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2007年11月

2007年11月30日 (金)

遺言執行者を誰にするか?~誰のために働くのか?~【松井】

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*スタバで経営学の勉強。マインド・マップ利用。


 「月刊大阪弁護士会」という冊子の11月号が届けられました。末尾には「告示」事項がいつも掲載されています。
 その中で11月号では、遺言執行者になることと、相続人の代理人なることの問題点について指摘されていました。


 遺言書の作成の依頼を受けることがもちろんあります。
 この場合の遺言書とは、自筆証書遺言作成の際のアドバイス、原案作成のこともあれば、公正証書遺言のアドバイス、原案作成のこともあります。
 いずれにしても遺言書を作成したとき、どうするのかという点で選択を迫られるのが、遺言執行者の指定です。
 
 遺言を作ろうという方は、自身が亡くなったあと法定相続人の間で紛争が起こるのではないかと容易に想像できるのでこれを防止したいという意図の方もあれば、起こらないかもしれないけど念のため、あるいは単に自分で決めておきたいからという方もおり、いろいろな場合があります。

 難しいのは、容易に紛争が想定できるのでこれを予防したいという方の場合です。
 この場合、遺言を作ろうという方は、特定の相続人Aを別の相続人Bなどから守りたいという意図があることが多いです。
 こういうとき、死後、紛争が表面化したときは、事情を聞いて知っている代理人弁護士にAの代理人になってもらいたいという意向をお持ちのときがあります。実際、Aが誰に依頼するかはAの自由ですが。
 ただ、上記のような意向をお持ちの場合は、「では私は遺言執行者にはなれません」と当然、伝えます。
 遺言執行者になってしまうと、その後、特定の相続人の代理人になることは原則、出来ないからです。なぜなら、遺言執行者は「全相続人の代理人」だから。
 

 この点、先の告示では次のように記載されています。

 

「特定の相続人から依頼を受けた代理人弁護士は、その相続人の利益をはかるべく行動する職務上の義務があるのに対し、一方、遺言執行者は、その権限や地位からして、特定の相続人の立場に偏することなく中立的な立場で職務を遂行すること(共同相続人全員の代理人)が求められており(民法1015条)、両者の立場を同時に兼任することは、明らかに利益相反であり、弁護士職務基本規定28条3号(旧弁護士倫理26条2号)に反する。」

 

 弁護士は代理人となるとき、誰の利益確保のために働くのかということを常に意識しなければなりません。もちろん、依頼者の利益が違法なもの、公序良俗に反するようなものの場合であることが分かっていたら、依頼を断るし、途中で分かったような場合は即刻、辞任します。
 遺言執行者は、決して、遺言作成依頼者の代理人ではないということ。
 遺言を作って、遺言執行者の指定をするとき注意してください。


 以前にも触れた、じゃあ、相続人複数からの依頼を受けるときはどうなのかということですが、これも基本的には利益相反です。ただ、この場合、状況を説明し「同意書」をもらいます。そのうえで、経過、利害の対立が深刻化した場合は、双方の代理人を辞任せざるを得ません。
 この点、上記の告示はどの程度の同意が必要かと言う点についても見解を示しています。
 

「なお、弁護士職務基本規定28条では、依頼者及び他の依頼者が『同意』した場合には3号に掲げる事件は受任を妨げられないと規定しているところ、本件では遺言執行者選任の審判手続において全相続人が対象会員が遺言執行者に就職することについて異議を述べなかった事情があるが、これをもって『依頼者及び他の依頼者が同意した』とは言い得ない。利害相反の責任について責任を解除する『同意』は積極的に確認されたものでなければならない。」

(おわり)
追記 そうそう。別のエントリーでも触れましたが、今後、裁判所も遺言無効確認訴訟が増加するとふんでいます。知っておいて頂きたいのは、作れば安心!というものではないということです。訴訟になっても耐えられる遺言書を作成してください。作るのであれば。中途半端なものを作ると、遺言無効確認訴訟が提起され、かえって紛争が拡大・長期化します。

2007年11月28日 (水)

致死率100%【松井】

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致死率100%。

何のことかと思って、目に入った活字の周辺を読むと、「バカの壁」で一気に知名度を上げた養老孟司さんの言葉として紹介されていたものでした。

「人間は致死率100%」


美容室の席に座り、目の前におかれた雑誌をパラパラとめくりながら目に入った言葉。
深く考えました。

そうだよね、死ぬんだよね。いつかは。そのいつかを考えながら今を生きないとね。
いつかは分からないけど、限りがあるんだから、無駄には出来ない。

一番大事なものは、時間。この時間をどう使うのかが、どう生きるのかということ。
うーん。深い、さすが養老孟司さん。

(おわり)


11/29追記
生命保険 立ち上げ日記」を読んだら、丁度、アップル社のスティーブ=ジョブズ氏の有名なスピーチが紹介されていた。
そういえば、こういうスピーチあったなと思い出す。当時、ネットでも名スピーチと話題だった。


Your time is limited, so don't waste it living someone else's life.

