2018年10月
  1 2 3 4 5 6
7 8 9 10 11 12 13
14 15 16 17 18 19 20
21 22 23 24 25 26 27
28 29 30 31      

最近のコメント

最近のトラックバック

無料ブログはココログ

flickr


« そうだったのか、「税理士法」【松井】 | トップページ | 「和解」の上手な裁判官【松井】 »

2008年4月11日 (金)

18 Till I Die ? 【松井】

2378355243_1b6ab287b5
 ↑ 馴染めなかった、集団競技。野球・・・。

1 
 先日、同期の女性の友人と話をしていて、子供のときどうだったかという話題となりました。小さい頃から、クラスの隅っこで一人超然と、周囲になじみきれず、でも周りの雰囲気を気にせずいいたいことを言っていた子どもだったかどうかという話で盛り上がりました。家に帰ってから、なんとなく封印していた過去を思い出し。
 また他の弁護士のホームページでの自己紹介で、子供時代のことを気軽に書いていて面白いものを見かけました。
 そんなこともあり、37歳にしてこれまでの半生?を過去をちょっと振り返ってみました。

2 
 保育園児時代 浜田保育園 
  ぐりとぐらを読み、まずい粉ミルクを飲んでいた記憶。
 幼稚園児時代 四日市幼稚園 
  「王様の耳はロバの耳」の演劇発表会で、なぜか王様役。
 小学校低学年時代 四日市西小学校 
 1年生 何をしたのか忘れたけどいきなり廊下で立たされた記憶。
      レゴブロックにより、新しいものを創造するには、既存の
      ものを破壊しないといけないという痛みを学ぶ。
 2年生 節分の日の出来事を作文にというので、猫と過ごした
      ことを書いたところ寂しい印象を与える。
      (家ははんこや営業で、両親共働き、兄は10歳年上で
      このころ高校生)
      忍者の本や、無人島での暮らし方といった本に心奪われ、
      ぼろぼろになるまで「火の起こし方」「飲み水の集め方」
      といった頁を読む。
      石と砂で泥水を濾過するとか、乾いた木と葉で棒を
      回して摩擦熱を起こすとか。
      顕微鏡虫眼鏡で太陽の光を集め、自宅を
      燃やしかける。
 3年生 近所の神社の林の木に、登りにくいからと、家から
      金槌と釘を持ち出し、釘を打ち込む。木登り、木の上が
      好きだった。
      家の屋根裏に上がり、ノコギリで天井の柱の一部を
      切り取り、商店街の中にある家の屋根に出られる
      ようにする。
      友人と、一つのジーンズを何日間はき続けられる
      かを競争し、1か月ちょっとの記録で負ける。
      そろばんが流行、習いにいくが、4級くらいで飽きて
      辞める。
 4年生 雨の日の過ごし方をクラスで議論した際、漫画を持参
      していいか否かが議論となり、漫画賛成論を展開し、
      多数派を確保。
      議論をあおり、勝つ快感を初めて知る。
      確か、このころ、当時大学生だった兄がネパール
      長期旅行から帰国後、赤痢疑惑が持ち上がり、
      商店街の中にある実家にも保険所から8名近い
      白装束の職員が消毒に現れ、近所が騒然となる。
 小学校高学年時代      
 5年生 担任の教師と衝突し、一人学級崩壊状態。
      5月の林間合宿でラジカセを持ち込んだことを怒られ、
      学年全員が運動場に集合した中、一人立たされ
      ネチネチと言われる。
      当時、オールナイトニッポンが流行し、さらには
      名古屋圏ではおなじみの「つぼいのりおのぽっぷん
      10分」を愛聴していた。
      子どもながらに、あまりに理不尽と感じ、以後、なぜか
      徹底抗戦、実力行使。
      教師の指示を基本はすべて無視。授業中は窓の外
      を見続け、宿題は敢えて提出せず。
      ノートには教師を主人公にした主人公の悲惨な物語を
      これみよがしに書き綴り、それを読んだ教師から顔面を
      はり倒されるが、その瞬間、勝利感を感じる。
      友人には好評であり、「田中○○物語」(教師の名前)
      として連載化。
      通知表の性格欄、オールCに近い評価。それを見て、
      また「勝った」と感じる。
      子どもミステリーシリーズにはまる。アガサ・クリスティ
      の「マープルおばさん」の本を図書館から借り、
      家でドキドキしながら暗いところで読む。
      その結果、視力が極端に低下し、眼鏡をかけることに。
 6年生 またしても同じ、担任教師。
      以後、卒業まで、戦いが続く。途中からは冷戦状態。
      卒業文集には、将来なりたいものに「社長」と書いた記憶。
      お金持ちのお嫁さんなどとの記載に対しては、別れた
      らおわりやんと不思議に思う。
      友人の男の子とケンカ。わざと傷つける言葉を投げ
      つける。切れた友人は、泣き叫びながら学校中を追い
      かけてくる。最後は壁に追いつめられ、相手は泣き
      叫びながら殴りかかってくるも、周りを他の児童が
      とりかこみ私も逃げ場がなく、そこにようやく現れた
      校長先生が間に入り止まる。

