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2006年11月

2006年11月21日 (火)

夕張市破産宣告~それは近い将来の日本の姿?~【松井】

★追記あり

 11月19日付けの日経新聞では、「財政破綻の夕張市 住民説明会が紛糾」との記事が載っていた。
 「高齢者へのバス運賃の補助廃止や除雪の見直しなどの施策」が説明されたようだ。
 しかし、「大半が抗議し退席したため説明会は途中で打ち切られる形で終わった。」という。



 主観的にはともかく、客観的には返すあてのない借金をして、借りたお金をジャブジャブと「たんこうからかんこうへ」の「施策」「施設」につぎ込んだ結果か。
 地方でみた、社会保険料によって作られた「グリーンピア」施設を彷彿とさせるお金の馬鹿な使い方。
 
 象徴的な写真が、不肖・宮嶋茂樹のホームページで掲載されていた。
 
 http://www.fushou-miyajima.com/gekisya/060807_01.html

 泣けてきた。


3 
 炭坑の町の終焉に危機感を感じ、何か施策を打ってでようという発想、危機感をもつのは間違っていないと思うけど、
 危機に対する「対策」が間違っていると、傷口を広げるだけで下手をすれば取り返しがつかないという見本のような行政になってしまった、夕張市。
 「対策」を執るには、当たり前だけど「根拠」のある見込みに基づいた計画がまず一番で、やってみたら「検証」が不可欠で、検証で間違いが分かったら「修正」する、場合によっては「撤退」して、新たな計画を立て直す、それだけのことがなぜ出来ないのか。
 泣けてくる馬鹿さかげん・・・。

 でもよく考えたら、夕張市市民だけのもんだいじゃなくって、これは日本の住人全ての問題なんだろう。
 日本の借金、国と地方をあわせてしめて、770兆円。
 返すあてはあるのか。
 
 1 収入を増やして、
 2 支出を減らす。

 これしかないんだから、執るべき方策は見えているけど、1どこからの収入を増やして、2どの支出を減らすのか、その選択を監視するしかない。
 間違った「対策」が執られないように勉強しないといけない。

 今朝の新聞広告でジョセフ・E・スティグリッツの翻訳最新作が載っていた。「世界に格差をバラ捲いたグローバリズムを正す。」(徳間書店)。「自由化と民営化を旗頭にしたグローバル化は世界に格差社会を撒き散らした。一体それはなぜなのか?アメリカのエゴに歪められたグローバル化のからくりを暴き、全ての人に利益をもたらす新システムを提言する!」とある。
 読んでみよっと。
(おわり)

追記
 弁護士のPINE’S page さんのブログでも夕張市の破綻、再建について触れられているのを発見しました。
 そこで、夕張市が公開している再建の基本的枠組みといものも紹介されていました。
 基本的枠組案
http://www.dolphin.co.jp/hpr/yubari/saiken/20061114saiken.pdf
 余談ですが、同じ事柄を記事にするにしても日経と毎日ではやっぱり違うなぁ。毎日の方が読み応えあり。

2006年11月18日 (土)

従業員の解雇~労働市場の流動化、「弁護士」の流動化、あるいは考えの迷走か?【松井】

1 
 11月18日付けの日経新聞朝刊の1面は、「解雇紛争 金銭で解決」となっていました。

 労働政策研究・研修機構という機関の調べによれば、企業が社員を解雇した理由としては、「経営上の理由」が約50%、次に「仕事に必要な能力の欠如」が30%弱、「本人の非行」「職場規律を乱す」がそれぞれ約20%強のようです(複数回答)。



 数ヶ月前、フランス政府による、若者の解雇の容易化を打ち出した法案に対して、各地でデモ等の反対活動が起こり、結局、法案が撤回されたという事件がありました。
 雇われる若者にしてみれば、働き初めて数ヶ月で何ら理由なく解雇されるというではたまったものではありません。
 これは若者に限らず、大学を卒業してから「就職」し、このまま60歳の定年までこの会社で働こうというつもりでいた、例えば30年の住宅ローンを組んだのに、35歳のある日、「きみ、来月、辞めてくれないかな」と言われた場合を考えたら、たまったものではありません。
 この「たまったものではない」という感情が何かというと、まさに「人生の計画が狂う」ということだと思います。人生とまではいわなくても、来月、来年とこれだけの「給料」をもらえる、「収入」があると「信頼」していたのに、この信頼が裏切られる、つまり生活設計が狂うということです。