そして、岩瀬さんは、「内なる声に耳を傾けろ」としてこの箇所を紹介している。
それが自分が本当にしたいことなのか、自分の時間を無駄にしているのではないか。
内省の時間が必要だわ。

スタンフォード大学のサイト?に全文が載っています。
ご一読を。


2007年11月25日 (日)

とおり過ぎるゴリラ ~弁護士と公認会計士~【松井】

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 先日、公認会計士の方からアメリカでの実務研修の話を聞いた。
 
 研修の冒頭。
 これから皆さんにビデオを見せます。体育館で数名がバスケットボールのパスを行います。フェイントもあります。見終わったとき、何回パスがなされているかをカウントしてください。
 体育館の光景。パスをする人々。
 終了。
 さぁ、皆さん、今見たこのビデオの中でとってもおかしなことがありました。
 何か分かりますか。

 研修会場にいた多くの人々の中、数名だけが手を挙げた。
 あとのその他大勢は、必死で考えるが何のことやらさっぱり分からなかったという。

 答えは。
 パスを続ける人々の後ろをゴリラが通りすぎた、それもカメラに向かって万歳を数回して。


 これは監査にあたって全般的な対応が重要だということを身をもって分からせるためのセミナー冒頭の先制パンチだったよう。
 
 話を聞いていて、同じことが訴訟でも言えるのではないかとぼんやりと考えていた。
 
 司法修習生のとき、地方裁判所の民事部で4か月在籍させてもらった。裁判官の目線で、原告あるいは被告から提出される書面や証拠をたくさん目にした。
 書面は、時には単なる口ケンカのやり合いのようなものになるものもないわけではなかった。判決書を書く過程のために当事者から提出される書面として、これは何の意味もないのではないかと訝しく思うときもないではなかった。書面をやり合えばやり合うほど、本質と関係のないところへと、どんどん遠いところへと行ってしまっている。
 裁判官が置いてきぼりの書面のやりとり。
 おそらく言われたら言い返さないわけにはいかないという心理だけで動いているのだろうと思う。

 そんなとき。訴訟手続はいわばルールに則った手続であるということに立ち戻ってはどうかと思う。
 BTTB
 バック・トゥー・ザ・ベーシック
 坂本龍一のアルバムのようですが。


 訴訟物、主要事実、間接事実。
 何を主張すべきで、何を立証すべきか。それを立証するには、どの間接事実を主張立証していくべきなのか。
 
 前述のバスケットボールのパスの数を数えることにだけとらわれるのではなく、全般的に判断する。
 大きな異常を見落とさない。素朴に考える。
 パスの数を数えながらも、体育館をゴリラが横切り万歳をすることに気づく。

 こういったことの訴訟手続上の重要性について、瀬木比呂志裁判官はその著書でこう表現していた(「民事訴訟実務と制度の焦点」判例タイムズ)。

 「距離をとって事実を見ること(鳥の視点、虫の視点)」

 公認会計士の監査も同じなんだろう、通り過ぎるゴリラの話を聞きながら考えた。
 さて、自分の訴訟活動はどうだろうか。
 
 公認会計士なら監査法人に所属し、おかしな監査をやっていないかということが常にチェックされている。特に昨今、監査の品質ということで個々の会計士に対してその監査の質に関して厳しいクオリティーチェックがなされているとのこと。評価について最低レベルが2回続くと、解雇される。

 弁護士は・・・どうだろうか。勤務弁護士や、上司の弁護士のいる環境で働いていればチェックはなされる(なされないことも、あるかもしれないけど)。
 しかしそうでない弁護士にはその弁護技術に対し公認会計士になされるような適正なクオリティー・チェックがなされることは、ない(裁判所や弁護士の中で噂になることはあるかもしれないけど)。競争原理によって淘汰されることも、今はまだたぶんない。
 これからは・・・分からない。
 誰がチェックできるのか。公認会計士の監査業務の適否をチェックする能力があるのは公認会計士であり、公認会計士しか公認会計士をチェックすることが出来ないのと同じように、そう弁護士しかいない。
 弁護過誤訴訟が増えるんだろう、おそらく。
 公認会計士が粉飾決算の見落としの責任などを問われて訴えられたり、医師が医療過誤で訴えられたりするのと同じように。裁判官に会計や医療が分かるのかという問題があり、会計については刑事被告人とされた公認会計士の本、「vs.特捜検察」として出ていましたが、裁判官が弁護士の活動の適否が分かるのかというと、弁護士と裁判官の立場の違いというものはあるにしても、少なくとも会計や医療の知識よりは法律知識という点でより裁判所は判断しやすいかと思います。
 極端な例でいえば、時効の主張のし忘れとか・・・。
(おわり)
 

2007年11月23日 (金)

親子上場 ぺリー対NEC【松井】

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 自分用のメモです。

1 
 前回紹介した日経の記事で、ぺリー・キャピタルというファンド名が出てきましたが、このペリーとNECの紛争というのは実は有名だったらしい。知らなかった・・・。
 田村耕太郎参議院議員のブログでも触れられていて、興味深い。
 


