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2006年8月

2006年8月28日 (月)

所長講話~平成11年1月5日~【松井】


 机などを整理していたらメモが出てきた。

2 
  所長講話メモ 平成11年1月5日
 1 はじめに

 2 法曹の使命と責任
  1 法曹の公共的、社会的使命
  2 1件1件が持つ重み。
  3 厳しい職業倫理。

 3 自己研鑽
  1 専門的知識、能力。
  2 多様な法的ニーズに対応する能力。
  3 社会的常識。普通の人。

 4 信頼される法曹の一員に
  1 謙虚。心の優しさ。円満な人格。
  2 自己管理。けじめ(時間等も)。
  3 ケアレスミス。
  4 間を切る。

 5 終わりに
  1 上善は水の如し(上善水如)。
  2 健康、笑顔、親切。
                     以上

3 
 私と大橋は、平成11年4月に弁護士登録をしていますが、その前の2年間は、司法試験合格後の司法修習というのを受けていました。所属は、最高裁判所司法研修所です。
 この研修所の所長の新年の講話のメモです。所長は歴代、裁判官です。
 
 メモが出てきただけで話の中身は正直なところ、全然覚えていません。
 しかしこのメモをみたら、どういうことを言われたのか想像できます。

 「初心忘るべからず」

(おわり)

2006年8月23日 (水)

「ハリウッド」~資金調達と回収、利益獲得~【松井】

 一休みに、自分用のメモとして。

 ①「芸術起業論」村上隆(2006.6、幻冬舎)

 ②「ハリウッドで勝て」一瀬隆重(2006.8、新潮新書)

 ③「ハリウッド・ビジネス」ミドリ・モール(H13.11、文春新書)

 などなど。新書が多いけど・・・。


2 
 
 前2作は、日本での芸術と経済・ビジネスのあり方について触れられている点、共通している。

 村上隆「エセ左翼的で現実離れしたファンタジックな芸術論を語り合うだけで死んでいける腐った楽園が、そこにはあります」(29頁)。

 一瀬隆重「『みんなで我慢』的な発想が、ただでさえ縮小傾向にあるマーケットをさらにシュリンクさせていく。それに気づかない日本の映画人と仕事をするのは、私にとってフラストレーション以外の何ものでもありませんでした。」(107頁)。


3 
 
 後2作は、アメリカ、ハリウッドでの映画制作の手法あるいは映画製作上の金融について触れられている点、共通している。

 一瀬
 「現在、ハリウッドで映画ビジネスを動かしている人たちの多くは、弁護士やエージェントなどからの転身組です。コンテツ・ビジネスがますます高度化・複雑化する中で資金調達やファイナンス、マネジメントの専門家達がプロジェクトの決定権を握るケースが多くなってきているわけです。」(161頁)

 「ご存じの通り、日本映画では長い間、豊富な資金力と配給ルートをもつ大手映画会社が著作権や利益配分権を独占してきました。製作委員会方式が主流になった現在も、この構造は基本的には変わっていません。
 私は、これからの日本映画にいちばん必要なのは『クレバーかつ大胆な発想ができる投資プレイヤー』だと考えています。例えば、宣伝費をもっと増やし、洋画なみの物量宣伝をするビジネスプランも試してみたい。そうすれば何より、テレビ局の呪縛から逃れて映画を作ることができます。また、何十億という製作費をかける、ハイリスク・ハイリターンのビジネスプランも試してみたい。」(180頁)。

 「日本におけるファンド・ビジネスは、ちょっと歪んだ形で育ちつつある。もともと『映画ファンド』というのは、企画力や製作力はあっても資金に乏しいインディペンデント・プロデューサーや独立系のプロダクションのためにあるべきです。ところが現実は逆で、ほとんどの映画ファンドが、既存の大手映画会社と金融機関の組み合わせでしか機能していない。それでは(お金もうけのツールとしてはともかく)、日本の映画界にとって本質的なプラス効果は望めません。」(185頁)。


