが亡くなり、まもなく配偶者の奥さんBも3人の子どもを残して亡くなりました。ただ、子どものうちの一人Cの配偶者DとこのAさん夫妻は養子縁組みをしており、相続人は4名となりました。
 ただ、この奥さんは、遺言を遺しており、自分の財産は、この実子Cと養子Dの二人には一切相続させず、他の2名の実子X1とX2に全部相続させるという遺言でした。
 Y社の株式は、発行済株式総数3万株、うちAが9700株、妻Bが2500株、実子X1が1250株、X2が1750株等という状況でした。
 結果、Y社の株主の状況は、Aが保有した株式については、X1とX2とで、各3/8、C、Dが各1/8という状況でした。
 珍しくはないケースで、C、D 対 X1、X2とで、紛争が勃発し、Y株式会社の経営支配を巡っても紛争の火種は飛び火したというのが本件のようです。
 訴訟としては、このAが保有した株式の準共有状態と権利行使者の指定、そしてY株式会社の株主総会での議決権行使というカタチで争われました。


 高裁の判断です。
 

「株式会社の株式の所有者が死亡し複数の相続人がこれを承継した場合、その株式は、共同相続人の準共有となる(民法898条)ところ、共同相続人が共有株式権利を行使するについては、共有者の中から権利行使者を指定しその旨会社に通知しなければならない(会社法106条)。この場合、仮に準共有者の全員が一致しなければ権利行使者を指定することができないとすると、準共有者の一人でも反対すれば全員の社員権の行使が不可能になるのみならず、ひいては会社の運営に支障を来すおそれがあるので、こうした事態を避けるために、同株式の権利行使者を指定するに当たっては、準共有持分に従いその過半数を持ってこれを決することが出来るとされている(最高裁平成5年(オ)第1939号同9年1月28日第三小法廷判決・集民181号83頁、最高裁平成10年(オ)第866号同11年12月14日第三小法廷判決・集民195号715頁参照)。」

 
 
「もっとも、一方で、こうした共同相続人による株式の準共有状態は、共同相続人間において遺産分割協議や家庭裁判所での調停が成立するまでの、あるいはこれが成立しない場合でも早晩なされる遺産分割審判が確定するまでの、一時的ないし暫定的状態に過ぎないのであるから、その間における権利行使者の指定及びこれに基づく議決権の行使には、会社の事務処理の便宜を考慮しても受けられた制度の趣旨を濫用あるいは悪用するものであってはならないというべきである。」
 「そうとすれば、共同相続人間の権利行使者の指定は、最終的には準共有持分に従ってその過半数で決するとしても、上記のとおり準共有が暫定的状態であることにかんがみ、またその間における議決権行使の性質上、共同相続人間で事前に議案内容の重要度に応じしかるべき協議をすることが必要であって、この協議を全く行わずに権利行使者を指定するなど、共同相続人が権利行使の手続の過程でその権利を濫用した場合には、当該権利行使者の指定ないし議決権の行使は権利の濫用として許されないものと解するのが相当である。」


 本件では、結局、この権利行使者の指定の手続きがマズかったとして、それは権利の濫用とされてしまいました。
 曰く、

「被控訴人らにおいてわずか400株の差で過半数を占めることとなることを奇貨とし、控訴人の経営を混乱に陥れることを意図し、本件抗告審決定で問題点を指摘されたにもかかわらず、権利行使者の指定について協同相続人間で真摯に協議する意思をもつことなく、単に形式的に協議をしているかのような体裁を整えただけで、実質的には全く協議をしていないまま、いわば問答無用的に権利行使者を指定したと認めるのが相当である。」

 事案としては、一方的にFAXを送りつけて、一方的な要求を突きつけ、明日の午後5時までにこれを受諾するか否か「のみ」の返事をFAXでしてこいとした方法が評価されてのことのようです。


 数人の弁護士と定期的に行っている勉強会で、この裁判例について話をしました。
 裁判所がいうのはもっともだ、条文の趣旨をよく吟味している立派な判決書だ。
 
 ただ。
 自分が実際、このような当事者間の紛争の代理人となった場合、「真摯に協議」する「場」「手続」をとるというのはちょっと難しいよねということで意見が一致しました。
 法律事務所などで一同に解したら、荒れるのが目に見えています。
 じゃあ、どこかの会議室を借りて一同に集まるのか。
 暴れだされたり、殺傷事件が起こる危険性を裁判官は分かっていないよね、と皆でうなずきあいました。
 方策としては、今回、ダメだったのは、FAX送りつけて翌日5時までにという期間の短さがダメだったのではないか。この点、何も一同に会して協議をとまではいかなくて、余裕のある協議を書面ででも積み重ねたら違ったのではないかということになりました。
 どうなんでしょうか?

