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2008年1月

2008年1月31日 (木)

類推適用~割賦販売法を考える~【松井】

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*事務所の前の北浜交差点。松たかこ、登場。

1 
 割賦販売法という法律があります。クレジットカードを利用して、クレジットカードで買い物をするということは、通常、割賦販売法上の総合割賦購入あっせん(2条3項1号)に該当します。
 ということは、たとえば、クレジットカードを利用して洗濯機を買ったけど、その洗濯機がはじめから設計ミスで欠陥品で使い物にならなかったような場合、クレジットカードへ会社から支払い請求が来たとしても、支払を拒めることになります。
 これは昭和59年の割販法の改正で、30条の4という規定がおかれ、抗弁権の接続として、販売店に対して主張できることは、信販業者に対しても支払の拒絶というかたちで主張できるものとされたことによります(ただ、まあこの規定が創設規定なのか、確認規定なのかはおいておくとして)。


 ただ、割賦販売法には2条の定義規定があり、適用となる割賦販売とは、「二月以上の期間にわたり、かつ、三回以上に分割して受領すること」とされています。
 つまり、クレジットカードを利用して同じ洗濯機を買っても、1回払いだと、たとえ欠陥品であったとしても1か月ほど後にくるクレジットカード会社からの請求に対して、30条の4の直接適用はないということになります。一方で、3回払いだったら、同条が適用され、支払を拒めるのです。


 どうでしょ?このような結論の違いは。結論、保護される消費者と保護されない消費者という差が出ることは、果たして合理的な理由があるのか。
 ありうるのは、現金払いだったら、どうしようもないじゃないかという議論でしょう。 となると、1回払いの人について、現金払いの人とと比較するのか、3回払いの人と比較するのかという問題になります。



 この点、以下のように考えてみました。
 超アクロバティックで、裁判所で主張したとしたら裁判所が採用してくれるのか。もうとんでもなくこの人が可哀想で、救済しないという結論はどう考えてもおかしいという価値観を導く状況があれば、どうでしょう。
 もっとも簡単なのは、法改正ですけど。1回払い、2回払いを除外している、現行の規定を変えればいいだけです。
 1回払いであったために泣いている、被害者といえる人々が大勢いるという立法事実があれば、改正は理論的には可能であるとは思います。
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*朝、我が事務所前で自転車を降りる不審な人、発見。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

問題点:
 契約の形式は、総合割賦購入あつせん(2条3項1号)。
 売買取引に問題があれば、要件を満たす限り、抗弁の接続でクレジット会社に対しても対抗し(30条の4)、クレジット会社への支払を拒めるはず。
 しかし、割販法2条「二月以上の期間にわたり、かつ、三回以上に分割して受領すること」を要件としいる。
 よって、一括払いの場合、割販法上の「総合割賦購入あつせん」にはあたらず、抗弁の接続・対抗も出来ない結果と形式上、なる。
 それでいいのか。

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*お!事務所ビルの中へ入って行きます。尾行開始。

以下、松井私見です。
考え方: 
 そもそも割販法上の定義規定につき、割賦販売の定義を敢えて狭くした要件を付したものにすぎない。一回払いも、割賦販売の定義に含まれる余地はあり、今後、改正の可能性もないとはいえない。30条の4抗弁権の接続の趣旨は、一回払いにおいても当然、妥当するものである。類推適用の余地が全くないとまではいえない。

道筋: 
1 割販法等の目的
 1条 「この法律は、割賦販売等に係る取引を公正にし、その健全な発展を図ることにより、購入者等の利益を保護し、あわせて商品等の流通及び役務の提供を円滑にし、もって国民経済の発展に寄与すること」
  ↓
 保護対象となる取引形態たる「割賦販売」につき、本質的に、「二月以上の期間にわたり、かつ、三回以上に分割して受領すること」という要件が導きだされるものなのか?
  ↓
 NO。
  ↓
 「割賦販売のもっとも基本的な仕組みは、モノの引き渡しとカネの支払時期が分離し分割されていることである。割賦販売は前金売買、掛売買などとともに信用取引の一種として、売買契約の特殊な形態となっている。」(5頁「新訂版クレジット販売関係法の解説」一橋出版)。
  ↓
 一回払いであっても、モノの引き渡しとカネの支払時期が分離し分割されている。さらには割賦購入あっせんにおいては、売買当事者のみならず、信販会社が登場し、三者間の複雑な取引形態となっている。
 なおさら、消費者が不当に不利益を受けることのないよう保護されるべき要請が強い。

2 
 2条 「二月以上の期間にわたり、かつ、三回以上に分割して受領すること」という要件のそもそもの趣旨
 「これによって掛売り、手附金と残金との2回に分割して代金を受領する販売、短期間に何回かに分割して代金を受領する販売等を除外し、とかくトラブルの起こりやすい契約期間が2月以上にわたり、分割回数が3回以上にわたる割賦販売契約についてのみ本法を適用しようとするためである。」(33頁「平成16年版 割賦販売法の解説」経済産業省) 
   ↓
 単に、当時、信販利用の一回払いではトラブルが少なかったから規制対象からはずれたに過ぎない。


