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2009年6月

2009年6月27日 (土)

ついったー【松井】

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*江戸時代から続くという明石の太陽酒造さん。今も使われている当時からの道具!

 先日、朝日新聞で「ついったー」が紹介されていました。twitterなるサービスがあるのは知ってはいましたが、何が面白いのかいまひとつ分からず、食指も動きませんでした。
 しかし、ホワイトハウスやオバマ大統領のついったーがあるというをその記事で知って、情報ソースとして重要な位置づけなんだろうかとようやく興味を示し、始めてみました、ついったー。


 ついったーは、shiology ブログで有名な成蹊大学の法学部の教授、塩澤一洋さんがそのブログの端に載せていたので知っていたので、まず最初は、shioさんを follow しました。
 そして、shioさんを通じて知り合った若い!とても素敵な写真を撮る友人のerinabonさんをfollow。
 そして、そして。ネット界をフラフラとしていていると、意外と多くの方々がついったーを利用しているのを知りました。
 ホリエモンことライブドア元社長の堀江さんのついったーもありました。
 そして、ホワイトハウスやオバマ大統領があるなら当然あってもよいはず、日本の国会議員のついったーも見つけました。

 そんな時代なんですね。
 情報発信、情報流通。
 憲法21条を思い出します。
 なぜ「表現の自由」の保障が大事なのか。国が情報の検閲をしたり、国家権力が国民の表現の自由を制約することがなぜ基本的に駄目とされているのか。
 受験生チックなキーワードでいくと、自己実現と自己統治のためといわれています。
 自己統治。

3 
 昨日、中華料理屋さん(その名も「双龍居」!「双龍ラーメン」がありました!!)で見かけたテレビニュースでは、中国では、政府が、販売されるPCに情報閲覧規制のソフトを始めからインストールするように言ったとかいうニュースが報道されていました。そこで片言の日本語を話すマスターは熱心にそのテレビニュースをみていました。

 情報の流通が国によって規制されたなら。
 国は、具体的には政府の構成員となっている人たちは、批判の対象となる人たちは、批判を恐れて、都合の悪い情報は流通しないように規制するだろうという歴史的な経験を踏まえて、情報流通の自由が定められています。
 いかなる情報が流通するのか、そこに良い情報、悪い情報の色を付けることを許さないということです。
 それは、その情報を受け取る人が判断することだということです。
 

 イランの選挙後の動きでは、情報流通手段としてtwitter が大活躍したという報道もありました。
 日本でも、国会議員がHPをもち、メールを定期的に送る、ブログを書くといったことは普通になっている面もありますが、ついったーですよ、ついったー。
 速報性がブログとは違います。
 140文字の短文です。
 限られた字数だからこそ伝わる臨場感といったものもあります。

 自分は今、すごい世界に生きているんだと改めて驚きました。
 100年前、200年前、こんな統治スタイルにこんなツールが考えられたのだろうかと。
 でも、なんのための情報流通の保障かといえば、それはよい統治が行われるため。
 じゃあ、よりよい統治って何なのか。

5  
 最近、「幸せのちから」というアメリカ映画のDVDをみました。実話に基づく話。ウィル=スミス親子主演。
 5歳の子どもがいながらにホームレスになってしまった男性がどう生きたかが描かれていました。


(すみません、アマゾンにリンクするよう表紙だけを表示させるにはどうしたらいいのか分からず。わたしは買わずにツタヤディスカスで借りましたので。)
 
 原題は、アメリカ合衆国の独立宣言文の一文から。
 「The pursuit of happyness 」
 「happiness」ではなく、なぜ「happyness」なのかは映画をみてのお楽しみとして。

 映画の始まり、主人公がこんなことを呟きます。
 独立宣言で、幸せについては、なぜ幸せが保障されているわけじゃなくて、幸せを追い求める権利になってんだろ、と。haveじゃなくて、なぜpursuit なんだろうかと。
 よりよい世の中というは、幸せになることを国からじゃまされないということなんだろうと思います。
 日本国憲法では、13条で、幸福追求権といわれています。
 「生命、自由及び幸福追及に対する国民の権利」と。
 
