2018年10月
  1 2 3 4 5 6
7 8 9 10 11 12 13
14 15 16 17 18 19 20
21 22 23 24 25 26 27
28 29 30 31      

最近のコメント

最近のトラックバック

無料ブログはココログ

flickr


« 2007年2月 | トップページ | 2007年4月 »

2007年3月

2007年3月31日 (土)

仕事とは~佐藤可士和さん~【松井】

Cimg1943

 今朝の朝日新聞土曜版では、アートディレクターの佐藤可士和さんが取り上げられていました。
 私の印象では、昨年あたりから、その仕事の結果だけでなく、ご本人がいろいろな媒体に取り上げられ、その職場や仕事のやり方、思いなどが露出するようになっていました。

 今日の記事を読むと、ますます興味を持つとういか、佐藤可士和さんに対する関心が高まりました。
 正直なところ、一分の隙もなく何かにこだわるということはあまりない、むしろ好きではないのですが、矛盾かもしれないけど、些細なことに妙に心惹かれて愛着するということがあります。モノに対して。

 写真は、愛用しているモノたちです。フランスのロディア社のノートパッドに、コンピュノート社のコンピューターの本物の基盤で創られたノートフォルダ、アマダナ社の計算機に、ゲンテン社の筆箱。
 なぜ気に入っているかというと、もちろんブランド名などではなくデザインやそのモノから感じられるセンスに心惹かれるからです。


 心がウキウキさせられるのは、創った人の遊び心、軽やかな感じのなかに思い入れ、細心の心遣いを感じられるモノです。
 写真にうつっているモノたちからは、私はそういった「弾み」を感じます。
 逆にいえば、「考えなし」のモノたちからはマイナスの波長を感じて、嫌な気分になってしまいます。「考えなし」の対極が、私の心を弾ませる「考えあり」のデザインのモノたちになるのだと思います。
 

 佐藤可士和さんが創り出すモノたちからは当然ですが、「考えあり」のまさにとぎすまされた意識を感じます。そしてのその仕事に対する姿勢を語る、掲載されている佐藤さん自身の言葉にはいろいろと印象深いものがあります。

 以下、3月31日付け朝日新聞「be」からの引用です。

 

「僕が『広告は、見てもらえないものだ』と思って、作っているからでしょう。」
  
 「多くの広告は、見てもらえるという前提で作られている。だからどうしても、あれも言いたい、これも入れたいと欲が出る。でもそれ以前に、とにかく目や足を止めてもらわなきゃならないのに。それには広告に、価値を与えなきゃだめです。」

 「突破口は、とことん本質に向き合うことだと思う。そして本質をつかんだら、余計なものは徹底してそぎ落とす。難しいですけどね。」

 「単なる提案にとどまらず、最後に具体的な形、モノまでつくるところは普通のコンサルタントとは違います。そしてそれは、デザイナーにしかできないと思いますから。」

 「僕の仕事は、相手から答えを引き出すことだから。」
 「だから僕は、たくさん質問をして『本当はあなた、こうしたいんじゃないの?』ということをズバッとつかんで、鮮やかに解決したいんです。」

 「僕はむしろ、いろんな人と仕事をすればするほど、どんどん自分の中に知恵が入ってくる。そしてそれが別の仕事で役立つんです。



 仕事とはこういうものかもしれないと思いました。
 裁判官に読んでもらえると思って、本質に欠けたダラダラとした書面を作ってちゃダメだし、相談者、依頼者の方に分かってもらえる、聞いてもらえると思って、分かりににくい言葉で話したらダメだし。

 「突破口は、とことん本質に向き合うこと」

(おわり)

2007年3月27日 (火)

裁判官と判決~転勤の季節に思う~【松井】


 3月も終わり。
 以前、何度か仕事をさせていただいたことがある会社の担当者の方が転勤で東京に異動ということで、後任の方と一緒にわざわざ事務所まで挨拶に来てくれた。
 自身の立場上、やむをえずというのでもなく、本当に親身に従業員の方のことを心配し、気遣って仕事をされていた方だった。
 こちらの都合で夜中に携帯電話に電話させていただいたことも何度かあった。
 転勤ということを聞いて少し寂しく思った。困難な状況でも穏やかさを失わない姿勢は見習いたいと思っていた。


