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2006年11月18日 (土)

従業員の解雇~労働市場の流動化、「弁護士」の流動化、あるいは考えの迷走か?【松井】

1 
 11月18日付けの日経新聞朝刊の1面は、「解雇紛争 金銭で解決」となっていました。

 労働政策研究・研修機構という機関の調べによれば、企業が社員を解雇した理由としては、「経営上の理由」が約50%、次に「仕事に必要な能力の欠如」が30%弱、「本人の非行」「職場規律を乱す」がそれぞれ約20%強のようです(複数回答)。



 数ヶ月前、フランス政府による、若者の解雇の容易化を打ち出した法案に対して、各地でデモ等の反対活動が起こり、結局、法案が撤回されたという事件がありました。
 雇われる若者にしてみれば、働き初めて数ヶ月で何ら理由なく解雇されるというではたまったものではありません。
 これは若者に限らず、大学を卒業してから「就職」し、このまま60歳の定年までこの会社で働こうというつもりでいた、例えば30年の住宅ローンを組んだのに、35歳のある日、「きみ、来月、辞めてくれないかな」と言われた場合を考えたら、たまったものではありません。
 この「たまったものではない」という感情が何かというと、まさに「人生の計画が狂う」ということだと思います。人生とまではいわなくても、来月、来年とこれだけの「給料」をもらえる、「収入」があると「信頼」していたのに、この信頼が裏切られる、つまり生活設計が狂うということです。



 働く側にしてみれば、「雇用」=まず「収入」です。数ヶ月後の収入の当てがないという恐怖を味わうことになります。
 従業員の信頼を裏切ってはならない、従業員は期間の制限なく雇用されている、つまり少なくとも定年である60歳までは収入が確保されるべきという考えが、終身雇用の労働体系をもとにした裁判所の解雇規制法理かと思います。

 

 「信頼を裏切ってはならない」という考え、価値観が多くの裁判例からも裏付けられるかと思います。また、ちょっと違うかもしれませんが、「禁反言」の法理といわれるものがあります。あのときこう言っていたのに、今更違うことを言っちゃいけないといった価値観といえるでしょうか。
 今回検討されている法制度は、解雇の不当性を争う従業員に対し、企業に対して、「解雇無効確認の訴え」ではなく、「社員が職場復帰を求めない代わりに、金銭による補償を請求する訴えを認める制度」らしい。補償金の下限を年収の2年分といったように明示するようです。
 「労働組合の代表者らは解雇の乱発を招くとして警戒している。」とあるように、逆に考えれば、企業としては、どうしてもこの従業員を辞めさせたい、少なくとも定年まで働いてもらいたくはないと考えたら、その従業員が36歳であれば60歳ー36歳=24年間の給与の支払い、その他のその従業員がいてもらうことによる不都合と考えることを天秤にかければ、年収の2年分あるいは4年分であっても、それで解雇できるなら「しめたもの」になるのは明かでしょう。
 
 こうして「労働市場 流動化促す」が実現されていくのでしょう。
 流動化された「労働」は次の職にたどりつけるのか。35歳で解雇されたものが次にどのような職を見つけることが出来るのか。例えば、これが50歳だったらどうなのか。
 日経のデータをみれば、ただ日本の完全失業率は、数年前をピークに下がってはいるようです。
 
 解雇については、「経営上の理由」にしても、「仕事に必要な能力の欠如」にしても、やはり第1には、解雇回避のための雇う側の努力は不可欠でしょう、当たり前だけど。補償金制度も、この努力が第一という従前の考えを否定するものでは決してないはずです。 そして努力しても、どうしても解雇しないと企業そのものに必要以上のダメージが及んでしまう、この段階にまでいったときには確かに「補償金制度」が意味あるものであることは雇う側の立場を想像すれば否定するものではありません。
 従業員にしても、期間の定めのない終身雇用をむやみに信頼してはいけないという、不安感、不信感、緊張を要求されることになるでしょう。
 これが労働市場の全ての関係者にとって吉とでるのか凶とでるのか。私には分かりません。
 今年の会社法制定のように、まずは試してみて、駄目だったら修正というのが一番なのかもしれません。


5 
 今回の法制定の動きをみて、何を言いたいのか自分でも判然としませんが、最近考えていることの一つに、弁護士数の大増員の問題があります。
 人数が増える、新株発行と同じで一株の価値、弁護士一人一人の価値が相対的に下がる、喰えない弁護士が出てくる、喰えない弁護士は悪いことをして非行弁護士が増える、そして社会に迷惑をかけるという話があります。
 しかしそもそも、司法試験に合格し、研修所を卒業して、弁護士の資格を得たからといって、まさに「終身雇用」のように「喰える」「60歳くらいまでは収入が保障される」なんていう信頼を持つことそのものが、そもそも理由がないのではないかと考えています。
 「司法試験に合格して、弁護士になったら収入は安泰だ。」
 「大学を卒業して、大企業に就職したら収入は安泰だ。」
 
 非難囂々(ひなんごうごう)を畏れずに(いや畏れながらも)、今の自分の単純な考えを述べてみると、二つともそもそも幻想なんじゃないかしらと・・・。自営業、経営者の人で、3年先、5年先、10年先が保障されているなんて考えている人は皆無かと。
 そもそも「信頼」を寄せる根拠がいったい何なのか。それは単にそれまでの「前例」に過ぎないのではないかと。その「前例」がいったいいつまで続くのか、そのことについて責任を負うべきものがいるのか、いないんじゃないかと。大きな歴史の流れそのものに責任を負うものがいないのと同じで・・・。
 つまりどういうことかというと、自分でまとめてみるに、「幻想に頼らずに、生き抜きましょう」ということ。
 そうすれば、自分以外のものにふりまわされずに生きていくことが出来ます。
 
(おわり)
 

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