 そのための表現の自由。
 流通する情報をどう生かすか、生かさないか。
 その人次第です。
 それが、個人の尊重であり、自己統治。
 
(おわり)
あ、先週の上野千鶴子教授の講演は面白かったです。髪の毛、赤かった。 
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2009年6月17日 (水)

企業倒産【松井】

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 私が司法試験受験生のとき、受験科目は、憲法、民法、刑法、商法が必須で、あとは民事訴訟法選択か、刑事訴訟法選択、そしてもう1科目は、破産法、労働法、刑事政策、国際私法、国際公法などから1科目選択するというものでした。
 私は、民事訴訟法選択の破産法選択でした。
 王道でした。
 しかし、最終合格するまでの過去2年間は、破産法のG評価(AからGで、最低評価。)で足を引っぱり、泣いていました。G評価が一つでもあると絶対に合格はできませんでした。このGのために2年間、最終合格が遅くなりました。

 なぜ破産法が2年連続、G評価だったのか。模試では破産法は得点源でした。しかし、本番では通用していませんでした。いわゆる論点主義だったからです。論点主義で模試では点がとれるけど、本試験では論点主義では足下すくわれていました。それに気づいて、最後の1年は破産法の勉強法を他の科目と同じように、条文から考えられるように訓練しました。破産法だけ、模試で点が取れていただけになめていたのです。


 そんな私の中では、苦い思い出とともにある「破産法」。
 弁護士として働きだしたら、必須の法律でした。破産法を勉強していてよかったと心から思いました。

 借金を返せない、取引先への支払いが出来ない、手形の不渡りをだしてしまう、そういった中小企業の経営者の方からの相談。
 あるいは、取引先からの支払をあてにしていたのに、破産しますすという弁護士からの通知が来た、あそこがもうすぐ不渡りを出すという噂があるけど、なんとか回収できないのか、といった相談。
 平成11年に弁護士登録して以降、今に至るまで、企業倒産に関する相談は常にあります。

 そして経営者の方からの相談はそれぞれ悲痛なものがあります。
 
 ただ、もう会社として金が回らない、事業を継続できる見込みがないというようなときは、倒産する企業側はもちろん、そこを取引先とする企業においても、破産法上は、基本的にはもう何の手出しもできません。ロックがかかっています。

 倒産する方は、粛々と倒産に向けての、裁判所に破産申立をするための資産整理を出来る限りしていくだけで
す。そうして集まったお金は、弁護士への費用や裁判所への予納金として使い、残りは破産管財人に引き継ぎます。管財人において、後日、配当という形で債権の数パーセント程度の金額を全破産債権者に平等に支払います。

 また、取り立てる側においても、相手方の資産の仮差押えだ、訴訟だとしても、破産手続き開始決定が出れば、基本は破産手続きが優先します。
 また、債権回収に熱心なものはそうでないものよりも保護されるのは当然だとしても、いわゆる危機時期に至っては、「債権者平等の原則」というものが威力を発揮し、抜け駆け的な取立てをしても、後日、破産管財人からは「弁済の否認」を受けて取り戻されることもあります。
 なので、多くは、なす術がありません。

 債権回収をというのなら、早め早めに担保をとっておくというのが最も効果的だと思います。抵当権者は、破産手続きにおいても別扱いをされますので。本当に倒産かもとなってから担保をとっても、これもまた管財人から否認されることがあります。


 企業倒産に関しては、申立人代理人をすることもあれば、裁判所に選任されて破産管財人をすることもあります。
 どちらにしても、正直なところ、せつない気持ちになります。
 企業経営者の方、経営と法律の知識をもって、足下をすくわれることなく事業を継続して行って欲しいと思います。そこには、顧客はもちろん従業員の方々の生活がかかっています。
 そして。
 経営に失敗して、多くの方々に迷惑をかけたとしても、個人については経済的再起更正が破産法の「免責」の趣旨です。
 倒産したからといって人生が終わりになるわけではありません。
 たくましい経営者の方は、破産手続き中であるにも関わらず、また新たな事業を始めようとしたりしています。
 やる事業、やる事業、ことごとく失敗しつづけて、それでも挑戦しつづけて、50代になってから始めた事業が大当たり。
 確か、マクドナルドの創業者だったか、ケンタッキーの創業者だったかの話です。
 気持ちを鼓舞して、また前を見て次へと向って歩んでいって欲しいと思います。
 こんな私がいうのも何ですが。
 