 4月。転勤といえば、裁判官や検事も転勤の季節である。
 弁護士8年目となっても今更ながらに、いや8年目だからこそ、裁判の怖さがわかり、判決というものはつくづく分からないものだと思うことが増えるようになった。
 一番大きかったのは、以前のエントリーでも触れた遺言無効確認の事件の判決だ。
 尋問前の和解の際、合議体の担当裁判官からは心証開示をされ、この遺言は無効と判断せざるをえない
といったメッセージが明確に発せられていた。
 勝つことはできなくても、負けるわけにはいかないのが裁判と考えている。
 依頼者と共に和解の途を模索した。
 しかし、どうしても譲れない部分があり、敗訴判決を覚悟で、和解を打ち切った。

 判決言い渡し期日までの間。
 
 合議体の部長が交代した。
 そして判決言い渡しが延期されること、数回、数ヶ月。
 正直なところ、期待が高まった。
 そして、判決は、遺言は有効との判決であった。

 相手方の弁護士に対しては気の毒にも思わないでもない。和解の際の裁判官からの心証開示によって
勝訴を確信していたはずである。
 ところが・・・。
 自分が相手方の弁護士の立場でなくって本当に良かったと心の底から思った。
 と同時に、改めて「判決」の怖さを思い知った。
(ちなみに控訴審でもひっくり変えることはなく、安堵のため息)

 担当する裁判官によって右か左かを左右することがあるのである。
 だからこそ、三審制がとられている。
 それにしても。怖いったらありゃしない。
 これが裁判の実態の一つであると受け入れるしかない。
 受け入れて、準備することだけが出来ることである。

 ちなみに、各法廷の担当裁判官は最高裁のホームページから調べることが出来ます。
 だけど、なかなか探しづらい場所に格納されています。
 大阪の民事の法廷については下記のとおり。
 4月、どのように変わることやら。
 私が今担当している事件の裁判官に変更があるのか否か。
 ま、この点は前回の法廷で「転勤されますか?」と当然、確認していますけど。  


大阪高裁 民事
http://www.courts.go.jp/osaka-h/saiban/tanto/minji.html

大阪地裁 民事
http://www.courts.go.jp/osaka/saiban/tanto/minji_tanto.html

大阪家裁
http://www.courts.go.jp/osaka/saiban/tanto/kasai_tanto.html

2007年3月23日 (金)

相続税の脱税事件~刑事判決の読み方~ 【松井】


相続税を脱税したということで逮捕された大阪のトモエタクシーの元社長に対する大阪地裁の判決が3月22日、出たようです。

日経ネットの記事から。
http://www.nikkei.co.jp/kansai/news/39018.html

【2007年3月22日】 相続税巨額脱税でトモエタクシー元社長に懲役4年・罰金7億円──地裁判決(3月22日)  実父の遺産を海外口座に隠し相続税約24億9000万円を免れたとして相続税法違反(脱税)罪に問われたタクシー会社「トモエタクシー」(大阪府守口市)元社長、西井良夫被告(62)の判決で、大阪地裁の川合昌幸裁判長は22日、懲役4年、罰金7億円(求刑懲役5年、罰金10億円)の実刑を言い渡した。相続税の脱税事件の罰金としては過去最高とみられる。

 川合裁判長は「極めて巧妙、計画的犯行で反省もしていない」と指摘した。西井被告側は即日控訴した。西井被告側は公判で「海外送金は父の指示で、脱税の意図はなかった」と無罪を主張していた。川合裁判長は、海外送金は西井被告が主導して行ったと認定。他の相続人にも海外口座の存在を隠していたことなどから「脱税目的の財産隠しだった」と述べた。


 相続税法68条によれば、「偽りその他不正の行為により相続税又は贈与税を免れた者は、五年以下の懲役若しくは五百万円以下の罰金に処し、又はこれを併科する。」とあります。そして同条2項によれば、「前項の免れた相続税額又は贈与税額が五百万円を超えるときは、情状により、同項の罰金は、五百万円を超えてその免れた相続税額又は贈与税額に相当する金額以下とすることができる。」とあります。

 この法定刑にてらしてみれば、懲役4年の実刑判決は法定刑の5年に近い量刑であり、相当重いといえます。
 ただ、罰金刑については、相続税法によれば「免れた相続税額・・・に相当する金額以下とすることができる」とあるので、裁判所はしようと思えば、免れたといわれる「相続税約24億9000万円」に近い金額を罰金と課すことも出来たはずです。
 なぜ、免れた相続税額の約3割強の罰金刑なのか。

