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2008年10月10日 (金)

連帯保証をするという意思表示と信義則と裁判【松井】


 数年前から、ぼんやりと連帯保証という制度について考えている。
 いったいこの制度はなんなのだろうか、と。
 いったい今の使われ方、裁判所の裁判の判断の仕方はなんなのだろうか、と。


 一見無関係だけどひっかかった文。
 「淵源の如何を問わず、法的義務の創造と履行を規律する基本原則の一つは、信義誠実の原則(principle of good faith)である。信用と信頼は国際協力に固有のものであり、特に多くの分野における協力が不可欠になっている時代においてはそうである。まさに条約法における『合意は守られなければならない(pacta sunt servanda)』というルール自体が信義誠実に基礎をおいているのと同様、一方的宣言によって負うこととなる国際義務の拘束的性質もそれに基礎をおいている。」(中谷和弘、160頁「法学教室 No.331」(有斐閣、2008年))。
 これは、国際司法裁判所(ICJ)の判決文の一文(ICJ Reports 1974, pp268,473.)だそうです。

 法的義務を創造する個人と個人との契約においても、信義誠実の原則が「合意は守られなければならない」というルールの基本だと思います。
 民法では、第1条2項において、「権利の行使及び義務の履行は、信義に従い誠実に行わなければならない。」という条項が定められています。
 ここで確かに、信義則という言葉が使われていますが、どういう意味に読めるかというと、権利や義務が発生していることを前提に、その行為あるいは履行において、信義誠実の原則が働くという風に読めます。
 権利義務の発生原因としての信義誠実の原則ではない?分かりません。


 それはさておいて、当事者を拘束するの「合意は守られなければならない」というルールの基礎が信義誠実だとすると、いったん意思表明して合意に達したことは「守れ」と命令されるのであるなら、当然、その意思表明の内容はその効果を理解してなされたものである必要があるし、効果は理解していたけどその意思の作出過程においてキズ(瑕疵)があるのであれば、その意思には拘束されないという考え方が出てきます。
 これについては、民法は、93条以下で「意思表示」として一定の保護をはかっています。
 そうです。一定の保護であって、絶対的な保護ではありません。
 なぜか?
 対立利益があるからです。
 意思表示をした人の意思表示になんら問題はない外形的に判断し、信頼して取引関係に入った、相手方の利益です。
 意思なんて内心です。見えません。なので、外形を信頼した相手方を保護すべきという要請が働きます。
 この両者の利害を調整しているのが93条以下の条文です。
 意思表示の相手方の「不測の損害」を防止するといった表現が利用されたりします。


 一方。
 当事者間で権利義務に関する紛争が発生した場合、解決のため、裁判制度が利用されます。
 シロクロ付けるというものです。
 ここでは、民事訴訟法という法律が、裁判の「手続」について定めます。
 そもそも意思表示があったのか、なかったのか。
 裁判官はいかなる場合に、その問題となっている事実があったと認定できるのか。
 「被告の方が悪人顔だし、法廷での供述もごにょごにょとしてうさんくさいので原告の言い分を事実と認めました。」
 なんてことを裁判官がやっていたら、誰も裁判所の判断なんて信用しません。
 権威失墜。
 事実の「立証」というものが求められます。
 「立証」できなかった事実は、残念ながら、真実としてはこの世に存在したとしても、裁判手続きの中では存在しないものとして扱われます。そのことによって不利益を負うものが負担する責任。それが「立証責任。」
 立証できなかったら、負けです。
 
 立証は何を持ってするのか。
 そうです。「証拠」です。
 言った、言わないが争いとなっているときに、一方の言い分が信用性が高い、証拠価値が高いと判断するとしてもその根拠はなんでしょうか。
 お互い、口だけの場合、それはいわざ引き分け、つまりは証拠はないに等しいものとして、事実はなかったものとされてしまいがちです。もちろん事案によっては、当事者の供述あるいは第三者の証言だけで事実認定されることもあるでしょうが。
 そこで、ものを言うのが、物証です。書類です。文書です。
 なぜ一般的に証拠としての価値が、人よりも物の方が高いのか。
 変容せずに、その時点のそのものとして固定されているからです。
 逆に言えば、「人」は、つまりのその「記憶」に価値がある、しかし人間の記憶なんてむちゃくちゃいい加減です。こんなに嬉しい出来事、一生に一度のこと、二度と忘れることはないと思っていたことすら、2年、3年も経てば、びっくりするくらいに忘れています。忘れているだけならまだしも、偽の記憶を自ら作り出し、心底、それが事実であったと信じていることすらあります。
 人間の記憶はいい加減。
 だから。
 証拠としての価値は、人よりも物にあるとされています。