 ただ、まあ、私も、依頼事件が無事に成功して終了し依頼者の経済的利益が確保され、成功報酬を請求したら、依頼者の方から踏み倒された、あるいは値切られたというようなことがあったらと想像すると、怒り心頭にはなります。
 それでも、破産しますと言われたら手も足もでませんので。諦めるしか仕方ありません・・・。ただ、そのときでも確かに、「ご迷惑をおかけして申し訳ありません」という一言があるかないかは大事なんでしょうね。

(おわり) 
  
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2009年6月11日 (木)

裁判員裁判の法廷【松井】

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 ついに裁判員裁判として刑事手続が行われて行きます。
 数年前から、検察庁、裁判所、弁護士会の三団体が協同して、模擬裁判というのが実行されてきました。
 一定のシナリオに基づいて、実際の裁判員裁判のように手続きをすすめて判決に至るというものです。
 裁判員役は一般公募だったり、検察官、裁判官、弁護士、あるいは新聞記者の人が務めたりなどなど。
 法律が施行されたいまもなお、模擬裁判が実施されています。


 大橋は自ら名乗りを上げて、先日、模擬裁判の弁護人役をつとめてきました。
 公判前整理手続から実際にやっていきます。
 そして先日、法廷での場面となりました。
 使われた法廷は、大阪地方裁判所内にある実際に裁判員裁判で使われる法廷でした。
 1階にあります。
 弁護士は傍聴ができるというので、ほんの30分ほどでしたが傍聴をしてきました。


 初めて見た、裁判員裁判で使われる本当の法廷。
 裁判官席には3名の黒い法服の裁判官だけではないというのが新鮮でした。
 また、各テーブルにはモニターが備え付けです。
 ずらっと並んだ裁判員役の人々。
 
 私が傍聴したのは、検察官からの冒頭陳述からでした。
 検察官は本当の検察官で、男女ペアです。
 しかもさわやか系美男美女。
 女性の検事が立ち上がります。
 最初の一言に、ひえーっ!となりました。

 「皆さん、おはようございます。」

 検察官が、朝の挨拶をしています。普通のことなんだけど、愛想のいい検察官なんてそうそういないので、この挨拶に驚き!
 
 そして始まった冒頭陳述。
 難しい言葉を普通の分かりやすい言葉に言い換えていきます。
 なるほど〜と思いました。
 気配りを感じます。


 一方、弁護人側。
 これも張りのある声で明瞭に、伝えたいポイントだけを聞いて分かるように伝えています。
 ぼそぼそと何をしゃべっているのか分からない、書面にかいてあることを声に出してぼそぼそ言っているだけのものとは違いました。
 このとき対する弁護人側の主任弁護人役の方は、年配のどっしりした感じのベテラン男性弁護士。
 若い女性検察官というのとは対極にあって、なかなか面白い印象をうけました。
 対応して見た目を見ると、どっしりした感じの方が安心感を与えるように思えます。
 若ければいいというものではないなと。あくまで与える印象についてのものですが。


 で、裁判長。
 あっ! 以前、私が私選で刑事弁護を担当したときの3人の裁判官の部長だ!という方でした。
 あのとき、最初、冴えない感じだなと思っていたのですが、結果オーライで、事実認定を争った事件でこちらの主張を認め、強盗殺人未遂から傷害と窃盗に認定落ちを認めてくれた裁判官です。
 あのときも被告人は、自白調書を検察官にしっかりととられていましたが、法廷での供述を認めてくれました。
 で
 、あのときの裁判長はどんな風に振る舞うのかと傍聴していると、「あまり変わってないじゃん」というものでした。
 分かりやすく説明しようと言葉をいっぱい使っているのですが、言葉多すぎて、だんだん眠気を催しました。
 