 ミドリ・モール
 「メジャーに映画を供給する独立系製作会社は、どうやって資金調達しているのか。そのひとつに、金融機関から融資を受ける方法がある。」
 「担保となるのは、映画の配給契約である。配給契約とは、映画を配給する人たちが、ネガの提供と引き換えに保証額(ミニマム・ギャランティー)を支払うことを約束する契約のこと。」
 「通常、配給会社は映画が完成すると、ネガの提供と同時に保証額を製作会社に支払う。製作会社は、映画が完成するまで保証額を受け取ることができないのだが、その配給契約を担保に金融機関から資金を融資してもらい、それで製作費を捻出する。金融機関は、映画完成時に、配給会社から直接、保証額を返済してもらうという寸法だ。」
 「このユニークな資金調達方法は、もともとはホロウィッツの独壇場だったが、1992年頃から、映画融資が儲かることに気づいた様々な銀行が、このビジネスに算入し始めた。」(212頁)。


4 雑感

■ 
 信託に関する法律の改正によって、映画製作資金を信託によって集めるということがいっとき新聞で話題とされていました。
 ところが、まぁ、金融機関が手数料分もうかるだけだったというのが現状のようです。さもありなん。

■ 
 一方、アメリカの金融機関は、「映画融資が儲かる」、というか、儲かるシステムを作り上げて独立系の製作会社に融資しているようです。
 持続可能な、皆ハッピーとなる意味のある「儲かる仕組み」を見つける、作り上げると言う点では、日本の金融機関はやはりまだこれからなのかもしれません。「銀行収益革命」川本裕子(2000.2、東洋経済新報社)を思い出しました。副題は、「なぜ日本の銀行は儲からないのか。」。

■ 
 一瀬氏のいうテレビ局の「呪縛」が気になるところ。あぁ、まだ「電波利権」(新潮新書)を読んでいない。
 一方で、「テレビCM崩壊」という邦題の本(2006.8、翔泳社)が出ていたことを思い出す。

 「エンタテイメント契約法」内藤篤(2004.7、商事法務)。「民法テレビ、それも伝統的な地上は放送ビジネス構造は、基本的にはコマーシャルの放送枠の販売であり、つまりは『時間』こそがテレビ局の売っている『商品』である。」(262頁)。「テレビ番組は、それが自社製作であれ外注製作であれ、製作時点でその回収はいわば終わっているし、ほとんど常に、マイナスになることはないのである。」「テレビ局は番組作りに対して金銭的リスクを負っていないのである。」(265頁)。

 ここまで言うと、テレビ製作の人間は、「いや、その売る時間に付加価値を付けられるか否かが、コンテンツの力なんだ」ということで反論できるんでしょうけど。
 ただ、他に比べれば、中身が出来る前に先に売れるので、資金回収は確かに済ませられているといえるかもしれません。その分、リスクが少ないと。

■ 
 映画の金融スキームの構築は、映画を理解している人じゃないと本当のところ、無理なんだろうと思います。日本の金融機関にそのような人材と許容性があるかどうか。人材はあると思うんだけど。
 まぁ、一瀬氏のように、日本を相手にせずに、世界というかアメリカを相手にすれば、アメリカから資金は調達できるんだろう。
 村上氏も同じか。日本に愛想を尽かし、欧米を相手に作品を1億円以上で売るいわばスキームを作り上げた人。
 一瀬氏が強調しているが、「清貧」という言葉に甘んじることなく、皆がハッピーに儲かる、経済的自由を手に入れられる仕組みがないといけないというのが印象深い。まさに、「道楽」と「ビジネス」の違い。
 
 村上ファンドの村上氏の言葉を思い出す。「儲けちゃ駄目なんですか。」。もちろん、儲けるのは悪いことではない。それで幸せになるならいいことだ。ただ、儲け方が不公正な方法だと、それは問題というだけのこと。