 昭和59年改正 30条の4 抗弁権の接続の趣旨
 「割賦購入あっせんにおいては、商品等の売買と代金等の決済とで相手方が異なる別個の契約を締結することとなる。このため、商品に瑕疵がある場合、商品が引き渡されない場合、契約の意思表示に瑕疵がある場合等において、購入者が割賦購入あっせん業者に対して支払い請求を拒むことができないことに起因するトラブルが多発するに至った。
 そこで第三十条の四及び第三十条の五においていわゆる抗弁権の接続の規定が設けられ、販売業者に対して生じている事由をもって割賦購入あっせん業者に対抗することができるー支払請求に対して拒絶の抗弁をなし得ることー旨が定められた。」(11頁「平成16年版 割賦販売法の解説」経済産業省)。
  ↓
 一回払いであっても、事情は同じ。商品について、洗濯機が欠陥品であった場合、買い主消費者において、対割賦購入あっせん業者に対し、支払を拒めるようにすべき事情は同じ。そうでないと、消費者は、偽物を掴まされたにもかかわらず代金相当額を立替金として支払続けないといけない義務を負うというのは全く不合理。合理的な理由なし。あるか?!

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*なんとなく見慣れたカバン・・・。


 検討
 以上に鑑みれば、本件ケースにおいて、割賦販売法30条の4につき、本件契約が1回払いであり「割賦購入あっせん」には現行規定上、該当しないので、直接適用は困難ではあるが、その趣旨が類推され、類推適用の余地はあるといえるのでは。

① 保護の必要性⇒
 2回払いであろうが、1回払いであろうが、事情は変わらない。

② 保護の許容性⇒ 
 2条の「二月以上の期間にわたり、かつ、三回以上に分割して受領すること」の要件は、当時の法制定当時は、1回払いでのトラブルは少なかったという事情から、除外されたに過ぎず、「割賦販売」の本質的な要件ではない。
 1回払いを利用させたうえでのトラブルが多いという事情に鑑みれば、同規定においても敢えてそのような場合にまで1回払いにつき「割賦販売法」の規制から積極的に除外するという趣旨までは認められない。

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*あら、ビックリ!帽子をかぶった大橋でした。

(おわり)

2008年1月26日 (土)

鍛えられる~消費者問題~【松井】

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 平成11年、大阪弁護士会に登録した当初から、いろいろある委員会の中でも消費者保護委員会に所属しています。
 その年、モニター商法のさきがけのいわゆるダンシング事件が発生し、弁護団に加入しました。ちなみに、全面解決に至るまでに5年ほどを要しました。
 消費者保護委員会では、消費者センターの相談員の方々との情報交換、勉強会などを定期的に開催しています。またセンターの方で開催される事例研究会などにも参加させていただいています。
 私もこの2年ほど、定期的に参加させていただいています。


2 
 相談員の方々は、相談の最前線にいます。相談者の方との話しはもちろん、企業、あるいは信販会社、クレジット会社の担当者とのやりとりを幅広く行っています。
 そこでの生の知識、具体的な使える知識、技術は、弁護士を上回るものがあります。
 いつも大変、勉強させてもらっています。
 皆さんが、相談に来られる方を何とか助けたいとの情熱をもって相談業務に取り組んでおられます。

 そのようななか相談員の方から、弁護士として相談を受けるのですが、法的な結論としては、どうしようも出来ない、裁判になっても勝訴するのは困難であるとこたえざるを得ないケースもあります。
 現行法ではどうしようもできません、業者の法的責任追及は困難です、と。


3 
 ダンシング事件のとき、弁護団で協議していて問題となったのが、クレジット会社・信販会社の加盟店管理責任です。

 ダンシングという布団販売店が、ある時期をさかいに爆発的に売上げを伸ばしていくのです、信販会社との信販利用件数が急増する、その「異常」事態において、原因を確認すれば明らかになったことが、「モニター商法」でした。信販を組んで40万円の布団を購入すると月々の信販会社への支払いは、信販手数料を入れても1万円前後。一方で、布団を買ってモニターとして、レポートを出せば、1万円の支払いを上回るモニター料が手に入る、その差額がお小遣いになるというふれこみでした。
 じゃあ、買った人はみな小遣いに心惹かれたのかというと、意外にもそうとばかりはいえず、むしろ知人に強く勧められ断りきれず、「損はしない」ということでやむを得ず契約したのだという方が結構いました。
 これが実情だと思います。ところが裁判になると、相手方からは欲に目が眩んだとか評されるわけです。

 ダンシング社には信販会社から立替金がまとまって入金されますが、モニター料を支払う必要があります。会員が増えれば増えるほど、支払いも巨額となり、破綻必至商法、蛸が自分の足を食べるような商法でした。
 そしてダンシング社は倒産し、モニター料は支払われず、残ったのは信販会社に対する債務だけでした。

 このような状況において、信販会社は何の責任も問われないのか。
 もちろんいわゆる騙す、悪徳商法を行う企業が一番悪いに決まっています。そこで他に登場する人物が、消費者と信販・クレジット会社です。
 消費者は、信販・クレジットの利用によるメリットを受けているのではないか。
 信販・クレジット会社は、加盟店契約による手数料収入というメリットを受けているのではないか。
 悪徳業者の登場によるリスクについて、消費者が負担すべきなのか、信販・クレジット会社が負担すべきなのか、公平なリスク負担はどうあるべきなのか、という問題にいきつくのだと思います。
 
 