 ここで休憩になったので事務所に戻りました。
 傍聴しながら思ったこと。

 弁護人の立場からすれば、判断する人が3人じゃない安心感、裁判官だけじゃないという安心感がありました。
 もし事実を争うような場合、これだけの人数がいたら、以前の3人の裁判官だけのときよりは弁護人の主張に耳を傾けてくれる可能性が高くなるのではないだろうかということでした。
 以前、検察官の方と話をしていたとき、裁判員裁判になったら量刑は軽くなっていくだろうといったことを仰るのを聞き、そういうもんかなとしか思っていなかったのですが、今回、模擬裁判ですが、法廷の空気を感じてみると、確かに、刑事手続において、検察官 VS. 弁護人/被告人 という対立関係からしたら、今まで、裁判官はどちらかというと弁護人/被告人に対して厳し目であったのではないかと思えるところ、裁判官以外の人が裁判に加わるということは、どちらかというと弁護人/被告人にとってメリットかなという風に感じました。
 裁判員裁判、たぶん一番、激変を強いられるのは裁判官だと思います。
 そういう点では、これは期待のもてる制度かなとは思います。

 ただ、いずれにしても裁判の目的は何なのか、刑罰は劇薬であるという認識が不可欠だとは思います。
 冤罪が許されないのはなぜなのか、窃盗事件の被告人に死刑が科せられないのはなぜなのか。 
 刑事裁判は劇薬処方のための手続きです。誤審は許されないという価値観が大前提です。
 そのために「刑事訴訟法」という厳格な手続きが要請されています。人類の歴史上の一つの知恵の所産です。
 そこに一石を投じる裁判員裁判制度。制度は目的のための手段です。刑事裁判の目的は何なのか。

(おわり)
 
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2009年6月 6日 (土)

準備書面 【松井】

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石屋川にある「高麗」。ネギ塩タン!!

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 訴訟になったら、原告にしても、被告にしても、「準備書面」という書面を書いて、主張のやりとりをします。
 これって、訴訟代理人をつとめる弁護士にしたら、これが「勝負球」というもの。この文章がどういうものかで、弁護士の能力、品格?がわかるというものです。
 
 そこで、今回は、準備書面の位置づけをちょっと説明してみたいと思います。
 弁護士にしたら日常茶飯事で空気のような言葉「準備書面」であっても、訴訟の当事者の方にしてみたら、弁護士から一応、説明は聞いていても、今ひとつピンとこないこともあるかもしれないので。



 訴訟手続については、きっちりと民事訴訟法という法律や規則で定められています。

 ちなみに刑事手続きに関する刑事訴訟法、規則はもっと厳しいです。「法廷における裁判官の行動はすべて、なんらかの規定に基づいているから、どの規定に基づくか考えて毎日の法廷を傍聴したらいいよ。」と司法修習時代、知り合いの裁判官の方に言われ、そういう視点で刑事裁判官を見ていたら、確かにそのとおりでした。
 またちなみに、検察修習でいうなら、検察官がどういう点に配慮して、あるいはテクニックを凝らして、調書をとっているか、裁判で使える調書にしているかを注意して見てみると、弁護士になってから非常に役立つと思います。これが検察官の調書の任意性、信用性のとりかただ!というテクニックがありました。弁護士になってから、当時の指導検察官に、「こんなテクニック使ってましたよね。」と言ったら、「そんなこと教えたか!?」とちょっと慌てていました。修習生に対しても秘密だったのでしょうか・・・。


 で、話し戻って、民事訴訟法。


 87条1項 

当事者は、訴訟について、裁判所において口頭弁論をしなければならない。

 ちなみに、憲法82条1項では、

「裁判の対審及び判決は、公開法廷でこれを行ふ。」
とあります。
 裁判の公開です。もしこの条項がなかったら・・・。暗黒裁判!?


