いかに財産を遺すか~合法と違法、そして脱法の狭間~【松井】
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政府税制調査会は、相続税の基礎控除額の減額というかたちで相続税の税収を増やす方向で検討しているらしいです。
東京新聞
http://www.tokyo-np.co.jp/00/kakushin/20060512/mng_____kakushin000.shtml
朝日新聞の紙面ではとってもとっても小さく紹介されていました。
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相続税をいかに納付せずに済むか。つまりいかに財産を多く遺すかは経済合理性として誰もが考えて当然のことだと思います。
ただ、刑事事件の公判が始まったという大阪のトモエタクシーの元社長の容疑事実はなんだか冴えません。被相続人が床に伏せってから、その資産の何億円という金を外国の金融機関経由でスイスの銀行に送金し、遺産隠しを行ったという容疑です。相続税の申告を担当した税理士ですら、遺産が少なすぎると不審に思ったという報道もされていました。 否認されている様子ですので判決の結果を見守りたいと思います。
さて、以前、相談を受け調査を行ったときに、ほほう、こんな判例がやっぱりあったのかと思った判例がありますので、自分の備忘録的に記しておきます。
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最高裁平成10年2月13日第2小法廷判決
民集52.1.38、判例時報1635.49、判例タイムズ970.114
「不動産の死因贈与の受贈者が贈与者の相続人である場合において、限定承認がされたときは、死因贈与に基づく限定承認者への所有権移転登記が相続債権者による差押登記よりも先にされたとしても、信義則に照らし、限定承認者は相続債権者に対して不動産の所有権取得を対抗することができないというべきである。」
どういうことかというと、被相続人甲さんがいて、甲さんは土地を所有していました。しかし一方で、Yに対して、負債を背負っていました。甲には子どもXがいました。甲さんはおそらくこう考えました。
子であるXにマイナス財産の負債は相続させたくない、でもプラスの財産の土地は相続させたい。
そこで甲は次のようなことを行いました。その法定相続人である子どもXに対して、自分の土地を贈与する死因贈与契約を行い。さらに念入りに、始期付所有権移転仮登記手続をとりました。
甲 ← Y
|
X
甲さん、死亡。
Xは何を行ったかというと、相続について単純承認(プラスもマイナスも相続する)ではなく、限定承認を行いました(マイナス財産を相続するが、その責任財産、返済の引き当てとなる財産は、相続したプラスの財産の範囲内)。ちになみに甲の子である他の相続人の一人は相続放棄(マイナスも相続しない、プラスも相続しない)を行ったようです。 一方、甲の債権者のYは、甲の相続財産の限度内においてその一般承継人であるXに対して強制執行することができる旨の承継執行文の付与を受け、これを債務名義として甲が所有した土地について強制競売の申立をしました。
このYの行動に対して、Xは、競売申立をされたこの土地は相続財産には含まれないとして第三者異議の訴えを起こしたのでした。
結果、上記の最高裁判決となりました。
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判決理由は、次のとおりであり、ある意味しごくまっとうな分かりやすい公平感覚によるものです。こういう判決を読むと、「最後に正義は勝つ」という言葉を思い出します。ただ、「こんなのって、最後は『信義則』でなんでもありだったら、法律を駆使して財産を遺そうとしても徒労だよね。」というぼやきも聞こえます。
「けだし、被相続人の財産は本来は限定承認者によって相続債権者に対する弁済に充てられるべきものであることを考慮すると、限定承認者が、相続債権者の存在を前提として自ら限定承認をしながら、贈与者の相続人としての登記義務者の地位と受贈者としての登記権利者の地位を兼ねる者として自らに対する所有権移転登記手続をすることは信義則上相当でないものというべきであり、
また、もし仮に、限定承認者が相続債権者による差押登記に先だって所有権移転登記手続をすることにより死因贈与の目的不動産の所有権取得を相続債権者に対抗することができるものとすれば、限定承認者は、右不動産以外の被相続人の財産の限度においてのみその債務を弁済すれば免責されるばかりか、右不動産の所有権をも取得するという利益を受け、他方、相続債権者はこれに伴い弁済を受けることのできる額が減少するという不利益を受けることとなり、限定承認者と相続債権者との間の公平を欠く結果となるからである。そしてこの理は、右所有権移転登記が仮登記に基づく本登記であるかどうかにかかわらず、当てはまるものというべきである。」
ちゃんちゃん♪
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おそらく必死に考えたスキーム、
死因贈与契約+仮登記+限定承認
は2年以上も争ったうえに最高裁判所の「信義則」によってあっさりと否定されてしまいました。
法の間隙を突く方策は常にこのようなリスクを背負います。法律でいくらこう解釈できるでしょと言い張ったところで、そのことによりもたらされる結果が当事者の利益調整の衡平に適わないときは、ドラえもんのポケット「信義則」の登場によって、覆されてしまうのです。
スキームを考えるときはこういったリスクも考慮しないと意味ないですよね。技巧に走りすぎるなという教訓です。
雑誌に載っていた、企業の法務担当者の声を思い出します。いくら練って契約書を作っても、あまりに不公平ということだと結局、裁判所に覆されちゃうんです。だから練りに練って考えて契約書を作ることにそれほどの意味は認められない。
だから契約書文化が進化しないのでしょうか・・・。適当な契約書でも、最後は裁判所が救ってくれる、不合理がまかりとおるはずはないという確信?盲信?でしょうか。
(おわり)
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