 公訴事実に対して否認して争っていたようですが、有罪判決でした。
 報道を見る限りでは、亡父に言われるがままの海外送金であって脱税の認識、故意にかけるので無罪という主張を行っていたのではないでしょうか。
 ただ、間接事実としては、亡父が意識を喪失した後も新たに送金を行っていること、他の相続人にも海外口座の存在を秘していたこと、申告にあたり税理士からの助言にもかかわらず海外口座を申告しなかったことといった事実から、故意、違法性を意識しうる事実の認識はあったと認定されたようです。


 刑事弁護人は、どのように争ったのでしょうか。客観的証拠を十分に検討できていたのでしょうか。客観的証拠からすれば有罪の事実認定は無理だといえる場合はともかく、証拠は十分だと思える場合、依頼者である刑事被告人にはその旨の危険性を当然、説明します。ただ、そうであっても本人が故意の不存在、無罪を主張する場合は、最大限の力を振り絞って戦います。
 控訴審でいったいどのように争うのか。おそらく親族の証言、税理士の証言などが証拠としてもあったことでしょう。おそらくこの点の事実認定を争っていたのだと思います。
 
 報道で注意しないといけないのは、有罪の場合、もっともらしく、「●●といった事実から有罪が認定された」と報道され、この事実認定の●●には疑問の余地はない当然のことだと思いがちです。しかし、刑事事件で争う場合、まさに●●の事実認定が証拠でどのようになされるのか、証人の証言は信用性があるのか否か、物証に検察官が主張するような信用性があるのかといったところが争われるのです。
 トモエタクシーの元社長の相続税脱税事件についても控訴審でひっくりかえるかもしれません。
 有罪判決は、確定するまで有罪ではありません。
 一審判決の当不当は判決全文を読まない限り、分かりません。
 ライブドアの堀江社長らに対する判決も、同じでしょう。
 判決文の全文を読まずに、判決の中身、事実認定について当不当の意見を述べることは、弁護士ならしないと思います。

(おわり)

2007年3月22日 (木)

鴨志田穣さん、亡くなる【松井】

070321_125815


 カメラマンでエッセイスト、そして本人は不本意だったであろうけど、何よりも漫画家・西原理恵子さんの夫として有名だった鴨志田穣さんが亡くなったという新聞記事を昨日、見る。42歳、腎臓ガンということだった。


2 
 新聞記事を見て、一人ショックを受けていたところ、携帯電話に友人から電話が入る。「見た?」ということで、毎日新聞を定期購読していた友人から、西原理恵子さんの毎日新聞での連載漫画「毎日かあさん」からの最新情報を教えてもらう。

 訃報を見て、あれっと思ったのは、喪主が元妻・西原理恵子さんと書かれていたことだった。
 それも、友人曰く、鴨志田さんは、アルコール中毒を克服し、最近は、また西原さんとその子ども達と一緒に暮らし始めていたんだといこと。

 確か去年、本屋で、「酔いがさめたら、うちにかえろう」という鴨志田さんの本が平積みとなっているのを見て、あぁ、アルコール中毒を治したんだと思いつつ、「うちにかえろう」という部分で、別れた西原さんや子ども達、「うち」への未練があるんだなあとしみじみとした思いになり、印象に残っていた。
 そもそも離婚の原因も、「毎日かあさん」などを読む限りでは、お酒と暴力、そして潜在的な嫉妬心だったようなので、一緒に暮らし始めていたということについても妙な印象を受ける。ただ、それで最後、「喪主」を努めるというところに西原理恵子さんの情の深さを見た思いがする。



 それにしても、42歳。
 アルコール中毒を入院で克服し、酔いをさまして「うちにかえった」数か月間は幸せだったのだろうか。たぶん幸せにすごしたんだろう。
 「鳥頭紀行~3歩で忘れる」で描かれている「鴨ちゃん」の漫画、写真を見て、知らない人なんだけど、悲しい複雑な思いがこみ上げる。
 でもきっと西原さんは、このこともまたきっと何らかの形で漫画にするんだろうと思う。たぶん性(さが)だから。漫画家の仕事も辛いだろうな。

鳥頭の城


(おわり)

2007年3月 3日 (土)