 民事訴訟法、民訴法に戻って。

 148条 

口頭弁論は、裁判長が指揮する。

 
 そして、161条。
 
1項 口頭弁論は、書面で準備しなければならない。
 2項 準備書面には、次に掲げる事項を記載する。
   一 攻撃又は防御の方法
   二 相手方の請求及び攻撃又は防御の方法に対する陳述
 3項 相手方が在廷していない口頭弁論においては、準備書面に記載した事実でなければ、主張することができない。

 
 ここで、「準備書面」が出てきますね。

 
 口頭主義という原則がありますが、実際の日本の裁判では、書面主義です。いくらその場でいろいろと言ってやりこめることがあっても、書面に書いてあってなんぼの世界です。
 口で言ったことは残りません。その場に複数のものがいたら、その記憶は人それぞれ。まさに藪の中。
 それに対して、書面はそのまま残ります。そのまま、複数のものの間でそのものが情報として残ります。変容しません。
 書いたことは、残ります。
 それが、準備書面です。



 訴訟当事者の依頼者の方にしてみれば、弁論準備手続など、あるいは口頭弁論などにおいて、公開の法廷であるからこそ、主張を口頭ではっきりと主張し、相手方にぶつけ、「ぎゃふん」と言わせて欲しいと思ったりするのでしょうが、訴訟代理人である弁護士にしたら、「勝訴判決」「勝訴的和解」という最終目標を達成するための手段としては、あまり意味のないことと考えることもないわけではなく、ここで訴訟代理人と当事者依頼者との間に、余計な「溝」が生まれてしまったりするんでしょうね。
 ただサービス精神旺盛な弁護士だと、依頼者サービスとして「ぎゃふん」と言わせる姿を演じたりすることもあるようですが。
 でも、和解を狙っているときだったら、感情的なしこりを新たに有無だけで、和解が遠ざかりかねない、百害あって一利なしの行為のこともないわけではなく。


 と、まあ、依頼者の方に訴訟手続を説明をしようと思ったら、理解を共通にしようと思ったら、民事訴訟法から説明して理解してもらわないといけません。
 難しいことを簡単に分かりやすく説明する能力が、弁護士のコミュニケーション能力として必要です。



 うちの事務所では、大橋も私も、「ホワイトボード大好き」です。

 民事訴訟法に基づく「訴訟」ってどんなもんなのか、ホワイトボードに図を描いて説明しています。
 皆さん、そうか、訴訟ってそんなに大変な、めんどいものなのかと分かって頂いているように思うのですが、もしかしたら本当は分かっていないのに分かったふりをされている方もいらっしゃるかもしれません。
 そのあたりも確認しつつ、ことを進めないと後で大きな溝となって依頼者の方を悩ませることになります。
 密なやりとりを心がけたいと思います。
 
 うちの「ホワイトボード」は描いたものをコピー機のようにプリントアウトして紙になって出してくれます。
 これを依頼者の方におみやげメモとしてお渡ししています。
 ときには、「おお!紙になるんですか!?」と驚いてくれる依頼者もいらっしゃいます。ちょっと、嬉しい瞬間。手品でしてやったりといった気分を味わえる一瞬です。
 喜んでもらえるのは、エンターテイナーとしたら、嬉しい瞬間です。

(おわり)

*話題のOisixの牛乳。確かに、「感動食品スーパー」。美味しい! 
*裁判官、依頼者、相手方が感動するような「準備書面」を書いてみたいものです。
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2009年6月 1日 (月)

商品開発【松井】


 通信販売で購入されたという「流しそうめん器」。
 友人家族子ども連れに、大橋が指揮をとって使用開始。
 

 どこからどうみてもプラスチック製の「流しそうめん器」。
 いったい誰がこんなものを7000円も出して買うのか。

 勝手にてこ入れ方式で考えれば、私が売るなら、竹製にして、上から下に流れるもっと高級感溢れるものにします。インテリアとしても楽しめるようなものに。
 とはいえ。
 実際、使ってみると。
 ちょっと楽しかったです。


 せっかくなので動画で撮影し、がんばってここにアップしてみました。流れる様子は、静止画よりも動画。
 ちょっと楽しくないですか?

 他の友人コメントによれば、食べ物が動くというのは、人の食欲をアップさせる効果があるのだそうです。回る寿司が食べ過ぎてしまうのはそのせいだとか。
 勝手に考えるに、狩りの時代の本能なのではないかと思索は深まります。
  
 「流しそうめん器」。太古の時代、マンモスを追いかけていた人間の狩猟時代に思いを馳せさせる商品。
 深いです。
 今夏、爆発的ヒットとなるか!? 
 ならへんやろ。

(おわり)

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