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2008年12月

2008年12月27日 (土)

2008→2009 吉凶は糾える縄の如し【松井】

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*頭を抱えたくなるようなことが誰にでも起こります。


 「吉凶は糾える縄の如し」
 好きなことばです。
 いいこともあれば、悪いこともある。
 それらは糾える縄のようなもの。
 悪いことばかりで終える人生もなければ、良いことばかりで終える人生もない。
 まあ、結局はその人の受けとめかた次第なのだと思います。
 怒ってばかりいる人は、自分で自分を不幸にしているだけ。
 起こっていることを他人のせいにしない。
 自分に原因があるのではないかと振り返る。
 そして。
 現実を現実と受けとめること。
 そして。
 どうしたらよくなるのかを考えること。
 そうすれば。
 悪いことでも、良いことになります。

 今年、話題になりご活躍された勝間和代さんの新刊のタイトルは、「起きていることは全て正しい」。そのとおりだと思います。
 また、今年、日経新聞で、上場企業が選ぶナンバーワン企業法務弁護士に選ばれていた葉玉匡美さんが司法試験受験予備校の講師時代に言っていた言葉。「理想主義的現実主義者になるな。現実主義的理想主義者になれ。」という言葉。理想を抱きつつ、理想と現実との距離をはかれるようになれということでした。理想を口にしつつ、でも現実はこうだからと諦めるような思考ではなく。
 

 2008年12月27日土曜日。
 今年ももうあと数日ですね。
 まったく実感が湧きません。
 皆様の身に起こったことはいかがだったでしょうか。
 吉凶は糾える縄のごとし。
 起こったことを今後にどういかすか。
 それは。
 頭の中の気持ち一つだと思います。
 他人のせいではなく、自分の責任です。
 だったら。
 常に笑って生きていくにこしたことはないと思います。
 悪いことも、前向きにとらえる。糧としていく。

 享年○年。
 「享年」の意味をiPhoneに入れた「大辞林」(物書堂)で調べました。
 「天から享けた年の意」
 天から享けた年をまっとうしたいと思います。
 
 皆様、よいお年を。

(おわり)

*頭を抱えても。
 それでも。食事をするときは笑って楽しく。がんばれ、大橋! 

 って、冒頭の写真は、朝の立会議で大橋が頭を抱えた一瞬を撮っただけです。ご心配なく。
 何があっても、Laugh&Laugh!
 
 もう生きているのが嫌になっちゃうっていう風に危うくなったことってないよね、と昨日夜中、大橋と南森町ノストラで語り合っていました。
 なにがあっても。生きているだけで丸儲け!
 そして。
 「もし私が自分だけのためにしか働かないとしたら、私は何者だろう?」
 (アラン=ダーショウィッツ教授の言葉)

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2008年12月25日 (木)

サルでもできる弁護士業、その2【松井】

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 多重債務者の方の問題について前回書きましたが、類似したもので、やはり悩ましいというか、不可思議に思うのが交通事故の被害者側の代理人活動です。
 多重債務者の方、特に過払金請求の代理人の場合、根本的なところについて疑問に思わないとそれはサルだと思ったのですが、同じようなものが交通事故の被害者側の代理人活動です。
 弁護士が代理人として交渉したとたんに保険会社側から提示される賠償金額が上がることが多いです。
 これはまったく理不尽なことだと思います。

2 
 以前書いたように、徳島で新聞記者をしている忙しい友人の代理人となり、電話と郵便、FAXとで、示談交渉を行いました。
 結果、提示されていた賠償金額が、4倍以上になりました。
 なぜ?
 友達が、当初相手方から提示された金額を不思議に思わず、それで合意していたら、いったいなんだったのか!?
 不公正だと思います。
 相手方が、まさに「情報の質及び量並びに交渉力」とに「格差」がある(消費者契約法1条)というのはこういうことだと思います。
 業者にしたら、消費者は赤子の手をひねるようなものなのだと思います。
 それが、被害者の側に弁護士がついたら、手のひらを返したように、金額がアップする。
 最初の提示額はいったいなんだったんだ!?と思います。
 本当にひどい話だと思います。