■ 
 なぜこんなことに興味があるのかというと、もともとが根っからのテレビっ子で映画好きということに原因があるかと。今でこそ、テレビを見ることはほとんどありませんが。
 一瀬氏の本に出ていた、スパイダーマンの監督で有名なサム=ライミ監督は、その22歳だったか24歳だったかのときの監督デビュー作、「死霊のはらわた」以来のファンでした。中学生のころ(80年代前半)、ホラー映画ブームがあり、四日市で上映されたホラー映画は同じくホラー好きの友人と二人、前売りチケットをコレクションしながら片っ端から見尽くしました。その中でもずっと衝撃的だったのか「死霊のはらわた」でした。名作だと思っていました。

(おわり)

2006年8月19日 (土)

マンション管理~新たな流れがやってくる。行動こそ全て~【松井】

1 
 今朝の日経新聞で、「マンション管理 プロ結集」「有資格者 千葉に新会社」という記事が載っていました。マンション管理士資格を有する人たちだけで作った株式会社です。
 やはりまだこういう管理会社はなかったのかという思いと、ようやくというか遂に第1号が登場したのかという思いでした。


 マンション管理士の資格をもって、独立系として管理士の団体を作って活躍されている方と以前、お話する機会がありました。
 その方と出会う前までは、私の中での「マンション管理士」のイメージは、既存のマンション管理会社に勤務する従業員の人がとる資格といったものでした。
 自身の会社の業務に専門性を持たせるというイメージ、敢えていうなら不動産仲介業者の宅地建物取扱主任者の資格と同じイメージでした。

3 
 しかし、知り合った管理士の方は違いました。管理会社の中にいては、本当に住人のために活動するということが実質的には困難ではないか。つまり、管理会社のもうけという目的とどうしても矛盾することがでてくるのではないかという疑問を出発点にして、独立系としてマンション管理士として生計が立てられるようになるべきではないかという観点を話しておられました。
 具体的には、マンション住人は、実際には自主管理なんてまず無理なので、管理会社に業務委託をする、この際、住人の立場にたって適切な管理が行われているか住人からの依頼を受けてマンション管理会社を監督するという構図です。


 なるほどと思ったのですが、正直なところ、ビジネスとしてはおそらく成り立つことはないだろうと思いました。理由は簡単、管理会社に管理料というお金を払っているのに、わざわざ別個にマンション管理士に監督を依頼する費用を払うほど、住人の財布のひもは緩くはないということです。


 そこで当時、私なりに考えたのが、ゼネコン系のマンション管理会社が多数を占めるなか、独立系のマンション管理会社もあるにはありますが、そこで独自性を持たせ、かつ信用、信頼を付加すべく、「マンション管理士によるマンション管理会社」があれば、ここにマンション管理を依頼してくるマンション管理組合はあるのではないかということでした。会社の名前も考えました。「マンション管理士によるマンション管理株式会社」。そのまんまです。

 早速、嬉々としてこの考えをそのマンション管理士さんに伝えました。が、しかし、残念ながら、あまりピンと来なかったようで流されてしまいました。


 ところが、ついに!千葉県船橋市で「日本マンション管理」という株式会社が設立されたようです。出資者11人の全員が、マンション管理士資格をもち、一級建築士や司法書士、さらには弁護士もその中に入っているようです。
 
 

「当面は千葉県内を中心に管理組合からマンション管理業務の受注活動を展開。マンション管理士を派遣するコンサルタント業務も手がける。将来は全国のマンション管理士と連携し、全国展開したい考え。コンサルタントとしての立場を生かし、管理組合の視点に立った管理業務を目指す。」

 ということです。

 何事も、まずはアイデア、そしてアイデアはあっても行動がなければ全てはゼロ。
 何となく、先を越された悔しさ感はぬぐえません。ちっ。


 ところで、この前本屋さんで面白い本を見つけました。「ハンコで5億稼ぐ道」という本です(講談社)。副題は、「元フリーターがネットビジネスで成功を収めるまでの450日の軌跡」というものです。
 過去、ブログでも書いていますが、私の実家は「ハンコ屋」さんです。駅前のアーケード商店街の中、ハンコ屋の娘として育ちました。