専門性について その2 【松井】

Rikon

 前記事においてもちょっと触れたように、離婚事件というのは弁護士であれば誰でもできそうな分野といった位置づけがされがちです。
 しかし、実は、違います。

 写真は、司法修習同期の一澤昌子弁護士(大阪)が昨年出版した本です。
 テーマはまさに、離婚。しかも「熟年離婚」です。
 
 出版時に一冊贈呈をうけ、早速読みました。
 
 私自身も確かに、弁護士1年目のときから離婚事件を担当させていただいたりしており、一応の知識、技術は知っているつもりでした(現在は離婚事件については新規受任いたしておりません。)。
 しかし、この一澤弁護士の本を読み、「一澤さんはいつもここまでしていたのか!!」と愕然としました。
 (もちろん、事務所パートナーの大橋も離婚事件の「経験値」は高く、端で見ていて、粘り強くよくやるな!!といつも驚いています。)
 

 弁護士にしてみればおそらく一件何気ない事件、離婚事件においてすら、弁護士の経験値(単なる経験数ではなく、どこまで徹底して調査し、やり込んでいるかということです。)に差がでるのです。
 こういった事実は実は利用する側にはあまり分かりません。

 以前、依頼者の方と雑談していたときにこういう話になり、そのとき依頼者の方が仰ったのは、「他の弁護士さんのことがあまり分からないから、一度頼んだ弁護士との仕事のやり方についてはこういうものなんだと思ってしまうんです。なのでその弁護士の仕事のやり方がどうということは分かりません。」ということでした。
 企業であれば、確かに依頼する件数、相談案件も多いので、弁護士を比べてみることはできるかもしれません。
  
 しかし、離婚や相続といった問題は、人生でそう何度もある問題ではありません。
 だから、他の弁護士ならどうか、依頼した弁護士のやり方が最善なのかどうか、比べようがない、分からないということでした。

 ただ、これからの時代は、個人の方であっても、最初に依頼する弁護士を選別する、つまり相談者・依頼者が弁護士を比較検討する時代は訪れると思います。また、そうでないといけないと思います。
 
 そのためには弁護士の方も自らの情報を公開していくことが求められざるを得ないと思います。
 病院のあり方が変わっていったように、法律事務所のあり方も変わっていきます。

(おわり) 

NPO建築問題研究会~専門性~【松井】

 今日土曜日は、所属する団体、NPO建築問題研究会の月に一度の相談会開催の日でした。

 この相談会では、欠陥建築問題に詳しい一級建築士の先生と弁護士が数名ペア、チームとなって、相談者からの相談を聴きます。
 
 弁護士が法的な視点でアドバイスさせていただくのはもちろんなのですが、建築問題、建物工事にまつわる問題については、やはり一級建築士の先生のものの見方、切り口が加わることにより、よりいっそう具体的かつ実効的なアドバイスがなされるということをいつも痛感します。
 
 弁護士では思いつきにくい切り口が加わり、相談者の方も次にとるべき具体的な行動が見えてきます。


 ところで、じゃあ一級建築士の先生であれば誰でもそういった鋭い切り口を持ちうるかというと、どうもそうではなさそうです。
 欠陥住宅という問題について数多くの事例に当たられている建築士の先生だからこそ見える切り口というのがあるということです。

 一級建築士と弁護士は、仕事としてはそれだけで専門家の仕事になりますが、その中でもさらに専門性というものが生じてくるのは当然だと思います。
 
 一級建築士だから建物のどんな問題にも対応できるわけではない。構造計算の問題、瑕疵の問題、住宅、ビルなど得意分野は区分されるようです。

 弁護士も同じです。特許事件、医療過誤事件、欠陥住宅・建築瑕疵といった分野があります。さらには、弁護士ならその多くは誰でも一度は経験しているであろう離婚事件や相続事件、交通事故といった事件であっても、その事件の数をこなしているか否か、「経験値」の差がものをいいます。
 
 ただこういったことは専門家に相談をする相談者、依頼者の方には分かりにくいことです。建築士、弁護士というだけで「専門家」となりがちなために、その専門の中でも専門は何かといったことまでなかなか分かりません。
 弁護士の方でも、特定の分野が「専門」であると名乗りすぎると、逆にそれ以外の分野の事件に門を閉ざすこととなるのであまり好まない傾向があるように思います。そこで、「得意分野」という言い方が登場します。
 ただ、病院が手術数などを公表したりするように、利用する側に対してもっと弁護士の情報提供をという流れになるのは確実であり、弁護士の事件の具体的な「経験値」が数値化されていくのでしょうね。
 利用する側にとってはいいことだと思います。
 ただ、そうなると事務所、弁護士の個性、特性というものがない、見えにくい事務所は経営難になっていくんでしょうね。ただ単に弁護士の人柄、相談者との相性といったものではなく、まさに弁護士の能力が問われる、プロ中のプロか否かの能力の有無が問われる時代がすぐそこに来ているのだと思います。
 