 裁判所は、権利行使者の指定のための手続きとしては、やはり対立関係にある当事者が、一同に会しての実質的な協議が行われることを求めているのでしょうか。
 それは。。。血の目を見ることもおそれぬ怖さがあります。実際のところ。。。
 それほど、親族間の対立、会社経営を巡るものは深刻なものが少なくはありません。
 集まるにしても、人目のあるところか、万が一の事態にそなえて警備員などの準備ができるところでしょうね。
 
 理想を語る裁判官と、現実を知る弁護士との温度差が分かる裁判例でした。

(おわり)
  
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2009年8月 6日 (木)

刑事訴訟手続【松井】

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 裁判員裁判の制度が実施されていますが、それについて考えていたときにふと思ったこと。

 最後に刑事事件の弁護人をつとめ、法廷に立ったのはもう2年以上の前のことになります。
 「恐怖心」
 それまでは弁護士1年目のときから当番弁護の登録をし、国選弁護人の登録をし、ほぼ常に刑事事件も担当していました。
 そして当時、刑事事件の法廷に立っていたときに思っていたこと。

 否認事件はともかくとして、認めている事件では、初めて刑事事件の法廷で被告人席に立つ人はもちろん、そうでない人であっても、とにかくもうこの刑事裁判を最後にして欲しい、二度と刑事法廷に来るようなことはないようにという願いは、この有罪無罪、量刑を決める訴訟手続に関わる被告人以外の人、検察官、裁判官、そして弁護人の三者は皆、思いを一緒にしているであろうということでした。

 検察官や裁判官は、被告人に対し厳しい質問などをしたとしても、思いとしては、もう二度とここに戻ってくることのないように、再犯なんてことがないようにという思いは、弁護人と同じはずです。そういう思いなくして、刑事事件に関わることはたぶん出来ないと思います。私刑の場ではないので。

 今回の件で、被告人が刑務所で服役することになったとしても、出所してから、二度と犯罪に関わることなくその人生をまっとうして欲しい。
 そういう思いは三者三様ではあるけど、根底にそういった思いをもちつつ、皆、刑事訴訟手続の役割として、その務めを果たしているんだという思いがありました。
 私は弁護人として全力を尽くし、検察官は検察官として全力を尽くし、そして裁判官は裁判官として全力を尽くす。


 裁判員裁判官はどうなんだろうか、とふと思いました。
 
 今日、西天満界隈にある小さなパン屋さんに入ったところ、パン職人さんを叱責している声が聞こえました。
 「売り物のパンとお前が作りたいパンは違うんだ。作りたいパンは趣味のパンだ。趣味のパンは家で作ってくれ。店では、売り物のパンを作れ。店の材料で、趣味のパンを作るな。」
 たぶん、若い職人さんが研究熱心なあまり、ボスの許可を得ずに店の材料で売り物とは違うパンを作ったところ、ボスに見つかり叱責されていたのだと思います。
 パンを売るオーナー職人として、若い職人さんにプロとしての区別をするように解いていました。
 パンを選びながら、聞くともなくそのやりとりを聞いていました。

 仕事。
 若い職人さんはきっとパンが好きで、新しい美味しいパンを作りたかったのだと思います。
 しかし、そこは職場であり、仕事としてパンをその場で作っているわけです。
 仕事と趣味は違う。
 
 刑事裁判官は刑事の訴訟手続の裁判官を務めることが「仕事」です。
 「仕事」として行う裁判と、そうじゃない裁判。趣味の裁判なんてもちろんありえないけど。
 裁判員の人は、裁判を行うことが「仕事」ではありません。
 訴訟手続の中での自分の役割、務め、つまり「仕事」としての意識をもてるのだろうかとふと疑問に思いました。
 もちろん、「仕事」の世界に、「仕事」とは違う役割をもたせることが裁判員裁判制度の狙いなのでしょうが、そこで意図される、「差異」「違い」は、誰に、どこに、何のためにいいのか。
 「仕事」だけで割り切っちゃだめだということか、「仕事」以外の人を訴訟制度に参加させることによってどういうさらに良い点がありうるのか。
 ぼんやりと考えていました。

 裁判員の人たちは、この被告人が二度とこのような場にくることがないように、という思いを抱いて役割を果たされたのだろうか、どうなんだろうか。

(おわり)

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