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2005年11月

2005年11月14日 (月)

We're not so different after all【松井】

taishite-chigawanai
買っただけでまだ読んでいない、クリントン元アメリカ大統領の自伝「My Life」の中の一文で、よく書評でも触れらていた印象深い一文があります。
「to the memory of my grandfather,who taught me to look up to people others looked down on, because we're not so different after all」

なぜこの一文が頭に浮かんだかというと、自分のことは棚に上げたうえで、また、特定の人を批判、中傷するといった目的ではなく、自戒の意味を込めて、最近、考えさせられる出来事が続いたからです。
「裁判官が日本を滅ぼす」という現状の司法制度等に対する批判的な文庫本を読んだ影響もあるのかもしれませんが。

会社の破産申立の代理人になりました。その会社には、30年以上も勤務する60歳手前の従業員が一名、最後まで残っていました。他の従業員は沈みゆく船からの脱出とばかり、自ら辞めていきました。
社長は、破産申立をするにあたり、最後に彼のために出来る限りのことをしてあげたいと自腹を切って会社にお金を入れ、数百万円の退職金を彼に支払いました。しかしそれでもその金額は、10年以上前に作っていた退職金規程で計算された退職金の半分の金額にすぎませんでした。
しかし会社の破産管財人についた弁護士は、退職金規定は使われていなかった無効なものだとして彼の退職金支払いの権利を認めず、全額の返還請求訴訟を行いました。そして、彼は100万円を管財人に支払うことで和解により裁判を終わらせました。管財人はこの100万円を受け取りました。
そしてこの100万円の行方ですが、会社の債権者に配当に当てられたのならまだしも、この管財人の報酬となって終わりました。結局、会社の債権者への配当はゼロでした。
30年以上も会社に勤務した人間から100万円を奪い取り、これを結果論とはいえ、管財人の報酬として終わらせる破産手続き。
これが本当に正しいことなのか。

この思いは、結局、最後まで何十年と会社に勤めた従業員をそれだけの重みをもつ人間として扱っていないのではないかという違和感にあるのだと思います。
関わる人間を見ることなく、単に事件として手続きとして淡々と事柄が処理されていった結果なのかという残念な思いです。

破産した会社の従業員でも一人の人間、巻き込まれた人間なんだから、管財人とそうたいした違いがあるわけじゃないんだから、もっと向き合って敬意を払って接して欲しかったと残念な思いがしました。

逆に自身がこれまで務めてきた破産管財人の仕事で、振り返ってどうだったのかと改めて反省しました。右から左へと機械的に処理していたことはなかったかと。表面にとらわれず、もっと人間を、事件の中心を見るべきだったのじゃないかと。

家庭裁判所の調査官が突然、ヒステリー気味に一人叫び始めました。鑑定の費用について、申立人と相手方との間で、数期日に及び交渉が長引いていることに対しての苛立ちが頂点に達したという感じでした。費用負担についての話し合いは当事者で片を付けてから、裁判所に来い、こんなことで期日を過ごすなら申立を取り下げろという叫び声でした。

お金のない当事者どうし、わずかずつですが鑑定の費用負担について折り合いがつきかけていたときでした。

調査官の叫び声に驚きました。結局、この調査官は仕事が彼女の許容量をオーバーしており、このような些細な紛争に自分がつきあわされていることに対する苛立ちがあり、それがこのような叫びになったのだという印象を受けました。

しかし、この言葉を受け入れることは出来ませんでした。
裁判所が事件を右から左へと手際よく迅速に処理していくための調停手続き、裁判所、あるいはその調査官の実績作りのためにある調停手続きなのかということです。
思わず口をついて出たのは、「調停は裁判所のためのものですか?」という言葉でした。調停手続きという制度は当事者のためのものでしょう、という私の叫びでした。


結局、おそらくこの調査官は、事件に関わる一人一人の当事者、その抱える問題の重みといったものになんら想像力を働かせることなく、なかなか事件処理が進まない、そのことだけに心を奪われていた状態だったんだろうと思います。
仕事が忙しくなり、はかどらないことの焦りがつのってくると、ついつい事件というのは、一人一人の人間の想いが詰まっていること、事件は当事者のものなのだということを忘れ、自分の仕事量としてだけみてしまうことになります。

