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2009年2月 7日 (土)

空から、見てみる【松井】

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 先日、友人と「風月」でお好み焼きを食べながら、他愛のない話をしていました。
 そこで、笑い話として、共通の友人Aがいかに頭が固いか、融通が利かないかということで、ある一件を話しました。
 すると、目の前の友人から、それはAの立場上、そう言わざるを得ないのではないか、逆に私のとった態度はAの面目を潰すこと、ことが起こった場合、立場を危うくさせることだったのではないかと指摘されました。
 雷が落ちたような衝撃、目から鱗が落ちたような思いでした。まさに「所変われば立場が変わる」。Aに大変申し訳ないことをしたとひどく反省しました。
 空から自分と相手を見てみる、相手の立場で物事を捉えてみる。
 まずは自分の日常からです。自分以外の人と話をするということはいろいろな気づきに満ちています。


 という前ふりのもと。
 弁護士の相談は、前向きの相談案件と後向きの相談案件に分けられると思います。

 前向きというのは、今後、ビジネスとしてこういうことをしていきたいが、どういう法的、行政的なリスクがあるのか、リスクがあるとしたら、どうすればそれを解消して前に進めるかという相談です。
 こういう相談は、当然、大好きです。
 法律上の問題をチェックしたり、契約書を作成したり、場合によっては経営者の方と一緒に、あちこち出向きます。
 目の前に壁が現れたら、ときどきずり落ちて泣きそうにもなるけど、会社の人らと一緒によじ登って、無事に超えたときの達成感がたまりません。



 後向きの相談というのは、起こってしまった過去の出来事についてどう「おとしまえ」をつけるかという相談です。
 起こってしまった過去の出来事は誰ももうかえられません。
 そのことについて、誰がどう責任をとるのか、とらないのかということです。
 とても不幸な出来事だけど、実際、誰の責任でもないということもあります。
 そうかと思えば、故意による行為によってその結果が引き起こされたこともあります。でも、その者は謝らない。だから。争いになります。
 
 「過去」におとしまえをつけつつも、そのためには「現在」の時間とお金、労力を費やさねばなりません。
 だったらそれは今をよりよく生きるためのものでないと、さらに自分で自分を不幸にすることになりかねないときもあります。
 過去に決着をつけることで、これからの自分がよりよく生きられる。
 そのためには、相手と向き合って、シロクロをつける。


 ただ、相手が、そもそも相手にすべきでない者の場合もなくはありません。
 箸にも棒にも引っかからない相手。自分を省みることがない人。
 例えば。友達からAの立場についての指摘を受けるまでの私です。Aが何を言っても、何をぬるいことを言っているのか、と取合っていませんでした。

 そんなときは。ある程度、努力して、それでも変わらないようなら何を言っても無駄です。
 吹っ切って、過去のおとしまえに費やす時間と労力、お金を前に向いて歩き、もっと幸せになることに費やすほうがいいこともあります。
 過去におとしまえをつけるために弁護士にお金を払って依頼して、その弁護士から、過去は吹っ切ってもう前を向いて進んだらどうかと説得されることがあるかもしれません。
 「盗人に追い銭」だけどね、と。
 でも、それは、そういう意味。
 「肉を切らせて骨を断つ」とも。
 依頼者の方の真の幸せを考えて口にする言葉。

 それでも。
 過去との決着がない限り、前にはすすめないというのなら。
 依頼を受けた以上はその仕事をまっとうします。

 でも、そもそも相談段階で共感できないときは、依頼を受ける前にお断りすることもあります。
 自分で自分を不幸にするようなこと(泥沼の紛争)のお手伝いをしたくはない。
 お金を払って弁護士に頼んで、いきなりその弁護士から自分が説得を受ける、なんてイヤでしょ。

 自分が依頼した弁護士に対し、「どっちの弁護士ですか?」とその言葉を口にする前に。
 自分を空高く舞い上げて、空から自分を眺めてみてください。
 自分が本当に望むことは何なのか。
 自分でもう一度問うて答えを探すときです。 
 
 友人Aの立場を指摘してくれた友人に対し、バカなわたしがもっとバカであったなら。
 「ああ、この子も頭、固いわ。Aと同じだわ。」と思って終わっていたことでしょう。
 バカはバカだけど、ちょっとまだ救いがあったと自分で思いました。
 でも。世の中は、こんなバカで溢れています、きっと。
 どこかで見極めないと、自分で自分の人生を不幸にしてしまいます。

 「君子 危うきに近寄らず」 無駄なエネルギーを使わないためには。

(おわり)
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