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2005年5月

2005年5月30日 (月)

世の中はあたりまえだけど、変わっていく【松井】

yokkaichi
大橋は、東京へ行っていたようですが、私は先日、実家のある四日市へ行っていました。ホームページの一言メッセージでも記しているように、私の実家は四日市の駅前商店街の中にあるはんこ屋さんです。商店街にはアケードがあり駅前のその一区画が町となっていました。
その町の中には、本屋さん、レコード屋さん、映画館、ドーナツ屋、うどん屋、寿司屋、パン屋、スーパー、ラーメン屋、アイスクリーム屋、ケーキ屋、おもちゃ屋、そしてジャスコなどが軒を連ね、人通りは絶えず、明るく、いつも賑やかな町でした。小さいころは我が物顔にあちこちの店を出入りしていました。

ところが、私が高校卒業後、町を離れてからのこの十数年で町が変貌してしまいました。明らかに、救いようがないほどに、寂れていってしまっているのです。
帰るたびに悲しくなります。昼間でもシャッターが降りたままの店舗が増え、明るく華やかでこじゃれた店は姿を消していき、けばけばしい風俗店の看板などが取って代わっていました。風俗店とパチンコの町になっているかのようです。
そして駅から降りたって、何よりも目を覆いたくなる惨状は、この写真にある空き地です。
これは駅前の土地です。ここにはジャスコがありました。ジャスコの創業者は岡田といって、もとは「岡田屋」としてこの四日市の地で商売をしていたのです。そのジャスコが四日市のこの地に見切りをつけ、これだけの面積で確か6階建てほどもあった建物を壊して出て行ったのです。
まさに見捨てられた町のようになってしまいました。

帰るたびに思うのは、なぜこんな町になってしまったのかということです。
まさに、今ある繁栄は永く続くものではない、常に努力を怠ってはならないという教訓を町全体で教えてくれているようでした。

それにしても、四日市。なんとかできるなら何とかしたい。

大阪の動物園前のフェスティバルゲートも出来た当初は、人だかりだったけど、いつのまにか寂れた雰囲気が醸し出されるようになったなと思っていたら、破綻した。
そうかと思えば、東京ディズニーランドは私が中学校3年生のときに開園して以来、今もなお人気が続いている。手を替え品を替え楽しませる努力を怠っていないからといわれている。
しかし、創業100年以上という和菓子屋で昔も今も味を変えずに、ただひたすら味を守り続けることにより繁栄している店もある。
商売するならやはり食べ物やということだろうか。

独り言が迷走しているけど、実家のはんこ屋も象牙の輸入制限措置が取られたとき、はんこ屋は終わったかのように言われていたが、今もしぶとく商売をしている。
「さおだけ屋はなぜ潰れないのか」という本は、確かに面白かったが、「はんこやはなぜ潰れないのか」。我が家のことながら不思議である。

相談事件で、商売をやめるということの手助けをする仕事はとても辛い。なんとかまさに「再生」できないのかということをまず考えてみるが、経営者の人は弁護士に相談する時点でもう腹は決まっている。このまま続けても、売り上げは伸びず、借入金の利子がかさむだけだと判断しているのである。
その商売についてはその商売の道、ノウハウ・経験がある。経営者が閉店のみちを選ぶとき、弁護士として出来ることはなるべく傷を深くしないようにと手助けすることくらいだ。悲しいかな。

閉店の道を選択する前に、再生の方向でよいアドバイスができたらと最近、より本格的に会計の勉強をやり直している。
しかし再生でいくためには、なるべく普段から相談で弁護士を利用してもらう必要がある。司法書士さんが「町の気軽な法律家」云々として宣伝しているが、大阪ふたば法律事務所もまた、町の気軽な弁護士さんであれたらと思う。
そのためにはどうしたらよいのか、模索が続く。町でチラシを挟んでティッシュ配りくらいしてもよいのかも。

