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2006年4月

2006年4月27日 (木)

「はんこ屋」はなぜ潰れないか、はさておき、どうする「有限会社」成美堂。【松井】

1 実家は三重県の四日市市ではんこ屋をしています。駅前商店街の中に店がありますが、この10年ほどで商店街は見るも無惨にシャッター商店街となってしまいました。
 誰がこんな商店街の中のはんこ屋にはんこを買いに来るのか?

2 実は、店はここだけではありませんでした。自動車で買い物に訪れる郊外のショッピングセンター~ジャスコなど~に店をいくつか出しているのです。人が集まるところに店を出すのです。
 ちなみにうちの商店街の近くの別のはんこ屋は店舗はそこだけですがつい最近、建物を大きなビルに建て替えました。このからくりはいかに?億円の宝くじがあたったらしいです。噂では。
 ということで、商売の基本としては客にまず存在を知ってもらう必要があります。うらさびれた商店街の一角でほそぼそと店を開いていても、通りすがりの近所の人しか客は見込めません。
 そこで、人が集まるであろうショッピングセンターに店を出してしまうのです。
 もっとも、ただのはんこ屋ではなくそこにだけしかない、他の店にはない特徴があって、人がそれを求めて来るような特徴があれば、場所が辺鄙なところでもお客さんは「それ」を求めて足を運んでくるでしょう。食べ物屋などが特徴的です。
 しかしうちは普通のはんこ屋です。わざわざ「成美堂」に行かないと買えないものなどは残念ながらありません。

3 そこで人が来るところに新たに店舗を持つとなると、人件費、家賃などが別途、必要となります。しかしそれを上回るだけの売上げ、利益が見込まれればOKです。駄目なら撤退すればいいだけです。
 実際、ショッピングセンターそのものが撤退ということで、実家の店も過去に2,3回は撤退の憂き目を経験しています。
 まさにトライ&エラーで、右肩下がりのじり貧をくい止めているという状況なんだと思います。

4 ところで実家の店は、一応、会社形態をとっています。有限会社です。もちろん取締役らは親族が占めています。
 そう!この5月からいよいよ「会社法」が施行されます。一方、有限会社法がなくなり、従前の「有限会社」はこれまでの有限会社法形態を利用し続けることもできれば、「株式会社」として出発することも選択できます。
 メリット、デメリットがあります。
 どうする、有限会社成美堂?
 我が家の場合で考えてみるとなかなか切実で面白いです。

5 弁護士として会社法務に関わる場合、実際のところ、本当は自分で一つ会社を経営するのが一番ではないかと思っています。会社運営の悩みどころ、商売の悩みがより一層、理解できるからです。どうしても、机上の空論とまではいわなくても、理屈だけで考えてしまいがちです。「駄目です。」「無理です。」と石橋を叩いて、渡らないのが一番リスクが少ないのでそうアドバイスしがちです。
 しかし求められているのは、どうしたら安全に渡れるのか法的なリスク・コントロールのはずです。
 有限会社成美堂の法的なリスク・コントロールはいかに。母の口癖か、自身でのマインド・コントロールかは分かりませんが、よく耳にしていたのは、「商売人は借金していてなんぼや」というものです。
 しかしこれは経営的にはとんだ間違いで、無借金経営の方がよいに決まっています・・・。

6 弁護士業をやっていて限界を感じるのは、自分の身は一つということです。勤務弁護士を雇ったとしても放ったらかしにするわけにはいかないので、1+1が2以上になるというものでもありません。
 この点、商売というのは人を雇って、仕事の規模を大きくも出来るし、大量生産で多くの人に喜んでもらえたりも出来るので、羨ましく思います。
 母に言わせると、物を売るこつは、お客さんがAを求めて店に足を踏み入れたとき、なぜAを求めているのかその動機を尋ねることのようです。その動機を尋ねたうえで、より適切なのはAではなくBだとアドバイスして、Aを求めてきたはずのお客さんにBを買ってもらって満足してもらうのです。このとき、Bが常にAより高い商品というのでは、そんな底の浅い卑しさはお客さんも当然、見抜き、苦い思いをします。例え、BがAよりも安い商品であっても、Bが適切と思うならBを勧める、それが本当のサービスでしょう。
 母は、柘植のはんこを買いに来たお客さんに、店を出るときには象牙の3点セットを買ってもらったりしているようです。
 口八丁手八丁?
 はんこ屋が潰れない真の理由はこれか・・・?成美堂にとっては、器が「有限会社」であろうが「株式会社」であろうが、器に過ぎなくって中身には何の変化もないから、たぶん「有限会社」を名乗り続けるのが適切なんだろうな。
おわり