 以前、店舗を出店するショッピングセンターで、ちょっと店番をすることがありました。そのとき、ベビーカーを押した若い夫婦が、「名前だけの銀行印」を作りたいんだけどと言ってきました。作るのは女性の方のものですかと訊くと、いえ、男の名前です、と言うので、あれと思いつつ、ピンと来ました。ベビーカーの中で眠る男の子の初めての銀行印を作ろうとしていたのです。と、そこへ店の者がかえってきたので、私は接客は引き継ぎ後ろへ引き下がりました。

 ここで思ったのは、子連れが多いショッピングセンター内の地味な店構えのハンコ屋さんに、ぱっと華やかな赤ちゃんの笑顔のポスターを貼って、「初めての銀行印は水牛で」などのコピーを添えて、赤ちゃん商品として子どものために高級な初めての印鑑を送ろうといったセールスを展開すればいいのにということでした。

 確か、靴屋で、「マイ・ファースト・シューズ」とか何とかいうセールス・コピーがあったかと思います。それにならって、「ハンコ」もそういった商品としてイメージを売ればいいのです。
 たいていの親、爺ちゃん婆ちゃんは、子どものためにお金を残そうと預貯金を始めます。そのときの最初の銀行印ということで、「記念品」としての性質をアピールすればいいのでは!?とこれまた自分のアイデアに嬉々としていました。
 早速、親に伝えましたが、これもまた反応いまいちで終わってしまいました。

 そんなところへ「ハンコで5億稼ぐ道」。
 さらには今日の「マンション管理 プロ結集」。

 アイデアなきところに進歩なし、行動なきところに発展なしといったところでしょうか。
 アイデアを試す実行力のない、行動力に欠ける自分に反省。プレゼンが悪いのでしょうか。いずれにしても反省。
 って、私の仕事はいったい何なのか?いつもこんな感じでとりとめもないことを考えています。弁護士業務とは関係ないけど、考えたアイデアを実行して試してみたい・・・。トライ&エラーだよ、人生は♪試して、失敗して、やり直しての繰り返しで、それが楽しいのではなかろうか。
(おわり)

2006年8月10日 (木)

くまのぷーさんとナカタ~情報と権利のコントロール~【松井】


 ネットのニュース(CNN.COM)でさっき見ました。ポール=マッカートニーとその奥さんとの離婚協議で、チャールズ皇太子と当時のダイアナ妃の離婚協議の際に代理人となっていた弁護士が共に、それぞれの代理人になったと。「凄腕弁護士」らしいのですが、いつも思うのは、「凄腕」って何がどう凄いのかということです。
 単に、要求に対して、「ノー」としか答えないのが凄腕、タフネゴシエーターということでは決してないと思うので、「凄腕」というのは基本的には「問題解決能力」を意味するのだと私は理解しているのですが、どうなんでしょう。
 つまり相手の話をよく聞き、柔軟にアイデアを出し、紛争状態を終結させることができる能力だと考えています。相手方となった代理人弁護士でこちらが学ぼうと思う能力を示される代理人は、全てにおいて誠実さを感じさせてくれる交渉・訴訟態度のように思います。
 世間の「凄腕」の定義を知りたいものです。まさか下品に怒鳴りつけたり、単にノーとしか回答できない交渉態度を「凄腕」というわけではないと思っているのですが。

2 
 古い話ですが、2006年6月26日、アメリカの最高裁が、くまのぷーさんに関する商品化などのライセンスについて、くまのぷーさんの作家A・A・ミルンの孫娘の訴えを退ける判断を出したようです。
 孫娘は、権利を主張しているSlesingerを退けて、全てディズニーに権利を与えたかったようです。孫娘の訴訟は、ディズニーが費用面でバックアップしていたようです。
 しかし最高裁は、1983年にミルンの息子とSlesingerとの合意の存在を認め、Slesingerに権利はないとの孫娘の請求は理由がないとしたようです。(ロイター)
 