四日市からの帰り道、駅前で、市役所の消費生活相談室がクーリングオフに関するチラシを挟んだティッシュ配りをしていた。市役所も日曜日にこんなことをするのかと関心した。
そういえば、いよいよ団体訴権が来年にでも法制化されるらしい。世の中はどんどん変わっていく。おいてけぼりにされないように。

2005年5月 8日 (日)

契約書ひな形の功罪【松井】

shomei
 5月7日の日経新聞夕刊によれば、文化庁が5月中にも、著作権に関する契約書のひな形7種類を発表するそうだ。講演会での、主催者と講師との間で、講演録をネットで発表したりといった二次利用に関するトラブル予防を目的としてのことらしい。

 つい最近読んだ、「著作権の考え方」という新書の中で、著作権に関しても、マンションの賃貸契約なみに、契約書を交わすのが当たり前の状態にしていかないといけないと著者は述べていた。著者は、まさに文化庁に関係する人だったので、ついにその人が言っていたことが実現化されたのかと、驚いた。有言実行だ。
 こういうひな形はどんどん利用されていったらいいと思う。何にも契約書を交わさない状態に比べれば、紛争予防に貢献することは間違いない。確かに、アパートを借りるとき、貸すとき、いまどき契約書を交わさないということはまずないだろう。賃貸期間、賃料、使用方法について守って欲しいことなど、書面に記し、当事者が署名・押印し、それぞれが契約書を1通、持つ。これで、賃料がいくらだったかなどということでもめなくてすむ。

 しかし。
 ひな形はあくまでひな形。そこに書いてある項目のチェックだけで本当によいのか。このケースで特殊なこと、約束を守らなかったときのペナルティはどうするのか、実効性をどのように確保するのか。そういったことまで、つっこんで決めていく必要がある。
 ひな形でたれりとしていると、いざ本当にトラブルになったとき、ペナルティが定められていないため、あるいは法律の別の壁があり、結局、契約書が何の役にも立たないことがあるのである。
 先日、まさにこれを実感することがあった。昭和40年代に交わされた建物所有目的の土地賃貸契約書である。市販のひな形をそのまま使った契約書だ。地主の承諾なく、借地上の建物の増改築をしてはいけない条項があった。しかし。違反した場合、貸主が借主に対して、何が出来るのかについての定めが何にもなかった。こういうと何だが、弁護士が関与して契約書を作成した場合、違反した場合について想定されていない契約書はあり得ない。貸主は、借主が工事を強行するのを目の前にして工事の中断の仮処分も出来なかった。裁判官は言った。契約書に、仮処分が出来る旨が書いてあるなら別なんですが。

 契約書について言えば、以前、ヨーロッパの国の芸能プロダクションが日本のテレビ番組に出演するに当たっての契約書を目にすることがあった。出演者の休憩時間、交通費、食事の用意といったことについてまで触れられていた。
 ここまでありとあらゆる場面を想定して、決めておけば、その場でもめることはないんだろうが、あまりやりすぎると決めていくだけで相当のエネルギーが要る。
 そこは結局、メリハリをつけるということになるのだろう、今の日本での感覚からすれば。
 びっくりするのは建築業界だ。私の知る限り、1000万円単位の仕事であっても契約書がないことがある。下請けレベルになればなるほど。
 契約書のひな形の功罪として考えたが、功の方がまだまだ大きいのが現状だろう。
 
 ところで、ふと思ったのは、ロシアの女性二人組アイドル歌手、タトゥーが来日したとき、生放送の歌番組をドタキャンした事件があった。テレビ局は、なめられたと言って、法的措置をとることも検討しているとか言っていたが、その後どうなったのだろうか。おそらくドタキャンとなったときにどうするのかということを想定した契約書は交わしていなかったのだろうと思う。法的措置といっても相手が外国にいるとなると特に費用対効果を考えないといけない。
 アニータから横領金を回収しようとした青森県は、確か費用倒れで回収を志し半ばであきらめたのではなかったか。

 契約書なし < ひな形契約書  < トラブったときの有効解決手段の定め

といったところでしょうか。
 ただ右へいけばいくほど、契約締結のための労力を要するので、そこもまた費用対効果で、適度を探る作業か。

  

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