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2005年12月

2005年12月25日 (日)

相続に関するこの法制度!【松井】

1 
 家庭裁判所での遺産分割調停が取り下げとなった。取り下げて何をするかというと、地方裁判所での訴訟である。相続人の一人が、不動産Aについてそれは遺産であるとの主張を譲らず、他の相続人は、それは甲さんの所有であって遺産ではないと主張し、対立が深刻なため、訴訟で白黒をつけてくださいということとなった。これからまた2年はかかってしまう。
 一方、被相続人名義の株式が遺産か否かで同じく、調停でもめ、調停は不成立となって審判手続きに移行していた事件について、この年末、審判が出た。株式は遺産との主張が認められた。


 遺産か否かについて同様に争いになったにも関わらず、一方は「調停取り下げ→訴訟」コースへ、一方は「調停不成立→審判」コースへと別れた。
 これは、争いとなっている財産の価額等によるものが大きい。遺産の範囲について必ず訴訟をしないといけないわけではない。審判で家庭裁判所が判断することもできる。しかしその判断に既判力(同じ紛争を同じ当事者間でもう争っては駄目という効力)はないといわれている。そのため家庭裁判所で遺産の範囲について判断をせっかく示しても、やろうと思えば再度、地方裁判所で争える。なので、また裁判になりそうな係争額の大きなシビアな紛争などは、審判で判断せず、調停をいったん取り下げて、地方裁判所で判決を得て、確定(既判力が生じます。)させたうえで、また調停申立をして遺産分割調停を行うのである。
 審判で株式の遺産帰属性について判断したものは、裁判官もこれは審判で終わるだろう、つまり相手方はなんだかんだ言って裁判はしないだろうとふんでのものである。
 しかし調停取り下げとなった事件は、調停委員の方から、この事件は取り下げて、訴訟をするしかないと言ってきた。この事件の調停委員は、大阪高等裁判所の元判事で、しかも家庭裁判所の審判の即時抗告を集中的に担当する部の部長だった方だった。
 確かに審判で判断しても争いが終局的に解決する事案ではなかった。そのため、申立人らは遺産分割の調停を取り下げた。
 

 これが現行の手続きの限界とはいえ、こんな制度だから相続事件は争いとなると場合によっては平気で5年、10年と解決までかかるのではないだろうか。
 審判手続きと訴訟手続きの違いとはいえ、制度の問題なので解決の途はあるのではないかと思う。法改正によって。
 離婚事件の法制度が平成16年4月、改正され施行されている。以前は、家庭裁判所での調停、それが不成立となれば地方裁判所での裁判とされていた。改正によって、裁判であることには変わりはないが、家庭裁判所での提訴とされた。これによって、家庭裁判所にいる調査官などが訴訟手続きに積極的に加わり、さらには尋問期日においては参与員という裁判官以外の者が事実判断に影響力を持つ制度が取られるようになった。
 
 相続事件については、思い切って全て地方裁判所で審理するようにすればよいのではないかと思う。大都市での建築問題の集中部、交通事故の集中部と同じような発送で、相続事件の集中部を設け、建築集中部での調停と同じように、調停制度を設け、調停が不成立なら判決によって、遺産分割と共に遺産の帰属性についても判断してしまえばいいのではないか。
 相続事件というともっぱら親族間の争いであるため、家庭裁判所が適しているような感じがするが、実際は、そこにある遺産をどう分けるのかという財産の帰属に関する問題である。確かに、何をどう分けるべきかということについて、民法906条は次のように定める。
 「遺産の分割は、遺産に属する物又は権利の種類及び性質、各相続人の年齢、職業、心身の状態及び生活の状況その他一切の事情を考慮してこれをする。」
 もっとも、いかなる場合であろうとも、自ずと適切な分割方法というのは存在する。問題となるのはもっぱら不動産の分割方法であるが、当該不動産と各相続人との関係を考慮すれば答えは明らかなことがほとんどである。
 不動産や非上場の株式の評価等が問題となるときは、専門家委員として鑑定士さんなどが加わる制度にすればよい。現に、建築訴訟については、多くの一級建築士の方々が裁判所の調停に加わっている。 
 生前贈与の持ち戻しや寄与分が問題となる際は、事実認定と金額の評価であり、ある意味、交通事故訴訟と似ているような気もする。
 相続事件は、家庭裁判所ではなく、最初から地方裁判所で一元的に解決していくシステムがよいのではないか、裁判システムの利用者の使い勝手がよいように思うのだけど、どうなんだろう。
 誰か、そういう提言をしている人はいないのだろうか。外国の法制度はどうなっているのだろうか。
 知っている方がいればぜひ教えて欲しいと思うのだが。
 以前、知り合いの裁判官の方に、相続についてはかなり法整備の余地があるのではないかという話をしたところ、共感を得たのだけど。


