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2005年7月

2005年7月28日 (木)

裁判所からの帰り道、馬に乗った天狗に出会う ~訴訟代理人は何を売っているのだろうか~【松井】

CIMG0818
午後5時30分、裁判所から事務所へと戻る帰り道、中之島の公会堂の前で馬に跨る天狗を見かけた。
7月25日。今日は、大阪の一大祭、天神祭の日だ。
その馬に乗った天狗が何を表すものなのかは知らない。
でも、その日、6か月以上もかけて行われていた和解交渉が決裂した裁判での帰り道、非日常に遭遇して、ちょっと疲れていた気持ちが回復したようだった。

和解。
民法695条
和解は当事者が互いに譲歩をなしてその間に存する争いを止むることを約するによりてその効力を生ず。

「互いに譲歩」することを、「互譲」(ごじょう)といっている。
互いに主張を譲り合って、紛争を終わらせるということだ。
白黒を争っていたことについて、白黒をつけずに灰色で終わらせる。紛争の終了を優先させるためだ。
紛争を終わらせるということを双方の最優先目的とし、その他のそれまでの要求等については妥協するということだ。
紛争の終局的な解決。これが双方の利害の一致点だ。

しかし、どこまで妥協するのかということで折り合いがつかないことがある。
裁判関係者は皆、紛争の終局的な解決を望む、だからこそ和解のテーブルの席につく。そして条件交渉を行う。
しかし、決裂するときは決裂する。
そして、争いは続く。

一審地方裁判所、高等裁判所、そして最高裁判所。
これで終わればまだいいほうだ。
最高裁判所で結論が出ても、紛争の火種が消えていない限り、新たな請求を立てて提訴する。
そしてまた同じ顔ぶれで争いが続く。第二幕のスタートだ。


弁護士に支払われる費用が、時間制・タイムチャージであったなら、紛争が長引けば長引くほど、弁護士費用が膨大になり軍資金が底をついて、そのためやむを得ず和解で終わることがあるだろう。アメリカなどは、そういうことがあると聞く。弁護士への支払いがおおよそタイムチャージだからだ。
日本では、法律相談は時間制であり、これは最低でも、1時間、1万0500円だ。
裁判において弁護士が時間制で費用を請求したら、普通の人どうしの一般的な争いであっても、100万円は軽く超えるだろう。

例えば、判決までに裁判期日が10回あったとしたら、
提訴準備のために、依頼者との打ち合わせ10時間、調査・書類作成20時間、
合計30時間。

裁判所での出頭時間、1回30分、うち最終回は尋問期日であり、取り調べ3人としても3時間、合計7時間30分(30分×9回+3時間)、移動時間を往復約20分として(20分×10回=3時間20分)、
合計約11時間。

毎回期日前の依頼者との打ち合わせ時間、
平均4時間として、4時間×9回、
合計36時間。

毎回期日前の弁護士の準備時間(判例・文献等検討、書類作成等)、
平均15時間として、15時間×9回、
合計135時間。

また、尋問前の打ち合わせ、準備、
平均20時間。

その他、現場見分、関係者からの事情聴取などがあれば、
おおよそ10時間。

以上のように見積もっても、
提訴から判決期日までに、合計242時間。
時間制で、最低の一時間1万0500円としても、
200万円を軽く超える。
しかも裁判期日が10回、尋問3人とした場合の一審段階のおおよそであって、
これ以上の期日、さらには上訴審となればさらに加算。

とても裁判で争いを続けるなんて気にならなくなるだろう。
和解で終わらせようという気にもなるというものだ。

そのような裁判のあり方が果たして、いいのか悪いのか。なんとも言えない。


再建中のダイエーの現経営者、林文子さんの「失礼ながら、その売り方ではモノは売れません」を買って、斜め読みした。

訴訟代理人の依頼を受けた弁護士は、何を売っているのだろうかとふと考えた。

判決となれば、白黒がつく。勝ち負けだ。
時間制での契約でなければ、負けた方の代理人は報酬請求をすることはない。
当初、依頼を受けた段階での着手金だけだ。
その判決が出るまでにどれほどの時間を費やそうが、依頼者が負けとなる判決が出ればそれで終わりだ。
だから弁護士は、勝てないと判断する事件については、そのことを相談者に説明し、依頼を断ることがある。
あるいは、説明したうえで、それでも依頼をとなると高めの着手金を提示するといったこともある。
負けてもいいから争ってみてくれとなると、弁護士って、依頼者のただの駒の一つにすぎなくなる。試合のための必要な道具だ。

