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2008年8月11日 (月)

みんながんばってる【松井】

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 司法試験受験生のころ、幸い択一式試験は大学4年生のときに勢いで合格したので、司法試験なんてちょろいじゃんと思って就職活動もせずに卒業時の年の最終合格を狙ったところ、卒業したその年はもちろん、翌年も、その翌年も論文式試験に落ち続けて、もうダメなんじゃないだろうか、かといって合格を諦めて何の仕事をするんだと真っ暗な先の見えないトンネルに潜り込んだような気分になったとき、自分を奮い立たせるために思っていたこと。

 芸能人よりはマシ、ということ。

 芸能人がおかれる環境よりは、自分の環境はまだマシということ。
 方向性を間違えないように気をつけて努力さえすれば、かならずトンネルは抜けられると思っていました。

 しかし芸能人は、たとえ芸に磨きをかけるべく自分を磨いても、その時代とあわなければ受入れられない。正しい努力が報われるとは限らない。
 そうであるなら、正しい努力は報われるはずという自分の環境の方がまだマシだと思っていました。
 「マイ・ライフ・アズ・ア・ドック」という映画の少年のようだと自分でも思っていました。
 ロケットに一人乗せられて宇宙に飛ばされてしまったライカ犬よりは自分はまだマシと思って過酷な環境の中で暮らそうとする少年の話です。
 私にとって芸能の人というのは、自ら宇宙船に乗り込み宇宙に飛び立つ勇気ある人でした。真似はできないという畏敬の念があります。芸能の人に対して。



 なにげに検索をかけたら、兄を発見しました。YOUTUBEで。今年!のライブハウスでのライブの様子がアップされていました。
 お兄ちゃん47歳、まだがんばってたんだ、とちょっと感動しました。はんこ屋と二足の草鞋だったとは。知りませんでした。
 http://jp.youtube.com/watch?v=51vDT3Q85f8
 兄は歌を歌えて、ブルース・ハープの演奏も出来るのに、私は歌も歌えず、楽器の演奏もできません。そういえば思い出しました。関西大学を受験するとき、兄の友人ということで当時、関西大学の在学生だったリクオさんに学内を案内してもらいました(思い出したことは次々とどこかに文字として刻み付けておかないと、最近ことごとく記憶から消えてしまうのでここにメモ。)。その大学に入学し、卒業しました。なんとか。

 で、最近、私の定期購読雑誌「SWITCH」で見かけたので。「藤谷文子」を検索しました。道場では、「文子ちゃん」と皆から呼ばれていました。
 大学生のとき、私がひょんなことから合気道を始め、初段を頂いた大阪・十三の道場の師範の娘さんです。息子さんは健太郎セガールさんです。道場には絵の上手な「健太郎くん」が描いた大きな絵が飾ってありました。
 私が通っていたころは、「文子ちゃん」はまだ小学生。白帯の道着を着て夜の稽古にときどき参加していました。とっても細くってひょろひょろと受け身を取っていたことを覚えています。
 初段をとった後、いろいろと忙しくなって道場への足が遠のくようになってから、「文子ちゃん」が三井のリハウスの少女に選ばれただとか、いろいろとにぎやかになっていきました。
 しかしその後、残念なことにメディアでみかけることはだんだんと減っていきました。

 ところが。この夏、フランス人の監督らが撮った「TOKYO!」を舞台にした映画に出演ということで、カンヌ映画祭にも女優として登場し、また雑誌やなんやとメディアに姿を表し始めました。この間、小説を書いたりといろいろと創作活動は続けていたようです。
 まだ20代?
 http://ayablue.com/profile/



 兄も、「文子ちゃん」も、「芸能」という私がもっとも不確かで、「宇宙」になぞらえて考えていた世界でがんばっています。
 たぶんきっと好きだから、たとえ止めたくても止められないから、その場所にとどまり、音楽や映像、小説を作り出し生み出す活動を続けているんだと思います。