 ただ、そもそも翻って考えるに、遺産の範囲について争いのないよう、財産を築かれている方は、生前、名義借り等についてはきちんと整理して、死後、紛争にならないように対処しておけばいいだけのことなんだけど。
 そういえば西武の大量の株について、確かこれも名義借りにすぎないか否かで、遺産か否か所有権の帰属が争いになっていたように思うけど、もう判決は出たんでしょうか。
 

2005年12月18日 (日)

自筆の遺言書~法を使うも人次第~【松井】

2005-12-18

遺言書は自分で作成することができます。
しかし自筆の場合、法律は厳格な要件を定め、この要件がもれていたりするとせっかく遺言書を作成していても無効となってしまいます。

また、形式的な要件は充たしていても、「法律の専門家」でない者が作成した遺言書では、法的に意味が不明確な表現がなされていて意味を特定できず、このため裁判で争われたりすることがあります。

例えば、次のような例です。
子どものいない夫婦が、兄弟の子を自分たちの子として出生届けを行い、自分たちの子として育てた場合、母は先に亡くなり、残された父が自筆で遺言書を作成した。
内容は四項目。
一から三項目は、特定の遺産を特定の人に遺贈する内容。
そして最後の第四項は次のような表現でした。
「遺言者は法的に定められたる相続人を以て相続を与へる。」

これは判例タイムズの12月1日号で紹介されていた最高裁判所判例の事例です(
最高裁平成17年7月22日第二小法廷判決)。

実子として育てられた子に相続させるという趣旨か否かが問題となりました。
その子は法的には亡くなった人の子ではないので、「法的に定められたる相続人」ではないのではないかということです。
しかし一方で、生まれたときから実子として育てていた子です。
亡くなった人の真意はいかに?ということで争いになりました。

記録によれば、平成7年に提訴されているので、足かけ10年かけて争われたことになります・・・。


大阪高等裁判所は、この遺言は子として育った子に残りの遺産を全部与える趣旨ではないと判断しました。
しかし、最高裁判所はこの判断は是認できないとして、破棄し、事件を大阪高等裁判所に差し戻しました。

なぜか。
遺言の解釈については既に最高裁判所は一定の指針を示していました。
最高裁昭和55年3月18日第二小法廷判決です。
「遺言を解釈するに当たっては、遺言書の文言を形式的に判断するだけでなく、遺言者の真意を探求すべきであり、遺言書が複数の条項から成る場合に、そのうちの特定の条項を解釈するに当たっても、単に遺言書の中から当該条項のみを他から切り離して抽出し、その文言を形式的に解釈するだけでは十分ではなく、遺言書の全記載との関連、遺言書作成当時の事情及び遺言者の置かれていた状況などを考慮して、遺言者の真意を探求し、当該条項の趣旨を確定すべきである。」

今回の最高裁判例は、遺言書の解釈に関して大阪高等裁判所の判断は、上記判例に反し、法令の違反があるとしました。
すなわち、遺言書を解釈するにあたって、遺言書作成当時、遺言者は、子と約39年間に及び実親子同様の生活をしてきていたこと、遺言者は法律の専門家ではなく、戸籍上の相続人はその子のみであったことから、1から3項を除いた残りは全て、子に取得させるとの意図の下に本件遺言書を作成したと考えるべきとしました。
大阪高裁の判断は、上記の重要な事実を見落としているというのです。

遺言も意思表示であることからすれば当然の判断なのだろうと思います。
その場におかれた、その人が、そのとき、どのような意思であったのかということです。これを判断するには、遺言書作成当時の事情、おかれていた状況などを考慮せざるをえません。


ただ、結局思うのは、宣伝ではないですが、遺言書を作成するにあたってはやはり法律の専門家に相談していればということです。
遺言の解釈を巡って10年も争うなんて、遺言者はもちろんそんなこと夢にも思っていなかったことだろうし、遺された人はもちろん、遺言者も不本意なことでしょう。


ところで、民法903条は特別受益というものについて定め、生前に被相続人から財産をもらっていた人については(さらに要件がありますが)他の相続人との公平上、その分を含めて計算するという持ち戻しについて定めています。
ただ、この持ち戻しについても、同条3項は、被相続人が異なった意思を表示したときはとして、持ち戻しの免除というものを認めています。