 親子上場。あかんやろ・・・。
 NECがNECエレクトリックの株式を70%保有、これに対し、ペリーが5%程度の保有のところ、ペリーがNECが保有する株式の25%を市場価格に対し1株500円上乗せで買取りを提案したとか。
 それが7月のこと。
 これに対して、NECは拒否したらしいけど、ネット検索ではその後の動きが見えない。
 どうするんだろう、ペリー。
 途中から有料記事になる日経の記事では、ぺりーの担当者が何度もNECの方に面談の申し入れをしているらしいけどNECは拒否しているとか。
 どうする、ぺりー。
 親子上場そのものは法的にはOKのようなので法的対抗手段はない、法律が憲法違反とでも主張しない限り。
 経済的自由権の問題だし、まぁ、国会の裁量の範囲になるんだろう。
 となると、ペリーとして一番効果的なのは世論を喚起し、国会議員を動かすこと。
 先の日経の夕刊、田村議員のブログ、そして次のセミナーと、戦略が見えてくる?


 お。こんなセミナーが。
 『子会社上場をめぐる諸問題 ~企業グループの立場と投資家の利害』
 まさにぺりーの担当者が来るようだ。行きたいけど、東京・・・。
 ぺりー対NECも要チェックだわ。

 (おわり)

2007年11月22日 (木)

仁義なき自由との戦い。子会社株式って、やっぱりリスキー?

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 11月21日の日経夕刊、「目からウロコの投資塾」(編集委員 前田昌孝)を見ると、見出しが「子会社投資のリスク」となっていた。
 上場子会社の株式を親会社が買い戻して上場廃止になるケースについて、「上場→上場廃止」の期間があまりに短期間のケースがあり、この点、疑問を呈しています。
 米投資ファンド、ペリー・キャピタルのアジア地域投資責任者、アルプ・アーシル氏の言葉を紹介しています。
 「上場子会社の少数株主の利益を守る仕組みが不十分な日本の現状は問題が多く、早急に改める必要がある。」
 そして最後、次のように締めくくっています。
 「上場子会社の経営陣は親会社から派遣されるケースが多いですし、重要な意思決定にも関与できないとなると、少数株主が持つ子会社株は無議決権株と言ってもいいくらいです。」


 記事を読んでいて、やはりスズケン対小林製薬の紛争を思い出しました。
 コバショウは上場会社ではありませんでしたが、子会社の株式を取得することの問題点・リスクが浮き彫りになっている事案だと思います。
 まさに「少数株主が持つ子会社株は無議決権株」といえます。

 親会社の小林製薬がその持つ株式を全部、他の会社に譲渡すると意思決定したら、少数株主に過ぎないスズケンはなすすべもないのか否か。資本提携契約の際の内容如何という面はあるにしても。
 ただ、これは上場企業が上場廃止になるというデメリットとはまた異なる意味合いがあるものではあります。

 株式はそもそもが譲渡自由であり、投下資本を回収する必要性があるときに譲渡によって回収するというのはある意味、企業にとっては当然の判断とも言えます。
 なので、大株主と少数株主の間で、株式の譲渡をめぐって利害調整の必要性はそもそもないという見方もあるかとは思います。数の論理で、そもそも少数派なんだから仕方ないじゃん、少数派のためになぜ多数派の利害が犠牲にされないといけないのか。
 ただ、親会社との間で、少数派株主になるにあたり、資本提携の契約をしている場合にまでそのように言えるのかどうかだと思います。

3 
 さらに進んで、この子会社が上場会社だったとしたら、親会社に少数株主が振り回されるというのは確かに、看過しがたい利害衝突があるかと思います。究極が、上場廃止となれば少数株主の不利益は投下資本の回収可能性の低下として明かです。
 しかし今の法制度では、こんな状況に関してすら、「上場子会社の少数株主の利益を守る仕組みが不十分」です。「不十分」というか、原則論、形式論を貫いていて、上場企業であっても非上場企業と同様に考えていて、多数決の論理だけで処理している、「少数株主」の利益を守る必要があるという発想がまだないのではないかと思います。
 
 小林製薬の行動が、まさにそれ。少数株主の意見なんて完全無視です。その少数株主は、自身が資本提携して、子会社に事業を譲渡させ、その見返りに20%の「少数」の株式を発行した相手だというのに・・・。
 仁義なき自由。

(おわり)

2007年11月15日 (木)

スズケン対小林製薬の仮処分~今後の行方~【松井】

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1 
 スズケンが小林製薬に対して行った仮処分の申請が11月12日付けで名古屋地裁から却下されたとの報道(11月13日付け日経夕刊)。
 小林製薬のHPでは早速、広報されていました。ちなみにスズケンの方では広報を見つけられませんでした。いいのでしょうか?最高裁HPの下級審裁判例のところでも載っていません。載るでしょうか?本当は、情報開示という点では差し支えない範囲で小林製薬は決定書全文を載せたらいいのにと思うのですが。たぶん本訴になるだろうし。争点を明らかにするという意味でも。