 いわゆるグレーゾーン金利もそうだけど、この不可思議な保険会社の対応もなくしていかないと。
 そんな狭間でゆらゆらと浮遊して生きていく、サルでも出来る弁護士業はどうかと思います。
 差を埋める活動をしつつ、その差が生じる根本的な構造をなくしていかないと、サル。

(おわり)
掌に「模範六法」(物書堂)。iPhoneです。便利です。

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2008年12月20日 (土)

「サルでもできる弁護士業」【松井】

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 なんて刺激的なタイトル。しかもあの幻冬社から3冊、同時出版。
 中古で買って、読んでみようっと。

2 
 弁護士法72条。
 非弁護士の法律事務の取扱い等の禁止が定められています。

 この立法事実の有無について、検証してもいいころかもしれないなどとわたしなどはときどき思います。夢想か。

 誰でも、法廷で代理人活動が出来るとしたら。刑事弁護も、交通事故の交渉も、弁護士じゃなくても誰でもできるとしたら。
 その方が質の高いサービスがもしかしたら提供されるかもしれない。
 弁護士なんて。
 司法試験という試験に合格して、司法研修所の研修をうけて、卒業試験に合格しただけの人。
 合格している人と合格していない人との間で、サービスの違いがあるのだろうか。
 もしかしたら、司法試験なんて、研修なんて、卒業試験なんて、合格していなくっても、より高い法的なサービスを提供できる人もいるんじゃないだろうか?ということかと。
 
3 
 どうなんでしょう?
 少なくとも。試験に合格しているから、すべてにOKというわけではないのは確かな事実かと。
 
 利用する人はどうやって、何を基準に弁護士を選んだらいいのだろう?
 
 ドクター・ショッピングだったかと同様に、弁護士ショッピングというのもありだと思います。
 相談してみて、信頼できそうにないという感覚があったなら、その直感を信じた方がいいと思います。
 その基準は人それぞれ。
 それで構わないと思っています。
 60代のどっしりとした威圧的な男性弁護士が好きな人、有能だと思う人、20代の初々しいフットワークの軽い女性弁護士が有能だと思う人。人それぞれだと思います。
 
 ただ。
 たぶん。
 医療過誤が被害者にとって見えにくいのと同様、弁護過誤も被害者にとってはみえにくいと思います。
 訴訟で、時効の主張をすれば勝てたのに、弁護士が時効の主張を失念しており、敗訴した、といったケースです。たぶん、依頼者にはずっと分かりません。他の弁護士に相談してみない限りは。
 
 これから。
 弁護過誤訴訟も増えるんでしょうね、たぶん。
 なぜ今まであまりなかったのか。過誤がなかったからか、それとも扱う弁護士がいなかったからだけなのか。

 良くも悪くも、過渡期なんだと思っています。
 
 うちの基本は。パン屋さんがおいしいパンをつくってお客さんに喜んでもらいたい、というのと同じです。
 訪れていただいた依頼者の方のお役にたって喜んでもらえたら、それでいいと思っています。社会のためになっているかどうかは、結局、そうしたことの積み重ねでしかないと思うので。自分が出来ることを一つ一つやっていきたいと思っています。
 たとえそれがサルでも出来ることだとしても(笑)。
 サルって訴訟代理人になってくれたり、交渉もやってくれたりするのだろうか。
 

 ふと。
 西田弁護士がいっている「サルでもできる弁護士業務」って、多重債務者の方の救済のことだろうか?まだ読んでいないから分からないけど。

 わたし自身は、現在、多重債務の方の新規の相談を基本的にはお受けしていないけど(ほかに受け皿がいっぱい出来ているので。弁護士会の多重債務相談をご紹介しています。)、受けていたときは、ヤミ金からの取り立てという名の暴言に対し、盾になりつつ、今後の生活をどうやって立てなおしていくのか、日々の生活状況について聞き取りをして、一緒に考え、方向性を確保するというのを意識していました。
 所詮お金のことだからどうとでもなる、命までは取られないといって、自殺予告の電話をもらっても一喝しつつ、なだめすかし、働けないなら生活保護の支給が得られるように市役所の窓口の人とかけあい。ここで断ったらほかに行くところがないという方々に解決策を提示し、トンネルの出口を示すことが出来たとき、安堵の表情が見られたとき、最低限の役目を果たせたと思っていました。
 
