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2008年2月11日 (月)

税理士さんの話しと講師・プレゼンのあり方【松井】

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 先日、ベテラン税理士の方の話を聞く機会がありました。何に課税するのかという話しから始まり、それは3本柱だと。
  所得
  資産
  消費
 現在の日本の税制がどうかという話しから、今後、どの方向へ向かうのか。
 また、税制のあり方として、税収額が先か歳出額が先かというバランス論の話し。
 その他、税理士のあり方、価格移転にからむ国税庁の「事前確認制度」、地方税の国税準拠主義の実態などの話しを聞き、数時間に及ぶ講義でしたが、非常に興味深く聞き、ちょっと考えさせられました。
 以前、経済週刊誌で特集が組まれていましたが、今後、「v.国税庁」という事柄が増えるのかもしれません。「もう黙ってられへん!」という流れが出てきそうな気がします。顔色をうかがうのはもう止めだ、法廷で、理屈で勝負だ!という企業や個人が増えそうな気がします。


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 それはともかくとして。
 私自身もたまに講師などをすることがあります。準備に時間をかけ、1時間や2時間の時間、その場にいらっしゃる方が何か一つでも聞いて良かったと思ってもらえるようにと心がけています。
 これが例えば、TV番組での「弁護士」としての出演だと、構成・編集についてはディレクター、放送作家の方などが構成を考えてくれて、こちらはその流れに沿った話をするに過ぎません(とはいえ、打ち合わせと準備に相当の時間をかけます。20分ほどの番組放送時間のために)。
 しかし講師・講演については、テーマを与えられると、その構成はこちら一人で考えることがほとんどです。お任せになります。
 その際、興味を持ってもらえるようにと中身を構成することになります。

 この数ヶ月、弁護士、税理士、公認会計士などの実務家の方が講師の研修や講演を聴く機会が非常に多く、他人のその講師ぶりを見ていろいろ自分なりに気づいた点、考えさせられた点があるので、自分のメモ用にここに記しておきます。



● まず、第一は、やはり声のトーン。暗い調子なのは、それだけでこちらの気分も暗くなってきます。妙に張り切って明るくはじけた感じ、とまではいかなくても、最低限、暗くない調子の声のトーンで話す必要はあり。
● 次に、内容。やはり伝えたいこと、最低限、伝えないといけない情報があるときは、まず全体像を示すべき。最大のポイント、最低限、伝えたいことはコレ!というものをまず最初に提示すべき。それがないままに、いたずらに情報量が多く、メリハリなく伝えていっても、何を何のために今、講師が目の前で話をしているのかがよく分からなくなる。● 配布物。パワーポイントの画面をたくさん印刷して配布すればいいというものではない。かといって、通常のA4メモ書きのレジュメを渡すだけなのもよくない。なぜなら、講師が前で話をしていても、常に手元のレジュメを見て、講師と聴衆のアイコンタクトがなくなり、全体的に印象の薄い講義になってしまうから。レジュメを配ったとしても、パワポのスクリーンがなかったとしても、そうならそれで講師が前で板書をして、聴衆の顔を上げさせ、注意を惹くべき。
● その他
 用意した内容を淡々と流すのではなく、ときどき経験に基づく雑談を交えるとメリハリになって、聴衆の関心が続く。
 当たり前だけど、講師は手元を見て話すのではなく、前を、聴衆を見て話す。
 参加型にして、ときどき問いを聴衆に投げかけ、回答してもらう。キャッチボールが出来ると、一体感が出てくる。



 といったことをつらつらと考えていました。これらはもちろん、本でもよく書かれていることばかりですが、実際に自分が聴衆の立場で考えてみると納得出来る事柄ばかりです。
 お金をもらって講師、講演をする限りは、たまには自分の様子をビデオ撮影するなどして振り返ってみるといいかもしれません。単に場数を踏むだけでは上達もなく、やはり練習があって向上があるということだと思います。
 私も一度、自分の相談現場の様子、あるいは講師・講演の様子をビデオ撮影して振り返ってみようと思いました。

 ちなみに、法廷での尋問の様子は、刑事事件の重大事件ですとまず間違いなく、速記官の方が入ってそのままの様子が文字化されます。また民事事件ですと、録音され、それが反訳されます。
 これらを読み返して、証人の記憶の曖昧さを追及してよく頑張ったな自分、と思うこともあれば、何を訊いているんだ、わたし!?と豆腐の角に頭をぶつけて死んでしまいたくなるような気分になることもあります。
 
 最近読んだ、「ハーバード・ロースクール アラン・ダーショウィッツ教授のロイヤー・メンタリング」という本で書かれていた一文です。ちなみに、この本の原題は、「letters to a young lawyer 」です。

 「弁護士という職業は終わりのない試験の連続」。
 そのとおりだと思います。しかもその「試験」というのは、「(法曹というのは)能力や努力を正確に反映しない成績がつけられる試験の連続だ」というのです。

 また、「情熱的に生きよう!」という言葉も贈られています。
 私自身、無表情な顔で、面白くなさそうに仕事をするようにはなりたくないと思ってきました。
 
 そしてこの本で強調されていたこと。
 「もし私が自分だけのためにしか働かないとしたら、私は何者だろう?」

 冒頭のベテラン税理士さんは67歳でしたが、黒の革ジャンにジーンズで登場しました。そして、やってこられた仕事も、尋常ではない情熱を傾け続け、「不撓不屈」ではないけど、交渉すべきところ、闘うべきところでは戦い、そして結果を出してこられてきた方でした。
 まさに骨太のプロフェッショナル。
 格好いい講師であり、税理士であり、本当のプロフェッショナルの方でした。もし私が60歳を超えても今の仕事をしているとしたら、こうありたいと思わせられる迫力でした。
 今年37歳ですが、あと3年の30代をどう生きるか、終わりのない試験の連続です。いつまで心身が耐えられるのか。試験に耐えられる情熱がなくなったとき、惰性になりだしたときが辞め時かなと思ったりしています。自分だけのために働くようになってしまったら、辞めます。
(おわり)

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