 今回の仮処分の詳しい内容は、まだ分からないけど、おそらく仮の地位を求める仮処分(民事保全法23条2項)だったと思う。係争物に関する仮処分は、給付請求権があることが前提だけど、小林製薬が保有するコバショウの株式に対して、スズケンが給付請求権を有するわけではないから。
 仮の地位を定める仮処分は、「争いがある権利関係について債権者に生ずる著しい損害又は急迫の危険を避けるためこれを必要とするときに発することができる。」とされています。

3 
 「債権者」というのは仮処分の申立人側のことをいい、「債務者」というのは相手側のことをいいます。
 法23条2項のこの「債権者に生ずる著しい損害」の要件については、あの有名なUFJ信託銀行経営統合交渉差止仮処分申立事件の最高裁決定(最決H16.8.30)で次のように言われています(19年版有斐閣判例六法より)

 債権者が被る損害の性質、内容が事後の損害賠償によって償い得、かつ、仮処分命令が発せられた場合に債務者の被る損害が相当大きいと解せられる本件申立ては、本条2項の要件を欠く。

 利益衡量ですね。


 スズケンと小林製薬の仮処分を考えた場合、おそらく上記と同じような判断をしたのではないかと推測されます。何の根拠もない推測ですけど・・・
 でも株式を譲渡するなというのは、やっぱりよっぽどのことであって、契約にばっちりお互いをそこまで拘束するような文言が明記されていない限り、困難だったのではないかと思います。で、きっとそこまでの明記はされていなかった・・・。
 ただ、スズケン側の思惑としては、「騙された、損害を被る」という思いがあるわけで、今後どうなるかというと・・・。

 損害賠償請求の本訴、しかないかと思います。

 上記のUFJ信託銀行経営統合交渉差止仮処分申立事件も、その後、損害賠償請求の本訴となり。
 で。
 本訴の行方はというと、何億円だったかの和解金が支払われて終わったように記憶しています。
 なお、日本評論社から「UFJvs.住友信託vs.三菱東京 M&Aのリーガルリスク」という本が2005年に出版されています。



 スズケンは、まぁ、間違いなく損害賠償請求訴訟を起こすでしょうから、それに対して、小林製薬はどのように対応するのか。
 徹底抗戦?でしょうか。
 契約書を見ていないので分かりませんが、利害状況を見る限り、スズケンの主張、言い分に一理もないとは思えません。
 貴方が大株主だというから、貴方との契約で子会社・関連会社に対して、自分の大事な事業の一部を譲渡し、その対価としてその会社の株式の譲渡を受けた、それがもはや貴方の関連会社でもなくなってしまうというのでは、譲渡を受けた株式の価値にも大きな影響があり、いわば大事な事業の一部を騙し取られたような思いになるのはある意味、当然かと思います。
 事業譲渡の対価が株式ではなく、現金だったら、単なる売買で一回限りの契約関係で終わっているということになるのでしょうけど、「現金」と「株式」は当然、意味が違うのであって、一回限りの契約で終わるという意思表示にはならないかと思います。
 そこには何らかの継続的な関係の形成が意味されていたといえるのではないでしょうか。
 それを、子会社・関連会社の株式を一方的に譲渡自由だからといって、全然異なる外資系の会社に株式を譲渡することが果たして許されるのかどうか。
 スズケンは司法判断を問うでしょう。
 で、やっぱりお金をいくらか払って和解?でしょうか。
 個人的には要注目です。
 まずは仮処分の行方を見守らねば。
(おわり)

追記
 小林製薬とメディセオ・パルタックHDとの間のコバショウ合併の詳細
 http://www.mediceo-paltac.co.jp/news/pdf/2007/070926.pdf
 スズケンが20%の株を取得した経緯からして、やっぱりそりゃ怒るよね・・・。コバショウ、消滅会社みたいだし・・・。小林製薬もまさか強硬路線一本槍とは思えない、賢い会社なら・・・。株主に対する説明を果たしている?ただ、損害の算定が難しい。見えない財産だしねぇ。提携関係。具体的にどういうメリットがあったのか。やはり当初の合意時点での双方の利害、思惑が大きい。それを小林製薬は知らない、関係ないとは言い切れるのだろうか。裁判所は実は以外とドライじゃなかったりする。どうなるんだろう。代理人弁護士の見通しはいかに。

2007年11月14日 (水)

ロバート=メイプルソープ氏の写真集【松井】

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*大橋仁氏の「いま」。蛍光灯が二本、表紙に反射しています・・・。
1 
 11月14日付けの日経新聞朝刊を見て、あらびっくり。
 小見出しは、「『わいせつ』見直しへ 最高裁、来年1月弁論」とのこと。
 