 最近、クレジット・カードを利用した悪徳業者が目に付くとのことです。携帯電話、PCでは、クレジット・カード番号を入力すれば、ものの購入が可能です。
 例えば、利用限度額というものが確かにありますが、例えば10万円が限度であっても、小口の1万円程度の買い物を多数、重ねれば、決済までのタイムラグによって10万円を超える買い物が可能となり、業者に利用されるがままに総額数十万円の買い物をする結果になるとか。
 
 消費者の側においても、防御は重要です。20歳未満の未成年なら、親の同意がなければ取消しは基本的には可能ですが、大人の場合、一度契約したものについてはそう簡単に取消、無効、解除等は認められにくいの通常です。
 「金額」については自分がいった、トータルでいくらの買い物をしているのか、それくらいは把握するようにしてください。
 自分がいったいいくらの負債を負っているのか。
 信販契約、クレジットを利用されている方については、払えなくなってから相談に来られ、そこでトータルの金額を訊いても答えられない方が多いです。
 
 一方で、業者。
 加盟店と消費者の二者間の契約で、たとえ業者が偽物を売っている、詐欺的な商売をしていたとしても、当社は一切関係ございません、と言い切れるのか。

 今年の夏の消費者夏期研修のテーマは、クレジット・カードを巡る諸問題です。
 先日、相談員の方々から海外の事情はどうなのかと問われました。
 すみません、不勉強で。

 現行法を学ぶのはもちろんですが、現行法を超えた法制度論を研究し、構築する能力が必要です。
 そうした努力が、最高裁判決を変更させたりすることに結びつきます。
 法律では、それはダメ、これはダメという回答しか出来ないような業務はしたくない、創造的な仕事を行う余地がある仕事です。弁護士は。
 ただ、あまり創造的になりすぎて現行法からかけ離れ過ぎると裁判所や、相手方弁護士から相手にされなくなるだけですが・・・。
 

5 
 ところで。事務所のホームページを初めて改訂しました(http://www.osaka-futaba.com/)。
 載せてある写真は素人っぽくて、自分でもどうかとは思うのですが、いかにもという綺麗なページも柄ではなく。
 これくらいがいいのかなということで。
 
 法律に振り回されるのではなく、法律をどう使うのかという発想を生かしていきたいと思います。
 そういう点でも、消費者センターの相談員の方々からの相談、勉強会では鍛えられます。いつもありがとうございます_(_^_)_。
(おわり)
 

2008年1月21日 (月)

紛争解決と交渉の力【松井】

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*ときどき読み返す本です。

1 
 「交渉技術は、人間が考え出したすべての法律よりも、一層大きな影響力を人間の行動に及ぼすといえる。何故ならば、人間が現在以上に法律を守ることに細心であったとしても、法律は紛争やきまりのつかない権利主張を無数にもたらし、これは協定を結ぶことによってのみ解決しうるからである。そして、このような協定は、一般的な性質のものも、特殊的なものも、その締結にあたる交渉家の手腕のほどに応じて、各当事者にとって、有利なものとも、不利なものとも、なるのである。」


2 
 1716年に出版されたフランスの外交官、カリエールの著書の訳文の一文(「外交談判法」坂野正高・訳。岩波文庫。97年第7刷)です。
 この本は、以前、同業の友人に勧められ一読した本です。ときどき読み返しています。 法律や裁判で、紛争そのものが終局的に解決するというのは幻想ではないかと思うことが多いです。
 裁判で判決をとって勝ったとしても、当事者間の「感情」的なわだかまりは決して消えないことが多いからです。

 粘り強く交渉し、訴訟であったとしてもそれなりに両当事者が納得できる「アイデア」を出して、和解で解決するのがいいことのほうが多いのではないかと思います。

 カリエールの本には次のような一文もあります。

 「立派な交渉家は、彼の交渉の成功を、決して、偽りの約束や約束を破ることの上においてはならない。」省略「何故ならば、だまされた人の心に、恨みと復讐心を残すからである。だまされた人は、早晩、相手に思い知らせようとするものである。」
 
 この「だまされた」というところを訴訟で負けた人と置き換えれば理解しやすいかと思います。訴訟で負けたとしても、本人が納得していない場合、判決の強制執行の問題が生じます。
 他人のポケットに手を突っ込んでお金を回収することは出来ません。強制執行という法的手続が必要です。
 しかし裁判で負け、支払義務を命じられた方が、素直にお金を支払うでしょうか。
 これは会社であっても会社の方針、つまりは経営者の方針、つまりは結局は、個人の資質にいきつきます。
 素直に支払う人もいれば、「恨みと復讐心」でもって「思い知らせよう」とする人もいるでしょう。

 紛争トラブルは、結局、その事案、つまりその「人」をよく見る必要があります。依頼者にしても、相手方にしても。私の今の理解では。


3 
 昨夜、うっかり「佐々木夫妻の仁義なき戦い」というTBS日曜ドラマを少し見てしまいました。

 稲垣吾郎演じる若手弁護士の事件着手時の不手際。
 近隣紛争等の個人対個人の色彩が強い紛争事件において、本人が何らまだ相手方に接触していない段階で、はやばやと弁護士が「代理人」として本人よりも先に表舞台に登場し、相手方に連絡する不手際が描かれていました。
 相手方にしてみれば、なぜ本人から何の連絡もないのにいきなり弁護士を頼むのかと感情的に反応するのはもっともなことだと思います。
 そういった点にも配慮できる想像力が弁護士には求められます、実際は。