 なので。今、大阪でも、電車の車両の中や駅のところに司法書士事務所さんの広告、「あなたは払いすぎていませんか?」「借金で悩まずに相談を」「初回、無料」といったものも、眉をひそめる人もいるのでしょうが、社会の役にたっている、それで救われる人が一人でも増えるならいいじゃないかと思っています。たとえ、流れ作業での処理だとしても、払えない、死ぬしかないか、夜逃げするしかないかと思っていた人の代理人になる人がいるのならば。
 ただ、過払い金だけをとったらあとはポイっというのだけは、人としてどうかとは思いますが。
 
 ただ、そもそも。
 なぜ「過払い」といったこんなことがまかりとおってきたのか。
 なぜ多重債務という状況に陥るのか。そういった根本にまで立ち返って考える必要があるのだと思います。
 起こる現象に対して表面的に対応し、自分が金を稼ぐだけならば、まさにサル。その人がそれで満足しているのなら、それはサル。
 
(おわり)


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2008年12月17日 (水)

根拠の検証〜考えつづけないと〜【松井】

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 大阪弁護士会主催の研修に参加しました。
 「無実の人がなぜウソの自白をするのか?~アメリカ125の虚偽自白の研究と取調べの可視化、そして弁護実践~」というものです。
 ノースウェスタン大学のスティーブン=ドリズィン教授の講演です。虚偽自白の専門家とされる教授です。


 刑事事件は民事事件とは全然違います。
 刑事事件の場合、弁護士としては、相手はまさに国家権力です。
 民事訴訟も相手は裁判所、国家権力ですが、刑事事件だと、訴訟の前の捜査段階において、警察、検察官、そして裁判所が登場します。
 これらに対し、被疑者、被告人を依頼者として活動します。
 いったん逮捕され身柄を拘束されると、最長48時間+21日間、身柄を拘束されます。
 この間、何がなされるのか。
 捜査活動の一環としての取調べです。警察官から取調べを受け、検察官から取調べを受けます。
 取調べの結果は、調書として書面化されます。
 これが、裁判のときに証拠として検察官から裁判所に提出されます。


 被疑事実を否認している被疑者の弁護活動としての最大のポイントは、自白調書をとられないようにすることだと言われています。
 なぜか。
 やっていなくても、人はウソの自白をしてしまい、それが調書にとられるからです。
 でも、だったら裁判になったときに、あれはウソの自白調書ですといえばいいのじゃないか、裁判所は聞いてくれるはずだ、と多くの人が思っているかもしれません。

 現実は、違います。
 やってもいないことをやったというわけがない、という考えがあります。
 特に、たとえば重大犯罪、重罰がまちうけるような罪に問われているときは、死刑になるかもしれないのに、殺しましたなんていうわけがない、と。


 ドリズィン教授はこの点を研究しました。
 自白をしていたけど、後に、DNA鑑定などによって無実が明白になった被告人達の事例を。
 「虚偽自白事例の81%が、米国では死刑宣告をうけかねない罪である殺人罪に対してなされたものである。
  DNA鑑定により疑いが晴れた最初の200件のうち、強姦・殺人事件の41%、殺人事件の25%に虚偽自白が含まれていた。
  200件のうち7件で虚偽自白をした人が死刑判決を受けていた。
  虚偽自白をした人の大半は、知的障害や精神疾患のない成人だった。」

 統計結果からすれば、「罪を犯していないなら、罪を犯したという自白をするわけがない。だから、つくられた自白調書は信用できる。」という理屈が、実は根拠のないものであることがわかると思います。
 
