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2008年4月 1日 (火)

同性婚について考えてみる~憲法、裁判所、政治と自由~【松井】

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*労働法の大内教授の講演を一緒に聴きました。↑休憩時間中の大橋。


 先日、「4か月、3週と2日」という東欧の映画を映画館で観てきました。
 見終わったあと、その映画の時代の社会的背景についての知識が加わると「家族、婚姻、生殖」といったごく個人的私的な事柄と国家、政府との関わりについて考えさせられました。
 映画自体は、そういった問題を大々的に取り上げたといったものではなく、女子大生の視点から周囲の人間、あるいはこの女子大生の様子をとらえ、その捉え方が意地悪く、でもこれが人間だろうと思わせる説得力でもって、とある一日を淡々と、しかし緊張感をもって描いた映画でした。深夜放送で見かけるような映画で、こういう映画も私は好きです。


 映画をみたあと、日本の刑法で犯罪とされている堕胎罪や、その違法性の阻却を定める母体保護法についてぼんやり考えていたところ、久しぶりに足を運んだ大阪弁護士会の図書館でクレジットカードに関する文献を探していたら、「法学教室」の4月号の憲法の演習問題で、著名な憲法学者が同性婚と憲法について出題されていたのが目に留まりました。こういうことが憲法問題として論じられるようになったんだなとちょっと驚きました。
 また、論文集を見ていたら、研究者の方が「婚姻のポリティクス~アメリカの同性婚訴訟を中心に」として論文を発表されているのをみつけました。
 なんとなく気になり、ネットサーフィンをしていたら、日本女性とスペインの女性がスペインでの法律に則り婚姻したけど、日本では同性婚が認められていないので在留許可の点で不安定な地位にあるというブログを目にしました。
 このときようやく、問題の切実さが実感できたような気がします。
 在留資格については、戸籍上の夫婦であっても、婚姻の実態に欠けるとして在留資格が認められず、退去せざるを得ない場合があります。このとき、本当は夫婦の実態があるのに、入国管理局からはそれを否定され、離ればなれにならざるを得ない方々を間近に見ると胸がつぶれそうな思いになります。
 そこで、ちょっと同性婚について考えてみました。


 日本の法律には現在、同性婚を認めないという条文はありません(松井茂記「法学教室」331、164頁)。
 じゃあ、女性同士、あるいは男性同士が婚姻届を作成し、市役所に提出したらどうなるか。おそらく受理されない。これが受理されなかった場合、憲法上の問題は何かというのが、先の法学教室の演習問題です。
 松井教授の指摘のとおり、憲法24条と14条の問題になるかと思います。
 大前提としては、「結婚する自由ないし結婚の権利は、家族を形成・維持する自己決定権の一つ」となりうるのだと思います(松井茂記・前掲)。

 で、じゃあこれを男性同士、あるいは女性同士について認めないということはどういうことかというと、つきつめていくと、やはり松井教授が指摘するとおり、「婚姻を異性間に限定する根拠は何か」「憲法24条が、婚姻を異性間のものに限定しているのかどうか」が問題になるのだと思います。
 最高裁が判断するとすれば、同性婚が否定されるなら「それが公共の福祉のための合理的な制約」にあたるか否かということとなり(松井茂記・前掲)、例のブラックボックス=「公共の福祉」って何?というところにいきつくのでしょう。
 先の外国人の方との婚姻で、共に日本に暮らしているのに、一方に配偶者として認められるべきヴィザが認められない、法的に地位が不安定という切実な不利益を考えると、これを上回る法的な利益が「公共の福祉」という名で今の日本にあるのか。
 私はないのではないかと思います。
 法律婚の制度によって、事実婚とは異なるれっきとした一線がある以上、この法律婚によって保護されるべき利益を得られてしかるべき個人がいたなら、この利益に優越するほどの「公共の福祉」は見当たらないのではないかと。
 対立利益としてあるとしたら、「同性婚の否定は同性愛者に対する偏見」(松井茂記・前掲)に行き着かざるを得ないのではないかと思います。


 この点、先をいく「アメリカの同性婚訴訟を中心に」とした、「婚姻のポリティクス」小泉明子さんの論文は興味深いものでした(民商’07 137-2-27)。
 この論文は「合衆国において、同性婚訴訟を中心としたLGBTの権利獲得の動きがどのように発展したのか、そしてその反動はいかなる主張に基づき、どのような法的状況をもたらしているのかを明らかにすることである。」とあります。LGBTとは、「Lesbian,Gay,Bisexual,Transsexualの頭文字をとった性的マイノリティの総称」です。
 当初は、原告当事者主義のボトムアップ型であった訴訟も、トップダウン型訴訟として、権利擁護団体が当初から戦略的に関わり、訴訟での争い方も、差別の強調よりも婚姻する権利そのものに訴えを絞るようになったとあります。つまり、提訴する地をどうするか、誰を原告とするかということについて、認められやすいように、戦いやすいように戦略をねって提訴したようです。
 その結果もあり、「マサチューセッツ州最高司法裁判所は州側の主張する同性婚禁止の理由、①生殖に適した環境の保持、②子の養育に最適な環境の保障、③財政保護、のいずれも退けた。」(小林・前掲)とあります。