 カリエールの一節。「第三 交渉家の資質と行状について」
 「そのような資質とは、浮薄な快楽や慰みごとに気を散らすことの決してない注意深く勤勉な精神である。物事をあるがままにずばりと把握し、いちばん近道で無理のない方法で目標に進み、洗練の度がすぎたり、意味もない細かな手立てにおぼえれて、よくありがちなことがら、交渉相手を尻込みさせるというような間違いを犯さない正しい判断力である。」
 「気分にむらがなく、物静かで忍耐強く、相手のいうことに、何時でも気を散らさずに耳を傾けられるといことである。人との対応がいつも開けっ放しで、おだやかで、ていねいで、気持ちがよく、また、物腰が気どらないでさりげなく、そのためにうまく相手から好かれるといことである(その反対は、重々しく冷たいそぶりや、陰鬱でむっとしたような顔つきで、これでは相手を尻込みさせるし、反発を招くのが普通である)。」



 日経新聞の「私の履歴書」では、今、前FRB議長のアラン=グリーンスパン氏のものが掲載されています。
 グリーンスパン氏については、以前、ボブ=ウッドワード氏の「グリーンスパン」(日経文庫)を読んだことがあったので、今回の連載は興味深く読んでいます。
 そこで先日、クリントン前大統領について触れた記載がありました。

 「『ミスター・チェアマン』。知事公邸の控え室で待っていると、満面に笑みを浮かべたクリントンがそう呼びかけながら握手を求めてきた。売り込み上手の政治家。そう言われるわけがわかった気がした。会うのを心から楽しみにしていたのだなと思わせる対応ぶりだったからだ。『経済政策の優先順位を決める必要がある。議長の経済の見通しをぜひ聞きたい』彼はこう尋ねてきた。」。
 
 弁護士から、政治家に。ビル=クリントン。
 きっと巧みな交渉家だったのだろうと想像します。
 いたずらに敵を作らない。
 交渉家、弁護士、政治家に求められる資質でしょうか。
 特に、政治家などを志すのであれば選挙になってから取り繕っても遅いですよね、どの立候補者がどうというわけでもなく。



 ちなみに、私は、小さいころは忍者を志し、やがてスパイに憧れ、その後は登山家になりたいと思っていました。心惹かれた事柄は、裏方で、地味で、一人でコツコツと築き上げるものがベースのような気がします、今、自分で自覚するにも。
 いい交渉家、いい弁護士になりたいと思いますが、まだまだ足りないものが多いです。私が思う「いい」とは、紛争を拡大させることなく、火種が小さいうちに火消しできる技術と能力を有する人々です。火種に風を送り込み、薪をくべ、皆を燃え尽きさせることは簡単。
 依頼者の方と和解に向けての打合せをしていると、「どっちの味方ですか!?」と叫ばれることもありますが、依頼者の言い分をオウム返しに口にするだけなら弁護士代理人なんて要らないですといった趣旨の説明させていただくと、納得していただけます。大局的な見地から、もっとも依頼者の利益を確保できる方策を判断し助言させていただくのですが、上記のような台詞を言われる時点で、自分の説明の仕方もまだまだなと反省し、依頼者の方に申し訳なく思います。
 大事なことは、相手方にせよ、相談者・依頼者の方にせよ、まずその言葉に真摯に耳を傾ける、ということなんでしょうね。
 理屈、ましてや法律でどんな人も説得できるとは思っていません。まずは感情を推し量るということからかと。

 にしても。クリントン。やっぱりすごいわ。クリントンの半自伝「マイ・ライフ」、まだ途中までしか読んでいないけど、さっさと読もう。

(おわり)
 
 先日、誕生日でした。コツコツ山羊座、37歳です。事務所で皆に祝ってもらいました。ありがとう!
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2008年1月17日 (木)

尋問手続~BTTB~【松井】

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 先日、今年初めての尋問手続がありました。テレビドラマの法廷場面でよく出てくる、尋問です。
 座っている証言・供述者に対し、質問者が立って質問をし、証言・供述者はその質問に答えるという、あのやりとりです。
 13時15分から16時30分まで。4人。
 相手方主尋問2人、こちらの主尋問2人。


 終わるとどっと疲れます。準備に時間をかけます。主尋問については、リハーサルを重ね、その人の特徴を踏まえた構成を考えます。
 そして準備段階で、ここ数年心がけていることは。

 ぎょうせいから出版されている「民事尋問技術」という本にさっと目を通すことです。 
BTTB。バック・トゥー・ザ・ベーシック。
 裁判官の加藤新太郎さんが編著者の本です。ちなみに加藤裁判官は、私が司法修習生だったとき、司法研修所の長官でした。うわさですが聞いたところでは、司法研修所の図書室にとある小説が入荷されたとき、一番に借りていたのが加藤裁判官だったということで、本業で無茶苦茶忙しいはずなのにその趣味の広さ、好奇心の旺盛さに驚いたことを思い出します。

 この本で書かれていることを今回また改めて読み替えし、ハッとした箇所。


 第5章 反対尋問の章で、五 反対尋問の準備とあります。
 そこで、2 普段の心がけ として記されていること。
 
 「1 訴訟手続に精通し、証拠法則を理解しておくこと」、まぁ、これは当たり前のこと。
 「2 経験則をたくさん仕入れておくこと」として、「経験則をたくさんもっていると、主要事実に関連する間接事実を発見することが容易となる」として、「そのためには、人と会って色々な話を聞くこと、自分と違う生き方があると知ること、何にでも関心を持つこと、事件をたくさん経験することである。」とありました。
 そして、
 「3 人間心理に関する洞察力を身につけること」として、「このためには、文学、心理学など人の心理、行動に関する知識が必要である。」と記されています。