 中学生時代 四日市市立中部中学校 
 1年生 剣道部に入る。自分一人の力を試せるからと。つまり、
      自分以外の人の影響は受けないということ。
      道着に着替えをしていると、隣の家庭部の不良が
      ノコギリを棚越しに放り投げてきたのでさすがビビる。
      不良は予想の範囲を超えることをするから不良と
      呼ばれると以後、肝に銘じることに。
      サム・ライミ監督のデビュー映画「死霊のはらわた」を
      筆頭にホラー映画ブームが起こる。友人と前売り券を
      買って、片っ端から見ていく。
 2年生 毎週金曜日の夜は、ブランデーを飲んで朝4時まで
      MTVを見るのが楽しみに。
      さらにときどきずる休みして布団の中で推理小説を
      読みふける。ちょっと不登校気味か。
      この当時、バンヘイレンのジャンプや、マドンナの
      ライクアバージン、マイケルジャクソンのスリラーが流行る。
      個人的には、ドイツのバンド、ネーナにはまる。
      塾の夏期講義、「室生犀星」の下の名の読み方が
      分からず、横にいた勉強のできる友人に訊くも教えてくれ
      ようとはせず、世知辛いもんだと悲しむ。
 3年生 当時のいわゆる「外タレ」コンサートに名古屋まで足を
      運ぶようになる。
      そのため、学校も休むが、近所の貸しレコード屋でたまに
      顔を合わせる担任教師は黙認。

高校時代 三重県立四日市高等学校 
 1年 今度はチームプレーに挑戦とソフトボール部に入るが、攻
    撃は自分の番がまわらないと退屈、守備も自分のところに
    ボールがこないと退屈、剣道に比べたら待ち時間、試合
    時間が何かと長いと感じ、1年であえなく退部。一応、
    サードを守っていた。
    このころ、集団で一緒に泣いたり、笑ったりということは
    苦手かもしれないという自覚、つまり協調性に欠けるとい
    うことに自覚が芽生える。
 2年 友人と各種マンガ本の貸し借りにふける。「ぼのぼの」
     「バナナフィッシュ」など。
 3年 兄が京都にある大学(大橋の京都大学ではありません!)
    に行っていたこともあり、自分も関西方面の大学にと漠然
    と考え、なんとなく法学部を受験。1月、自衛隊員合祀
    訴訟を夕刊で知り、間違ってるんちゃうん最高裁と疑問を
    抱く。
    浪人をしてまで入りたいと熱望する大学もなく。確か、
    最後の共通一次試験も受験。
    数学で大ミスを犯す。国語、世界史、英語だけで合格
    させてくれた大学にそのまま入学。

大学時代 関西大学法学部入学 18歳。
    大阪に来て、まず驚いたこと。
    映画館の映画って、2本立てじゃないんだ!
    (田舎は映画館が少ないので、映画といえば当然、
    2本立てだった)


 ここまでを振り返ると、何か一つのことをやりとおしたというものがあまりないことが明確になる。ふらふらした、ごく普通の18歳まででした。
 「18 till I die」 というブライアン・アダムスの歌があります。
 うーん。18歳か。精神的に18歳。今の性格の礎となる転機はというと、やはり小学校5年生の対担任教師との一人学級崩壊の2年間のバトルのように思われます。それまではもっと素直だったように思います。ちなみにうちの母親は、教師とのバトルを知っていましたが、私には何を言っても無駄と放置していた様子。

 18 till I die より、やっぱり今が一番いいです。18歳まではそれなりに複雑で、もがいていたような気がします。自分の心情としては。誰もが悩み多き10代。
 先日、NHKのドキュメンタリー番組で、大阪府貝塚市の不登校の中学生の子らの番組をたまたま少し観て、はたと自分の子ども時代を振り返ったというのもあります。
 「子ども達は悪くない」というタイトルの本があったかと思いますが、10代の子ども自身が何か「悪い」と全ての責任を負わされる状況にはないかと思います。
 周りの大人たちしだいの面が多分に強いのではないかと。
 誰もが完璧に幸せな子ども時代を送れるという保証なんてものはなにもなく、だからこそ、自分で自分の状況・現状をどう受けとめていくのか、それをもがき苦しむのが10代の試練かなという気もします。
 10代でも分かることは、自分の状況を他人のせいにはしないということではないかと。人のせいにしたらそこで自分の成長は終わります、きっと。10代の子にこんなこと言っても、何をエラソウにと反感を持たれるだけですが。
 先生のせい、母親のせい、友人のせい、なんてことはどうでもよくって、自分が何を出来るのか、何をしたいのか、何をすべきか、どういうふうに生きたいのかということを考えて(要は、前向き)時間を過ごせば、だいたいのことはどうでも良くなります。過去よりも今の方が大事です。
 これはたぶん大人になっても同じで、同僚のせい、先輩のせい、上司が悪いから、隣人が悪いから、夫が悪い、妻が悪い、友人がひどいといった思いから開放されると、楽に前向きになります。腹を立てているだけ、時間の無駄です。終わった過去は変えようがないので、切って捨てていくしかありません。糧とはしつつも。と、考えています。

(おわり)

« そうだったのか、「税理士法」【松井】 | トップページ | 「和解」の上手な裁判官【松井】 »

02 松井」カテゴリの記事

10 つれづれ」カテゴリの記事