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2008年11月 7日 (金)

最高裁判決と憲法改正〜カリフォルニア、同性婚〜【松井】

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 アメリカの法制度がどのようになっているのか、正直なところ、きちんと全体構造を把握してはいない。
 ただ、日本であれば、最高裁がある判決を出し、問題の所在が指摘され、解決策が示されたならば、ある法律が違憲と判断されたならば、国会は法律改正に着手する。
 最高裁が憲法に基づき、当該法令は違憲であると判断したならば、法律を改正する。
 例えば、有名なのは、刑法200条。尊属殺に関する規定が削除されています。
 199条で殺人罪が規定され、200条で、被害者が親であり、加害者が子であった場合、より重く処罰するものとして法定刑がさだめらていました。
 しかしこの200条は、憲法14条、法の下に反するとして違憲無効判決が出されました。昭和48年のことです。法定刑が、無期懲役と死刑しかない点が問題だと指摘されました。
 これを受け、国会は、200条を削除しました。
 違憲だという最高裁、憲法がおかしいというのなら、憲法改正がありえます。
 しかし日本の憲法では、憲法改正はなかなか出来ないような仕組みにされています。
 憲法というもっとも根本的な法規がころころと変えられたら意味ないじゃん、ということです。


 しかし、カリフォルニアではちょっと事情が違うのかなということです。
 日経新聞の11月6日付け夕刊で小さく報道されていました。
 「同性婚禁止を可決」「カリフォルニア住民投票」
 
 「カリフォルニア州の住民投票で、同性婚を禁止する州憲法改正案が可決された。」とのことです。
 これは、5月、カリフォルニア州の最高裁で、同性婚を認める判決が出たことに対してのものです。
 
 日本の憲法しかきっちりと勉強していませんが、日本の憲法は、その趣旨を勉強したことがある人なら皆知っているように、そもそも欧米の様々な歴史を踏まえて、それらを前提として、土台として構成されたと理解されています。
 
 22歳ころのとき、司法試験の受験勉強の一環として初めて「日本国憲法」というものについて学んだ時、深く感動しました。
 多数決によっても侵害されない少数者の利益の擁護。
 国会は多数決です。多数決による法律によって、少数者の利益が不当に侵害されている場合、最高裁判所は、憲法に従い、少数者の権利を侵害する多数者による法律に対して、無効を言い渡すことが出来る「力」が憲法によって裁判所には与えられているのです。
 そのことから、裁判所は、「人権の最後の砦」と評されていました。
 
 そして憲法の改正については、単なる多数決ではなく、憲法96条以下で、各議院の総議員の3分の2以上の賛成で、国会が、これを発議し、国民に提案してその承認を経なければならない、とされています。そして、「この承認には、特別の国民投票又は国会の定める選挙の際行われる投票において、その過半数の賛成を必要とする。」とされています。


 カリフォルニア州でも、住民投票が実施される以前に、州議会での3分の2以上の多数の賛成といった手続きがあったのでしょうか。
 
 憲法改正までして、守られるべき多数派、反対派の守られるべき利益って何なのでしょうか。同性婚が認められたからといって実害はないはずです。あるとしたら、「感情」ではないかと思います。「不快感」といった曖昧なものではないかと。
 確かに、社会風俗といった曖昧なものが保護法益にされることがあるのはもっともかとは思います。公然わいせつ罪なんてそうかなと。嫌悪感です。性的羞恥心を害するといった表現が判例上されたりします。
 でも、同性婚の場合、ちょっと違うかと思います。
 否定することによって、損害を被る人々がいます。
 病気になったとき、死亡したとき、婚姻制度という法制度があるなかで、これを利用できていれば親族として当然に法的に保護される利益が認められません。
 二人のライフスタイルは、実態は、中身は、「婚姻生活」といわれるものと同じであるにもかかわらず、婚姻意思があるにもかかわらず、制度として受け入れらないがために、法的な保護を得ることができません。
 親族と扱われないことが何を意味するのかというと、単なる友人として法的には扱われることになります。
 その他大勢の1人です。本来、その人にとっては特別な1人、配偶者と同様であるにも関わらず。

 これは、合理的な理由のない区別だと私は思うのですが。
 異性/同性 によって区別することが、「合理的」といえるのかどうかだと思います。
 いかなる利益といかなる利益が対立しているのか。
 制約する必要性、許容制。
 制約を解く必要性、許容制。


 刑法200条をなぜ最高裁は違憲無効としたのか。
 理屈は、憲法14条違反でした。
 しかし、その実質はというと、私は最高裁の判事も人間なんだな、当たり前だけどと思いました。受験時代のこの裁判例を知ったとき、このときもちょっと感動しました。
 事案はというと。
 娘が実父を殺害した事案でした。
 娘は、10代のころから実父にレイプされ何回も妊娠し、堕胎してきました。
 そのような中、20代となり別の男性と幸せになりかけたとき、実父から妨害を受けました。
 そして娘は実父を殺してしまいました。
 このような状況で、200条は、無期懲役か死刑と刑罰を法定していしました。
 この結論が許容できない、相当ではない、だから、最高裁は、憲法14条で娘を救ったのだと思います。
 その被告人の娘の具体的な利益の前では、尊属殺人罪の保護法益、国会で多数決によって成立された法律は覆されるべきだと判断したのだと思います。
 そして、国会も、この判決のあと、200条を削除しました。

 抽象的な利益と具体的な、個人のリアルな利益。目の前のその個人が優先されるべきだと私は思っています。

(おわり)

*箱根の平賀敬美術館です。とても素敵な美術館でした。
 幸夫人、ありがとうございました。 
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