弁護士は、自分の専門知識、能力について切り売りしているだけなのだろうか。訴訟のかたちを作るための。


依頼者を説得できずに、和解が決裂したとき、無力感を感じる。タイムチャージだったら和解したんじゃないかなどと想像してみたりして、裁判所からの帰り道、馬に跨った天狗をみて、気持ちを持ち直して事務所に戻った。
CIMG0812


事務所のホームページでも述べているが、ドラえもんの平和アンテナとして、紛争がない社会に貢献できればと考え仕事をしている。紛争が起こらないよう努め、起こった紛争は解決する、つまり紛争を終わらせたいと願っている。
依頼者と別れるときは、これで終わりましたねと笑顔で別れるのが一番だ。
それが出来ないとき、ちょっと辛い。

まわりくどいことを書いていますが、敗訴判決が出ると判断できるとき、和解で終わらせるのがもっとも依頼者の利益確保につながるのですが、分かっていて和解を蹴ってしまうとき、判決が出てもこれは新たな紛争の序曲にすぎないので、依頼者と笑って別れることはできない、それが気持ちを暗くさせるんです。
依頼者は、説明をよく理解してくれながらも、それでも敢えて紛争継続の途を選ぶことがあるのです。代理人として無力さを感じずにはいられません。
ただ、最後はこう言います。
「私は弁護士で、代理人です。代理人にすぎません。本人は、あなたです。この裁判の結果は、代理人ではなく、本人に及びます。だから、最後、この裁判をどうするかは、ご本人が決断してください。私は決断のためのアドバイス、見通しの説明はしますし、意見もいいますが、それでも最後を決断するのはあなたです。」
CIMG0820

結果を背負い、紛争を続けていくのは依頼者です。
それでいいのか、でも仕方ない、代理人にすぎないから。

川を渡り、事務所に戻った。

*写真、左から二つ目の建物、最上階の部屋が事務所です。
 この窓から時々ぼんやりと下の川を眺めます。
 以前、一度だけ、お椀に乗って棒でこいで川を流れていく一寸法師のまねごとをしている人を見かけました。何かの撮影だったのでしょうか。お椀ではうまく漕げずに、くるくると回っていました。
 

2005年7月23日 (土)

81歳に、10億円【松井】

自分用の備忘録です。

東京高裁平成17年3月31日判決(上告)

不動産購入による相続税対策を目的とした融資の際、銀行担当者が税制改革内容を説明しなかったとして、説明義務違反に基づく損害賠償請求(約9億円)を認容した判決。
過失相殺3割
原審、請求棄却。

(消費者問題ニュース 2005・7)

日経ネット 

最高裁の判断に注目だ。

ところで、銀行もどうやって回収するつもりだったのかというと、当然、不動産だろう。
今、アイフルの不動産担保融資が問題とされているけど、「昔、銀行がやっていたことをやっているだけなのに」という思いがきっとあるに違いない。

アイフル被害対策全国会議

いずれにしてもエグイ話だ。
無防備な人を食い物にするという点では、認知症の高齢姉妹を食い物にした似非リフォーム会社と変わらない。商売ってそんなもんか。違うだろ。

「相続税対策」という言葉も要注意だ。

なんでも鵜呑みにせずに、ある程度自分で情報収集、分析して、判断しないといけないということだけど。
慎重に、慎重に。
そういえばついこの前まで「自己責任」という言葉をよく耳にした。

かといって、お金をもらうなら、商売するなら、適切な情報を提供する義務はあるだろう。
商売じゃなくっても、それは人としての良心の問題なんだけど。

うろ覚えだけど、確か、医療行為・治療法についても、選択肢がある場合、説明義務が最高裁判例で認められていた。

ところで、「外貨預金」もどうだかと思っているんだけど。預金者に対して説明義務が尽くされているのだろうか。

以前、事務所のスタッフが事務所の用事で銀行を訪れ口座を作った際、個人的に外貨預金を強くすすめられ、わずかな金額だったけど、その場で預金口座を作ることになってしまったことがあった。
いいのか、そんな勧誘で。