 ちなみにくまのぷーさん関連の商品は2004年、53億ドル!の売り上げがあったようです。
 そこから払われるロイヤルティーを考えたら、仮に1%でも5000万ドルです。1年で。
 
 この記事を読んで思ったのは、権利の管理がなっていなかったんだなということです。後から訴訟しないといけないというのは、結局、そういうことになるかと。80年代にはそれなりに有名だったはずのくまのぷーさんほどのものであってもと、意外な気がしました。

3 
 一方で、8月9日付けの日経新聞朝刊記事で、「NAKATAルネッサンス」として、サッカー選手だった中田の自己の権利意識と対応策について触れられていました。
 「ある時、自身のサッカー観を素直に吐露した高校時代の映像を使おうとしたら著作権は取材したテレビ局にあり、思うに任せなかった。逆に、若き日にバラエティー番組に出演したときの姿を封印しようとしても本人の意志とは関係なく『お宝映像』としてテレビの中で何度も使い回される。
 映像の中にいるのは紛れもなく自分。しかし自分にはコントロールできない。なぜ?」
 そこで中田サイドが考え出した手法が次のようなものだったようです。
 「地上波での露出は控え、どうしてもという要望には自前の取材カメラで写し撮ったものをテレビ局に貸与する逆転の発想で応じる。いわば情報の川上から川下までをがっちり押さえ込み、中田という’原盤’を徹底的に保守する戦略に出たわけである。」。

 そこまでしていたのかとこれはこれで、驚きました。試行錯誤の末だったのかとは思いますが。
 そういえば判例雑誌を読んでいると、実際、中田が原告となっている名誉毀損訴訟事件を2件は見たことがあります。訴訟で対抗しているんだなと思っていたのですが。
 
 あ、そういえば、昔、元シンガポールの首相のリー・クアンユーの自伝を読んでいたとき、シンガポール創世記の混乱の際、弁護士をしていたクアンユーは、事実ではない報道に対して、名誉毀損訴訟で相手方や報道機関と闘っていたということが記載されていたように思います。
 
4 
 「人の口に戸は立てられない」という諺があるように、噂の発生を抑えることは難しいんでしょうけど、その後の噂を軌道修正することは意外と出来ることなのかもしれません。
 中田のホームページのナカタ・ネットも事実をきちんと届けたいという情報コントロールの意思からのものだし。
 テレビにおける自己の権利等のコントロールも実際にそこまでしていたのには驚きましたが。
 そういえば「電波利権」という新書が出ていて、買ったまままだ読んでいません。

 最近、ネットの発達によってネットでの番組放送が技術的に可能となっているけど、権利処理をどうするかということで、簡単な権利処理が既存権利として認められているテレビでの扱いと同様にしようかという議論がなされているようです。
 それだけテレビ業界は、特権が認められているということなんでしょう。

 ま、30年後、50年後、中田の孫に限っては、くまのぷーさんの作家の孫のような訴訟をしないといけないようなことはまずないでしょう。これだけ管理がしっかりしていれば。

(おわり) 

追記 くまのぷーさんの権利をめぐっては、ディズニー社とSlesinger側との間で、長期にわたる壮絶な法廷闘争が続けられてきてたようです(USA Today)。これはこれで興味深い・・・。

2006年8月 1日 (火)

「責任の追及」ということの意味【松井】

☆追記あり

 状況をみて、次にどうなるのか、そしてそれに対してどのように対応するのがよいのかを考えて、行動する。
 自分で考え、自分で判断し、自分で行動する力。
 これが欠けていたのだろうか、プール監視のバイトの人、その責任者には。
 7歳の女の子が、埼玉県内の市営の流水プールの吸水口に吸い込まれて溺死する事故があった。