自分の心に余裕がないと、人を見ることは出来ないとつくづく思いました。
調査官であろうが、申立人であろうが、そうたいした違いはないんだから、何もそんなにえらそうな口をきくことはないでしょう。
「裁判所は司法サービスを国民に提供するサービス業なんですよ」。これは司法修習中、担当してくれた裁判官が言っていた言葉です。
この言葉を調査官の彼女に伝えてあげたかった。


心の余裕がなければ、物事は何も見えてこないし、誰一人、人間を見ることはできない。他人に敬意を払うことが出来ない。
そしてただ、機械的に時間が過ぎていき、事件処理の件数が増えていくだけなんだろう。でもそれがいったい誰の何の役に立つ?
私は人の役に立っているのだろうか。

*特定の人を批判・中傷する目的ではなく、自分が振り返ってどうなのかという自問のつぶやきです。くどいですが。

2005年11月12日 (土)

ゆっくり歩く人【松井】

komatsuo-teseikutsu
靴を作ってもらった。知人が靴職人になったというので、自分の足にあった靴をぜひ一度作って欲しいとお願いし、作ってもらった。
小松尾手製靴。ブランド名は、SLOW AACHAR。アッチャーは、沖縄の言葉で、「歩く人」ということで、「ゆっくり歩く人」という意味で付けたという。

履き心地はというと、素晴らしいの一言だった。
素晴らしい食事、音楽、本などに感動することがたまにある。しかし靴を履いてみて、その履き心地に感動したのは初めてだ。
本当に全てがしっくりとおさまる感じの心地良さを初めて味わった。

ジャーナリストになろうとしたが向いていないと思い、職人になろう、職人だったら靴職人がいいということで、靴職人を目指したということだけど、靴職人として人に感動を与えられる仕事は素晴らしいし、羨ましく思った。


仕事といえば、最近35歳で、会社員からプロの棋士になった人の話題が盛んだった。
インタビューで彼は答えていた。
「好きなことを仕事にできる、それはとても幸せなことだ」といったことを。


okinawayujin
写真にうつるのは11月の沖縄の海だ。
先日、友人と沖縄へ行く機会があった。友人は、新聞記者(取材記者)だったが、弁護士を志して退社し、受験のための勉強をしていた。しかし、仕事を辞めてみて、自分が好きなのは取材記者だったということを痛感したという。
私が弁護人をつとめる刑事法廷を傍聴し、裁判所の傍聴席に座ってみて、自分がいる場所は、傍聴席の向こう側、弁護人席ではなく、やはり取材記者のための傍聴席だと実感したという。
そして彼女は、この冬、再び取材記者に戻ることになった。再び新聞社に就職し、社会部の即戦力として働くという。
沖縄旅行は、再び取材の最前線に立つ前のつかの間の彼女の休暇であり、私はそれに同行させてもらった。
私の方はというと、よどみかけていた時間の流れをリセットすべく、思いつきで沖縄の海を見に出かけたにすぎない。何年ぶりかで、沈んでいく太陽をじっくりと時間を気にすることなく眺めた。そして軽く生まれ変わって、大阪に戻り、仕事に戻った。


自分が何を好きなのかを分かっている。
そして、好きなことを仕事とし、自分の仕事を好きでいること。
それはとても幸せなことだ。

自分にぴったりとあった靴を履き、時々立ち止まったりしながら、ゆっくりと、自分の幸せをかみしめて歩いて行く。


依頼者と激しい打ち合わせになったり、相手方との交渉が暗礁に乗り上げたり、裁判所の調査官の暴言に腹の底から怒りがこみ上げ異議を唱えたり、裁判官が記録や書面をよく読んでいなかったり、困難な相談に対してなかなか解決策が考えられなかったりしても、それでも事件・相談に取り組み、調べ、考え、工夫して、最後に依頼者、相談者が笑って喜んでもらえる仕事が出来れば、この仕事をしていて本当に良かったと思える。
好きなことを仕事とし、自分の仕事が好きでいられる。もっとがんばろうと思う。

靴職人の知人のように、当たり前だけど、人が喜んでくれる仕事をしていきたい。

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