 「人と会って色々な話を聞くこと」「何にでも関心を持つこと」
 これらが仕事に生きてくる、これらが人の役に立つ。
 だから、この仕事は興味深いと思えるのだと思います。
 
4 
 ところで、尋問の出来はというと、こればっかりは分かりません。
 なぜなら、自分で出来た、成功したと思っていても、それには何の根拠もなく、裁判官が受ける評価、印象と異なることが十分、あり得るから。
 なぜこんなことを考えるかというと、司法修習で裁判所修習をしていたときの経験からです。尋問傍聴が終わってから、担当された弁護士とエレベーターで一緒になってしまい、依頼者に話をしている内容が聞こえました。
 尋問する側と尋問を聞いて判決を作成しようとする裁判所側とで、考えているポイントがずれているこということが残念ながらあって、そのズレは、対照してズレをズレとして認識できることは残念ながら永遠にありません。ズレていても結果オーライのときもあります。

 なので、尋問が成功したかどうかということを考えても無意味であって、「ブロック・ダイヤグラムを作り、主要事実、間接事実を把握」し、それにそった尋問事項を考え、予定どおりのことが出来たらよし、と思うしかないのではないかと考えています。
 独りよがり、見当違いがあっても、裁判官は教えてはくれません。
 なぜなら。当事者主義、だから。
 よっぽどひどいとき、また当事者に代理人弁護士がついていない本人訴訟のときは、裁判所にも求釈明の義務が生じて、示唆されることもあるのでしょうが、基本は、当事者主義です。
 極端な話し、時効主張をすれば勝てる可能性があるのに、代理人が時効の主張をしないとき、裁判所は教えてはくれません。実際、そういう代理人が時効主張を失念しているケースがないわけではありません。 
 多くの人と接し、学び、考え続けて、自己研鑽を積み続けるしかありません。 

 自分のエネルギー、能力からすれば、今のようなかたちでこの仕事をし続けられるのは50歳くらいまでかなと考えたりすることがないわけではありません。スポーツ選手のように最盛期といったかたちで寿命があるような気がしたりしています。あくまで私の場合に限ってですけど。

(おわり)

2008年1月12日 (土)

監査基準委員会報告【松井】

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 公認会計士の方が行う財務諸表の監査には監査基準というものがあります。実は。私も最近知りました。そこには体系があって、次のようなものらしいです。

Ⅰ 監査基準
 第一 目的基準
 第二 一般基準
 第三 実施基準
 第四 報告基準

そして、
Ⅱ 実務指針
 1 監査基準委員会報告
 2 監査委員会報告
 3 IT委員会報告
 4 銀行等監査特別委員会報告

Ⅲ 各研究報告。


2 
 このうち、「監査基準委員会報告」というものをいくつか目にする機会があったのですが、驚きの品でした。
 監査人が企業の財務諸表の監査を行うにあたっての、非常に詳細かつ具体的な、従うべき準則として示されています。
 例えばこんな感じ。

監査基準委員会報告書第22号

継続企業の前提に関する監査人の検討

経営者の評価の検討
14. 監査人は、継続企業の前提に重要な疑義を抱かせる事象又は状況を識別した場合には、当該事象又は状況に対する経営計画等が、当該事象又は状況を解消あるいは大幅に改善させるものであるかどうか、実行可能なものであるかどうかについて、十分かつ適切な監査証拠を入手しなければならない。
 この場合、監査人は、経営計画等のてん末について予測することはできないため実施可能な範囲で例えば次の点を考慮して、経営計画等が不合理でないかどうかを判断することに留意する。

<資産の処分に関する計画>
・資産処分の制限(抵当権設定等)
・処分予定資産の売却可能性
・売却先の信用力
・資産処分による影響(生産能力の縮小等)

<資金調達の計画>
・新たな借入計画の実行可能性(与信限度、担保余力等)
・増資計画の実行可能性(割当先の信用力等)
・その他資金調達の実行可能性(売掛債権の流動化、リースバック等)
・経費の節減又は設備投資計画等の実施の延期による影響

<債務免除の計画>
・債務免除を受ける計画の実行可能性(債権者との合意等)



 このような事柄が、監査にあたって監査人が依拠すべき監査基準として策定され、公表されているのです。 
 一般的な専門家向けの出版物でということなら分からないのでもないのですが、監査人皆がが従わないといけない基準として、そのほかにも具体的に、ここまで手取り足取り定めるのか!?というような「基準」が定められているようです。
 
 暗黙知が詳細に文字化されて公表されている、しかも従うべき基準として。そのことに驚きです。



 ただ、監査人による監査において依拠すべきとされる基準がこのようにどんどん詳細かつ具体的に定められていけばいくほど、「監査の品質」は確かに確保されるのでしょうが、誰がやっても同じということで均質化・均等化され、「公認会計士」の資格がなくてもいいんじゃないの?!ということになるのは必然のような気がします・・・。人数不足が叫ばれていることですし。