 働く側にしてみれば、「雇用」=まず「収入」です。数ヶ月後の収入の当てがないという恐怖を味わうことになります。
 従業員の信頼を裏切ってはならない、従業員は期間の制限なく雇用されている、つまり少なくとも定年である60歳までは収入が確保されるべきという考えが、終身雇用の労働体系をもとにした裁判所の解雇規制法理かと思います。

 

 「信頼を裏切ってはならない」という考え、価値観が多くの裁判例からも裏付けられるかと思います。また、ちょっと違うかもしれませんが、「禁反言」の法理といわれるものがあります。あのときこう言っていたのに、今更違うことを言っちゃいけないといった価値観といえるでしょうか。
 今回検討されている法制度は、解雇の不当性を争う従業員に対し、企業に対して、「解雇無効確認の訴え」ではなく、「社員が職場復帰を求めない代わりに、金銭による補償を請求する訴えを認める制度」らしい。補償金の下限を年収の2年分といったように明示するようです。
 「労働組合の代表者らは解雇の乱発を招くとして警戒している。」とあるように、逆に考えれば、企業としては、どうしてもこの従業員を辞めさせたい、少なくとも定年まで働いてもらいたくはないと考えたら、その従業員が36歳であれば60歳ー36歳=24年間の給与の支払い、その他のその従業員がいてもらうことによる不都合と考えることを天秤にかければ、年収の2年分あるいは4年分であっても、それで解雇できるなら「しめたもの」になるのは明かでしょう。
 
 こうして「労働市場 流動化促す」が実現されていくのでしょう。
 流動化された「労働」は次の職にたどりつけるのか。35歳で解雇されたものが次にどのような職を見つけることが出来るのか。例えば、これが50歳だったらどうなのか。
 日経のデータをみれば、ただ日本の完全失業率は、数年前をピークに下がってはいるようです。
 
 解雇については、「経営上の理由」にしても、「仕事に必要な能力の欠如」にしても、やはり第1には、解雇回避のための雇う側の努力は不可欠でしょう、当たり前だけど。補償金制度も、この努力が第一という従前の考えを否定するものでは決してないはずです。 そして努力しても、どうしても解雇しないと企業そのものに必要以上のダメージが及んでしまう、この段階にまでいったときには確かに「補償金制度」が意味あるものであることは雇う側の立場を想像すれば否定するものではありません。
 従業員にしても、期間の定めのない終身雇用をむやみに信頼してはいけないという、不安感、不信感、緊張を要求されることになるでしょう。
 これが労働市場の全ての関係者にとって吉とでるのか凶とでるのか。私には分かりません。
 今年の会社法制定のように、まずは試してみて、駄目だったら修正というのが一番なのかもしれません。


5 
 今回の法制定の動きをみて、何を言いたいのか自分でも判然としませんが、最近考えていることの一つに、弁護士数の大増員の問題があります。
 人数が増える、新株発行と同じで一株の価値、弁護士一人一人の価値が相対的に下がる、喰えない弁護士が出てくる、喰えない弁護士は悪いことをして非行弁護士が増える、そして社会に迷惑をかけるという話があります。
 しかしそもそも、司法試験に合格し、研修所を卒業して、弁護士の資格を得たからといって、まさに「終身雇用」のように「喰える」「60歳くらいまでは収入が保障される」なんていう信頼を持つことそのものが、そもそも理由がないのではないかと考えています。
 「司法試験に合格して、弁護士になったら収入は安泰だ。」
 「大学を卒業して、大企業に就職したら収入は安泰だ。」
 
 非難囂々(ひなんごうごう)を畏れずに(いや畏れながらも)、今の自分の単純な考えを述べてみると、二つともそもそも幻想なんじゃないかしらと・・・。自営業、経営者の人で、3年先、5年先、10年先が保障されているなんて考えている人は皆無かと。
 そもそも「信頼」を寄せる根拠がいったい何なのか。それは単にそれまでの「前例」に過ぎないのではないかと。その「前例」がいったいいつまで続くのか、そのことについて責任を負うべきものがいるのか、いないんじゃないかと。大きな歴史の流れそのものに責任を負うものがいないのと同じで・・・。
 つまりどういうことかというと、自分でまとめてみるに、「幻想に頼らずに、生き抜きましょう」ということ。
 そうすれば、自分以外のものにふりまわされずに生きていくことが出来ます。
 