2005年7月20日 (水)

みのさんは凄かった。ダニエルさんは優しかった。そして私は、うなだれた。【松井】

CIMG078819日、20時30分、東京から新大阪に向かう新幹線に乗る前に、電車の中で読む雑誌をとキオスクで「週間朝日」を買った。「テレビガイド液晶未満」というエッセイがあり、「みのもんたは家に3時間しかない」というタイトルがついていた。
私は、この日、みのもんたさんに会っていた。

お昼の生放送「午後は○○おもいッっきりテレビ」にゲスト出演したのである。テーマは、「遺言」安心してあの世に行くために。
東京ではなく大阪の、男性ではなく女性の弁護士を捜していたというディレクターさんがネット検索をしたところ、たぶんこのブログでひっかかったのであろう、出演依頼の電話をもらった。
テーマを聞いたとたん、もちろん二つ返事で出演させてもらうことにした。
相続については、ここ数年、何かと思い考えることが多く、特にこの数ヶ月、和解がいくつも難航することが重なったため、いったい何が根本的な紛争の原因なんだろう、どうすればこんなことにはならなかったのだろうと根本的なところを考えていた。
そこで自分なりに思うこと、紛争予防策をテレビで簡単にお茶の間の人に伝えられたら、ちょこっとは人の役に立つのではないかという思いだった。

ディレクターの方ははるばる東京から事務所まで打ち合わせに来てくれた。
そしていろいろとサジェスチョンを与えてくれた。
その中の一つが「大相続時代」というものだった。
1945年から49年にかけて産まれたいわゆる団塊の世代が2007年から定年退職を迎え、今後20年間で約1000兆円の個人資産が世代間移動するというものだ。

この資産をねらって信託銀行が遺言信託・相続整理に力を入れ、またその他もろもろがねらいをつけている。

また本番にあわせ、私自身、改めて相続・遺言について判例・条文チェックを重ね、また統計資料を確認してみた。

この3,4年、

・公正証書遺言       約6万件
・自筆証書遺言(検認件数) 約1万2000件

・年間約98万人が死亡し、うち約4万4000人が相続税を納税している。
 その率、約4.5%。

さらには相続税に関して、相続時精算制度といった新制度も復習した。各種の本も集中的に読み漁った。

出演時間50分。
そして、いざ本番。

みのさんに、負けた。
その会話のスピード、テンポのよさ、緩急自在なトーク術。
集中して耳を傾けているとうっかり引き込まれ、こちらに話をぽいっと振られたときには、取り損ねてしまい、あわわわと間抜けな対応しかできないありさま。
そこをすかさず、隣に座っていたダニエル=カールさんがフォロー。
ダニエルさんは本番直前、緊張する私に、「リラックス、リラックス」と声をかけてくれていた。

結局、大相続時代、相続税おそるるに足らずという相続税の実態について、何も語れなかった。みのさんから投げられたボールを打ち損ねた私。
ディレクターの思いの詰まった情報番組としての価値を見事に損ねてしまい申し訳ないという気持ちと、相続の実態について語る機会を生かし切れなかった自分にがっかりという気持ちとで、後半30分は頭がいっぱいになった。
そして終了。
がっくし。

やっぱり「みのもんた」さんは凄かった。切れ味が違った。
さすが時給数百万円?といわれる仕事をこなす人は違うというのを身をもって学んだ。
私はまだまだいろいろな意味で精進が足りないことを痛感した。

今回、日本テレビの番組ディレクターさんに対して申し訳ないという思いがあるが、
実は、5年ほど前にも日本テレビに対して申し訳ないと思うことがあった。


日本テレビの社内弁護士の採用内定をもらい契約書を交わすそのときにドタキャンしてしまったのである。
それまでの間、ペーパー試験、健康診断、3段階の面接を受けていた。最終面接は、役員室で10人以上の役員を前にしての面接だった。
真ん中で体を斜めにして椅子に座る氏家社長からは、「実家ははんこやさんみたいだけど、吉相印ってほんとなの?」という質問を受けた。
このとき、内定は決まっているんだろうなと思った。
「吉相印ってほんとなの?」「もちろんセールストークです。」と答えた。