本当は一人の人に全て相続させたいと思っていたが、遺留分に関する弁護士の指摘を受けて相続分の指定として遺留分相当額の取得を定めたとき、持ち戻し免除の意思があった、つまり最低限度、遺留分相当額は取得させるという意思があったといえるのか否か。

これもやはり遺言書作成の経緯、遺言者が当時置かれていた状況を考慮して判断することとなるでしょう。
すると当然、「なぜ遺言者は、全てを一人の者に相続させたいという希望を持っていたのか」ということが問題となるはずです。

協議が成立するのか、それとも審判となるのか、審判となるとしたら審判官がこの最高裁判例の指針をどのように適用するのかが試されることでしょう。

ただ既に昭和55年判例の指針が出ているわけで、前記の最高裁判例の原審の大阪高等裁判所も当然、この最高裁判例があることは分かっていたわけです。にもかかわらず、最高裁からこの昭和55年判例に反しているとして破棄されるような裁判をしたということは、結局、法を使うのも人次第ということでしょうか。
人によった裁判ではなく、法に基づく裁判だけど、事実を判断するのは機械ではなく裁判官という人だから、高裁の判断が最高裁で破棄されることがある。
ある意味、健全なシステムなのかとも思います。

2005年12月11日 (日)

二つの鍵穴~分譲マンションの謎~【松井】

CIMG0900
写真に写るのは、とある分譲マンションの玄関オートロック設備です。住民は、この鍵穴に鍵を入れて回し、オートロックの玄関扉を開けて中に入っていきます。
右穴には「住戸用」と書かれています。

CIMG0901
では、その左側の鍵穴はいったい何?
見にくいかもしれませんが、「関電用」と書かれています。
「関電」といえば、関西地方では関西電力のことを指します。
なぜに分譲マンションのオートロック設備に関西電力のための鍵穴があるのか?

住民とは別に、関西電力の人が自由にマンション建物内に出入りするためでしょう。
ちなみに「大阪ガス」用、水道局用の鍵穴はありません。

なぜに関西電力のみが分譲マンションに自由に出入りする必要があるのか。
それは、分譲マンションの施設内に関西電力の設備が置いてあるからです。

分譲マンションに暮らす人は確認してみてください。
マンション建物内あるいは敷地内のどこかに「電気室」という部屋があるはずです。

この電気室の中には、電力会社がマンションの住人に100Vでの電力を供給するためのトランス(変電機械)が置いてあります。
この変圧器は、一戸建ての住人への電力供給の場合は電信柱にとりつけてあります。

いずれにしてもこの変圧器は電力会社が電気事業法上の電力供給義務を履行するための設備であり、電力会社の所有物です。

分譲マンションの場合、なぜにこの電力会社のための機械がマンション内の施設に置かれているのか。

だいたいにおいて、電力会社は、分譲マンション建設の際、デベロッパーから、敷地・建物内にトランスを置いていいよ、設備を使っていいよという「承諾書」を差し入れさせているようです。
また電力会社は、この慣行?は、電気供給約款にも基づくといっているようです。

ではこのトランス、電力会社が電気供給義務を果たすための設備のために分譲マンションが電気室を提供するにあたって、その電気室、だいたい車2台分くらいのスペース、の利用料はいくらでしょうか。

電力会社が電柱を他人の敷地に置く場合、当然、電力会社は使用料を支払っています。
では、電気室を使う場合の使用量は?

実は、これが「無償」となっているようなのです。
先の「承諾書」の定型書式にも、マンション住人は「無償」で電力会社にトランスを置くためのスペース、設備を提供しろといったことが記載され、さらには省庁の認可のもと規定されている約款においても「無償」が謳われているのです。

これはどうしたことでしょう?!


冒頭のマンションでは、電力会社の設備がマンション内に置いてあり、電力会社の担当者がこの機械のメンテナンス等のために自由にマンション内に出入りする必要があることから、玄関オートロック設備のところに、わざわざ電力会社のためだけに「関電用」などという鍵穴が設けられていたのです。

マンション住人は、関電が電気供給義務を果たすための設備について、関電に「無償」で電気室を使わせることを「承諾」しているのです。

電気室にかかる固定資産税、補修費用について、もちろん関電は負担してくれません。


実は分譲マンションではこんな慣行がまかりとおっているのに、このことが実態としてほとんど知られていません。

この「無償」借室条項は、消費者契約法10条でいう、無効な不当約款にあたる蓋然性が高いと考えるのですが、今後、この問題はどのように表面化し、解決されるのか。

私は、第2の大学入学金問題、あるいは敷引問題になるとふんでいるのですが、どうなんでしょうかね。


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