 監視員は事故の20分前には吸水口の柵がはずれていたことを知り、プールで泳ぐ客に注意を呼びかけていたという。監視員の声と、吸水口の柵がはずれた流水プールで泳ぎ続ける人々。そして吸い込まれる女の子。
 
 柵が壊れたままの流水プールで人が泳いでいたら、注意の声も届かず、流れの中で思うように体を動かせず、吸水口に吸い込まれる人間、子どもがいることをどうして予測できなかったのだろうか。

 「危ない」と予測していたからこそ、注意を促していたのだろう。だとすれば、なぜ、吸水ポンプを止める、遊泳を止めるという適切な対応、行動を選択できなかったのだろうか。
 この「適切」さは何も難しい発想ではないはずだ。


 世の中には、自分がこういう行動をとったら次にどうなるのか、まわりがどのように動くのかといった予測する力、想像力に欠けたまま行動する人間が数多くいる。
 そして、自ら、事態をますます悪化させてしまう。
 結局、それは自分に跳ね返る。そんなことも想像できずに間違った行動をとる。そして、取り返しのつかない悲劇を引き起こしてしまう。


 このような人物から身を守るにはどうしたらよいのか。
 自己防衛能力を高めるのがもっとも確実な方法の一つであろう。

 小学生のころ、駅などで頭上の看板の下には絶対に立たないという同級生がいた。地震が起きたとき、看板が落ちて来るのか怖いからという理由だった。
 飛行機事故に遭いたくないなら、飛行機に乗らないのが一番であろう。

 困った状況に関わらないようにするには、その原因となるものとの接触を回避、極力減らすのが一番効果的であろう。

 じゃあ、プール事故に遭いたくなかったら、公営プールには行かなければいいのか。


 違うだろう。
 
 プールに、こんな判断力に欠けた人物がいるとはまさかと予測はできない。危険を回避しようにも、危険であるか否かの判断材料がない。
 予測能力、判断能力に欠けた監視員の存在。
 この存在を無くすように監督する責任がプールの設置・運営者である市にはあった。個人の責任の追及のみならず、プールの設置・運営の責任者の監督責任の全うを求めるのが一つの適切な方法である。
 そしてその監督責任に対する信頼は、守らなければならない。安全に対する信頼が守られない社会では人は家から一歩も出られない。

 今回のプール事故の場合は市の責任、監督責任等が問われるだろう。


 では、困った人物・個人に出くわしてしまった場合、それぞれの困った行動の監督責任はどのように問えばよいのか。自分の監督は自分しかない。その責任を問えるのはその人物でしかない。
 
 だから人は、他人に対して、その個人としての責任の追及を行うのである。
 自己防衛の一つのあり方として、他人の責任の追及を行う。

 虚偽告訴等の罪というものがある。
 これは防衛手段の一つである。違法に告訴、告発をなされてしまった場合、告訴、告発したことそれ自体を犯罪行為とするのである。
 違法に告訴・告発を行った者による次なる違法行為から身を守るための手段である。虚偽告訴等をそそのかした者も「正犯の刑を科する」とされ、同類である。

 「責任追及」を行うことが新たな被害を生み出すことを防ぐことにつながる。
 今回のプール事故についても問われるべき責任が追及されなければならない。


 「防衛」、被害の回避・防止は、何も問題状況を回避することだけが適切な方策ではない。「問題状況」に対して、関わること、その責任を追及することが、防衛に繋がることもあるのである。

 市との訴訟となった場合、遺族の方は非常にエネルギーを要し、辛い立場となるだろうけれども、亡くなった女の子に代わって、追及すべき責任を追及して欲しいと思う。この追及は、遺族の方にしか出来ないことだから。

(おわり)

追記(8月2日)
死因は溺死ではなく、吸い込まれる際の頭部打撲によるもののようです。
また現場の監視員は高校生のアルバイトだったようです。
さらに、蓋がはずれていることが分かってから事故発生までの時間は10分程度だったようです。

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