(おわり)
 

2006年11月17日 (金)

契約締結交渉~相手の望みを考える想像力~【松井】

1 
 ここ数ヶ月、契約の締結、つまり合意形成について考えさせられる事件がいくつかありました。
 例えば、支払金額以外のことは何もわからないという「工事請負契約書」という名の「契約書」(いったいどんな建物作るっちゅうねん!)。そしてもう一つはありふれたともいえるはずの立退交渉における家主側の交渉の拙さ。
 それぞれ、結局は合意を形成する過程の「交渉」の拙さ(まずさ)が諸悪の根元だと感じました。

 交渉の拙さ。それは例えば、極端には次のような話。
 相続が発生し、もう何年も音信不通だった遠方の親戚が法定相続人にあたることがわかり、現に暮らしている被相続人名義の土地建物を取得したいと望んだとき、法定相続人全員との「合意」が形成されないと希望した結果を得ることはできません。
 このように関係者から合意を取り付けないといけない場面で、最悪なのは、「私は、全てを●●さんに譲ります」といった書面を作って、これに署名、押印してくれと送りつけることでしょう。
 このようなやり方で合意が得られるのか、結果はちょっとした想像力があればすぐに分かるはずです。
 しかし不思議なことに、このようなやり方をされているのを目にすることがあります。 ある日突然、何の説明、情報開示もなく、これにハンコ押してと言われたら、人にどのような感情がわき起こるか。
 通常、「怒り」でしょう。あるいは、不信感、猜疑心。いずれにしても、この人と前向きに協議しようといったプラスの感情が生まれる訳がありません。


 交渉の拙さというのは、結局、相手方に不信感を生じさせることだと思います。このために、一歩進むのもまさに石橋を叩く状態、最悪は渡たりかけた橋から引き帰えされるという流れです。
 そこで当たり前に考えれば明かなことはただ一つ、交渉をうまく成立させ、こちらが望む結果を得るためには、
 1 関連する事実、こちらの希望等をまずは相手に詳細に説明する。
 2 そのうえで、相手の希望を聞く。
 3 双方の希望に差がある場合、これをいかに縮めるのかという作業を行う。
 至極当然のことですが、これに尽きるかと思います。これを一言で言うと、以前の羽賀研二(「誠意大将軍」を名乗っていた。)ではありませんが、「誠意」なのだと思います。

 相手方が交渉に失敗し、依頼者が弁護士のもとに駆け込むとき、相手方にこの「誠意」が欠けていたということがほとんどです。
 自ら「不信感」を植え付ける言動をとっているのです。
 そして結局、弁護士が登場し、時間も労力もかかってしまう、しかも望んだ結果が得られないという事態にもなりうるのです。

 労を惜しまず、初めから、交渉相手の言い分に耳を貸し、情報公開、情報提供(例えそれが、指摘を受けてからの事後の対応であろうとも迅速に)などを行っていれば、芽生えた不信感も払拭され、事柄がスムースに進むこともあるはずです。
 
 数々の交渉をこなしてるであろう業者でありながら、全く不慣れな様子、何ら交渉のノウハウがないのを目の当たりにし、人ごとながら大丈夫だろうかこの会社はと心配したりして。社内教育が疎かにされているんだろうとしか思えません。
 
 そういえば管財事件においても、担当者がもう少しうまく対応してくれていれば、こちらは訴訟を起こさなくても済んだのにという事件もよくあります。
 訴訟に要するコストを考えたら、交渉担当者の交渉マニュアルの作成、教育の方がはるかに安上がりだと思うのですが。

 どんな仕事であれ人間相手ですから、人間相手ということは、感情なく常に経済的合理性だけで行動意思決定がなされるわけではなく、「感情」が大きな要素を占める、無視できないということ、例えば相手の希望、ときには面子といったものにも配慮しないと事はスムースにはいかないということ。
 当たり前のことのように思うんですが、なぜこれを相手方が出来ないんだろうか・・・。いつも不思議です。
 日産のゴーン社長が大事に考え、実践していることは、「相手の話をよく聞く」ということだそうです。真理かと。
 裁判も、双方の言い分をよく聞く裁判官の判決あるいは和解案には皆、納得することが多いです。
(おわり)

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