 ドリズィン教授は、「虚偽自白のタイプとして」として次のように挙げています。
 ・強要されて迎合した自白ー危害を受ける恐れから、または減刑の約束に応じて自白を行う
 ・ストレスによる迎合^法的に妥当な範囲を超えた取調べによる極度のストレスからの逃避のために自白を行う
 ・信じ込まされた/取り込まれたー罪を犯した記憶がないのにもかかわらず、自分がやったに違いないと認め、心から、ただ往々にして一時的に、罪を犯したと信じ込む


 以前、殺人の被疑事実で逮捕された方の弁護をつとめました。否認事件でした。警察官は日々、過酷な取調べを行っていましたが、なかなか自白調書がとれませんでした。
 そこである取調官はこう言って「自白」をするように促しました。
 「あなたの後ろに被害者の霊が見える。被害者がうらめしそうにしている。良心の呵責を感じないのか。」
 取調官もプレッシャーがあります。逮捕勾留中に自白調書をとらなければならない、という。焦りの結果の取調べだったのだと思います。この焦りがいきつくと、自白をとるための被疑者への暴行、拷問になるというのが歴史だと思います。そして、やってもいないことについて、やりましたと言ってしまう。
 司法修習生のとき、刑事弁護についてベテランの弁護士が言っていました。否認事件での捜査弁護活動で一番大事なことは何か?
 毎日、被疑者に会いに接見に行くことだ。
 何を原始的なことを言っているのかと当時は、驚きました。
 しかし。実際に自分が弁護士として初めて否認事件の捜査弁護をしたときに実感しました。自白調書をまずはとられまいと、取調官との戦いです。被疑者を励ます必要があったのです。これが日本の刑事事件の実情でした。
 

 アメリカでは、法律で、取調べ官によるすべての取調べの過程が録画録音するように定められているということです。なぜそのような法律が出来たのか。その法律の立法事実はアメリカに妥当することで、日本には妥当しないといえるのか。
 
 民事裁判でももちろんですが、刑事裁判では特に、その「考え」の「理屈」が本当に検証に耐えうる「科学的な根拠」があるのかどうかということが厳密に検討されないといけないと思います。
 人間心理、経験則に対する、本当の深い理解が必要だと思います。
 「殺人を犯していないのならば、殺人を犯しましたなどと喋り、自白調書が出来るわけがない。」
 この理屈に根拠があるのかどうか。
 何事に対しても、疑いをもってかかる心構えが大事です。考えることをストップしたら、おわりです。
 「まてよ。果たして、本当にそういえるのだろうか。何かあるんじゃないのか。」

 まず、すぐに出来ることは。
 その人の声によく耳を傾けることだと思います。
 「自白していたくせに、裁判になったとたんに否認するなんて。」

 耳を傾けることを止め、考えることを止めたら、おわりだと思います。
 
(おわり)
 
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「おまかせ」ってあまり好きではありません。考えなくていいから楽だけど、考える楽しみを自分で放棄していることでもあり。ただ、敢えて「おまかせします」といって相手を、お店を試している人もいますよね。何て意地悪なと思ったことがあります。

2008年12月 9日 (火)

フレーミング効果【松井】

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 和解、交渉の技術といったものは、当初、ボス弁護士についてそのやり方を横でみたり、自分で本を読んだり、さらにはいろいろと試みつつ、習得していくものだと思います。

2 
 そこで学んだことに名前をつけるとさらに分かりやすくなります。
 日経アソシエを購入した。「みるみる片づく!仕事がはかどる!整理達人のスゴ技」特集。
 ただ、目がいったのは、楽天證券経済研究所客員研究員の山崎元さんの連載。
 「行動経済学を学べば分かる 低額給付金の悪評は必然」というコラム。
 でも、目がいったのはその中身というよりは、傍系のところ。

 「フレーミング効果」
 「同じ効果でも、見せ方・捉え方の枠組みで評価が大きく変わる現象を『フレーミング効果』と呼ぶが」

 「プロスペクト理論」
 「『プロスペクト理論』によると、意識している額よりも『減る』ことの悔しさは、『増える』喜びの2倍以上とされる。」


  ふーん。そういったノウハウ、人間心理の技術は先輩弁護士から数多くを学んできたつもり。ネーミングだよね、インパクトを与えるのは。中身で同じことを言っていても、それにタイトルづけ、ネーミングをすると、よりいっそう記憶に残る。
  私の中で、教わったことに「ブルータスの理論」と名付けたものがあります。
  人を動かすのは、理屈ではなくて、事実だということ。