 公認会計士の方が、「二級公認会計士」といったもっと取りやすい資格をつくるべきだといったことを口にされているのを聞いたことがありますが、監査基準の実態を知れば知るほど私としては妙に納得です。
 
 2006年12月のエントリーですが、日本の資格をもって日本の監査法人で働いた後、今はアメリカで監査業務をされている方の文章です。
 ↓
 http://lat37na.exblog.jp/6182931/

 監査業界の変遷が興味深い。

 悪口では、日本の大監査法人は海外の大監査法人の支店となっているという言い方も耳にします。もちろん、監査業務の実態を私は知りませんので、あくまで耳にした表現として。

 ただ、いくつかの監査基準委員会報告書を目にすると、その詳細さと具体的な指針に対し驚嘆すると同時に、どういった点でプロフェッショナルとしての裁量・技量が発揮されるのだろうかと素朴な疑問が浮かぶのも事実です。
 まあ、マニュアルがあることと、それを実践できることはまた別のことですが。もちろん。

 と同時に、マニュアル・指針としてこちらの業務に役立ちそうなものは使わせてもらおうかと表現をメモしたりもしていますけど。



 マニュアルと暗黙知。暗黙知だけで、経験だけでオン・ザ・ジョブ・トレーニングで技術を身につけろというのも非合理的だとは思いますが、裁量の発揮の余地がないほどに手取足取り段取りを指示されて仕事をするのも面白くない。
 何事もやはりバランスか、ここでも。
 とはいえ、自分が日常を過ごす世界と異なる世界を垣間見るのは面白い!

 そういえば、昔、ひょんなことからテレビ番組の製作スタッフに混じって夜中の12時にラーメン屋でラーメンを一緒に食べたことがありました。
 夜中の12時に8名ほどの大勢のスタッフが翌朝の生放送に向けて準備作業中でその合間を抜けての一休みでのラーメン。ラーメンを食べて店を出ると、私は家に向かいましたが、スタッフの方々はまた職場へと戻っていきました。
 自分が生きるのとは異なる時間と場所で、まったく自分の知らない仕事が行われている。 
 パラレル・ワールドを見た思いでした。

 やはりいろいろな業界を見るということが大事ですね。自分の位置を確認するには。
 そういう意味では、私がいま働かせてもらっている業界は、まだまだ暗黙知が優勢かも。
 公認会計士の方々の世界の「監査の品質」という言葉を目にし、聞く度に、「訴訟行為の品質」、「法律相談業務の品質」といった言葉が脳裏をよぎります。「品質」は、おそらく、千差万別かもしれない・・・。
 なぜなら。私自身が既に私の「品質」を判断できないから。
 なぜなら。「基準」がないから。

 アメリカのワールドコム事件やエンロン事件、さらには日本のカネボウや、ライブドア事件のような、業界全体の信頼をゆるがすような大事件が起こったら、会計ビッグバンとはまたちょっと異なりますが、感覚的に言えば、法曹ビッグバンといったような出来事が起こるのでしょうか。
 公認会計士の方々の仕事も大変そうだと思います、率直に。でも世間から見たら、「品質」をちゃんと確保できるように「基準」としてルールを作ったから守ってねということでしょうか。業界全体で信頼を失ったとされているわけですから。
 去年7月、大手監査法人が消滅してしまったように、いつか大手法律事務所が消滅したりするような時代が来るのでしょうか・・・。
 誰も分からない。ただ、上記のLat37naさんの記事は示唆に富むかと思います。

(おわり)
 

2008年1月 9日 (水)

体調管理、第一【松井】

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↑ 執務室の窓からの景色。はっと気づくと、暗いことが・・・。


 弁護士の仕事は体力勝負、と言う点はおそらく多くの弁護士において否定されないところかと思います。
 確かに、頭脳作業がメインですが、考える力を最大限発揮させようと思ったら、体調がよくないといけません。体調が悪いと思うように頭も動きません。
 また実際、大橋の新年ブログではありませんが、時間に追われながら働いている面もあり、はっと気づいたら窓の外も暗くなっていて、そういえば昼ご飯を食べるのもすっかり忘れていたという日もあります。
 ある意味、力仕事であり、ブルドーザーで地均しをするような感じで体力勝負のところがあります。


 にもかかわらず。
 私は毎年、冬の季節、風邪を引いてしまいます。鼻風邪で、熱が出るわけではないので十分働けるのですが、呼吸がしづらく、また声もおかしいという状態なので、健康管理が不十分と恥ずかしいような思いがします。

 司法修習中に一度見た限りですが、尋問期日の当日、担当弁護士がマスクをして現れ、尋問というのに声が出ないという場面を目撃したことがあります。
 さながら、歌手がコンサート当日、風邪のために声が出ないのにコンサートを敢行しないといけないというに等しい失態ではないかと修習生ながら驚いたことがあります。
 さすがに尋問当日、体調不良ということはまだ幸いないのですが、明日は我が身と冬は怖いです。


 昔は、週に1度、水泳1500メートルに合気道の稽古90分というのが週の運動メニューだったのですが、今は、合気道は足が遠のき、週に1回1500メートルの水泳と週に1度のヨガ教室に足を運んでいます。

 ヨガは全く緩慢な動きなのですが終わったとき、生まれ変わったように心身ともにリフレッシュされます。
 水泳も、黙々と45分ほどで1500メートルを泳ぐのですが、軽い瞑想状態になっているのではないかと思われ、終わった後は気持ちがスッキリします。