2006年4月25日 (火)

消費者保護委員会~「お金」の知識~【松井】

Cimg1185 1 以前にも書いたような気がしますが、私は、大阪弁護士会の消費者保護委員会に属しています。弁護士1年目のとき、布団のモニター商法事件「ダンシング被害事件」が発生し、当然のように弁護団に入りました。
 ダンシング大阪事件は、大阪地方裁判所での和解で終結しました。その後、ダンシング姫路事件は大阪高等裁判所の全面勝訴判決を受け、クレジット会社からの上告受理申立は不受理となり、確定しました。
 その後消費者保護委員会が被害者説明会を開いたり、弁護団を結成したりする事件としては、エステ・デ・ミロードの破産事件、健康食品会社の八葉物流事件、不動産投資詐欺のJ&E事件などが起こり、最近では呉服の過量販売で問題となっていた愛染蔵の破産事件があります。

2 ところで、このようないわゆる消費者被害事件がなぜなくならないのか。イタチごっこです。いわゆる悪徳商法を発案・実行する会社はえてしてクレジット会社の加盟店契約を締結し、消費者にはクレジットを利用させて30万円以上の高額な商品を購入あるいはサービス提供の契約をさせています。
 会社にはクレジット会社から代金が一括で支払われ、消費者はクレジット会社に対して、手数料を上乗せした金額を5年、60回払いくらいで月1万円程度払い続けるのです。 会社が潰れたらサービス等の提供はなくなり、品物等も受け取れないけど、クレジット会社に対する負債だけがドカンと残るシステムです。クレジットの功罪でしょうか。

3 同じ消費者委員会に属する友人が言っていました。悪徳会社を規制するといっても後手後手にまわる。それよりも、騙されない賢い消費者教育に力を入れる方が効果的ではないか。小学生、中学生段階からお金の教育を意識したらいい。
 人生、「命の次に大事なのはお金」なんだという厳然たる事実を切実に教えたらいいんじゃないかと。
 確かに、一理あります。
 海外旅行に行ってみると実感します。命の次に大切なのはお金だ、ということを。お金さえあれば、命以外のものを奪われても何とかなります。しかしお金がないとどうしようもない。まさに身動き出来ません。

4 有名投資家バフェットさんとか言う人の、自宅での2歳の女の子とのふれあいの様子をテレビで放映していました。
 帰宅するなり、「今日はどの銀行に預けようか」と言いながら子どもを抱き上げ、子ども部屋に行きます。子ども部屋には、4つくらいの貯金箱があり、どこにいくらお金を入れるかということで子どもと協議していました。
 お金の英才教育を見た思いでした。「お金」を切実に意識する訓練を2歳から積んでいるのです。
 自分が受けた公立の義務教育を振り返って、「お金の教育」を受けたことはありません、確か。
 ただ、おそらく新聞記事で恐怖心だけ植え付けられていたようで、大学生になってクレジットカードを作った際、「怖いよ、怖いよ」と自分で言い聞かせ、口座にお金がある範囲内で使うだけの自制心はありました。 
 だけどそのような自制心すらないままに20歳になってしまう人がいかに多いことか。お金を増やす知恵の本がいっぱい本屋には並んでいますが(30歳で3億円貯めるだとか。)、まずはお金で損しない知恵を学ぶのが賢明だと思います。
 物の売り買いのときだけでなく、他人にお金を渡す際や、連帯保証人の契約書にサインする際に気を付けるべきこと、覚悟すべきことなど。
おわり
*写真は今年新しく出来た、奈良地方裁判所の外観。思ったほど綺麗な建築ではなかった。

2006年4月14日 (金)

敗因分析~遺言無効確認の訴え~【松井】

 勝った。

 遺言無効確認の訴えの被告事件で先日、判決言渡しがあり、「原告の訴えはいずれも棄却する」との被告依頼者が全面勝訴という判決だった。
 兄弟である原告らが、この遺言は無効だと訴えてきた自筆遺言は無効ではないとされた。原告らの言い分には理由はないという判決だ。

