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2005年6月15日 (水)

奈良地方裁判所~相続事件の和解 代理人の価値~【松井】

narakaishuu

先々週のことになりますが、奈良地方裁判所へ行きました。写真は、奈良地方裁判所の庁舎です。ピンクの壁でこじゃれた庁舎ですが、これは仮庁舎です。本庁舎は現在、立て替え工事中であり一時的なものです。にしても、この建物のセンスは素晴らしいと思います。いやらしくなく、暖かみを感じさせるデザインは観るとちょっと和みます。

奈良へ行ったのは相続事件での和解期日のためでした。大阪地方裁判所でも、2件の相続事件の和解が進行しています。
相続事件は通常、当事者が多く、原告複数名、被告複数名で、しかも代理人の弁護士もそれぞれの当事者についていたりするので、3名以上というのもよくある話です。
そのような相続事件について、たまたま3件の和解が同時進行しています。

相続事件というのは、だいたい究極的には遺産をどう分けるのかという遺産分割協議に集約されます。遺産分割協議は、当事者で話し合いとならないと、家庭裁判所に調停の申し立てをして調停の場で話し合いをします。それでもまとまなければ、審判といって家庭裁判所の裁判官が、誰がどの遺産を相続するのかを決めます。これに対して不服があれば、高等裁判所に即時抗告というものをするしかありません。
つまり基本的には、家庭裁判所での話です。

それがなぜ、地方裁判所で裁判になっているのか。
それは、遺産の分け方以前のことが問題となっているとき、問題は家庭裁判所ではなく、地方裁判所で通常の訴訟として決着をつけるようにとされているからです。
現在、地方裁判所で争っているのは、遺言無効の訴え、遺産分割協議無効の訴え等です。相続財産の中に、賃料が発生する収益不動産があったりすると、その賃料を誰が取った、取らないといったことでも紛争になったりします。このような問題も、根本は、相続によって引き起こった問題ですが、法律的には賃料を巡る争いとして地方裁判所での訴訟となります。

そして、このような問題について訴訟レベルでの決着が着いた後、つまり最高裁判所まで争うなどして裁判所の判断が確定した後、必要であれば改めて遺産分割協議として、家庭裁判所で協議することとなるのです。例えば、遺言が無効とされた、あるいは遺産分割協議が無効とされたといったときです。不動産が遺産なのか否かが争いとなったときも、訴訟事件として決着させてから、改めて遺産分割協議を行うこととなります。

つまり、根本的に相続から発生する問題については、訴訟レベルで争いをして一つ、白黒をつけたとしても、問題はそれで最終的に解決という訳ではないことが多いのです。
そこで出てくるのが、「和解」です。

何ついて和解するのか。遺産分割協議について、となります。
家庭裁判所で話をすることになる遺産分割協議について、地方裁判所で、「和解」として話をするのです。訴訟で争っているのは、遺言が無効か否か、あるいは遺産分割協議が有効か否かです。しかし、そのことに白黒つけるのではなく、当事者がそれぞれ自己の主張について一歩譲って、妥協し、結局、遺産をどう分けるのかという最終的な話をするのです。

相続は、親族間の紛争です。親族というのは、だいたい兄弟姉妹間です。
相続が起こるまでは仲の良かった兄弟が、相続をきっかけとして、それまでの誤解などが積み重なって、対立してしまいがちなのが相続です。
またそれなりの年の方が当事者となることから、配偶者がおり、まったく親の相続に無関係なはずの配偶者が実質的な当事者となって紛争を混乱させがちです。残念なことに。

憎しみが憎しみを生み、誤解が誤解を生むような状況を早く解消し、納得いく解決を得る、判決・審判で白黒をつけることなく、それぞれがそれなりに納得のいく解決を得て、紛争を終わらせ、解放する。それが、「和解」です。

相続事件や、近隣紛争事件では、必ずと言っていいほど、裁判所あるいは代理人弁護士は当事者に「和解」での終結をすすめます。
それは、心から当事者の心の平穏を願ってのことです。早く審理を終わらせたいだけといった思いは微塵もないでしょう。
なぜなら、相続事件において和解の話し合いをすることは、ある意味、もっとも困難な和解といえるからです。経済的な損得・理屈ではなく、感情が抑えきれないことが多く、和解が成立する可能性が低いからです。
理屈ではないとなったら、何で説得できるのか。

また相続事件の複雑なところは、当事者が、2対3に別れていたとしても、いつのまにか、1対2対2となっていたりして、当事者の利害対立関係が流動的ということです。長男と三男がタッグを組んでいたかと思えば、いつの間にか三男が孤立していた等々。

自分に和解をすすめる代理人弁護士に対して、依頼者は不信感を持つことがあるかもしれません。相手の弁護士と裏で手を握っているのではないか、あっちが悪いのになぜ自分に妥協を迫るのか、と。

しかし私は、その和解が理屈として不合理でなければ、先々の手続きを考えれば、経済的に依頼者にとって和解が得と判断すれば、打ち合わせのとき、依頼者と怒鳴りあいに近い状態になっても、強く和解による解決をすすめ、説得します。

打ち合わせの中で、依頼者の声にもちろん耳を傾け、根本的な問題は何か一緒に考えます。そして納得がいくまで何時間でも話し合いをします。
そのうえで依頼者が、和解をしないというのであれば、最後は依頼者の意向に添うように活動します。和解をしないことのリスク、デメリットは何度も何度も説明します。
「とにかく、後で、あのとき和解をしておけばよかった」と思うことのないように、と。
しかし、こう考えます。
元モーニング娘。の安部なつみじゃありませんが、気に入った言葉をノートに書き留めたものです。

「紛争解決にあたっては、紛争を情緒的泥沼としないことである。
情緒的泥沼は紛争の両当事者にとってもっともコストがかかり無益である。」

紛争解決を自分だけで行わず、代理人をつける意味はここにあると思います。
だから私は、相続人の依頼者とケンカになっても最後の最後まで「和解」を言い続けます。「先生は分かっていない」と言われても、「分かっている。だから、和解なんだ」と。判決で一つ白黒がつく、でも控訴審、上告審と続く。その中で、時間も経てば、弁護士費用のお金もいる。最高裁まで行っても、また遺産分割協議。いったい最終的な解決まで何年かかり、いくらお金がいるのか。
和解をした方が、確実にお得なときがある。
あなたが争う目的はなんですか。相手を訴訟などにひっぱり込み、紛争を終わらせないことですか。苦しめることですか。
それは、裁判の目的にはなりません。裁判では、相手の言い分を聞き、主張立証を繰り広げて対立し、第三者が白黒つける、費用と時間をかけて結局、自分が傷つくだけです、と。
これを代理人が本人に言わなくて、一体誰が言うのか。

しかし、言わない代理人がいるようです。先の先の先を考えれば、依頼者にとっては和解がベターであることは明らかである、しかし目先の争いだけを考えているのか。
裁判所内において、まるで当事者であるかのように、パフォーマンスを意識してかこちらの本人がいる席でケンカ腰でものを言う、こちらの依頼者は気分を害し、うまくいくものもいかなくなる。まさに「愚策」か。
このような代理人がその依頼者に取って本当に、「代理人」として価値あるものか、誰もその依頼者に教えてあげたりはしない。もしかしたら私の為に、キャンキャン言って戦ってくれている、頼もしい先生と思っているのかもしれない。何が依頼者にとって「代理人」の価値なのか、考えさせられます。

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