2018年10月
  1 2 3 4 5 6
7 8 9 10 11 12 13
14 15 16 17 18 19 20
21 22 23 24 25 26 27
28 29 30 31      

最近のコメント

最近のトラックバック

無料ブログはココログ

flickr


« 信託、そして大阪【松井】 | トップページ | プロフェッショナルとは【松井】 »

2007年10月 1日 (月)

信用、信頼【松井】

R1027976

1 
 交渉を成功させるには、交渉で物事、紛争を解決するには、まずもって交渉相手に信頼される人物たることが大事な要素である、こういった言葉を聞く機会がありました。
 日頃、思っていたことを思わぬ所で他人が言葉にして語るのを耳で聞いてみると、改めて深い真実だと実感しました。



 以前にもブログのどこかで書きましたが、弁護士として働き始めて1年目、弁論準備手続が終わり、相手方のベテラン弁護士が逃げ去るように部屋を飛び出していったあと、その場に呆然と取り残されたような形となった私と裁判官2人の状況で、裁判官が私の方に向かって、憎々しげに吐き捨てるように言った言葉があります。
 「私はもうあの弁護士を信用しませんからっ。」。
 このことがあのベテラン弁護士にとって何を意味するのか、当時はただ、「あぁ、きっと仕事がやりにくくなるんだろうな。でもご本人はこのことが全く分からないままなんだろうなぁ。」といった程度の理解でした。
 裁判官に、相手方の弁護士(私)を前にして、そこまで言わせたその弁護士の所行が何だったのか今となっては思い出せないのですが、確か、人と人としてその態度は失礼ではないかといった態度を裁判官にとったのではなかったかと。



 その後、友人の弁護士からは裁判を和解で終わらせたけど、相手方には和解で約束したことを初めから守る意思がなかったということが分かった、さらには第三者に情報を流し、騙されるはめになったといった話を聞いたこともあります。弁護士同士の交渉、裁判上の和解交渉であっても決して気は抜けない、「弁護士。だから信用できる。」という公式は成り立たない、相手を見極めるようにしようと実感として学びました。
 結局、世の中には、本当に信用できる人物とそうではない人物がいることになります。


 依頼者からの信頼、交渉相手方からの信頼、裁判所からの信頼、検察官からの信頼。
 「信頼」を得られないところで、自分にとっても、依頼者にとっても、弁護士としていい仕事はまずできません。
 刑事裁判所での司法修習中、裁判官の中ではやはり、あの弁護士は信頼できる、あの弁護士は信頼できないという見方がありました。起訴事実について争う弁護人、だから信頼できない弁護士、という見方をしていたわけではもちろん決してありません。
 弁護人の立場で、当たり前のことを当たり前に出来ているかどうか、時間を守るか、提出期限を守るか、法令を熟知しているか、被告人とのコミュニケーションは取れているのか、そういったレベルでの判断だったのではないかと思います。
 弁護士に限らず、他人からの信頼を得るのは、まず、当たり前のことを当たり前に出来るかどうかなのだと思います。そしてこれがたぶん一番難しいこと。時間を守る、口にした約束は守る、返事はだす、感謝の気持ちを伝える、きちんと挨拶をする等々。
 根底は、他人である人と人して、相手への敬意を行動で示せるか否かなのかなと思います。相手を見下したり、馬鹿にしたような態度をとって、その相手や、そのような失礼な姿をとる人間を周りの人間が、「信頼できる人物」などと思うことはまずないでしょう。

 ということは、紛争を解決しようと思ったら、まずもって相手に敬意を示すのが大事だということになります。それが出来ないのなら、最後の一人になるまで、まわりと殴り続けて闘い続けるか。まったく無駄な争いです。
 
(おわり)

« 信託、そして大阪【松井】 | トップページ | プロフェッショナルとは【松井】 »

02 松井」カテゴリの記事

07 訴訟活動」カテゴリの記事

08 弁護士業務」カテゴリの記事

10 つれづれ」カテゴリの記事