 判決理由を基に、ひとまずざくっと原告らの敗因を分析してみる。

1 医学情報の検討の不十分
 どう見ても、原告よりも裁判所の方が、原告が提出したカルテ・看護記録をよく分析している。原告の主張に対して被告側が反論として主張、指摘した点について、原告は何ら応えていなかった。
 自己に有利な情報だけを見るのではなく、自己に不利な情報をいかにフォローするかということだろう。

2 大きなストーリー(物語)のなさ
 以前、裁判官がこう口にしていた。「弁護士が作った準備書面よりも、当事者名義で提出される『陳述書』を読む方が事件の大きな筋が見えて理解が深まる。やっぱり読み手には『物語』が必要だ。」
 過去10年ほどに遡り、幸いにして被告側は被告側の大きな流れの物語を語ることができた。要所要所に、被告側に不利な事柄があったが、そのような事柄が生まれる原因について、大きな一連の流れの延長線上で説明することができた。
 これに対して、原告側は、合理的なストーリーを展開できていなかった。
 遺言者は、なぜに孫を養子縁組し、そのことを原告らには告げていなかったのか。この事実それ自体が、原告らと遺言者の関係の希薄さを既に物語っている。
 全てはこれが始まりであり、原告らはこのことに対する有効な説明が出来なかった。
 原告らの説明に対し、判決書は、「原告の供述は信用できない」と述べた。


 「森のイスキア」の佐藤初女さんに手紙を出し、ご丁寧なお返事をいただいた。
 「神様は全てご存じなので必ず正しいお答えを出してくださいますが、聞こえてもこないし、みえません。でも神様に代わって伝えてくださる方がいます。」

 遺言者は、今回の判決を喜んでくれるだろうか。正しい答えが出ているだろうか。
 遺言者に尋ねない限り、真実は決して分からない。

 しかし裁判所の今回の判決は正しいと私は信じる。遺言者の生前の痕跡がこの答えを導きだしたのである。
 神様に代わって裁判官が正しい答えを出してくれたとは思わない。裁判官は神様ではない。法廷に提出された証拠にだけ基づき判断するにすぎない。
 正しい証拠が提出されても間違った答えを出す裁判官もいる。

 しかし私たちに出来ることは、神様を信じるように裁判官を信じること、正しい答えを出してくれると裁判制度を信じることなのだ。
 
 原告らは間違いなく大阪高等裁判所に控訴するであろう。勝っても喜んでばかりはいられない。高等裁判所の裁判官が正しい答えを出すものと信じて、弁護士の新たな訴訟活動が始まる。
 
おわり

2006年4月10日 (月)

○○の人々。ある蛸焼き屋にて。【松井】

 先日、友人と二人、蛸焼き屋で蛸焼きを食べていた。その店は、大阪でもあまりない、自分で蛸焼きを焼いて食べる方式の店だった。
 案内された席の一室は、7台ほどの蛸焼きテーブルがある一部屋だったのだが、私たち以外の6台のテーブルは、同じグループの人々のようであった。
 何となく疎外感を感じるけど、特に気にすることもなく席についた。

 ところが、その一群は、そのときまだ晩の6時過ぎくらいだったのだが、既に二次会のようで、音頭をとる20代後半くらいの若者が一人立ち上がり、場を仕切っていた。 聞くともなしに聞いていると、どうやならそのグループの一人が結婚し、そのグループでのお祝いがあったようであった。

 が、その「グループ」がなぞだった。友達と二人、最初は、学生のグループかと話していた。皆20代くらいで、何よりも服装が誰一人、スーツのような服は男女ともに着ていなかったからである。男女比は、3対7というところだろうか。一つのテーブルに5名ほどが座り、総勢30名ほどだった。その中で、片隅のテーブルには40代以上と思われる落ち着き払った男女がほほえましそうに若者達を見つめていたので、教授と学生たちかと思われた。

 が、しかし。リーダーは、用意してきたであろうクイズを披露し、各テーブルごとに当てて、場を盛り上げようとしている。そのクイズの中身を聞いていると、「職場」という単語が出てくる。これで、どうも学生ではないらしいということがわかった。
 しかし、いったいどういった仕事の人々なのであろうか。
 友人と二人、面白半分に当てっこすることになった。
 