 では、物の価値をどのように評価するのか。
 民事訴訟法は定めています。

 228条1項 文書は、その成立が真正であることを証明しなければならない。
     4項 私文書は、本人又はその代理人の署名又は押印があるときは、真正に成立したものと推定する。
 
 まず、文書の証拠価値を認める前提として、その文書が名義人によって作成されたものであることを証明する必要があるとされていますでもその証明は、その文書に「本人」の「署名」又は「押印」があれば、真正に成立したものと「推定」されます。
 「推定」とは、「みなす」とは異なり、覆すことも認められます。でもその責任は覆そうとする方が負いますよという定め方です。
 つまり、例えば、貸金返還の請求を行う原告は、「消費貸借契約書」という文書を証拠として提出します。
 そこには、借主として被告の名が署名され、押印されています。金1000万円を借りました。返済期日は平成20年9月30日です。利息は5%です、といった具合です。
 これを証拠として提出する意味は何か。
 もちろん請求を理由あるものとして認めてもらうためのものです。
 つまり、貸した金を返せというためには、当事者間においてまずもって金銭授受、さらには使っていいよ、でも一定のときに返してねという約束があったのか否かということが問題になります(ちなみに、こういった事柄を要件事実といいます。)。
 で、争う被告に対し、原告は、この契約書を証拠として提出して、被告は、平成20年9月30日に1000万円を返すという意思表示をしていました、原告との間で約束していました、というわけです。
 
 ただ、これに対して、被告は、いやいやそんな契約書にサインをした覚えはない、筆跡も違う、印鑑もそんな印影のものはもっていないといって争います。これを文書の「成立が真正であること」を争うといいます。
 それに対して、原告は、何をいっている、よく見てごらん、これはあなたの筆跡であり、あなたが「署名」したものでしょ、とやり、被告がそれをしぶしぶ認めたりすると、「私文書は」「真正に成立したものと推定」されます。
 まだ推定なのは、確かに、私が署名したものだとしても、金銭消費貸借契約書とは知らなかった、私が署名したときにはそんな文言はななかったといって、その証拠として提出された文書そのもの成立を争いうる余地があることもあるからです。ここでいきなり「みなす」とはしていないのはそういう趣旨だと。
 

 と。
 民事訴訟法でも明記されているのはここまでのはずです。
 
 じゃあ、次に裁判官はどう考えるか。
 文書全体をみても、後から書き足したような痕跡は認められない。
 最初から「金銭消費貸借契約書」という大きなタイトルが一枚目にあったのだろう、しかも被告が署名している欄には、肩書きとして「借主」としっかりと大きく明記されている。
 そこに被告は、自ら署名をしている。
 ということは、この文書の内容に目をとおして、理解して、署名したということだろう。
 それ以外の可能性を考えることは困難である。
 だったら、当時、「借りたものを返す」という被告の意思表示はあったということだろう。
 なぜなら、被告はこの「金銭消費貸借書」に署名し、この文書の内容を理解して原告に手渡しているだから。

 原告の主張に理由あり。
 被告は、原告に対し、金1000万円を払いなさい、という判決が出ます。


 では。
 これが、連帯保証契約の場合はどうだろう。
 またいわゆる被担保債権が、分かりやすい金銭消費貸借の場合と、複雑な精算責任のような場合ではどうだろう。
 
 主債務者に頼まれて、「連帯保証契約書」というものの「連帯保証人欄」に署名押印してしまうような人が、本当に、自己が負担する法的義務の内容を分かっているのだろうか。効果を受入れているのだろうか。
 被担保債権の発生原因が例えば、それ自体からよく分かりにくい複雑な契約の場合、どうなのだろう。自分がいったい、いつ、どんなときに、どれほどの債務を負担するということを理解して、受入れているのだろうか。
 
 信義誠実の原則のもと、「契約は守られなければならない」として法的な拘束を受けるに値する、意思表示を行ったと評価できるのだろうか。
 「連帯保証契約書」という書類に署名押印しただけで。
 
 思うに、この場合、意思表示の内容、その存在の探求は、金銭を借りたにすぎない人の場合とは異なってしかるべきじゃないだろうかという気がします。
 刑法における犯罪の成立要件、故意についても、未必の故意といった類型があります。故意はあるかないかといわれればあるけど、でも中身は薄いといったイメージです。
 