 30代、心も体も危うくなっていく年代です。バランスを崩さないように出来る努力を積み重ねています。


 去年からは、さらに朝起きたときには、ヨガの太陽礼拝のポーズをとり、森光子や黒柳徹子のようにスクワットに励み、流行のスロートレーニングで10分ほど筋トレをしています。風呂上がりには軽いマッサージやストレッチ運動。

 これだけ運動しているのに、やはり冬には風邪をひいてしまいます。情けない。
 ここ数日、ヴェポラップを塗って寝ています。
 
(おわり)

2008年1月 8日 (火)

現場一番【松井】

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数年前、日帰りで石垣島の検察庁支部に出向いたときの写真。8時関空発、6時石垣発だったかな。忙しかったので一泊していこうという気もなく。ただ、支部ではコーヒーを出していただき、そのことに感動した記憶が。大阪では考えられない。


 弁護士は、事務所でもくもくとパソコンに向かい書類を作成しているか、依頼者・相談者と打合せをしているか、あるいは電話に出ているかということが確かに多いのですが、意外と外に出ていることも多いです。
 どこに行っているのか?

 委員会の会議のために弁護士会に行っていたり、あるいは弁護団や所属会派の会議のために他の弁護士事務所に行っていたり。
 もちろん、裁判期日のため、裁判所にも行っています。裁判所も、通常の行動範囲として、京都、神戸、奈良、和歌山あたりだった足を運びます。それ以上の遠い裁判所には、出向くこともあれば、電話会議で済ませることもあります。
 また、そのほか事件関係者に会うために出向いたり、不動産が絡む事件なら不動産の物件を見て確認したり、事故や事件だとその現場に足を運んだり。
 

 相続事件を多く担当することもあり、不動産は見に行くことが多いです。
 小規模ですが、裁判所の依頼で破産管財人となり管財物件の不動産を売ることが業務であることもあります。小規模の管財物件では、費用対効果の関係もあり、現地に不動産を見に行くということはあまりないのですが、行ってみると、やはり見に行くべきだなといつも痛感します。


 数年前には、関西から電車で2時間以上の場所にある土地の売却手続のため、12月、購入希望者の方と一緒に現地で落ち合い、土地の形状等の確認をしました。
 そこはとても雪深い土地であり、駅まで迎えに来てもらうと、早速、長靴を手渡され履き替えました。
 車で現地につくと、そこはもう雪が30センチちかく降り積もっており、隣地の人同士で雪をかき分け、目印をつけ、管財物件の土地の隣地の2名の方々に、その間にあった土地を分割して購入してもらったこともあります。
 どこでどう分けるかということについて、電話とファックスではらちがあかない部分があり、現場に行って話しをつけることになりやむえをえずに出向いたものでした。
 土地自体は大した面積もなく、価額からして仲介業者に入ってもらうほどのものでもなかったため、弁護士がまさに不動産業者として不動産を売りさばきました。
 
 先日も、仲介業者に依頼するほどの価額でもない物件を管財人として売らねばならず、やはり隣地の方に声をかけ、結局、出向くことになり出向きました。売れない不動産というのは大体あまり交通の便のよくないところにあり、このときもお手数をおかけしたのですが駅まで車で迎えに来ていただきました。


 百聞は一見に如かず。

 思わず、「買っても使い途がないのではないですか?」「買われてどうするんですか?」と訊いてしまうような物件でした。
 一応、破産手続開始決定の申立書に添付されていた資料の写真等は確認し、現地に行かれた方に電話で状況を教えてもらったりはしていたのですが、想像を超えていました。
 物件をこの目で見た以上、売買許可申請を作成して裁判所に提出するに際しても、書くにあたっての言葉の力が当然、違ってきます。

 費用対効果などということを超えて、やはり不動産は現地で確認するということが大事だなと改めて思いました。不動産業者の方なら当たり前にやっていることをやらないでどうすると反省しきりです。


 事件は、何にしても、その場所に行ってみる、五感で感じるということが重要。
 書くべき書面が溜まっている、打合せが重なっているといった業務が多いと、つい「出不精」になってしまいますし、小規模の管財事件ではつい費用対効果を考えたりしますがそれではいい仕事は出来ないなと思います。
 
 弁護士は、かかってきた電話に対応できるようになるべく多くの時間、事務所にいるべきだとは思うのですが、あまり事務所にばかりいてもよい仕事はできない。
 何事もバランスでしょうか。


(おわり)

2008年1月 5日 (土)

「準備書面」再考~多和田葉子さんの域へと~【松井】

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ロング、ロング&ワインディング ロード

明けましておめでとうございます。
2008年、それぞれがよい年となるようにお祈りしております。



 年末、日経新聞に掲載されたエッセイで多和田葉子さんの文章を目にする。修道院を訪れるという、いってみればただそれだけの内容なのだけど、読んでいて不思議な感覚に襲われる。まったく無駄のない簡潔な文章。しかし、簡潔な中にも選び取られた言葉の配列から生じる、空中に漂うような、持ち上げられてふわふわと浮いて読み進むような感覚がする。 
 「多和田葉子」さん。知らなかった。芥川賞受賞作家だった。海外在住。語弊があるかもしれないけど、女・村上春樹のような感じ。その経歴や文章も。
 さっそく「容疑者の夜行列車」という小説を買って読む。
 やはり、簡潔な文章でありながら、ワキからぐっと持ち上げられて進められるような不思議な感覚がする小説、物語、そして何よりもその文章そのもの。