 服装からして、皆ラフな感じだ。美容師か?しかし、一つの職場で20人も美容師がいるのか、ということになった。各支店ごとの美容師が集まったというには、皆、大変まとまりがよく、またのりもよかった。リーダーが出す内輪ネタの問題に皆、いちいち爆笑し、受けていた。ということは、やはり本当に一つの職場の人々だろうということになった。居酒屋のアルバイトさんたちかとも推理したが、これまたバイトというには皆、妙にある種のレベル感というか、均一感があった。

 そのうち、女性の二人が立ち上がり、何をするのかと思ったら、なんとお笑いコンビ「あるある探検隊」の歌と振り付けをしながら、職場の特定の人の特徴を取り上げた漫才を始めだした。
 これがまた驚くほど上手で面白かった。
 
 何者、この集団!?

 さっぱり検討がつかなかった。
 自分たちの食事も終わったので帰らねばならなくなったとき、ちょうどそのグループの会計担当の人が、部屋の片隅でこっそりと会計をすませようとしていた。その脇を通り過ぎるとき、さっと店の人からその人に手渡されていた領収証に目をやった。

 さて。この蛸焼き屋の場所は、大阪の人はご存じ、梅田駅前の「蛸の徹」です。
 このような場所に、午後6時で既に平日から二次会をし、さらにこれから三次会へとボーリングをしようと出かける、異常にのりのよい、しかし妙にこなれた若者集団の会社といえば。

 そう。「リクルート」の人々だった。この蛸焼き屋から徒歩5分くらいのところにリクルートの大きなビルがあった。

 最近、本屋で、「リクルート」出身の人が書いた「リクルート」に関する本が目につく。
 確かに、違うぞ、リクルート!。どのような面接採用をしたらこのような人々が集まるのか。「ビル・ゲイツの面接」とかいう本が確か以前出ていたけど、リクルートの面接手法を知りたい。

 ただ、帰り道、「あぁ、リクルートの人々だったのか。なるほどねぇ。」と友人と大きく頷き納得しあっていたのであるが、「たぶん私たちは、リクルートでは働けないね」とこれまたうなずきあって帰ったのであった。ついていけない、あのノリのよさ。私たちには地味が似合っているよねと蛸焼き屋を後にした。
 
おわり

2006年4月 5日 (水)

「森のイスキア」佐藤初女さん【松井】

 青森県に暮らす佐藤初女さんが大阪に来られているというので、足を運び、お目に掛かる機会があった。
 「森のイスキア」という施設を運営されている、もう80歳を超えられる女性だ。
 「ガイア・シンフォニー」という映画があり、この映画の第2番で紹介されていた女性だ。
 キリスト教に師事し、自宅を開放して訪れる者に心を込めて作った手料理を振る舞っていた。そして94年、「森のイスキア」と名付けて青森県内の山のふもとにそのための建物を建設し、訪れる人に手作りの漬け物やおにぎりを振る舞い続けているという。
 映画の中では74歳であったが、目の前におられた佐藤さんはもう85歳近いお年の、しかし凛とした佇まいの女性であった。
 集まりの主催者やその周りの方々が浮き足だって見える中、佐藤さんは流されることなくしっかりとそこにいらっしゃった。突然、小さな舞台の上に上げられ、何かしゃべってくださいとマイクを突きつけられても、「なぜ自分が今、この台に上げられているのかも説明を受けていない。何かしゃべれと言われても、何もしゃべれない。」と毅然と仰った。

 この世の中にはきっと多くの佐藤初女さんがいる。
 それぞれが自身の役割を淡々とこなし、人の役に立つことを行っていく。
 
 「夜中、寝ていると、ドアを叩く音がする。出ようか、出まいか迷うけど、ドアを叩いているのがもし神様だったらと考えると、ドアを開けるんです。」

 佐藤さんの静かな凛々しさとその場の異様な熱狂状態に違和感を感じ、ご挨拶もろくにしないまま、おにぎりをごちそうになったお礼も伝えないままにその場を去ってしまった。
 佐藤さんのような方は、ひっそりと居るべき場所において、行うべきことを日常として行っているべき方なのだろうと思った。
 青森の山から佐藤さんを呼び出してこれ見よがしに祭り上げあげるのは、何か間違ったことをしているのではないかと思った。その場にいる自分が恥ずかしくなって、私は逃げるようにその場を立ち去ってしまった。
以上

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