(おわり)

2007年3月 1日 (木)

人を大切にしない経営者~信用できる?~【松井】

 いつも行く施設の職員の方が、「今日で終わりなんです。」と気のせいか涙ぐみなが言った。
 聞くと、あなたが担当する仕事はなくなったということだった。もう1年は働きたかったけど退職を促されたということだった。聞いている方が涙しそうになった。



 
 一時的に仕事はなくなったかもしれないけど、大変なときに職場に来て支えてくれた人を「もう要らない」と本人の働き続けたいという希望に反して、そう簡単に切り捨てていいのか。

 確かに、経営として赤字のまま何年も走り続けるというのもナンセンスだと思う(日本という国は赤字のまま走り続けているけど・・・。上海、大丈夫か?という不安が不安を読んで市場が簡単に暴落するんだろうな、97年のアジアの通貨危機のように。)。企業が永続性を保つためには、どこかで黒字にしないといけない。でないと市場からの撤退になる。赤字を黒字にするには、収入を上げるか、支出を絞るかしかないので、支出を絞る方策として、やむを得ずにいわゆる「リストラ」(この言葉は好きではない。意味する内容に比して軽い感じがするから。)を行い、「過剰な人員を整理」するというのは避けられないこともあると思う。
 
 だけど、能力もあって周りからの信頼も得ていた職員、貴重な人を辞めさせるというのは最後の手段だろう。最後の手段という意味は、雇い続ける方向でいろいろと模索したうえでの最後の方策ということだ。
 
 どうも、この施設ではそういう模索をした様子がうかがえない。
 というのも、人の出入りが激しいところだなという印象を前から抱いていたこともあるのかもしれない。
 何よりも、以前出されていた広報誌に心底、驚いたことが記憶に残っていた。その年、新規事業を立ち上げたことが誇らしげに書かれていたが、その理由の一つとして、「職員の高齢化による収益の圧迫」のため新規事業に踏み切ったといったようなことががどうどうと書かれていた。
 勤続年数が長い職員の給料が高くなり、その人を遠方の施設においやって暗に退職を促しつつ、従前の職場には給料の安い若い人に置き換えていくということだ。
 当の「勤続年数の長い職員」がこの広報誌を読んだらどう思うのだろう。

 結局、働く者に対する感謝の気持ちが見えないことに不快感を感じるのだと思う。
 経営者としてどうよ。
 そんな経営者の下で働きたいなんて思わないし、人に感謝することを知らない人がいったいどんな素晴らしい事業が出来るというのか。
 自ずと経営方針が分かるというものであって、この経営者が経営する企業の先は明るくないなと思った。人を大切にしない姿をすぐ横で見せつけられる他の従業員が自身の会社を誇りに思うわけないし。
 短期的な支出の抑制に目を奪われて、長期的な利益を取り崩していく姿。
 意見する労働組合や適切なアドバイザーがいないんだろう。



 
 偽装請負の問題が去年末くらいからマスコミでようやく取り上げられ社会問題とされている。
 企業にしてみればいったん正社員となると簡単に解雇できず、仕事量との関係で調整できないので正社員化は避けたいのだろう。「請負」なら、正社員にという途はない。
 ただ、体力があり、一定期間正社員としてもおかしくはない仕事内容で働いているのであれば、それは雇用するべきだと思う。

 「人権栄えて国滅ぶ」という言われ方がある。それが唯一絶対のように聞こえるからかもしれないけど、正直なところ「人権」や「権利」といった言葉自体はあまり好きな言葉ではない。弱者保護といった視点もあまり好きではない。
 だけど、じゃあ反対に企業側の収支の理屈が全てかというとそうとも思わない。
 要は、バランスの問題だと思う。やはり近江商人の知恵で、皆がハッピーになる途を模索し、均衡を保つというのが最もよいのではないかと考えている。やむを得ず整理解雇をせざるを得ない場合でも、退職する職員の次の職場を世話する、自分のことだけではなく相手のことを気遣うというのは今後両者にとってプラスになることだと思う。
 
 こういった働く人に対する配慮すら出来ない企業の経営者がいくら広報誌でいいことを言っていても、信用できないし、この企業の利用を止めようかなと真剣に考える。
 先のない企業。沈んでいく船を見ているよう。

 今回はちょっと個人的に怒ってる!

  
(おわり)  
 

« 2007年2月 | トップページ | 2007年4月 »