 弁護士も、訴訟代理人をしない人、つまり法廷に立つことがない弁護士もいるようだけど、だいたいは「訴訟代理人」として訴訟手続を遂行する。
 訴訟という独特のルール、つまり要件事実が支配するマニアックな世界。
 訴訟物は何か。
 主要事実は何か。間接事実は何か。立証とは。書証とは。作成の真実性とは。
 そこでは弁論準備期日ごとに、訴訟代理人によって「準備書面」が作成され、提出される。
 
 そこで、様々な文章を目にすることになる。
 
 正直なところ、時々、耐えられなくなることがないでもない。怒りにも似た感情がわき上がることが、ないわけではない。その内容、主張そのものというのではなく、その「文章」に対して・・・。

 自分が作成した「文章」であっても、同様。書き上げたつもりになった後、数時間「寝かせて」読み返すと、目も当てられぬほどのひどく分かりにくい文章であったりすることが、ないわけでもない。
 ひたすら推敲を重ねる。
 削って、削って、削って、削って、削り落としていく。
 
 つらいのは、読み手は裁判官であるところ、読み手として「文章」をどう思うかという率直な感想を聞く機会がないこと。
 もちろん依頼者の方には読んで頂く。率直な感想は、「誰が、いつ、誰に対して、何を、どうした」、という箇所は分かるが、法律論になるとよく分からないと言われることが多い。
 そのようなときは、申し訳ないけど、「準備書面」の読者は、相手方本人でもなく、相手方訴訟代理人でもなく、そして依頼者でもなく、裁判官だけなので、裁判官はこの用語の意味は当然、知っているので、裁判官には伝わりますから大丈夫ですと説明することになる。
 また、あれを書いて欲しい、これを主張して欲しいというリクエストを受けることがあるが、上記の訴訟のルールに照らし合わせて、関係のないこと、あるいは今はもっと先に述べるべきこと、強調すべきことがあるというときは、その旨を説明して記載を見送る。
 依頼者の方が書いて欲しいことを「準備書面」に書くだけであるなら、「弁護士は要らないのではないですか。弁護士の就いていない本人訴訟であれば自分が好きなことを好きなだけ書面に書くことが出来ますよ。」と説明すると、だいたいは分かっていただける。 「訴訟代理人弁護士が就く」というのは、そういうこと。

 書き上げた準備書面は、弁護団事件であれば、他の弁護士達によって編集作業を経るし、うちの事務所のように複数の弁護士がいれば「ちょっと読んでみて感想を聞かせて欲しい。」と意見を聞くこともある。意味が分からないと言われるような箇所、曖昧な箇所は修正したり、削りとっていく。
 文章の「編集」作業を受けるというのは、とても恵まれたこと。



 「準備書面」も、多和田葉子さんの文章のように、研ぎ澄まされて、無駄のない文章にしたい。ことごとく曖昧さを排除した文章に。

 私が原告の訴訟代理人であり、被告が会社である事件があった。期日の前日に被告代理人から提出された準備書面には、「被告の弟は」という記載があった。
 弁論準備期日当日。
 裁判官は部屋に入るなり言った。
 「被告代理人。書面の●頁を見て下さい。『被告の弟』とありますが、「被告」は法人ですよね。法人に『弟』はいません。」。
 文章の巧拙以前の基本。怒りの裁判官。
 
 Watの小池哲平の歌に「わか~る、わか~るよ、君の気持ち♪」という歌があったけど、弁論準備室の中でその歌が頭の中を駆けめぐる。
 


 「準備書面」を書き上げようとしていると、我が身を削って着物を織り上げる鶴の恩返しの鶴になったような気持ちになることが、まだときどきある。
 でも、それはまだまだ精進が足りないから。
 
 人の意見に耳を傾け、何度も、何度も、何度も、何度も、推敲を重ねていくしか上達の道はない。
 それを繰り返し続けることが出来た者だけが到達する領域。いつか「準備書面」の世界においても「多和田葉子さんの域」に辿り付けるのだろうか。

 本多勝一さんの「日本語の作文技術」でも読み返そうか。
 多和田葉子さんのエッセイ本も買った。松本紳助がまだ高校生のころ、海原千里・真里の漫才をホールで見て、その漫才をテープに録音し、自らテープ起こしをしてそのノートを何度も読み返し、海原千里・真里の一体何がそんなに面白いのかを研究しつくしたというように、多和田葉子さんの文章を研究しつくしてみようか。

 「準備書面」の作成は、私にとってはまだ、血反吐を吐きながら我が身を材料にして着物を織り綴っているような思いがする仕事であることもあるけど、でも、だからこそやり甲斐があって、この仕事にまだ飽きないのかもしれない。
 訴訟といえば「準備書面」のほかに「尋問」があるだけど、「尋問」もまた、本番はもちろん、準備のときが、しんどいけどやり甲斐を感じたりする。
 プロフェッショナルである以上、結果が全てではあるけれど、結果に至る過程での「腕の見せ所」こそがまたプロフェッショナルのプロフェッショナルたる所以なのだろう。だからこそ、時間制での報酬という料金体系が取られたりする。

 2008年、「腕を磨き」、精進し、新たなステージに進みたい。

(おわり)

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