 ちなみにネットでは、このような形で報道を発見。
 

(2007年11月13日22時48分 読売新聞)
「メイプルソープのヌード写真、輸入禁止判決見直しか
 米国の写真家、ロバート・メイプルソープ氏(1946~89年)の写真集がわいせつ物に当たるとして、東京税関が国内への持ち込みを禁じたのは不当だとして、東京都の映画配給会社社長、浅井隆さん(52)が、国に輸入禁止処分の取り消しなどを求めた訴訟の上告審で、最高裁第3小法廷(那須弘平裁判長)は13日、口頭弁論を来年1月22日に開くことを決めた。」
「1、2審判決によると、浅井さんは1994年以降、男性のヌード写真などが収められた写真集「MAPPLETHORPE」を翻訳・出版し、国内の書店などで販売していた。99年、自分で写真集を持って帰国した際、成田空港の税関から関税定率法で輸入が禁じられた「風俗を害すべき書籍」に当たるとして、持ち込みを禁じられた。
 1審・東京地裁は「写真集は芸術的な書籍として流通しており、健全な風俗への影響はない」として、国側に処分の取り消しと70万円の賠償を命じたが、2審は2003年3月、原告逆転敗訴の判決を言い渡していた。


 そうか。知らなかった。こんなことが未だに裁判で争われていたとは。

 現在、関税法で輸入してはならない貨物が定められています。
 http://www.customs.go.jp/mizugiwa/kinshi.htm

 同法69条の11、1項7号
 「公安又は風俗を害すべき書籍、図画、・・・」
 
 同法3項では、
 「税関長は、この章に定めるところに従い輸入されようとする貨物のうちに第1項7号又は8号に掲げる貨物に該当すると認めるのに相当の理由がある貨物があるときは、当該貨物を輸入しようとする者に対し、その旨を通知しなければならない。」とされています。
 この通知に対しては、同法89条で「異議申立て」が出来るとされています。
 また、審査請求に対する裁決を経た後、「通知の取消しの訴え」が出来るとされています(同法93条)。
 また、罰則としては、同法109条2項で、「第69条の11第1項7号から第10号までに掲げる貨物を輸入した者は、7年以下の懲役若しくは700万円以下の罰金に処し、これを併科する。」と定められています。


 問題は、「風俗を害すべき図画」とは何か。どのように判断するのか。ロバート=メイプルソープ氏の写真集はこれに該当するのか。
 その前に、そもそも関税法という法律で「風俗を害すべき図画」なるものを輸入禁止とすることは憲法上、許されるのか。許されるとしても、規制の仕方はこのような定め方でいいのか、不明確ではないのか。
 
 司法試験受験生のときは、試験科目で憲法があったこともあり憲法をよく勉強していました。事例問題で答案を書いたりするのですが、好きな科目でした。
 しかし実際に働き始めると、紛争解決あるいは予防のための道具として「憲法」を使うことはまずほとんどありません。憲法の精神は個別具体的な法律に実現化されていることが多く、当該問題にもっとも近い法律を使うのがもっぱらです。
 しかしその当の法律そのものがおかしいのではないかといったとき、憲法を用います。国会で作られた法律が、憲法に違反していて無効だとしてその判断を裁判所に求めます。これが憲法で認められた裁判所の違憲立法審査権です。
 国会は国民から選挙で選出された国会議員によって法律を作ります。
 一方、裁判所は裁判官からなりますが、この裁判官は選挙で選ばれたりはしていません。言ってみれば単に司法試験に受かり、最高裁判所に採用されたに過ぎない人々です。そんな裁判官が、国会で作られた法律に対して、こんなの効力ないよ、認められないよという権限を持っているのです。これはスゴイこと!
 だから憲法でも、「すべて裁判官は、その良心に従ひ独立してその職権を行ひ、この憲法及び法律のみに拘束される。」と規定されています(76条3項)。つまり、多数決の国民の意思には拘束されないということ。多数決によって侵害されるかもしれない守るべき少数者の権利を憲法の価値観によってたち救済する「最後の砦」といわれる所以です。 ただ、そうはいっても裁判所、裁判官が国民の価値観から遠く離れたところで裁判をしてしまっていては国民は、「裁判所なんて使えない!」ということになり、信頼されなくなってしまいます。究極は、憲法を改正し、裁判官も民意に拘束されるべきだ!という方向になりかねません。難しいところです。
 裁判のときは、裁判所もその用いる判断基準としては、その時代の健全な社会通念に照らしてといったことを基準として用いたりしています。まぁ、それが「曖昧」だということなんですけど。ブラックボックスですね。


 関税法で「風俗を害すべき図画」を輸入禁止とすることによって守ろうとする利益は何なのか。一方で、これを輸入禁止とされることにより侵害される利益は何なのか。
 また、保護法益が認められるとしても、その規制の仕方は、「風俗を害すべき図画」といった曖昧な定め方でいいのか、もっと判断基準として明確にすべきではないのか。
 ちなみに刑法では、175条で「わいせつな文書、図画その他の物を頒布し、販売し、又は公然と陳列した者は、2年以下の懲役又は250万円以下の罰金若しくは科料に処する。販売の目的でこれらの者を所持した者も、同様とする。」とあります。これは、単に所持しているに過ぎない場合は犯罪ではないということです。