 がんばっている。がんばって欲しいです。



 あ、そうそう。四日市の高校時代の友人の弟が去年、推理小説作家デビューしていました。記憶に残っているその作家は、「順ちゃんの弟さん」というものです。何度か家に遊びに行ったとき、顔をあわせたことはあるかもしれません。
 東京でゲームデザイナーをしているとは聞いていたのですが、推理小説家志望だったとは。早速、アマゾンで買ったのですが、まだ読んでいません。すみません。
 http://www.amazon.co.jp/雲上都市の大冒険-山口-芳宏/dp/4488023975/ref=sr_1_1?ie=UTF8&s=books&qid=1218435089&sr=1-1
 


 芸能。「映画・演劇・舞踏・軽音楽など、娯楽的・大衆的性格の濃い演芸の総称。」(大辞林)
 あ、これには、小説は芸能には入らないんですね。

 いずれにせよ。自分にその才能がまったくないからなおさら、芸能に関する才能がある人たちについては、それだけで尊敬の念を抱き、応援したいという本能が働きます。
 そういった人たちをウラで支える、マネージャー、プロデューサー、編集者といった仕事に対し、憧れの念も抱きます。幻冬社の見城徹さんは「人たらし」と評されていたことを最近知りました。そこまでの真似は到底無理ですけど。


 サッカーのナカタの裏方、ナカタが絶大な信頼をおく女社長ということで有名なサニーサイド・アップ社が9月、ヘラクレスに上場するようですね。
 http://www.c-direct.ne.jp/hercules/whatsnew/dj-whats.asp?cd=2180

 サニーサイド・アップはときどきちょっとあざとい面をかじないわけでもないけど、こういった特化した形で、作家やバンドマンといった創作する人の立場にたって、専門的にその権利関係などをマネジメントし、創作する人が創作に専念できる環境が作れるような会社を運営できたらいいなとときどき夢想しています。
 サニーサイド・アップが上場するということなので、これからときどき有価証券報告書をチェックして、その経営について研究してみようと思います。

 やっぱり裏方で応援する仕事が楽しいし、好きです。
 昨年、大阪弁護士会でぜひ信託法の講演をと東京の杉浦先生、新井先生にお越し頂けるようちょっとだけかけずり回ったときには、杉浦先生から「松井さんは、ブローカーだよね。」と言われ、そうか、なるほど!と、そういうことに情熱を傾けられる自分にはっきりと自覚が芽生えました。
 弁護士兼ブローカ、あるいはマネージャー、あるいは編集者。
 憧れです。
 弁護士業も好きです、もちろん。弁護士も裏方で、人を応援する仕事だと思っています。そういう意味では、子どものころ憧れた、スパイや、忍者、つまり裏方で、雇い主?主人?のためにつかえるというなりたかったものになっているのかとも思ったりします。
 単純に、特定の人のために働き、喜んでもらえると嬉しい、ただそれだけです。

 ただ、弁護士は職人仕事なので一人でコツコツが基本であり、出来る事の限界をときどき感じるというだけです。会社組織はその点、強い。羨ましい。
 自分がこの世から消えてもそのD.N.Aが受け継がれ、残る組織を作りたいなと思う今日このごろ。死んだら終わり、でいいじゃんとも思うけど、音楽や小説は残せないけど、シンプルな、利益はもちろん追及するんだけどクライアントの利益を最優先する、決して騙したりはしないという自分で作り上げた、当たり前の会社、事務所を存在させたいという欲?でしょうか。資産管理会社、権利管理会社、法律事務所にせよ何にせよ。
 37歳、人生の折り返し地点でしょうか。いろいろと考えます。
 「まず動け。」。エドはるみの座右の銘だそうです。40歳過ぎて、吉本のお笑い学校に入学。
(おわり)

*夏。蝉もがんばって、ないている。木の周りには抜け殻がいっぱい。
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