2018年10月
  1 2 3 4 5 6
7 8 9 10 11 12 13
14 15 16 17 18 19 20
21 22 23 24 25 26 27
28 29 30 31      

最近のコメント

最近のトラックバック

無料ブログはココログ

flickr


« ゆっくり歩く人【松井】 | トップページ | 二つの鍵穴~分譲マンションの謎~【松井】 »

2005年11月14日 (月)

We're not so different after all【松井】

taishite-chigawanai
買っただけでまだ読んでいない、クリントン元アメリカ大統領の自伝「My Life」の中の一文で、よく書評でも触れらていた印象深い一文があります。
「to the memory of my grandfather,who taught me to look up to people others looked down on, because we're not so different after all」

なぜこの一文が頭に浮かんだかというと、自分のことは棚に上げたうえで、また、特定の人を批判、中傷するといった目的ではなく、自戒の意味を込めて、最近、考えさせられる出来事が続いたからです。
「裁判官が日本を滅ぼす」という現状の司法制度等に対する批判的な文庫本を読んだ影響もあるのかもしれませんが。

会社の破産申立の代理人になりました。その会社には、30年以上も勤務する60歳手前の従業員が一名、最後まで残っていました。他の従業員は沈みゆく船からの脱出とばかり、自ら辞めていきました。
社長は、破産申立をするにあたり、最後に彼のために出来る限りのことをしてあげたいと自腹を切って会社にお金を入れ、数百万円の退職金を彼に支払いました。しかしそれでもその金額は、10年以上前に作っていた退職金規程で計算された退職金の半分の金額にすぎませんでした。
しかし会社の破産管財人についた弁護士は、退職金規定は使われていなかった無効なものだとして彼の退職金支払いの権利を認めず、全額の返還請求訴訟を行いました。そして、彼は100万円を管財人に支払うことで和解により裁判を終わらせました。管財人はこの100万円を受け取りました。
そしてこの100万円の行方ですが、会社の債権者に配当に当てられたのならまだしも、この管財人の報酬となって終わりました。結局、会社の債権者への配当はゼロでした。
30年以上も会社に勤務した人間から100万円を奪い取り、これを結果論とはいえ、管財人の報酬として終わらせる破産手続き。
これが本当に正しいことなのか。

この思いは、結局、最後まで何十年と会社に勤めた従業員をそれだけの重みをもつ人間として扱っていないのではないかという違和感にあるのだと思います。
関わる人間を見ることなく、単に事件として手続きとして淡々と事柄が処理されていった結果なのかという残念な思いです。

破産した会社の従業員でも一人の人間、巻き込まれた人間なんだから、管財人とそうたいした違いがあるわけじゃないんだから、もっと向き合って敬意を払って接して欲しかったと残念な思いがしました。

逆に自身がこれまで務めてきた破産管財人の仕事で、振り返ってどうだったのかと改めて反省しました。右から左へと機械的に処理していたことはなかったかと。表面にとらわれず、もっと人間を、事件の中心を見るべきだったのじゃないかと。

家庭裁判所の調査官が突然、ヒステリー気味に一人叫び始めました。鑑定の費用について、申立人と相手方との間で、数期日に及び交渉が長引いていることに対しての苛立ちが頂点に達したという感じでした。費用負担についての話し合いは当事者で片を付けてから、裁判所に来い、こんなことで期日を過ごすなら申立を取り下げろという叫び声でした。

お金のない当事者どうし、わずかずつですが鑑定の費用負担について折り合いがつきかけていたときでした。

調査官の叫び声に驚きました。結局、この調査官は仕事が彼女の許容量をオーバーしており、このような些細な紛争に自分がつきあわされていることに対する苛立ちがあり、それがこのような叫びになったのだという印象を受けました。

しかし、この言葉を受け入れることは出来ませんでした。
裁判所が事件を右から左へと手際よく迅速に処理していくための調停手続き、裁判所、あるいはその調査官の実績作りのためにある調停手続きなのかということです。
思わず口をついて出たのは、「調停は裁判所のためのものですか?」という言葉でした。調停手続きという制度は当事者のためのものでしょう、という私の叫びでした。


結局、おそらくこの調査官は、事件に関わる一人一人の当事者、その抱える問題の重みといったものになんら想像力を働かせることなく、なかなか事件処理が進まない、そのことだけに心を奪われていた状態だったんだろうと思います。
仕事が忙しくなり、はかどらないことの焦りがつのってくると、ついつい事件というのは、一人一人の人間の想いが詰まっていること、事件は当事者のものなのだということを忘れ、自分の仕事量としてだけみてしまうことになります。

自分の心に余裕がないと、人を見ることは出来ないとつくづく思いました。
調査官であろうが、申立人であろうが、そうたいした違いはないんだから、何もそんなにえらそうな口をきくことはないでしょう。
「裁判所は司法サービスを国民に提供するサービス業なんですよ」。これは司法修習中、担当してくれた裁判官が言っていた言葉です。
この言葉を調査官の彼女に伝えてあげたかった。


心の余裕がなければ、物事は何も見えてこないし、誰一人、人間を見ることはできない。他人に敬意を払うことが出来ない。
そしてただ、機械的に時間が過ぎていき、事件処理の件数が増えていくだけなんだろう。でもそれがいったい誰の何の役に立つ?
私は人の役に立っているのだろうか。

*特定の人を批判・中傷する目的ではなく、自分が振り返ってどうなのかという自問のつぶやきです。くどいですが。

« ゆっくり歩く人【松井】 | トップページ | 二つの鍵穴~分譲マンションの謎~【松井】 »

つぶやき」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: We're not so different after all【松井】:

« ゆっくり歩く人【松井】 | トップページ | 二つの鍵穴~分譲マンションの謎~【松井】 »