  血染めのシャツを民衆に見せる、そしてこう言う。
 「これが、ブルータスのやったことだ!」
  どよめく民衆。
  その前の理屈の演説なんてふっとんでしまった、という話。

  裁判員裁判になったら、検察官はこれをするでしょうね。
  で、弁護人も同じことを。
  刑事事件は事実認定という理屈のもとで。
  だって、当然。民事事件でもやってるもの、だいたいの弁護士は。いかに同情してもらうか。もっと言葉を選べば、共感してもらうということ。

(おわり)

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2008年12月 6日 (土)

売る技術〜生かすも殺すも、最後の一手〜【松井】

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 ブログ、短くします。最近、長くて途中は端折って最後の写真を見て終わり、という話をよく聞きます。確かに。
 やはりネットでの文章、画面で1回スクロールするかしないかくらいの字面がちょうどいいかと。
 これも読んでもらうための、技術。

 前回、友人でありペンネーム「松居幸奈」さんの新刊を紹介できたと思っていたら、自宅に別の友人から本が送られてきました。弟の山口芳宏さんが待望の第2作目を出版されたとのことで、四日市高校時代からの友人からでした。
 
 
 ありがとうございます、順ちゃん!推理小説好きの私。楽しみに読ませていただきます。

 週に一度は、どこかの本屋をのぞきます。
 そこで思うに、本を「売る技術」というものについて。
 表紙がパッと目につく、一目をひく装丁、読ませる帯の文句。
 これだけで売上が全然違うと思います。

 この点、幻冬社は他社と違うなとつくづく思います。例えば、講談社なら講談社でも、お!と思う見た目、帯文章のものもあれば、手抜き?といいたくなるような装丁、帯文章もあります。
 おそらく、会社がどうこうというのではなくて、担当編集者の力だと思います。運、能力すべてを含めて。いくら著者が、材料から吟味し、何度も味見して、創意工夫を重ね、最高の料理が出来たといって素敵なさらに盛りつけても、厨房から出て客にサーブする段階でウェイターが思いがけず、焦って雑な給仕をしてしまったら、客にしたら興ざめです。
 売りなたいなら、買って欲しいなら、喜んで欲しいなら、最後の最後まで手を抜くな。時間がなかったなんて言い訳にすぎない。せっかく美味しく出来た料理が可哀想です。その料理を口にする機会を逸した客が可哀想です。

 ちなみに。和解も同じです。一番の争点、例えば金額でもめていたのが一致したとしても、細部の詰めであえなく御破談ということも珍しくはありません。結果が欲しいなら最後の最後の一瞬まで気を抜くなということかと。

 ところで。コンビニで、売られている雑誌に対し、立ち読みできないようテープや紐でとじているものがありますが、あれではかえって雑誌の売上げは減ると思います。現に。近くのセブンイレブンで雑誌をまったく買わなくなりました。無造作に棚に並べてある駅構内の小さな雑貨屋で買うようになりました。パラパラとめくって立ち読みし、興味のある特集、記事があれば、じっくりと読みたいと思うものがあれば買います。パラパラと見れないなら、まず買いません。定期購読しているもの以外は。売る技術、考えたらいいのにと不思議で仕方ない。近所の地下の某コンビニエンスストア。ころころと棚の位置変えるのもマイナスだよ・・・。
(おわり)
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2008年12月 5日 (金)