 しかし「二〇〇四年のマサチューセッツ州における同性婚の実現は、全米各地でLGBTの権利拡大に対する反動(バックラッシュ)を引き起こした。」とあります。
 アメリカでは、「根本的に市民社会は異性婚制度を保持することに関心を持つ、なぜなら市民社会は次世代育成の促進に深く永続的な関心を持つからである。要するに、政府は子に利が関係を持つために、婚姻にも利害関係を持つ。」といった考えで、Defense of Marriage Act (婚姻防衛法)という連邦法が1996年に成立しているようです。ただ、法的な側面からその特異性および合憲性への疑いが指摘されているようです(小林・前掲)。これは、そりゃそうだろうと思うところです。

 この小林さんの論文は最後、次のように記されています。
 「同性婚の管轄外効力をめぐる問題は、グローバル化に伴い国際的な(同性・異性)カップルが増加している現在、切実な問題になりつつある。それはいまだLGBTへの法的保護がなきに等しい日本に置いても早晩出てくる問題であろう。」
 先のスペインでの同性婚をした方のブログの記述を読むと、そのとおりだと思います。在留資格と結びつくと本当により切実な問題。

 ちなみに、別の必要があってパラパラと読んでいた松岡博編の「国際関係司法入門」(有斐閣)にも次のような同性婚に関する記述があり、驚きました。
 「同性婚と日本人の婚姻用件具備証明書の様式改正について」として、日本人が外国の方式により婚姻する場合においては、当該外国官憲から、その日本人当事者が日本法上の婚姻要件を満たしていることを証する、婚姻用件具備証明書の提出を求められることがあるが、日本国から交付される婚姻用件具備証明書には、従来は相手方の性別が記載されていなかった」という。
 ところが、外国のいくつかの国においては同性婚が認められるようになり、同性婚を認める外国にそのような証明書が提出された場合、日本法上も同性の相手方との婚姻に法的障害がなく有効であると解されるおそれが出てきた」ということで、「婚姻の相手方が日本人当事者と同性であるときは、日本法上婚姻は成立しないため、同証明書を交付するのは相当でない」という通知が出されているとのことです(前掲185頁)。


 アップル社のスティーブン=ジョブズの有名なスピーチの中にコネクト・ザ・ドッツというのがありました(確か)。関係ないと思っていた点と点が結びつくという話だったかと思います。
 同性婚等について切実に考えたことは正直なところなかったのですが、映画、雑誌、本、ブログといったところで点と点が結びつき、いろいろと考えました。

 日本の法律について考えるとき、諸外国、特に英米法、裁判例等に目を広げると非常に興味深いです。
 なぜ、なぜ、なぜと問いつめた「一休さん」の「どちてぼうや」の状態になり、既存の法律、法制度に対して、所与のものとしてとらえるのではなk、「どちて?どちて?どちて?」と問い詰める。

 今、8月30日開催予定の近畿弁護士連合会での消費者夏期研修のテーマでクレジットカードに関する規制・問題点について皆で研究しており、その際、やはり諸外国はどうなのかということが議論になります。
 比較法。
 同性婚、生殖関係についても、そろそろ日本でも裁判・政治立法を通じて、新たな動きがおこってもおかしくないと思います。
 タブーなく議論できる社会。
 それは解雇法制についても、先日、大阪弁護士会で講演された神戸大学の労働法の教授、大内伸哉さんも言っていました。
 結果として解雇の規制を緩める方向で活動していた労働法学者が暗殺された、つい数年前のイタリアでの出来事だとか。労働者の解雇というタブー視されがちな事柄についても、まずは学会内、世間でも、自由に議論できる土壌が大事であるといったことでした。

 映画「4か月、3週と2日」の時代のルーマニアと比べても、自由に議論できるということはそれだけで素晴らしいなと同性婚、憲法を考えながら、久々にしみじみと感じました。

 また米国の訴訟活動にしても、ボトムアップ型からトップダウン型訴訟と変遷したというあたり、なかなか興味深いです。
 これは先日、所属会派の下半期総会においてC型肝炎訴訟弁護団の全国副団長を勤められている弁護士の方の、短いものでしたが印象深い講演を聴いた中にも通じるものがあります。
 裁判所だけでなく、世論、国会、法律を変えようというとき、単に原告個人が当事者となって訴訟をすればたれりというものではなく、訴訟戦略に留まらない戦略が大事であるといった話だと私は理解しました。

 目にしたこと、耳にしたこと、いろいろなことがリンクしていき、つながり発展していく感覚。面白いです。
 同性婚。まずは在留資格のところから声を上げていく余地があるのではないかと思います。
 「こんなのおかしい!」と声をあげるシスターローザが周りを変えていく。
 「Separate but equal 」?

 そうそう。確か90年代初め、スザンヌ=ベガが「夜中、泣き叫ぶ声、モノがぶつけられる音が聞こえて、次の日の朝、僕が傷だらけの顔になっているのを見かけても、どうしたの?って聞かないでね」といった内容の「ルカ」を歌い、その数年後、日本でも幼児虐待の問題が切実に報道で取り上げられる事件が頻発する状況となりました。90年代半ば、アメリカで「ストーカー」の本が出版されたというので雑誌で紹介されていたところ、「ふーん」という感じだったのが、ストーカー規制法の成立になりました。そして、90年代終わり、「ドメスティック・バイオレンス」という言葉が日弁連の月刊誌「自由と正義」に取り上げられた後、DV防止法の制定となりました。
 だいたい日本の社会で物事が顕在化していくのはアメリカの5年遅れくらいというのが私のたいした根拠のない実感です。
(おわり)
 

 

 

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