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2005年12月18日 (日)

自筆の遺言書~法を使うも人次第~【松井】

2005-12-18

遺言書は自分で作成することができます。
しかし自筆の場合、法律は厳格な要件を定め、この要件がもれていたりするとせっかく遺言書を作成していても無効となってしまいます。

また、形式的な要件は充たしていても、「法律の専門家」でない者が作成した遺言書では、法的に意味が不明確な表現がなされていて意味を特定できず、このため裁判で争われたりすることがあります。

例えば、次のような例です。
子どものいない夫婦が、兄弟の子を自分たちの子として出生届けを行い、自分たちの子として育てた場合、母は先に亡くなり、残された父が自筆で遺言書を作成した。
内容は四項目。
一から三項目は、特定の遺産を特定の人に遺贈する内容。
そして最後の第四項は次のような表現でした。
「遺言者は法的に定められたる相続人を以て相続を与へる。」

これは判例タイムズの12月1日号で紹介されていた最高裁判所判例の事例です(
最高裁平成17年7月22日第二小法廷判決)。

実子として育てられた子に相続させるという趣旨か否かが問題となりました。
その子は法的には亡くなった人の子ではないので、「法的に定められたる相続人」ではないのではないかということです。
しかし一方で、生まれたときから実子として育てていた子です。
亡くなった人の真意はいかに?ということで争いになりました。

記録によれば、平成7年に提訴されているので、足かけ10年かけて争われたことになります・・・。


大阪高等裁判所は、この遺言は子として育った子に残りの遺産を全部与える趣旨ではないと判断しました。
しかし、最高裁判所はこの判断は是認できないとして、破棄し、事件を大阪高等裁判所に差し戻しました。

なぜか。
遺言の解釈については既に最高裁判所は一定の指針を示していました。
最高裁昭和55年3月18日第二小法廷判決です。
「遺言を解釈するに当たっては、遺言書の文言を形式的に判断するだけでなく、遺言者の真意を探求すべきであり、遺言書が複数の条項から成る場合に、そのうちの特定の条項を解釈するに当たっても、単に遺言書の中から当該条項のみを他から切り離して抽出し、その文言を形式的に解釈するだけでは十分ではなく、遺言書の全記載との関連、遺言書作成当時の事情及び遺言者の置かれていた状況などを考慮して、遺言者の真意を探求し、当該条項の趣旨を確定すべきである。」

今回の最高裁判例は、遺言書の解釈に関して大阪高等裁判所の判断は、上記判例に反し、法令の違反があるとしました。
すなわち、遺言書を解釈するにあたって、遺言書作成当時、遺言者は、子と約39年間に及び実親子同様の生活をしてきていたこと、遺言者は法律の専門家ではなく、戸籍上の相続人はその子のみであったことから、1から3項を除いた残りは全て、子に取得させるとの意図の下に本件遺言書を作成したと考えるべきとしました。
大阪高裁の判断は、上記の重要な事実を見落としているというのです。

遺言も意思表示であることからすれば当然の判断なのだろうと思います。
その場におかれた、その人が、そのとき、どのような意思であったのかということです。これを判断するには、遺言書作成当時の事情、おかれていた状況などを考慮せざるをえません。


ただ、結局思うのは、宣伝ではないですが、遺言書を作成するにあたってはやはり法律の専門家に相談していればということです。
遺言の解釈を巡って10年も争うなんて、遺言者はもちろんそんなこと夢にも思っていなかったことだろうし、遺された人はもちろん、遺言者も不本意なことでしょう。


ところで、民法903条は特別受益というものについて定め、生前に被相続人から財産をもらっていた人については(さらに要件がありますが)他の相続人との公平上、その分を含めて計算するという持ち戻しについて定めています。
ただ、この持ち戻しについても、同条3項は、被相続人が異なった意思を表示したときはとして、持ち戻しの免除というものを認めています。

本当は一人の人に全て相続させたいと思っていたが、遺留分に関する弁護士の指摘を受けて相続分の指定として遺留分相当額の取得を定めたとき、持ち戻し免除の意思があった、つまり最低限度、遺留分相当額は取得させるという意思があったといえるのか否か。

これもやはり遺言書作成の経緯、遺言者が当時置かれていた状況を考慮して判断することとなるでしょう。
すると当然、「なぜ遺言者は、全てを一人の者に相続させたいという希望を持っていたのか」ということが問題となるはずです。

協議が成立するのか、それとも審判となるのか、審判となるとしたら審判官がこの最高裁判例の指針をどのように適用するのかが試されることでしょう。

ただ既に昭和55年判例の指針が出ているわけで、前記の最高裁判例の原審の大阪高等裁判所も当然、この最高裁判例があることは分かっていたわけです。にもかかわらず、最高裁からこの昭和55年判例に反しているとして破棄されるような裁判をしたということは、結局、法を使うのも人次第ということでしょうか。
人によった裁判ではなく、法に基づく裁判だけど、事実を判断するのは機械ではなく裁判官という人だから、高裁の判断が最高裁で破棄されることがある。
ある意味、健全なシステムなのかとも思います。

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