この段階までにかかった費用と時間、段取りを思ったら、非常に申し訳ない、非常識なことをしてしまったと申し訳なく思う。

でも、人生で初めての会社訪問、会社就職試験、会社面接というものを受け、自分を振り返るいい機会となったし、いろいろと勉強になった。
当時、著作権について本格的に、かつ集中的に学び仕事をしたいと思って応募した日本テレビ社内弁護士。

まさか数年後、番組出演というかたちで日本テレビに足を踏み入れるとは思ってもいなかった。
しかしまたしても申し訳ないことをしてしまった。
でも、勉強になった。

私の人生で、二度も自分を見つめ直す機会、刺激を与えてくれた日テレ。
ありがとう日テレ。
前回のドタキャンに引き続き、今回の出演でまた迷惑をかけてしまいました。
ごめんなさい日テレ。

私はいつまでたっても人生一年生か。
出来るなら、リベンジを。


ここ最近思うのはやはり出版だ。
「さおだけやはなぜ潰れないか」。あの本は、会計の基本的な考え方を身近な話に引きつけ、素朴な疑問を大切にして分かりやすく、読めるように示してくれた。
その相続版を出せないか。
タイトルは、「大相続時代 ~みんなの相続~ おじいちゃんが死んだらどうなるの」というあたりでどんなもんだろう。

「素朴な疑問」を大切にしたい。
難しいことを分かりやすく。みのもんたさんに負けぬよう、精進せねば。


今日は朝10時から裁判期日だった。相手の書面を読んで思った。
核心をとらえることなく、周辺事情をだらだらと書いても説得力がない。単なる詭弁にすぎない。自分に不利なときいかにそのピンチを脱するか、これも訴訟技術の一つだろう。弁護士の腕の見せ所ではないか。
何事も精進だ。


昨日は、写真に写る日テレ タワーを午後1時過ぎに後にして、その後、五反田の会社のコンプライアンス部で働く大学時代の友人を訪問して会社見学、その後は弁護士任官をして内閣府で働く友人のところへ挨拶に行き、ついでに内閣府周辺を案内してもらう。
そのとき国会前で写真を撮ってもらう。国会の前で写真を撮るのは小学校の修学旅行以来か。そして、研修所で同じクラスだった友人と銀座で6年ぶりに再会しベトナム料理をごちそうになって、東京駅から大阪に戻り一日が終わる。
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2005年7月16日 (土)

私が愛する SWITCH 【松井】

SWITCH という月刊誌があります。その昔、私が購入し始めた15年ほど前は、季刊誌でした。それが隔月刊誌となり、いつのまにか月刊誌となりました。
www.switch-pub.co.jp
今月の特集は、「マシュー・バーニー&ビョーク 『愛の変容』」。
英語では、「Transformation of Love」

何のことかさっぱり分かりません。ビョークは知っています。去年のブログにも書いているように、アイスランド出身のちょっとトリッキーな位置付けの歌手です。
しかし、「マシュー・バーニー」って誰?


雑誌をめくり記事を読んでいくと分かりました。
アメリカ出身の芸術家、映画を撮ったりしている人で、ビョークの実生活でのパートナーで、最近、日本で映画を撮影した人で、今回のスイッチはその映画の特集だったのです。
私が15年以上もスイッチというこの雑誌を買い続けているのは、このような「何これ?」が毎回あったからです。
大橋仁という写真家もこのスイッチで知りました。
「いま」という写真集がこの春出版されています。アマゾンで早速、予約注文して買いました。先日、日経新聞の書評でも取り上げられました(興味があればぜひ一読を。素晴らしい写真家だと思います。)。


