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2004年11月26日 (金)

同じようだけど、でも違うのです【松井】

CIMG0407.JPG

またまた松井です。
大橋の近況はというと、先日、事件の関係で
熊本へ出張していました。帰りは飛行機だけど、
行きは大阪から、なんと寝台車!

ところで。
先日、司法修習同期の友人の弁護士が刑事事件で
高等裁判所での逆転無罪判決を得ました。
懲役8年の実刑が、無罪となりました。
彼女の弁護活動は一審のときから聞いており、
非常に熱心に活動して無罪を確信しながら
一審が有罪だっただけに、控訴審で見事に無罪を
勝ち取ったと聞いて、自分のことのように喜びました。

彼女は名古屋に暮らしていることから、
無罪判決後、翌日の大阪での新聞を送って欲しいと言われ、
我が家で講読していた一般紙3紙を送りました。

すると。彼女からメールがありました。
無罪判決後に記者の取材に応えたことと、記事の内容が
違うというのです。
元被告人は、警察に自首して逮捕されていたのですが、
その目的は、「警察での保護目的」と伝えたことが、
記事では「刑務所への入所目的」と変わっていたと。

記者にしてみれば、「野宿者が、刑務所で衣食住足りた
生活をしようとして自首した」という話の方が分かりやすかった
のかもしれません。意識的にか、無意識的にか、自首の
目的がその記者の頭の中で変わってしまったのでしょう。

ただ、よく考えたら分かるように、
刑務所入所目的だったら、実刑懲役8年というのはまさに目的
どおりであって、8年間は衣食住に不自由しないはずです。
なぜ公判となって無罪を主張するのか、つじつまが合わないはず。

ちょっと数日程度、留置所や拘置所に入って過ごそうという気持ちと
何年も刑務所に入ろうという気持ちは違うはず。
この微妙な違い。

新聞記事の話を聞いて、「同じようだけど、厳密には違う」という
感覚はとても大事だと改めて思いました。
「違い」「差」が分からないということは、
他人と自分との距離、違いが分からないということだし、
全てを自分基準で考えてしまう。
これを一言で言うと、「独善」。

新聞記事も伝聞だからある程度は仕方ないのかもしれない。
正確でなくっても、それでも政治、社会、経済の動きの情報源として、
新聞に頼らざるを得ない。


【憲法21条1項】
 集会、結社及び言論、出版その他一切の表現の自由は、これを保障する。

 最高裁判決は言います。
 報道機関の報道は国民の知る権利に奉仕するため、報道の自由は
本条の保障の下にあり、また、報道のための取材の自由も本条の精神に
照らして十分尊重に値する。

 がんばれ新聞。
 ~新聞社で取材記者をしている九州の友人に向けて
  やっていることは憲法的な役割をもち重大な責任があることなんだから、
  めげることなくがんばれ、と~

【憲法37条3項】
 刑事被告人は、いかなる場合にも、資格を有する弁護人を
依頼することができる。被告人が自らこれを依頼することができない
ときは、国でこれを附する。

 わたしも役割を果たせるよう、国選刑事弁護もがんばります。

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