 意思表示においてもそうであるべきではないかと。
 特に、連帯保証債務については。だって、連帯保証契約書に署名押印する「連帯保証人」の私が知る多くの人々は、本当のその意味、法律効果を理解していないことが多いから。
 でも、裁判で争っても、契約書に署名をしていたら、裁判での勝ち目はかなり低くくなります。というか、実務上は、よっぽどの事情がない限り、勝つことはないかと思います。
 だって。
 裁判所では、裁判官が言います。裁判官の心の声(想像)。
 「この書面を見て、あなた、自分で署名押印したんでしょ。『連帯保証人になってくれ』と言われて署名したんでしょ。意味を分かっていなかったなんて、あなた未成年者なの?いい年した大人でしょ。」


 これは一方で契約の相手方の信頼を保護したものといえるかと思います。契約書に署名までもらいながら、あとから否定されるなら何を証拠としてとっておいたらいいのかとまどいます。
 不測の損害の防止です。

 ただ。
 どうなんでしょう。
 私が知る、問題となっているような事例の場合、相手方を保護する要請がそれほど働くものなのか。そもそも、上記のように、債権者の方が連帯保証人と事前によく協議して説明して、署名押印をもらっていれば普通は、連帯保証人も納得がいって、それほどもめないはずです。
 しかし、債権者は、要は連帯保証人候補者に対し、リスクの説明をリアルにすればするほど、連帯保証人になる人はいなくなります。誰だってそんなのは嫌です。なぜ他人の不手際の後始末をしなきゃならないのか。保証料をもらっていれば別ですけど。普通の個人は、経済合理性は何一つないけど、家族が金を借りるから、あるいは家族に求められるから、連帯保証契約書に署名押印するのです。なぜか。人間関係を形に取られているわけです。
 そこで主債務者の人も言います、書類に署名をもらうとき。「大丈夫。絶対に迷惑はかけないから。」
 むなしい言葉です。
 
 債権者は、主債務者が払ってくれなくなったときのために、別のポケットに手をつっこんで金を回収しようと連帯保証人をとるのです。
 債権者は、連帯保証人を連れてこないと、金は貸せないと主債務者に言います。
 そして、連帯保証人になってくれと言われた親族は、最悪、主債務者がもってきた書類に署名、押印するのです。
 債権者は、これを受け取って終わり。
 連帯保証人に、そのリスク等の詳しい説明をしません。

 でも、それでいいのか。
 債権者は、通常、強い立場です。署名しないなら、金を貸さない、業務の提供をしない等など。
 一方、連帯保証人は、特に、債務者の業務と何ら関係のない、普通に別の仕事をして普通に日常生活を送っている普通の人であることが多いです。いわゆる消費者です。言われて、うんうんと署名押印していることが多いです。
 
 消費者契約法は次のように定めています。
 1条 この法律は、消費者と事業者との間の情報の質及び量並びに交渉力の格差にかんがみ、事業者の一定の行為により消費者が誤認し、又は困惑した場合について・・・」
 
 そうです。消費者と事業者との間には、「情報の質及び量並びに交渉力の格差」があることが法定されています。
 
 連帯保証契約の効果を知らなかった被告、契約書をよく読まなかった被告、書類に署名した被告が、一方的に悪くて、この消費者との対比で、業者の債権者の方を不測の損害から守るべきだと言えるのでしょうか。
 むしろ、このような契約の場合、医師の説明義務などと同様、債権者は、連帯保証人になろうとする者に対して、それが効果を理解しての真意に基づくものといえるのか否か、契約締結に際して、情報提供義務があるのではないかとすら考えます。
 
 契約書に署名押印しているから、連帯保証責任ありとする裁判実務については、どうしても違和感を拭いきれません。
 実態にあっていない。
 
 それをどう裁判官に理解してもらうのか。
 それが、訴訟代理人の腕の見せ所なんでしょう。
 
 
 うーん。文書の成立の真正を認めるのはともかく、その文書の中身の意思表示をしたとするところに飛躍があるのか。
 利益衡量として、相手方の保護の必要性は低いということ、不測の損害を負うわけではないことをいいつつ、理屈としては、証拠の証拠力の問題か。となると、他の周辺事実をどう立証するのか。証拠力を低減させる事実とその証拠。
 
 最高裁、規範を定立すべきときじゃないかと思うけど。立法で確かに一部、規制されたけど。
 いいんだろうか、連帯保証債務の発生原因のところを野放しにしていて。
 うーん。

(おわり)
 
 
  
 
 
 

 

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