私がこの雑誌を買い始めた1989年ころには、トルーマン=カポーティの特集をしていました。
私にとって、わけのわかんない雑誌として、これは必読雑誌となりました。

毎回、何か新しい発見~写真家であったり、作家であったり、映画であったり、俳優であったり~ をさせてくれました。

一時期、ドリームズ・カム・トルーや、ミスターチルドレンといった既に有名になった人ばかりを特集で取り上げ、この雑誌はもう終わったと買うのを止めたときもありましたが、今年の年始めからまた買い始めました。
何も自分からこれ以上自分の世界を狭くする必要もないかなと思い。

そして今月号。知っている人は知っているんだろうけど、マシュー・バーニー。知りませんでした。
楽しく読めた。


中には、竹中直人が撮影した新しい映画を取り上げ、竹中直人と主演の原田知世のインタビューも載っていました。


竹中直人「人生はあっという間に終わっていく。だから、一生の中でどれだけの人に出会えるのか、それをどれだけ大切に出来るかが、僕にとっては大事なことなのかもしれない。」

原田知世へのインタビュー記事の中でライターの人は書いています。
「”もしも”の時、今まで出会った人や感謝すべき人を集めて『みなさん、今までありがとう』ということが出来たら・・・。きっと私たちは満足して旅立つことができるだろう。でも、現実はそうじゃない。」


今日は、事務所で依頼者の方と語っていました。
どうしたら死後に自分の意思をきちんと残すことができるのか。


何も考えずにめくっていた雑誌から、「死」の前とその後について、新たに語りかけられたような今日一日の締めくくりでした。

早寝早起きなので、もう寝ます。
お休みなさい。また明日。
明日も仕事です。

2005年7月 6日 (水)

「死亡によって 開始する」【松井】

kankeizu
■「相続は、死亡によって開始する」(民法882条)。
■「相続人は、相続開始の時から、被相続人の財産に属した一切の権利義務を承継する。但し、被相続人の一身に専属したものは、この限りではない」(同法896条)。

人が亡くなると、相続という法的効果が直ちに発生します。
それは、基本的にはイヤだと拒むことは出来ません。

年間どれだけの人が亡くなるのかは知りませんが、亡くなった人の数だけ日々、相続が発生しています。


先日、友人とこんな話をしていました。
これからは弁護士が代理人になるような相続の事件は減ってくるんじゃないか、と。
昭和10年代、20年代生まれの人達は、兄弟5人、6人というのは珍しくなく、それだけ人が多いから、誰がどの遺産を相続するのか、相続問題が起こるんじゃないか。
でも、昭和30年代、40年代となると、兄弟はいても2人か、3人。
これだったら当事者だけで遺産分割協議の話もまとまり、相続紛争は発生しないのではないか、と。

家庭裁判所月報という家庭裁判所で扱う事件に関する雑誌があります。
それによれば、平成5年から平成14年にかけて、遺産分割調停の申立を裁判所が新たに受けた件数は、8000件から9000件程度を推移しているにすぎません(56巻1号)。新たに裁判所にもちこまれる事件は、月700件前後といったところでしょうか。
ちなみに、離婚事件は平成5年に約4万8000件だったのが平成14年には約6万1000件へと約1.2倍ですが確実に増えていっています。

この間の亡くなっている方の人数を調べていないのでなんともいえませんが、人口比を考えれば、年間の死亡者数も減るはずであり、とすれば確実に、遺産分割調停申立て件数は減るのではないかとも思いました。


が、しかし。

相続紛争の原因、本質は、はたして競争相手としての相続人の数の多さにあるのか。人数が多いことが原因となる利害関係の調整の困難さにあるのだろうか。

私が今担当している事件では、相続人が40代、30代の方々のケースもあります。相続人はやはり二人、あるいは三人です。

しかし、遺産分割協議はこじれにこじれ、協議、調停を経て審判手続、あるいは訴訟手続きとなっています。

そして、若貴兄弟。
相続人は、二人のはずです。
詳しいことは知らないのですが、弟さんの方がテレビ番組にでまくって、相続に関して、兄への威嚇攻撃をしていたのだとか。
依頼者との方との雑談でも、「若貴兄弟ですら相続になってあれだけもめるんですからねぇ。」といった言葉を数人から聞いた。
いったい若貴に何がおこっているのだろう、一応フォローしておかなければと思い、
先日の日曜日、夜の情報番組で二人の様子を画面で見ました。