 今回のロバート=メイプルソーブ氏の写真集、輸入禁止の裁判について最高裁の判断が注目されます。
 法律論を抜きにして個人的に素朴に思うところは、「風俗」というものそれ自体が誰にも目に見えないものであって、その定義もそもそも不明確なのに、それを「害する」か否かってどうやって判断するんだろうということと、仮に「風俗を害するもの」の判断基準が明かであったとしても、いわゆる芸術って、そういう既存の価値観などに衝撃を与えるものであって、「風俗を害する」ことにある意味、価値があるのであって、この規制文言は工夫の余地があるのではないかということ。
 「わいせつ」も同じ問題をはらむけど、じゃあ一切、規制なんてなければいいやとも言い難い。
 これも素朴な考えとして、例えば、暗い地下通路の隅っこでこれみよがしに露出している男性や、老若男女が通行する商店街で真っ裸の女性が歩き、それを撮影している行為などが野放しにされるのはどうかと思います。感情以外の実害ないじゃん!として我慢すべき?
 
 でも今回、何よりも!
 ロバート=メイプルソープの写真集を輸入禁止にしちゃうなんて、税関職員さん、知らなさすぎじゃないの!?え、これが1999年の出来事!?という驚きの感想です。無知の知、謙虚さがあれば、こんなことにならずに済んだのではと残念。
 ちなみに、私は、大橋仁氏の「いま」という写真集を持っていますが、子どもがまさに母体から出る場面が撮影されたりしています。これを持って海外に出て、また日本に持ち帰ったら「風俗を害する」として税関職員さんからの輸入禁止といわれそうな気がします(これを萎縮効果という!)。
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(おわり)

2007年11月 7日 (水)

「アンチリアル」~声の力~【松井】

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1 
 先日、東京方面に行く用事があり、ついでに下北沢によって小劇場で「アンチリアル」という芝居を観てきました。
 1970Projectという、70年代生まれの人々のグループの主催?です。ちなみに私は71年生まれです。
 小劇場での芝居を観るのは1年ぶりくらいでした。1年前は、本業司法書士さんという方が主催している劇団の芝居を大阪で観ました。とても盛りだくさん、にぎやかな芝居でした。
 今回の芝居は、登場人物がたった5人、しかも暗い、重い芝居でした。くすりとも笑う場面もなく2時間、じっと舞台を凝視していました。

 で、久々に小劇場の芝居を観てまず思ったことは、「声が違う」ということでした。演技過剰というのではなく、ささやくような台詞でも役者さんは腹から声が出ている、だから聴き取り易いということでした。
 よく依頼者の方が苦情?を言われるのは、裁判所で裁判官が喋っているのを聞いても、ぼそぼそと喋っていて何を言っているのか分からない、ということです。言葉が難しいということもあるのでしょうが、やはり伝えるためにしゃべるということを考えると、聞き取りやすい声を出すということにも、私も含めてもっと神経を使うべきだと芝居を観ながら考えていました。

2 
 そしてこの前、淀屋橋の「ぷち蛸」でたこ焼きを食べていたところ、冷蔵庫の上に置かれたCDラジカセからはずっと工藤静香の音楽が流れていました。工藤静香の声を懐かしい思いで聞きながら考えたこと、前から思っていたことだけど、「声」にも流行すたりがあるに違いないということでした。
 思うに、渡辺美里、吉田美和の声はたぶん「古い声」になってしまっていると思います。工藤静香の声もしかり。
 それに対して、流行の声もあれば、また一方で「古くならない声」というものもあると思います。
 宇多田ヒカルの声について、作家の多田容子さんが解説していたものを読んだとき、なるほど、彼女の声は一見普通っぽいけど、実は非常に特殊な声なんだなというのを納得したことがあります。真似できそうで、真似出来ない、難しい声だといったことが書かれていました。宇多田ヒカルの声はいつ聞いても新鮮で、古びた感じがしない謎が解けたように思いました。

3 
 人はメッセージをどのように受け取るのかということに関して、声そのものの情報が大半を占める、その内容については10%程度だ、あとは身振りや見た目だといった話しを聞いたことがあります。
 視覚、聴覚を使いメッセージを受け入れる、そのうち聴覚については、内容よりも声の性質だという話しです。
 
 芝居を見に行き、普段聞くことのない「声」を聞いてみて、いろいろと考えました。やはり、美術館に行ったり、芝居を観たり、コンサートに行ったりして、非日常的な情報を受け取る、刺激を受けるということは大事だなと改めて思いました。さらにそれをどう消化、昇華して、アウトプットに繋がるのか。変化が楽しみです。無意識レベルできっといろいろな刺激を受け、影響を受けているはずです。やはり刺激がないと面白くない。