時代背景【松井】

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 相続関係の事件を多く担当させていただいていると、昭和40年代、50年代、60年代、平成のバブル時、バブル破綻後が、時代としてどういう時代だったのかということが重要なポイントになることがよくあります。
 たとえば、昭和40年代、47年に田中角栄が「日本列島改造論」をぶちあげ、7月、総理大臣になった、つまりは土地、不動産取引でいえばどういう時代なのか。
 またバブル時、金融機関はいったいどのような業務をどのように行っていたのか。そしてバブルがはじけたとされてからどうだったのか。平成7年1月、阪神淡路大震災が起こり、平成9年、アジアの通過危機がおこり、11月、山一證券が自主廃業した年。
 そういった当時の時代の背景を知っているかどうかで、証拠の見方、事情聴取の結果の位置づけが見えてきたりします。だからある意味、興味が尽きず、相続事件が好きなのです。


 わたしは1971年、昭和46年生まれです。50年代は、小学生、中学生、60年代は高校生。そして平成は、ベルリンの壁崩壊、そして平成5年の大学卒業時はバブル崩壊と共に迎える就職氷河期といった記憶くらいしかありません。
 就職氷河期の時代も、4年生のときに勢いで司法試験の択一式試験に合格していたので、翌年すぐに合格するだろうとたかをくくり就職活動もいっさいしていませんでした。
 その後、平成8年に司法試験に合格するまでの間は、出口の見えない真っ暗闇のトンネルの中を勇気を振り絞って前に進む、出口があることを信じて進むしかないといった感じで、ある種浮世離れした生活を送っていました。
 活字中毒者なので一応、毎朝新聞は目はとおし、好きな小説やノンフィクションの本などは読んでいたのですが、テレビニュースなどは見ておらず、映像での記憶や当時の社会人の人の言葉の記憶というのがあまりありません。要は、世間の風に触れていませんでした。
 でも、それは小学生、中学生のころも同じなはず。小学生。テレビは、たのきんトリオの全盛期、四日市に営業に来ていた羽賀研二のショーを見に行き、サイン入りシングルレコードを入手した記憶があります。芸能に生き、社会情勢がどうだったのかなんて知りません。
 じゃあ、どうやって当時の息づかいを知るのか。当時の人の行動心理、社会情勢を知るのか。
 本しかありません。


 もちろん相談者の方から、聞いたりはします。しかしそれではあまりに断片的な情報。
 そこで役に立つのが、本です。特に、小説です。
 読みあさっていると、いろいろとリンクしたりします。そしてそのリンクに事件の時代背景がさらにリンクする。
 昭和50年代当時、いったいどういう時代だったのか。銀行の本人確認は今のようなものではなく、もっといいかげん、不動産登記も子どもや知人の第三者名義での名義借りがあたりまえ、銀行の本人確認等が厳しくなったのはいつころなのか。
 無記名の割引債といったものが使われて脱税されたが、無記名はいつころまでOKだったのか。
 今の時代の基準で振り返ると信じられないことが過去、まかりとっていたということがよくあります。
 金融機関による無茶な貸付け、杜撰な審査に連帯保証。これも、都市銀行、地方銀行、信用金庫、信用組合とで会社内の事情がどう違ったのか。信金の統廃合はどのようにすすんだのか。
 
 最近では、黒木亮さんの「巨大投資銀行」という小説を読み、それをきっかけに当事者が描いた山一證券自主廃業の顛末「決断なき経営」を読みました。そして、ソニー銀行設立までを描いた「僕たちは銀行を作った ソニー銀行インサイドストーリー」を読み返しました。これに続けて、以前読んだ「銀行収益革命〜なぜ日本の銀行は儲からないのか」を読みかえしてみようかと思います。そして黒木亮さんの「貸し込み」も。

 その国のことを知るにはその国の小説を読むのが一番よい方法だといったことをインタビューで口にしていたノーベル賞受賞の作家だったか、フランス人の作家だったかがいました。
 その当時の時代背景を知るには、その当時を描いた小説を読むのが一番いいように思います。
 昭和の時代はともかく、江戸時代、鎌倉時代の様子を知ろうと思ったら、まさしく!
 確か今年、源氏物語が世に出て1000年記念ということですが、1000年前の日本の時代の様子をしろうと思ったら源氏物語にまさるものはないんだと思います。
 それと同じことかと。
 多少の間違い、事実と異なることがあったとしても、小説には何らかの真実が宿っていると思います。それを掴むのが一番。

(おわり)

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