お互い意識し合っている様子は分かるけど、全く目を合わせようとしない、兄弟とは思えないよそよそしさ。
これが相続争いの実態か、と思いました。

「お金の問題じゃない」。

生前の親との関係、あるいは兄弟同士の関係。それまでの関係の中で澱のようにたまっていたもの、押し込められていた嫉妬、あるいは怒り、恨みといったもの。
それらが、親の死によって歯止めを失い、「死亡によって 開始する」んじゃないか。それが相続争いという姿をとって、戦いが行われるのではないか。

そうであるなら、兄弟の人数が二人であろうが、三人であろうが、少子化で兄弟が減っても、おそらく相続紛争は減らないのだろう。

テレビの画面に映る、二人の兄弟の姿を見てそう思いました。


翌日、夕刊紙では、「若が放棄!」として、兄が相続放棄の手続きをとっていることを明かしたことを報道していました。代理人弁護士が発表しているようなので、たぶん本当なのでしょう。

となると、それまでの弟のテレビ番組出演での威嚇攻撃は、まさに「独り相撲」だったのでしょうか。
兄と遺産を取り合うケンカを始めるため、威嚇していたのに、兄はあっさりと「放棄」して争いの舞台から降りていってしまった。

これでめでたしということになるんだろうか。たぶん結局、二人の争いは解決しないんでしょうね。なんとなくそういう気がします。
根本は、やはりお金ではない何かにあるように感じます。

こうして考えると、死亡によって開始する相続について、もめないこつ。予防策は、相続が起こる前に、兄弟・親類と円満な関係を築き保っておく、これにつきるように思います。
それが一番難しいのかもしれないけど。
遺言書を作っておけばいいってもんでもないだろうし。

2005年7月 1日 (金)

後からでも、何でもできちゃう、すごいぞ株主総会【松井】

osaka-shoukentorihikijo


新しい会社法の法案が国会で可決されました。
来年から施行予定です。
私もまだ不勉強ですが、株式会社設立の際に必要とされていた1000万円以上の資本金の要件がなくなるなど従前の制度を抜本的に変えているようです。
これまでいったい何だったんだと思いますが。

実務では、メジャーな判例紹介雑誌が二つあります。
一つは、月3回発行されている「判例時報」という雑誌、
もう一つは、月2回発行されている「判例タイムズ」という雑誌です。
弁護士はだいたい、最低これらを定期購読し、最新の裁判例をチェックしています。
さらには、「金融法務事情」、「NBL」といった雑誌があります。

判例タイムズ(「判タ」と略称されています)の6月15日号で、株主総会に関する最高裁判例が紹介されていました。

先日、大手上場会社の株主総会の開催がピークだったということで新聞をにぎわせていたところ、取締役の報酬について個別の金額をオープンとする動きも出てきて、この点、各社の総会決議の結果が一覧で報じられたりもしていました。

株主総会。

今年、ライブドアvs.フジテレビの騒動により、「会社は誰のものか?」という議論が流行りました。
会社の行方を最終的に決める権限を持つのは、株主です。従業員ではありません。そういう意味では、会社は法律上はやはり「株主」のものになるのだと思います。

ただ、株主といっても一人一人に権限が平等にあるわけではもちろんありません。
数の世界、数が力の世界です。何株もっているか?それが勝負を決します。
なぜなら、多数決の世界でからです。

株主は、その会社に自分のお金を注ぎ込んだ人です。金を注ぎ込んだ人こそ、その会社の行方に利害があるわけであり、決定権をもつ。その株主の中でも、より多くの金を注ぎ込んだ人、より多くの株を持つ人の意見が、会社の行方を決めるにあたり反映されるべきというのは、しごく当然、単純な考えです。

株主総会は万能だよ、ということを改めて確認した最高裁判例が平成17年2月15日判決です。

商法269条では、株式会社の取締役の報酬は、定款に定めてあるか、株主総会の決議がないと会社は、支払ってはだめと決められています。定款も決議されるのは総会なので、結局、株主総会で決めなさいねとなっています。
なぜ、取締役が決めたら駄目なのか?自分の報酬は1億円ね、と決めたら何が不都合なのか。
会社の財産、お金は、究極的には株主の出資からなります。極端な話、取締役は、会社の財産、つまり株主の財産を食いつぶすことも可能なのです。なぜか?自分の腹は痛まないからです。会社の財産の半分は自分の報酬ね、といってもらうもんをもらって辞めることもできることになります。