 ただ、仕事上、声については、大声で、頭ごなしで喋る押しの強いタイプより、実は、常にゆったりと穏やかに話す声の方が説得的だったりすると思います。
 怒りを伝えるときも、法廷では、押し殺した声で怒りを抑えるように、こらえるようにして訥々と話す方が怖いみたいです・・・。
 昔、刑事事件の法廷で、検察官の主張に弁護人の私が思わず「激高し」(弁護活動に対しての非難だったけど、事実と全く違ったから。捜査検事の責任を弁護人の責任にされ、被告人の不利益になるように主張されたので怒り爆発!)、激しい怒りが瞬時に沸き上がりながらも、堪えて、訥々とその主張に対する異議を述べたことがありました。たぶんきっとワナワナと震えていたのだと思いますが、法廷の雰囲気が変わり、気のせいか検察官は怯えた様子になり、書記官さんや裁判官までもが、私を取りなすような調子でその後の訴訟が進みました(その成果というわけでもないですが、結果も妥当なものでした)。
 この経験があって、大声で怒鳴るよりも、ささやくように呟く方が怖いんだと後から振り返って思った次第です。
 いつも大声で怒鳴り、文句、苦情を言い続けるよりも、耐えて、耐えて、耐えて、ここぞというときに一言述べる方が効果的です。
 
 その後もいろいろと考えることはありますが、声については、自由自在に操るというレベルにはもちろん達していません。そんな中、久しぶりに間近で芝居をみて、役者さんはやはり凄いなと思った次第です。異能の人たち。
 そういえば弁護士を辞めて、役者になった人がいました。活躍されているのでしょうか。
 (おわり)

2007年11月 6日 (火)

遺産分割の即時抗告審と消費者物価指数~相続事件への思い~【松井】

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*おなじく、2003年、チュニジアを旅したときの写真。


 総務省統計局から新しく消費者物価指数が公表されているようです。
  http://www.stat.go.jp/data/cpi/1.htm
 現役裁判官の岡口裁判官が運営する「法曹関係者のためのHPです。」で知りました。
 「遺産分割で,現金などの特別受益があった場合,贈与時の価値から相続開始時の価値に換算する際に使用するものです。」として紹介されています。
 http://okaguchi.at.infoseek.co.jp/top.htm

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 遺産分割の際の消費者物価指数の上記紹介の使い方は、弁護士1年目に担当した事件について調査する中で初めて知りました。
 司法試験の受験勉強ではもちろん、当時2年間の修習中でも上記のような事件にあたることがなく、知りませんでした。
 1年目、家庭裁判所で遺産分割審判の決定が出てから、所属する事務所に依頼にこられた相談者がいました。審判手続のときから代理人弁護士はいたのですが審判結果と代理人の訴訟活動に納得しておられなかったようです。私がこの事件の担当になりました。即時抗告の理由書を書くため、この審判書を徹底的に調べました。上記の特別受益の金額算定において消費者物価指数が使われるということがそのとき初めて分かったことの一つでした。
 このときの家庭裁判所の審判書では、特別受益を認めながら、その金額の算出にあたり、数十年前の物価での金額のままであり、消費者物価指数を使っての相続発生時の金額への換算が行われていませんでした。
 ほかにもいろいろとおかしな点のあったいわゆる突っ込みどころ満載の審判書でした。 高等裁判所に即時抗告の理由書を提出したところ、高等裁判所で改めて審問期日が開かれることになりました。そのこと自体が驚きでした。家庭裁判所でも既に審問期日が開かれていたからです。
 いわゆる裁判官が壇上にいる法廷ではなく、ラウンド・テーブルについての尋問でした。
 感触はいいものに思えました。

 が、しかし、その後、審問期日に立ち会った担当裁判官が転勤で交代しました。何ヶ月か結果を待ちました。
 新しい裁判官のもと、結果が出ました。
 家庭裁判所の審判書は、変わりませんでした。

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 裁判とはこういうものです、といってしまうと悲しいものがあります。代理人らの力不足だったのかもしれません。あるいは、やはり家庭裁判所での審判書には何の不都合もなかったということなのかもしれません。
 救われたのは、依頼者の方がこの結果に納得してくれたことでした。その後も何かと相談を受け、弁護士として仕事をさせていただいています。
 この事件と、1年目に担当したもう一つの相続事件。これらが私が相続事件にのめり込む、あるいはやりがいを感じる、あるいはムキになるきっかけになったのかなと思っています。
 結果を出すべきと考える事件で結果を出せなかったという屈辱感です。
(おわり)

2007年11月 3日 (土)

「想い」、ファースト【松井】

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*写真は、2003年、チュニジアの砂漠を旅したときのもの。

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 成蹊大学の塩澤一洋先生のエッセイを毎月、楽しみに読んでいます。マック・ピープル12月号。
 「著作権をポジティブに」というタイトルで、「いい法律家ってどんな人?法律家に期待するアドバイスとは?」として書かれています。



 「『いい法律家』なら、『できないこと』ではなく『できること』を具体的に明らかにすべきだ。そして『できない』『むずかしい』と考えがちなことでも『こうすればできる』というアイデアを示せれば、クリエイティブな法律家になる。相手の質問の真意を理解し、その要望を実現する方策を提示するのだ。そのタイミングが絶妙であれば、そのアドバイスは絶大な価値を持つことになる。いい法律家は、その場で適用されるルール全体を勘案し、前進可能な方向を明らかにするナビゲーターなのである。」