そこで商法は、取締役がこういうことを出来ないようにと、会社が取締役に支払う報酬は株主さんが決めてね、としました。「お手盛り禁止」が趣旨といわれています。

ところが、問題となった会社では設立以来、定款に定めがなく、また株主総会決議もないままに約5年間にわたり、役員報酬として会社の金から、5000万円以上を取締役らに支払っていました。

会社は、取締役からこの金を取り戻すべきなのですが、もちろん会社を経営している取締役達はそんなことはしません。そこで一部の株主が、会社に代わって訴訟を行う株主代表訴訟によって、取締役らに受け取った報酬を会社に返せという裁判をしたのです。

ところがなんと、取締役らを助けようとする大株主さんらがいました。
訴えが起こされた約3か月後には、株主総会が招集され、設立時に遡って効力が生ずるものとして取締役らの報酬を定める総会決議を可決したのです。

大阪高等裁判所は、この総会決議は取締役の責任を免除する決議ではないので、取締役らの法令違反行為(総会決議なく、会社の金を報酬として支給したこと)による会社の損害は変わらないとして、株主の訴えを認めました。

しかし、最高裁判例は、この判断をひっくりかえしました。

「総会決議の決議を経ずに役員報酬が支払われた場合であっても、これについて後に株主総会の決議を経ることにより、事後的にせよ上記の規定の趣旨目的は達せられるものということができるから、当該決議の内容等に照らして上記規定の趣旨目的を没却するような特段の事情があると認められない限り、当該役員報酬の支払いは株主総会の決議に基づく適法有効なものになるというべきである」と判示したのです。

また、そもそも、この総会決議は、取締役らが、自分たちが訴えられたことをもって、対抗策として開催、決議されたものです。
こんなあとから取り繕うようなことを認めていいの?!という素朴な疑問に対して、最高裁はこうこたえています。

本件決議に本件訴訟を上告人らの勝訴に導く意図が認められるとしても、それだけでは上告人らにおいて本件決議の存在を主張することが訴訟上の信義に反すると解することはできず、他に上告人らが本件決議の存在を主張することが訴訟上の信義に反すると認められるような事情はうかがわれない。」

訴訟上の信義。
民事訴訟法2条 「裁判所は、民事訴訟が公正かつ迅速に行われるように努め、当事者は、信義に従い誠実に民事訴訟を追行しなければならない」。

やっぱり株主総会、最高!

この代表訴訟をやった株主さんの悔しさは、結局、数には勝てなかったということになるんでしょうね。
ただそうはいっても、ライブドアも、ニッポン放送株を過半数取得し、数を勝ち取ったけど、内部の会社の運営、つまり従業員との関係についてまでは力がなかったから、いわゆる乗っ取りに障害が生じたのでしょうか。株主は、個々の従業員に対してまで口だしする権利はないからね。

原点に戻り。
なぜ、株式会社の仕組みとして、株主がいて、取締役がいるのか。
資本と経営の分離と言われています。
なぜ、そんな制度をとるのか?
株主は出資者であり、経営の素人が多い、経営は経営のプロに依頼し、取締役として舵取りしてもらったらいいという考えです。株主もそれを望んでいるって。
でも、たまに経営に口だししたい株主さんもいるってこと。

あぁ。久しぶりに株式会社の原点の仕組みについて考えてみました。
新会社法よ、どこへ行く。


*以下、自分用のメモ
「訴訟上の信義則の適用が問題となる類型として、学説は一般に、①禁反言、②訴訟状態の不当形成、③訴訟上の権能の失効、④訴訟上の機能の濫用に分類している。」(判タ1176、137頁)

*写真は、去年2004年12月に竣工した、事務所の前にある大阪証券取引所のビルです。ビルの前には、なんと今時、銅像が建てられています。写真は、除幕前のもの。

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