 全くそのとおりだと思います。
 相談を受け、「出来ません」「無理です」「認められる可能性はありません。」と答えるのは、はっきり言って簡単です。
 相談される案件で、100%有利、あるいは100%不利な事案というのはそうそうありません。不利な事柄、有利な事柄が降り混ざっています。そのような中、不利なことだけを拾い上げればいいのです。
 ただ、現状では無理、可能性はゼロと回答しつつも、あくまでそれは現状であって、なんとかして目的を達成するために、方策を考えましょうと「クリエイティブ」になるということがもっとも大事なことだと思います。たとえ有利な事項が3%しかなくっても、その3%から有利な結論を導くにはどうしたらいいのかを必死で考えます。たとえ0%であっても、1%の有利な事柄を生み出す方策、そこから逆転を図る方策を必死で考えます。もちろん、不利な事柄についてはその評価を伝え、必要以上に徒に期待を持たせるかのようなこともしません。


 ただ、「クリエイティブ」性の程度、これは相談者の望む方向性に共感を示せるか否かが大きく関わってきます。
 残念ながら、心の底から共感できない場合もあります。
 何とか相談者の方の立場になってみて物事を考えてみて、それでもやはり共感できないというときは、正直にその旨を告げます。
 別の弁護士に相談したら、何とかやってみましょうと言って実現する可能性があるかもしれないが、私は、残念ながら心の底から共感することは出来ません。「クリエイティブ」になれません、そのような状況で受任することは依頼者に不利益をもたらすだけなのでお受けできません、と伝えます。
 
 ある意味、プロではないのかもしれません。共感を示せなくってもプロはプロとして、依頼者のために100%の力を出し切るべきものだと言えばそれまでです。
 しかし、相手方のある、既に発生してしまっている紛争についていえば、解決までに要する期間は相当な期間が見込まれます。1週間、2週間で解決することは稀です。
 交渉し、下手をすれば訴訟になります。
 このとき、代理人としても、この件は何としても解決しなければいけない、何としても依頼者の利益が守られなければならない、獲得されなければならない、という心の底からの「想い」がないと、法律を利用しての戦略についても本当に「クリエイティブ」にはなれないと思います。まずそうそうに諦めるかと思います。
 このとき、「想い」のあるなしが、諦めずにさらにもう一歩を踏み出せるかどうかという違いに繋がると思います。「想い」というのは、大げさかもしれませんが「情熱」といってもいいかもしれません。依頼者の方と想いを共有できない件は、まずうまくいきません。対外的にどうこうという以前に、対内的に、依頼者ー弁護士との間で問題が生じます。

 相談者、依頼者の方に共感できる件しか、お受けしていません。だからこそ、お受けした限りは、想いをもって取り組むことができます。共有できなくなったときは、依頼者のためにも辞任させていただくこともあります。
 取り組む限りは、証拠や流れの状況が読めないとき、不利な心証を開示されたとき、それでもその流れを変えようと心の底から想って、必死に「クリエイティブ」にアイデアを示せるように取り組みます。
 法律を使っての理屈は、あとから出てくるくらいの気持ちです。こういう結果を獲得したい、そのために法律をどう使うのか、どう解釈するのか、訴訟戦略をどうするのかという発想の順番です。
 法律ありき、ではありません。
 価値観が先にあります。
 この状況はおかしい、なんか変!という感覚です。なんか変!というときの「なんか」を追及していく作業です。


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 一人の女性が原告となって神戸市などを訴えた事件の代理人弁護団の一員になったことがありました。平成7年の阪神・淡路大震災に被災し、自宅を失った女性です。震災後に婚姻すると、独身であれば支給されたはずの支援金の支給が受けられなかったという事件です。支給規定がおかしい、という素朴な疑問と怒りがスタートでした。弁護団で、何がおかしいのかという点を追及していきました。

 どのような最高裁判決も素朴な疑問、怒りからスタートしていると思います。
 NOVAの解約返戻金の清算規定が特商法に違反して無効だとした今年の4月の最高裁判決にしても、代理人であった弁護士がNOVAに対する怒りから、金額的にはペイしないはずの事件を受任し、最高裁判決を勝ち取るまでに至りました。

 「クリエティブな法律家」というのはその案件に必死に取り組めるだけの「想い」「情熱」がある法律家、ということになるのではないかと思います。

 まずは、「想い」ありき。
 塩澤先生のエッセイを読みながら、「クリエイティブ」「ポジティブ」にそもそも必要なのは、「右なら右にどうしても曲がりたいんだ!」、「この道を右に曲がれないのはおかしい!」という思いだろうと一人突っ込みながら考えていました。

 ま、なんでも「駄目だ」と諦めたらそこで終わり。諦めるか否かというのは、想いの強さによるのだと思います。
(おわり)
  

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